はてなキーワード: ジェームスとは
「boxing」「boxer」が一般的な単語ですが、現在の英和辞典にも「pugilism」「pugilist」の単語が有り「拳闘・ボクシング」「拳闘家・ボクサー」と訳されています。「pugilism」がラテン語からの派生と明記されていますから、「pugilism」等の方が古い言葉なのかもしれませんが、一方で英和辞典には「box」には「平手・拳の一撃、ビンタ、殴打、張り手」などの意味が含まれるとされています。
古代ギリシャ語「puxos(箱)」の言葉自体が「握り締めた拳」の意味を持ち、ラテン語では「拳で戦う」という意味の「pugilatus」から競技としての「pugilism」という言葉が生まれたと解くサイトも有り、紀元前688年の古代オリンピック第1回大会から第38回大会迄「pugilism」が競技種目に有った様子も伺えます。
「pugilism」から「boxing」への言葉の移行は、1200年頃のイギリス(一説にはイタリア)の或る神父が「pugilism」を復活させ、「boxing」と名付けて青少年に授けたのが名称の始まりと言われるが、定かで無いとする曖昧説が有る一方で、近代ボクシング誕生は18世紀、イギリスのジェームス・フィッグが1718年のロンドンに「ボクシング・アカデミー」を開設し門弟に教え、彼の弟子ジャック・ブロートンが1743年世界最初のボクシング・ルールを作り、グローブも考案したと有ります。この様子からすれば、現在の「boxing」の意味は1700年代前半に確立し現在に至ったと考えるのが妥当だと思います。
「増田さん」って呼ばれて声の主の方を向いたんですよ。そしたらその子、前かがみで作業しててルミノアのカットソー着てるもんだから襟ぐりが開いててアンダーもブラのカップも浮いてるような状態でガッツリ見えちゃったんですよね。
谷間がチラっぐらいは過去何度も遭遇したことあったんですけど、ここまでのは初めてでびっくりしました。
本人は気付いてないようだし私もすぐに視線を外してふつうに会話して何事もなかったかのように振る舞ったんですけど、でもそれでよかったのかなと。
彼女ルミノアとかセントジェームスとか好きみたいでよく着てるしまた同じようなシチュエーション絶対あるだろうし「そういう襟の広い服着るときは気をつけたほうがいいよ」的なことを言ってあげればよかったんじゃないかと。
でも私と彼女の間柄でそれはハードルが高い。というか私の対人スキルじゃ無理です。絶対に恥ずかしい思いさせちゃうしキモいって思われちゃいます。
こういうときどうするのが正解なんですかね?
そんな経験は、私には残念ながら無い。
なぜなら、応援した、しているアイドルは今のところいないから。
アリータ バトルエンジェルが、公開される。公開延期になったけど。
感慨深いわぁ。20年前、ビジネスジャンプで連載中から、それだけを読んでいて、単行本集めて、打ち切りエンドで、ファ!?ってなったと思ったら、ウルトラジャンプで再開して、イブニングで新章始まったりして。その間には、銃夢HN事件もあったりして、ガッカリしたりして。
長い、長いなぁ。ガラスの仮面とかと比べたら、楽勝なんだろうけど。さらには、銃夢のマイナーさのため、一般人には話が通じない。
そんな漫画が、ジェームスキャメロンですよ。めっちゃ凄いやん。
もうね、例え中身がスカスカ、クソ映画だったとしても、映像化されただけで、大満足ですわ。
https://www.weblio.jp/content/waifu
waifu
非日本語使用者のアニメ、マンガファンの間で使われることの多い、お気に入りのキャラクターを意味する語。日本人のアニメ、マンガファンがお気に入りのキャラクターを「嫁」と呼ぶところから、英語で嫁を意味するワイフ「wife」を カタカナ英語風のローマ字表記に直したこの呼び方が生み出された。
なんとかは「俺の嫁」の嫁のところをwifeならぬwaifuというらしいです。
下記に例文が載っています。
例:
James is a hardcore wapanese, he thinks Sailor Moon is his waifu.(ジェームスは生粋の日本オタクで、セーラームーンを「俺の嫁」だと言いはる。)
女性の横乳から下乳にかけてのラインのことで、ここを刺激すると性的快感を得られるという。
