はてなキーワード: 弥生時代とは
相撲は太古の昔より神様に奉納するために行われてきた、ということと相撲の女人禁制の議論が行われている。そこで、日本の神様の歴史を考えてみた。
縄文時代以前は狩猟時代であったので、大きな集落が形成されることはほとんどなかった。各集落の長は、部族の長たる酋長と呼ばれていた。この時点ではまだ神様は発明されていない。
温暖な気候の下、採取される木の実などが多かった時代の後、地球全体で寒冷化が始まる。寒冷化によって狩猟が出来なくなり、日本人は「農耕」を始める。農耕を始めたことによって食糧生産量が増え、人口が増え始める。狩猟と違って、農耕社会ではその地に定住することが基本となる。
農耕社会になると、各集落同士の争い・戦争が激しくなる。狩猟時代であれば、どちらかの部族が他に移動すれば争いは回避できるが、定住が基本となる農耕社会においてはすぐに戦争になってしまう。その過程で、定住する集落を守るための武人の階級が出現する。この武人階級が集落の中で次第に力を付けていき、王の誕生=国家の誕生とつながる。
武力や財力のある農耕国家は周辺の集落を併合していく。戦争によって領地を広げていく過程において、部族の崇める神が、平和の神から、軍事をつかさどる軍神へ変化していく。
弥生時代から古墳時代にかけて、西日本(九州~近畿地方)において、広域を統一していた部族国家が「ヤマト王権」を名乗る。王権を統一していた王=神は天皇を名乗る。
法治国家である日本国においてその店が営業出来ているって事は現状では合法って事だろ?
これって自分の給料で南青山の裏路地にあるカフェにダージリンティーを飲みに行くってのと変わらないだろ。
例えばウンコ食いながらカティーサークを飲む事が好きな人がいて誰にも頼めないから鶯谷のSM店でオプション使って自分の欲求を満たしたとしてもその人は何も咎められる事はないでしょ?
日本では各人がどんな趣味趣向をもっていようとはその権利は保障されてるでしょ、それが合法である限り。
自分の趣味趣向と違うからってその人を非難するってすげー自分勝手だろ。
なんか出会い喫茶に行った理由が貧困調査だったからってすげー聖人扱いされてるけど、別に調査ついでにお小遣い上げて同意の上でエッチな事してても別にいいでしょ。
性欲ないと聖人なの?アホかよ。
日本てこういう下の話が絡むと極端に拒否反応起こす人が多い気がするけど、今では当たり前にする行為として認められてるフェラチオだって弥生時代の人間からしたらよっぽどの変態行為だぞ?
偉くて賢い人の性癖が普通じゃないと発言の信用性が落ちるって普通に差別だからな?
はじまりの竜とおわりの龍を読んだ。すごい。本当にすごい。すごすぎる。内容と世界観に圧倒される凄まじい漫画だった。
馬鹿の一つ覚えみたいにすごいとしか繰り返してなくて恥ずかしいんだけど、本当にすごい漫画だった。四つの短編からなる連作集なんだけど、どれもこれも何冊もかけて大きなエピソードを読みきったかのような充実感が味わえる内容で、どれもこれも濃密極まりなかった。これひとつひとつの短編でそれぞれ一本ずつアニメ映画が作れそう。過剰なところがあるのかと言われればそうじゃなくて、過不足なく充実しているのが本当にすごいと思う。壮大。本当に壮大な叙事詩だった。
タイトルにもある通り、この作品は竜が重要な存在になっている。一章では、天から落ちてきた竜と地上の人が交わる過程を描いていて、全体的に神話みたいな話なんだけど、神話にありがちな朧気な所がなくてリアリティと神秘性の両立がいい塩梅で成し遂げられているのがすごい。二章では弥生時代っぽい時代背景で竜が政に関わっている様子が描かれている。最後の龍と鳥の姿が圧巻。獣の奏者のような里が描かれている三章では、竜が政争の道具になってしまっていて悲しくなった。四章では竜の終焉が示されている。
これら短編は世間感がそれぞれ本当に凄まじい。ひとつひとつの時代を切り取って一つの大きな物語が描けてしまえるほど壮大で濃密な空気感を醸し出している。おかげで没入感がすごい。一つの短編を読み終わると、物語世界から浮かび上がってきて一息つきたくなるくらい。また。人間ドラマも適切でいい。過度な肉付けをしていないせいか、物語の登場人物がリアリティを内在させながら配役にきっちりと収まってる。反面、ありがちでスケールの大きさが物足りないエピソードになってしまってはいるんだけど、この作品は世界観が何よりなのでかえって功を奏しているような気がした。キャラクターが張り切って表に出てこないために、広大で深遠なスケールを描き出しているのだと思う。
もちろん、それぞれの登場人物にも愛着が湧いてくる。一章以外には分かりやすい悪役がいるんだけど、彼らの心境にも思いを馳せることができるのがすごいと思う。みんながみんなちゃんと起立した人格を有しているのが味わい深かった。種類なんて言葉で表したくないけど、それぞれの短編で多種多様な人が描かれてるのもすごいと思った。
何度も同じ言葉を使って頭が悪いんだけど、本当にすごい。圧倒されてしまう。すごい。なんだろう。自分にはすごいとしか言いようが無い。
これで新星っていうんだから信じられない。本当にすごい。信じられない。もう一度読もう。
日本人は糖分摂り過ぎ
なんでこんな炭水化物ばっかとってんの?
