はてなキーワード: 完璧超人とは
うーん。やっぱり威圧してもうてるんやろか。
ワイ転職入社で序列的には下っ端なんで部下はおらんやで。安心してや(笑)
ぶっちゃけ身内は医者がゴロゴロいるような感じやし、テストの点数は満点で当たり前みたいな親父殿だったから、どっちかというとワイは自己評価低い方やと思うわ。発達特有のアレとかコレとかあるしな。
基本世の中自分が一番ダメやし、だからこそ下手に判断誤らんように他人様の意見はまず内容聞かなアカンし、分からん言われたら徹底的に説明せねばてのが染み付いてもうてる。
だからこそ、「こんなダメな自分以下って何こいつ???」ってなってまうところはあるんやな。
学歴高いと初対面の相手は高確率で完璧超人に近い印象抱いてもうてるやろ?
せやからワイかてみっともないとことかどうしようもないとこあるんですよ、割とダメ人間で完璧超人ではないですよ、てのをあんまり隠さんようにしとる。夜は早よ寝んとアカンとか、食いもんの好き嫌いがあるとか、割とドジ踏む時は踏むとかな。
発達特有のアレとかコレがあるとかな…。
見下されるのは別にええんやけど、人間見下しとる相手から正論言われたりダメ出しされたら反発するのが自然ってもんよな。
悪いことに、話聞いてもらえんとヤバイときほどどうもならんくなりがちや。
はーあ。ホンマ、どおしたらええんやろな。
母子家庭だし、高校を中退してから最近までニートをしていたが、流石にやばいと思ってガチで勉強して医学部に入った。嘘みたいな経歴だが本当だ。
そんな俺だが、医学部に入ってわかったことがある。箇条書きする。
− 金持ちで性格も良く、顔も良いというような完璧超人が本当にいる。漫画の世界から飛び出てきたような人間がそこそこ存在するのに驚く。
・頭が良すぎる人間がいる
− 自分の頭がいいと思ったことは一度もないが、本当に話すだけで頭がいいとわかるような人間がたくさんいる。人間として格が違うようで悲しくなる。
− 本当に狭い。かなりの村社会で、悪いことをすると1日で広がる。人間関係がそのまま資産になる。
・医学部は暗記
− 本当に理系の頂点なのかと思うほど全てが暗記である。一に暗記、二に暗記。そんな中でも教科書をチラ見しただけで記憶できる人がいてさらに驚く。
こんなところだ。
ちなみに余談だが、学費は全額自分で払っている。日本学生支援機構の一種と二種を限界まで借りて生活費まで賄っている。
なぜかというと、最近の法改正で「二浪以上は、どれだけ貧乏でも学費免除不可」になったからである。
俺のような高齢者はどれだけ貧乏でも自分で学費を払えということらしい。
厳しい世界だが頑張ろう。
賢すぎて隙がない…ってわけでもなく、若干の隙を見せつつも、教養あってレスバに強く人望もわりとある、あの感じが嫌だった
そもそも俺は勝手に完璧超人と認定した人間を嫌う悪癖があって、そこにミソジニー的反感も加わった結果、微アンチみたいになってた
そのわりには著書をKindle Unlimitedで読んだりリストに入れて観測したりもしてるから、総合すると「謎の感情」としか言えない感じもあるが(恋?)
今回の件みて、なんかその反感が消えつつある
普通に気の毒すぎる
同業者が鍵垢でネッチネチ攻撃してきてたのが明らかになるの、メチャクチャきついだろ
俺そんな悪意向けられてたのに気づいたら寝込むわ
心がキュッとなる
マジで健やかでいてほしい
私はおそらく、“上の下”くらいの人間だ。
大抵の事柄は上手くできる。
素人に混じれば超人扱いの特技もある。過去の模試の成績などを参照するなら、世間一般的に頭は良い方だろう。
親に褒められたり、再会した友人に凄いと言われたり、ネット上で反応をもらえたりすることも少なくない。それは純粋にうれしい。
ただ少し問題がある。
私が育った環境は、いわゆる“上の上”に位置する人間で溢れかえった環境だった。
学校にせよ、習い事にせよ、同じクラスには全国レベルがいる。私が知らないだけで、隣のクラスには世界レベルすらいたんじゃないかとも思う。
天才と一括りに言ってしまうと努力している人に申し訳ない気がするが、いわゆるそういう天性の何かを持ったような人たちが集まる空間で育ってきた。
その環境に文句はない。(ないならこんなの書くなって話だが)むしろ感謝している。実際それでたくさんの素晴らしい友人を持つことができたのは事実だ。
そんな人たちと確かに同じ空間で学んで育ったけれど、私は天才ではなかったし、あとから天才になることもできなかった。
学校で劣等感を覚えることはなかったと言えば嘘になる。嘘にしかならない。毎日感じていた。全くわからない長文を瞬時に理解できる友人、簡単に数式を立ててのける友人、簡単に筆者の意図を読み解ける友人。私よりできる人しかいないような空間で、ひどい点数を取り続ける。
親は私が落ち込んでいるとよく「あの学校でこのくらいなら十分だ」と言っていた。
たとえば中学の同期に会うと、「あんな学校に行くなんて」「すごいね」という言葉が飛んでくる。私は曖昧に笑うことしかできなかった。
私は下手に負けず嫌いなくせに、自己肯定感が低いとてつもなく面倒なタイプの人間だ。
そんな私があの環境で育てば自然と「私は全然凄くない」というお気持ちがでてくる。
それでも世間は私を凄いと言う。
実際私が自分の学歴を「ぜんぜんです」と否定したら、冗談抜きで相手にキレられるだろう。私としても申し訳なくて言えない。本当に素晴らしい学校だったから。
だとしても、私は自分を素直に誇れない。誉め言葉を受け取れない。
すごいと言われたことのあるものは全部私よりできる人が周りにいた。誉め言葉を受けとっても脳内に浮かび上がるのはその友人の顔だ。
以前までは即座に謙遜していた。
「そんなことない」「私なんてぜんぜん」「私よか凄い人いっぱいいるし」
本心なのは間違いなかった。その謙遜が相手に失礼だったと最近やっと理解できたレベルで私は愚か者なのだから。ただ理解してしまったから、今は解決法が見つかるまで曖昧に流すようにしているが。
もう一度言うが、環境や友人に不満はない。一切ない。あるわけがない。恵まれていることも分かってる。贅沢な悩みなんだろうとも思う。
でも私は馬鹿だから、誉め言葉を素直に受け取るためにはその分野で実際に頂点に立つしかないんだと思い込んでしまう。
私は“すごい”のか?
