2024-03-10

なぜ親権のあり方についての議論が進まないのだろうか

最近似たようなことばかり書いてるんだが、共同親権の是非よりも、日本のやたら強すぎる親権のあり方を議論する方が優先度が高いと思うんよ。

虐待行政がなかなか有効な手を打てないのも、家父長制を前提とした日本親権の効力が強すぎるからじゃん。

親権が、親が子供人生支配する権利として機能してしまっている。

強すぎる親権存在が、それを維持する為の親の義務を重くもしている。

親権を弱めてその分だけ子供権利を強化し、子供権利社会全体で擁護していく仕組みを行政が整える事が必要だと思うんよ。

ぶっちゃけ親が居なくても健やかな成長と十分な教育を得られるのなら、親の存在子供にとって必須存在じゃない。

親が居ない子供達が苦労するのは、行政子供という次世代を担う存在の育成を家庭に丸投げしてるからだ。

子育て支援なんて間に親を挟んだ遠回りの支援策じゃなくて、子供を直接支援する制度があれば親の有無による影響を極力排除できるはずだ。

共同親権話題にしても、誰が子供支配する権利を独占するかって話にしかなってない。

親権についての議論を進めていくなら、その軸は子供権利をどう守るか? であるべきだ。

少子化時代からこそ、子供権利をどう擁護していくかがとても大事ことなのにそれがちっとも進まないことが腹立たしい。

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