「農道」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 農道とは

2021-02-23

anond:20210221103053

能面農道: 能面業用揮発油税財源身替農道整備事業は、1959年昭和34年)頃から能面生産用に使用されるガソリンは、仕事上の必要経費として税金免除してほしい」との要望が強まってきたために、農林水産省補助事業として立ち上げたものである。背景には、昭和初期まで一般財源に組み込まれていたガソリン税(揮発油税)が、1953年昭和28年)の道路交通法改正によって、国道都道府県道を整備するための道路特定財源に回されることになったことにより、当時、日本の主力産業であった能面生産業への恩恵が少なくなったことにある。

2020-12-15

10年来の友人が失踪した

無職の俺が言うのもなんだが、本当に死ぬほどやることがない時にだけ、普段使っていないFacebookを開くことがある。

開くとまず、知らない奴とか10年くらい連絡とってない奴の誕生日が3日前でした、みたいな通知が5件くらいあって、未だに何故かFacebookを使い続けてる奴のTwitterみたいな投稿が目に入る。自分投稿を見返したところ、自分も6年前までは同じ使い方をしていたらしい。

だが俺の本当の目的は今や全く別のところにある。ここに来て急に「友達かも」のページをみたり、繋がっている友達伝いに小学校同級生を探し出すのだ。

俺の通っていた小学校は、それこそ全校生徒がランドセルに熊よけの鈴をつけて登下校するレベルの山奥にあった。トラクター農道闊歩する割と本格的な田舎だ。だから小学校から中学校、下手すると高校まで同じ顔触れで、死ぬまで実家暮らしなんてのも多分珍しくない。

というのも、俺は中学から親の都合などを経て都市部引っ越したため実情を知らない。小学校同級生と未だに連絡を取っているようなことも全く無い。高校生の時に何度か違うクラスの奴と会ったはいいけど全然何話して良いかからなかった。多分みんなそんなもんなんじゃ無いかなと思っている。

そんな時に見るべきなのがFacebookである。今となっては猫も杓子もTikTokInstagramなどのイケイSNSに夢中な中、それらの始祖にして現代ネット社会における九龍城、そしてディストピアとなったFacebookには今、俺が必要としている情報の全てがあるのだ。

まず友達伝いに名前に見覚えがある気がする奴のページに飛ぶ。どうせ足跡が付くわけでも無いし付いてたとしてもはや誰もFacebookなんか見てないから気にせず画像誕生日投稿へいつ頃まで反応していたかを見ていく。俺と同級生から当然3割くらいは誰だか知らない奴と結婚してる。だがさして興味はない。なんなら病気してても、たとえ死んでたとしても、へー、で済む話であるガンガン見ていく。

あ、こいつ養護学級スレスレだったやつだ。アニメアイコンだしヤな予感すんなあ、とか思ったら内容こそ穏やかだけど匿名掲示板で暴れ回ってるキチガイと同じ文体で、それもつい数日前まで投稿してる。匿名掲示板荒らして回ってる奴の気が知れないとは思ってたけど、本当にこういう奴らがやってんだなって確信してなんか悲しくなった。

次はこいつか、車高短なんかFacebookに載せんなよ、うわこいつも載せてんな、しかスポーツ学科、このギャル名前たことあるな可愛かった子か、あいつはヤンキーになってんのか、うわきったねえギャルだ、車高短だ、うわギャルだ、ヤンキー

俺の地元どーなってんだよマジで

ガイジとヤンキーギャルしか居ねえってなんだ。そりゃみんなFacebookやめるわ。畦道走ってイオン行けばみんな居るしな。どうせ高校まで一緒だったんだろうしどうでもいいかやっぱり。

だが何故、いわゆる陽キャになろうとした結果が画一化されたヤンキーギャルなのか。影響されあっているとしたらこんなにダサくて生産性のない足の引っ張り合いは無いだろう。というか、それに気付かず迎合してしまうから田舎に留まろうとするのか、田舎に留まっているか感性死ぬのか。俺にはもうよくわからない。

先日失踪した10年来の友人はいわゆるシティボーイだった。のにも関わらず、都会の隠れビッチに惑わされ、家や友達の全てを捨てて失踪し、SNSからもその存在を消そうとした。自分プライドを糧にやってきたことを全否定して消えようとすることは、結果だけ見れば俺の居た田舎ヤンキーギャルになるのと同じはず。全てを捨てようとした時、やはり田舎珍走団になろうというのが真っ当な思考回路なのだろうか。

十数年後に死んでいるであろう何らかのSNSで再び彼に再会できた時は問いかけてみたいと思う。

2020-11-20

anond:20201119234440

オレんちと同じくらい田舎やったんねw

ウチでは、昭和の末期ごろに家を建替えるまでは、掘りごたつが現役だったね。四辺に足を乗せる板があるけど、中央部はそのまま炭火を置く構造から、ヘタに足を突っ込むとテキメンに火傷するw

かまども(平常時は主にプロパンガスだったが)盆正月などに大量の料理するとか、味噌仕込むのに大豆を煮るとかのときは現役だった。

裏山に炭焼き窯があって、自前で木炭も作ってたし、風呂を沸かすのも薪で火を焚いてた。

農道は、そのころ絶賛建設途上で、クルマで行けない山の上から農作物とか木材とかをふもとに運ぶのは、架線(かせん)と呼ばれるケーブルカー的なものだったが、昭和50年代後半にはほぼ使われなくなったな。

