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2019-12-09

原作読者によるアニメ夜明けのブギーポップメモ4(13話)

(前)

https://anond.hatelabo.jp/20191209211700

第13話 「夜明けのブギーポップ 4」

STORY|TVアニメ「ブギーポップは笑わない」公式サイト

脚本鈴木智

絵コンテ演出斎藤圭一郎

作画監督:原科大樹

総作画監督筱雅律

来生真紀子と戦うために準備を整える凪。

もう人間ではなくなってしまった来生真紀子と凪が戦えば、恐らく凪は殺されてしまう。

まさしく無謀な戦いを挑もうとしている凪を見ているうちに、これまでの自分では決して選択し得ないような行動を取ってしまうモ・マーダー。

一方、来生真紀子対峙した凪は、病院を戦いの場にしないように、全力で自転車を走らせるが、来生真紀子の圧倒的な身体能力によって追いつかれ、組み敷かれてしまう。

来生真紀子は、凪を殴打しながら、恐怖を感じろと叫ぶのだが……。

原作5話「虫」後半および、エピローグ夜明けの口笛吹きREPRIZE」に相当。

アバン

自宅で「戦闘」の準備をする凪と、それを隠れて見る佐々木原作では、この時凪が住んでいるのは榊原から与えられたマンションだが、アニメは誠一と住んでいた一軒家のままということにしているようだ。

ピンクサイクリングスーツ?を着る凪(0:04)

こういう色なのは、まだ「炎の魔女」としてのスタイル確立される前だからなのか、それとも、絶縁体入りなのでいつもの黒いツナギとは別物という表現なのか。

自転車メンテナンス?改造?する凪(0:17

原作にはない細かい描写相手能力が分からない以上、準備を万端にしておくのは自然

一瞬で屋内に入り込む佐々木(0:27)

見逃しそうになるほど一瞬。というか、初見では見逃していた。なお原作では、佐々木マンション内には入っていない。

工作マットの上のスタンガンやハンダごてなど(0:28

タンロッドを改造、もしくは自作した跡。

荒々しく外へ飛び出す佐々木(0:57)

自分でも訳のわからない焦燥に苛まれて」いるのがよく伝わる。

誠一「人間は、統一された意志など〜」(0:59)

霧間誠一の(もちろん架空の)著書『人が人を殺すとき』の一節を、誠一自身の声で読み上げる。直前の、キョウと凪のセリフフラッシュバックと併せて、二人の言葉が誠一から引用であることを示している。

今回のアニメはどうやらテロップを使った演出をなるべく避けているらしく、霧間誠一の著書から引用基本的にこのようなセリフの形で行われている。当然、テロップ場合よりも尺の制約を大きく受けることになるわけで、原作の霧間誠一語録は、本筋に関わるもの外大半がカットされている。仕方のないことではあるが、もったいない

本棚の『人が人を殺すとき』(1:16)

他のタイトルは、「犯罪心理学」「〜想の中の心理学」「恥知らず傍観者」「生き抜く精神」。

いずれも、恐らくは霧間誠一の著書ではないが、「恥知らず傍観者」はブギーポップ原作者によるジョジョスピンオフ小説恥知らずのパープルヘイズ」を連想させる。

周囲を見回す凪(3:18)

逃走経路の確保?

警備室で監視カメラを見る佐々木(3:37)

原作では単に先回りして物陰から凪を見守っていただけだが、「物陰から」にも限界があることを考えるとこちらの方がいいか。床には警備員らしき人物が倒れている。

凪と対面する女医(の格好をしたピジョン)(3:55)

小柄な印象があったが、この時の凪よりは背が高い?

ピジョンライフルケースを見た佐々木想像(4:46)

麻酔銃で凪を狙撃し急患として運び込ませ、当直の医師としてゆっくり料理する計画(と思い込まされた)

これはあくま佐々木予測しかないが、はっきりと映像で見せてしまたこと、察しが良すぎること(ライフルケースを見ただけで「麻酔銃?」はさすがに)、本来佐々木能力が作中で説明されていないこと、などが重なった結果、原作未読者の中には佐々木能力を「予知」だと勘違いした人もいたらしい。言葉だけで説明するよりスマートな造りだとは思うのだが、難しいところ。

黒髪ピジョン(5:12

派手な髪色のデザインは、このシーンでのミスリードを想定したものでもあったのだろうか。

ピジョン「やっぱり、あんたは殺人鬼ね!」 佐々木「なんとでも言え」(5:17

オリジナルのやりとり。ピジョン言葉に一瞬目を泳がせ、凪の「あんたは本当は優しい人間だ」というセリフフラッシュバックを間に挟んでの言葉に、佐々木の諦念が感じられる。

眠っている?警備員(5:51)

来生の策にしては、何をしたのかよく分からない。単なる居眠りなのだろうか。

4階から降ってくる来生(6:00)

一応膝を使って衝撃を殺してはいるが、両足(しかも爪先)だけの堂々とした着地。効果音もズドンと力強い。

来生「ハーイ、お待たせ凪ちゃん」(6:03)

旧作アニメ放送当時のCM使用されたことでも印象深い名(?)シーン。今回も来生の禍々しさがよく出ている。

黒田案山子と鳩が〜」 ピジョン案山子相手は〜」(6:24

アニメではこの回想で初めて使われた会話。

ピジョン接触する来生(6:33

原作では回想で簡潔に済まされている部分を、具体的に描いている。

ゴミからエサを漁るカラス(6:47)

アニメではカットされた「霧間凪スタイル」の内容を意識したものだろうか。だとすれば気の利いたサービスで嬉しい。

来生「あなた人間になりたいと思わない?」「誰かが言ってたわ、人間は恋と革命のために生まれてくるのだって」(7:11

太宰治斜陽から

このような既存名言その他を用いたオリジナル台詞は、3話のブギーポップ弓道における美とは〜」があったがその唐突さに比べて、今回はピジョンの心の弱みに来生が付け込むという状況に、かなり自然マッチしている。

鈴?の音(7:27)

本作におけるブギーポップ出現の合図。

ピジョンスケアクロウ、迎えに来てくれたのね」(7:30)

口が動いているため、原作とは異なり一応は声に出して喋っている言葉のようだ。

逃げる凪と追う来生(8:19)

恐らくは、10話で黒田佐々木が通ったのと同じ道。佐々木と比べて来生の走り方は、獣のように野性味があるものとなっている。

街灯を足場に大ジャンプする来生(9:14)

10話の黒田連想させるが、黒田場合よりも街灯の破壊の度合いが大きい。

石礫を受けて倒れ込む凪(10:05)

原作では「水たまり」となっているが、この大きさだと沼か?

