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中村あきの星海社FICTIONS新人賞を受賞したデビュー作『ロジック・ロック・フェスティバル』が、古野まほろのメフィスト賞を受賞したデビュー作『天帝のはしたなき果実』と類似していると指摘され話題になっている。『ロジック・ロック・フェスティバル』は星海社のウェブサイトで無期限全文公開されている(http://sai-zen-sen.jp/works/awards/logic-lock-festival/01/01.html)ので読んでみた。その結果『天帝のはしたなき果実』だけでなく、米澤穂信の諸作品との類似点が見られたので検証したい。ちなみに現時点で私は『天帝のはしたなき果実』を未読であるが、これから読んでみる予定である。
読書メーターに12月4日に投稿されたjinさんのレビュー(http://book.akahoshitakuya.com/cmt/33836748)。
読んだ印象としては、米澤穂信が西尾維新になったつもりで古典部シリーズを書いたらこうなるんだろうなと思った文学部員が書いた同人誌と言った感じ。
読書メーターに12月11日に投稿された×(旧らっきーからー。)さんのレビュー(http://book.akahoshitakuya.com/cmt/34001390)。
米澤穂信とかを目指した結果、残念ながらそこに至らず。そんな印象。
まず『ロジック・ロック・フェスティバル』の物語の流れを説明する。以下が『ロジック・ロック・フェスティバル』の章タイトルだ。
全部で23章で構成されている。『ロジック・ロック・フェスティバル』のメインとなる事件は文化祭開催期間中に起きた密室殺人事件だが、文化祭が始まるのは「9.そして、時は来たれり」からだ。ではそれ以前はというと小さな謎解きが2,3あるという構成になっている。具体的には「4. モバイル・コード」で携帯メールの暗号の謎解き、「6. 大脱出」で閉じ込められた蔵からの脱出、「7. 女バス班室写真消失事件 前編」「8. 女バス班室写真消失事件 前編」で写真盗難事件の謎解きが行われる。
次に米澤穂信のデビュー作『氷菓』の物語の流れを説明する。以下が『氷菓』の章タイトルだ。
この章タイトルだけではどんな物語かわからない。『氷菓』のメインの物語はヒロインである千反田えるの叔父、関谷純が関わったと思われる33年前の事件を解明することである。しかし、その謎がはっきりするのは「4. 事情ある古典部の末裔」からであり、「2. 伝統ある古典部の再生」では千反田えるが地学講義室に閉じ込められた謎解き、「3. 名誉ある古典部の活動」では、ある本が毎週借りられている「愛なき愛読者」の謎解きが行われる。
はじめに小さな謎解きがいくつかあり、中盤からメインの大きな謎解きになるという物語構成は特定の作家の専売特許ではない。であるが『ロジック・ロック・フェスティバル』と『氷菓』の物語構成が類似していると指摘するのは間違いではないだろう。
『ロジック・ロック・フェスティバル』の「6. 大脱出」では、主人公(中村あき)がヒロイン(鋸りり子)の家をはじめて訪れるシーンが描かれる。これを『氷菓』の「6. 栄光ある古典部の昔日」で、主人公(折木奉太郎)がヒロイン(千反田える)の家をはじめて訪れるシーンと比較したい。
目に飛び込んできたのは圧巻の庭園だった。手入れの行き届いた生け垣。刈り込まれた木々。配置を整えられた岩。雨粒を受けてなお静謐を湛える池。その中を悠然と泳ぐ色とりどりの錦鯉。そしてそれらを統べるかのように鎮座する絵に描いたような日本家屋。その向こうには立派な蔵も見えた。
道なりに設置された飛び石を歩きながら息を呑む。家柄でここまで住む世界が違うものなのか。自身の境遇と比較すると、少しばかり悲しい気持ちになってしまう。
(中略)
唖然としているうちに僕は言われるがまま三和土で靴を脱ぎ、板張りの廊下を彼女に説明された通りに進んでいた。
広大な田圃の中に建つ千反田家は、なるほどお屋敷と呼ぶに相応しかった。日本家屋らしい平屋建てが、生垣に囲まれている。水音がするところを見ると庭には池があるらしいが、外からは綺麗に刈り込まれた松しか見えない。大きく開かれた門の前には、水打ちがしてあった。
(中略)
(中略)
石造りの三和土で靴を脱ぎ、千反田に先導されて板張りの廊下を進む。
太字で示したのが二つの作品で完全に一致した箇所である。いくつか単語が一致しているが、文節単位での剽窃は行われていない。単語の一致も同じ「日本家屋を初めて訪れたシーン」を描いたのだからあって当然だ。むしろ、庭園に入ってから周りを描写している『ロジック・ロック・フェスティバル』、生け垣の外から庭をうかがっている『氷菓』という点が大きく異なる。
そもそも、高校一年生のヒロインが日本家屋の豪邸に住んでいるという設定がめずらしいが、かといってこの設定が特定の作家の専売特許というわけでもない。
『氷菓』において、千反田えるが日本家屋の豪邸に住んでいるのは、千反田家が桁上がりの四名家といわれる名家だからだ。『ロジック・ロック・フェスティバル』において、鋸りり子が日本家屋の豪邸に住んでいる理由は説明されない。家柄は明らかにされていないし、両親も学者だ。一般的な学者であれば豪邸を建てるほど高給とも思えない。シリーズ化されこれからの作品で明らかにされるのかもしれないが、現時点では主人公たちが閉じ込められる蔵を登場させるためぐらいしか物語的必然性がない。背景が説明されないので、どうしても取ってつけたような印象を受けてしまう。
『ロジック・ロック・フェスティバル』の「6. 大脱出」で描かれる主人公とヒロインが閉じ込められるシーンは、〈古典部〉シリーズの4作目『遠回りする雛』に収録されている短編「あきましておめでとう」と類似点が多い。例えば、どちらも冒頭に閉じ込められている主人公の述懐を置き、時間を巻き戻す形でなぜ閉じ込められることになったのかを記述する形式をとっている。
あらすじはひとことでまとめると以下のようになる。
具体的に『ロジック・ロック・フェスティバル』では、
具体的に「あきましておめでとう」では、
となっている。
以下、『ロジック・ロック・フェスティバル』において主人公(中村あき)とヒロイン(鋸りり子)が小屋(蔵)に閉じ込められるシーンと、「あきましておめでとう」において主人公(折木奉太郎)とヒロイン(千反田える)が小屋(納屋)に閉じ込められるシーンを比較したい。
目が慣れてくると、そこは本当に本の山だった。本しかないといってもいいくらい。備え付けの本棚に、そこらに積まれたボール箱に、ぎっしりと詰められた本、本、本――今すぐ古本屋が何件だって始められそうだ。
りり子に案内され、その後ろに付いていく形で奥の方に歩いていく。中はそれほどの広さでもないようだったが、薄暗さと障害物のように設置された本棚のせいで、なんだか迷路に迷い込んだような眩暈感があった。
一応分類されているのだろうか。背表紙を見流す限りでは全く統一感がないような気がするぞ。
と、その時。
ぎぎぎ、と何か引きずるような音がして、室内の明度が明らかに落ちた。
なんだろう?
りり子も一度こっちに振り返り、異変があったことを確かめ合う。
そして二人同時に思い当たった。
扉が閉まったのだ。そんな当たり前の結論に到達するのにいやに時間がかかった。
慌てて扉の方に引き返す僕ら。見るとやはり扉はぴっちりと閉められていた。風やなんかであの重い扉が閉まるだろうか。疑問に思いながらも、とりあえず僕は扉に近づいて手を掛けてみる。
「……あれ?」
開かない。まさか。
がちゃがちゃがちゃがちゃ。
いやいや、冗談でしょ?
「鍵が……閉められてる……?」
強く揺さぶってみると扉はほんの薄くだけ開いた。その間からは無慈悲にも完全に閉じられた錠が覗けて。
闇の中に手を突き出し、摺り足で進んでいく。目が慣れればもう少しマシになるのだろうが、いまはこうしないと危ない。そろそろと奥に進み、手に酒粕が当たらないかと気をつけてみるが、どうも手ごたえがない。
「簡単なお使いかと思ったら、なんだか面倒なことになってきたな」
「あの、折木さん」
いつの間に近づいてていたのか、千反田が俺のすぐ後ろで名前を呼んだ。背後でアルミドアが風に吹かれて閉まってしまい、納屋の中はいっそう光が入らなくなった。
『遠回りする雛』角川文庫版、218~219頁
「おう、開いてるぞ」
そして、なにやら不吉な、がこんという音。
「え? いまのは……」
とピンと来ていない千反田。俺はすぐさまドアに、暗くてよくわからないので正確にはドアがあったと思しき場所に飛びついた。アルミのノブの、冷たい感触はすぐに探り当てられた。
しかし。
がたがたと揺れるだけのドア。オレは千反田を振り返る。千反田の輪郭もはっきりしないけれど、なぜか、心配そうに小首をかしげるやつの顔が見えたように思う。
「どうしました?」
どうせ見えないだろうけれど、肩をすくめてみせる。
「閉じ込められた」
『遠回りする雛』角川文庫版、221頁
まず、このドアが閉められている構造をもう一度考える。このドア自体には鍵はない。だから、強く押せば、ほんの少しだけ開く。それ以上開かないのは閂のためだ。
『遠回りする雛』角川文庫版、228頁
今度は先程と違い完全に一致する箇所ではなく、同じ事象を別の表現にしている箇所を太字にした(そもそも完全に一致する単語はほとんどない)。非常に似通ったシーンを描いているので、一致している箇所がいくつかあるが、文節単位での剽窃はおこなわれていない。
違和感があるとすれば『ロジック・ロック・フェスティバル』において、「扉はほんの薄くだけ開いた」という点だろう。「あきましておめでとう」では脱出が困難なことを示すために閂がどのようにかけられているか仔細に描写されており、「強く押せば、ほんの少しだけ開く」というのも話の流れから違和感がない。一方の『ロジック・ロック・フェスティバル』においては、どのような扉なのか、どのように錠がかけられているかは具体的に示されておらず、一般的な扉と錠であれば扉が薄く開き外の錠が覗けるというのはおかしい。
「あきましておめでとう」では、折木奉太郎が脱出するために様々な方法を試す。そこにはどうやって脱出するのかというハウダニットの愉しみがあるが、『ロジック・ロック・フェスティバル』では、早い段階で窓から脱出できることがわかっている。謎解きの興味はほとんどなく、むしろそれまで葉桜仮名先輩一筋だった主人公(中村あき)がヒロイン(鋸りり子)を女性として意識するシーンとして描かれている。
『ロジック・ロック・フェスティバル』と〈古典部〉シリーズ両方を読んでいる私としては、影響は受けていると感じた。しかし、文章の剽窃など著作権法違反に問われるような箇所はないと判断していいだろう。他にも中学時代に探偵していたが、とあることをきっかけに探偵することをやめたという鋸りり子の設定が、〈小市民〉シリーズの小鳩常悟朗の設定と類似するなど気になるところがあるが、それはまたの機会に検証したい。
この半年、ほしいと思った本はなるべく電子書籍(Kindle)で買うようにしてみて不満に思った点。
ネットのレビューで欲しいと思ってamazon行っても電子書籍化されてない。
(半年前にリクエストした文庫は未だに電子書籍化されず。そんなにマイナーなものでもないんだが)
かといって複数の電子書籍サービスでまで買おうとは思わない。規格か、せめてストアを統一してくれ。
1ともかぶるがこれは辛い。
フラゲできないのはまだギリギリ許そう(それでも発売日3日前に本屋に並んでるのをみたらイラッとくるけど)。
ただ話題の漫画ですら、発売日から一ヶ月以上も経ってるのにストアに並ばないのは無いわ。
(即日Kindleストアにならぶと実際の本が捌けなくて返本増えるとかあるのかもしれんが、それなら出版社は電子書籍を推すな。)
わざわざテキストデータで専用のフォントダウンロードとかいらないんだよ。
文字は化けるし、行間は崩れるしで、まともに読めたもんじゃない。
これは俺だけかもしれないが、電子書籍で読んでると、実本で読んでるよりも内容が頭に入らん。
横書きの本はまだしも、縦書は絶望的。日本の縦書は電子書籍に向いてない。
結局データなので、ある日突然Amazonなりが電子書籍サービスを終了したら、もうそれは書庫を焼かれたのと同じである。
ダウンロードした端末には残るのかもしれんが、じゃあその端末をサービス終了から10年後も使い続けるのかという話。
Amazonみたいな大手ならまだしも、来月には潰れてるかもしれない零細電子書籍サービスとか利用するやつの気がしれん。
他にも書ききれない細かいいらだちはたくさんある。
数少ないメリットとして、
・本を収納するスペースがいらない
・沢山の本をどこにでも持ち運べる
この二点は評価できる。が、上記したデメリット(というか苛立つくこと)を考えると、
電子書籍は既存のサービスを利用せず、普通に本を購入し、自炊、その後実本の方がいい物以外は処分するのが一番だという結論に至った。
地元の図書館が、小さい郊外の市立にしてはわりと蔵書数も多くて、リクエスト購入もわりと通って助かってるんだけど、最近雑誌やビデオ類の盗難が多くなったらしくてカウンターに言って書庫から出してもらう方式になってしまい、オープンな棚から自由に手に取ることができなくなった。図書館内に入ると汚損した本を陳列してあって、とにかくマナー悪い利用者に困っているらしい。俺だって図書館の使い勝手が悪くなって困っている。
さて、表題の件は父の話。
よく本を読む父は小難しい本をよく借りる。ベストセラー小説と違い、これ一度も貸出されてなかった新品書籍だろうな、と思えるものも多い。彼はリクエスト購入もよく申し込むので、その場合の借りてきた本は確実に新品ですね。
その父の本の読み方なんだけど、新品っぽい本の場合、読み始める前に、表紙から数ページぶんを指でつまみ、本の綴じてある部分を内側から強くこすり、開き癖をつける。さすがに折り目はつけない。次に裏表紙から、同じことをやる。それを少しずつ繰りかえして、本が軽くふわっと開くような感じ、読むときに綴じの部分がよく開いて、見開きページの中央あたりも読みやすいような癖がつく。
俺はそれマナー違反じゃないだろうか、と思う。このことについて父をよく非難するのだけど、教養豊かな常識人たる自負をもつ彼は、「本はこうして読むものだ。」と言う。わかるっちゃわかるし、俺だって自分で買った本はそうやって読むよ。参考書や教則本なんて開き癖どころか背表紙を割って触らなくても開きっぱなしになるようにしたりするし、片手で読みたいときは癖がついてるほうが読みやすい。
けど図書館の本である。癖づけは本にダメージを与えてると言えるのではないか。本が傷むスピードをあげているんではないか。
彼にはこんな主張がある。「本というのは正しく開き癖をつけてやらないといけないんだ。図書館のソフトカバーのベストセラー小説なんか見てみろ、背表紙の近くが同じ方向にみにくく曲がってるだろ。表紙から一枚ずつめいっぱい引っ張りながら広げて読んで癖をつける奴がいるから一方に傾いて曲がるんだよ。そうならないために、最初に表紙と裏表紙の両方からバランスよく癖をつけておくのが正しい読み方なんだ。一度正しい癖をつけておけば変な癖がつかなくなる。」
うん。
言ってることはわかるけど。
理屈はわかるんだけども、なんかダメなような気がする。自分のモノでないのに故意に癖をつけることに抵抗がある。故意でなく、よくない癖がつくのは、仕方ないように思う。そりゃ、図書館の本を風呂場に持ち込んで半身浴とか、トイレに置いておいて便しながら読むとか、ラインマーカー引いたり書き込みしたり醤油こぼしたり千切り取ったりするよりはましだけど、どうにも釈然としない。俺は図書館の本はあまり開きすぎないよう、癖をつけないよう、両手でしっかり支えて読む。公共の資産をタダで利用させてもらうためのコストみたいなものだと思って納得している。
3度目まして、はてな。
みなさんに、ご報告にまいりました。
祝・内定。
サブタイトルは 生きててごめんなさい かな。
具体的には一日に約3枚の伝票と向き合い、お昼に飲み物を配ること。
たった一人の先輩、おばあちゃんはもの忘れが激しく、合うたびに「あんただれ?」って言われる。
今は先輩がそんな状態なので、業務なんて何一つないのが本当のところだ。
「一日に約3枚の伝票と向き合い、お昼に飲み物を配るだけの仕事」は、どう考えても作り出された仕事だったりする。
就職活動は続けてください、と経営者さんに言われた後に、仕事の説明を受けた。
ほんと、口にはしないけど、生きててごめんなさい、みたいな。
こんな伝え方では不十分かもしれんが、一応これも内定だと捕らえて報告した。
いやー、あれだ。
内定もらって、「あー死にたい」とか「生きててすまん」とか思うとは、夢にも思わなかったよ。
断れない人間関係のせいで、無理やり仕事作ってもらって居座る、周りの人にどれだけ迷惑かけたらいいんでしょうかね。
しかもかっこよく伝票とか書いたが、おこづかい帳(書庫用、記録用、保存用)が事実だし、簿記会計っていうより小学生のお小遣い帳だし、経理の人、別にいるし…。
見てないが、「フィナーレの家族でゴールするシーンで泣きました」とか言っておいた。
「私の将来の夢は、」でなんて書いてたと思う?
少し長いが、誰にも見せたことないし、晒したところで身ばれすることはないと思うので、載せてみる。
父と母はそれを嫁としてのつとめだというが、祖父が「俺のマネージャーだ」と言っているし、名刺にもそうあるから、そうなんだと思う。
そして、マネージャーについて調べた。
野球部のマネージャーも、芸能人のマネージャーも、それぞれを管理しているから、マネージャーと呼ばれるんだと思う。
でも、それらの関係と祖父母の関係は絶対違う。
だって、うちの野球部員と野球部のマネージャーは結婚してない。
だから違う。
そんな風にマネージャーにはいっぱい種類があるけれど、私は、待合室や診察室にいるときの祖母のようなマネージャーになりたい。
家にいるときの祖母はマネージャーっぽくないから、あんな風にはなりたくない。
父と母は私の将来に絶対口出ししないけど、正直、お金のこととか考えて、難しい仕事は無理だ。
もちろん合格した。
でもやっぱりお金のこととかで、xxxには進学できないって言われた。
とても悔しいけど、この年でお金の大切さがわかるのはすごいと思う。
祖父母はお金がないのに毎日楽しそうだけど、お金があればもっと楽しいって言っているのでそれは間違いない。
将来の夢をお金持ちのマネージャーって書いたけど、別に次の中から2つ兼ね備えている人のマネジャーでも大丈夫だ。
「経済力がある」「容姿端麗」「相性がいい」(まるで囲まれている)
将来の私は、どんな大人になっていますか? どんな仕事をしていますか? どんな家に住んでますか? 恋人はいますか? 周りの人は元気ですか? いまの夢は何ですか?
聞きたいことはいっぱいあるけれど、きっといまの自分よりずっといい感じだと思います。
これを読んでいる未来の私は、私の母が弟を産んだ年齢と同じ年齢です。
この手紙を書けとxxx先生に言われたとき、私は、どんなときに読むかなあって思って、きっと、大変なときに読むんだろうなあって考えました。
手紙だから、何回も読み返せるし、一番最後は、今の私の一番大好きな言葉で、魔法の呪文みたいな言葉を書きます。
響きも好きだし、物語の最後がこんな言葉だったらいいなって思うこともあります。
意味は「明日は明日の風が吹く」です。
Que sera sera
そんで、書いては、またがんばろうって思うかもしれない。
そのかもしれないに願掛けして、長々とすまんかった。
書いてて生きててごめんって感情がなんとかできそうなので、もうちょっと就職活動する、とここに宣言しておく。
きっとまた報告にまいりまする。
つきあってくれてありがとう。
電子書籍議論が華々しいけど、どうしても僕は納得がいかない。なので、一度某所に名前付きで書いたものを、少しでも騒ぎになってくれる事を願って、編集してここに掲載する。僕が誰かわかった人は、黙ってくれるとありがたい。
まず、今の電子書籍に対する不満は、そもそも今の電子書籍の環境じゃ、生涯付き合えないということ。iBooks程度のインターフェイスだって、100冊もあれば面倒な事が多い。検索機能も無い、それ以外のツールはもっと酷い。生涯付き合うなら一万冊の管理をこなせるようになってほしい。一万冊というのは、読書家の一生を考えれば、決して無謀な数字じゃない。数代続く学者一家ならそれくらい書庫にあったりしてもおかしくないし、図書館で借りたりすれば、10歳から60歳までで一万というのはあり得る数字。マンガを買い込めば、普通の人でも数千冊は読破可能。
これくらいでも、一万冊と付き合うのは難しいだろうけど、ひとつひとつの機能は決して難しいとは思わない。
また、書籍自身も単なる複製で終わってしまっているので、これも不満。例えばこんな機能があってもいいはずだ。
要するに、紙だと必然的に対処せざるを得ないものを排除して、今まで頭を使ってこなしていた事を電子側でこなしてほしいのだ。
特に歴史物だと、今自分が読んでいる箇所がどこの場所で、いつの年代かがわからなくなる。紙の場合は、巻頭または巻末に資料があるけど、電子であれば、読んでいる場所からその場で呼び出せるようになってほしい。もし小説のネタバレをするようなら、進行状況に合わせて内容を変化させれば良い(既出の地名だけを表示する、など)。
こうした機能はゲームならおなじみで、主人公の位置をマップで示したり、あらすじが進行中に挟まって後から確認すると言った事が出来るけど、今の電子書籍は全くそういうことを学んでいない。これじゃ、値段を下げるくらいしか売り方が無い。こうした機能がつけば、同額か、値段を上げたって問題ないと思うくらい。元々文庫やマンガは安いので、これ以上値段を下げる議論なんてしていたら、業界自体が死んでしまう。付加価値で勝負してくれた方がよっぽど良い。
たまに「やっぱり紙の方が良い」という議論があるけど、決してそんな事無い。引っ越しでダンボールの中に蔵書がまぎれたり、本棚を二重に組んで取り出せないとか、紙の不便さは山のようにある。問題は、それを電子書籍が解決していない事だ。イノベーションでも、顧客需要でもなく、惰性で電子書籍に取り組んでいるからいけないのだけど。読書家の皆さんは、もっと声を大にして「紙は不便」と言おう。