2020-11-19

昭和50年頃の日本田舎風景

思いついた順。順番に意味は無い。

 

田舎道路舗装されて無いのがあたりまえだった。ごく一部が舗装されていたが、舗装コンクリートだった。アスファルト舗装はまだほとんど無かった。

・川にかかる橋はまだ木と土でできていた。わずか数年のうちに、全部コンクリート造りに作り変えられた。その時の橋がまだ現役。

石炭がまだ日常的に使われていた。学校の隅の方には石炭を積み上げておく小屋があって、冬は当番の子供がその日のストーブで燃やす石炭小屋から教室に運んでいた。炭の燃えカス掃除先生がやってくれていた気がする。石炭ストーブ石油ストーブに置き換わると、石炭小屋は鶏小屋改装されて、学校ニワトリを飼っていた。

火鉢や七輪がまだ現役だった。火鉢の中では炭を燃やして暖をとっていた。

掘りごたつの底は格子状になっていて、その下で炭か何か燃やして暖を取る構造だったが、それは当時すでに廃れていた。電熱線を使った電気ごたつが安くて便利なので、かなりはやくから普及していた気がする。

・家にかまどがあった。物ごころついた時にはもう使われなくなっていてプロパンガスだった。お年寄りの家ではまだ現役でかまどが使われていた。

洗濯ものは川や湧水のあるところでやっていた。湧水は出口すぐが飲用水の採取場所、数m下ると食器食べ物を洗う場所、そこからさらに数m下るとそれ以外を洗うもの、と順番が決まっていて、いつもだれか数人の主婦が何か家事をやっていた。水道が普及するといつしか誰も使わなくなり、掃除されなくなり、廃れた。

・秋には落ち葉のたき火で焼き芋を焼いて食べるのが定番おやつだった。

農業に使うかごなどが、まだ藁で作られていた。この伝統は数年後にはすっかり無くなってしまった。

・村の加治屋さんがいて、農機具の修理などをやっていた。

軽トラックが普及しはじめていたが、農道がまだほとんど整備されていなかった。車が通れない歩行者用の山道を、天秤棒をつかって前後に思い荷物をぶらさげて運ぶという仕事がまだあった。

コンクリートブロックを使って塀を作るのが流行り、みんなで競うように塀を作っていた時期があった。へー。

・車はどの車も数年でサビサビになった。今のような耐久性のある焼付塗装がまだ開発されておらず、車検のたびに車の塗装をやりなおしていた。車検とはある意味、車の塗装をやりなおすイベントだった。

カラーTV田舎にも普及しはじめた頃。

・街へ行くたびに、あちこちボコボコビルが建ち始めていた時代1970年より前に建築されたコンクリート作りのビルというのはかなり珍しいが、1970年代にはめちゃめちゃ大量のコンクリート造りのビル建設されて、日本の街の風景が一変した。

・いまはシャッター街となっている田舎商店街に、もっとも活気があった時代

軍隊帰りの教師が現役でいた。ゼロ戦特攻隊の訓練生だったとか、広島原爆が投下された後の遺体を積み上げて燃やす作業をやったという教師リアルに居た。多くの大人たちが原爆キノコ雲の目撃者だった。

・家を建てる時、壁は土壁だった。そのへんの土に藁を混ぜて建材として使っていた。土壁の中の芯は細い竹を格子に編んだものだった。

貯金金利がめちゃめちゃ高かった。しかし実際には金利以上にインフレになったので、真面目に貯金した人はむしろ損をした。

・缶ジュースは当時から1本100円だった。子供には高級な飲み物だった。

・お豆腐屋さんに毎日豆腐を買いに行っていた。田舎でも数100mも歩けば、一軒は豆腐を豆から作っている豆腐屋さんがあった。

主婦が買い物に行くときは、細い竹を編んだような、かわいらしい買い物かごを持って買い物に行っていた。レジ袋などというものはまだ無かった。せいぜい紙袋

生ゴミはかまどで燃やして処分していた。灰は肥料として活用された。街のゴミ収集車は、不燃ごみの回収が主だった。

冠婚葬祭は、5人組といわれる隣近所のグループで協力しあって、自宅で行うのが当たり前だった。

・どこの家にも子供がいた。夜は外出を厳しく制限された。今思えば、どこの家庭も夜になると夫婦セックスして楽しむのが当たり前だったんだろう。

  

========================================

そのほか、あとで思い出したこと追記

子ども神社やお寺の境内に集まってよく遊んでいた。缶けりとかが定番だった。

・そんなド田舎にもエロ本はあった。子どもたちが拾い集めたエロ本の隠し場所神社の床下だった。

・雨の日はよくトランプしていた気がする。

レゴブロックは既にあった。当時から定番おもちゃだった。

こたつテーブルの板をひっくりかえすと麻雀用の緑のフェルトが貼ってあった。

蛍光灯が爆発的に普及したのがこの頃だった。電球よりずっと明るいので最初はみんな驚いた。

 (しかし、統計を見ると子どもが減り始めたのもこの頃。電球の方がエロい気分になりやすかったというメリットはあったのかもしれない)