2010年ごろからどこからともなく話題となり、近年ではスペンス乳腺の開発を題材としたAVも発売されている。
調べてみると、元は「スペンスの乳腺尾部」と言われており、その由来は「Tail of Spence」であろうと思われる。
https://en.wikipedia.org/wiki/Tail_of_Spence
「スペンス」とは19世紀の外科医ジェームス・スペンスのことだとある。
「ecstasy」「sexual」などで軽く検索してみたが快感について書いてある記事は見つからなかった。
Tail of Spenceの具体的な位置については写真で見たほうが分かりやすい。
どうも腋に向けて伸びた乳腺の一部を指しており、これって横乳とか下乳ではないのでは?と思うのだが、
朴 泳孝(ぼく えいこう、박영효(パク ヨンヒョ)、1861年7月19日 - 1939年9月20日)は、李氏朝鮮末期から大韓帝国期の政治家で、日本統治時代の朝鮮における貴族で実業家。日本名は山崎 永春。
目次 [非表示]
1 生涯
2 家族
3 その他
4 登場するテレビドラマ
5 脚注
6 出典
7 関連文献
生涯[編集]
判書大監朴元陽の子として京畿道水原に生まれる。金玉均らと共に開化党(独立党)を結党した。光緒5年(1879年)、金玉均らと共に李東仁を日本に密出国させ、日本の情勢を探らせた。福澤諭吉の支援を受け、光緒8年(1882年)、壬午政変(壬午軍乱)の謝罪のために派遣された謝罪使(副使は金晩植と金玉均であった[1])として日本に向かう船上で、現在の大韓民国国旗である太極旗のデザインを考案したとされる。朴泳孝が日本に派遣された4ヶ月間のことを記した日記『使和記略』によると、8月9日に仁川から日本船籍の明治丸に乗り日本へと向かった朴泳孝らは、船内でイギリス領事アストンとイギリス人船長ジェームスにそれまで国旗として提案されていた八卦と太極文様を描いた古太極図を見せて国旗について相談したところ、船長が八卦が複雑で区別しにくく他国がこれを見て作るのに不便であると述べたため、四卦を削り、残りの四卦を45°傾けて四隅に配した図案が提案され、大・中・小3本の太極旗が作られたという。8月14日、神戸に到着した一行は宿泊した西村屋にはじめて太極旗を掲げ、8月22日、太極旗小本とともに国旗制定を本国に報告したという。
帰国後は漢城判尹となり、開化政策を進めるが守旧派(事大党)の反対に遭って挫折。さらに光緒10年(1884年)12月にはクーデターで閔妃派からの政権奪還を図ったが失敗(甲申政変)、日本郵船の「千歳丸」で日本へ亡命。慶應義塾に隣接していた福沢邸に寄食し、転じて神戸に居を構えた。
光緒20年(1894年)に甲午改革が始まると、帰国して内務大臣となり、改革の中心的な役割を果たすが、開国504年(1895年)に謀反の疑いをかけられ、再び日本に亡命した。その後光武11年(1907年)に再度韓国に戻り、李完用内閣の宮内府大臣となったが、大臣暗殺陰謀の疑いで済州島に流刑処分とされた。
隆熙4年(1910年)の韓国併合後には侯爵(朝鮮貴族)となり、朝鮮貴族会会長(1911年)、朝鮮銀行理事(1918年)、朝鮮経済会会長(1919年)、朝鮮維民会会長(1919年)、東亜日報社初代社長(1920年)、朝鮮人産業大会会長(1921年)、朝鮮倶楽部の発起人(1921年11月)、京城紡績社初代社長、朝鮮殖産銀行理事、朝鮮総督府中枢院顧問(1921年)[2]、東光会朝鮮支部初代会長(1922年)、貴族院議員(1932年)など、日本統治下の朝鮮における要職を歴任した。昭和10年(1935年)、 朝鮮総督府が編纂した"朝鮮功労者名鑑"に朝鮮人功労者353人のうちの一人に収録されている。
デーデデデ、デデッデデッ
ブブー!!!
そんな昨晩の夜更け、
そっとベッドの横に置き眠りにつくはずだった。
急に入った一報で私は目が覚めた!
なんか昨日はゲットワイルド界隈で、
どえらいことが起こったらしくって、盛り上がってたようね。
あーあ、
私もコンプリートゲットワイルドアルバム買っておけばよかったわ。
まあ、後の祭りね。
ゲットできなかっただけに。
うふふ。
変わり栄えしない定番、
これがあれば充分。
リッチな超ショックね!
朝はまだ寒いかしら?
