はてなキーワード: 西遊記とは
27歳でいまだ童貞です。童貞です。童貞というのは、生まれて今日まで女性と性交渉をもったことがない男という意味です。書いておかないと誤解されると思うのであらかじめ断っておきますが同性愛者ではありません。よっぽど美少年なら抱きたい/抱かれたいというのは正直あるけど、現実にしたいとは思ってません。女性の小陰唇を直に見たことがありません。生身に女性の裸を見たことがありません。当然触れたこともないわけです。
なんで死にたいか順を追って説明してみたいと思います。結論から言うと、春になったからです。春になると、突然、街行く女性の服装が華やかになる。露(あらわ)になる白い二の腕。女子高生くらいの女性が太ももで僕を誘惑する。ショートパンツからにゅきっと生えたバターのように白い太もも、どこまでも白く透き通るような女性の肌の色。雪のように白いというけど、僕はややピンクがかった白い肌に興奮してしまうのです。実を言うと、昨日、あまりにも肌の露出が多いため、深刻な頭痛に苦しんでいました。緊張性頭痛というやつで、精神性のものです。地下鉄に乗ろうとしたのですが、西遊記の孫悟空を縛る緊箍児(きんこじ)のように頭をギューギュー締め付けるのです。会社にいくつもりだったのですが、吐き気がして、自宅に返って風呂のなかに籠っていました。なぜ風呂に入ったかというと、先生が、リラックスすれば頭痛は消えると教えてくれていたからです。
女性の実体そのものはなんてことはないと思っています。それを男の脳というフィルターを通してみたときに、ひどく魅力的なものに見えるにちがいありません。いま、あなた私に「風俗行けよ」って言おうとしませんでしたか?風俗なんていやです。絶対に行きたくないです。お金に困って嫌々働いている女性は、女はカネで股を開く浅はかな生き物だと勘違いしている男を一日何人も相手しているんです。しかも、恥垢のたまった、悪臭放つデブ男のチンコをしゃぶらされ、精液を飲まされるのです。想像しただけで吐き気がしてきました。僕にはそんなことできません。もし、「1万あげるから、洗ってないチンポしゃぶって精子飲んでくれる?」と言われてできますか?イケメンならまだしも、おっさんや風呂に入ってなさそうな引きこもりのチンポしゃぶれますか?もしできるって人間は風俗に行けばいい。俺にはできない。自分がしたくないことを他人(ひと)にはできない。僕はなるべくこのルールを守って来たつもりだし、これからも守っていきたい。だから風俗には行けない。行ってもいいけど、相手は僕を人間として見てくれない、扱ってくれない。「オマエもそういう奴なんだな」っという目で、侮蔑の眼差しで見られる辛さ。僕は人間でありたい。だれも僕を人として扱ってくれないけど、僕は人間だ。人間でありたい。誰が何を言おうと人間だ。でも童貞には、そう発言する権利はない。
童貞というのは、人間として失敗したということだ。欠陥商品だ。本来ならリコールされるべきなのに、人権団体が俺の人権のために俺を苦しめる。童貞というレッテルは前科三犯よりも重い。シンナー吸ったり、Sやったりする奴よりも重い。だって、薬やってもテレビ復帰できるんだろ?日本中の人間が見る番組に出られるんだろ?父親がやくざであったとしても。でも、童貞は童貞というだけで、人間としての資格なしだ。人間失格という本は読んだことはない。太宰治はすぐ女ができるんだろ?
