2021-07-20

長野五輪開会式音楽のこと

オリ・パラ音楽担当者がいろいろ騒動になったのを見ながら、なんとなく思い出した。

おぼろげな記憶なので細部に誤りあるかもしれないけど。

長野五輪開会式劇団四季創設者にして自民党のブレーンだった浅利慶太演出したんだけど、まあ評判が悪かった。

アメリカテレビ局圧力に屈して向こうのゴールデンタイム時間をあわせ、日本時間の真っ昼間にやったので光を使った演出が使えなかったのはハンデだったと思うけど、それを差し引いてもダサくて。

まず横綱土俵入りから始まって(同時はまだ相撲国民スポーツだった)、諏訪御柱でゲートたてて、なぜか力士が各国のプラカードもつ、という、分かりやすい“スシテンプラ”的なニッポンを散りばめて。二十年以上前だけど、当時でも相当ダサかった。

聖火の点灯はフィギュアスケート日本人初の銀メダリスト伊藤みどりがやったんだけど、これがねえ。

ネット検索すれば動画あると思うが、なんかコテコテの豪華な巫女さんみたいな衣装を着させて、で、BGMに流れたのが、なんとプッチーニオペラ蝶々夫人」のアリア「ある晴れた日に」なのである

これは酷い。

なにが酷いって、なんで日本オリンピック西洋クラシック?とかそういうレベルの話ではない。

蝶々夫人が、まあ国辱モノ(好きな言葉じゃないけど)の話なのである

長崎武士の娘だった蝶々さん

明治維新で家が没落し、芸者をしている。

そこに現れたのが、軽薄なアメリカ海軍士官ピンカートン。(なお、フルネームベンジャミン・フランクリンピンカートン。このオペラアメリカ人も小馬鹿にしてると思う)。

ピンカートンは蝶々さん結婚を申し込む。もちろん現地妻としてテキトーにあしらって国に帰るつもりなのだが、“軍人=武士”と思っている蝶々さんは、この求婚を「名誉なこと」と思って受けてしまうのである。周りには反対する人が沢山いたのに。

で、ピンカートンは「すぐに帰ってくるよ」なんつって航海に出てしまう。

蝶々さんは待ちつづける。あの娘はアメリカ人にもてあそばれたのよ、なんて周りに言われても、彼を信じて待ち続ける。

そして歌うのだ。

「ある晴れた日に、港に船が入ってくるのよ。あの人を載せた船が!」

彼女にはどうしても信じたい理由があった。だって、彼の子供と二人で帰ってくるのを待っているのだから

そして彼は帰って来たのであるアメリカ人の妻を連れて。そして、息子を引き取ってアメリカで育てるという。蝶々さんは息子の幸せを願って息子を父のもとに送り出し、武士の家の伝わる刀で自刃し、ピンカートンは自分の犯した罪を初めて自覚するのである・・・

オペラのあらすじが長くなったけど、まあ、昔の欧米人が“ゲイシャハラキリ”を取り入れたエンターテインメントなのはよくわかるだろう。

これ、日本オリンピック開会式の、1番の見せ場でつかうかね?と個人的には思った。

一部には批判的な論調もあったように記憶するが、そんなのはなんでも批判したい面倒くさいインテリのやり口と思われてて、一般的報道では問題点と触れられることはなかったように記憶する。

あれからもうすぐ四半世紀。

リオ・オリンピック閉会式での東京アピールは、長野五輪の開閉開式とは比較にならないほど洗練されていて、もしかして東京五輪の開会式は素晴らしいものが見られるんじゃないかと期待していた。

しかし、なんかあんなことやこんなことがあって、グタグタ感がすごい。開会式をめぐるゴタゴタは必ずしもコロナのせいとは思えない。

ただ、ちゃんと“あんなやつ”が開会式からきちんと排除されたのは良かったと思う。日本は少しずつ良くなってるんだとすら思う。

冒頭の4分間? 適当に有りものあてがっても、誰かに突貫工事で作らせてもなんとかなるだろう。今の日本には素晴らしいクリエイターたくさんいるよ。

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