気分によって、
煮出したり、水出しにしたりして
テイストを変えるの。
口当たりが違うから、
いろいろ比べると面白いわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「メジャーリーグ史において最も重要な40人」はアメリカの著名スポーツメディア「スポーティングニュース」が先日発表して話題となったもの。ソースはこちら。
The 40 most important people in baseball history, ranked | MLB | Sporting News
ここで挙げられている40人について調べてみたんだけど、筆者はMLBにそこまで詳しいわけではないので、何か誤認・誤訳があったらごめんな。
MLB史上最大のスター。驚異的なペースでホームランを放ち、MLBの野球を「ライブボール時代」へと変えた。当時、ブラックソックス事件により信頼を失っていたMLBは、ルースの人気によって復活し、さらにはアメリカ最大のスポーツにまでなった。
近代MLBにおける初の黒人選手。ニグロリーグで活躍した後、1947年にドジャースでMLBデビューして、MLBの「カラーライン」を打ち破った。またMLBの初代新人王でもある。
1920年、ブラックソックス事件の収拾を図るために、強大な権力を有するコミッショナー職が新設され、判事であったランディスが就任した。事件に関わった8人の選手は永久追放とされ、その厳格な対処がMLBの信頼回復に繋がったと考えられている。
1900年にアメリカンリーグを創設し、現在まで続くMLBの2リーグ体制を作り上げた。審判に権力を与え、違反行為に厳しい罰則を課すことで、クリーンなイメージを生むことに成功した。強権的な性格から、のちにランディスと対立して辞任した。
カージナルスやドジャースのGMを歴任し、MLBで初めて選手育成のためのファーム制度を整えた。また、ジャッキー・ロビンソンと契約して、黒人選手がMLBに参加する道筋を作った。
1966年、エコノミストとしての経験を買われてMLB選手会の代表に就任し、最低年俸の増額、選手年金の拡充、そしてFA制度の導入に貢献した。彼の在任期間中に選手の平均年俸は1.9万ドルから32.6万ドルにまで向上した。
スポーツ用品のSpalding社を興し、ナ・リーグ創設にも関わった。初めて野球のルールブックを出版、ボールの標準化に努めるなど、初期のMLBの発展に尽力した。野球選手としても超一流で、通算勝率のMLB最高記録を保持している。
シカゴ・カブス(の前身)の社長であり、1876年のナショナルリーグの創設者の一人である。のちにナ・リーグの第二代会長に就任して公正かつ厳格な運営を行い、MLBの基盤を作り上げた。スポルディングとは盟友だった。
黒人野球チームのスター選手であり、また球団オーナーとしても成功した。彼の呼びかけによって、1920年にニグロリーグが設立された。「ブラックベースボールの父」と呼ばれる。
野球評論家・統計家で、「野球の父」とも呼ばれる。ボックススコアを考案して試合の記録を取り、「打率」などの指標を提唱した。またスポルディングのもとでガイドブックを刊行するなど文筆活動も盛んに行い、野球の普及に多大な貢献をした。
元はブルワーズのオーナー。MLB選手会とオーナーの対立が激化していく中で、1998年(実質的には1992年)に第9代MLBコミッショナーに就任。リーグの再編、収益分配制度の導入、オンライン配信の開始などにより、就任前と比較して5倍以上とも言われる空前の収益をMLBにもたらした。
ドジャースのオーナー。冷徹な経営者であり、1957年に球団をブルックリンからロサンゼルスへ移転させた。それによりアメリカ西海岸における野球ビジネスを開拓し、経済的には大成功を収めたが、ブルックリン住民からは深く恨まれた。
1977年から1988年まで刊行した「Baseball Abstract」を通じてセイバーメトリクスを提唱した。米国野球学会(SABR)のデータと統計の手法を用いて、RCやRFなどの様々な新しい指標を作り出した。
1974年、ドジャースの選手だったトミー・ジョンに、自らが考案した靭帯再建手術を施し、それを成功させた。この手術は「トミー・ジョン手術」として、いまでは広く施術されている。また、1990年には肩再建手術も成功させている。
ブレーブスで活躍し、ベーブ・ルースの記録を超える通算本塁打755本を放った。黒人のアーロンが白人のルースの記録を破ることには反発もあったが、彼はそれを乗り越えた。通算打点2297点は現在でもMLB記録である。
ヤンキースに所属し、当時の記録である2130試合連続出場を達成して「鉄の馬」と呼ばれた。しかし筋萎縮性側索硬化症に苦しみ引退、そして37歳の若さで亡くなった。背番号の「4」はMLBで初めて永久欠番となった。
野球クラブのニッカーボッカーズや全米野球選手協会(NABBP)において、チームの人数や塁間の距離、一試合のイニング数、バウンドルールの撤廃など、基本的なルールの策定に貢献した。遊撃手のポジションの創始者とも言われる。
(野球ルールの策定に関してはアレクサンダー・カートライトの名前がよく挙がるが、現在ではドク・アダムスを評価する声が多いようだ)
ニグロリーグで活躍した後に、MLBで最初の黒人スカウトとなり、最初の黒人コーチとなった。ニグロリーグ野球博物館の設立や、ドキュメンタリーへの出演、多くのインタビューを通して、ニグロリーグへの関心を高めることに尽力した。
MLBにおけるヒスパニック系選手の先駆けであり、中南米出身で初めてMLB殿堂入りした。慈善活動中の飛行機事故により38歳で亡くなり、そのため慈善活動に貢献した選手に贈られる賞にその名が冠されることになった。
肩、肘、膝に関する整形外科医。1985年、ロジャー・クレメンスに施術した関節鏡手術で脚光を浴び、以降もスポーツ医学の権威として数多くの選手の手術を担当している。
「シューレス」の異名で知られるMLB初期の名選手。しかし、MLB最大の八百長事件であるブラックソックス事件に巻き込まれ、MLBから永久追放された。ファンは彼に同情的であり、いまなお悲運の選手として記憶されている。