ああ女性は美しい。その存在が僕に平安をもたらす。水平線の彼方のように、さざ波ひとつもない、真っ平らな水平線を僕を連れて行ってくれる。僕はいまそこに行こうとしている。すべての絶望の淵は驚くほど安寧の地だ。あらゆるものが美しく見える。ベルリオーズの音楽が聴こえる。もうそろそろMBAの電源が切れそうだ。できるなら女性がいかにすばらしいそんざいであるか、僕自身の言葉で書いてみたかった。彼女たちは天使だが、天使という言葉では決して語り得ない。
最後に書いておきたい。世界はうつくしい。僕は幸せだった。日本に生まれてしあわせだった。願わくば、あなたにも、あなたのたいせつなひとにも幸福が訪れますように。みなさまのご幸せを心よりお祈り申し上げます。
以前、大阪市が公開した文楽問題に関するメール交信記録を読んで一文を記したが、
文楽の問題に関して、Twitterを見ていていくつか誤解があるようなので、書いてみたい。
産経の記事によれば、
橋下市政 揺れる文楽 補助金凍結…地方公演厳しく+(2/2ページ) - MSN産経ニュース
同協会の収入は興行収入が8割、補助金が2割を占め、その内訳は国が8千万円、市が5200万円、府が2070万円(23年度)。
記事中「同協会」とは文楽協会のこと。今すぐ見当たらなかったが、たしか本公演に影響が出る額ではなかったように記憶する。少なくとも文楽の存廃に関わる額ではない。
公開されたメール記録から。池末浩規参与の3月24日付メール。
http://www.city.osaka.lg.jp/yutoritomidori/page/0000174249.html
③-1.技芸員のマネジメント機能のうち、「都市魅力向上に資する伝統芸能に関する若手技能者の育成支援事業」に対する事業補助を行う。これは当 初金額を××円(試案:2,000万円)とするが、××年度(試案:平成27年度)以降の分については、前年に(府)市の文化・芸術に関する補助についての委員会(名称未定)により決定する。
③-3.経過措置として、✕年間(試案:平成24年度に限って)は、✕✕万円(試案:3,200万円…現状の5,200万円と上記2,000万円 との差額)を新たな公演の試み、協会の機能向上の試みに対して事業補助する。この補助の使途および成果については、事後に報告するものとする。
ただし、同じく池末参与の6月5日付メール中、橋下市長とのやりとり部分。(→は池末参与の返事)
文楽についてはその構造 も、担当者以外は理解していないところもあります。
文楽を守る役割は結局国に あるということがはっきりとしてきました。
→結局文楽の振興については国しかコントロールできない形にしておきながら、大阪府市も金入れろという図式ですね。
そうなると若手育成も国では?
→本来はそういうことになります。
また若手育成について、国 と地方の役割はどうなのでしょうか?
→原則国主体でやるべきという考え方がベースになると思われますが、国が新たなスキームに乗ってくるまでの短期間(3年以内を想定)人材育成につい ては大阪も奨励金を出す考え方もあるかもしれません。
市長とその周辺の意図としては、「文化財保護」よりも「振興(観光資源としての活用)」なのでこういう書きぶりになる。しかし、文楽においても、もちろん「家業」となっている場合もあるが、原則的には歌舞伎と違い、あくまでも実力主義だという側面が全く閑却されている。
文楽は伝統に胡坐をかいている、敷居が高いなどという意見を散見したが、事実は文楽も新作を試み、様々なチャレンジをしてきた。たとえば、子供向けに作曲された新作があげられる。
文楽の入門編として最も手軽だと思われるのは、国立文楽劇場で毎年夏の公演で演じられる演目だ。夏休みのため子供の観客を対象としたものが必ず演目にあがる。今年は「西遊記」がかかっている。
そこで近年演じられてきた演目を振り返ると、「舌切雀」「雪狐々姿湖(ゆきはこんこんすがたのみずうみ)」「瓜子姫とあまんじゃく」「東海道中膝栗毛」「金太郎の大ぐも退治」「鼠のそうし」「大江山の鬼退治」。。。などなどがあげられる。ただし、必ずしも中身が充実している演目ばかりとは言えない。
こういった子供向けの演目だけでなく、大人向けの演目も様々な試みが繰り返されてきた。
例えば歌舞伎演目のコピーがある。そのなかで、「勧進帳」はもっとも有名な演目の一つだろう。
またあまり知られていないかもしれないが、近松門左衛門の「曽根崎心中」は歌舞伎の影響で戦後に復活した演目だ。その事情は次のサイトにコンパクトにまとめられている。
その人形浄瑠璃にとって難題だらけの「曽根崎心中」の復活上演を、まず試みたのが本家の人形浄瑠璃ではなく、歌舞伎であった。
昭和28年(1953)8月、近松門左衛門生誕300年を記念して宇野信夫が「曽根崎心中」を新しい歌舞伎に脚色し、の新橋演舞場の舞台にかけたのである。徳兵衛を上方歌舞伎の第1人者の2代中村鴈治郎、お初を長男の2代扇雀(のちの3代鴈治郎)というコンビで演じたところ、大評判をとって扇雀ブームまで起こった。
