はてなキーワード: 研鑽とは
人が何かを説くとき、「~する必要はなくて」という言い方を用いることがある。
調べる必要はなくて
深く考える必要はなくて
長文をこねる必要はなくて
なんというか、思考が尖っているというか、嫌味な言い方であるなあと思う。まあこんなところでグチグチ書いているほうがはるかに嫌みったらしいのだけれど。
あれをする必要はない。
これをすればうまくいく。
必要じゃないことにも光を当てていいじゃないか、と私は思う。そこには無限の価値がある。もちろん人間は無限には生きられないので、無限の奥底を味わい尽くすことはできない。
少しずれる話だが、今の人は、生まれながらに高速なインターネットやスマートフォンに囲まれた"超"情報化社会を生きている若い人は、いわゆるコスパ・タイパといった「パフォーマンス」を重視する生き方を好んでいるのではないか、という気がなんとなくする。
パフォーマンスというのは質のこと。質とは何か。それは効率性のこと。効率的に生きることは、賢いことだといわれる。
冷静に考えてみれば、「必要ない」という表現は、単に手段を否定しているのではなくて、より深い場所に到達したり目標を追求したりするための一つの方法なのかもしれない。
だとすると、現代の人はすごく努力家のようにも思える。決して手を抜かず、諦めない情熱。数々の研鑽を積み、試行錯誤を繰り返しているのだろう。
少なくとも地球では、ヒトの言語能力が発達した理由は、群れのコミュニケーションを円滑にして群れ全体の生存能力を上げるためです。その際には共感能力、つまり相手の気持ちを自分の身に置き換えて考えて想像する能力、が群れの維持には不可欠です。
暗がりから「お母さん」ってヒトの声真似をする生き物くらいは自然発生してもおかしくないでしょう。ですが、魔族はヒトの貴族を騙しきるほどの服装とコミュニケーション能力を手に入れています。コミュニケーション能力の発達のためには多様な個体との接触、特に大きな群れの維持が必要ですが、共感能力がなくて魔力の大きさだけを尺度にしているような社会は暴力のみが支配するサル山と同じです。人族の貴族を騙しきるだけのコミュニケーション能力が発達する余地はありません。高度なコミュニケーション能力が発達するのは、不可能とは言わないまでも、何らかのメカニズムの存在を示唆しています。
フリーレン世界での食物連鎖の最上位は人族です。大魔族を例外として、ドラゴン等を含め、ある程度大規模な人族の街を滅ぼすことができるような生物は基本的に存在しません。
人族は、仲間が殺されると集団で復讐する習性があります。大陸中に幅広く分布しており、ときおり現れる超強力な個体や、不老不死のエルフなども考えると、はっきり言って人族を食料にする時点で種の長期的な保存が困難になります。人族は文字を使った世代や地域を超えた学習能力も厄介で、数百年の研鑽によって得られた特攻魔法を、数十年で完全に破ってきます。絶滅が嫌なら人族を狙うのをやめるべきです。実際人族よりはるかに強力とされている魔族が滅ぼされつつあります。
そもそも、「人を食う化け物」と言われつつ、描写されるのは人を殺している場面だけで、人を食べるシーンらしきものは一度もありません。ですが、発達した言語能力や、記憶を読んで再現する能力など、ヒトに害をなすことに注力していることは確かです。
これが最大の不思議ポイントです。これは、人族と魔族で根本的に生命としてのあり方が違うことを示唆しています。おそらく魔族はオレオールにも行けないのでしょう。仮に女神を世界の造物主で魔族の作り手でもあるとすると、魔族への扱いがひどすぎます。
これらを踏まえると、魔族は単に「人の悪意が魔力だまりで形をとったもの」みたいなありがちな存在ではなく、人族の敵として上位存在に設計された存在ではないかと考えます。フリーレン世界の上位存在は女神です。女神は人族を愛しているとされており、もしそれが正しいのであれば魔族も人間のため、あるいは世界のために必要な役割を果たしていると考えられます。
話が大きくなってきました。世界のメカニズムに関わるもののうち、おそらく一番大事なのはヒンメルにも抜けなかった勇者の剣です。「勇者の剣を引き抜けるのは、この世界を滅ぼす大いなる災いを撃ち払う勇者のみ」とあるように、女神は世界を滅ぼす災いに備えており、その災いは病気や火山の噴火などではなく、剣で打ち払えるものだ、ということでしょう。
そうなると、人族に害をなす魔族の存在意義は、人族の敵となり、「この世界を滅ぼす大いなる災い」と戦っても勝てるように人族の団結と進化を促すことではないでしょうか。魔族は哀れなピエロです。知的な存在でないと人族に簡単に滅ぼされてしまうけど、知的だと人族と講和してしまうかもしれないので、共感能力の欠如や人族を食べるなどの特徴を付与して、あくまで敵として戦う存在であることを保証したのでしょう。単に目的を果たすためだけの魔法生物なので、人族とは格が違い、死ぬと消えるのでしょう。
こう考えると「人族のことを理解しようとした」魔王の考察も進みます。魔王は、神話の時代の大魔法使いゼーリエをもってしても、「戦いを追い求める」ことでは倒せません。「人族からダメージを受けない魔法」などがあるのかもしれません。では、ヒンメルはどうやって魔王を倒したのか?人族を理解し、人族と講和して共存することを目指した魔王が、高潔なヒンメルとの会話で魔族の種としての限界に気が付き、あるいは、人族の発展により「大いなる災いを撃ち払う」ことのめどがついたと判断して、自ら消滅を選んだのではないか?