最多安打4256本や最多出場3562試合などのMLB記録を持つ「安打王」。しかし、引退後の1989年に野球賭博に関わっていたことが発覚し、MLBからは追放された。
走攻守すべてに優れたMLB史上最高のオールラウンダーであり、当時MLBにおいて台頭しつつあった黒人選手の代表格でもあった。オールスター24回出場は最多タイであり、「オールスターはメイズのために作られた」と評された。
1901年にアスレチックスの初代監督に就任すると、それから1950年まで指揮を取り続け、5度のワールドシリーズ制覇を成し遂げた。もちろん監督の就任期間としてはMLB史上最長である。
上院議員、ケンタッキー州知事、そして第二代MLBコミッショナー。ランディスが黒人参加に否定的だったのに対して、チャンドラーは進歩的であり、1947年にドジャースおよびジャッキー・ロビンソンを支持し、その契約を承認した。
連邦最高裁判所の名判事として著名。1922年、球団が選手の移籍を制限できる「保留制度」について、それが反トラスト法に該当しないとの判決を下した。これにより、現在までもMLBは反トラスト法適用免除の特例として扱われている。
1900年にパイレーツのオーナーとなった。その後のナ・リーグとア・リーグの対立を調停し、「ワールドシリーズ」を提唱して1903年の初開催に尽力した。また1909年に、鉄筋コンクリート製の近代的な球場を建設したことでも知られる。
スコットランド出身のビジネスマン。1934年、野球発祥の地であるクーパーズタウン(これはスポルディングが広めたデマであるが)に野球博物館を作ることを思いつき、そのアイディアがアメリカ野球殿堂の元になった。クリーランド自身は野球に全く興味がなかった。
レッドソックスで活躍し、MLB史上最高のバッターの一人とされる。最後の4割打者であり、通算出塁率.482はMLB記録である。1970年に刊行された、自身の打撃理論を記した「The Science of Hitting」は、後の多くの打者に影響を与えた。
大学で統計を学び、1969年にスポーツ百科事典「The Baseball Encyclopedia」を、1974年からは「Sports Encyclopedia: Baseball」を毎年刊行し、高い評価を得た。他にサッカーやバスケットボールの百科事典も編纂している。
ジョン・マグローらと並んでMLB史上最高の名将とされる。ホワイトソックス、アスレチックス、カージナルスの監督を歴任し、ワールドシリーズを3度制した。データを駆使した細かな継投を得意とし、現代的な「クローザー」というポジションの確立に貢献した。
MLBで首位打者を獲得するなど活躍し、引退後は監督となった。1934年に日本の野球チームと対戦したとき、相手チームに「ジャイアンツ」というニックネームを贈った。1949年に訪日した際にはチームを率いて全国巡業を行うなど、戦後日本に野球を広めるのに貢献した。
アストロズのオーナー。1965年、世界初のドーム球場・アストロドームを建設し、さらにドーム球場では天然芝が使えないために、人工芝アストロターフを開発した。人工芝は70年代に流行し、その走りやすさからMLBの野球をスピーディなものに変えた。
MLBのインターネット部門であるMLB Advanced Media社(MLBAM)のCEO。MLB.comを運営し、試合のオンライン配信や、チケットの販売などを開始したことで、巨額の利益を上げている。
1998年のサミー・ソーサとの最多本塁打争いにより、1994年のストライキで低迷したMLBへの注目を取り戻した。最終的に70本塁打を放って当時の新記録を作ったが、2005年頃からステロイドの使用が確実視されるようになり、その名声は失墜した。
1969年、カージナルスに所属していたフラッドはトレードを拒否し、マービン・ミラーと共に「保留条項は反トラスト法違反であり、トレードは無効である」との訴訟を起こした。裁判には敗れたが、この事件をきっかけにFA制度が導入された。
日本での任意引退を経て、1995年にMLBのドジャースと契約した。30年以上前の村上雅則を除けば、MLBで長年に渡って活躍した初めての日本人選手であり、その後も続々とMLBに移籍する日本人選手たちの先駆けとなった。
1977年のワールドシリーズで、当時のMLBコミッショナーだったボウイ・キューンは、女性記者であることを理由にラットクの取材を許可しなかった。彼女は平等な取材を求めて訴訟を起こし、勝利した。これ以降、全てのチームが取材に制限を設けないようになった。
1920年、カージナルスの選手だった彼は、野球用品メーカーとして有名なローリングス社に、グラブの親指と人差指のあいだに「網」を貼るべきだと提案した。これにより現在の形の野球グラブが完成した。
2002年、レッドソックスのGMに史上最年少となる28歳で就任する。2004年のWS優勝で「バンビーノの呪い」を打ち破ると、2012年には新たにカブスの球団社長となり、2016年のWS優勝で「ビリー・ゴートの呪い」までも打ち破ってみせた。
「小説家になろう」のジャンル再編の影響で、「ハイファンタジー/ローファンタジー」の定義について議論になっている。
http://syosetu.com/teaser/genre/
問題の原因は、「ハイファンタジー」の定義が、「異世界を舞台としたファンタジー」と「異世界の歴史や文化が作りこまれた重厚なファンタジー」とに分裂している点にある。特に、後者の定義を採用している人物が、Web小説やライトノベルのファンタジーを指して「あんなものはハイファンタジーではない」と発言し、周囲の反発を招くことが多い。以下、便宜的に前者を「舞台」派、後者を「重厚」派と呼ぶ。
まずは「小説家になろう」の定義を見てみよう。ジャンル改編に際しての説明の中で、「なろう」の運営は「ハイファンタジー」を以下のように定義している。
ローファンタジー
つまり「舞台」派である。異世界転移系の扱いについて当初は混乱があったが、「主な舞台」が異世界であれば、異世界転移系でもハイファンタジーに分類するのが、「なろう」基準では妥当だと思われる(実際に多くの作品がそう分類されている)。