バスには運転手のほかに切符を売ったり、バックする時に誘導したりする車掌がもう1人乗っていた。それがワンマンになったのも昭和50年

宅配便はまだ無かった。国鉄の駅から小包を発送していた。

国鉄荷物を送るときは、包み方にめんどくさい規定があって、紐で縛ったり指定タグをつけたりしなくてはならなかった。

昭和50年代に複数宅配便会社競争で一気に普及して、国鉄荷物を送ることは全くなくなった。

女子体操服はブルマだった。バレー部が人気だった。部活マラソン大会では女子が校外を体操服(下はブルマ)で走っていた。

ダンボールは既に普及していた。ダンボールが普及する前は農作物は木の箱に入れて出荷していたらしい。使われなくなった木の箱がよく他の事に転用されていた。

・そんなド田舎でも新聞牛乳は毎朝届いていた。牛乳はビンに入っていた。

学校の校舎は当然木造体育館木造。今思うと、体育館のような大きな建物木造っていうのは当時としてはなかなか凄い事だったんじゃないかという気がする。

バイクといえばスーパーカブのことだった。それ以外のバイクは見たことが無いレベルだった。

・車と言えば軽トラだった。それ以外の車も見かけたが、変わり者扱いされるレベルだった。

・仕出し弁当とかは薄い木で作った箱に入っていた。プラスチック発泡スチロール製のトレ―が普及したのも昭和50年

幹線道路なのに1車線のところがあり、ときどき渋滞にっちもさっちもいかなくなって警察を呼ぶことがあった。

リヤカーを引いて魚を売りに来るおじさんがいた。スーパーカブに山ほど靴を積み上げて靴を売りにくるおじさんもいた。富山の薬売りもいた。

2020-07-26

花火大会

最寄り駅から絶妙に遠い会場(だいたい15分以上かかる)までだらだら歩いて、そのうち舗装されてない農道みたいなとこ歩かされて、

やっと着いてとりあえずビニールシート広げて四隅を荷物とか靴で固定して、

屋台を物色して、

行列出来る前に早めにトイレ行っとくべきかそれともあんまり早く行って花火打ち上がってる最中トイレ行きたくなったらやだなあとか悩んで適当タイミング見計らってトイレ行って、

シートの上に寝転んで高い割に別にめっちゃ美味しい訳でもないけどやっぱり美味しいジャンキー焼きそばとかたこ焼き食べて、

草いきれ匂いに夏だなあと思って、

空がだんだん暗くなっていくにつれてわくわくしてきて、

いよいよ開始時間になったのに実行委員長とか何とか会長挨拶が始まってそーいうのいーから早く早くーってなって、

ようやく音楽と共に打ち上がって待ってましたーわー綺麗だなーと思っても10分くらいでわりと飽きてきちゃって、

あとは酒でも飲みながらだらだら喋って夜空を眺めて、

終了時刻と同時にわらわら夜道をみんなで駅まで戻って、

そういうの全部引っくるめて花火大会が好きだったなぁ

家で花火映像見ててもなんかちがうんだよな

花火が見たいんじゃなくて花火大会に行きたい

2020-06-06

7時過ぎにガソリンスタンドが開くからそれまで農道に車止めて増田やってる

おじさんなので暇つぶしするような人生の余裕はないけどだからといって他に何もやることが思いつかない

2019-12-20

地方によくある歩道がない道路が苦手だった

地元地方都市で,高校までの移動手段チャリか徒歩だった。近所は細い農道産業道路ばかりだったのだが、そういう道は大体歩道がなかった。

車と物理的にぶつかったら勝負にならないという側面もあるけど、それ以上に人間ではない重量級の何かが自分のすぐ側を高速で走り抜けていく事実がすごく怖かった。

特に夜。街灯がないと外から車内の様子は見えないため、本当に人が乗っていない巨大な鉄の塊が走っているように思えた。

地方車社会なので真昼間を除けば常にかなりの量の車が行き交っていた。そんな道の脇を必死に通学するのは本当に苦痛だった。いつ死ぬか分からないという恐怖を常に感じていた。車がとにかく怖かった。

東京23区内に住むようになって電車での移動がメインになったので、そういう道を歩かなければならないケースは大幅に減少した。

細い道路を歩くにしても9割以上は分離された歩道があるし、通勤通学時でもそこまで混んでいない。

東京に出てきてようやく安心して出歩けるようになった気すらする東京歩行者にやさしい。それだけでも東京に出てきてよかったと思っている。

2019-10-24

レンタカーカーナビってすごく不便じゃない?

レンタカーカーナビって走行中は音量とか以外の操作が出来ないようになってるんだよね。

この間それを使って道東走ったんだけど、

・やたら細い道路農道)に案内する。

通行止めしてる道路に案内する。

・到着時間が遅い道を案内する。(別に大きい道路を案内するわけじゃない)

