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はてなキーワード: 次世代とは

2024-03-20

anond:20240320171905

同様に身体男性身体女性に対して筋力や骨格において圧倒的に有利

これが家父長制によって植え付けられた神話なんだよね

次世代女性たちはこのような差別的思想に毒されずに胸を張って生きてほしい

anond:20240320093951

海外旅行好きの女性って何か特徴ってあるのかな。

そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。

国内海外わずだし、男女問わずだけど。

旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所食べ物を入念にチェックする。

現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動がみられる。

最近では、インバウンド来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。

映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。

旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。

日常との差異体験やよその世界ちょっとだけ繋がったりできたことの証明自己顕示が欲しいのだ。

その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したこと証明するうえでとても重要

このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、

現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。

さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、

東海道五十三次時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。

日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。

ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。

そんな男性立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。

それは、旅先で一時的体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。

旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。


「おもいでぽろぽろ」というジブリ高畑勲監督映画(1991)がある。

都会育ちのOL女性田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、

最終的に田舎暮らし決断するところで終わる。

この映画場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、

いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをしばしばみてきた。

アジアアフリカ中南米で。かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。

「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば

海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。

また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップ意向が高いのに対し、女性男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。

男性女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、

だが!しかし、、、、

果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。

それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。

まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。

突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。

瀬戸内海小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。

あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」

当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、

ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟必要だった。

ドラマおしん」(1983年)も思い出す。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。

そこでは、さらもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイ過酷人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつ小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性共感を呼んだ作品だった。

孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、このドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしんが、過去を振り返るために原点である山形への旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。

アウェイ世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。(補記:特におしんの夫は軍組織に尽くし、結果として多くの命を亡くした責任を感じて自殺したという筋書きだが、拠り所となる国家、軍などのホームベース敗戦により瓦解したことのショックが実際のところの引き金だろう。)

「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じるエネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性文化的に育まれものなのかもしれない。

昨今では、結婚就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。

男性は芯がないくせに保守的で臆病だ。外の世界渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリホームグラウンドにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなもの男性社会のものが仕組みとしてもっていた。だからその範囲しか外に出歩かないのだ。ふるさと家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。

一方、女性は嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界

「嫁ぐ」という習慣、因習宿命からまれた、抑圧されてきた女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。

これはなかなかパラドックスだと思った。

翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイ世界に飛び込むという意味

かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟必要だということだ。

若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分覚悟能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。

嫁ぎ先である日本社会日本人男性漠然失望している場合希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイ世界で生きる宿命ならば、

いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚深層心理にあるのではないか妄想する。

一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というもの概念として存在していた時代は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀の話だ。

かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。

「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」

この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイ世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。

なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、ホームからかい視線旅人である自分に向け続けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテン寅さんとほぼ同じ世界観だ。ボヘミアンを気取って出て行っても、いざとなったらただいまといって帰れる場所がある。

そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。


民俗学者宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人考察した文章のなかで、そうした旅人

地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域活性化寄与する機能果たしていたことを、

世間師という言葉表現した。フーテン寅さんのことを考えていたら、そんなことも思い出した。

世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。

嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会リーダーシップをとっていかなければならない男性潜在的意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。

かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。

男の旅というのは、ちまちましたもの火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。

しかし、この四半世紀、女性社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性模索する時代になった。

テレビドラマも、90年代以降、女性社会進出を反映して、トレンディドラマ代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストラン食事する、みたいなシーンが増えた。

東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマ世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。

しかし、現実女性社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性役割押し付けられていたのが現実だ。その現実90年代ドラマショムニ」でよく表現されていたように思う。

しかし、さら時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。「おもいでぽろぽろ」の主人公少女時代1970年代)は、都会の夏休みラジオ体操に二人しか参加していないほど、ふるさと田舎そもそも持たない世帯が少なかった。今では想像もできない光景だ。