凪「人目を気にしなかったのは犯人じゃない〜」(10:43)

原作では、里香からの聞き込みの直後に提示された情報。ここに持ってきたのは、凪と来生のやり取りを増やすのと、意外な事実として突きつけることでミステリ解決編風の味付けをする狙いか

来生「あっはぁ!まさしく人は見かけによらないわよねえ!」(12:14)

表情といい口調といい、嫌味が絶好調

佐々木の部屋で偽装を行うピジョン(13:03)

物の少なさに佐々木らしさが感じられる部屋。

凪の冷静さに激昂する来生(13:18)

ここからの表情は一線を超えて「顔芸」の領域に入っている。少々行き過ぎな気もするが、強烈な印象を残すのはたしか

凪の腹を殴る来生(13:34)

腹パン

来生「何に失敗するっていうの?」(14:24

左手無意味プラプラさせる動きが妙に気になる。

凪「反撃にだよ」(14:38)

攻撃から「反撃」への変更。ニュアンスとしては分かるような気はするが……

水を通したスタンロッドによる電撃(14:41)

わざとバッグの中身をばらまいて、あらかじめ水の中に「通電物質」を溶け込ませていた、という設定はたぶんカット。ここはハライチ岩井勇気も残念がっていた。

赤熱して爆発するスタンロッド(14:55)

改造スタンロッドが一撃で壊れたという記述原作にもあるが、見た目で分かりやすくするためか、だいぶ派手な表現になっている。もう一本のロッドに持ち替えてさらに電撃で追討ちをかけるくだりはカット

来生に飛びついて関節を極める凪(14:59)

腕ひしぎ十字固め、でいいのだろうか。詳しくないので不安

腕がもげて逃げ出す来生(15:07)

アニメ身体欠損表現にうるさいと思っていたのだが、そうでもないらしい。一応、切断面は袖で隠れてはいるが。

ブギー「ここからは、僕に任せてくれ」(15:31

セリフと共に、沼から「泡」が浮かび上がる。

ブギー「急激な進化を遂げた肉体が電気衝撃によって〜」(15:53)

地の文情報セリフに変換。ブギーなら何を知っていてもおかしくないので便利。

来生「いつでもいいわよ!どこからでもかかってらっしゃい!」(16:18)

ここに関しては、狂気に歪んだ表情と声ではなく、堂々した態度に描いてほしかった……と初見では感じたが、原作を読み返すと、

それは、もはやかすれた声が破れかけている喉からひゅうひゅうと漏れているだけの弱々しい声だったが、しか彼女の耳にはそれは見事な口上として響いた。

ということなので、客観的映像化するならこれで正しいのかもしれない。また、怖がりとしての本性を取り戻した来生が、それでも約束を守るために「真剣勝負決闘」に臨もうとしただけで、「最も美しい瞬間」と言えなくもない。

ブギー「フィア・グール」 来生「恐怖喰らい、それが私の名前、なのね……」(16:25)

原作では地の文でのみ呼ばれていた名前を、最期の瞬間にブギーにより名付けられたという形で処理。イマジネーターやバットダンスなど、ブギーが世界の敵に名付けを行う展開は原作にもいくつかあるので、違和感も少ない良アレンジ

「そうかい」の直後に首切断という、無慈悲であっけない瞬殺の印象はやや薄れたが、ここはトレードオフなのでしかたないだろう。

キョウ「だから言っただろう」(16:41)

セリフ佐々木の心の中の幻だが、このキョウの姿は佐々木に突き落とされた瞬間のものか。

ブギー「君は、これからも続けるつもりなのかい」(18:59)

そう聞かれて、「そうだな……正義の味方かな」の時の黒田を思いだす凪。直後に映るのは、二人が初めて出会った「ガーデン」の現在光景

やけにもっちりしたブギーポップ(19:27)

もちもち。

ブギー「ブギーポップ?とでも名乗っておこう」(19:41)

たった今思いついた名前を、自分でも確かめるような言い方が絶妙。表情ははっきりと左右非対称。

直前に挿入される黒田の姿は、「泡みたいにすぐに弾けて消える、死に際のはかない願望だ。ずいぶん不気味だがな」の時のもの。このやり取りを原作から少しずらしてこの位置に持ってきたことで、凪とブギーポップ、二人のオリジンに共に黒田が大きく関わっていることが明確に強調された。

空間(19:58)

夜明けの口笛吹きREPRIZE」パート

ブギー「そもそも黒田慎平が霧間凪を救おうとしなければ、マンティコアや君が世に放たれることもなかったわけだ」(20:09)

オリジナル10話での、黒田施設RS22TTU襲撃の余波でマンティコアエコーズが統和機構から脱走した(二人はRS22TTUに囚われていた)、という話のようだ。

これが原作の設定と矛盾せずに済むかどうかはすぐには分からないが、少なくともアニメだけで見れば、エピソード同士の結びつきを強める意味でも、「いろいろなことが絡みあっている」という「夜明け」のテーマ的にも、良い改変だと思う。

ブギー「この世界もそろそろ限界だ」(20:26)

ブギーの口笛とエコーズハミングによる、マイスタージンガー合奏カット。尺を食うので仕方ないが、もったいない

エコーズ世界を遠くから見守っていきますよ。(略)あの人の代わりに」(21:12

紙木城直子の姿が挿入。順当な解釈ではあるが、「あの人」については、反響ではないエコーズ本人ではという意見も一応ある。

ブギー「まずは、歪んだこの世界から戻る方法ゆっくり考える」(21:23

原作は、「この、ゾーラギが壊した廃墟世界の元をつくった歪曲王と会うことになるか」。歪んだ〜と言っているので全く無関係とは考えにくいが、同じものを指しているのかは不明

アニメ最終話(歪曲王5)ラスト竹田と再会しているのもこの世界(とよく似た場所)なので、ブギーポップの待機場所的な扱いのようにも思えるが……

「笑わない」のラストで水乃星透子の飛び降り、「VSイマジネーター」エンドロール夜明けの光、そしてこの「夜明け」の「歪んだ世界」と、次のエピソードに繋がる要素が毎回最後に盛り込まれていることになる。

