はてなキーワード: ヒステリーとは
YouTubeチャンネル経由で発生した、ストーカー(以下Sで統一)の時系列まとめ
Sは1000通以上の一方的な長文メールを送り、「不同意性交等罪がまだなかったけれど訴えたい」「70万円欲しい」「警察署に相談へ行くよ」と脅しを掛けてきて、無限に複数アカウントを作って、迷惑行為を配信中にしておきながら、「そっとしておいてください」と居直り、どうしようもない状態になっている。
こちらの要望としては、「今後一切関わらないでくれ」の一点だけである。
ちなみに僕自身は、YouTube26000人/TikTok10000人、無名で細々と生きる男だ。
Sが自発的に、「〇〇見たい?」「〇〇したい」「やりたい」などと書き、脱いだ写真/動画を送信してくる
この時点では、『ちょっと積極的な普通の明るい子』だと思っていた為、不快感はなし
■札幌で会う
流れで枕を交わす
翌日以降、ご飯を食べて街巡りし、電話/DMを続けてみたが、生い立ち、会話のテンポ感、文化的ベクトルなど、相性が合わなかった為、付き合うには至らず
■自然消滅(SがLINE/Twitterをブロックしてきた)
■会って半年後に突然、長文で告白DMが送られてくるが、「彼女は作らない」と断った
元カレからの求婚に悩んでいる、ホストにナンパされて添い寝した、茨城出身の彼氏ができた、男の車に乗り込んだらホテルに連れて行かれた、うつ病になった、休職するなど
「やりたい」「結婚してください」「会えなかったら自〇する」など、一方的な感情の暴走が始まる
遠距離だったが、顔と性格と生き様が可愛かった為、復縁や曖昧な状態も含めて、長い事、仲が良かった
この事を、事後的にYouTubeで語ると、「同い年の子を選んだのが悲しい!」と、Sの暴走はますます過激化
■会う約束もなしに、Sが飛行機で札幌に来たが、完全に無視をした
■昼夜問わず長文DM、求めてもいない自撮り画像/18禁動画が届く
YouTubeライブの際も、何十回もブロックしたところで、「責任をとって」「捨てられた」などと、複垢を用いて、長文の迷惑発言を連発する
※4年で3回しか会っておらず、恋人関係にもセフレ関係にも、一秒もなっていない
「付き合う事は100%ない。他者との境界線について学んで、ちゃんと自分の人生を生きて」と説得するべく会う
関わりの拒否を求めたかったが、聞き耳を持たない様子だったので、「あくまでも友達ね、100%、絶対確実に、何があっても、恋が発展する事はないよ。両想いになれる相手を探してね」と強めに伝えた
「当時は、不同意性交等罪がなかった。そのせいで、わたしの悲しさをみんなに伝えられない」「警察署に相談へ行きます」「訴えて70万円くらい欲しい」といった風に、脅しを掛けてくるようになった
そう考え、実行するのは自由だが、枕を交わすまでのDM/LINE/Skypeのやり取りはすべて、SSDに保存してある為、むなしい訴えになるだろう
あまりこんな事は言いたくないが、会う前から、ほぼ全裸の動画を送ってきたり、Sから馬乗りになって来ておいて、望み通りの関係に至らなかった瞬間、曖昧ながらも金銭的な願望を口にして、『不同意性交等罪』を連呼するのは、脅迫行為なのでは?
