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はてなキーワード: 久石譲とは

2024-03-02

久石譲Joe Hisaishiとか

なんとか英美里 ⇒ Emilyとかはまあわかるけど

譲治 ⇒ Georgeはやりすぎだとおもう

2024-01-08

anond:20240108150727

君たちはどう生きるか、地味だけど久石譲音楽がすごくいいんだよな。

あの人のジブリ音楽で一番好きかもしれない。

すごく抑えた雰囲気音楽が出しゃばらず映像にハマってるんだけどすごく印象的で心に残る。

から音楽賞を受賞しなかったのは残念だ。

2023-09-27

anond:20230927102002

青のり

"ヘーコキ"ましたね

私事宮崎吐夢

MINIMINI CHIMPO

バスト占いの歌

ソビエトマーチ

巨人桑田テーマ

まあぶっちゃけ鬱なときは寝ながらENYA久石譲でも聴いてりゃいいんじゃない

逆にジプシーキングスもいいぞ

ち~ん~ぽ♪お~お~♪ち~ん~ぽ!おおおおー♪

2023-09-11

anond:20230911114518

ありがとう、今度はポピュラー音楽定義が気になるけど少なくとも映画音楽(だけ書いてるわけじゃないけどそっち系)はたぶんポピュラー音楽から坂本龍一久石譲クラシックではないと言えそうだね

2023-07-22

君生き感想宮崎監督、『名作』をありがとう!~

自分宮崎駿監督に対する身勝手な期待とか甘えを供養するために書く。今作品は期待半分、不安半分という気持ちだった。宣伝なしということだったし、宮崎駿監督作品を事前情報一切なしで視聴できる機会というのはおそらく最初最後であろうと思ったので、早バレ等も避けるために数日SNS断ちして初日に見に行った。ただ映画館に向かう足取りの中で最後感じていたのは恐怖感だった。子供のころにもののけ姫を見たときの衝撃を再び与えられて、おっさんになった今再度、人生観を揺るがされるかもしれないと―。

さて、いざ蓋を開けてみると、途中まではリアル物なのかファンタジーのどっちなの?というドキドキや不安感。方向性が確定したとき期待感MAXとなったが、それ以上膨らむことはなくしぼんでいった―。

総論

美術アニメーションの美しさは申し分ないが、ストーリー感情移入できない半端な作りと言ったところで、結局、いつもの宮崎監督後期作品という他ない。今、振り返ってみると監督キャリアハイとしての作品千と千尋の神隠しあたりになるのだろうが、その千と千尋も後半から、この半端さの片鱗がある。例えば終盤、千尋は豚の中に両親がいないことを見抜くが劇中にその説明はない。しかしながら説明不足ではあっても、千尋とハクとの心のふれあいみたいなものが十二分に描かれているから、感情的に押しきれている。手を離すシーンとか思い出しただけで泣けるわ。

しかしながら、君生きはストーリーっぽいもの感情の揺らぎみたいな表現はあるものの、説得力というか、それ自体根拠がはっきりと提示されないから、大抵の観客は感情移入できずに戸惑いを覚えると思う。例えば劇中で主人公自傷行為や継母の拒絶が描かれるが、その感情の根っこが分からないので観客は困る。自傷もっと構ってもらいたかったのかな?とか拒絶はやっぱり連れ子がうざかったのかな?とか想像はできるけど見てる側はそれを確定させる要素がないから、多分こうだろうとか理由を補完して見ていくしかない。つまり作品に気を遣う状態になるわけで、それは相当きつい。忖度要求されるが、圧倒的な感情の「分からせ」がない(※)。監督が一人で突っ走ってる。観客は置いてけぼり。かつて宮崎監督は、見終わったあとに2階から出てくる感覚になるような映画がいいとか言っていたような気がするが(ソース探したが見つからず)、君生きは観客が一生懸命2階への階段必死に探すものの見つけられないまま塔の中で迷子になり、最後パヤオけが悠然と2階から出てくるという感じだろうか(画・浜岡賢次想像してもらいたい)。

