主に質問2-bに関してなんだけど、
古い友達で子供の頃は、カエルやザリガニを平気で殺す奴がいたんだけど、そいつは一時期板前をやっていた。
毎日、生きた魚やエビを殺すのが楽しくて仕方ないと言っていた。
今は普通の会社に勤めているけど、一時期給料がいいという理由で屠畜場で働きたいと言い出した。
多分、趣味も兼ねていたんだろう。
それだけ聞いてると危ない奴だと思うかもしれないが、現実はちゃんと区別している。
新しい男が見つかるまでのつなぎ・・・・か。
レジの時間は10%短縮したとて、パターンは増えてて教育コスト増加してる訳
質問1
残虐な行為に対する抵抗度を考えるときに、質的な違いがあるとこに区切り入れるとすると、
a)対虫 | 対動物 | 対ヒト
b)対虫 | 対動物・ヒト
どっちを想定します?
その場合、件の女子高生がネコを解体していたからといって、ヒトを解体することは時間の問題ではなかったよね?
なんか、父親の責任追及のネタにしてる人いるけど、変だなーと思ったので。
その場合、(家畜はともかくとして)野生動物を食べることに対して抵抗はないの?
僕自身は捕獲して殺して食べるってたとえ家畜であっても残虐だよなーと思うんだけどね。
あと薬物混入もちょっと気になってる。僕の小中学生時代は、僕も周りも、理科で使う薬剤の危険性に対してひどく鈍感でした。
水酸化ナトリウム水溶液(水ナトって呼んでた)を触って、「なんかぬるぬるする〜w」「ちょwやべえ指紋薄くなったw」とかしてましたし。
なので、クラスメイトの給食に塩酸を入れるのが普通ではなさそうなことはわかるんですけど、ヒトに残虐性を向けた行為だったのかは疑問符です。
「みんながなんとなく超えない一線を超える性質」と「ヒトに対する残虐行為を実行する性質」は必ずしも一致しないと思います。
例えば花火の火薬集めて鉄パイプ爆弾つくる、っていうのは前者に当てはまるけど後者には当てはまらないよなあ、とか。
混入の件はサーベイ不足なんでおまけです。
他の増田も似たようなこと言ってるけど、海外旅行だったらあまり違和感ない気がする。
海外で日本人のおっさんが2,3人で歩いてるの見たことないけど。
明らかに仕事で来ているような人は別ね。
俺はおっさんなんだろうが、
今まで見てきたおっさんのようではない。
タバコを吸わないし、酔ってくだをまくこともない。
なんだこれ。
俺は未知の領域にいる。
俺が子供の頃はどこにこういう人がいたんだろう。
後輩が好きすぎる。今まで年下を好きになったことなんてないのに。
卒業して10年ほど経つが、今でもOBとして年に数回顔を出している。
行くといつも嬉しそうにそばに来てくれる。
上下関係にうるさい所だからある程度は接待も兼ねてるのかもしれないけど、彼女はわざわざ寄って行って接待しないといけないような立場でもない。
かわいい後輩だ。女性として可愛いのか、後輩として可愛いのか、自分でもよく分からない。すごくモヤモヤした気分で接している。
後輩に手を出すなんてあってはならないことだから何もする気はないが、卒業したらどうかは分からない。
へたに告白なんかしたら、表面上はいつもと変わらなくてもお互いギクシャクしてしまうのは経験上分かっている。
最近思うのだが、本当に大切な人なら余計なことをせず、そのまま良好な関係を続けていくのがいいのではないかと思っている。
くさい言い方をすれば、見守ってやるのも愛だろう。
そういえばあまり書いてこなかったと思ったので、今回はなるべくドロドロした事を書いてみたい。
さて、“人間ヒマで余裕があるとロクな事をしない”というのは、歴史的かつ普遍的な事実である。
市役所とかの歴史がそのまま、ドロドロした人間関係の歴史であるように。
まあ大体この辺りが古い大きな神社の職員構成層であると考えてもらっていいし、おおよそ左から順に尊重される。
この序列はコネ順として捉えるとわかりやすい。神社界で物を言うのは人間様のお口ではなくて、コネと金がすべてである。
年功序列、上位下達をこそ金科玉条とする神社界においては当然、職務命令に対する理解よりも遂行よりも服従そのものが求められる。
「伝統を堅く守る」という事 = 「自分の頭で考える余地がない」という事であり、アレンジャーやアドバイザーは不要である。自分の意見を言わずにはいられないタイプの不具者は、転任だの何だの理由をつけていずれ追い出される。経歴に転任の多い奴はこの不具者であるとすぐわかる。