・山奥で崖(行き止まり)に案内する。

ってなっててすごくストレスだった。

え、間違ってる!!この道きっと違うって思って別のルートを通ろうとすると

しきりに間違った道に戻そうとして新しいルートさない。

まあ、それはそれで仕方ないかナビだしなと100歩くらい譲って思うんだけど

走行中に設定変更できないのがさ・・・信号いから止まらないし

止められそうな店とかも無いし、道の端もそんなに広くないわから止められない

なんで、こんな仕様なの逆に危なくないか

2019-01-30

ある死

ある地方大学のある学部お話労働環境は劣悪。

3月になって突然、教員の4割近くが辞職した。

のこった教授の一人は「もう、週に16コマから17コマ講義持っているのよ。

大変。」と言っていた。その人はある夜、大学から自転車で真っ暗な農道帰宅中に、

農道脇の深い側溝自転車ごと転落し、頭部を強打したのか、お亡くなりになった。

即死推定されている。

2018-08-30

anond:20180829234946

バイクに乗ると捗るぞ。

田舎に住むことになって、なんとなくバイクに乗り始めたんだが、何にもない農道をトコトコ走るだけで空気が美味しい。

山道を上がって展望台でコーヒーを飲んでぼんやりするのもいい。

夏場は早朝涼しいうちに朝焼けを見に駆けると本当に空気が澄んでて清々しい。

なんにもない田舎こそ楽しめる趣味だと思うんだ。

2018-06-19

日曜日トーマス

もと南海電車からホームに降り立つと、千頭駅にはたくさんの親子連れがいた。

妻と、4歳の娘と、1歳の息子と、チケットがとれてから、楽しみにしていたトーマスに会える日だ。

子供だけではなく、大人が見ても、このトーマステレビから飛び出した等身大ヒーローだ。大きさだけのハリボテではない。ホンモノなのだ

トーマス種車はC11-227。かつてはテレビドラマや映画で大活躍裸の大将(雁之助の再放送)をよく追いかけていたのを覚えている。

正面にはトーマスの顔をつけ、ライトブルーに化粧をして、動輪までしっかりカラーリング

ベテラン子供の前で大活躍する姿をみて、Eテレ幼児番組みいつけた!ワンワンと中のチョーさんを思い出してしまった。

千頭駅では機回りをした後で転車台で方向転換。ちゃんと顔を新金谷方面に向けるためだ。周りには子供大人も集まっている。

転車台にのって、係員が人力で回すと、トーマス汽笛を鳴らしてアピールする。

ぐるぐるっと向きをかえ、止まるかと思ったら、あれあれ、まさかファイブフォーティ。魅せますトーマス。一回転半まわって転換完了

駅構内イベント会場に整備され、パーシー、ヒロに、方向転換を終えたトーマスが並ぶと、地方私鉄の構内とは思えない華やかさになった。

トーマス汽笛に合わせて、他の列車汽笛を鳴らす。効果音ではない。本物だ。

新金谷駅の売店で買ったお弁当をベンチで広げ、子供たちの声を聞きながらお昼ご飯を食べる。ホームに入る風は山岳ローカル駅の風だ。

ただ、駅全体に子供の声があふれている。混んではいるが、人道的な混み方だ。ちょっと並べば、トーマスの前で写真も撮れる。

ヒロの中の見学ができる。ミニSLやトロッコにも乗れる。

トーマスは発車直前まで写真撮影に応じている。煙突からは煙が出ている。発車が近くなると、黒い煙が増えてきた。

ゆっくりと動き出す姿を線路の高さで見送ることができる。

小型タンク機関車はいえ、1,600mmの動輪径は子供身長の倍。ホンモノのトーマスは、車輪の大きさも圧倒的だ。

みんなが並んでいるその前を再びゆっくり走り出し、再び客車に連結。

金谷行きのトーマス号が仕立てられると、いよいよ乗車だ。

鉄道界の老老介護最後尾の補機、電気機関車E10-2に感謝の黙礼をする。

そして、7輌の客車なかほどのスハフに乗り込む。

青いモケットのボックスシートに、トーマスのシートカバー。そして、所々にJNRマーク

娘は、窓が開く、扇風機があると大喜び。昔はみんなこれだったと喉まで出かかったが、トーマス号とは関係の無いこと。

トーマス号は近所の電車とは違うほどいいのだ。

千頭駅から新金谷駅まで1時間強。途中の鉄橋や通過駅ではみんなに手を振ってもらえる。

特急となっているが途中の駅に止まらないだけで、各駅停車電車と所要時間はほぼ一緒、のんびり走るのだ。

から、手を振ってくれる人の顔がよく見える。子供はもちろん、大人年寄りも、みんな笑顔だ。

レンズを構えたおじさんもお兄さんも、客車が通過するころにはシャッターチャンスはすぎたとみえニコニコしながら手を振る。

本命はこの後のC56-44かもしれないけど。

大井川にかかる鉄橋は見晴らしも良く、遠くから手を振る人もみえる。

吊り橋の上から手を振ってくれる人もいる。

河原キャンプから手を振ってくれる人もいる

茶畑のおばさんも手を休めて両手を振っている。

農道のおじさんも、軽トラから手を振る。

並行して走る国道473の車の中からも、バイクのお兄さんも。

新金谷駅に着くと、車両基地機関庫に入っていくトーマスみえた。

子供と近くまで歩いてみると、もと近鉄電車や他の蒸気機関車とならんで、トーマスみえた。

自然ではない。ホンモノのトーマスから、ホンモノの列車達と一緒に休むのだ。

自然子供と手を振って、家路についた。

2018-06-02

埼玉県死亡事故が多い理由渋滞回避マン主観的に考えてみた