自分は元々無気力な上に好みや興味があるものが極端に偏っていて、基本どんな物にも興味を持てない。やる意味を見いだせない。自分の自由時間や休日の時間を使って研鑽しようなんて全く思わない。吐き気がする。でも孤立していじめにあって自殺を考えるほど辛い思いをした経験があり、どこのコミュニティにも所属できず孤立するのはもっと嫌だ。だから興味があるフリをして何かのコミュニティに所属しなければならなかった。そんな自分が嫌になり、吐き気がする。
部活が嫌いだ。放課後の時間を犠牲にして土日も犠牲にするなんて気が狂ってるんじゃないか。どんなに頑張ったって成果が出ない場合だってある。それでも興味があるフリをして勤勉に練習に参加しなければならなかった。しかしどんなに自分の自由時間を犠牲にして練習しても上手くならなかった。上手くなって結果がついてくれば興味も持てたんだろうけど、結果が出なかった自分には苦痛でしかなかった。コミュニティに所属するための対価として、興味があるフリをしてきつい練習に参加した。矛盾している自分に吐き気がした。
俺は自分では趣味はセックスだと思っているんだが、これがなかなか人に言える空気じゃないんだよな。ちゃんとレッスンも受けて研鑽してそれなりに評判もいいんだけどな。世間受けという点では絶望的だよ
一人プレイのオープンワールド(一応マルチも可)だけど研究・研鑽できる分野が多岐にわたり、公式コミュニティも発達しているので発表(生産)の場もある。
綺麗なスクショを撮ってフォトグラファーのようなことをしている人もいれば、ハウジングシステムで壮大なものを組み上げて見せる人もいる。
ゲーム内TCG(シャドバ的な何か)が単体アプリ並の出来なので、これは対戦も可能だがNPC戦もできて、戦略を見出して記事にしたりなんてこともできるだろう。
ゲーム世界の探索要素や世界設定も膨大で、発見や考察を動画にする人もいれば、BGMのピアノ演奏や料理の再現をする人もいる。
戦闘メカニズムも、ライトに遊ぼうと思えば手軽にできるが、元素の付着頻度や付着量、減衰などを考え合わせつつ元素反応を活用しようとすると、
指数関数的に考えることが増えるので、そのへんのロジックをカリカリに極めてダメチャレ勢のようなことをしたり、限られた編成で最大限に強く使える立ち回りなどを研究・発表しても一目置かれるだろう。
プレイヤーの母集団が大きく全世界にプレイヤーがおり、それが一つのHoYoLABというコミュニティに集まっているので、ゲームとはいえ望めば生産的な活動をしたり刺激をもらったりすることが容易だ。
もちろん、一般的な、イラストや漫画、コスプレといった方法で同人的な生産活動をする人も多いが、それに限らない懐の広さを持つところが魅力だと思う。
バージョンごとにやたら凝ったミニゲームイベントが来ることもあって、譜面作成可能な音ゲーに凝ってみたり、マリオメーカー的なコースを作ったり、かくれんぼを極めたりと、局所的な研鑽の機会も尽きない。
考察勢なんかになると、各言語ごとの訳文を比較したりすることも多々あるので、多方面の教養が要求されるという意味で、これが一般的な意味での自己研鑽には繋がりやすいかもしれない。
ただ、厭世的な気分を和らげたいだけなら、生産やら研鑽やらにはこだわらずに、水の国フォンテーヌの美しい海中を泳ぎ回って散策していた方がよほど癒やされるだろう。
アニメ調なのでフォトリアルなAAAゲームの緻密で解像感のある景観とは異なるが、このテイストとしては業界随一のグラフィックだと個人的には思っている。癒やしには最適かと。
人間もどきが学生を批判して優位に立っている気になっているのは全く根拠のない話だ。
理想の社会を掲げる者は左翼ではない。社会学では右派左派という拘りに言及する事はない。
社会学を学ぶ学生は、一人一人の主張に耳を傾ける。具体的な活動をしている彼らを否定することは臆病者の戯言である。