ブギー「実は僕自身、いつどこからたかは分からないんだ、戻るまで」(21:31

「歪んだ世界」に来るまでの話(ムーンテンプル)のようにも、現実世界で藤花の中に現れる前の話のようにも見えるオリジナル台詞ダブルミーニングでないのなら、たぶん後者意味なのだろうが、だとしたらもう少し明確にしてほしかった(「戻るまで」が少し分かりにくい)

目を離した隙に消えているエコーズ(21:46)

原作と違って、消滅の瞬間は見せない。

夜明けの光?の中に消えていくブギー(21:59)

口笛は無し。流れている劇伴がいいので不満はない。が、聞こえないだけで本当は吹いていると思いこんで見たいところ。

消える瞬間にいつもの鈴?のSE



総評

まず何よりも、情報の取捨選択がうまくいったエピソードという印象が強い。原作読者がアニメで見たい(であろう)部分の大半が的確に拾われ、原作で盛り上がる部分がアニメでも見せ場として扱われている。ここに関しては、原作の4(5−1)話構成と、アニメ4話という尺が噛み合ったのも大きい。

変更部分に関しても、大半はメディアの違いや時代問題で納得できる内容になっている。10話のアクションのような原作ではさほど情報量の多くないシーンの映像化は、原作読者のイメージと大きくズレるリスクもあるが、結果としてこのエピソードは賭けに勝った。そして、そういった積み重ねで作品への信頼が生まれてさえいれば、多少違和感を覚える部分があったとしても、肯定的解釈しようという気にもなるだろう。

良く出来ていたから良かった、みたいな当たり前の話をしている気もするが、ともかく、このエピソード存在だけでも今回のアニメ化には意味があったと、改めて思う。

原作読者によるアニメ夜明けのブギーポップメモ3(12話)

(前)

https://anond.hatelabo.jp/20191209210931

12話 「夜明けのブギーポップ 3」

STORY|TVアニメ「ブギーポップは笑わない」公式サイト

脚本鈴木智

絵コンテ川野麻美八田洋介

演出:のがみかずお

作画監督松本純平、青野厚司、志賀道憲、橋本浩一

総作画監督土屋

霧間誠一のもとに届いた一通の手紙。その手紙には、自らの死を予言する言葉とともに、霧間誠一への感謝が綴られていた。

霧間誠一の本と出会たことで、ずっと隠してきた生まれもった才能を少しずつ世に現そうと考え、その結果、社会の敵となってしまたこから最後にお礼を述べるために手紙を送ったという。

この手紙のことが気になった霧間誠一が、友人である榊原弦に調査を依頼すると、手紙差し出し人は手紙を送った翌日に命を落としており、彼には本当に不思議能力があったことが明らかになる。

原作4話「パブリック・エナミーナンバーワン」及び5話「虫」前半に相当。

この構成では「パブリック〜」はかなり割りを食いそうなものだが、出来事自体の省略は意外なほど少ない。元々が短い章であり、霧間誠一の内面での考察等が多めだからだろう。

アバン

霧間誠一と水乃星透子の出会い。

セリフ含めて流れは概ね原作通り。ただ、原作では「少女」の正体は章終盤まで伏せているが、アニメはここで既に水乃星の顔を見せている。どうせ声の問題で隠しようがないので、これで正解だろう。

また、原作のこの時の誠一の容貌は「どう見ても怪しい不審人物」となっているが、無精髭こそ生えているもののそこまでではない。

霧間誠一

いかにも人の良さそうな中年男性、という感じのデザイン

原作の初読時にも、それまでの巻で(架空の)著書の引用エピソードから形成されていた尖った印象からすると、本人は物腰が柔らかくて意外に感じたことを思い出した。

水乃星透子(小学生

「かなりの美人さん」というか、あざといほどのかわいらしさ。「黒っぽい服を着ていて、長い髪の毛を額の真ん中で分けて」という記述にも忠実。高校生時同様、黒ストを着用している。一種トレードマークか。

キョウ「前略〜」(2:02)

誠一が受け取った読者から手紙が、本人の声で読み上げられる。

アニメ本編内はもちろん、原作でもこの時点では名前不明少年だが、エンドクレジットでは後の「エンブリオ」で明かされる「キョウ」の名前記載されている。これは「エンブリオ」も何らかのメディア展開があり得るのではと、一部で期待されたのだが……

キョウ「きっと監視から刺客でしょう」(3:11

路地裏の闇からキョウを見つめる佐々木

榊原

誠一の友人であることは分かるだろうが、格闘家で凪と谷口正樹の師匠、という情報アニメ本編だけからはさすがに伝わりづらい。出番がここだけなので、分からなくても特に問題はないのだが。

霧間凪小学生

中学生からさらに順当に幼くした、という印象。エプロンをしていることから、この後の夕飯は凪の作ったもの

洗い物をする凪(7:18)

当番制なのかもしれないし、誠一の生活力の無さの表現でも別にいいのだが、小学生の娘が洗い物をしているのを座って見ている父親という図は、どこかの方面から怒られそうで心配になる。

誠一「監視者とやらが私にたどり着くのも〜」(8:09)

死を覚悟した誠一が、いざという時は弦を頼れと凪に告げる会話はカット

誠一と水乃星(8:17

アバンの続き。基本的に二人が会話するだけのパートだが、何度か水乃星が誠一との距離を変化させる動きがアクセントになっている。

誠一「4月に雪が降ることだってある」(9:02)

ハッとする水乃星。

一歩距離を詰める水乃星(9:30)

誠一の隣に腰掛ける水乃星(10:14 )

「どう見ても怪しい不審人物」の姿を再現しなくてよかった。

ベンチから立ち上がる水乃星(11:32)

水乃星「おじさん、名前はなんていうの?」(11:44)

オリジナル質問。この後に、本来はもう少し前の位置にあった誠一から質問を問い返しとして置くことで、水乃星の名乗りで前半を締める構成になっている。

水乃星「水乃星透子」(11:52)