随分と久しぶりになってしまったな増田諸君渋滞回避マンだ。

今回はちょっと真面目に、埼玉県死亡事故が多い理由を考えてみたぞ。

ちなみに、埼玉県はここ数年で死亡事故数が急激に増えていて、交通事故の死者数は愛知とデッドヒートしてて一昨年、去年と2位だ。

さらに今年も去年を上回るペースで死亡事故が起こっていて、このままだと愛知を抜いてしま可能性もあるな。

実際に去年の前半は愛知を上回って1位だったときもあったようだ。

というわけで考察に入る。いつもの口調は封印させてもらうぞ。

1.人口交通量が多い

東京ベッドタウンとして人口が増えている。

北関東から東京荷物を運ぼうと思うと、特に群馬栃木から荷物を運ぶ場合には埼玉を通らざるをえず、必然的交通量も増える。

2.道が狭く、歩道の整備が遅れている

そんなところに住宅と道を作ったものから既存のものを潰して作った幹線道路以外は農道をそのまま利用したかのような非常に狭い道路ばかり。

十分に歩道を作れるだけの用地を取得しないで道路を作っているものから車道はある程度あっても歩道が狭い。

狭い道路なのにそこしか主要な道路に出られる道がなかったりするから一方通行にできず、すれ違いがようやっとな双方向通行な道がそこかしこにある。

しかもその道路に有名な接骨院があったり、スーパーがあったり、いつも駐車場がいっぱいなうどん屋があったりして生活道路としてだけでもすごい交通量がある。

さらにそこが通学路になっているのである。朝はスクールゾーンになるものの、夕方は近隣住民配慮してかスクールゾーンにならない。

そしてせっかくの幹線道路すら申し訳程度にガードレールがあるだけだったり、縁石が少しあるだけだったり、そのガードレールもつぶれてぐちゃぐちゃになってたりしても直されていない。

地権者がごねたのか予算ケチったのかそこだけ歩道が異様に狭くなっている部分がそこかしこにあり、人がやっとすれ違いえる程度のところもたくさん。

歩道が、歩行者を守るためのものにまったくなってない。そりゃ事故も起こるし、事故が起これば重大なものになる。

3.歩行者自転車マナーが最悪

歩行者横断歩道を渡らない。何で?何で埼玉の人ってこんなに横断歩道を渡らないの?

気がつくとその場を渡る、路地から出てくると渡る、すぐ先に押しボタン式の横断歩道があるのに渡る、歩道橋の下を渡る。

横断禁止なんてお構いなし、中央分離帯は柵でもない限り突破する。

横断歩道でもないところをいきなり渡ってきてすごく怖い。埼玉歩行者

自転車もっと悪質。一時不停止での突破は当たり前。逆走当たり前。

狭い道路で車が詰まっていて、左側は通れない。よし車の右側を通ろう。右側に出ようとして対向車にぶつかりかける。アホかと。

もっと渡りやす場所で渡ればいいのにとか車の少ないところを通ればいいのにとか思うけど、そういうことを考える頭はないらしい。

自分自分の命を守る気がないのだから事故は起こるし重大なものになる。

4.自動車スピードが出ていないだけで危険運転だらけ

最初埼玉のほうを走り始めたときには、何でこいつらこんなにスピードが出ていないのに事故が多いんだ?と思った。

なんといっても、最高速度60kmである日光街道バイパス新大宮バイパスを平然と50kmで走っている車がそこかしこにいるのだから

が、対向の信号が青になっているにもかかわらず止まれる程度のスピードで右折してきた大宮ナンバーに轢かれかけてから考えが変わった。

こいつら、スピードが遅いだけで危険運転しまくりじゃないか、と。

完全に信号無視のタイミングでの強引な交差点突破、右左折、横断、割り込み

さらにはそれを白バイが取り締まらない。白バイはもっぱらスピード違反の検挙に夢中である

埼玉は怖い。

5.自分さえ事故を起こさなければよいという「独善的安全運転」が多い。

スピードを出さなければ安全運転とでも思っているかのような運転以外にも、変な安全運転が多い。

そもそもスピードを出さないためにこまめにブレーキを踏むからいつ止まるか分からない。

優先道路を走っているにもかかわらず路地差しかるたびに減速し、クラクションを鳴らす車。

から右折で出てこようとしている車のために急ブレーキをかけて道を譲る車。そして、その際に右側をまったく見ていない右折車。

追突事故を誘発するかのような運転をしている車が非常に多くて怖い。

自分さえ事故を起こさなければ、周りはどうなってもいいという考え方は「独善的安全運転」で非常に危険なのだ

よくよく見てみるとウインカー申し訳程度にしか出していない車が多い。

私はウインカーを出しているので安全運転ですよとでも思っているのだろうか。はっきり言って、交差点内に進入してからウインカーは「遅すぎ」である

私はウインカーは出しているので岡山とは違うって思っているのではって思ってしまう。

6.周りをよく見ていないで運転している車が多い

埼玉の特徴として、やたら青信号になってからスタートが遅いと感じる。

信号を見ていないのだ。

前の右折車を行かせてやろうとライトパカパカしたのだが一向に動かないなんてことも。

こいつら、周りをちゃんと見て運転していないなと感じた。

前述の轢かれかけたときも、十分に確認・減速停止できるスピードだったにもかかわらずそのまま通り過ぎていくのだからまったく歩行者を見ていなかったのだろう。

まとめ:

