(1)誰が言ったか
発言者である上野氏の属性に鑑みて「お前が何言ってんだ」という意見はわかる。
社会学的に現状の日本の人口規模を維持することは不可能である、という上野氏の主張は理解できる。
自然増はタイムリミットを過ぎて不可能であり、この点で今後数十年間人口減少を食い止めることはできない。
しかし、自然増の対策は必要であり、これを否定する理由はないと考えられる(なお、上野氏は、自然増対策については言及していない)。
・移民は犯罪を引き起こすという認識が前提としてあるのではないかという意見
→その認識が間違っているという主張。しかし、私個人としては、「漠然とした外国人に対する不安」がある。原因は、単純に私が外国人と触れ合っていないからだと思う。
→それはそうだと思うが、その数が多くなった時、私たちは受け入れることができるのか。私もこの点については疑問がある。
→漠然とした「不安」「不満」を前にどう認識を変えていくのが良いのか。教えてほしい。説教するだけでは、反感をかうだけだと思う。アメリカや欧州の現状。
(4)衰退する日本
人口減少に有効な対策を打てない日本は衰退する、という意見はわかる。
衰退するのが確定的であるのであれば、軟着陸の方法として、平等に貧しくなるしかない。
これもわかる。上野氏は、国民の負担増と再配分の強化を主張するが、これにも反対する点はない。
確かに、現状貧しい人が既におり、更なる負担を求めているように読めなくもないが、それこそ再分配で、全体を均しながら衰退していきましょうってことでしょう。
ブコメがやけに荒れてる理由。そこまで間違っているとは思わない。
前向きな主張ではないのは確かだが、何に怒っているのか。
・炎上には、発言者の属性に由来するものと、主張内容に由来するものがあり、意識的に区別すること。
・主張内容では言及されていない部分について、勝手に推測又は断定して批判の前提にしているものがあるので注意すること。前提事実の確認を怠らない。
・事実と評価を区別すること。事実誤認の指摘に対しては、チェックを入れておく。
・現実から目をそむけるとはどういうことか(おそらく事実誤認)。目を向けると主張内容は必然的に変わるのか。
・反発が生じる可能性がある主張において、建設的な議論をする方法。特に発言者の個性が強い場合には不可能か。
・上野氏は「平等に貧しくなる」とは言ってない。「平等にしていこう」という話。「平等に貧しくならない」は批判になっているのかわからない(実現可能性がないことを言っているということか)。
・この主張内容から、「成長しなくていい」とまで読み取っていいのか。
・できれば上野氏の主張に対する具体的政策的な反論が知りたいので後で探す。
・何を目的として文章を読むかは人によって違うが、ある程度類型化できたとして、そのグループごとの反応に特徴はあるのか。
・Twitterは、上野氏の発言ってことに着目したつぶやきが多く、氏に対する各人の前提を共有していないと「揶揄や皮肉だな」って認識以上に学べることがない(私の問題)。
・共有できていない前提を根拠に断定的に批判するのは、良い印象がないので注意すること。
・軟着陸=人口減少対策のゴール設定が曖昧で、議論が雑というのはわかる。
大学卒。
友達は少なくはない。
たまに本屋にある「これが高齢童貞のキモさの実態だ!」みたいなターゲット不明な醜悪な漫画を読むと、描かれている童貞の様子が、自分とは当てはまらなさすぎて、笑うしかない。むしろ、これを描く人、売ろうとする人の心の醜悪さが、どこから来るのか。社会が心配になる。
ぼくは「女の子と、どうにか関係を発展させていく」ことへの根本の願望があまり湧かない。
たまに興味本位でデートマニュアルみたいなWebサイトを見て「2回目のデートではこう振る舞え」みたいなのを読むと、雑すぎだろ、と思えて仕方ない。どうして、そんなことわざわざがんばるのかというのが、自分事としてピンとこない。
この感覚を、正直に「非童貞=何かがおかしい」思考の人たちに伝えると、良くても余計なアドバイスを量産してくださる。下手すると(いや多くのケースでは)変人扱いされて、以後面倒くさい。
上記の人は、仕事先やら友人関係やらの中にもかなり多数いるので、そこを気をつけて会話を調整するのも、面倒くさいんだが、やってるよ。しょうがなく。
むかし正直に言ったら面倒なことになったから。生存のための、嘘をついている。
あれかな、20-30年前の喫煙者と吸わない人の関係に似てるのかも。
その時代は喫煙者が主流派で、吸わない人は肩身が狭かったんだろう。
いまは副流煙の健康被害とかの知識が広まって、世界レベルでタバコやめろプレッシャーが浸透してきたことで吸わない人のほうが当たり前という空気になってきた。
ぼくは吸わないので、30年前くらいのオフィス映像を見ると煙だらけでゾッとする。
性のことに話を戻すと。
性(や家族)の多様性について、まったく社会的な認知が足りてないのが、ぼくの生きづらさの根底にありそうだ。ゲイ・レズビアン、性同一性障害とか、複数人と同時に性的関係を持つ(ポリアモリー)とか。色々あるわけでしょ。
派生でいうと、同性婚や、事実婚みたいな既存定型とは違う形のカップルを受け入れるための社会制度づくりの遅さも大きいかも。
実に多様な性の在り方を本来、人類は持ってて当たり前なんだ、と思ってる。
ぼくのように、生まれつきに性的欲求が薄いとか、女の子を口説こうと思えないとか、そういうのもひとつの在り方なんだよね。
同性愛者ってわけでもないんだ。