水乃星といえば笑顔だが、ここでの表情はどうしても「ドヤ顔」と呼びたくなる。幼い頃からラスボスラスボス、という貫禄としてアリ。

「VS Imaginator PARTⅢ "Public Enemy No.1" closed.」

というテロップをここで出せれば最高だったのだが、英題どころか章タイトルのものが未使用はしかたない。

佐々木による誠一の殺害11:52)

原作の章構成自体にある程度そういう意図があるとはいえ、霧間誠一の死を媒介にして「パブリック〜」から「虫」へ自然に繋ぐのは上手い。

吐血して倒れている誠一(12:01)

振動能力による内臓破壊という説明特に無し。「笑わない」編で表向きの死因(「胃穿孔による内臓溶解」)が語られることもなかった。

誠一「凪、普通ということをどう思う?」(12:44)

原作では「笑わない」で既出セリフだが、アニメはここが初めて。

天井の角に張り付く佐々木12:54)

隠れ場所を「書斎の隣の書庫室」から変更したことで、遥かにインパクトがある画になった。

佐々木普通、か」(12:58)

原作でこのとき回想していたのは、キョウの死に際の方。そちらもすぐ後に回想がある。

佐々木ピジョンがいる店

原作では「ファーストフードドーナツ屋のボックス席」。

中学生凪(15:17

原作ではこの時点で既に黒いつなぎを着ているが、聞き込みなどをする格好ではないと判断したのか、黄色パーカー等に変更。

第一食品 営業部」(15:57)

佐々木の表向きの立場名刺第一食品という会社名はオリジナル

から佐々木と凪を見つめる来生(16:36)

原作では、強化された視力で500メートル先の二人もはっきり視認、というシーンだが、普通距離になってる?

凪「ナンパだよ、ナ・ン・パ」 佐々木「い、いや、ないですけど……」(18:11

後の伏線だけあって、しっかり戸惑った演技になっている。

佐々木「あー、いや、私は別に、その、怪しい者じゃなくて……」

直前のカット佐々木笑顔が、わざとかと思うほどに怪しい。

ファミレス「Jona○○○」(18:45)

後ろ数文字は画面外。

佐々木彼女、こう見えて26才なんですよ」(18:49)

年齢を聞かれた凪がしれっと26と答え、佐々木が「こけそうに」なる流れから変更。ギャグっぽくなり過ぎることを避けたのか、簡潔にして尺の節約か。

里香わたしは、子供の頃から怖がりでしたから」(19:57)

このセリフから連想で凪が前話での来生とのやり取りを思い出し、さら里香が凪たちと出会う直前の来生との遭遇を語る、という一連の流れはオリジナル

佐々木「会ったばかりで、なぜ君はそこまで」(21:18)

原作の「君の父親を殺しているんだぞ」に相当する感情を込めた、硬い声。

来生「ヒントはあげた。後は待つだけ」(21:46)

原作では、凪が来生にたどり着く根拠がやや薄いので、来生自身情報を与えておびき寄せたというアレンジで補強したものと思われる。

来生「その裡に、何もかも焼き尽くすような、炎のような〜」(21:58)

炎の魔女」に絡めたオリジナル台詞

(次)

https://anond.hatelabo.jp/20191209212847

2019-01-12

ブギーポップは口笛を吹かない」あるいは「木村明雄の消失

アニメブギーポップは笑わない」1〜3話および原作ライトノベルブギーポップは笑わない』の内容に触れています

TVアニメブギーポップは笑わない」が放送中だ。ほぼ20年前にスタートしたラノベ原作であり、アニメ自体は二作目だが、原作の内容に沿ったアニメ化は今回が初めてとなる。

さて、そんなアニメブギーポップの「ブギーポップは笑わない」(原作シリーズ一作目)編が、最新の第三話で完結となった。平均的なラノベアニメ化としては、原作1巻を3話で消化というのは、極端に速いペースというわけでもない。それでも、もともとが5話で構成された原作を3話に再構成する上で、大小さまざまな省略・変更が発生することは避けられなかった。

そのうち、特に目についた二つの変更点について、思うところを少し書いてみる。

「君と星空を」&木村明雄

上で述べたように、原作ブギーポップは笑わない』は5つのエピソード構成された物語となっている。一話にそれぞれ主人公視点人物)が設定されており、一つの事件複数人間の目から見ることで立体的な世界が立ち上がってくる、といったような、今となっては(当時でも?)さほど珍しくはない仕掛けだ。

原作構成及び各話の主人公はこうなっている。

ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム


これがアニメでは、

ねこういう形に変換されている。話数単位で大雑把に見れば、各パートの分量はともかく原作の流れを大枠では引き継いだ構成と言えるだろう。

ただひとつ原作第四話がその主人公存在ごと抜け落ちている点を除いて。

原作第四話は、木村明雄という男子高校卒業後(事件から二年後)に、当時「失踪」した紙木城直子と過ごした日々のことを回想する、という内容になっている。

木村は、紙木城の交際相手の一人(アニメでははっきりと描かれないが原作の紙木城は木村田中を含めて複数の男と付き合っている)であり、事件にはあくま彼女を通して間接的にしか関与していない。紙木城から保護したエコーズについての話も聞くことになるが、何かのたとえ話だとばかり思っていた。

紙木城の失踪後、色々あったもの普通高校卒業普通大学生として普通生活していた彼の元に一通の手紙が届くことで高校時代記憶が蘇り……という、1話竹田と同じかそれ以上に青春小説的な色合いが濃く、いわゆる「一般人」の目線から見た章となっている。

アニメ化にあたって、章はともかく仮にも原作主人公の一人を丸ごとカットするのはあまり乱暴に思えるが、ここには一応それなりに納得できる理由がある。

第一に、事件の真の姿あるいはその存在すら知らないまま全てが終わってしまっていた、という木村明雄の立場は、程度の違いこそあれ竹田啓司(一話)や末真和子(二話)と重複している。一人一人に見える現実には限りがあるというテーマを示すためには、この二話だけで既に必要最低限のノルマは達成していると言えなくもない。

第二に、竹田と末真は以後の巻でも登場している(末真は準レギュラーに近い)が、二人と違って木村明雄は今のところ少なくともブギーポップシリーズ内では再登場しておらず、カットしても今後の展開に特に影響がない。