交通量と人口が多いにもかかわらず、歩道が十分に整備されておらず、それでいて歩行者自転車自動車安全運転に気をつけているようでまったく気をつけていない。

しろ形式的安全運転をしているだけで、それで満足しており周りを見ていないのだから実際のところまったく安全ではない。

その上にスピードを出さなければ安全という驕りを持って運転しているのだからたちが悪い。

危険運転を、行政警察放置である。やることといえばスピード違反の検挙と、追突注意の看板の設置だけである

行政もそれを改善する気がないようであるし、もう数年は愛知埼玉のデッドヒートは続くのだろうなと思う。

2018-01-19

最近の鳥さんはなってない。

人間を恐れなさすぎである

特にすずめとおなが。

農道を車で走っていると必ずといっていいほど彼らに進路を妨害される。

車に轢かれるギリギリまで集団で粘るんじゃない。チキンレースですかこの野郎、鳥だけに。

時々、上記の遊びに失敗したらしき個体が道の真ん中で平たくなっている。私は悲しい気持ちでそれを避ける。

そんな無防備な鳥さん達も、猫の事は相変わらずキッチリバッチリ恐れている。

我が家の庭にはよく野良なのか家猫なのか定かではない猫が来て、伸びた雑草の陰でウンコをしていく。彼等もたいがい野性を失っており、ウンコには砂をかけるというマナーを知らない。堂々たるベリーロングなウンコを残し去っていく。

猛烈な臭気に困った私は、去年は本腰入れて庭の草むしりに励んだ。密林だった場所が砂地になった。猫はあまり来なくなった。清々すると共に人類の業の深さみたいなものに思いを馳せてしんみりした。

すると、まもなく数羽のすずめさん達が砂地に降り立ち、楽しそうに砂遊びを始めた。砂地には沢山のすり鉢状の跡が残された。

私は縁側に座り、砂地で遊ぶすずめさん達を見守った。

かわいい本当にかわいい

だがお前達、ちったあ私の事を恐がれよ。人間だぞ、人間がすぐそこでお前らをめちゃめちゃガン見しているんだよ。もっとビビれよ。気色悪いと思えよ。

だがすずめさんさん達は一向に気にする気配なく、好きなだけ遊んで飽いたら去っていく。

ふっ、かわいい

かわいいからしょうがない。

と思って放置していたらこの間、軒先に干しておいたおろしたてのタオルウンコをされ、全私が泣いたのであった。チクショー。

2017-08-09

Amazon配達員がヤバすごい

今日来たAmazon配達員めっちゃおばあさんだった。70歳くらいの腰が曲がったちっこい女性で、「ダーツの旅」で第一村人に出てきそうな人。そんな人がAmazon段ボール持って配達会社制服っぽいの着て玄関前にいた。どーやって来たのか気になって外を見たらボックスタイプ軽自動車が止まってた。こんなおばあさんが田舎農道でなく炎天下住宅街配達車で走ってると知って日本現実を知った。しか荷物届ける住所間違ってた。※

 

※初めての配達員はよく間違えてうちに届けにくる

2017-07-02

https://anond.hatelabo.jp/20170701151855

https://twitter.com/Ling_tosite_STi/status/881147155787816960

また動画があがってたんだけど

どうみても農道だし190㎞だしたところで違反ではないというのが司法判断ではないだろうか

2017-07-01

農道で時速190kmだすマジキチ動画を見つけてしまった

たまに畑でお昼寝していた婆さんが死んじゃうのってそういう…

これって犯罪になるの?

農道いからセーフ?

動画リンク

https://twitter.com/ling_tosite_sti/status/881033475922345984

2017-05-03

有名撮影地の近くに住んでいた

四季島の件がきっかけで色々と鉄道趣味界隈、撮り鉄界隈が賑わっているようで。

ふと地元のことを思い出した。

普段は橋を渡る時に誰も車と行き違わないようなクソ田舎

周りは畑畑畑高圧鉄塔民家牛舎のようなクソ田舎

服やらおもちゃやら買う時は隣町に行かないと買えないくらいのクソ田舎

もちろん隣町には車で行くしかないようなクソ田舎

そんな田舎に時々大挙する奴らがいた。

中央線もないような道に路駐の山。

農道の淵には三脚軍団

思い立ったかの様に道を自由に横断し、暑いのか車のドアを開けて仲間と道の真ん中まで出っ張って会話。

その道を通らないと凄く遠回りをして買い物に行かないといけなくなるのです。

普段でもその橋を渡ったら行き違いの車に気を使わないとダメなくらいの道幅なのです。

農家から畑を荒らされると困るのです。荒らさないとしても、訳の分から人達が何をしてるかわからいから畑が心配になるのです。

普段見ないような人達は怖いかクラクションを鳴らすわけにもいかず、地元民は半ば諦めのような気持ちでそろそろと道を進む。

車内では「また何か来るのかよ、迷惑な奴らだな」と。

買い物が終わって戻ってきたら誰も居ないけどゴミはある。

そんな環境で育ったか撮り鉄は嫌い。

撮り鉄全てがあんな奴らでは無いとわかっていても小さい頃から記憶は消えない。

色々、撮り鉄人達が機材がどうとか、良い写真趣味者を増やすとか言ってますけど、理想とか語るなら襟を正さないと説得力皆無。

自分ひとりがきちんとやってたとしても、外から見たら皆同じ迷惑軍団

連帯責任ではないけど、外から見ても紳士的な人達じゃないと説得力はなし。

感情のままに言えば、

なんで迷惑かけるおめーらにわしら地元民が気を使わないといけないん?!

機材?理想迷惑かけてるおめーらが何言ってるん?