この反響の大きさに驚いたのが、本家の文楽座である。人形劇としての「曽根崎心中」復活上演に意欲を燃やし、現代向きにという松竹の大谷竹次郎会長の意向を入れて、西亭(にしてい)こと三味線弾きの初代野澤松之輔が脚色・作曲を担当、鷲谷樗風(わしたにちょふう)の演出で、昭和30年(1955)四ツ橋文楽座1月公演の舞台にかけたのである。
よく復曲といわれるが、昔通りの演奏曲復元は不可能で、新しい作曲と割り切った方が誤解が少ない。語りを8代竹本綱大夫、三味線を10代竹澤弥七のコンビ、主人公・徳兵衛役の人形は序列7番目だった吉田玉男が遣った。
これらのものは本公演でもしばしばかけられる演目だけれども、より実験的な演目としては、蝶々夫人、ハムレット、テンペスト(「天変斯止嵐后晴」)など。また、市長が再三ふれている三谷幸喜の新作に代表されるようなそれも、しばしば作られる。聖書の福音書物語を文楽で、といった試みまである。
つまり、文楽に携わる人たちは、新しい観客開拓への意欲はあり、チャレンジ精神も問題意識もある人たちなのであって、この点は文楽を知らない人たちによく認識しておいてもらいたいと切に願う。
したがって、ちゃんとした台本さえあれば、たとえば百合文楽でもけいおん!文楽でもなんでもできるはずだ。文楽人形は、女子高生でもイエス・キリストでも、なんにでもなれるのである。
しばしば、歌舞伎や落語と並行して文楽を論じられているのを目にする。しかし、文楽は他の古典芸能と全く違う側面があるので、「伝統芸能」「大衆芸能」という大雑把なくくりで論じられるとやや面食らう。
まず、文楽は音曲として非常に格の高いものだったという歴史的な事情である。これは歌舞伎の竹本葵大夫さんが軽く書いている。
人形芝居で創りだした演目も歌舞伎に流出して、歌舞伎で大当たりを取る。それがために、人形芝居は経営に打撃を受ける。これは対策を講じなければいけない。そんなこんなで、人形芝居の組合で「歌舞伎に出演した太夫・三味線は除名処分にする。歌舞伎の太夫・三味線とは同席しない」などと取り決めます。「われわれは宮中のお召しがあると参内して芸をお目にかける。そして掾号も受領することさえある。歌舞伎などの河原者とは身分が違う」と息巻いたかどうかは知りませんが、これくらいのことは充分おっしゃられたでしょう。
今でこそ、私など文楽の9綱大夫師にご指導いただいたり、ほかにも三味線の方が文楽の方のご指導をいただいたりしておりますが、昔でしたら考えにくい現象でしょう。
もちろん実力の裏付けがあってこそで、
ただいまでも「文楽座出演」と銘打って歌舞伎の演目に文楽座の皆様が演奏で出演なさると、たいがい新聞劇評は「○大夫、△△以下、文楽座の演奏に量感がある…」というようなことが書かれます。ところが、同じ曲を私ども竹本が演奏いたしますと、あまり賛辞を頂戴することがございません。
ということになる。
葵太夫さんも触れておられるが、そもそも人形浄瑠璃は皇室と関係の深いもので、その一つの表れが掾号だろう。名人上手は皇族から掾号を受領することがあり、豊竹山城少掾、人形遣いの吉田難波掾を最後に掾号受領するものはいないが、しかしながら皇室との関係はあったわけで、昭和38年に松竹が興行権を手放し文楽協会が成立したとき、松竹がこれを「献納」と言っているのは故なきことではないのだ。
繰り返すが、このような人形浄瑠璃における格の高さは、実力の裏付けがなければ意味を持たないし、まして現代において補助金の投入を正当化するものには必ずしもならない。
しかし、他の芸能と一括りで論ずることができないという側面の若干は感じてもらえるのではないか。
また、義太夫節の特性について若干ふれておきたい。
義太夫節の構造そのものは簡単で、決まったメロディーのパターンを詞章に合わせて組み合わせて行くだけだ、という説明でいいと思う。したがって、このパターンの組み合わせは無限に広がる。
ところがそう簡単にいかないのは、文楽の古典の場合、演目に合わせて様式が成立しており、義太夫節ではこの様式を「風(ふう)」という。かねて様々な論者により、風を語り分け伝承するのが最大の難物だとされてきた。というのも、非常に微妙・繊細なものだからだ。
以前書いたように、私は国立文楽劇場に通って図書閲覧室にもよくお邪魔をするような人間だったが、さすがに義太夫節を語るところまではやらなかった。だから断定はできないけれども、この様式の問題は最後は幼少時の音楽環境の問題になると思う。と考えたくなるくらいに、微妙な代物であって、これだけ洋楽が氾濫して耳が慣れてしまっている現代日本で、こういうものを継承することが可能かどうか、はなはだ疑問だと言わざるを得ない。
やや話がずれたかもしれないが、たしかに落語や歌舞伎などのように、時代に合わせて姿かたちを変えることで人形浄瑠璃においても生き延びることだけなら可能かもしれない。しかし、文楽の場合、繊細な中身が変わってしまってはもはや文楽ではなく、ただの人形芝居、「文楽のようなもの」が残るだけだろうと強く危惧するものだ。