仮に“すごい”としても、“もっとすごい”人が隣にいるから、称えるのは私じゃなくてそっちだよ。
ちなみに友人を妬んでるつもりは一切ないのだが……この性格なので否定はできない。
ただその人はいつも努力していたし、その絶対量は私より確実に上だ。だから当然のことだと考えているつもり。
ここまで書いておいてなんだが、私は自分が何を言いたいのかすらよくわかっていない。
ただ気持ちを吐き出したいだけなんだろうが、言葉をまとめることすらできないような凡人以下の存在だ。
でも私が自分を卑下すると相手に失礼な態度をとっていることになる。
小心者なので、自分がミスを犯したときの予防線も欲しいから余計傲慢になれない。
なんでこんなくだらないことで悩んでしまうのか。原因は私の言葉の受け取り方だとわかっているのに、自力で治せないあたりやっぱり私はダメな人間だ。
完璧超人にでもなりたいのか?と聞かれそうだが、なれるんならなった方がいいと思う。
なれないとわかっているのにこう考えてしまうところも愚かだと思う。
上には上がいる。そんなの当たり前だ。本当の頂点に立つ人がそう身近にいるはずないこともわかってる。実際私が天才だと思っている人もトップレベルなんだろうが、きっとトップではないのだろう。そう思うと本当に虚しくなってくる。そう思う自分が虚しい。
最初から最後までひどすぎる文章だったが、もし対処法知ってる人がいて、教えてくれる親切な人がいるなら聞きたいからここに投下しておく。
1/29を記念してキン肉マンの完璧超人始祖編あたりの話が無料で読めたから一通り読んでみた。
面白かった。
色々あって、最後にそれぞれの陣営で強さの考えが違えど、力自体は拮抗する表現が良い。
完璧超人陣営も最終的に没落したり他の陣営に合併するわけでもないと言う終わり方も良い。
完璧超人が持つ絶対王者のカリスマ性は、正義超人でも悪魔超人でもないな。
読み終えるまでに3時間位掛かったな…。
リアル世代では無かったけど、劇場版キン肉マンを子供のころから見ていたから好きな作品だった。
2世から連載を追いかけてたから、実は本編について良くわかってない話もある。
オメガ・ケンタウリの六鎗客編でビッグボディが活躍したという噂で連載を追いはじめたから、完璧超人始祖編が良くわかってなかった。
「私は良いと思う」とか「俺はブロッケンJr、おまえはザニンジャ…」のくだりのネタしか知らなかったけど、結構重要なシーンじゃないか。
ナギサさん最終回を見て思ったことを書かせて欲しい。今から書くことはわたしの家政婦ナギサさんを全部見た人でないと基本わからないのでその点は御承知おきいただきたい。
このドラマは確かにフェミニズムの観点では良いドラマだったのだろう。仕事を頑張る女性が自分の理想にあった男性を見つけて結婚し、報われる。それ自体は良いと思う。
しかしこのドラマはマスキュリズム(=フェミニズムの男版)の観点では問題がある。なんでナギサさんは完璧超人かつ聖人君子でなければならなかったのか。
引っかかったのは主に2点だ。
・なぜナギサさんは家政婦でありながらも、主人公のメイよりも上位の業界首位のMRで優秀な成績を収めなければならなかったのか。
・結局メイはナギサさんを結婚後も都合の良い家政婦として使っているだけでないかと思うがそれを是として良いのか。
他にも「なぜナギサさんは主人公におっさんと罵倒されながらも、ああも寛大でならなければならんかったのか」とか言いたいことはあるが、物語の都合上しょうがないとして受け入れるとする。
初めになぜナギサさんは家政婦でありながらも、主人公のメイよりも上位の業界首位のMRで優秀な成績を収めなければならなかったのか。
メイのアドバイザーとしての立ち回りを求められるのはしょうがない。しかし、ここまであからさまに上位でなければならなかったのか?
働く女性に対してナチュラルに意見を言うためにはここまでのハードルが求められる社会は果たして健全だろうか。(なおメイに意見を聞かれたから、ナギサさんは意見を述べただけで自分から押し付けがましく言ったわけではない)
・結局メイはナギサさんを結婚後も都合の良い家政婦として使っているだけでないかと思うがそれを是として良いのか。
メイがナギサさんにアプローチする理由、ナギサさんが結ばれた後も描かれた生活でもナギサさんが一方的にメイに尽くしている。これは良いのか。これはかつての逃げ恥で述べていた「好きの搾取」の典型ではないのか。