さらには、「わたしの考えを否定して、関わりを拒否をするのは人権侵害だと思います」などと、暴論までぶちまける始末だ
■「一度デートしてくれたら終わりにする、この関係を忘れられる」との事で、短時間ながらも、最後の最後に会う
この時、僕の失敗として、「わたしはストーカーじゃないよね?」の問いに、Sの心を落ち着かせるべく、「ストーカーではないけれど、どんなに連絡して来ようと、会うのはこれが最後だし、どうしてもタイプじゃないから、恋愛の可能性は0.1%もない。ちゃんと自分の人生を取り戻してね」と伝えてしまった事で、Sは都合良く、前段の言葉、『ストーカーではない』だけを脳裏に焼き付け、自己正当化を覚えてしまった
■そうこうして今に至るまで、「二度と関わるな」と伝え続けているが、「これは関係の前進だ」「どんなに怒られてもエンタメだ」と歪んだ解釈をする為、心底迷惑している
まず一つ言える事として、僕は社会の道外れ者、本名/顔出しの配信者として生きている為、こんなリスクは織り込み済みだ。
山もあれば谷もあり、光もあれば闇もあり、躁もあれば鬱もある。
そら持たざる者が、ありったけの力でネット世界を走っていりゃ、大問題の一つや二つ、当たり前に発生するだろう。
でもその分、心優しき視聴者さん達が、ヘリコプターに乗せてくれたり、タクシーを貸し切りにしてくれたり、焼肉や寿司をご馳走してくれたりと、数々の救いを与えてくれる。
僕は元より社会不適合者であり、ずっと不安定な人生を歩んでいる為、なんなら、明日死んでも良いと思っている。
……と言ったように、狂いを受け入れている僕だから、アホみたいなストーカーが出現しようと、「こんなもんは人間社会のちょっとしたエラー」と捉えて、心を守れる訳だが、もしもこれが、普通の生活をする労働者だったら、どうなるのだろう?
こうした、ごくごく一般的な男女関係において、自分の思い通りにならないと分かった瞬間、『不同意性交等罪』を叫び、金銭的な願望を喚き、「裏切られた」「捨てられた」と集まりの場で騒ぎ立てる。
そのような女性に引っ掛かった場合、相当に苦しいのではないだろうか?
ちなみに僕自身、社内恋愛、ブログオフ会、チャットサービス、ネット掲示板、ホスト、ストリートナンパ、YouTube、TikTokなど、あらゆるところで、様々な女性と絡んで来たけれど、ここまでおかしい奴には、はじめて遭遇した。
本件のストーカーは、「わたしは一途な乙女」という自己認識があるのかもしれないが、はっきり言って、かなり醜悪なモンスターでしかない。
神学校がルーツの中学/高校に通っていたらしく、意識的には、「純潔なわたし」を保とうとしているが、育ちによる自己愛の不全や、現状に対する不満により、無意識に野蛮になってしまい、その二律背反を解消すべく、「わたしを汚した!」という幼稚なピュアさを誇るのだろう。
表現の自由がある国ゆえ、何をどこで叫ぼうと、どうぞご勝手にといったところだが、出会い頭のホストと添い寝し、街でナンパされて雑に付き合い、求めていない卑猥な写真を大量送信し――など、純潔とは程遠い行為をしておいて、自分に不都合が生じた時だけ、「純潔なわたしをもてあそんだ」「レペゼン地球みたいな奴らと同類」などと、高潔さを気取りながらヒステリーを起こす。
そして、数え切れないほど、「タイプじゃないから付き合えない」と伝えているのに、「理由が分からないから辛い」とゴリ押しして、被害妄想を膨らませ、悲劇のヒロインになってゆく。
『タイプじゃないから付き合えない』を曖昧な言葉として許さないなら、残酷非道なワード選定でもって、地獄の果てまで叩き込んでしまうが大丈夫か?
もちろん、対人関係はリスペクトありきゆえ、そんな愚かな真似はしない訳だ。
その為、仲良くなれない理由を問われるたび、「話のテンポ感が合わない」「文化的ベクトルが違う」「雰囲気がマッチしない」「好きになれるキャラじゃない」などと、小出しの答えを投げ込むのだが、「あの時のわたしは、本当のわたしじゃない。本心で接していないから、そう思うのは間違っている」といった寸法で、可能性を無限拡張してしまう。
はっきり伝えておくと、無限のパラレルワールドに、無限なるあなたが存在していたとしたら、こちらも無限のお断りをするくらい、根本からタイプじゃないので、「あの時に、ああしていれば」と考えるのは無駄でしかない。
ここらで、一度と言わず、何十、何百、何千、何万度と冷静になって考えて欲しいのだが、この約4年間で3回しか会っておらず、元彼でも元セフレでもなく、何かを貢がせた訳でもない、すこぶる浅い関係にも関わらず、一方的に配信を見て、妄想して、暴走して、「貴重な時間を奪われた!」「なぜ責任を取らないんだ!」などと、いつまでも発狂するのは、幼稚園児の駄々っ子と変わらない。
なにをとち狂っているのか知らないが、『デートして枕を交わす』=『絶対に付き合う』という異常なる図式が、大脳に刻み込まれているのだろうか?