この点が、私の文楽の将来に対する悲観や「古格を維持している限りは、文楽は補助されるべきだ」と考える所以でもある。
大阪市長やその周辺が模索しているように、観客動員を増やそうとする努力、そのための宣伝や統括的なプロデュース・マネジメントが必要だろうというのは、私もかねがねそう思っていた。まんざらではないと思う。
ただし、それには一定の限界があるだろうとも思う。要因はいくつでもあげられる。
音楽環境がもうまったく変わってしまっている。古典に対する教育がほとんど日本ではなされないのだから理解できなくて当たり前。そもそも、松竹ですら経営が難しくて50年前に放り出したものを今の時代に観客が増えるわけがない。ちゃんと語れる人がもういなくなりそうだ等々。
一定の限界を認めなければ、たとえば市長がいろいろ言っているように古典であっても演出をもっと現代的にしなければならなくなるだろうし、本も変えなければならない。本来、国立劇場国立文楽劇場での公演は一作品全部を舞台にかける「通し」を主として行われるべきだが、観客動員を上げたいのであれば歌舞伎のように「見取り」だけでプログラムを構成し、有名な売れそうな場面だけ舞台にかけておけばよい。しかし、それで本当にいいのか。
つまり、観客動員をどうしても上げたいのであれば、中身にも伝承にも確実に影響が出てくるだろうと思われるのだ。これで本当に「古格」が維持できるんだろうか。
私は、文楽だけでなく、歌舞伎も好きだし(そもそも文楽に触れるきっかけは歌舞伎で知っている演目は文楽ならどうなのかという興味だった)、西洋古典音楽も大好きな人間だ。そうやって比較をすることで両方を消化するのが、誇張して言えばあるいは日本人だけの楽しみだとすら思っている。
そこで西洋音楽と比較した場合、文楽に匹敵するものはワーグナーの楽劇ぐらいしかないのではないかな、と感じている。長大さや感動の深さの点で比肩する物は相当に限られてくると思う。
それだけの値打ちがあるんだということ、それだけの値打ちがあるものに対して、日本のものなのに、その日本人の大多数が興味関心全くゼロだということは、まず言っておきたい。
その上で、しばしば「補助金なしでやっていけない芸能芸術は滅び去るべきだ」という意見が見られる。非常にもっともな意見で、公によって支えられている文化事業は常にこういう問いを問われるべきだと私も思う。
ただ、一方で、ヨーロッパのオペラにしろオーケストラにしろ、「補助金なしでやっていけない」わけだが、「だから滅び去るべきだ」とは言われない。ここは必ずしも論理としてリンクするものではない、ということも、またもっともなのだ。
文楽に匹敵するのはワーグナーくらいしかないのではないかと書いたけれども、ワーグナーには過去の歴史から政治的な問題が色々あり、また採算が取れないからといってドイツ人がワーグナーを「過去のもの」として捨て去るだろうか。欧州においてすら西洋古典音楽のファンはそれほど多くないはずだが、さらにそのなかのごく一部のワグネリアンしかたいした興味関心をもたないからワーグナーの上演は無駄だと批判されるだろうか。そういうことは今のところまずあり得ないと思う。なぜなら、ワーグナーはドイツの宝だからだ。文楽よりはるかにカネがかかるにもかかわらず。
大阪の先人たちは、文楽という芸能に対して文字通り心血を注いできた。一時期を除いて基本的には客が入らない芸能だったので、名人上手ですら「明日のご飯がない」という貧乏話は普通にある。奥さんが小料理屋を営んでいてそれで食わしてもらったりしている。それでもなお、大阪の偉大な先人たちはこの芸能に打ちこみ、奇跡的に現代に伝えてきた。
彼らはお金はなかったかもしれない。貧乏だったかもしれない。その代わりに得られたのは、感動を与える喜びであったり、誇りだった。掾号の問題はまさしくそれで、名誉だけが彼らの糧だったと言っても言い過ぎではない。ワーグナーにも匹敵する芸能であるからこそ、それだけ打ち込む価値があったのだ。
ただ、現代社会では、残念ながらこの芸術の価値に見合うだけの犠牲を技芸員たちに求めるのは、無理になって来ている。(それでも彼らは贅沢な生活をしているわけでは決してない)
現代の大阪人はそういう偉大な先人の子孫だ、そういう偉大な芸術を生んだ共同体の中にすむ一員なんだという矜持、その矜持が文楽に金を払わせるのであって、他に理由は見あたらない。
そして、、、私はこれが最も大事な点だと思うけれども、、、大阪人に持ってもらいたいこの矜持に対して、文楽に携わる人たちはお返しをしなければならない。
それは、新しい観客を獲得する挑戦を一方で続けながらも、文楽の本格を維持すること、継承すること、古格を守ることではないか。それが、文楽座に課せられたミッションであって、それが出来なくなった時、文楽は文楽でなくなり、公金を投入する理由もなくなるだろう。
もちろん、大阪市長やその周辺の人々が考えるように、観客動員を上げて観光資源として活用されるように生き延びる方向もある。しかし、それはもはや「文楽」ではない。