本人の努力うんぬんじゃない。先天的、遺伝子の発現(エピジェネティクス)、育ちの環境と周囲の人間、そういう要素の組み合わせで、性の在り方が決まってくるんじゃないか。
この複雑多様性にこそ、人類社会をここまで発展させた、そしてここから発展させる、コアの強みがあるんだろうと思ってる。
ここを理解できない、しようとしない人たち(上述)を
「性はかくあるべしクラスタ」と名付けた。
このクラスタの人と、性や家族の多様性の話をしても無意味で、疲れるだけで、なんの得にもならない。
ぼくは、そのクラスタの人と、そういう話をしないように気をつけるしかないのだ。
仲の良い友人(同性、異性、もちろんどちらでも)が結婚するとうれしいよ。
ただ、夫婦間の悩みというのも常日頃にたくさん出てきている、と辛い思いをポロッとこぼしたりしてて。喧嘩したり、仲直りしたりを繰り返して、日々関係を作り続けていることが、すごいなと思う。
子供の写真とか見せてもらったり、あるいは子供連れてきたりしてると、かわいいなと思う。でもその裏で、本当に日々の育児は大変なんだろうなと思うし、何もできることはないけれど、ぼくに聞ける悩みであれば聞いたりしたいなと思っている。
時々感じるのは、そんな悩める彼らも、「性はかくあるべしクラスタ」の被害者なんじゃないかなと。
たとえば実家(あるいは相手)の親や、勤務先の上司など逃れられない距離関係の人が、「女性は早く子供を産まないとね」とか「奥さんがしっかり家を守ってね」とかプレッシャーをかけてくる。戦前かよみたいな古いパラダイムを振りかざしてくる。
まったく時代に合わない、かつ個別の個人や夫婦、家庭の特殊性に対する「ヒアリング」と「共感」抜きのアドバイスなんて、それはアドバイスじゃなくて多分ただの暴力なんだよ。
ああ、そう思うと、ぼくだけが被害者みたいな面してたけど、実は多くの人が被害者なんだろうか。
「共有空間での喫煙当たり前」が終わるのには、まるまる30年くらいかかっているのかな?
「性とはかくあるべし」クラスタを主流から追放できるのには何年かかるのだろう?
時間はかかるかもしれないが、「性の在り方は多様である、家族の在り方も多様である」という認識が主流の世の中をつくれたらいいな。
というか、つくらないと、いけないよ。
だれも核兵器をもってない状態で、どこかの独裁国家がこっそり核兵器をもってしまったらどうするのか。
核兵器を持とうとしたら絶対ばれるという説も聞いたけど、どこかの国が勝手に作り始めたらそれを阻止できるのか。
経済制裁とかでも核兵器開発をやめなかったら戦争を起こしてやめさせるとかできるのか。
さらに、うちは核兵器開発なんてやってませんよってとぼけたら、イラクみたいに大量破壊兵器を所持してるという疑いだけで攻め込んでいいのかとか。
あなたが身を挺して日本の労働環境に一石を投じてくれたおかげ(実際には度重なるパワハラにより思考能力が落ちて自殺してしまっただけかもしれないが。)
残業をへらす様お達しがきた。
兄の勤務する市役所にもお達しがきたそうだ。
本当に感謝している。
ありがとうまつりさん。
テスラ3の販売がまたもや遅れるそうだ。2018年にギリギリとの報道もある。
経営者として優秀なのは疑いようがないのだが、その商売方法が詐欺一歩手前。
過去1年間の主要自動車メーカーの発表が計画通りであるならば、
テスラが掲げるモデル3の価格、航続距離、自動運転機能のいずれもが、
2018年ではスタンダードなものになり優位性はなくなっているものと思われる。
あくまで2016年に発表し、2017年に発売することに意味があったのだ。2018年では意味がない。
ここで勘違いして行けないのが、テスラが保有する自動運転機能は他社より先進的なものではないということ。
国内を含めた他社も既にテスラレベルの技術は保有しており、あとは法規とかいろんな制約で発表していないだけだ。
昨年フォードや日産が自動運転を20XX年に実現しますということを大々的に発表したが、
これは「行政とのロビイングの結果なんとか国交省やNATSAから許可の下りる目処がたちそうです」と読み替えたほうが正確である。
決して開発の目標ではない。なぜなら既に開発はほぼ完了しているからだ。
もっと正確にいえば、モービルアイというイスラエルの部品屋とコンチネンタルという部品屋が自動運転に関してかなりの知的財産を保有、
その主導権を握られている状態であり、自動車メーカー単体で他社を出し抜くのは難しい。
で、テスラに話を戻すと、彼らはそういった業界のルールに縛られにくいベンチャーであることを強みとして、自由に発言をしているだけということだ。
元増田です。
それじゃやったもん勝ちになるでしょ。そうならないよう牽制の意味も込めて記事を書いた。
あと
煙は出ないけど、吸った人が吐き出す水蒸気には有害物質が多少なりとも含まれているだろ。
にもかかわらず、さも何の悪影響もございませんみたいに言われたり、そこを拠り所に喫煙者が偉そうにしてるのが腹が立つ。
公開した2004年から20回は見返している。一番好きな邦画。
ロリータファッションの深田恭子と、時代錯誤なヤンキー土屋アンナ、凸凹な2人が
ケンカしつつも親友になってゆくという、それだけのお話なのだが、
何度見ても心がじーんとする。
全編通してコメディ全開のドタバタ喜劇で飽きさせない造りの中にふと挿入される、
ハンディカメラっぽい荒い画質の2人が代官山をはしゃぎ回るシーンとか、
川原で2人がたたずむシーン、胸が熱くなる。
そして転げ回って行き着く先に、泥と血塗れの深田恭子と尼崎弁の啖呵。
カタルシス全開なところに流れるEDテーマの歌詞はhey my friend!
あー見てよかった。また見よう!