「無敵論法」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 無敵論法とは

2021-12-07

anond:20211207144106

全然違うとだけ書いて正解を書かないところにもう本来議論目的さらさら果たす気がないというか無敵論法みがあるよな。

全然違うとだけ書いておけばあとでどんな推測をぶつけられても「違う」と書くだけで「勝つ」ことはできる点でのみこのうえなく効率がいい

2021-11-12

部落解放同盟化するツイフェミ

話題になっている、「米山隆一議員と仁藤夢乃氏と室井佑月氏のアレ」


選挙後早々にリベラル界隈で内部紛争が勃発、ということで各方面から注目が集まっていますが、これまでも、

といった事例があり、この件に限らず、立憲・共産党フェミニズム活動家は必ずしも一枚岩でないことがわかります

そして、こうした話題を見ていて思い起こされるのが、ズバリ部落解放同盟と、そして日本共産党との対立関係です。


さらい(共産党解同対立の経緯)

社会的弱者被害者の掘り起こし・組織化に熱心な共産党と、解同の仲が悪い」という事態は、この界隈をよく知らない人間にはなかなかイメージしづらいものがあります

しかしながら、実際には割とシンプルな話で、

とまあ、清々しいまでの敵味方思考の結果だったりします。

なので共産党も、あの手の運動には珍しく、真顔でディスっているというわけです。

なお、対立理由は他にもあり、例えば1965年の「同和対策審議会答申を巡る評価解同共産党で分かれたことも、その一因と言われています

こちらは言わば社会党共産党の場外乱闘です。

答申に一枚噛んでいる社会党に近い派閥答申評価する一方、共産党解同共産党派は内閣諮問機関による答申を「毒まんじゅう」、つまり自民党との妥協である批判

結果、両者の対立が深まりました。

なんだか「表現の自由」あたりでも散々聞いたような話ですね。

社会運動自分支配下である間はとりあえず優しいけど、ヨソが手を伸ばしてこようものなら即手の平返しちゃうと。

しかも、そんなこと言ってた共産党がこないだの選挙では自ら毒まんじゅう食わせる側に回ったのだから、まあなんとも皮肉な話です。


令和の時代朝田理論

一方、解同側も社会党派を中心に共産党勢力排除を進めていき、1971年には以下の理論を打ち出します。

その名も「朝田理論」

まさに文字通りの無敵論法です。

半世紀も後のツイフェミ言動までもが全てこれで説明できてしまうなどと、いったいどこの誰が予想したでしょうか。ノストラダムスじゃねーんだぞ

しかし仲の悪い相手はとことん手厳しい共産党こちらについても「部落民以外はすべて差別者=部落排外主義」と批判を加えています

米山先生おっしゃるところの「フェミニストイズム」も、これに当てはまるかもしれません。

それにしても「当事者活動家至上主義と先鋭化が極まった結果、共産党オルグすら拒んだ」というのは、いろいろと示唆に富むものがあります

(まあ、「社会党vs共産党の争いで社会党側が勝った」と言ってしまえばそれまでなのですが)