肉体的な相性が合わなかった場合は?
そうした諸条件がうずまく中で、運命が味方する事もあれば、死神が舞い降りる事もある。
それこそが男女関係――残酷なる色恋沙汰……本能の営みって奴だ。
『愛とは差別』なる言葉もある通り、誰かを好きになる世界とは、誰かを嫌いになる世界でもある……という事を、ゆめゆめ忘れるな。
こちらとしてはこの数年、散々、DMや配信のコメント欄で、好き勝手に言われ、それでもSの本質には触れず、傷つける事なく、なんとか去ってくれるのを期待していた。
しかし、Sの蛮行はおさまりを見せない為、致し方なく、こうした文章を書いている。
また、ストーカーの狂った解釈で、「これだけ本気で書いてくれるのは、きっと愛が残っている証だ」などと、さらに厄介な存在になるかもしれない。
だからこそ伝えておくが、容姿、人格、雰囲気、脳内メカニズム、あなたの発する生物情報のすべてが嫌いだから、好きになる事は不可能だ。
動物的にも人間的にも受け付けない為、今後一切、関わらないで欲しい。
さらに言えば、僕をイメージする事で生じる、あなたの微弱な波動すら不快でしょうがない。
一刻も早く、僕に関わろうとするのを辞め、自分の道を歩んで欲しい。
※ストーカーへ、本文に関する、あらゆる感想/意見/反論は、断固として受け付けません。
個人情報も記載しておらず、なんの名誉毀損にもならないゆえ、たとえ、「わたしの本心と少し違う」などと感じても、知ったこっちゃない。
そもそも論、あなたは家族でも友達でもありませんから、あーだこーだと御託を並べたところで、一文字残らずノイズでしかなく、まったくもって興味を持てません。
似たようなことを言っている人を見かけ当時を思い出したので書き散らし。
10年くらい前だが独身の無能でヒステリーな上司とSNSで評された事がある。
そう言われてることを知ったのは、その人が私に対しての愚痴をSNSで吐き、ちょっとバズって他の社員がその人の他の投稿の私物やネイルやらで、誰が誰のことを言っているのか特定して、報告してくれたからだ。
実際はというと独身ではなく既婚で当時3歳の子供もいた。苗字は旦那ではなく私側にしており、時短勤務などもせず残業も普通にしていた。また家庭の話もしないし指輪もつけていないので、既婚だとは確かに思われなかっただろうと思う。
その人がSNSにそのような投稿をし始めたのは子供を産んでからだった。もちろん子育てしながらの仕事は大変だし、時短勤務であろうと退職せずに働いてくれるだけありがたいと思っていた。もちろん仕事の量も減らし、減らした分は私が対応していた。
私が無能かどうかであるが、実際はわからない。同僚や上の役職の人からは私の働きぶりを評価してもらう事は多かったが、部下からしたら実際は無能な可能性もあるので、否定はできない。マネジメントの講習開かないか?と声をかけられることもあったが、実際は人の管理をする事はずっと苦手だと思っているし、人の管理については自分も無能だなと思っている。
ヒステリーについては自分ではヒステリーだとはあまり思ってはない。
仕事ができない、失敗したとかでは怒ることは無い。
そのSNSに投稿した人については、就業時間中に寝る、席を外す時間が長い、他部署の同期を捕まえて長話をする(他部署からクレーム有)、などの行動が見受けられ出産をする前からちょくちょく注意していた。
出産後は就業時間中に寝る、長話をするが顕著になり多少厳しく言うこともあった。
仕事と育児の両立で眠くなってしまうのもわかるが、ウトウトするなどではなく堂々と席で突っ伏して寝たりとさすがに目に余ることも多かった。
増田さんは独身だし子供いないから大変さが分からないと言われたこともあったが大変さがわかる分からないに独身既婚/子なし子ありは関係ないので、そういう言い方はダメだと言ったこともある。
SNSくらいでは言いたいこと言いたいだろうし、社名や名前がバレて不利益を被る訳では無いのなら放置のでいいと思ったので。
ただ、仕事量は減らした。もともと時短で減らした後の仕事量も仕事できる新入社員並の量であったが、それも完了することが殆どなかったので、本人と面談を重ねた結果仕事量では育児との両立は難しいと判断したためだ。その結果その会社ではキャリアを詰むことが出来ず退職した。
退職する時もSNSにキャリアを詰ませてくれなかったなどと書いていた。
ただ、子供を産んだ女の人がしっかりキャリアを詰むのは大変だとおもう。
私がキャリアを詰めたのは、実家や旦那にかなり育児を任せたし、保育園なども運良く入れた。たまたま実家や旦那が協力的で、人よりちょっと仕事が得意だったのと、体力と精神的体力があったので時短勤務等せずに働けたからだ。
自己愛が強いばかりに、何度も人を傷つけ、それでいて人が離れていくのには堪らない寂しさを覚えるという父親と、病的なヒステリーで、気に入らないことがあれば腹の底に響くような金切り声で怒罵を浴びせてくる母親の間に私たち三兄弟は産まれました。
四股していながらケロリと嘘を突き通し、度重なる暴力とネグレクト(その原因は後にわかるのですが、ギャンブルでほぼ全財産を溶かしたストレス発散、または自己愛が強く「お金が無い」の一言が言えないために"ブチギレている自分"を演じることでお金が無い事を悟られないようにしていた。)を繰り返し、家庭を崩壊させた父親に対しては憎しみよりも無関心が勝っている。あなたのおかげで経済的に恵まれなかった私は学校では臭いと言われ、惨めな人生を送ってきましたが、もうどうでもよいです、どうか私の知らない場所で幸せに暮らしていて下さいと、ペコリ頭を下げて、いっそ幸福さえ祈ってしまいたいような気持ち。一方で、100円引きのファミリー用の牛肉が食卓に並んだ日には思わず「今日は何かお祝いがあるのですか」と聞いてしまうような家庭環境ながら、私たち3兄弟を少なくとも経歴だけなら健常な家庭に育った者のようにしてくれた母には酷い憎しみを覚えるのだ。
ごめんなさい。私は母に憎しみを覚える資格すらないことは十分すぎるほどわかっている。父が失踪してから、悲しい記憶がそこらにある埼玉の実家を飛び出し、単身北海道に渡ったのだが、私がいなくなれば弟がどんなに母からキツイ躾を受けるか、腹の底まで響く金切り声で讒言の限りを尽くした怒罵を浴びせられるか、残酷なほど理解していながら、私は自分の幸せのために逃げました。
弟は私がいない間、兄と母からひどく虐められ、私が半年に一度帰る度に思わず身を引いてしまうほどの涙を流し、最後には「なぜ逃げた」と私を詰るのでした。ごめんなさい。母は病的なヒステリーを、兄は溜まったストレスを弟にぶつけることは深刻に理解していましたが、それでも母と兄の中に必ずある人間らしさに期待している自分も確かにいました。
今では兄と母が傷つけ合い、兄と弟は絶縁し、弟と母は初めて聞くような罵詈雑言で罵り合う。
書きたいことはたくさんあるはずなのに、まとまりません。
あれだけ意を決して家を飛び出したはずなのに、少し心が疲れて、家庭はさらに悪化をしただけでした。
許してほしいとは言いません。
わかったわかった。例を引用してやるわ
lbloodbournel
·
1 mo. ago
It’s bc the people who clutch their pearls abt stuff like this Don’t actually care about child sexual abuse, let alone any other kind of child abuse
Daedalus_Machina
·
1 mo. ago
"Turn heads" isn't sexual, it's interesting. Never mind that this is one of the most conservative kid's outfits I've ever seen. This is pearl clutching over nothing.
発達障害で普通に生きられなかったわたしが交際0日で結婚するまで
https://www.shobunsha.co.jp/?p=5734
生きるのがつらいから、
「養ってもらいたい」ってダメですか?
幼少期より社会に適応ができず、学校ではいじめにあい、大学に入学するも通学ができなくなり発達障害との診断を受け、家では過干渉気味な母親の言う通りに生き……常に不安と絶望にまみれていた著者が、SNSをきっかけに様々な人と出会う。そして、交際0日で結婚。結婚したことにより様々な生きづらさが解消され、幸せを感じられるようになったという。「自己責任」や「人様に迷惑をかけないように」などと自立して生きていくことが喜ばしいとされる中で、そこからこぼれ落ちてしまう人はどうしたらいいのか? 生きづらさに対して「結婚」という選択肢を伝える、体験エッセイ。
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【目次】
まえがき
就職しないと生きていけない/はじまりは学級崩壊/大好きなミルクティーとおにぎりがまずい/なくなってしまった私の居場所/精神科の先生にさじを投げられる/ぶり返した強迫行動/嫌がらせがはじまる/みんな同じじゃないと不安/予想だにしなかった高校受験「なんで学校来ないの? 意味分からないんだけど」/学校は来るのが当たり前/普通のレールに乗らないと生きていけない
大学さえ卒業できれば普通のレールに乗れる/初めて知ったADHDという発達障害/ADHDとの診断を受け、安心する/人生を変える大きな出会い/えらいてんちょうと初対面、5分でお見合いが決まる/しょぼい喫茶店に行く/生き延びるために結婚したい/はじめて自由を求めた結果、家出したい/夫との運命的な出会い
内見の2日後、家出決行/月に2日働くだけで生きていける/夫を意識し始めたある雨の日のこと/1回目のプロポーズ/夫の好意に気付けない私/プロポーズまでのカウントダウン/交際0日でプロポーズされる/「家事も何もできないけど大丈夫ですか?」
指輪づくり、新居探し/入籍と同居と家族旅行/両親に彼氏ができたと伝える/トラブル続きの家族旅行/両親と人生最大の修羅場/父親から出た言葉「娘をよろしくお願いします」
第5章 はじまった結婚生活
ようやくおとずれた幸せな日々/長年の呪いがとかれる/はじめて感じた「自分の気持ちをわかってほしい」/母の毒にやられる/「良い子」であり続けた人生/母のヒステリー/大学生になっても帰宅は19時半/母の幸せと私の幸せ
妊娠発覚後の母/「母親」だから嫌いになれない/母の突然の変化/病気や障害は環境がつくる/しょぼい幸せを感じて生きていく/愛されていると感じる日々/結婚し、困っていたことが改善する/「まなさんならできるよ」/セーフティネットとしての結婚/生きて、幸せをもとめる
何の知識もない、全くよく知らないものを批判するのがコイツらの世界では当たり前で、
コイツにとって「知ってるものだけ批判しろ」はヒステリーらしい
さすが頭が壊滅的に悪いジャップオス
熊代亨先生、先日梅田ラテラルにて行われた『「推し」で心はみたされる?』のトークイベントおつかれでした。せっかくなので感想というか、お手紙を書いてみたいと思います。
私はあの日の観客の一人です。子どもが3人いて最近ラグビー観戦にはまった者といえばわかっていただけるでしょうか。本来ならメールやDMの方が良いのでしょうが、あえてこちらにしました。迷惑だったら申し訳ありません。また、こういった文章に不馴れなので読みにくい点もあるかもしれませんがお許しください。
普段、私はトークイベント等にはほとんど行った事はないのですが、思いきって参加してよかったです。インターネットや著書で知っていても、実際に目の前にすると「遠くから眺めていた人がこんなにも近くにいるぞ」と妙に感慨深いかったです。2時間程度ではありましたが、同じ時間、同じ場所にいられて嬉しく思います。
トークイベントでは新刊のテーマである「推し」について先生や他の参加者の話を聞きながら考えていたのは「ヒトはどこまでいっても社会動物である事実から逃れられない」ということです。今回推しの話から時代ごとの世相の変化、承認欲求と所属欲求の比重の移り変わり、果ては社会福祉までと誰かが無理やり話題を変えた訳でなく自然と話が膨らんでいきました。推しという個人の感情を語ってもどうしても社会に接続されてしまうような、そんな気がしました。ヒトが解脱し娑婆から抜け出す日はまだまだ遠そうです。
私はいま35歳ですが、ラグビーというボールすら触ったことのないスポーツ観戦になぜはまったのかわからないとお話しました。その際先生は自分の心の鍵穴にうまく刺さったのではないかとおっしゃりました。鍵と鍵穴のたとえはいいですね。確かに観戦するという行為が自分の中にするりと入ってきた気がします。鍛え上げた選手達が荒々しくも規律を守って(ペナルティを出さないで)プレーしている姿に心躍らせますが、もしかしたら力のある者が正しく力を行使する様に憧れがあるのかもしれません。実際強いチームはペナルティが少なくスマートにプレーしていますし、それがまた格好良いのです。
一方で家族に対してはどこか一歩引いたような気持ちがあります。少なくとも周りのお父さん達と比べるとどう家族に思い入れが足りないのではと感じます。妻にもたまに文句を言われます。先生はむしろ子ども推しにのめり込みすぎるより全然いいんじゃないかと言ってくれました。思い悩んでいたわけではありませんが、ちょっとほっとするような、励まされた気持ちになりました。
どうして家族をうまく推せないのだろう考えると、私の両親も同じく「推し」がへただったからだと思うのです。
両親はとある同じ地方の出身で、父は貧乏農家の三男、母は貧乏大工の娘でした。地方出身の先生ならお分かりでしょうが、50年以上前の農家の三男ともなれば扱いはさんざんなものだったそうです。また幼くして母親(私からみた祖母)を失くしており、ずいぶん寂しい思いをしていたようです。母も自分の親がずいぶん厳しかったようで、成績が少しでも下がろうものならヒステリーと言えるくらいに叱られたと聞いています。
そのせいなのか両親はお互いにうまくリスペクトし合えてなかったし、子どもの立場から見てもナルシシズムを充たすには不十分でありました。社会に出てから子育てをしている人をみて、こんなにも子どもにかかわり合うんだととても驚いたのを覚えています。
無論、大人になった今では両親にとっての精一杯だったのは理解できます。彼らなりに「推し」ていたのだと。
ただ、私は4人きょうだいですが他の3人も親に対してどこか一歩引いているように見えます。もしかしたら私は家族、あるいは血縁という概念にいい感情がないのかもしれません。
実際、妹は結婚していますが、子どもは絶対に作らないと明言しています。自分の遺伝子は残してはならないと考えているようです。実は私もその意見には共感します。もしかしたら子持ちのくせにうっすらとした反出生主義者なのかもしれません。
それでも生まれた命がある以上ちゃんと育てて社会に送り出さなければなりません。幸い、知人や会社の同僚に子ども推しの参考になる人達とたくさん出会えました。なにより妻という心強いパートナーがいます。見よう見まねではありますが、たとえ擬態であっても良き親、良き「推し活」でありたいと思います。
今回のようなトークイベントをまた大阪でされるのかはわかりませんが、いつの日かお目にかかるのを楽しみにしています。短い時間ではありましたが、言葉を交わし合えた者として、ささやかながらこれからも先生を「推し」として応援しています。