人に迷惑かけてるのに言う資格なんてねぇべ!

路駐なんかしねーで駅からあるってげ!

それか駅からタクシーでも乗ってげ。タクシー3台しかねぇんだけんどね。

2017-03-28

鹿の屍

もう昨日の話なんだけど、鹿が死んでるのを見た。

もっと言えばその二日前にも別のシカの死体を見かけた。

先の方は広域農道の直線部だったので、たぶん飛び出して車にひっかけられたんだと思うんだけど。

ちなみに、僕がそのシカを見つけたとき、二羽の鳶がついばんでいて、目と肛門に穴が開いていた。

それから現在進行形で耳をついばんでいたらしく、耳孔から深く、中身がえぐれていた。

それよりも昨日のほうだよ。

30センチ幅の道路側溝に頭からまり込んで四本の足をピン、と天に突き出して死んでいた。

もっとちゃんと言うと、首が折れてその上に体が乗っている。

一頭ながらWスケキヨ体現して息絶えた鹿。

現場設計速度15キロほどの突っ込み農道で、他に外傷もないことから交通事故とは考え難い。

シカの首をへし折って側溝に活ける変質者の仕業でなければ、まあ転んで死んだのだろう。

わずか30センチの深さの側溝

スぺランカーの様な死因だ。

山の中では段差も窪みも道路の比ではない。

およそ、表土が流亡して岩だらけになった山の中で、シカはどれくらいのペースで死に続けているのか。

そして、鳥獣防護ネットで囲んだ農地の中でシカの屍を見つけた時の徒労感はいったいどうすれば拭えるのか。

2017-01-06

農道おっさんうつ伏せで倒れてた

轢き逃げか行き倒れかと思ったら腕立て伏せしてた

2016-07-13

30歳で7台の車を乗る女

そんな女友達がいる。

まずは18才。

通学中の山道ガードレール自爆

顎を擦りむき、3針縫う。

車は全損

これに懲りて、2台目、中古のいつ止まるかわからん、2年もてばいいだろうというミラを買う。

ある日車エンジンをかけようとしたらかからず、買い換え。

無傷。

3台目、これに懲りて、新車ラパンを購入。

信号待ちで、後ろからカマ掘られて前の車とサンドイッチ

胸部打撲。

車は全損

4台目、マーチを購入。大雨の日、信号で止まろうとしたがブレーキ効かずノーブレーキで衝突。

全損で買い換え。

5台目、ステップワゴンを購入。

見晴らしのいいなんともない農道ハンドル操作を誤り電柱自爆

右肩骨折

6台目、出産したばかりでまだ授乳の子供のお宮参りの日、神社へ向かう途中、対向車がウインカー出しているので曲がるかと思いきや、直進してきて衝突。

そこから意識不明脳出血を起こしてしまい数日意識不明だった。

助手席に乗っていた子供着ぐるみを来ていたため、座席から落ちたが無事。

現在7台目。ベルフアイヤを購入から二年経つ。

車のグレードが上がる度に怪我のグレードもあがってるよ。君みたいなのは二台目みたいなのを乗ってればいいよ。事故神様が乗り移ってるんだよ。

と言うと、彼女は言う。

二三年周期で事故に遭う。今でも毎週弁護士から電話が入り、通帳によく分からない振り込みがある。

次、事故とき死ぬときだと思う。

そう遠くないんじゃないかなあと笑った。

2016-04-30

上司一言

農道逆走した私に向かって、仏のような笑みをいつも浮かべている上司オタク)が叫んだこと。

「今のは!!綾波レイがおんなじことやっても!!俺は許さなかった!!!!!!

2016-04-12

市川市死ねと言っている人に

安心して下さい。市川市はもうとっくに死んでいます

とくに市川駅北側から松戸にかけての辺りは息してません。

からもう放っておいて下さい。あなた方には本当に関係のないことですから

外環道路の工事に何年かかってるか知っていますか?

膨大な細長い空き地が延々と続いているんです。

それが出来上がれば交通渋滞が緩和すると言われ続け、今のひどい道路事情放置され続けてるんです。

住んでいる人たちはずっと塩漬けにされたままなんです。

市川市交通事情を知っていますか?

もともと農道しかなかった土地に十分な区画整理もせずに道路を作ったものから通勤時間帯の渋滞は壊滅的、かつ歩道が確保できないほどに狭い道路危険まりないんです。

市川駅本八幡駅から日中なら車で10分もあれば行き来できる場所でも、通勤時間帯は40分からヘタしたら一時間かかります

バス優先道路なんて作れるわけがなく麻痺

狭い歩道自転車原付きが溢れさら交通は混乱。

抜け道なんて甘いものはありません。

この周辺から都内へと江戸川を渡るためにある道路は6号、14号、京葉道路のたったの3本。

どの道を抜けようとも、必ずこの渋滞に捕まります

抜け道という抜け道に車が溢れ、毎日のように小さなこどもたちが危険に晒されてるんです。

とにかく、市川交通は終わってるんです。

なにせ市川はもう20年以上時が止まったままなんです。

原因はなんだと思います

誰かが反対し続けた外環道工事が停滞しているからですよ。

少なくとも、わたしの知る市川市民はさっさとこんな工事は終わらせて欲しかったと考えています

子供の頭のすぐ30cm横をバスが通り過ぎるような状況を好ましいだなんて思っているわけがないんです。

最近になってやっと少し工事が進んできましたけど、いったい誰が反対してたんですか?