繰り返される「味方殺し」

もうひとつ、ツイフェミ解同酷似する要素がこちらです。

様々なもの一方的に燃やされてばかりの男オタク立場から観測しづいかもしれませんが、

実はそごうルミネTOKYO女子けんこう部などの事例を振り返ると、むしろ女性に媚びているはずの広告がなぜか炎上」したケースも結構多いことがわかります

それも「『けんこう』が平仮名なのは女性バカにしている!」などと、まさに令和最新版朝田理論の全力ブン回し。

いったい何が差別にあたるのか、もはや当事者中国王朝暴君以外に判別がつかないレベルです。

1000のうち1か2でも気に食わないことがあるとすぐ糾弾会をおっぱじめるバーサーカーぶりからは、やはり『血だるま剣法』的な何かを感じずにはいられません。


それでも、解同やツイフェミのあり方は正しい

と、解同に対する批判の多くがなぜか現在のツイフェミにもブッ刺さる、というまこと面白い結果になったわけですが、

私は彼ら彼女らの暴力的性格、先鋭化や偏狭さはともかく、運動のあり方自体批判するつもりはありません。

当事者当事者のこと以外関心がないのは当たり前だからです。

社会運動特定党派の持ち物ではないし、自分要望を実現してくれるなら誰と手を組んでもいい。

そういう姿勢は何も間違っていないと思います

しろリベラリズムからアベヤメロまでいちいち全部ワンパッケージにしなければ気が済まない風潮の方が、ぶっちゃけよほど不自然ではないでしょうか。

anond:20211112130828

セクハラじみたことをしてきたって言うんなら具体例を示せばいいのに、

自分の胸に聞いてみろ」って言って投げっぱなしにする無敵論法

2021-10-26

anond:20211026163945

無敵論法っちゃ無敵論法だけど、

しか言いようがないんだよな。間違いなく平等じゃないんだから

皇室存在のもの論理的矛盾してるんだから皇室について語る一切の言葉意味が無いのよ。

2021-09-24

anond:20210924200338

「お前らは○○には言及せずにだんまり

→その話題言及して逐一反論する

→「なんでそんなに逐一あげつらって反論するの?」

 

攻守において隙のない無敵論法である

2021-09-15

anond:20210915150510

気になってるというだけのことを見えない敵と戦ってるという体の認識すり替えヘイトを集中させる無敵論法

言われた側は「別に戦ってるとかじゃない」と弁解しても攻撃側は「図星」とか「必死」と連呼すれば済む

2021-09-04

anond:20210904134013

また無敵論法

最後の乱れようとは具体的にどの部分のことで

どう乱れているのか

何一つ具体的な指摘がないまま「発狂者」のレッテル相手にはりつける

誹謗中傷だけを積み上げる増田こそ 

>ああいう人は普段どういう生活をしてるのか?

社会とどう折り合いをつけているのか?

友達にもわけのわからんレスバをしかけて勝った勝ったと一方的に喜んでいるのか?

その言葉が、そっくりそのままあてはまるわ

リアルで同じことを呟いたら捕まるから、注意しようね

anond:20210904130644

それは「実際に論破されてなくてもなんとでも言える」無敵論法から

それに手を出した側が反論できないと普通みなされるのよ

「何一つ具体的に論破した事実説明できないけど、論破した!」は

池乃めだか師匠持ちネタ今日はこのへんにしといたろか」と同じ、負け惜しみ側がするセリフ

2021-06-06

anond:20210606015314

「男で45歳独身はなにか欠陥がある。具体的には、45歳なのに結婚していないという欠陥がある」という無敵論法かな

2021-05-28

anond:20210528182543

まあ今は男がその無敵論法に乗っかってデカイ面してるわけだが。

anond:20210528182137

女に有利なら女が優秀! 女に不利なら社会環境のせい!

いやあ無敵論法っすわ

2021-05-17

anond:20210517113415

現実だという論拠も出さず、反論を「現実に反してる」とレッテリングするの無敵論法すぎるやろ

2021-05-05

男性が受ける差別とは、警戒されることと、信頼という名目で粗末に扱われることです

男性が受けている差別として重要だと私が思うのは、警戒されることと、信頼という名目で粗末に扱われることです。

男にも女にも、男は警戒すべき存在だという感情がうっすらとあります

同時に、男性だったらほっといても大丈夫だろう、という肯定的な信頼の形をとって、男性のことをろくに気遣う必要はないとされがちです。

から世間話でもマスメディアでも、男性への警戒や、過度の信頼による雑で粗末な扱いが平然と行われています

それが積み重なった結果として男性は、敬遠されて孤独人生になりやすく、自尊心も低く、自分たち男性自身への嫌悪も生まれ自分の事すら粗末に扱い、次世代男性もそのように扱うので引き継がれる、などの被害を負っています