中長期的には東京一極集中トレンドは変わらないものの、それは不動産価格トレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省必要な人というのは減っているのではないか首都圏の人は首都圏世代を重ねるし、地方の人は地方価値見出し仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方ふるさとホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。

そうなると、都会の人間地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。

その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、(都会で活躍するキャリア女性理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。

一昨年のドラマファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業テーマ女性自画像模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。

ファーストペンギン」のように地方移住テーマにした作品は、アウェイ環境女性ポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。


そんなことをおもった。そもそも旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。

とりとめもないメモです。

補記

上記の書きなぐりをAIが次のように要約したので感心した。ここまで断言できないからゴチャゴチャ書いてたのに。

旅行好きの女性の特徴と男女差

旅行好きの人々は、事前に訪問地の情報をチェックし、SNSでの共有を楽しむ傾向がある。これは、日常からの脱却と、新しい体験への憧れを表している。特に女性は、旅先での関係性を持続させることに価値を見出すことが多いようだ。

歴史的に見ても、男女間で旅行に対するアプローチに大きな違いはないものの、女性はより積極的に新しい環境文化に飛び込む傾向があると言える。これは、社会的な役割や期待に対する反応として、女性自己実現のために旅行を利用していることを示唆している。

一方で、男性はより保守的で、旅行を通じて得た経験故郷に持ち帰り、地域社会に貢献する傾向がある。これは、男性社会的なリーダーシップを担う役割を果たすことが期待されているためかもしれない。

故郷と都会の関係性の変化

現代日本では、故郷と都会の間の伝統的な絆が薄れつつある。かつては、人々は故郷を離れて都会で働き、定期的に帰省することで地方とのつながりを保っていた。しかし、今では都会で生まれ育った世代が増え、地方への帰属意識が低下している。これにより、都会の人々が地方に求める価値は、失われつつある関係性そのものになっている。

この変化は、地方と都会の間の人口流動の安定化を示しており、それぞれの地域価値見出し生活を築く傾向が強まっている。結果として、地方への憧れや関係性の再構築は、新たな形での自己探求や社会的な動きに影響を与えている。これは、女性旅行を通じて自己実現自己探求を行う動機に影響を与えていると考えられる。

旅行は、日常から一時的な脱却を提供し、新しい環境文化に触れる機会を与える。特に女性にとっては、旅行自分の居場所を見つける手段となり、故郷とは異なるアイデンティティを探求するプラットフォームになることがある。

フェルスタッペン移籍はあり得るのか?

クリスチャン・ホーナーセクハラ騒動から端を発したレッドブルチームのゴタゴタが沈静化しない。

当初はあり得るわけがないと受け止められていたフェルスタッペンメルセデスへの移籍絶対にありえないわけではないと真実味を帯びつつある。

とはいえ果たして現在最強のマシンをフェルスタッペンが本当に捨てることなんてありえるのか?

筆者はありえると考える。

といっても、

それはヘルムートマルコに対する信頼であるとか、

ホーナーとフェルスタッペン家の不仲とかいった問題ではなく、

純粋レースをするうえでの競争力を考えてのことだ。

レースで勝つためにはレッドブル以外のチームへと移籍しなくてはならない。

そのようにフェルスタッペンが考えている可能性がある。

そのためには現在長期契約を結んでしまっているレッドブルと何らかの方法契約を解除しなければならない。

そのための方便としてレッドブルチームのお家騒動を利用しようとしているのではないか

要するにこれは2026年からPU競争力の話なのだ

御存知のとおりF12026年から大幅にレギュレーションが変わる。

マシンのものも変わるし、PU仕様も大幅に変更になる。

そのとき果たしてレッドブルは勝つためのPUを用意できるのか?

そのことをフェルスタッペン疑問視しているのではないだろうか?

2026年には現在レッドブルPU供給しているホンダとは袂を分かち、

レッドブルは自社製のエンジンフォードが開発した電動モーター部分で戦うことになる。

そのPU果たしてグランプリ勝利できるのか?