もし「文楽のようなもの」という形でしか生き延びられないのであれば、偉大な先人の名誉のために、大阪人の矜持のために、近い将来、しかるべきタイミングで文楽の死を宣告してもらいたい、最低でも名前だけは変えてもらいたい、無形文化財や世界遺産の認定も返上してもらいたい。私がこのように希望する気持ちやその理由も、これまでつらつらと書いてきたことから感じ取ってもらえるのではないか。
そして同様のことは、なぜ国が補助金を文楽に対して投入するかという理由づけにもなるように思う。大衆に受け入れられない芸能は補助金を打ち切ればいい、この財政難の折から文化事業に投ずる財源はないとよく言われるが、ことはそう単純ではない。
予算全体から見れば、補助金として文楽に投入される額は巨額とは全く言えない。しかも大阪の場合は、対象を悪玉・敵に仕立て上げて財政削減しても、すぐに無駄なプロジェクトに走るのでせっかくの財政削減が全く無意味なことになっている。大阪市長は文楽に対して様々な批判を繰り広げているが、予算と比較した場合にあまりにも不釣り合いな煽りであると言わざるを得ない。
日本の偉大な芸術、しかもまだかろうじて本格が維持されている繊細な芸術に対して矜持を持って維持するに、大阪はもとより、日本の市民社会全体「も」維持しなくて他に誰が維持するというのだろうか。
(追記)
これまで書いてきたように、私自身は文楽の将来にはかなり悲観的であるし、芸の質についても相当程度批判的だ。したがってTwitter を見ていて古典芸能ファンによる「日本の伝統芸能なんだから維持されるのが当たり前」や「とにかく文楽は素晴らしい」に類する議論を見ると鼻白む思いをする。自分の楽しみのために税金の投入を是認しろというのであれば、それはまさに橋下市長の批判通りなのではないかと思う。
したがって、古典芸能ファンの言動にもいささかついていけないものを感じる時があると、これは明記しておきたい。
また、もし何かご意見などあれば、Twitterの私のアカウントに何か書いていただきたいというのは、前回の増田に書いたとおりだ。https://twitter.com/SignorTaki
と冲方は言っている( http://towubukata.blogspot.com/2011/07/blog-post.html )。 文中、むしろ漫画にしてくれた事は評価しているし、出来るだけパクリが可能な条件を出している。原作付けや黙認だって提案している。ただ、彼は立場上それをするわけにはいかないと言っているに過ぎない。
実際、SFはいろんなものをパクったりパロディする事で成り立ってきた。タイトルだけだが筒井康隆の「万延元年のラグビー」だとか「日本以外全部沈没」とかもある。スターウォーズみたいな作品を「スペースオペラ」と言うけど、あれだって西部劇のパロディ。最近話題になった「まどか☆マギカ」だって、既存の魔法少女をパロディする事でなりたっている。だから、SF作家が盗作を許容しないなんてあり得ないのだ。パロディと盗作は違うというかもしれないけど、そんなのは紙一重の差しかない。
結局のところ、盗作が許容されないのは、それが「(金銭的な意味で)関係者に迷惑をかける」からに過ぎない。今時、源氏物語の筋をなぞって新人賞に応募したって、誰も文句を言わない。却って知的評価が高まるでしょう。日本一有名な漫画である「ドラゴンボール」だって、西遊記のパクリなんだし。
そういう意味で、早川の本(SF?)や冲方の作品を読んでいると言っているスクエニの田口とか言う人が「オリジナル」なんて言葉を使っている( https://twitter.com/#!/tah3gucci3cozy3/status/91576660729667584 )のは、明らかな嘘つきか、無知に等しい。彼がここで「オリジナル」なんて言葉を使っているのは、別に創作行為に敬意を払っているからじゃない。新規IPが欲しいからだ。本当に創作を支援する気があるなら、如何にパクって作品を面白おかしくするかに心血を注ぐはずだ。彼が欲しかっているのは、マルチメディア展開できて、かつケチのつかない作品、要するに第二のハガレンが欲しいだけだ。
学校で隣の席のやつに落書きを見せて楽しむ程度だな、私の許せる限度は。
不特定多数に向けて(手数料程度だとしても)お金をとって渡したりする行動は、そこまでするなら一次創作しろって思う。
webのネタにするなら、「無許可です、すみません(苦笑」の一言ぐらいは入れておくのが礼儀だろう。
「無許可で勝手にやってる小ネタゆえ、もちろん権利主張などいたしませんので許してください。」と言うのがスジってもんだろう。
だからこそ「無断転載もどうぞご自由にどうぞ。報告などいりませぬ」って思うぐらいの謙虚さがあってこそ、一次創作者も黙認するってものだ。
二次創作なのにコピーライトやサインを入れる奴ってサイテーだと思う。
コメントせずにはいられなかったように見受けられる。何でって?ホッテントリあるあれを読んだからだよ。あとで読んで。
日記見たけど、http://d.hatena.ne.jp/SiroKuro/ やっぱりオタクの人なのね。美少女とかのアニメが好きな感じ?