次にWikipediaを参照しよう。
ハイ・ファンタジー (High Fantasy) は、ファンタジーのサブジャンルの1つ。「異世界ファンタジー」と呼ばれる事もある。
独自の世界観や歴史をもつ架空の世界(異世界)を主な舞台とし、現実世界(の直線的な歴史や風俗)とはかかわりが薄いのが特徴の物語で、ロー・ファンタジーと対比して使われる語句である。明確な定義ではないが、
ただし続けて、
として、「その世界に生きる者や世界の成り立ちそのものから作られている」「作品傾向としては重厚」「シリアスなトーンで進行する」「叙事詩(エピック)的である」「勢力の壮大な対抗をテーマとする」などの特徴が挙げられている。「重厚」派にも配慮した記述と言えよう。また、異世界転移系は基本的にはハイファンタジーに含めるが、ときに分類されないことがあるとも書かれている。
英語版のWikipediaも見てみよう。筆者に英語力は皆無なので誤訳もあろうかと思うがご容赦願いたい。
High fantasy is defined as fantasy set in an alternative, fictional ("secondary") world, rather than "the real", or "primary" world. The secondary world is usually internally consistent, but its rules differ from those of the primary world. By contrast, low fantasy is characterized by being set in the primary, or "real" world, or a rational and familiar fictional world, with the inclusion of magical elements.
ハイファンタジーは「現実世界」とは異なるもう一つの架空の世界を描いたファンタジーとして定義される。異世界の内側には一貫した法則性が存在するが、それは現実世界のものとは異なっている。対照的にローファンタジーは、現実か、もしくは現実に近い架空の世界の中に、魔法的な要素が内包されるという点で特徴づけられる。
ハイファンタジーにしばしば含まれる特徴的な要素として、「特別な才能を持った主人公」「ビルドゥングスロマン」「善と悪の対決」「エルフ・ドワーフ・ゴブリン・ドラゴンなどの種族」「魔法使い」「人工言語」などが挙げられている。
また、「異世界召喚もの」である『ナルニア国物語』は、こちらでもハイファンタジーに分類されている。
「重厚」派の一部には、「エルフやゴブリンが出てくるようなゲーム的なファンタジーは(始祖たる指輪物語を除いては)ハイファンタジーとは言えない」とか、「善なる英雄が悪を倒すというようなファンタジー(いわゆるヒロイックファンタジー)はハイファンタジーではない」とする者たちも存在するが、英語版Wikipediaの記述は彼らの主張とは異なるように思われる。
ローファンタジーの項目では、
The word "low" refers to the level of prominence of traditional fantasy elements within the work, and is not any sort of remark on the work's quality.
「ロー」という言葉は、作品内における昔ながらのファンタジー要素の度合いについて語っているもので、作品の品質についてのことではない。
などとわざわざ書かれていることにも触れておこう。
ちなみに英語版Wikipediaが「High Fantasy」の命名者として指定しているLloyd Alexanderのエッセイ『High Fantasy and Heroic Romance』(1971)はこちら。
In modern literature, one form that draws most directly from the fountainhead of mythology, and does it consciously and deliberately, is the heroic romance, which is a form of high fantasy.
現代文学において、神話という水源から最も直接的に流れを汲んだ一つの形態として、それは意識的かつ意図的なものだが、ハイファンタジーの一形態であるヒロイック・ロマンスがある。
微妙に訳しづらいのだが、要するに「神話を源流とするヒロイック・ロマンスはハイファンタジーの一形態である」としてしまってよいのか。
さらにヒロイック・ロマンスで高い評価を得ている作家として、『世界のかなたの森』のウィリアム・モリス、『ペガーナの神々』のロード・ダンセイニ、『ウロボロス』のエリック・エディスン、『マニュエル伝』のジェームス・ブランチ・キャベル、『ナルニア国物語』のC・S・ルイス、『永遠の王』のT・H・ホワイト、そして『指輪物語』のJ・R・R・トールキンらの名前が挙がっている。
ハイファンタジーの定義を具体的に説明している箇所は無く、あまり参考にならないような気がする。
実際に「ハイ=異世界」「ロー=現実世界」が明確に定義された最初期の例としては、R.H.BoyerとK.J.Zahorskiによって編纂された『Dark imaginings』(1978)の序文がある。
Dark imaginings: a collection of Gothic fantasy - Google ブックス
Dark Imaginings is also unique in bringing together two distinct types of fantasy under one cover: High Fantasy with its imaginary, secondary worlds and Low Fantasy with its realistic primary world.