そのことを不安視しているのではないだろうか。

現在連勝街道を驀進し、

我が世の春を謳歌するフェルスタッペンだが、

以前は、その非常に優れたドライビングテクニックをもってしても

優勝どころかトップ争いに絡むこと無く終わるレースのほうが多かった。

その主な要因は競争力のないルノーパワーユニットに起因するものだった。

シャーシー自体は優れていた。

それは史上、最も優秀なF1カーデザイナーであるエイドリアン・ニューウェイ設計によるものからだ。

レッドブルホンダジョイントして、

メルセデスに対抗できるPUを搭載するようになると、

途端に優勝を争うマシンへと返り咲いたことがその証明だ。

ルノーPU時代でもレッドブルマシンは優れていたのだ。

そしてフェルスタッペン能力も十分に高かった。

それでもPUが駄目ならば勝てないのだ。

そのことの再現2026年にも起こるのではないか

そのことをフェルスタッペン危惧しているはずである

2026年からPUは当初それほど難しいものではないと目されていた。

現在ターボエンジンから排出した熱エネルギー電気へと変換しそれでモーターを回すなどという目もくらむような複雑さを捨てて

単純にエンジンモータを組み合わせるだけのシンプルものになるはずだった。

しかし、フタを開けてみるとそれほど簡単ものではないことが理解されるようになった。

ICE信頼性が非常に重要システムであることが判明したのだ。

エンジンをできるだけ全開にして発電をしたい。

コーナーの立ち上がり部分やストレート部分以外でもICEを全開にして発電をしなければ、

サーキットの途中でバッテリーエネルギーが枯渇して失速してしまう。

とにかく可能な限りエンジンを回して発電したい。

それが次世代PUの特徴となる。

そのためにはパワフルで信頼性の高いICE必須となるのだ。

果たしてレッドブルがそれを作れるのか?

今まで自社でエンジン生産した経験のないチームが

レース用はおろか市販車でもだ)

これまで数十年もの歳月エンジンと向き合ってきた企業が作り出す

ICEと互角に戦うことが出来るのだろうか?

そのように考えたときに他のチームへと移籍する可能性を考慮しないわけにはいかないのではないか

とくにフェルスタッペンのようにルノーパワーユニットに幾度となく苦虫を噛み潰すほかなかった経験を持つドライバーなら。

もちろん、フェルスタッペン来年他チームに移籍したなら来年度のチャンピオンシップは捨てることになる可能性が高い

(それでも今のフェルスタッペンなら…と期待させるものはあるが)。

しかし、その次の年、2026年のことを考えるのならレッドブル以外の選択肢を選ぶしかないような気がしないでもない。

anond:20240319223941

EVに関する懸念点は確かに多く、現在技術インフラ課題無視できないものがありますしかし、それらの問題理由EVの導入を遅らせることは、環境問題への対応を後回しにすることに他なりません。特に地球温暖化が深刻化する中で、再生可能エネルギー活用した電動車両の普及は、二酸化炭素排出量を削減する上で極めて重要です。

バッテリー技術廃棄物問題については、確かに現状では完璧解決策が提供されているわけではありません。しかし、技術革新は日進月歩で進んでおり、全固体電池のような次世代技術の開発が進められている点を考慮すると、これらの問題解決に向かっていると考えるべきです。また、バッテリーリサイクル技術進歩しており、将来的には廃棄バッテリー問題が大幅に緩和されることが期待されます

エンジンからEVへの全面的な移行は、確かに一夜にして実現するものではありません。しかし、その過程で得られる環境保護エネルギー効率化、さらには運転の快適性の向上など、EVには多くのメリットがあります特に自動運転技術との相性の良さは、将来の交通システムを大きく変革する可能性を秘めています

EVへの移行は、単なる車の種類の変更ではなく、持続可能未来への大きな一歩を意味します。それに伴う課題は確かに存在しますが、それを理由前進を止めるのではなく、解決策を見つけていく努力必要です。その過程で、現在EVが持つ多くの強みを生かし、さらに発展させていくことが、私たちには求められています