いきなり人をこいつ呼ばわりするのはどうかと思うよ。そういう常識的なところが欠けている人が多い印象、オタクの人って。
なにがどう残念なの?そもそも残念な奴ってどういう意味?あなたにとって私がこんな感じなのが残念なの?
「あとでみる」ってこんな短い文章なのに?読んだからコメント書いたんじゃないの?ねぇ、どうなの?
2008年08月17日 altana11 この記事もそうだけど、気持ち悪いという言葉には悲しいくらい力がない。気持ち悪い気持ち悪いと相手を否定しても否定する相手が多数派なのでどんどん孤独になっていく。どうあがいても否定されるのは少数派。寂しい
え、同人誌書いたりコミケ行ったりする奴が少数派でしょう。どっちが多数かはあまり関係ないけど。気持ち悪いというか卑怯者?他人の創造物を無断で改変する失礼な奴?まぁ言葉はなんでもいいんだよ。ああいう周りの見えていない人間どもが嫌い。最近の開き直り具合は世も末だと思う。
どうしようもないし、とめられるともとめようとも思わないけど、なくなってほしいと望むね。せめて、嫌悪感は伝えたい。それはサイテーと思われるような事なんだよと。伝えれば嫌な気持ちになってやめる人もいるでしょう。
2008年08月17日 popopom 変な日本語, 同人, license なんか男子中学生が書いたような文章だな。ブクマコメに対する食いつきといい。/“ホッテントリあるあれ”って何?どのエントリのことだろう?
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20080815/1218830796
これです。「に、あるあれ」のにを間違えて消しちゃっていました。
2008年08月17日 KoshianX copyright こういう認識の人間も実際にいるからなあ。西遊記やら三国志やら古典の二次創作は許せるとか言い出すんだろうな、ドラゴンボールみたいな。で、どこから古典?みたいな話に。
今現在話題で人気に乗っかるのと、古典とじゃぜんぜん違うじゃない。
2008年08月17日 sea_side !エントリー, 文化 あまり関係ないけど、過度なオリジナル志向も害だと思うねぇ。
え、なにそれ。オリジナル作品しか作ってない人は害なの?同人誌を書いていないクリエイターは社会にとって害悪な存在?ぜんぜんわかりません。
2008年08月17日 fake-01 copyright, 同人, 二次創作 「せめて、嫌悪感は伝えたい。」権利ではなくて、嫌悪感の問題って事ですか。なら、気持ち悪いから、黙ってろって言われるのも、想定してるね。こんな感情論だけでは意味ないので、まず、著作権というものを学べ。
感情を無視するのは良くないよ。人々の感情あっての法律だから。黙ってろと何百回でも言ってもいいよ。黙らないけど。
2008年08月17日 y_arim anonymous, illustration, copyright, creator, doujin, 言及されました ところでおれのオリジナルイラストを見てくれ こいつをどう思う?