保護と抑圧は地続きなのでバランスが大切だ」という話をよく目にしますが、同じように、信頼と放置も地続きなのです。

家父長制は、自立したい女性にとっては抑圧という差別だけれど、自立を望まない女性には保護を受けやすいというメリットとしても働く。

それを裏返したように、男の自由放任は自立できる強者男性にとってはメリットだけれど、弱者男性にとっては助けてもらえないし悲鳴無視される差別として働いています



若者が遭遇しやす実例として、バイトサークル活動が長引き、夜になってしまった場面を考えましょう。

男性は帰り道の安全心配されることは少ないです。

これを、男性の方が不安心配事が少なく生きられるというメリットととらえることは確かにできます

しかし同時に、「襲ってくるとしたらたぶん男だ、男を警戒すべきだ」「男の自分は、夜道で女とすれ違う時に怖がらせてしまうだろうから気を使わねばならない」「男の帰り道を気遣ってやる必要はない、男は粗末に扱っていい。自分が男なら自分の事も心配せず粗末に扱うべきだ」という認識を強めることにもなります

実際は、男性でも深夜に一人で帰ることに恐怖を感じる人がそれなりにいるのですけどね。

でも、女性の帰り道は心配されるが男性はそうではないという現実と向き合うたびに、「ああ、俺の夜道への恐怖は認識すべきでない感情なのだ。むしろ俺は怖がる側ではなく怖がらせる側なのだ」という方向へ矯正され、やがて本当に自分でも自分不安や恐怖に気づけなくなります



色々な場面で、不安を感じてないことを前提とした粗末な扱われ方を重ねて、男性自分に対しても他人に対しても鈍感にさせられていきます

たとえばトイレ

男だったら道端で立ちションしても大目に見られがちという自由は、性器露出し排泄を見られたくない感情を気遣ってもらえないという粗末な扱いでもあります

不安羞恥を感じていた男児も、「その辺でおしっこ済ませてきな」と言われたり、仕切りのない小便器や、女性が清掃に入ってくるトイレを使ううちにその弱さを鈍麻させ忘れてしまます

たとえば「男の人がいれば安心だね」という言葉

この言葉はおおむね好意や信頼の表れですが、同時に「男の人は一人でも不安になる必要はないよね、あなた自身が男の人なんだから」という扱いでもあります

一人で行動しても口を挟まれない自由の反面、一人は心細いという男性感情最初から考慮されていない。

このような扱いに触れ続けることで、「俺は男だから不安になる必要はないんだ」と自分勇気づけ、痩せ我慢することが癖になります

夜道にせよ、トイレにせよ、一人行動にせよ、成人男性に直接聞いてもたいてい「いや全然平気だが」と言うだけでしょう。

最初から平気な男性と、鈍麻し平気にさせられた男性と、本当は平気じゃないが痩せ我慢している男性区別することは本人にすら困難です。…

…これは「たとえ当事者男性差別否定しても、それをそのまま受け取るべきではない。男性差別存在する」という無敵論法っぽくなるので好きではないロジックですが、そう言わざるを得ない。

ここ数週間のネットでは、男性セルフケア能力が低い、まずは自分を大切にすべきなのにそれをしようともしない、などという話も多くなっていますが、それは数十年にわたる「男性自由に行動してよい反面、粗末に扱ってよい」という経験の積み重ねによるものであり、決して男性個人に責を負わせるべきでも、自己解決を求めるべきでもありません。

セルフケアに焦点を当てるならば、社会によって損なわれた男性個人セルフケア能力を育て直すため、社会反省して手厚く協力してあげよう、という話になるのが妥当でしょう。

しかし現状の男性セルフケア論では、セルフケアというスローガンと丁寧な暮らし雑誌は与えてやるのであとは自分で(せいぜい弱者男性内部で)上手くやって満足しろ社会は手を貸す気はないぞ、という正反対の切り捨て論になっています



男性が警戒され、気遣ってもらえない原因には合理的理由がある、という反論はできるでしょう。

ホルモン文化的影響による男性の特徴は色々あります

腕力の強さ、性欲や暴力性の強さ、外見の悪さ(体毛が濃く皮脂が多く禿やすいなど男性ホルモンが外見に与える悪影響は多い)、コミュニケーション能力共感能力の低さ、など。

しかし、そのようなある程度の合理性があったとしても、統計的差別であることは間違いありません。

統計的差別はどの程度まで許されて良いか、というのは難しい問題なので、別に論じる必要があります

そして、フェミニズム弱者男性論の共闘が難しいのはここが主要な原因でしょう。

性犯罪男性から女性への加害が多い(犯罪全体では男性被害者の方が多いですが)」「腕力が強くて静止が困難」「妊娠リスク」など様々な事実に基づき男性に対する統計的差別をどの程度認めるべきか、真っ向から対立しまから