2024-03-10

なぜ親権のあり方についての議論が進まないのだろうか

最近似たようなことばかり書いてるんだが、共同親権の是非よりも、日本のやたら強すぎる親権のあり方を議論する方が優先度が高いと思うんよ。

虐待行政がなかなか有効な手を打てないのも、家父長制を前提とした日本親権の効力が強すぎるからじゃん。

親権が、親が子供人生支配する権利として機能してしまっている。

強すぎる親権存在が、それを維持する為の親の義務を重くもしている。

親権を弱めてその分だけ子供権利を強化し、子供権利社会全体で擁護していく仕組みを行政が整える事が必要だと思うんよ。

ぶっちゃけ親が居なくても健やかな成長と十分な教育を得られるのなら、親の存在子供にとって必須存在じゃない。

親が居ない子供達が苦労するのは、行政子供という次世代を担う存在の育成を家庭に丸投げしてるからだ。

子育て支援なんて間に親を挟んだ遠回りの支援策じゃなくて、子供を直接支援する制度があれば親の有無による影響を極力排除できるはずだ。

共同親権話題にしても、誰が子供支配する権利を独占するかって話にしかなってない。

親権についての議論を進めていくなら、その軸は子供権利をどう守るか? であるべきだ。

少子化時代からこそ、子供権利をどう擁護していくかがとても大事ことなのにそれがちっとも進まないことが腹立たしい。

美人局中学生

大人になったら「私は(父or教師から性的虐待を受けていた」「同級生から行為を求められた」って言って、

先鋭的で攻撃的なフェミニストになって、女性から絶大な支持を得そう。

次世代の仁藤さんだ。大事に育てよう。

氷河期世代ってなんか、こうご愁傷様(笑)

当時の政治経済のおかげで、真っ当な収入があって技術が身につく会社に入れなかったのに、

今となっては当事者以外の全世代から自分努力が足りないばかりに、

収入地位も得られなければ、家庭を作って子供を残して次世代に繋ぐ義務も果たさず、

社会保障ただのりする日本最悪のフリーライダー世代として扱われてるの、

本当に、本当に!ご愁傷様でした(笑)って感じがする。

それとも、ご冥福をお祈りします(笑)の方が良いかな?

せめて年金受給年齢になる前に自分達を追い詰めた、

自民党政治家の1人2人でも巻き添えに死んだ方がいいんじゃないかな(笑)

2024-03-07

anond:20240307105455

その時代為政者その他によって良しとされる価値観と、生物として生命を全うし次世代につなげる力とは別物ということかね

2024-03-06

anond:20240306112209

マスコミ対策池田大作名乗ったり天皇名乗ったりする昔からあるネットバトルのやり口だよ

Winny利用者逮捕されて次世代ファイル共有ソフトshareとかPerfectDarkとか)が模索されていた時期に、ソフト名前池田大作にすればマスコミ報道されなくて済むはずなどという意見が真面目に検討されていたなと、クソどうでもいい記憶が呼び起されてしまった

anond:20240306000803

次世代を担うZ世代の皆様が気持ちよくなるために必要不可欠な存在だけど?

2024-03-03

anond:20240303103504

んーべつに偉いって思ってるわけでは無いんだよなー

ただ、専業主婦子供バカな家の主婦人間価値ってなんだろ?って疑問なだけ

だって社会にも貢献してないし次世代の育成にも貢献してないんでしょ?謎すぎ

anond:20240301150034

下書き

ちょっwこれうますぎませんかねw天才現るw俺が次世代の王になるwてかw気早すぎってねwww

線画

😟

塗り

😢

背景

😱

これを絶望せずうまくなるまでやれてる奴らは本当凄いよ

2024-03-02

はてな子育てに関心超あるのに、屁理屈だけで済まそうとするのなんで?

もっとさ、子供たらこんなことできるよとか、子供いて楽しいこととか色々いえないのかな

机上の空論ネガキャンなんて中学生でもできるんだよ

大人なんだから少しは次世代に残すものとかあるだろ?それともネットではネガキャン以外にできることないの?