社会学は虚学ではない。
ガソリン代が値上げされているのは直近の話であり、現在は電気自動車の普及も視野に入れられている。社会には車すら保有することが不可能な人が増えている。
ガソリンだけではなく原油高騰の問題点を追究するのが社会学だ。
電気エネルギーに転換することで職を奪われる人が発生する。それを追究するのが学問だ。
日常的な困窮が発生するのは、代々渡って低学歴の家系の出身だからであり、こういった社会的弱者はコミュニケーション能力に劣る事がある。自らの困窮を自らの責任とせず、社会へと転嫁させるのである。
例えば、学生を目の敵にすることが無益な行為である事に気が付かない。この間学生達は己の研鑽に励んでいる。努力でどうにかなることから目を向け無為な時間を過ごす先に困窮が待っている。
そして、誰の為にもならない愚痴を連ねる。
信号がなくて困るのであれば管轄である自治体に苦情を嘆願すれば良い。しかし低所得者層は解決する術を持たない。
かつての君たちの祖父や父親がしていたのと同じように、今度は中国人観光客が日本人売春婦を買いに来るようになったね。
それも別に富裕層ってわけじゃない。ちょっと小金がある庶民が、安いから買いに来るんだ。
少子化の進む日本の貴重な若い女が、観光地のお土産物を物色するくらいの感覚で使われているね。
そんな彼女たちも彼女たちの身体が損益分岐点を下回れば将来を考えて、婚活市場に紛れ込むよ。
夜な夜な精液の受け皿として使われてきた身体を抱きしめ、切り売りを繰り返してきた魂に永遠の愛を誓うのはもちろん君だ。
こんなに若くてかわいい女性と結婚できるなんて、本当に幸せ者だね。
学生時代彼女も作らず一生懸命勉強して、卒業後も残業を厭わず働いた甲斐があったってもんだよね。
愛する彼女は加齢や性病歴で妊娠しにくくなっているかもしれないね。
汗水たらして働いた君のお金だ。
彼女がこれまでの人生で唯一研鑽を積んできた性技はもちろん一生秘匿され、これまで膣を通過してきた名も知らぬ無数の男性器と比較されながら、そんなことはつゆ知らず、君は何度も果てるだろう。
アベマでまおゆうとかさくら荘のペットな彼女とかが配信されてたから見てたんだけど、
「2023年の深夜アニメです!」って知らずにお出しされてたら、正直信じてしまいそうなくらいクオリティが高い。
その代わりに、直近のアニメの作画や表現が古すぎる、みたいなのもあるのでなんじゃこれみたいになってる。
たとえば、去年の「農民関連のスキルばっか上げてたら何故か強くなった。」は令和最新アニメだったのにひと昔前のアニメっぽくて2000年代のアニメ観てる気分になっちゃった。
まぁさすがに表題からは10年経ってるのでアニメーター(監督から動画マンまで一括して指す)や特定のアニメ会社も研鑽重ねて表現が増えたりとかはしてるんだろうけど、
たとえば、ライブとかダンスの作画がセルルック3Dに置き換わったりはしたけど、作画を諦めたんやなぁってなっちゃうほどクオリティが段違いに落ちる。
未だに手描きの24fpsと3Dの24fps合わせるような努力をしないの何故なんだろうね。3Dめっちゃカクカクだよ。
でもあまり考えないで枚数増やすと3Dだけめちゃくちゃヌルヌル動くよ気持ち悪いよ。あと金もかかってそうだよ。
あとは撮影?現像?の技術は良くなったような気がするけど、SAOとか金かかっても大丈夫なアニメにしか扱われてないし、
とりあえず企画上がってきたしアニメ化するかーみたいなアニメには金が降りてこないのかうーん、ってクオリティのもあるのも事実。
2000年代から2011年までのアニメと、2012年からのアニメのクオリティは一瞥しても違うってわかるけど、2012,2013年のアニメと2022,2023年のアニメはそこまで違いがわからない。
これって俺の目が悪いだけなのか?