あとはヒロイン?3人は多すぎる。実母に継母に婆さんでしょ?詰め込み過ぎて破綻する典型。正直、継母は全部削除して、序盤で実母エピソード増やして、実母を探しに塔に行く形にして、最後、実母ときれいに別れてで多少は形になったろうにね。もっとシナリオ段階で練ればいいのに…もったいない

もう一つ、主人公が大叔父と話した後に、急にインコに囚われてるシーンになるが謎過ぎる。壁につながれた手が映ってからの下にパンしたときに、実母でも継母でもなくお前かーいってなったのが一番面白かったかもわからない。宮崎監督過去インディジョーンズの潜水艦移動を批判していたが( https://ei-gataro.hatenablog.jp/entry/20131030/p1 )、それと似たり寄ったりだろう。いくら異世界?だからといってワープしすぎである

※ 宮崎監督とも対談したことのある養老孟司は「バカの壁」において強制了解という語をつかった(p.41)。例えば数学においては前提と論理を共有しているのであれば同じ結論に達せざるを得ない。ある定理証明を正しく説明されたのであれば、その正しさを了解せざるを得ない。そういった強制力を強制了解と呼んだ。そうした強制力は感情においても成立する。例えば電車子供が騒いでるのをぼけっと放置している父親がいたとして、普通はそれを理解できないが、もし父親が「実は母親病院で亡くなって帰る所で、これからどうしていこうかと悩んでいたところなんです」と説明されれば、事情理解できるだろう。事情が分かれば感情了解できる。それは物語を受容する過程でも同じことが言えると思う。

なお、この流れで養老他人気持ち理解できることを重視すると同時に、「個性」信奉を批判する。そんなに個性大事かと。存分に「個性」を発揮している人は病院にいるという。白い壁に毎日、大便で名前を書く患者がいるらしい。芸術的にみればすごいかもわからないが、現実的には大変迷惑でたまらないだろうとのこと。奇しくも本作においては継母の美しい顔が鳥糞まみれになる描写があるのでそういう個性的なスカトロジー芸術理解を示す人はいるかもしれない。

自分映画

こうした一見てんでバラバラに見えるような物語の断片も、もしかしたら宮崎監督だけには分かるのかもしれない。スピルバーグだか有名監督が誰にも分らない映画つくるのはホームムービー撮ってるのと同じだ的なことを言っていた気がするが、もしかしたら本当に宮崎監督ホームムービーを撮ってしまったのかもしれない。自分けがわかる映画作品を作れるとしたら、映画監督としては最高の贅沢だろう。自分用の映画私小説と言われたらなるほどという気もする。今回、宣伝がなかったという点でも符号する。これはもはや天才にだけ許された所業なのかもしれない(現実に実行可能という意味で)。

ナウシカだったと思うが、興行的に大失敗とはならなかったこから次の作品を作るチケットを手に入れたみたいな監督インタビューがあった気がする。ジブリブランド確立するまではコケたら次はない状態であったろうから興行面は大変重視されたことだろう。つまり天才大衆に合わせてくれていたわけであるしかブランド確立された今となっては、大衆を気にすることなく好きな作品を作れるというわけであるジブリ体制を維持できなかった点には目をつむるとして)。だから今もしかしたら「天才が本当にやりたかたこと」を我々は目にしているのかもしれない。

過去パヤオ感性としてはもっとアニメーション表現に全振りしたかったのだろうが、それじゃあ興行的に成立しないから、ストーリーもしっかりさせていたというのが過去の名作への向き合い方だったのだろうか。我々、一般大衆天才現実的妥協のお陰で、(大衆的には)名作となる過去珠玉を見せてもらえていたということなのだろうか。凡人が天才ちょっと付き合ってもらったという感じ。天才ちょっと退屈していたのかもしれない。大衆は今の退屈を嘆くのではなく、昔、天才に付き合ってもらっていたということを感謝すべきなのかもしれない。