ちなみに1歳児が最近二語言えるようになって成長を感じている

2024-03-01

anond:20240229135444

これ系の話は「子育て一世帯でやるな」という話に尽きるわ。

男も女も仕事子育てどっちも頑張りゃええんや。でも時間は有限だし社会はお前らやお前らのガキのママ違うわ。

から回らん分は両親なり義両親なり頼ればええねん。

なんで今は子育てしづいかってみーーーーんな核家族自分らで何もかも回すしかないと思い込んでるからや。そんで実際にはできもしない「僕が私が考えた理想のチームワーク」を押し付けあって逃げてるからや。

有史以来で今ほど家族が細分化した時代はないんや。昔なんてハナクソみたいな労働生産性カスみたいな食い扶持を得ていたわけや。孤立は死やで。

そんな中でも人間が増えてきたのは地域やら親族やらみんなで次世代をなんとか明日1日生かそうとしてきたからや。

せやけどそれはしがらみが面倒やら自由やらが足りない言うてバラけて行ったんが今や。

昔よりガキを育て上げるのに必要資源が物的にも心的にも増えてんのに育てるチームを減員したらそら破綻するやろ。その状態を続けていったらガキなんざ減るに決まってるやろ。世の中お前らより能力低い人間の方が多いんや。

少なくとも子育てキャリアを語る程度の能があるお前らならチームのタスク量と人員配置に例えればすぐ想像できるはずや。

そんな能あるお前らがなんで子育てになった途端に自分らで何でもやらなきゃと勘違いを起こすのか。

簡単な話や。お前らはこの期に及んでまだ自分人生主人公だと思ってんねん。頑張ったら認められるべきだと思っとるし苦労は報われると思ってるし誰かがどこかで自分の辛さを分かってくれると思ってんねん。

そのつまら自己愛プライド邪魔をして「自分ら回らんから助けて」の一言すら言えなくしてるんや。

なんでお前らよりキャリア賃金も低い田舎家族が楽しそうに子育てしてるか知っとるか? この一言が言えるからや。

お前らの人生はお前らのガキに自分人生主人公だと思わせる為のものに今、変わったんや。

anond:20240301170547

関係ないけど圧縮diffusionの話、2年前から一向に進んで無くて草

あのときはすげー次世代圧縮だー、と思ってたのにまさか誰も手をつけないとは……

2024-02-29

優良企業婚活アプリ Aill goen がアツい

また最近増田婚活話題が盛り上がっている。

世間でも婚姻数が戦後最小だと発表されたとか、今なかなか盛り上がっている話題なんだろう。

そんな中ニュースを見ていてなかなか衝撃的なサービスが紹介されていた。

それが Aill goen

大手企業福利厚生として提供されているマッチングアプリらしいが、アツいと思ったのは企業福利厚生専門でやっている所。

まり、ここで探せば絶対身元保証されているし、ある程度収入がある事が保証される事になる。

採用企業

ANA

JAL

NTT

JR各社!

三菱電機

TOPPAN!

DNP

防衛省!(防衛省…?)

えぇーめっちゃアツくない?

パワーカップル製造工場かよ

この企業グループ内で上がった婚姻数は、収支が大きく内需活性化させ、優秀な次世代の輩出に寄与することだろう。

日本未来は明るい!

anond:20240229101724

自由恋愛になったのに自由恋愛する時間そもそもない問題はわりと忘れられがちよね。

次世代を作るための資源現在労働に投入してる先食い状態にあるようなものだが。

まあこの仮説が正しいかどうか労働時間出生率相関関係割り出して検証すべきではあろうだろうけど。

anond:20240229101724

自由恋愛になったのに自由恋愛する時間そもそもない問題はわりと忘れられがちよね。

次世代を作るための資源現在労働に投入してる先食い状態にあるようなものだが。

まあこの仮説が正しいかどうか労働時間出生率相関関係割り出して検証すべきではあろうだろうけど。

任天堂次世代据え置き機なんて作ってる場合か?