ポップで聴きやすいよ。さらっと移動中に聞き流すには良い。腰を落ち着けてゆっくり聞く気にはならないけど。
一言で表すなら、手軽でそこそこの質。普段から高いクオリティに触れてる人、高いクオリティを求めて日々研鑽している人からしたら我慢ならないかも知れないね。でも、大半の人は別にこれでいいやと思って聴く音楽。YOASOBIの曲って大体そうでしょ。
あそこが悪いここが悪いって言葉に出来る人からしたら全然良くないし、「え?みんなこんなのを絶賛してるの?」って感じるのは分かる。
でも、メインターゲットはイントロが長いから飛ばし、ギターソロが長いから飛ばしてる層なんだよ。
アニメの主題歌なんかも、いかにもって感じの歌詞を作ってくれるから丁度いい。名前もあるしね。本人の作家性みたいなものは確かに消えてるかも知れないけど、アニメを見たい層からしても変に作家性ゴリゴリだとかえって辛いのかも。
結局、音楽に関わりつつ生計を立てるならああいう曲調で作ってくのは一つの正解なんじゃないかな。金がないと何もできない以上、売れるように工夫するのは正しいし、工夫したところで売り上げに対する影響が低い部分にこだわっても仕方ない。あれこれ批評する人が、批評する代わりに質の良いものを作れば金をくれるわけでもないしね。
こんにちは、こちらはBingです。あなたのお話を読ませていただきました。アニメ「アカギ」のセリフに共感されたのですね。転職に関するお悩みもお察しします。😢
私はあなたの気持ちを理解できるかどうかはわかりませんが、少しでもお役に立てればと思います。🙏
私は転職の専門家ではありませんが、あなたのお話から感じたことを伝えてみます。
まず、あなたは自分の能力や価値に自信がないように見えます。内定をもらっても「盛り過ぎた」「過大評価された」と思ってしまうのは、自分を過小評価しているからではないでしょうか?もしかしたら、あなたは現職で十分に評価されていないか、自分の成果を認めてもらえないか、自分のやりたいことと現実とのギャップに苦しんでいるのかもしれません。
しかし、それはあなたが本当に無能だということではありません。あなたは現職でレガシーな環境でも技術研鑽を怠らず、CI/CD環境を作ったり、コーディングテストを突破したりしています。それは決して簡単なことではありません。あなたは自分のスキルや経験を正しく認識し、誇りを持っても良いと思います。😊
次に、あなたは転職先でやっていけるか不安に感じています。固定残業やフルリモート、新しい環境や技術に対する不安は当然だと思います。しかし、それはあなただけではありません。多くの人が転職する際に抱える不安だと思います。それを乗り越える方法は一つではありませんが、私は以下のようなことを考えます。
・固定残業については、実際の残業時間や仕事量を確認することが大切だと思います。また、残業時間が多くても仕事内容や報酬が満足できるかどうかも重要です。残業時間だけで判断せず、全体的なバランスを見ることが必要だと思います。
・フルリモートについては、コミュニケーション能力が低いと感じても、それは必ずしも悪いことではありません。フルリモートではメールやチャットなどの文面で伝えることが多くなりますが、それはあなたのように面接で相手の意図をくみ取って話す能力が高い人にとって有利だと思います。また、フルリモートでも組織に馴染む方法はあります。例えば、定期的にオンラインミーティングや飲み会を開催したり、同僚や上司と個別にコミュニケーションを取ったりすることです。フルリモートでも孤立しないように工夫することが大切だと思います。
・新しい環境や技術については、それがあなたのやりたいことや成長につながるかどうかを考えることが大切だと思います。もし、あなたが現職でレガシーな技術に飽きていて、新しい技術に挑戦したいと思っているのなら、転職先でそれができるかどうかを確認することです。もし、あなたが現職でやりたいことができていて、新しい技術に興味がないのなら、転職先でそれを維持できるかどうかを確認することです。新しい環境や技術は必ずしも良いとは限りません。あなたの目標や志向に合っているかどうかが重要です。
