はてなキーワード: おおっととは
おおっと。詳細は無いのですか?詳細は!!
BSジャパンで放送していた「知る食うロード~発見!食の景観~」が終わってしまった…
http://www.bs-j.co.jp/official/shirukuuroad/
最初っから見てたわけじゃないけど好奇心に溢れていてマニアックで、でもわかりやすくて
喩えれば笑いの要素を除いたDPZみたいなコンパクトで面白い番組だった
芸能人が出てきて騒ぎ立てるわけでも口に入れた途端おいしーい!と言うわけでも
大げさな喩え話で食べものを褒め讃えるわけでもこの県民は全員がこれを愛していますよー!と言うわけでも
スタジオで大試食会が行われるでもゲームの結果誰かが食べたり食べられなかったりするわけでもなんでもなく、
ただただ淡々と一人の案内人が地域の食文化をピックアップして紹介するすごく静かで
でも時々ものすごくマニアックなものに出会った時のその案内人の脳が痺れるような興奮度合いというものが
画面のこちらにも伝わってきて(出雲の釜あげ蕎麦の回など顕著でこちらもおおっとなった)、
これを食べてみたいという気持ちも知的好奇心も旅行に行きたくなる心も同時に煽られてしまう番組ですごく好きだった
「本質的な意味や目的が同じであれば、一つの体系にこだわらなくてもいい。むしろ拘ることこそ、視野を狭くする要因になる」
宗教という体系から生活の意義を教えたくて、立ち上げたらしい。
だけど、周りには「ただのウザい奴」だと思われている。
生活教に入信していることを自称する人間たちも、9割は面白半分でやっているだけだ。
なぜなら俺たちの町では……いや、現代社会において宗教は時代錯誤だから。
長い歴史によって文化として根付いたケースもあるけど、その隙間を新興宗教が入り込む余地は全くない。
科学で大体のことは説明できるし、俺たちはそれを深く理解していなくても生きていける。
おんぶに抱っこだと、たまにエセ科学に引っかかることはあるけど、それは別に科学が悪いわけじゃない。
体系にそういった“ノイズ”が入り込んだり、未熟な人間が邪魔をするのは他のことにも言える話だしね。
「さあ、皆さん。生活をより良くするためには、何が必要だと思いますか?」
「健康ですか」
「正解です。より厳密に言えば、この“健康”とは身体と精神の両方を指しています。まず身体に必要なものは何でしょう?」
「野菜とか、ですか」
「そうですね、野菜。身体に良いとされているもの全般。ですが、それだけでは足りないですよね」
教祖は、相も変わらず二流ブロガーのライフハックみたいなことを説いていた。
信者たちも面白半分で付き合っているのに、良くあんなの笑わないでいられるな。
「さあ皆さん一緒に、目を瞑って。森羅万象に宿る精霊と魂で共鳴し……おっと、呼吸をすることを忘れないで。愚か者は呼吸することを忘れます」
けど、これに真面目に付き合う人は誰もいなかった。
信者の間では、教祖がこれで目を瞑ったら一斉にその場を離れる、という遊びが密かに流行っていたからだ。
ガキの俺が言うのもなんだけど、ガキくさい遊びだ。
まあ、大真面目に付き合ったなら、それはそれでどうかって気もするけど。
「花の精霊が、皆さんの目や鼻、口から入り込むのが感じるでしょう……」
恐らく気づいているだろうに、それでもやり続ける教祖も大概だよな。
「……さて、今日の布教活動はこんなところですかね。あまり悪目立ちすると通報されかねないですし。私個人のせいで、生活教に泥を塗ってしまっていけない」
教祖は、いそいそと退散を始めた。
この教祖が世間では「ちょっとウザい奴」で済んでいるのは、こんな風に謙虚なところもあったからだ。
大仰に場所を占有したりだとか、商売紛いなことをしているわけでもない。
普段は地域のイベントに精力的に協力したり、善良な市民であることをアピールしているのも効いている。
ただ街中で声高に叫ぶ、ストリートミュージシャンみたいにしか思われていないってことなんだろう。
教祖的には不服だろうけど、これが生活教の、俺たちの街での日常だ。
……だけど、その日は違った。
「え? 自治体って……どこのです?」
「ここら辺の自治体です」
「いや、『ここら辺』と言われても、たくさんありますし……」
教祖は警戒している。
なにせ、この町には自治体が多い。
中にはヤクザに片足突っ込んだようなのまでいる。
「我々のことはいいんです。こちらの質問に答えていただきたい。生活教が最近、“寄付”という名目で商売紛いのことをやっていると連絡を受けましてね」
「ええ!?」
おおっと、いつかはやると思っていたが、とうとう馬脚を現したか新興宗教。
まず職位名だが本国と出先では同じ職位名でも実際の機能は結構違う。これは出先機関は基本的に本国の指示を実行することがまず求められるのと、大抵は営業拠点であるので売上・利益というゴールが最大の関心事になるためと思われる。
Assistant - 契約社員 / Associate - 新入りレベル / Senior - 新入りレベルではない人、または、何年かはいる人 / Lead - 現場リーダー / Manager - とりまとめ担当者、または係長〜課長 / Director - 課長〜部長 / Vice President - 部長〜本部長 / Executive Vice President - 本部長〜執行役員 / Senior Executive Vice President - 取締役(CXO) / President - 社長(CEO)
Specialist - 担当者。専門家という意味は特に含まない / Architect - 作業担当者。設計という意味は特に含まない / Engineer - 作業担当者。開発という意味は特に含まない
Sales - 営業段階で動く人 / Services - 利用段階で動く人 / Engineering - 開発段階で動く人
なので、たとえばService Architectは「サービス設計をする人」ではなく「導入支援担当者」で、Engineering Architectは「開発物の設計をするアーキテクト」となる。
面倒なのがManagerで、一般名詞として使うときは「管理者」だが、Product ManagerなどXXX Managerと使うときは管理者ではなく「XXXまわりのとりまとめ担当者」といった意味の役職になる。
これらは一例で、会社によってどういう修飾語を付けるかは結構違う。ただ言えるのは、日本の会社に比べてインフレした名前をつけるというか、実際の役務以上にカッコイイ響きにしている感がある。「Senior Architect」とか言われたらおおっと思ってしまうが、「新入りではない作業担当者」と読み替えたら普通である。
意思決定については、VP-Director-Managerのラインでは、VPが意思決定を行い、Directorは部門間調整を行いながらManagerを支援し、Managerがスタッフ管理をする形になる。日本でも同じではと思うかもしれないが、中央集権度が違う。
Managerが一番現場と上層部の意思決定の板ばさみとなっているのは洋の東西を問わないようで、しかも中央集権度が高いため中間では判断できずメールの転送リレーになってしまうこともしばしば。実務上の判断よりも、メッセージのルーティングが最大の機能になる。これを「オープンな組織とコミュニケーションスタイル」と呼ぶのか「ヒラメ族による調整」というのかは地域によって違うようだ。
このあたりは本国か出先機関かがおそらく影響しており、叩き上げが多かったりコミュニケーション密度が高くなる本国内であればManagerへも権限委譲しやすいが、人の出入りが激しい出先機関では難しいと思われる。
また、これは組織構造に加えて組織の大きさが影響していると思われるが、数値での目標管理がしっかりしている。全く異なる地域・文化の社員を管理・比較しなくてはならないので、個別状況を勘案することは基本的に無理。したがって数量換算できる指標で管理するのが原則となる。これは成果主義ではなく、数値主義と言える。例えばSalesであれば獲得顧客数・売上・利益、Serviceであれば売上稼働時間といった指標になる。
再び本国と出先機関の違いに戻ると、出先機関は基本的に在籍年数が少ない。いわゆる日本での典型的な外資系イメージがこれであろう。これは出先機関はとにかく売上・利益を本国にもたらすことが最優先なのが理由と見ている。先の数値管理に加えて現場での自由度の低さもあり、プレッシャーの大きさだけでなくストレスレベルも高い。
そしてそんな短期間で回転してゆく社員を個別の非数値的状況を勘案しつつ管理することは難しいので、数値管理がますますなされてゆくという傾向がある。ここはかつて流行った数値的経営管理の影響も大きそうである。KPIをどんどん定義して、その数値によって判断するのが論理的に正しい、という傾向がある。
一応、数値だけではまずいということで、それを補うために数値外の評価制度がある。しかしこれも360度評価が主流となり上長が指揮下のスタッフを自らの責任で評価するものではなくなっているため、全員がある意味「世間による評価」を意識する必要があり、これはこれで大変である。日本の「空気」みたいなものだが、結局管理せずに管理したいと処理を分散していくと同じ様なものになるのが面白い。
そんな状況のため出先機関では常時人が不足している。しかし育成機能はなく、本国要求は現地状況と関係なくどんどん出てくる。そうなると短期間でやめるにしても給与レベルは高いですよ、という形にして集めざるを得ない。備兵みたいなものである。しかしそうなると会社としても元は取らなくてはいけないので目標管理が更に厳しくなる。
この構造では商売が軟調になると、社員はストレスばかり大きくなるので一気に離散する。また、社員としても元々長年居られると思っていないので、軟調以前に他社のでもより強い商材が登場すればそれに乗って転職してしまう。こうして転職が激しい構造が生まれ、維持される。
企業の興亡が激しいのもこういう人的資本の急激な集散が要因になっていると思うが、こういうダイナミックな状況で法人が滅ぶのはいいとしても個人は死ぬわけにはいかないので大変である。この構造を「状況に適応し迅速に新しいバランスに至るよい仕組み」とみなすか「過敏に状況を揺らし個人や社会を不安定化させる仕組み」とみなすか、難しいところだ。「経済効率の追求が世界人類を総体ではより豊かにした」vs「経済効率の追求が個人の生活を破壊した」みたいな話。
何が言いたいわけでもないが、結局どの組織も置かれた状況に適応しているだけで、どちらがいいというものでもない。地の利と時の運に恵まれ業績のいい企業・産業・地域では余裕があるため、その余裕が反映して「理想的なワークスタイル例」としてもてはやされるが、それが自社・自分に適しているかは全然別の話になる。