以上の背景を前提として、神社内にも暗闘が存在するわけであるが。
まあこの暗闘てのは一般的には俗界において“社内政治”と言われているものに類する。
より具体的には、世襲経営者もしくは実質的な経営者層に対し、代々職員や兼業神職が、まるで反抗期のガキのように反旗を翻すものが多い。
ただし、待遇改善や職場環境向上を求める声はほとんど上がらず、神社運営における主導権争いがメインになってくるのが特徴的な点と言える。
とは言え、大体の神社において経営者層というのは大体決まっている。どのあたりが宮司になるとかは大体決まっているし、また世襲のところもある。
となれば雇用主と被雇用主は明確に分化されていると言えるし、また、飼い主が誰かわかっていない飼い犬などただの狂犬である。
なのになぜ、経営者の座はどうせ何代経とうが小揺るぎもしないのになぜ、このような主導権争いの暗闘がわざわざ発生するのかというと。
「ウチは代々この神社に勤めてるから」という、自宅感覚で職場に意見する、代々職員。
また、自分の家系で代々ちっぽけな神社の宮司を勤めているというだけなのに“神社界に重きをなしている”と勘違いし、また生活費が稼げないからよその神社様にお勤めして食わせてもらっているのに自宅感覚で職場にて宮司の如く振舞う、兼業神職。
まあカンタンに言えば、でかい会社において、そこに勤めているよそのちっぽけな会社の社長やそこの後継ぎが、偉そうに振舞っているのと同じ感覚である。
経営者としては、こいつらはタダの被雇用者なのだが、先祖代々のコネがあるから無下にはできないし、地縁血縁もある事だから粗略には扱えない。
で、こいつらがしがない雇われとしての自分の立場を自覚しているならいいのだが、神社に入ってくる段階で既に、コネで楽して資格とったりコネで楽に就職決めたりして入ってくるだけに、当然のごとく選民思想に満ち溢れており、強く出れない経営者の立場を逆手に取り、職場においても我が物顔で振舞う。
なので止める者もなく、こいつらは職場の腫れ物と化してゆく。
で、すっかり腫れ物と化したこいつらが必ず何をするのかというと、神社運営における主導権争いである。
自分達だけでやるなら好きにすりゃあいい話なのだが、迷惑な事に職員全体を巻き込んで争いをおっ始める。
宗教家が政治に興味を持ったところで碌な結果には結びつかないし、社内政治においても同様である。
金や権勢や社内政治に興味のない人間でも務まるのが聖職者のはずなのだが、否応なしに巻き込まれる。
まあ嫌そうな顔をして正論を吐く程度の自由は与えられるのが、一般企業とは違うところか。
「ここはお前ん家の神社じゃねえんだよ、そういうワガママなら家に帰ってパパ宮司に言えや」みたいな事をオブラートに包んで言っても、
「そういう事を言い出したら意見なんてできない」みたいな一般論を返すだけでまったく内省の気配すらない。
この辺は一般企業と何も変わらないのだが、もちろん神職の養成機関においても、年功序列、上位下達を重視した教育が施される。
伝統を堅持する神社界に、新しい意見はいらない。その考えにはただ単に飯食う為に神主をやってる私も同意する。てかどうでもいい。
しかし、飼い主が誰かをわきまえていない飼い犬は明らかに不要である。
そこんところはキッチリわきまえ、誰におまんま食わせてもらってるのか自覚し、飼い主に尻尾をきちんと振らない限りは、代々続く家の子孫だろうが何だろうがただの狂犬の群れである。
職場に対して偉そうに意見するのならまずは、テメエん家の神社一本で食ってけない、情けない我が身を省みて大いに恥じるべきである。
やり方次第ではどれだけ小さい神社だろうが、一社の故実を破壊せずに神社一本で食ってく方法なんていくらだってある。でもそれをしない。思わない調べない実行しない。
まずその己の怠慢に対し、親や祖先や神社に対してごめんなさいと言うべきである。
自分ちの神社だけで食ってけないなら、食い扶持を稼がせてくれるヨソの神社に対して偉そうな事は言わない。
何年勤めていようが、何代勤めていようが一緒。雇われは雇われ。
てかそもそも、そういう偉そうな事を言える立場じゃない。
最近、人を殺してはいけない理由について、色々な人が色々な事を言っていて、「なるほどなぁ」と思う意見もあるけど、どれも根本的なところで間違っていると思う。
そもそも、突き詰めて考えれば、人を殺してはいけない理由なんてないのだ。
たとえば、「人を殺してもよいとすると、社会が崩壊する」みたいな意見をみかけたけど、so what?