想像上の異世界を扱ったハイファンタジーと、現実的なこの世界を扱ったローファンタジーという、二つの異なるファンタジーの類型を一冊にまとめている点もDark Imaginingsの特徴です。
これで少なくとも「舞台」派の用法が、ごく最近になって現れたものではないということが分かる。
もちろん、これをもって「重厚」派が完全に否定されるわけではない。
昔は「異世界を舞台にする」といえば「異世界の歴史や文化を作り込む」のがほとんど自明だったのだろうし、また現在ほどの多様なファンタジーの形式を想定していたとも思えない。
ただ、とにもかくにも現代においては「ハイ=異世界」「ロー=現実世界」という区分けのほうが、より明確で、より普及し、より平和であることは間違いない。
追記。
「ハイファンタジー」「異世界ファンタジー」を巡る問題についてはこちらも参照のこと。
『ロードス島戦記』は異世界ファンタジーではない……のかもしれない。 - 限界中年生存日記(仮)
追記2。
「舞台」派を採用するならば、多くの「なろう」系作品はハイファンタジーで問題ないと思われる。
多くの場合、ナルニアはハイファンタジーに分類されるのであるし、主人公の知識が現実に由来するものであっても、作品の舞台が異世界であることは紛れもない事実だからだ。
たとえば、ハイファンタジーの代表格たる『指輪物語』の世界は、現実の地球の古代の姿であることが明言されている。
『ハリー・ポッター』シリーズのホグワーツ魔法魔術学校は、まるで異世界のように描かれつつも、設定では「イギリスのどこかにある」とされる。
機関車トーマスとは機関車に顔があり人間と会話もできる機関車のお話だが、たまに捨てられた機関車が出てくる。
例えば日本から来たヒロはかつて鉄道の英雄と呼ばれていたが故障をし、修理を待っていたが治されないまま森に打ち捨てられていた。
機関車が馬に引かれていた時代から走っていたスティーブンもスクラップ同然で放置されていた。
彼等は気が遠くなる時間を捨てられて過ごしていたのに人を一切恨まず働けることを喜んでいる。
ジェームスがスクラップ工場に行くことをぼやいていたら「本当にひどいわ、あなたまだ役に立つ仕事ができそうなのにスクラップなんて!」と言われるシーンもあった。
顔があり会話も出来て感情も豊かな機関車達に、放置やスクラップが出来るあの世界の人間って何だろう。
あと機関車にはそれぞれ運転手が乗っているがいつも機関車の自由意思で動いているのは何だろう、トンネルに生き埋めになった場面ですら運転手は無表情で冷静だ、彼等は機関車より人間らしくなくて恐い。
やれ、世界陸上やオリンピックで、メダル獲得か!?という男子マラソン選手が入賞すると、入賞どまりかーとみんなそれを称えず惜しがり、
陸連が悪い、箱根駅伝、あるいは駅伝自体が悪いと帰着しがちなのだけれど、そもそもメダル獲得か!?がとんでもなくおかしいという話。
まぁ、とりあえずこのデータをみよう。
1 2時間02分57秒 デニス・キプルト・キメット ケニア ベルリン 2014年9月28日
2 2時間03分13秒 エマニュエル・ムタイ ケニア ベルリン 2014年9月28日
3 2時間03分23秒 ウィルソン・キプサング・キプロティチ ケニア ベルリン 2013年9月29日
4 2時間03分38秒 パトリック・マカウ ケニア ベルリン 2011年9月25日
5 2時間03分59秒 ハイレ・ゲブレセラシェ エチオピア ベルリン 2008年9月28日
6 2時間04分05秒 エリウド・キプチョゲ ケニア ベルリン 2013年9月29日
7 2時間04分15秒 ジョフリー・ムタイ ケニア ベルリン 2012年9月30日
8 2時間04分23秒 アエレ・アブシェロ エチオピア ドバイ 2012年1月27日
9 2時間04分27秒 ダンカン・キベト ケニア ロッテルダム 2009年4月5日
ジェームス・キプサング・クワンバイ ケニア ロッテルダム 2009年4月5日
エリア記録
アフリカ 2時間02分57秒 デニス・キプルト・キメット ケニア ベルリン 2014年9月28日
アジア 2時間06分16秒 高岡寿成 日本 シカゴ 2002年10月13日
ヨーロッパ 2時間06分36秒 アントニオ・ピント ポルトガル ロンドン 2000年4月16日
ベノワ・ズウェジュヒエフスキ フランス パリ 2003年4月6日
北アメリカ 2時間05分38秒 ハーリド・ハヌーシ アメリカ合衆国 ロンドン 2002年4月14日
南アメリカ 2時間06分05秒 ロナウド・ダ・コスタ ブラジル ベルリン 1998年9月20日
オセアニア 2時間07分51秒 ロバート・ド・キャステラ オーストラリア ボストン 1986年4月21日
お分かりいただけたと思うが、アフリカ勢(正確にはケニア・エチオピア勢)というのは、もはや、他地域の選手がいくら努力しても太刀打ちできない高みにいる。
これは、果たして、陸連や駅伝を改革したところで追いつけるような話なのだろうか。
そもそも、箱根駅伝が悪いと言い出したら、瀬古はともかく、世界陸上派遣選手の大多数は箱根を目指した選手であること(市民ランナー川内すら)や
サムエル・ワンジルは何だったのかという話になる。