第三。エコーズの素性に関する情報は、原作では第四話で木村が紙木城から話を聞くという形で最初に明かされる。物語の本筋との関係においては四話の存在価値と言ってもよい部分だが、アニメでは2話後半、紙木城と凪の会話でほぼ同じ内容が補完されている。これは、原作でもそのようなやり取りがあったと事件後に凪の口から語られていたものであり(木村自分にだけ話してくれたと思い込んでいたが)、オリジナル展開というより変則的原作再現に近い。木村カットしてもそういう軽度の改変で済む部分なのだ

驚くべきことに原作『笑わない』には、凪と紙木城が親友であるという情報こそあるが、二人が直接会話するシーンは存在しない。にもかかわらず、読者にはちゃん彼女らが親友同士に感じられていたというのは小説マジックというほかないが、ともあれ、今アニメで凪と紙木城の会話が追加されたこ自体ファンにとって喜ばしくさえある。

これらの理由から、『笑わない』をTVアニメ3話分に収めるために章と主人公をどうしても一つ削らなければならないとすれば、やはり第四話と木村妥当ということになるだろう。アニメスタッフ判断は間違っていない。

間違ってはいないのだが。

口笛

原作において、ブギーポップというキャラクターはいくつかの記号によって構成されている(もちろんその全てが記号還元され得るというわけではない)

都市伝説死神世界の敵の敵、黒い帽子と黒いマントと黒いルージュ、ワイヤー、そして口笛。

ブギーポップは、常にというわけではないが誰かの前に姿を現す時、特に世界の敵と向かい合う瞬間には、なぜか「ニュルンベルクのマイスタージンガー第一幕への前奏曲を口笛で吹きながら登場する、ということになっている。

過去メディア展開でも、多くの場合はこの口笛が再現されてきた。

実写映画はあらすじの時点で「口笛を吹く死神」と紹介されているし、旧アニメファントム)ではブギーポップ登場時の口笛はもちろん、次回予告のBGMとしてオリジナルアレンジマイスタージンガーが毎回使われ、最終回ではテルミンバージョン???)すら流れるという充実ぶり。

メインの使用キャラクターではなくサポートキャラとしての出演に過ぎない、格闘ゲーム電撃文庫 FIGHTING CLIMAX」でさえ、ブギーポップはやはり口笛を吹いて登場している(実際にプレイしているわけではないので又聞きだが、そのせいで攻撃判定の発生が遅いとかなんとか)

このように、「マイスタージンガー」「口笛」はこれまで原作の内外で、ブギーポップというキャラクター作品象徴する、代名詞と言ってもいい扱いをされてきた。

原作『笑わない』では、ブギーポップは二度口笛を吹いている。一度目は、一話の竹田屋上で会話をしている時。

第一話 浪漫の騎士 4 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

ブギーポップが口笛を吹き始めた。明るく、アップテンポな曲で、しかも呼吸に緩急があってすっごく上手だったが、しかし口笛なので、やっぱりそれはどこか寂しげだった。

 そして、藤花は口笛が吹けないことを思い出した。

うまいんだな。なんて曲だい?」

「〝ニュルンベルクのマイスタージンガー第一幕への前奏曲さ」

「なんだいそれ」

ワーグナーって大昔のやかましロマンチストがつくった、一番派手な曲だよ」

二度目は五話終盤、早乙女を失って荒れ狂うマンティコアに追われる新刻の前に姿を現す時。

第五話 ハートブレイカー 4 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

 恐怖のあまり、私はついにおかしくなった、と思った。

 幻聴が聞こえだしたのだ。

 現実にはあり得ないほど不自然な曲が、目の前の並木の植え込みから聞こえてきたのだ。

 それは口笛であった。

 しかも、口笛にはまるで似合わない曲、ワーグナーの〝ニュルンベルクのマイスタージンガーなのだった。

いずれも、古くからの読者には印象深いシーンだろう。

しかし、今アニメの「笑わない」編ではこれらの口笛演奏存在しない。ブギーポップは、一度も口笛を吹かなかったのだ。

これも木村同様に尺の都合なのだろうか?

マイスタージンガーといえば、あの、ふぁーふぁーふぁふぁーという力強いイントロが印象的な曲だ。口笛でいうと、ぴーひょーろろーとなる。最低限この、ぴーひょーろろーさえ吹いてくれれば、少なくとも原作読者には「あの口笛」だと一発で分かるし、初見視聴者にも、ブギーポップというのは口笛を吹くキャラらしいということだけはなんとなく伝わっていただろう。

前回のアニメや電撃FC使用された口笛バージョンマイスタージンガーで、ぴーひょーろろーの部分の所要時間確認してみると、せいぜい2〜3秒というところだった。2、3秒。もちろん1秒24コマで動くアニメ世界での2、3秒は、日常的な感覚のそれよりも遥かに長い時間ではあるのだろう。だが本当に、今回のアニメ「笑わない」編は、ぴーひょーろろーを挿入するだけの余裕が一切存在しないほどに緊密な内容だったのだろうか。

どうしても時間が足りないなら、いっそセリフを喋りながら同時に口笛を吹かせてもよかったのではないかブギーポップというのは、そのぐらいの物理法則を超えた無茶も読者視聴者笑って許してもらえるような、良くも悪くも異質なキャラだったはずなのだが。口笛のためにそこまで冒険するほどの価値はない、と判断されたのか。

これが、今回のアニメではブギーポップは口笛を吹かない存在として設定されているということなのか、それともあくまで「笑わない」編だけの変更なのかはまだ分からない。次回からの「VSイマジネーター」編ではしれっとぴーひょろ吹き始めたりする可能性もある。しかし仮にそうなるとしても、「笑わない」で口笛を吹かなかったという事実は、もはや取り返しがつかないのだ。

原作未読者の中には、口笛が無いとなにか物語の展開に支障が出るのか?という疑問を持った人もいるかもしれない。たしかに、どうしても口笛が無ければ成立しないという場面は、原作にもほとんどない。もちろん口笛自体に、特殊振動波か何かで敵の脳に直接揺さぶりをかける、などという実用的な効果存在するわけもない。はっきり言ってしまえば、口笛は基本的雰囲気づくりの賑やかしでしかないということになる。