軽く茶碗いっぱいのご飯が角砂糖15個に相当するのはよく言われてるから知ってるよね?
そもそもコメを食の中心において、それ以外をコメのためのオカズとする文化が気持ち悪い。
主食なんて概念、日本とそれに影響を受けたアジアの一部でしか聞いたことがないわ
コメ自体は弥生時代に朝鮮半島から輸入されたものだから、遺伝的に〜というのもおかしいし、人類は長い歴史を通してみてもそんなに穀物は食わない。
要は食料を安定させるために、安くてカロリーの高いコメがここ数百年で重宝されてきたってだけでしょ。
今では、コメ以外にも安くてうまい食べ物は大量にあるのに炭水化物ばかり貪ってる意味がわからんわ
砂糖でも齧ってろ!
刊行中の「天冥の標」、めちゃくちゃスケールのデカい人類年代記です。「導きの星」の5倍くらい(感覚)。巻ごとに世紀がかわる仕様ですから壮大。これがねえ、ガワを見るとすげえおもしろそうだし、実際おもしろいっちゃーおもしろいですけど………なんかこう「あともう一歩欲しいなー」感がこびりついて離れない。こんなにも壮大な作品舞台なのに、壮大なスケールで描かれた書割のように見える瞬間があって、この感じはいったいなんだろなーってずっと疑問に思ってました。
連接小惑星に人工重力を発生させてその上に首都がある宇宙国家とか、地球上のあらゆる生物を生きたままサンプル保管している巨大宇宙船とか、宇宙空間でも死なない種族がつくった脅威の軍艦とか……あんまこう、実感として想起されない。へーって思うくらい。イゼルローンの難攻不落な印象であるとか、地球とはあまりにも異質な惑星フェアリィの土壌とか、そういう圧倒的生々しさ、存在感に欠けているのが「天冥の標」における大きな泣き所であるように感じます。
いまのところ出色は4巻。SFにおける未踏の地へのアチーブメントが本当にすごい。このテの設定はむしろエロゲーで使い古されたシチュなんですが、そんなエロゲ設定を本家SF作家がSFにしてしまったのが面白い。本当に素晴らしい仕事だと感じました。シリーズ全体の印象でもこの巻は群を抜いています。おそらく圧倒的にキャラクター小説しているせいなんだと思います。キャラクターが動くことによって舞台装置が説明され、読者の目線もまたそちらのほうに向かうというのがうまく働いているように見受けられました。
イゼルローンの存在感とは、巧拙さまざまな将官が攻略をこころみては散ってゆく描写に基づいてますし、惑星フェアリィの不気味さも、謎空間にとらわれ苦悶する深井中尉や、超理不尽に片腕をうしなう従軍記者といったキャラクタの立ちふるまいによります。キャラクタの存在は、キャラクタ小説以上にSFでこそ必要不可欠であると感じます。
こうしてみると、「天冥の標」が慢性的に欠いている要素とは、銀英におけるヤンやラインハルト、雪風における深井零やブッカー少佐、すなわち「読者が感情移入してくれる魅力的なキャラクタ」ではないかと思うのです。ノルルスカインは味わい深い造形だが脇役すぎる。クロニクルの辛い所でしょうねー……。魅力的なキャラが動きまわって舞台に彩りが添えられることが少ないせいか、どうにも世界観が書割的に見えてしまう。ほぼ名前が出ただけの黒色中国やサンタクルス・クリオーリョ、イスラム巡礼艦隊などの勢力に至ってはまず何者なのかもよくわからんし、7巻にてアインが喪失を嘆いているシーン、本来ならものすごいカタルシスが生まれるはずなのに、感情移入がないのでそんなにパッとしなかった。まあ意味は分かるけど…っていう。うーん。
ところで小川一水作品の暫定第一位はまずまちがいなく「時砂の王」だと思います。遠未来と弥生時代がリンクしてゆく物語で、著者いわく「もともと中編にする予定だったのが長編サイズになった」という話。全体的にすっきりした流れでムダがまるでない。よくある舞台設定なんですけども、Oも卑弥呼もものすごい心に残っていて、俺大好きです。「あと一歩」感なんてまるで無くて、すべてが完璧に見える。次点は「老ヴォールの惑星」かなー。中編。やはり余分な要素をこそぎ落としたシャープさがあります。どうも小川一水がもっとも面白くなる文章量って、中編くらいじゃね? って気がしてなりません。
306 :ソーゾー君:2013/10/17(木) 12:53:43 ID:DBul3QTI
非課税措置を廃止されたら存続できなくなるんですかねぇ・・
非課税=不鮮明=カーテンで覆い隠されているから明瞭化する為に
「誰が幾ら何の為に寄付して何に使ったかを明瞭化されて困ることってあるんてすかねぇ?」
非課税団体=宗教団体がマネロン組織としてゴロツキと癒着しているのは小学生でも知ってる常識だぜ?