この作品のそういった諸々の分からなさに対してなんとか理解しようとする感想や、なんとか説明しようとする解説記事などが上がっているのを見かけるが、なんとも物悲しい。めっちゃ面白作品を骨までしゃぶりつくしたい!という渇望からまれてくる文章はいい。例えばもののけ姫においては「『もののけ姫』を描く、語る 」というムック本があったのだが、それには一ファンから文筆家まで様々な人々の作品に対するとてつもない熱量で溢れている。でも味のしない作品をなんとかして食えるようにしたいという動機から解説を書いたり、それに群がることの虚しさよ。宮崎監督から面白いはずなんてことはない。権威主義的だし、もうそれは諦めて次に行こうよ。これを知っていれば、本当は面白いんだよって本気で思っている人もいるかも知れない。でもそういう解説必要とすればするほど、その面白さが作品内で素直に伝わってないことの裏返しである野球大谷いくらいからって彼の(打者としての)ファールや三振をありがたがったりしないでしょ?今回の打席は残念だったねでいいじゃんね。(もちろん宮崎監督場合、次があるかは分らんが)

「問い」として捉える

さて、作品表題に立ち返ってみると、これは疑問形である作品としては名作とはとても言い難い。しかし聴衆に対する問いであると捉えたらどうであろうか。物語がてんで成立していないのに問いかけを見出すことができるのか?うーん正直、自分には無理。味がしないんだから問われたとも感じない。

しかし確かに思ったことがある。それは、大叔父のようなお爺さんに期待するんじゃなくて、自分が見たい作品があるのなら、他にそれを提供してくれる別の人を見つけるか、もしくは自分で作るべきだということ。初めから品質保証なんてものはなかった。自分勝手に期待して、勝手失望しているだけのことである

すでに名作はあるのに、なぜおかわりを望むのか

最後に話がそれるが、しかしながらなぜ我々大衆は次々と名作を望むのであろうか。新作を批判すると「じゃあ、過去の名作繰り返し見とけや!」って言われるかもしれない。そう言われるとちょっと答えに窮する。何度も見ればストーリーも覚え、感動も薄れてくる。やっぱり初見の衝撃に叶うものはないということだろうか。それを再び味わいたくて次の名作を追い求めているのかもしれない。キリがないし、わがままだなって思われるかもしれないが、正直人としての性としか言いようがなくないか?そこを内省しだしたら仙人になるしかない気がする。

あとは現実がつらいからね。時には金払ってちょっといい気分になりたい!ぐらい許してほしい。こっちは作者の高尚な構想にがんばってついていく苦行やマラソンじゃなくて、自動で楽しませてくれるジェットコースターに乗りたいの!

で、初見という点で最近思っていることは「私の体験」を大事にすることが重要なんじゃないかと思っている。ゲームでもなんでもあまりレビューを見ずに体験するように心がけている。あらかじめレビューを見て他の人が面白い!星4以上!と言っている作品なら、安定して面白いかもしれないが、半分ネタバレのようなものではないか

若い人にはタイパを優先しすぎて自己の視聴体験プレイ体験を損なっていないかと問いたい。面白さの保険料として自身体験・感動を売っていないか?と。おじさんおばさんは子供のころに自分図書館で本を表紙で選んで借りた体験とか、ネットもない時代ゲーム屋で「クソゲーかも知れんがままよ!」と覚悟してゲーム買った記憶とかを思い出してほしい。そういう多少、損するかもと思ってもクソ作品を引く勇気をもって、一対一で作品と向き合う、ぶつかってみるということを時々でもした方がいい気がする。だから、今回、作品に対しては残念だったが後悔はない。純度100%の自分感想を持てた。展覧会的な感じでいろんなアニメーションを見せてもらったという感触では数千円も損したという気もしない。今後もどんどん色んな作品に触れていきたいと思っている。例えばポノックの次作品ちょっと子供向けだろうけど、子供と一緒に見に行こうかなと思ってる。