その意味では、削る必要はないが削ったところでどうということはない要素だったのだ、とも言える。

言えるのだが。

昔語り+α

ここで唐突に昔の話をする。

ブギーポップがちょうど一度目のアニメ化や実写映画化をしていた頃のこと。とある個人サイトにて、「実写映画になるっていうから読んでみたけど単なる化け物退治の話だった」というような『笑わない』の感想を見かけた。当時の自分シリーズ純粋ファンだったので、そのあまりにも大雑把なまとめ方に、大雑把にまとめてんじゃねーわよ!と素朴に憤慨したものだ。

しかし、今にして思えばあの感想示唆である複数視点による眩惑を取り払った一本の話として『笑わない』の本筋だけを眺めてみれば、それはたしかに「単なる化け物退治」の話でしかないのだ。

では、自分を含めた多くの読者に『笑わない』を「単なる化け物退治」ではないと感じさせた、「本筋」以外の部分とはなんだったのか。それは、自分の進路について語る竹田とそれを半ば無責任肯定してくれるブギーポップであり、

第一話 浪漫の騎士 4 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

「へえ、君は受験しないのかい

「うん。親父の知り合いでデザイン事務所をやってる人がいて、ずっとバイトしてたんだけど、その人が〝おまえは見込みがある。センスを感じる〟とか褒めてくれてさ、大学なんか行かずに俺のところに来いって言うんで」

「すごいじゃないか親方に見込まれ職人ってヤツだな」

“対決”を望んで走る末真であり、

第二話 炎の魔女、帰る 3 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

(そうよ──中途半端はもううんざりよ!)

 霧間凪はほんとうに魔女なのかも知れない。でも、それこそ望むところだった。

「No One Lives Forever」を口ずさむ早乙女であり、

第三話 世に永遠に生くる者なし 5 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

「……誰も、誰も、誰も、誰も、誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も………」

新刻の意志の強さを賞賛するブギーポップであり、

第五話 ハートブレイカー 4 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

しかし、新刻敬──君の意志の強さは見事だ。君のような人がいるから、世界はかろうじてマシなレベルを保っている。世界に代わって感謝するよ」

そして、木村であり口笛であり、そういった一見取るに足りない枝葉こそが作品の印象を形成していたのではないか

枝葉とは言うものの、ひたすら枝と葉を切り落として純化していった先にあるのは、ただ一本の幹だけがまっすぐ天を突く寒々しい樹の姿だ。口笛や木村が本筋に不必要だというなら、ブギーポップあんな格好をしている必要別にない。『笑わない』のプロトタイプとなる作品には早乙女存在していなかったともいうし、この巻に限って言えばブギーポップだって無くても成立しそうな内容だ(シリーズ全体で見てもブギーポップ世界設定の中で異物として浮き続けていている)。必要不要物差し物語を測れば究極的には、そもそもアニメ化する“必要”とは……?原作が書かれる“必要”はあったのか……?という不毛なところにまで踏み込みかねない。

ブギーポップというシリーズは、ことに『笑わない』は、この「剪定」の影響を大きく受けやす作品であるように思う。本筋に関わらない細部が、作品本質とは思いがけなく深く結びついてるかもしれない、という面倒くささがある。アニメ側にとっては、原作の味を再現するためにどこを切ってどこを残すべきなのか、という判断が非常に難しい題材だったのではないか

いや、ブギーポップに限らずどんな作品であっても、ファンアニメ化や映画化などのメディア展開のたびに、アレがないと○○本来の良さが失われてしまう!と感じてはいるのだろうけど。

まとめ

木村明雄の省略に関しては、大きな変更ではあるし非常に残念ではあるが、三話という尺を考えれば致し方ない(そもそも『笑わない』を三話でというタイト過ぎる構成の是非はともかく)

口笛に関しては、小さい部分かもしれないが逆にそんな小さいところを敢えて削る意味が分からないし、監督でもシリーズ構成でもプロデューサーでもいいので早めに誰かに何らかの説明をしてもらいたい。

ということになる。

原作から変えること自体は、いい。メディアの違いに加えて、予算時間など様々な制約もある以上、どうしたって変えざるを得ないところは出てくるだろう。だが、その変更に意図というか大げさに言うと「思想」があまり感じられないのはちょっと困る。原作から変えてまで実現したかたこととは何なのか。

前回のアニメ、「ブギーポップは笑わない Boogiepop Phantom」は、初アニメ化にもかかわらず『笑わない』のオリジナル後日談という暴挙とすら言える内容となっており、それだけにとどまらず「霧間凪一人称が『オレ』じゃない」など、原作からの変更点がいくつか存在した。当然、原作ファンから評価も当時はあまり良くないものが多かった。

しかし、ファントムというアニメからは、これが作りたい、こうした方が面白いはずだ、という意志は強く感じられた。原作からの変更点自体に納得できるかどうかはともかく、そういう姿勢を打ち出されればこちらも、へぇ……あなた達はこういう画面も話も異常に暗いアニメがカッコイイと思ってるんだ?「オレ」女はリアルじゃないって?へーえええええ……?と正面から受けて立つことができるというものだ(こめかみに血管浮き上がらせつつ)

今のところ、今回のアニメブギーポップは、原作読者の目から見ても決して悪い出来ではない。悪くはないのだが、どうも、どこに芯があるのか分かりにくいアニメ化となっているように見える。

公式が「アクションファンタジー」と銘打っているということは、「笑わない」編では終盤に集中して存在する程度だったアクション部分が徐々に増えていく、これからエピソードが本番ということなのかもしれない。たしかに、最初に公開されたPVでもアクション描写はひときわ光っていた。

次の4話からは、原作では上下巻の大がかりなエピソード「VSイマジネーター」編が始まる。そこでは、このアニメと思いきりVSできることを願っている。

追記

”『笑わない』のプロトタイプとなる作品には早乙女が存在していなかったともいうし” へえ  それどこ情報? - maturiのコメント / はてなブックマーク

”『笑わない』のプロトタイプとなる作品には早乙女存在していなかったともいうし” へえ  それどこ情報

電子版『笑わない』新規書き下ろし「後書き」。プロト版のタイトルは、「エコーズ──人喰いの谺」だって

2018-12-25

アニメ化直前ブギーポップシリーズ現状報告(ある程度の既読者向け)

(全て個人的見解です)

アニメの開始で、ブギーポップ懐かしい!原作いまどうなってるの?ていうかまだ続いてるの?という人々も少なからずいると思われるので、シリーズを振り返りつつ現在の大まかな状況を説明する。