統計的差別は一切許されるべきでないと言い切る人も時々いますが、それはどの陣営であっても非現実的でよくないと思います

もっとも「社会運営するにはマクロ視点統計的差別必要なことは認めるけれど、その加減を考えましょう」とかぬるいことを言ってると、確かにそうだね考えなきゃねとは言ってもらえても実態現状維持が続くだけであり、統計的差別を一切許すな!と極端なこと言って圧を掛ける方が新規分野の社会運動としては実を結びやすいんでしょうけどね……。



これに近い話題は、今までも男性加害者として認められやす被害者として認められづらいという内容でしばしば語られてきましたが、たいてい注目されるのは悲惨な女→男セクハラ暴力事件がほとんどです。

それも由々しき問題ですが、その根底にあるのは、もっと日常的でうっすらとした「男ならまあ平気だろ。ほら、やっぱり平気だった」という日々の積み重ねではないでしょうか。

特に、「男性なら大丈夫」という信頼により粗末に扱われる場面は見過ごされやすいと思います

フェミニズムでは、「女を自立した人間と信頼して放任しろ、家父長制で口を出してくるのやめろ」というアプローチが行われていたため、その逆になっている、過度の信頼による放置という男性差別問題視されづらいのです。

女子供は弱いか保護して指示してあげなきゃね」という慈悲的差別に対して、男性が受けやすい「男は大丈夫だろうから心配する必要もないし勝手に自立しててくれ」は信頼的差別などと呼べそうです。



この記事は、これまで弱者男性論で強調されてきた、人間関係恋愛経済ジェンダーロール、弱者男性論が不条理否定される、などの論点対立しません。

警戒されつつ粗末に扱われることは、親しい人間関係恋愛関係ハードルを上げます

経済的貧しさについては、一般的貧困問題に加えて、男性公的にも私的にも助けてもらいづらいし、そもそも助けを求める能力社会により破壊されていることが困窮してはじめて露見するなど、男性特有の困難があります

男性ジェンダーロール問題とくくられるような、男なんだから泣くなしっかりしろと言われるとか、責任を負わされるとかは、「信頼の名目で粗末に扱われる」部分です。

弱者男性自体があまり聞く耳を持ってもらえないしミソジニストとすら言われるとか、困ってると認めてもらえなかったり、困っててもそれは受け入れるべき部分だと言われることなども、「信頼してるという名目で粗末に扱われる」ですね。



また、「男性にも弱者がいることは分かったけど、結局どうなることを求めてるんだ、要求を出してくれ」という問いがありますが、運動として歴史の浅い弱者に、的確な要求をする強さをいきなり求めないでください。

現時点では、「どうなったらいいかを、男性に肩入れしつつ一緒に考えてくれる人が増えるのが望みです」としか言えません。

少なくとも私は、男の乳首露出NGしろとか、男性トイレもすべて個室にしろとか、芸人ちんちんポロリシーンやハゲネタダメだとか、「男の人がいると安心」はハラスメントから許すなとか、そういう短絡だったり個別的すぎる議論にはしたくありません。

https://anond.hatelabo.jp/20210505030506

2021-04-05

anond:20210405200832

無敵論法自分がなったときの事ってしょっちゅうみかけるようになったけど

自分がそうなったときにだれもたすけてくれなかったらそれは自分が貢献してなかったからってなるの?

じゃあ現状優遇されてない障碍者は貢献度がたりてないんじゃないの?

介護介助の手伝いをさせられたっていうの正当な料金で労働従事してるヘルパーがいて

友達からって無料奉仕させられて勉学の時間を削られてるのが学校のせいだとかおしつけた人のせいだとか言い出せなかった自分のせいだとかいっても

結局無料でつかえる便利な人をつかいつづけた障碍者の本人のせいでしょ

2021-04-04

anond:20210404122401

書いてないこと読み取って藁人形反論して

指摘されると相手アスペ扱い

無敵論法やな

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