猥褻だと思いました。http://hatena.g.hatena.ne.jp/keyword/%E3%81%AF%E3%81%A6%E3%81%AA%E6%83%85%E5%A0%B1%E5%89%8A%E9%99%A4%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3
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2008年08月17日 m-bird これはひどい そもそも増田って嫌だよ 匿名という安全性にあやかっているのが気持ち悪い。不特定多数にDisる行動は、そこまでするなら実名でしろって思う。// http://d.hatena.ne.jp/m-bird/about
こんにちは、筑波大の水野貴史さん。いつもお世話になっております。フリーオ便利そうですよね。
2008年08月17日 mgkiller 「今現在話題で人気に乗っかるのと、古典とじゃぜんぜん違うじゃない。」ネタを拝借するという点では同じ。君は法律的観点を持ち出さず感情論でのみ物を言ってるからそこを分断するのは論が破綻してるよ。
あのさ、共通点をさがしてるんじゃないんだから。私の文意ではまったく別。現時点での人気度合いがオフセットとして働く形で己の創作物の価値を高めているって意味で全く違う。そりゃ西遊記の人気があるからドラゴンボールの人気が上がったという面もゼロではないかもしれないけど古典と現行品では雲泥の差じゃん。コミケの同人誌と同じっていう方がムリあるよ。三国志はもともと史実じゃん。そんなの挙げて言い訳してみっともない。
その不愉快なものに対してすぐ釣りとか言うのやめてほしいな。本心を言っているだけなのに。釣りだってことにすれば何か納得できるっていうわけなの?どんな意見でももうちょっと真剣に受け止めるほうがいいんじゃないの?さもなくば無言でスルーしようよ。はいはい釣りね~とか言うのはみっともないと思う。
~ですね、分かります。
とかいうコメントは全部、とても頭悪いと思う。それで気が済むとしたらお目出度い奴としか言いようが無い。冗談ならいいけど。
ハテブコメントは、オタクの人が多いから意見が大きく偏るなぁ。少数意見のはずのものが多数のように見えてしまいますね。
あと、http://anond.hatelabo.jp/20080817123327 これを書いたのは私です。
ここで、二次創作物といっているのはいわゆるコミケなどであつかわれている類の同人誌のことです。MADアニメでもいいです。コスプレなども含まれるかもしれません。原作漫画をアニメ映画化とか、小説を漫画化とか、商取引上で著作権者同士の合意に基づいて派生されたものは、一次創作物だと思っています。
http://d.hatena.ne.jp/ezil/20080818
他人のものなのに、これは俺のものだよって言ってるのがおかしいよ。パクっといて自分のものって主張すんな。と思います。そのキャラクターはお前が生み出したものじゃないだろ、なに自分のサインつけてんだよ。って思います。
共同著作物ならオリジナルの作者名が必要だろ?だからって勝手に名前使うなよ、ちゃんと許可とれよ。って思います。
2008年08月19日 tizell 「~がスジだろう」「~が礼儀だろう」「~するってものだ」と、想像で書いてることばっかり。「お前の想像するようなルールは存在しないよ」としか言えない。
多くの常識的感覚は明文化されたルールにはなっていないものだよ。人とであったら挨拶しようとか、親切にされたらお礼を言おうとか、そういうものでしょ?それがスジでしょう。それが礼儀でしょう。そうするべきでしょう。それとおんなじ。他人が作った創造物を無断で利用したり改変するのはよくないよ。
「法律に書いてあるのかよ!」ていう小学生みたいなこと言わないで。
どちらも全国展開して売り出されたもので、大金をかけて宣伝されたものという認識です。個人が自分のウェブサイトに載せました、とか近所の電柱にチラシを張りましたとか、そういうのが大金をかけて宣伝されていないものです。全国展開している雑誌に広告を載せたり、大手の流通に乗せたりしている品物という意味で、個人レベルのアピールとは桁違いの知名度そもった物であるという意味で言いました。
自分の創作活動100に対して1の割合ぐらいの息抜きで、パロディーとかIFとかやるのはいいと思う。自分の制作活動の5割とかそれ以上の大きな割合を二次創作が閉めているような人間は嫌いだし、それを買うことで肯定する客も嫌い。そのぐらいの小さな割合でなら許す。
あと、二次創作を原作者にむけて作るのならいいとおもう。原作者を楽しませるために、まず最初に原作者にみせ、原作者の許可のもとで他者にも見せるならわかる。
嫌い、以上の事は言っていません。非常識、人間性がなってない、と思ってるといいたかっただけ。あーあー聞こえなーい、しらねー、と気にせず傍若無人に好き勝手原作をレイプする人がたくさんいて止めようがないのは百も承知。一言、人として間違ってる、礼節がなってないと言ってやりたかったから増田に書いただけ。まわりはオタクが沢山居て同人誌を書いている友人もいてコピーライト自分ってサインする人も沢山居て、そういう人には何を言っても無駄だけど、こうして増田に書いたら賛否もいっぱいいろんな人が応答してくれて、かなり満足ですよ。
2008年08月17日 soylent_green 気持ちはわかるんだが、どうしようもないね。
2008年08月17日 gadgetman 元ネタ原作者より儲けてる同人作家がいるかも…とか想像すると、なんか嫌な方向にもやもやするんで、わからなくもない。/id:KoshianXがここで西遊記とか持ち出す意味がわからん。二次創作マンセーな方ですか?