今のところ明確にブギーポップシリーズとして刊行されているのは以下の22作。

  1. ブギーポップは笑わない
  2. ブギーポップリターンズ VSイマジネーター PART 1
  3. ブギーポップリターンズ VSイマジネーター PART 2
  4. ブギーポップ・イン・ザ・ミラー パンドラ
  5. ブギーポップオーバードライブ 歪曲王
  6. 夜明けのブギーポップ
  7. ブギーポップミッシング ペパーミント魔術師
  8. ブギーポップカウントダウン エンブリオ浸蝕
  9. ブギーポップウィキッド エンブリオ炎生
  10. ブギーポップパラドックス ハートレスレッド
  11. ブギーポップアンバランス ホーリィ&ゴースト
  12. ブギーポップスタッカート ジンクスショップへようこそ
  13. ブギーポップバウンディング ロスト・メビウス
  14. ブギーポップイントレランス オルフェの方舟
  15. ブギーポップクエスチョン 沈黙ピラミッド
  16. ブギーポップ・ダークリー 化け猫めまいスキャット
  17. ブギーポップアンノウン 壊れかけのムーンライト
  18. ブギーポップウィズイン さびまみれのバビロン
  19. ブギーポップチェンジリング 溶暗のデカダント・ブラック
  20. ブギーポップアンチテーゼ オルタナティヴエゴの乱逆
  21. ブギーポップダウトフル 不可抗力ラビット・ラン
  22. ブギーポップ・ビューティフル パニックキュート帝王学

(新作「ブギーポップオールマイティ(仮)」来春発売予定)

電子書籍ストアなどでは、作者本人が執筆イラストレーター共通しているスピンオフビートのディシプリン』『ヴァルプルギスの後悔』各4巻もブギーポップシリーズとして扱われているが、ここでは除外する。

ブギーポップシリーズは、刊行順の並びで大雑把に三つに区切ることができる。

12/26追記:この区切り自分個人的勝手にそう思ってるだけの便宜的なものです)

第一期(98年〜00年)
1.笑わない〜9.エンブリオ炎生

第二期(01年〜13年)
10.ハートレスレッド〜18.さびまみれのバビロン

第三期(14年〜)
19.デカダント・ブラック

各時期の特徴を見ていこう。

ブギーポップ第一期(笑わない〜エンブリオ

一般的な「ブギーポップ」のイメージを形作った初期作品群。

一見ありふれた現代日本日常の背後で、巨大な組織が絶えず暗躍し異能者が世界を変革するべく活動する、謀略論世界観。

思春期不安定な心と世界危機がいっとき交差する、叙情的・詩的な青春小説としての側面。

五人の主人公視点による五つの章で一つの事件を立体的に語る、という第一作の笑わないに代表される、トリッキー構成

ごく一部の準レギュラー的な存在を除いて、基本的新規キャラクターもしくは既存の脇役が主人公となって毎回半ば独立した物語が展開される、いわば全ての巻がお互いの「外伝であるようなシリーズの組み立て。

緒方剛志の洗練されたイラストと、鎌部善彦によるシンプルかつ洒脱なブックデザイン

少女達の間でささやかれる都市伝説であり、普通女子高生の別人格?として現れ黒づくめの格好で口笛を吹きワイヤーを操る死神もしくは世界の敵の敵……という、その他の世界設定からは遊離しているとしか思えない謎の、しかビジュアルデザインも含めて圧倒的に魅力的な存在ブギーポップ

などの点が読者から評価され、人気を呼んだ。

ラノベ流行TRPGベース異世界ファンタジーから現代ものに塗り変えただとか、現在大人気のあの作家やこのゲームライターも影響を受けただとか、当時の存在感については既に色んなところで言われているので各自Wikipediaなどを参照のこと(大げさだったり紛らわしかったりする情報もあるので眉に唾をつけながら)

ブギーポップシリーズ - Wikipedia

具体的なデータは分からないが、売り上げ的にも恐らくこの時期が絶頂だったのではないか。今回アニメ化の対象となるエピソードも、ほぼこの範囲からと見ていいだろう。

この時期で注目すべき巻、という話になると、一作目の笑わないはもちろんのこと、それ以外も全部と言うほかない。

王道ボーイミーツガールを軸に、前後編同時発売というボリューム作品世界が大きく広がった、リターンズ1・2。

予知能力者の少年少女によるささやかコミュニティがたどる儚い運命を描く、もしかしたら謎部活もの残念系の先駆と言えるかもしれない?パンドラ

閉ざされた高層建築というアクション映画を思わせる派手な舞台設定で、最終巻となる可能性もあったためか一旦シリーズを総括するような大団円が心地良い、歪曲王。

笑わないに近い連作短編構成で、シリーズ重要キャラクター炎の魔女」とブギーポップ誕生を描く、ブギーポップオリジンとも言える、夜明け。

ジレンマを抱えた創作者の心をアイスクリームに託した、ペパーミント魔術師

屈指の人気キャラクターの登場巻であり、二人の男が巡り会い激突する、シリーズ中では比較ストレートに「熱い」展開が見られる、エンブリオ二作。

以上の9巻はわずか二年の間に刊行されている。ほとんど月刊ペースで新刊を出すような恐るべき速筆ラノベ作家存在する現在ではさほど目を引く数字でもないが、当時としては驚異的なスピードだった。それが一世を風靡する大人シリーズであればなおさらだ

次に述べる第二期では、複数の他シリーズと平行して執筆していたとはいえ一期と同じ巻数を出すまでに十年以上かかっていることと比べると、初期はどれだけ筆が乗っていたのかよく分かるだろう。

ブギーポップ第二期(ハートレスレッドさびまみれのバビロン

ちょうど一度目のアニメ化、実写映画化の時期を境にして、やや作風に変化が見られた。

異能による戦闘の重視

能力存在のものは以前からさほど珍しいものではなかったが、それまでは物語の中の一つの要素でしかなかった戦闘に、武器として用いるのが半ば当たり前となった。

各巻の主人公格にはたいてい非能力者も一人は配されているし、エンブリオのような異能者対異能者の直接的な戦いがそんなに多いわけではないが、それでもいわゆる「能力バトルもの」という印象はかなり強まった。これを理由作品から離れた読者も多い、らしい