うちのきなこ餅(ハムスター♀1歳8ヶ月)も理解してるぜ?
「そんなもん弥生時代から詐欺行為してるじゃんw一向一揆とかやってるテロ組織だろ?w」と言ってるぜ?w
非課税廃止したら何に使ったかばれるから嫌がるに決まってるだろw」と笑ってたぜ?w
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1378650618/l50
アニミズム自体に呪術的とか生殖器崇拝とかはないよ。弥生期のそれは朝鮮宗教が根付いてるからだよ。少なくともシャマニズムが誕生する以前をアニミズムなんて言う。アニミズムが根付いてる神社で有名なのは奈良の大神神社。
てか勉強不足どころかアニミズムの意味を理解してないよね。ググるなり何なりした方が賢明だよ。
以下は全く別問題なので切り離して考えよう。
>疑問を抱くのは、どうして男根を祀る生殖器崇拝が多いのかということにある。多産、豊穣を願うのならば、どちらかと言えば女性性的なる象徴を崇めたほうが自然な成り行きなのではないだろうか。
東北地方の神道は基本的に女性が豊穣祈願の役割を担ってる。東北の代表的な山岳信仰の一つである出羽三山は恐山などとは異なり乙女に田植えをさせる風習があるけどね。神様も女性に喩えられてるし。大阪では、住吉信仰(海神信仰とすべきか)が有名かな。
一方、東北は女人禁制の信仰が多く残ってるけど、女人禁制そのものは神道でなく仏道だから、基本的に男根祭も仏道になる。神道論といいながらも実際は仏道だったりするのが神仏習合の結果なんだろうね。ちなみに弥生時代までは女尊男卑が通例だったけど、仏教伝来から男尊女卑になったのは皆知ってるよね。
愛知は有名な仏教都市。三大稲荷のひとつである愛知の豊川稲荷がその例。曹洞宗ね。
結論からいうと、弥生期までは女性が豊穣祈願の担い手だったけど仏教伝来以降は男性主義になったってこと。女には穢れがあるなんて発言したのは時の権力者の都合の良い方便だったと解釈するのが無難かもね。実際は女性に穢れはないって思想観念こそがわが国固有の神道なんだよ。
農業始めた時点で、道具作れる奴とか、土器作れる奴とか、分業せざるを得ないと思う。
というか、狩猟生活するにしても分業した方が効率いいし。
現代日本の一般的な会社員程度の類を「奴隷」と形容するなら、古今東西全ての社会は大半のメンバーが奴隷という「奴隷制社会」だぞ?
「奴隷制社会」を非難するのはべつにかまわんが、いつでもどこでも「奴隷」であるのが当たり前だったのに、奴隷じゃない生活を「当たり前に生きる」ことだと思うのはおかしい。『「古今東西あらゆる社会でごく少数の人しか享受できなかった奴隷じゃない理想的な生活」を送ることは難しい』というべきだろ。(つまり貴方は当然のことを言ってるだけにすぎないわけだ)
ちなみに完全自給自足なんてやろうと思ったら、生産性が滅茶苦茶低いから、忙しい上に物質的に貧しい生活を送ることになるぞ。弥生時代くらいのレベルかな?自給自足の生産性の低さってのはそういうことだ。
もし進化論が正しければ、生き難いブス・ブサイクは淘汰されるはずだ。
特に古代・中世とは違いメディアの発達した近代では、庶民でも労せずにレベルの高い美人・イケメンを目にすることはできるため、真の美人・イケメンを知らないため見切り発車(発射)してしまうということも少ないはず。
それでもブス・ブサイクが減らないのは、進化論が正しくないかもしくは、
のどれかなんだろうか?
まったく役に立たないから参考にするな。
時は戦国弥生時代。氷河期なんてちゃちなもんじゃねぇ、もっと恐ろしいモノの片鱗を…の時期に大学4年生の俺。
もうその時から就職活動はしてなかった。
つーか、3年生の時から就職活動するなんて信じられず、どんどん届く立方体ぐらいになっちゃってる就職雑誌に恐れおののく。
失敗。
行きたかった研究室に研究生として潜り込み、大学院試験勉強を1年する。
大学院入学。
やっぱり就職活動するつもりなし。
このまま大学に寄生できればいいなーとほのかに何の行動も起こさずに考えていた。
で、研究室のOBが会社見学に来ないか?というので、弁当とテレカと交通費に引かれて遊びに行ったら、そのまま入社試験を受けさせられて、1回本社で面接を受けたら入社が決まってた。