2008年08月17日 toward_to_terrada この手のエントリのはてブ見ると何でオタクが迫害されるのか良く分かるよ・・・。それこそ100文字では言い切れない位に。
2008年08月17日 tnai45 自分の好きな作品が18禁同人のネタにされるのは確かに嫌だ。だから、なるべくそういうのは見ないようにしてる。
2008年08月17日 tek_koc 人気をあやかろうって視点では確かに不気味だと思う。芸人の真似して笑いを取るみたいな感じ。
2008年08月17日 daca 二次創作を嫌がる人も中にはいる。多数派だって印象はないし、故にあまり顧慮されない傾向はある。ただ好意的黙認を受けた二次創作は、自らも利用されることに好意的であってほしい気はする。 GPL増殖的な。
2008年08月18日 winter-snow わかる。金がらみになるとすごいさめる。そこまでするもんじゃないだろうって。
2008年08月18日 Hlao 気持ちはなんとなく分る(…略…)
2008年08月18日 mike_n ヲタ わたしも二次創作は苦手(気持ち悪いと思うこともある)(…略…)
2008年08月20日 midou_shin そういう感情は分かる(…略…)
2008年08月21日 lefthanded そんなに批判されるようなこと書いてるようには思えないが…。自分は二次創作自体は嫌いじゃないが、二次創作物の権利を声高に主張するような人はだめだと思う。まあ、そんな人多くないと思うけど。
ちょっと感情的になりすぎでは。あなたの友人にも言えないでいる人いると思いますよ。
http://anond.hatelabo.jp/20090207183508
二次創作なんて語事態が気持ち悪いね。自己肯定なのだろうけど。他人のふんどしで相撲をとるっていうの、創作者の風上にも置けない。
いやいや、日本こそ語る必要がなかったけど、外国こそ語らないと駄目なんよ。サブカルは。
外国ではマンガでいうと「ポパイ」のような暴力描写のものは駄目だし、(映画「バイオ・ハザード2」で子供を銃で撃たなかったり、映画「GODZILLA」でもアメリカ軍が負けるのは御法度とかいろいろある)
韓国では長幼の序を乱すようなもの、駄目でしょ。教師が悪役のとか。
ちなみに中国では結社の自由がないから工房とかスタジオのような形式はビクビクしながら作らないといけないらしいし。
フィリピンでボルテスVだっけ、マルコス政権下で強制終了させられたの。これ、オタキングのホラかな。
1970年代末期に小松左京が集英社文庫の「SFセミナー」で、SFこそ地球民主主義の基礎になると書いていたけど、
それから30年たってもそんな兆しはないし。
(話しは違うが中国や韓国では「金田一少年の事件簿」が読まれることはあっても推理小説が売れないってね。
確たる証拠とか人権とか論理的な推理というものに価値を認めない文化圏だし)
日本文化はマンガやアニメ以外でも童話から、幼少期から西遊記に代表される中国古典からサンタクロースに代表される北欧・キリスト教圏の文化まで違和感なく接しているけど、こういうのって世界的に見ると非常に希だと思うのよ。
そういった一切合切を「日本の子供文化」として括って、「オタク」ってのはその上に生まれて一口じゃ説明できないものになってるけど、外国人はその表面しか見てないでしょう。
タダでさえクリスマスを祝った一週間後に寺社仏閣で手を合わせる国民って奇妙だねって自分の文化を「外国人には理解できないだろうなぁ」って面白がって笑っているんだし。
儒林外史を読み終わった。他の人の読後感を知りたくなって、ネットを検索してみたら、どうもほとんど読んでる人がいないらしい。サイトは作りかけのが1つだけ、wikipediaに項目がない、2chのスレもなし、はてなキーワードもなし。
知名度は「三国志」「水滸伝」「西遊記」「紅楼夢」には及ばないにしても、タイトルは高校の世界史でも出てくるし、そこそこメジャーだと思ってたのにがっかり。
流行らない理由は、特に目立ったストーリーや人物がない、科挙や官僚制度がわかりにくいあたりか。
訳本が手に入れにくいのもあるかも(文庫で出てないので、平凡社の中国古典文学大系(昭和43年)で読んだ)
読んでみるとそこそこ面白いので暇のある人は一読してみてください。
http://anond.hatelabo.jp/20070831110034
デスノートで書くべき「本名」って何だろう。
戸籍に書いてある名前?
例えば西遊記では
http://www1.ttcn.ne.jp/~kozzy/saiyuuki/saiuki14.htm
>「誰か、出て来い!」
>「誰だ、お前は?」
>「悟空孫だ。」
>「何? 悟・空・孫だと!? 捕まえた悟空にそっくりだな。」
>「ふざけるな、この紅瓢箪で吸い取ってくれるわ。」
>「全てお見通しよ。俺の名前を呼んで俺が返事すると、吸い込まれるって事だろ? 俺は騙されないぜ。」
>「よく知ってるな。じゃあ、試してみようぜ。悟・空・孫!」
>「何だ...わぁーっ。」
って感じで本名でなくても「返答すること」で条件が成立する(だから悟空は油断した)
のだけどデスノートにおける「本当の名前」ってどういう定義?