かい部分だが、能力に(多くの場合洋楽由来の)名前がはっきり設定されることが多くなったのもこのあたりからだ(言うまでもないがブギーポップジョジョの影響を大いに受けている)

・「敵」の扱いの変化

世界の敵、もしくは敵候補側の視点が薄くなり、一期のように主人公の一人として扱われることが少なくなった。これと同時に、世界の敵の動機に世直しというか率直に表現すると「人類補完計画」に類するものがほぼ見られなくなった。

異能バトル化の進行と併せて、表面的には「邪悪敵役主人公たちが討ち滅ぼす物語」という単純な構図にやや接近することになる。

構成の素直さ

多くの場合複数視点で展開されること自体は変わらないが、各視点をそれぞれ一つの章(短編)にしたり、時間を大きく前後させたりというような凝った構成はあまり見られなくなった。

霧間凪の(一時)退場

数少ないレギュラーキャラである霧間凪が、二期半ばの13作目のオルフェの方舟以降、ブギーポップ本編に登場しなくなる。恐らくは、凪が主人公スピンオフヴァルプルギスの後悔』との兼ね合いによるものだと思われる。この不在は、21作目のラビット・ランで再登場するまで長く続いた。

テーマの複雑化

言葉にしにくい部分だが、一期においてはまだ、各巻が主に何を題材にしているのかが、なんとなくではあるが伝わるという印象だった。それが二期では、テーマ的により込み入った話が多くなり、分かりやす共感や盛り上がりからは遠ざかった感がある。そのぶん作家性がより強まった、とも言えるが。

第二期の注目作としては、

霧間凪ライバル?的な存在が初登場する(以降の出番はほぼスピンオフ)、ハートレスレッド

設定上最大に近い「大物」の登場巻であり、以後、他シリーズも含めて作中世界に大きな影響を及ぼす出来事が語られる、ジンクスショップ

暗い森の中を延々と歩き回る閉塞感と晦渋さのせいか読者の賛否が極端な、ある意味で二期らしさを象徴する作品といえる、ロスト・メビウス

本当に大事なことは既に終わっているという、これまでもシリーズに見え隠れしてきたもの見方が改めてテーマとして大きく扱われ、青春とバトルのバランスの良さから?二期の中では読者の評価も高い、沈黙ピラミッド(沈ピラの愛称で親しまれている)

などがある。

ブギーポップ第三期(デカダント・ブラック〜)

現行の作品群。

近刊の最も目立つ特徴として、主に第一作品主人公格だったキャラたちが、再びメインを張っていることが挙げられる。

基本的には新規登場人物もしくは既巻でのサブキャラ主人公となることが多かったものの、かつての主役がメイン級として再登板という展開自体は一期でも二期でも存在した。たとえば、歪曲王の新刻敬、ロスト・メビウスの織機綺、化け猫フォルテッシモなど。しかし、デカダント・ブラック以降はそのようなキャラクター配置が今のところ全ての巻で一貫して見られる。

三期各巻で主人公格として再登場した既存キャラは以下の通り(カッコ内は過去の主演巻)

これらのキャラは初期作品評価に比例して人気が高く、シリーズ上でも重要人物と見られているが、彼らが登場しているからといって、いわゆる「本筋」が大きく進展するだとか、シリーズを畳みにかかっているといった気配はあまりない。相変わらず核心の周囲をぐるぐると周るような展開が続いている。

また、こうしたキャラクター配置がテーマから導かれたものなのか、それともある種の商業上の要請によるもの(早い話がテコ入れ)なのかどうかも不明

それ以外の傾向としては、概ね第二期のそれを継承した形になっている。ただ個人的に一つ気になる点として、新規キャラクターの「格」の低下ということがある。

あくま作品から受ける印象だが、三期で初登場した新キャラ達には、作者の思い入れというものがあまり感じられない。戦闘能力の強弱などの問題ではなく、良くも悪くも人格的な面で個性が薄く、その内面に寄り添い掘り下げるような視点も弱くなっている。

特に世界の敵もしくは世界の敵に至らない程度の「悪役」の造形はこの傾向が強い。あからさまに傲慢だったりするいけ好かない人間として登場して、実際にいけ好かない人格のまま説教されたり死んだりして退場する、というケースがほとんどを占めている。

また、主人公視点人物として再登場している一期のメインキャラ達はたいてい洞察力に優れ、過去の巻で既に何事かを成したいわばひとかどの人物であるため、彼らの視点で描かれる新キャラはいっそう底の浅さが浮き彫りになってしまうというキャラ格差問題もある。

世界中の誰しもが、たとえ一見取るに足りない存在であっても世界の敵になり得る、というようなテーマの反映なのかとも思うが、それにしてもクソ雑魚ナメクジに過ぎるし、そういう「敵」ばかりではさすがに辟易してしまう。なにより、たとえばあのスプーキーEですら持っていた、人格の複雑さ・意外性というものほとんど感じられないのは寂しい。

悪役なら悪役でいいので、せめて初登場時点では、恐ろしさや底の知れなさをもう少し演出してくれないものだろうか。あるいはいっそ、無理に毎回新規キャラを多数登場させることを控えて、ほぼ既存キャラだけで話を回し始めてもいい頃合いではないかと思うのだが……ムーンライトに一度だけ登場したカレー屋など、もっと掘り下げてほしい旧キャラも既に十分以上に存在することだし。

というかいい加減ストレンジ書いてくれ。

まとめ

自分の目から見たブギーポップシリーズのこれまでと現状は、こんな感じだ。

結果的に後半はほとんどネガキャンのような書き方になってしまったが、そういう意図は毛頭ない。むしろ、こんな風に不満を持ちながらもなんだかんだで楽しく追い続けている読者もいるぐらいには今も魅力的なシリーズなんだよ、ということが言いたかった。信じてほしい。

今回のアニメ化の影響で原作が売れたり読まれたりするとしても、そのほとんどはアニメ化の範囲であり新装版も出る第一期、それも前半に集中することだろう。だが、これを機会に未読の二期・三期作品にも手を伸ばしてくれる元読者がたとえ一人でも現れてくれるなら、非常に嬉しい。読んだら一緒に文句を言おう(文句言う前提)

この増田への批判反論は大いに歓迎する。内容が何であれ、ブギーポップへの言及は増えれば増えるだけありがたい。

 
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