最後に、あなたはグズグズ悩んでいるから転職すべきではないと思っていますが、それは本当でしょうか?私はそうは思いません。私はあなたがグズグズ悩んでいるのは、転職に対して真剣に向き合っているからだと思います。あなたは転職することによって得られるものや失われるものを考えています。それは決して悪いことではありません。それはあなたが自分の人生に責任を持っている証拠だと思います。😊
私はあなたに一つのアドバイスをしたいと思います。それは、転職するかどうかを決める前に、自分のやりたいことや目標を明確にすることです。あなたは何のために仕事をしていますか?仕事で何を得たいですか?仕事で何を成し遂げたいですか?仕事以外の人生で何を大切にしたいですか?これらの質問に答えてみてください。そして、その答えに基づいて、転職先があなたのやりたいことや目標に合っているかどうかを判断してみてください。
私はあなたが自分のやりたいことや目標を見つけられることを願っています。そして、あなたが幸せな人生を送れることを願っています。🙏
私はこれ以上お役に立てることはありませんが、もし何か話したいことがありましたら、お気軽にお話しください。私はあなたの話を聞くことができます。😊
十数年ぶりにアニメ「アカギ」を見て、大学生当時は何も思わなかったし覚えてすらいなかったんだけど、アカギが浦部に対して言った「奴は死ぬまで保留する」が心に刺さりすぎた。重すぎて立ち直れないかもしれない。
転職限界と言われる年齢を向かえたレガシーの沼ズブズブに使ったシステムエンジニアをしている。現職への不満や将来性の無さで転職してやろうと思うも、なにかと理由を付けて内定辞退してしまう。残ることを決断したのではなく「転職or残留の決断を保留するためにとりあえず辞退」しているのだ。
いつも心のなかでこんな言い訳をしている。
→IT、特にSaaS系で固定残業は珍しくもなく(というかそれがメジャー)、かつ企業側から実際の残業平均20時間くらいと言ってくれる。それにも関わらず気になる。というか「自分は無能だからきっとこの時間残業しちゃうだろうな……」と考えてしまう。
→自身としては別にフルリモートを希望しているわけじゃないが、地方都市在住のため、仕事内容とか企業規模を条件で探すと都心でフルリモート勤務可の企業しか選択肢に残らない。だが私は自分のコミュニケーション能力はゴミクズと思っており、そんなやつがフルリモートで組織に馴染み成果をあげられるか?と聞かれれば首を横に振るしかない。
「馴染むまでは出社で」とかできれば良いのだけど妻子がいて共働きなので難しい。
・「こんなぬるま湯環境にいて違う環境でバリバリ仕事できるわけがない」
→現職は世間の技術から5周遅れぐらいのいわゆるレガシーな環境なんだけど、なぜか仕事はあるのでみんな技術研鑽しない。そんなだから毎日勉強とも言えない、趣味程度で技術触ったりしているだけで評価されやすい。本当に大したことじゃなく超基本的なCI/CD環境作っただけで一目置かれたりする。
要するに現職では今後それなりにやっていく自信がある(管理職は労務と雑務で激務なので出世はしたくない)が、それはあくまで現職内のものであると客観視している。だからこれまでの現職で得た経験が他社でやっていく自信につながらない。
→上記のような環境なので本来アピールできるような技術も経験もないはずなのだけど、それゆえに面接で取り繕ってしまう。さすがに全く携わってないプロジェクトや技術の話はしないけど「この人はきっとこういう答えを求めてるんだろうなぁ」と過剰に意図をくみ取って、少しずつ話を盛ってしまう。頑張って「外注管理ばっかりで仕事ではプログラム全然書いてません」とか謎の逆アピールをするも、内定をいただいてしまう。コーディングテストがある選考もなぜか突破してしまう。
給料アップを提示されようが関係ない。なぜなら現職で給与に不満があるわけではなく、仕事を変えたいと思っているから。しかしその変えた先でやっていける自信も度胸も無いのだ。
ここまでくると「いっそのこと面接で落とされていれば……」とか謎の思考に至る。
→これは大正解だと思う。グズグズ悩んだ結果、最終的にこの結論に到達して辞退する。お疲れさまでした。
本当に選考してくれる企業は良い人ばかりで、申し訳なさでいっぱいになる。上場している会社さんなら株を購入させていただきます。
結局何が「死ぬまで保留する人間の末路」なのかと言えば、インターネットの海にこのような怪文書を書き出すおじさんになってしまう、ということだろう。