保育園のことで市川のことを知らない人間がわいてきて好き勝手言うのは構いませんけどね、外環の時と同じく一言言わせてください。

市川のことも知らないでギャーギャーいう暇あったら自分たちのところことだけ考えてろよ。

住んでいるところは楽園ですか?あぁそうですか。

それならなおさら市川市民として言わしていただきますけどね、はっきりいって迷惑です。

これで無理やり保育園オープンして子供事故にあったりしたってあなた方には届かないでしょうし、届いたら届いたでまた批判するんでしょ?

もうあなた方の偽善に付き合うのはうんざり

一体誰が本当の悪なのかよく考えてください。

少なくとも見通しの甘かった行政でも反対している市民でもないことだけは事実ですから

2015-08-24

新規移住者田舎の村落で受け入れられるには

ちょっとした縁で田舎暮らしをして十年を超える。

就職するまでは都市部に住んでいたので、まあ、移住者だ。

さて、僕の住んでいる集落山村で、四十戸ほど、統計によれば百人ちょっと人口を有している。

幼児が二人、小学生が二人、中学生が二人、高校生が二人、二十代が二人とかそんな感じが男女を併せた若者の総数。

三十代は僕を含めて十人弱くらいいるかな。あとは世代が上がるほど人数が増えていく。

はっきり言えば大半が高齢者だ。

狭い集落人間関係は濃く、僕が住み始めた頃、馴染めずに浮いていた。

が、最近地区で頼りにされている。味方が増えてきた。

田舎というのはゆったり生活をするのにさっぱり向いていない。

空気はいいし、牧歌的風景は広がるが、何をするにも人手が足りないからだ。

都市部にいれば『誰かがする』で済む自治会活動も、ゴミ拾いも、消防団も、葬式の手伝いも、生活道の除草も、神社なんかの祭事も、PTAもぜんぶ『自分』でしなければならない。『誰か』がいないのだ。

から休みの日には早朝からお寺の掃除や、農道草刈りにかり出される。

大半は老人だから昼過ぎには体力が尽きて作業は終わるが、今度は酒宴が始まる。

自治会の総会に参加するのが面倒、とかそういう問題ではないのだ。とにかくいろいろな田舎イベントが開催されるが、これに当たり前の様に参加できるようになるまで僕も数年かかった。このまま、バックれ続けていると、何とも知れんやつという評価が下る。地区内ではいないものとして扱われてしまう。実際にそういう人間が僕の地区にも数名いる。

確かに休日はつぶれるが、それでもまだ呼ばれて参加するだけなら気楽な方だ。

これがやがて、自分で人を呼んで作業するようになると、煩雑なことやストレスが一気に増える。

しかし、同時に地区内での評価が一気に上がる。この辺から、何かあるとかばってくれる人が増え、多少無茶をしても話が通るようになる。

都市部小学生を呼んで草鞋編み体験でも開催したいと相談すれば、老人が集まってきて指導者を買って出てくれたりする。

作業が減ることはないが、何かやりたいと思えば増やすのは気分次第、ということだ。

そうして僕は休日のたびに何かやっている。平日より休日のほうがよほど疲れ、今の時期だとどんどん日に焼けて黒くなる。

これを老人になっても、死ぬまで続けていかなければならないが、地獄の様と捉えるかやりがい満点ととらえるかは人次第だけど、まあ僕は何とか楽しくやっている。

都会からやってきてうまくやれている人は、やはり何かをやりたい人ばかりで、ただゆっくり過ごしたい人は浮いてしまっている。

2015-08-14

母帰る

離婚していた母が帰ってきた。

父と別れて5年になるが、毎年お盆の時だけはやってくる。

1年ぶりに再会する父と母はふたりとも嬉しそうで、

会話もはずんでいる。

「元」夫婦水入らずというやつである

「なんでこうなったのかなぁ」と、私はこの幸せそうな風景を見て思う。

「弟が生きていたらなぁ……」とつくづく思う。

弟は6年前に交通事故で死んだ。

農道ミニバイクで走っていたところ、飲酒運転軽トラックにはねられ、

運悪く次の日に亡くなった。

最愛の息子をなくした母は、弟の死をうけいれられず、しばらく自室にひきこもっていた。

父も私も日中仕事があったので、仕方なく母は家におきざりにしていた。

それがよくなかった。

気がついたら母は酒びたりになっていた。

タカシがね、またお金が要るって言うのよ、海外に行きたいとかって。ほんと困った子だわ。」

「そうか、苦労をかけるな、すまない。」父は母の相手を続けていた。

「そうだ、あの子お好み焼きが好物だから晩御飯お好み焼きしましょう。そうしましょう。」

何故か母は仏壇の下をあけ、「お好み焼きをつくる道具」を探し始めた。

「そんなところにしまたかなぁ」と父は天井を見上げて呟いた。

「もう中国のせいで相場がね、もうほんとにめちゃくちゃなのよ。」

私が知らない間に母はトレーダーになっていた。

「そっか、そうだろうな。」父はまだ天井を見上げていた。


月曜日に母は病棟へ帰る。

それまで私も相手をしてあげようと思う。

お盆から、きっとタカシも帰ってきてるんだろうな。

仏壇遺影を見てそう思った。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん