はてなキーワード: ポール・オースターとは
村上春樹を英語で読む。私はこれでTOEIC900点を突破しました。
小説を読むうえで大きなストレスとなることの一つに、著者が描く情景、主人公の心情、時代風景などがピンとこない、ということがあります。外国の小説の場合は、たとえ日本語に翻訳したものを読むときであっても、日本人である我々は感情移入ができず、結果として、なかなかサクサクと読み進むことができません。英語で読む場合は、これが「英語という言葉がわからない」「書かれてある内容自体がピンとこない」の二重のストレスになってしまい、英語上達のためのポイントである「多読」の障害となってしまいます。対処法は簡単です。日本人の著者が書いたものを英語で読むこと。そして自分が好きなものを読むことです。
私は昔から村上春樹が好きで、ノルウェイの森は特に、これまでにたぶん10回以上読み直しています。話の流れはほぼ完ぺきに頭に入っているので、Vintage版のノルウェイの森は簡単に読み終えることができました。これは、いままで、いろいろな英語の小説(ポール・オースターからハリー・ポッターに至るまで)にトライし断念してきた私にとって大きな自信になりました。
次に、今まで日本語でも読んだことがなかった、海辺のカフカを試してみました。これも多少は日数はかかりましたが、楽しみながら英語で読み終えることができました。同じようにして、これまでに長編・短編を何冊か読んでいます。
村上春樹の小説の主要なものはほとんど英訳されていて、Amazonなどで手軽に手に入ります。村上春樹がかなり好きな人であっても、読んでいない作品というのはあるかと思うのですが、そうしたものであっても英訳で読むことができます。自分が初めて読む小説が、それが英語で書かれているのにもかかわらず情景がすんなりと理解できる、というのはすばらしい快感です。それは、ちょうど、海外の作家の本を英語で読んだ際の、自分が理解できているのかどうかに確信が持てないもどかしさの対極にあります。
村上春樹が好きでない人は、自分の好きな日本人作家を読めばいいと思います。吉本ばななや村上龍も英訳が多く出ているのでいいと思います。三島由紀夫、安部公房、井上靖が好きなので英語で読んでみましたが、これらは私にはダメでした。時代が違う作家の文章は、英語になってしまうと、一発でピンとくる感じがなくなってしまいます。小説ではありませんが、最近のアニメや日本映画を英語吹き替えプラス英語字幕で観るという方法はよいかもしれません。
http://anond.hatelabo.jp/20140421200127
おにーちゃんみたいな子にボキャブラリーと運とカリスマが伴うと
トム・ウェイツとかチャールズ・ブコウスキーとかポール・オースターとかリチャード・ブローディガンとか
ヘルマン・ヘッセとかになれるんだろーなぁと思うけど。
残念ながら片鱗は見えないから
とりあえず働いた方がいいんじゃないか。さもなければ詩でも書いたらいい。
これは過激になって駄目になった文学に対する激励文。
過激さは別に問題じゃないんだ。
過激だから文学ってわけじゃないんだ。
勿論過激さはありだよ。だけどそれだけを抜き出してどうこうできるわけじゃない。
致命的なのは過激な人たちは人を楽しませようって感覚がないんだ。
いや、とびきり退屈な人だっておなじなんだけどさ。
だけどあれは意外なものでもなんでもないんだ。
それは必要だからだ。もはや手段となってしまったんだ。
あらゆる意味での暴力のないストーリーなんて作れないんじゃない?
とても過激なものにするか、とても洗練されたものにするか。
ああ、だけど言葉の定義ってのはあんまりにつかみどころがないね。
どこまでが暴力?脅しが?セックスが?それとも単純な殴る蹴るだけ?
新しいものって何?今更反小説って言っても、ねえ。
糞みたいに退屈で、作者も楽しめないって状況に陥ってることを書いているし。
自由にやらせちゃだめなんだ、きっと。
どこかの誰かの制限が面白くさせるって面は確実にあるんだろうな。
読者の存在を念頭に置かなければ多分面白い物語は書けないんじゃないかな?
前衛は消えた。誰もが素朴なリアリズムを純文学だと思っている。
多分そのうち純文学は歌舞伎みたいなものになるんだよ。いや、もうなっているのかも。
文字を使った何かはきっと残るんだろうけどね。
誰も否定できないものをやってなにが楽しいんだろう?
誰も理解できないものを書いてだれが楽しむんだろう?
俺はスリップストリームがそうだと考えているんだけど。
だけどそれだってポール・オースターとカート・ヴォネガットがずっと前にやっている。
佐藤友哉の後を追っても仕方がない気がするよ。
それ自体が何か暗示してるのかな?
この時代の何を描いているのかな?
行き詰るのはまあ、いつものことで。
それでも少しずつ潜っていられるのは素晴らしいことで。
何か書かずにいられなくなってその文章が小説についてってのは、
ちょっとした皮肉だけど。
それは仕方ないこと。
焦ったってどうにもならないし。
そういうことはわかってるんだけどね。