各論

ゲド戦記を思い出した

視聴しながら、ぼんやり宮崎監督ゲド戦記作るとしたらこんな感じだろうなと思った。影との戦いでゲドは船で移動するし、ところどころの魔法感や大叔父大賢者になったゲドのイメージだなと感じた。大叔父のイケオジ度は過去最高かも分らんので一見価値はあると思う。

東映アニメ長靴をはいた猫』を思い出した

インコ大王を追いかける時に螺旋階段を落とされるシーンがあったが、長靴をはいた猫での魔王主人公たちとの大立ち回りを彷彿させた。この作品監督宮崎ではないが、そのクライマックス部分は大塚康生との二人で原画担当した箇所であり、とにかく面白い( https://www.ghibli.jp/shuppan/old/pickup/nagagutsu/ )。1969年作品なので絵のきれいさはどうしても現代作品には見劣りするがアニメーション面白さは今でも通用する。未見の人はぜひ見て欲しい。君生きよりよっぽど面白いと思う。で、君生きでは大王ラスボスっぽくでてくるが大した戦いもなく終わってしまうのであっけない。長靴をはいた猫でのアクションを思い出しただけに、「あ、これだけなのか・・・」という虚しさが半端なかった。念入りに階段落とさせたり、序盤で主人公の着替え丁寧に描写するぐらいならもっと面白カット増やした方が良かったろうにって思っちゃう

音楽

使いまわし多いし、特に盛り上がる曲もなし。3日で作りましたと言われても信じるレベル久石譲も「これぐらいの作品ならこれでいいや」って感じだったと思う。絶対名曲ストック持ってるだろうと思うが、映像側がそれを引き出せなかったというのは至極残念に思う。米津曲も悪くはないけど、作為ちょっと鼻についたかな。いつも何度でもみたいな作品とのマッチ感は正直ない。と言っても作品の味がしないのでどうしようもない気もする。そういう意味では米津もかわいそう。

2023-07-16

君たちはどう生きるか なんか七面倒臭い感想ばっかりなので

別にそんな難しい話でもないよ。

倒すべきラスボスがいないだけで、十分にエンタメだったし楽しかった。

少年の成長を描いた話で、話の流れも千と千尋みたいなもんだし、難しくもなんともない。

近年レベルの上がりまくった日本アニメ界の他の映画と比べても、作画は滅茶苦茶いいし相変わらず久石譲音楽はすごくよかったし。


いちいち自伝だの言わなくて単純に楽しい映画でした。

10/10です。


楽しい映画から見に行くといいよ。

オタク男の子には特にいい映画だと思うよ。

2023-07-14

君たちはどう生きるか感想

自分もののけ姫くらいかリアルタイムで見て、振り返ってカリオストロ以降は全作見て、本やインタビューもそれなりに追っているまあまあの宮崎駿ファンです。

千と千尋の神隠し風立ちぬあたりがフェイバリットです。箇条書きで感想書いていきます

2023-06-29

久石譲音楽ガチ恋しているVtuberへの恋

なんなんだろうなこの想い

久石ノスタルジックを描いているだけなのに旋律Vtuberオタクの恋心を歌う

この気持ち多分星川サラにガチ恋している人なら正確にわかると思う

正反対なはずなのに、憧憬星川と重なって、心に突き刺さる

2023-03-01

クラシックって括りが雑過ぎてイラッとする。

管弦楽編成の楽器が使われてたら取り敢えずクラシックて呼びやがる。バロックロマンも、アンサンブル管弦楽オペラも全部クラシックで一括り。

下手すりゃ映画音楽まで「クラシック」扱いの始末だ。

ジョンウィリアムスマンシーニモリコーネ久石譲も素晴らしいBGMを書くけど、それはあくまムード映画の一要素であって、それ単体で主題を完結させる音楽作品とは異質なもの

とは言っても、エヴァ旧劇はバッハ引用なくしてあのムードは成立しないと思うし、ツァラトゥストラ2001年宇宙の旅で知ったという人も少なさそう。

ストラヴィンスキー辺りから近代音楽は、まあクラシック範疇にあるんだろう。でも、「クラシック音楽家」のショスタコーヴィッチは映画音楽も書いてたりもする。

ジョプリンは他の何物でもなくラグタイムと呼ぶのが相応しいけど、「クラシック」と言えなくもない?ガーシュインはどうだろう?