XBOXは他プラットフォームでもソフト販売するの発表したし、ライバルソニーが失敗してリストラ祭り始まってるのにまだ据え置き機商売するの?

まあスチームとかで配信するより据え置き機の方が儲かるのは判るけどさ、新機種出たら旧作動くようにして再販する商法にまじでいい加減にして欲しいんだけど。

40年以上ファミコンみたいな売り方してて、それが永遠に続くと思って無いよな?

 

 

マイクロソフトが『Hi-Fi Rush』など4作品PS/Switchへの展開を発表。

・SIEが社員の8%にあたる約900人の人員を削減。London Studio解散、FirespriteやInsomniac GamesNaughty Dog人員削減の対象

2024-02-28

anond:20240228043834

原作1〜2話だな

主題は5巻までで出てるのでそこまでに面白いと感じないなら合わないと思う

フリーレンとヒンメル→勇者PT(過去)との関係

フリーレンとフェルン→弟子(次世代)との関係

フリーレン(人間)と魔族→作中世界での魔族の概念

フリーレンと魔法(師匠)→作中世界での魔法仕様

ねこんな感じの話で、

上記フリーレンの箇所をサブキャラに置き換えることで、

各々のキャラ人生でも視点を変えて話を展開させてる

2024-02-27

anond:20240227204030

次世代に対して誰も責任など持たなくて良い

下の世代自力で生きるのだ

なんとかなるし、ならないなら甘えてるだけ

団塊がこれやって、ガチで国毎ぶっ壊したのが就職氷河期世代以降なんだよね


から俺は自分の子供に対しては死ぬほど責任をもって育てているよ

あんな何も無い砂漠の真ん中に放り込んで放置するようなやり方でうまくいくわけがないし、憎んですらいる

2024-02-23

anond:20240223165516

世代で全ての人間を括ってしまうのは間違いの元だとは思うけど

バブル世代の老人の結構な数「俺たちは敬われるべき立派な世代」とか考えている人間がいるのには辟易とする。

今の70代なんて戦中世代が頑張って復興して高度経済成長させた恩恵に乗っかって美味い思いしてきたのに、自分たちが中核世代になったら次世代には30年の不況しかさなかったのに。

自分の実力だ」と思わせるべきではない

何事も。「自分は誰にも助けられずに自分の力で何とかしてきた」というのは、本人には成功体験だが社会にとっては失敗なのだ

そういう体験を積むと他者弱者特に次世代へのあらゆる資産転移が停止する。先輩に世話にならなければ後輩に教えようとは思わない。誰かに助けられた経験がなければ、困っている人にも自分で何とかしろと思う。個人ではアリだけど社会全体でコレをやると社会としては維持できなくなり、失敗になる。

団塊バブル崩壊後、採用を絞り非正規化を進めたのは「戦後日本を豊かにしたのは俺たちの実力、努力のお陰(ただの人口ボーナスという運なのに)」その豊かさが己の物だと誤認した。だから「渡さなかった」

団塊から氷河期へのあらゆる転移が断裂した事で、日本人口減少による停滞は決定された。

また今の会社で、氷河期の生き残り上司が下に親切にしてるのを見たことがない。奢らないし教えないし、投資子供中学受験で、運良く手に入れた今の資産を守る事で頭がいっぱいだ。

本当は実力で何とか出来たのではなく、ほぼ運。俺は努力した?努力できるかどうかも運であり、選べない。

例えば貧しく生まれても国のおかげで大学まで無料で、失職しても災害にあっても手厚い保護が受けられるなら愛国心もつく。そうでなければ「実力があるから出ていこう」と思うし、出ていけないものレイシズムアナーキズム、半出生主義に傾倒する。

人間には、どんな幻想でも良いから「バトンを受け取って誰かに渡す」存在としての認識必要自分の実力で生き抜いたと勘違いした者は、いつまでもバトンを握って離さないまま走って倒れるしかない。

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