そんなのは、あくまで社会の都合であって、「社会なんて知ったことか」と思っている個人にとっては、他人を殺してはいけないという根本的な理由にはならない。
では倫理的にはどうか。「命は地球より重い」、だから殺してはいけないのだ、という議論をよくみかける。また、「殺される人やその家族の気持ちを考えろ」なんて意見もある。
でも、このように倫理的な観点から「人を殺してはいけない」という意見を持つ者でさえも、一定の場合には殺人を認めるだろう。
例えば、死刑制度は国家的殺人に他ならないし、正当防衛で、ナイフで刺しかかってきた強盗に対しバットで対抗して殺してしまうことを悪と考える人は比較的少数派だと思われる。
つまり、倫理的に「人を殺してはいけない」というのは、「一定の場合に人を殺してはいけない」と言っているにすぎず、純粋に「人を殺す」ということを禁忌としているわけではないのだ。
そして、「一定の場合」等というものは時と場合によっていくらでも変わりうる。
このように考えていくと、「人を殺してはいけない」というのは、社会から罰を受けたくないなら人を殺してはいけない、といった条件付きの命題にすぎないことがわかる。
もちろん、多数派は、「社会が崩壊したら困る」と思っているし、だからこそ殺人には厳罰が設けられている。
また、仮に社会的な罰が課されないようなシチュエーションにあったとしても、ほとんどの人は、理由なく他人を殺したりはしないだろう。
本当に「人を殺してはいけない」というには、例えば「神様(仏でも、大宇宙でも、なんでもいい)が『人を殺してはいけない』と定めたから」等、これ以上「なぜ?」と問えない絶対的なものを持ち出すしかないだろう。
(追記)
論理的には、絶対的な何かを持ち出さない限り「人を殺してはいけない」とはいえない(この論理は、「人は●●をしてはいけない」という命題ほとんど全てにあてはまる)が、これを乗り越えるのが社会的な繫がりと共感力と想像力である。
なぜ、ほとんどの人は、別に社会的な罰等なくても、理由無く他人を殺したりしないのか。逆に、なぜ社会的な罰があっても殺人が起こるのか。
答えはそこにあるように思われる。
しんどい。
仕事は、それなりに順調。
日々勉強の渦中。
やりたいことは沢山あるのに、時間が足りない。
今は、かつての私の母がそうだったように、否定せず、やりたい事を極力やらせてあげつつ、好きなことで稼げるように少しづつ導いてあげるしかないのだと思う。
むしろ、その方が能力が高いと見なされてる事だって多いと思うし。
ぶつぶつと、月曜日を迎える目前の夜に、ただ虚しく涙がでるけど、
これは前から読みたかった漫画をダウンロードで一気読みして涙腺が刺激されたからというきっかけ。
手に入らないものを求めて誰もがうらやむ立場を捨てて脱走した男の子。
だーっと泣いて、ふと思った。
私には何が足りてないんだろう。
褒めて欲しい人が、褒めてくれない。
それだけだ。
むなしい。
わかってるよ、わかってる。
単身赴任の夫は、もうすぐ今関わっているプロジェクトが佳境を迎える。
そんなこと、やると決まった時からわかりきってる。
私も、しんどいけどがんばるよ。
あぁ、とりあえず、たまった報告書と請求書と。
書類を出さねば、お金にはならない。
面倒だけど、やらないと。
認められて、求められた仕事をがんばること。
私の価値は何で決まるんだろう。
褒めて欲しい人から、
たまにでも褒めてもらえたら、
うん。
性格的に、夫が私を褒める事なんて一生ないような気がする。
多分、いや、ゼッタイそう。
分かってるけど、一回ぐらい褒めてくれてもいいんじゃないか。
と、そんな事をしつこく思いつつ、
虚しい気持ちを書き残こす行為にふける。
よく寝てるね。
かーちゃん、がんばるよ。
ずっと好きな事だけできればいいんだけどなぁ。
大人ってめんどくさいね。
起きられるかな。
時刻はもうすぐ1時半。
さぁ、がんばるか。。。
んで、なんで うめき とかいうひとって東洋経済オンラインに記事かいてるんだろう?
んで、なんで うめき とかいうひとって東洋経済オンラインに記事かいてるんだろう?
自慰はやめといたほうがいい。体力を奪う。
(苦しいならある程度は仕方ないが)
日光にあたるだけでも。
なにもできないときには何もしない。
自分を許すこと。
人生のある時期は無力であっていい。
栄養の不足、または過剰を疑う。
自分の症状に詳しくなること。
何らかの極限状態に自分を置いてみる。
そのときに何がどう変わるか観察する。
釣りでも書いてみよう。
彼女があまりに「結婚!結婚!」と「DVD!DVD!」並みにうざいようなら別れる。
真剣に結婚したくも無いのに結婚してうっかり子供が出来てしまったら最悪だよ。
将来をちゃんと考えたいから時間をくれ、といっても彼女が応じないなら、「君の人生設計にあう人を探してくれ」といってやれ。
そのほうがお互いのためになる。
彼女は友達に先を越されて焦っているだけ、という可能性がある。
そんなもんで自分の人生ぐちゃぐちゃにされたらたまらんで。結婚したって家事の分担、子供が出来たら子育て、それだって順調に行けばいいけど、一人のつもりが双子だったりしてままならねー!ってこともある。
そういったシミュレーションも含めてきちんと考えたうえで彼女は結婚願望があるのか。
彼女が、「増田と一瞬たりともはなれたくないなあ。ずっと一緒にいたい。だから結婚したいな」という増田といたいからなのか、とにかく一定レベルの誰でもいいから結婚して他の友人を出し抜きたいのかってのを見極めた方がいい。
結婚ってのは生活だから基盤となる金の収支があうのかどうかもきちんとしておかないと後で困るぞ。
そんな阿呆なこと気にしてどうする。いい歳した男が他人の目なんか気にすんな。おっさん通し手つないで歩いてやれ。
と言うのは言い過ぎだけど、ここまで気にするの日本だけじゃね。