ともあれ、何でもかんでもクラシックと呼ぶのはやめて頂きたい。

2022-09-16

anond:20220915211514

久石譲とかジョンウィリアムズとか

作風ですかねー

あそこまで違ってて同じと認識させるのもそれはそれですごいよな

2022-06-21

宮崎駿久石譲庵野秀明鷲巣詩郎

みたいな映像監督作曲家ペアっていいよね

他にあったら教えてほしい

新海誠インディーズ時代天門と組んでたけど

メジャーヒットしてからRADWIMPSと組むようになってちょっと寂しい

2022-06-12

[]

スレタイ久石譲かい天才作曲家

0003 風吹けば名無し 2021/01/02 01:46:52

なかやまきんに君♪みたいな曲すき


派生

マザーフィールドBGMなかやまきんに君

というかワンフレーズが同じ長さの7拍で途切れるやつ全部なかやまきんに君

2022-04-21

修正:みんなありがとう】三大珍しい人が作ったゲーム音楽

ソニック・ザ・ヘッジホッグ中村正人ドリカム

DAIVA:浅倉大介

 OUT→ BURAI:Show-Ya

天外魔境坂本龍一 ←IN

  

しかった(というか人によっては入れ替わるであろう)候補

すぎやまこういち:当時「あのすぎやまが!」だったのかもしれないけど、今ではドラクエの人(俺の中ではずっとイデオンの人だけど)

タケカワユキヒデ:凄いんだけどゲーム知名度が……(じゃあDAIVAは?というツッコミは無しでw)

久石譲:正直迷ったが天外魔境シリーズという事で坂本龍一をIN

OPEDなどの歌を提供:残念だけど今回はゲーム中に流れる音楽で絞らせてもらいました

  

とりあえず三大では絞れないほど色んな人がゲーム音楽を作っていることがわかったので良かったです

知識をご披露いただいたみなさんありがとうございました

2021-10-07

次のドラクエ作曲家を考える

新垣隆

ゴーストコンポーザー時代の「クライアントからの依頼を再現する能力」は評価されるべき。その要求を達成しうる作曲家としての力量。現代音楽からクラシックまでの幅広いジャンルへの対応力。知名度も良し。

天野正道

特に吹奏楽からの圧倒的信頼感はその作品ひとつひとつの完成度の高さを抜きにして実現するものではない。日本では特にOVAジャイアントロボ地球が静止する日が有名か。新劇エヴァにも関わっているがおそらくタイトルほどの知名度はないと思われる。実現すれば長きにわたりタッグを組んできたワルシャワフィル演奏によるドラクエが聞けるようになるか。

久石譲

世界通用する人材としてはこの人を置いて他にない。ドラクエ世界もっと広めるなら避けては通れないかもしれないが作風作品に合うかは別問題

菅野よう子

TVアニメから大河ドラマまで、劇伴音楽としての業界外にも通じる知名度は随一。

服部隆之

「あ、服部さんだ」と聞けば分かる極めて個性の強い作曲家でおなじみ。I.Q.や王様のレストランなど。

宮川彬良

題名のない音楽会でたまに出演されるマツケンサンバでおなじみの方。劇伴での活躍が目立つが時たまに吹奏楽曲を書いたりするなど活躍の場を選ばない。

浜渦正志

ゲーム音楽現場に深く入り込み製作現場の実際に詳しい点が評価される。最近ゲーム音楽以外の作曲もしている。


実際はスクエニが金を渋ってそこらへんのゲーム音楽しか書けない作曲家だったり、オーケストレーションが不得意な人に任せてクラオタをがっかりさせる(が、囲いの批判なきエコーチェンバー現象有耶無耶になる)のがオチだろうけど、他にいる?

2021-09-22

一度でいいからやってみたいこと!

機械工学を学ぶ学生として、一度やってみたいことがある。それは...

久石譲「旅路」を聴き、タバコを吸いながら手書き製図すること!

気分はさながら天才技術者

しか現実は...

2021-07-15

anond:20210715214619

中田ヤスタカは別格として

そっち行くなら教授とか久石譲とかでいいと思う

逃げられたんだろうけど

レイハラカミ生きとけよ〜…。

2021-06-18

YOASOBIはアンコールを聞け

夜に駆けるばかりがかかりすぎているけど、YOASOBIの良さが最も詰まっているのはアンコールという曲だ。

音楽ちゃんと習ったことはないけが、これは断言してもよい。

YOASOBIの真骨頂ミニマルミュージックにある。

ミニマルミュージック定義自体曖昧な部分もあるが、基本的にはある特定の短いメロディリズムを周期的に繰り返し、それが少しずつ変化していく様子を楽しむという音楽ジャンルだ。

さて、ここでミニマルミュージック代表的一曲を紹介したい。

それがThe wind forestである

となりのトトロ「風の通り道」と言ったほうがぴんと来る人は多いだろう。

久石譲代表的な曲の一つであり、そして久石譲こそ、ミニマルニュージックの第一人者でもある。

このThe wind forestミニマルミュージックだと考えている人は実はそれほど多くない。

その理由は単純で、ミニマルミュージックしからぬドラマティックな展開と、サビのゴージャスさがこの曲にはあるからだ。

しかし、そうした演出面を削ぎ落とすと、この曲自体は実にシンプルメロディライン構成されていることがわかる。

その点だけに焦点を当てればこの曲は間違いなくミニマルミュージックであり、しかし、その定義に縛られないくらいに万人の心に響く曲として完成したのがこのThe wind forestである

まり久石譲ミニマルミュージックを突き詰めた末にたどり着いた一つの最終形がこの曲だと言えるのだ。

ミニマルミュージック面白さは、繰り返しと裏切りにある。

人間という生き物は何事に対してもパターンを見出そうとする習性がある。

その習性を逆手に取って、ほんの少し裏切ることで、人はそこに意外性という面白さを見出すようになる。

ミニマルミュージックは、まさにその意外性をひたすらに楽しむ音楽だと言える。

ではなぜYOASOBIの楽曲ミニマルミュージックで、YOASOBIの楽曲ミニマルミュージックとして完成度が高いのかを説明したい。

平たく言うと、昨今の一般的アーティストは曲の幅をもたせようとしたとき、あれでもなくこれでもなくとにかく詰め込もうとする。

展開を激しくしてその落差が才能であるかのような見せかけをしようとする。

聞いている側の人間は、そんな発想はなかった!と、それを才能だと勘違いする。

当然だ。自分を含め、音楽を聞くことはしても作ることをしない人間が大半だ。

料理と一緒で作る側の想像ができないから、思いもしないものが出てきただけで簡単に優れたものだと勘違いしてしまう。

音楽もそんな安っぽい市場で出来上がっている。

YOASOBIの楽曲は、まずサビがある。

そしてそのサビがその曲を作り上げる上での最もミニマル構成要素となっている。

それに対し、いわゆるAメロBメロは、そのサビを想定より少しずれた方向に展開させ、今度はそのメロディ同士がミニマル構成している。

まり一曲に、サビ、AメロBメロという3パターンミニマルミュージックが詰め込まれていて、それらを組み合わせて1つの楽曲として構成されているのだ。(それらをつなぐためのメロディ存在しているが、それらは基本的にどこかのメロディの転調である。)

それらを激しくドラマティックに展開させるわけではなく、ほんの少しずつ、期待通りから少しだけ外れるけどでも決して心地悪くならないように、とても細かく繊細に意外性が散りばめられることで作り上げられている。

そして、そうした楽曲に対して、ボーカルの幾田りらの歌声絶妙マッチしている。

彼女の声を単調と表現するのは乱暴だ。

歌がうまい=パワフルな歌唱力と考えられがちだが、彼女凄さはその歌声の安定感にある。

ある意味では機械的と捉えられるかもしれないが、決して単調なわけではない。

安定感の上に少しのゆらぎとうっかり見落としてしまいかねないような表現力が含まれている。

これを表現力に乏しいというには浅はかで、決して押し付けことなく、同じような繰り返しと思わせながらも毎回新しい発見をもたらせてくれるような実に繊細で表現力にあふれる歌声だと言える。

同じような繰り返しに見えて、ちょっとした変化や意外性に富んでいる。

そう。つまり彼女歌声のものミニマルミュージックのものでもあるのだ。

アンコール」を聞き終えた方は、次に「優しい彗星」を聞いてほしい。

夜に駆けるに比べれば展開もつまらない、メジャーでは受けないような曲かもしれないが、この曲をミニマルミュージックとして聞くと評価が変わってくる。

どこぞの評論家がYOASOBIの楽曲を安っぽいと表現していたように記憶しているが、クラッシックオーケストラが至高だとでも思っているのではないだろうか。

寿司屋に入ってフレンチのフルコースが至高だと言われても、だからどうしたとしか返答のしようがない。

恥ずかしいのはお前だ。

さて、この2曲を聞けば、YOASOBIのサウンドミニマルミュージックによって構成されているという仮説を理解してもらえるはずだ。

そうしたら最後に聞いてほしいのはこの曲だ。

ハルカ

最初からメロディがいきなり転調する様子は、まさにミニマルミュージックのそれだ。

そしてこの曲は、サビに入るときに再び大きく転調し、サビ終わりに再び、しかも幾度なく転調していく。

最近流行りの、ただの意外性を求めるだけのこびた転調ではない。

曲の最初にかかった1フレーズメロディがすべてのベースになっていて、ミニマルミュージック本来の気づかれないようなそれでいて意外性のある変化をすっとばして、変化し終わった形をいきなり見せてくるような転調なのだ

曲全体を聞き終わったとき、それが連続性のある転調と気づく。いや、気づかないでも一つの曲として心地悪くなく楽しむことができる。

そしてそれを一つの楽曲として破綻させることなく結びつけているのが幾田りらの絶対的安定感のあるヴォーカルなのだ

申し訳ないけど、YOASOBIはずっと食べず嫌いだった。

キャッチーメロディと、悪いけど面白みのない歌声になかなか食指が伸びなかった。

そんな中、夜に駆けるブームが終わった頃、埋もれていた楽曲が耳に届くようになって考えを改めた。

そして聞いているうちに、ミニマルミュージックの新解釈であるという仮説を立ててからは、俄然聞くことが楽しくなった。

誰の邪魔をするでもないようなかかりかたをしているのに、一度意識が向けばその構成面白さに引き込まれていく。

そんな不思議な魅力に気づいてしまった。今日ヘビロテが止まらない。

残念ながらこの曲調が売れる曲調ではないことだけははっきりとしている。

しかしながら、彼らの才能が詰まったこれらの曲に少しでもスポットが当たることで、彼らの才能がもみ消されてしまわないことを祈るばかりだ。

まずはアンコールを聞いてくれ。

それが面白いと思えたら優しい彗星を聞いてくれ。

その上でハルカを聞いたら、彼らの才能がどれほどのものかわかってもらえるはずだ。

才能が詰まっているのはアンコールだが、ハルカではその才能が爆発しているのだ。

ドラマティックでゴージャスな楽曲ばかりが名曲なわけではない。

現代ジムノペティといえるような彼らのミリマリズムを感じ取ってほしい。

2021-05-28

anond:20210527232928

さあ でかけよう ひときれのシート

会社名、所在地セルにつめこんで

同僚が残した 熱い想い

VLOOKUPがくれた あのエラー

作詞宮崎駿

作曲久石譲

https://j-lyric.net/artist/a000727/l01240d.html

2021-02-10

anond:20210210142301

そういえばジブリ映画音楽が好きで久石譲CD買ったら、ポップス的な曲を久石譲が歌ってて「思ってたんと違う」「お前が歌うんかい!」ってなったのを思い出した。

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