結局、男子マラソンで起こったことは、10kmで勝てる選手がマラソンに本格的に参加してスピードレース化したってことであり、
これが女子マラソンで起こっているのを、高橋・野口フィーバー後に日本人は目にしてきていると思う。
つまり、日本人離れしたランナーが現れない限り、もはやマラソンすら日本人にメダルは無理だろう。
入賞出来れば御の字というか、入賞はマストでなく、奇跡であることを認識しなければならない。
その上で、とんでもない才能が現れるまで、駅伝等で盛り上がって、金が回るようにしておいて、それに備えるというのがベストなんじゃないだろうか。
好きなSF短編で打線組んだ(http://anond.hatelabo.jp/20140604175240)
が楽しそうだったので、便乗。短編に限らずに打線組んでみました。
フランチャイズ小国家、凄腕ハッカー、スケートボードに乗った運び屋、仮想空間上のAI人格等々、わかりやすいサイバーパンク的ガジェットを詰め込みつつも説明臭くはなく、スピード感ある展開で一気に読めるエンターテイメントSF。よくできたハリウッド映画みたいで素直に楽しい。粘り強いバッティングと走力に裏打ちされた出塁率の高さから、不動の先頭打者。
バチガルピは、個人的には長編だとちょっとダレる感があって、そういう意味ではこの短編集の方が好み。ねじまき少女の世界観濃縮版「カロリーマン」、文明がゆるやかに崩壊する恐怖「第六ポンプ」が好み。現代を代表する作家の一人に数えられますが、独特のディストピア・バイオパンクを突き詰める職人気質。2番ショートで起用。
現代と地続きの近未来からスタートして、加速度的に変容する社会と人類が技術的特異点を迎えるまでを描く大作。ストロスはコンピュータ関連のジャーナリストってこともあって、ギーク文化との親和性も高そうなディテールが満載で楽しい。抜群の守備範囲の広さ、打てば長打を量産する勝負強さで3番に定着。
イーガンは短編が無難と言われてますが、この「順列都市」は素直に面白いと思う。荒唐無稽なアイデアを、超力技で煙に巻かれてなんとなく納得されられてしまう快感。本書冒頭の、コンピュータ上でシミュレートされた人格のコピーが、目覚めて状況を把握してから辿る思考過程を描いたシークエンスが最高で、10回は読み返してる。イーガンほど投手にプレッシャーを与える打者はそういないでしょう。ネクストバッターズサークルにいるだけでも圧倒的存在感。
現代SF・ファンタジーの最右翼(本人は左翼だけど)。スキンヘッドにピアスのイカツイ兄ちゃんです。一見ありふれたハードボイルド警察小説?と見せかけて「重ね合わされる都市」というとんでもない舞台装置、どうやったらこんなもの思いつくのか。さらにそれを言語化できる力量もすごい。
ここまででお分かりの通り、増田は現代SF好きです。が、この「地球の長い午後」は入れざるを得ない。遠未来、自転が停止した地球。動物と植物の力関係が逆転した異常な世界で、食物連鎖の下層で右往左往する人類の、圧倒的無力感。ベテランならではの味わい深さと駆け引きの巧さ。
6番・オールディスの直接的な影響下にある、椎名誠のSF三部作。の中でも、この「武装島田倉庫」が一押し。奇妙な生き物が跋扈する文明崩壊後の世界を、さまよい、戦い、逃げ惑う人間たちの群像劇です。これも何度も読み返してるな。漬汁がなんか旨そう。
海外文学方面では、現代SFにおけるイーガン的大正義ポジションを占めておられますマッカーシー御大の手による、核戦争後と思しきポストアポカリプス世界をさまよう親子を描いたロードノベルです。沈黙の音が聞こえそうなくらいの静寂と、真綿で心臓を締め付けられるような絶望と哀しみ。大変地味ですが間違いなく大傑作。
ギブスンといえば「ニューロマンサー」でありそれに続くスプロールシリーズなんでしょうが、増田はどうにもこの「ヴァーチャル・ライト」が好きでして。何と言っても作中に出てくるベイブリッジ。閉鎖された橋をホームレスが選挙して好き勝手に増設を繰り返し、無計画・無軌道に成長してしまった構造物…すてきすぎる。
増田の中では「柔らかいイーガン」という位置づけにあるんですけどどうでしょうか。「実存」をメインテーマに据えながら、幻想的・宗教的な色彩の強い作品群。ワンアイデアをじっくり煮詰めて、これ以上ないくらい適切に料理した佳作集。死ぬほど寡作なのが玉に瑕。最近何してんの。
増田的には究極のSFはステープルドンになるんじゃなかろうかと思っています。20世紀から20億年後までを俯瞰する人類史。これほどのタイムスパンで書かれた作品は他にないんじゃなかろうか。しかもこれ1930年の作品ですよ。半端ない。
そりゃね、この国の検察もひどいと思うよ。冤罪だの証拠のねつ造だの。
表になっているのは氷山の一角だという意見にも激しく同意する。
でも、だからといって片山氏を盲目的に擁護し、無理やり検察批判に繋げていいわけがない。
何でもかんでも陰謀陰謀って決めつけるその行為。まさに容疑者を犯人だと決めつける検察と一緒。同類ですよ。
ということで、ちょっと冷静に考えれば解消するであろう疑問点について、一つ一つ解消していこう。
自宅においてたら、送信してすぐ家宅捜索されると思ったからじゃないかな?
あるいは、自宅の電波等を傍受監視されていることを想定したのかもしれない。
尾行してたんだから取れるだろ?おかしいだろ?って言うけれども、埋めた場所をもう一度よく考えてみよう。
河川敷だよ?河川敷ってどういうところかわかるよね?見通しの良い場所です。
そんなところでぴったり後ろについて尾行ができるわけがない。すぐに気付かれるわ。100メートルでも200メートルでも離れた場所からしか、尾行出来ないの。
もちろん、大きな望遠レンズがついたカメラ何か持って来れないわけ。目立つわー、それ。僕が片山氏ならむっちゃ疑うね。振り返ったらいつもでっかいカメラ持っている人が(人は変わるだろうけど)こっそりついてきてたら。
そりゃコンデジくらいは持ってただろうけど。離れたところで撮っても鮮明に取れるわけがない。
一体何の罪で逮捕するの?スマホの不法投棄罪?現行犯で捕まえられるの?仮に捕まえられたとしても、別件逮捕だ!ってまた批判の的になるんじゃないの?
また③で述べたように遠くから尾行していた可能性があるので何をしているか良く分からなかったんじゃないかな?
片山氏を泳がせたかもしれないし、掘り返したところを捕まえるつもりだったかもしれないし、もしかしたらメール送信後、片山氏の行動を振り返って再調査して見つけたのかもしれない。
いろんな理由が考えられるけど、どれも不自然な理由には思えないな。
PC遠隔操作事件の時にも明らかになっていたけれども、Torは受信元からは送信元は分からないけど、送信元が判明したら、送信元からTorの接続履歴というのは分かる。
だから片山氏に嫌疑がかかってから、片山氏が利用していたネカフェから
行方不明って警察が発表しているわけではなく、弁護士、マスコミが連絡取れなくなっているだけ。
家で突っ伏して泣いているかもしれないし、外出してても尾行されているとは思う。
とりあえず、警察が行方不明だと発表してから、そのリアクションをしよう。
偶然、犯人と同じ江ノ島の同じ野良猫グレイ(ゆたかくん)に接触
偶然、iesys.exeのプロパティにあったHewlett-Packard Companyと同じ機種のPCをゆうちゃんが使ってた
偶然、開発環境も同じVisual C# Express2010だった
偶然、最後のウィルス2012年9月10日14時16分34秒を作成した直後の2012年9月18日に開発環境を削除していた
偶然、iesys開発フォルダ C:\Users\TKY-DEV-PC07_2 と同じアカウントTKY-DEV-PC07_2をゆうちゃんが使っていた
なおかつ、裁判では職場PCのHDDから「イベントログ」「ファイルスラック領域」「レジストリ」「USN Change Journal」などウイルス作成の多種類の痕跡が、整合性を保ったまま見つかっているし、専門家からそれら痕跡を第三者が遠隔操作で、意図的に残すことは難しいと鑑定されている。
そんな状況で、裁判では弁護士は検察に対して敵意むき出しで、裁判中に怒号や罵倒などを繰り返し、裁判官にかみついたりしてる。でも検察が出された証拠に対してはすべて認める手法?を取っていて、論理的な反論もできていない。
全然無罪遠いですわー。はっきり言って。犯人である蓋然性が高いと言わざるを得ない。裁判官からの心証もむっちゃ悪いと思いますわ。
メールの本文で無罪濃厚って書かれたのは、まさに片山氏が焦ってメールを送ったと思われないようにするために決まっているし、
スマホ、職場PC、自宅PC、ネカフェPC、すべてを遠隔操作・監視して、なおかつその痕跡を残さないなんていう超絶スーパーハカーの存在を信じているの?しかも、感染していたUSBメモリを物理的に消去することができるジェームスボンド的才能ももっている人物。あっ、ごめん、偶然か、偶然捨てちゃったんだよね。
とりあえず、そういうのはそのUSBメモリなり、遠隔操作されていた証拠なりを見つけてから主張しようか。OK?
一番ひどい妄想がこれ。皮肉で言ってる人も多いけど、ガチで信じてそうな人も多くてびびる。
何?警察は暗殺部隊でも養成しているの。上司の命令があれば、人を殺すこともいとわない人物が、公務員やってるの?すげーうける。
それに、片山氏を殺しても全然口封じにならないよね。だって真犯人が別にいるんでしょ?また真犯人からのメールが届いたらどうするの?幹部たちがぐぬぬっ、そう来るとは思わなかった……、てなるの?(笑)
以上、こんな感じで皆様の疑問はほぼ解決したのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?
とりあえず反論があればブコメでどうぞ。