はてなキーワード: フィルムカメラとは
中国系の写真系Webサービスの情報が全然入ってこない・話題にならないので困っている。
自分の知っているのは以下に書いていくので、他になにか知っているサイトがあれば教えて欲しい。
写真共有サイトのtumblrのようなサイトに、lofterがある。
tumblrに流れることも多く、リブログ数も稼いでいる写真もあるので見たことがある人も多いかと思われる。
以下にも中国受けしそうなレタッチ&合成した写真もあるが、vscoなどの欧米でオシャレでっしゃろと言われているものも普通にジャンルを確立している。
lofter単体ではtumblrと変わらないのだが、こちら(http://pp.163.com/)のサイトと連携しており、ジャンルわけがされており横断的に探したいときに便利だ。
日本人として受け入れやすい、日系ポートレートというジャンルもある(http://pp.163.com/pp/#p=10&c=285&m=3&page=1)ので覗いてみてはどうだろうか。
フィルムカメラのジャンルもおすすめである(http://pp.163.com/pp/#p=44&c=-1&m=3&page=1)
中国版Weiboとも連携しているようである。WeChatはわからなかった。
GANREFだと機材自慢だけに終わっており、Flickrだとタグで探すのも難しく、tumblrもリブログはされるものの交流にはいたらず、
Twitterだと画質が悪くなり、noteだと金稼ぎだと叩かれる。
smugmugや、zenfolioは日本では流行っているとは思えない。
写真を撮っている人は多いと思うのだが、いったいどこに流れたのかよくわからない。
広告系写真だとmokoがある。(http://www.moko.cc/)
最初に言っておくが、プロの写真家だったり、そうじゃなくても、ものすごく写真が上手い場合には、
あくまでこれは、そうじゃない普通の人で、かつフォロワーを増やしたい人のための方法である。
まずFacebook連携をしてFacebookの友達を片っ端からフォローしろ。
大体Facebookの友達200人フォローしたら10人~20人くらいはフォロー返してくれる(もっと返してくれるかもしれない)。
次に、数日様子見てフォローを返してくれた人以外は全員フォローを外す。
なぜこれが必要かというと、後々自分も感じるようになったことなんだが、見知らぬ人からフォローされた時に、
余程うまい写真じゃない限り誰からもフォローされてないアカウントをフォローバックするのは気が引けるからである。
加えて言うと、フォロー数とフォロワー数が極端に離れているアカウントもフォローバックしたくないと感じてしまう。
みんながみんなそう感じるわけではないがそう感じる人もいるから、
その後は、1日1枚か2日に1枚くらいのペースで写真をアップロードする。
ポイントは、そのペースを変えないことだ。
もし、休日に写真を撮って、アップできる出来の写真が10枚あるなら10日かけてアップするんだ。
ちなみに、感覚としては、多くて1日1枚、少なくて1周間に3枚程度だ。
1日に何枚もアップするとタイムラインにその人ばかりが出てくることになる。
そうなると、相手はうざく感じてフォローを外す可能性が高いのでやめておこう。
海外で人気のハッシュタグをつけると、外国のアカウントからもイイねをもらえるようになる。
#instagood #photooftheday #instadaily #igers #igersjp #ig_japan
#instagramjapan #ig_photooftheday #2instagood #photographysouls
#photographyislifee #ig_worldclub #shotaward #justgoshoot
#huntgramjapan #team_jp_ #RECO_ig
#写真好きな人と繋がりたい #写真撮ってる人と繋がりたい #ファインダー越しの私の世界
もし、ニコンのカメラで撮った写真なら #nikon なども付け加えることをおすすめする。
写真をアップしてイイねを貰えたら、
イイねしてくれたアカウントの写真を5枚程度イイねしてあげよう。
まずは、先ほどのハッシュタグの中で以下のハッシュタグを検索する。
なぜこの3つかというと、これらは日本人がよく付けるハッシュタグだからだ。
かつ、比較的Instagramを始めたばかりの人たちがよく付けるハッシュタグだからである。
#写真撮ってる人と繋がりたい
ここでのポイントは、自分が本当にいいと思った写真だけにイイねするのではないということだ。
目的はフォロワーを増やすことであるため、基本的にはいい写真かどうかは関係なく、
大体、1度に30枚~100枚程度イイねすればいい。
しかし、だからといってこのタイミングでそのアカウントをフォローする必要はない。
一番重要なことだが、自分からは一切フォローをしてはいけない。
ひたすらイイねを続けてフォローをしてくれたらフォローを返すのだ。
なぜかというと、自分からフォローをしてフォローバックされなかった場合、
そうすると上記で言及したとおりフォローされにくいアカウントになってしまう。
「イイねありがとうございます。フォローさせてください。」みたいな感じだ。
それでフォローされたら、「こちらこそイイねありがとうございます。よろしくお願いします。」とコメントを返してフォローバックする。
ちなみにコメント欄でメンションするには@を使う。
Twitterと一緒だ。
納豆食ってる自撮り写真をアップしたって誰もイイねはしてくれない。
写真は、上手い人の写真を見て(ついでにイイねもしよう)構図をパクって、写真を取りまくれば少しは上達するだろう。
ちなみに、Instagramではフィルムやオールドレンズで撮ったような写真がウケる。
そういった加工をするか、本当に中古のフィルムカメラで写真をとってスキャンしてアップすればフォロワーは増えるだろう。
一眼レフはミラーレスに取って代わられる。これは間違いない未来だろう。自分の見立てでは5年後には入門機が、10年後にはプロ機が完全にミラーレスに置き換わり、一眼レフはフィルムカメラのように趣味性とニッチのためのカメラになる。
そこで問題は現在一眼レフで寡占状態を敷いているニコン・キャノンはこのパラダイムシフトに生き残れるかだ。
両メーカーとも一応ミラーレスは出しているが明らかに手を抜いており、先発メーカーに対するアドバンテージはブランド価値くらいなものである。このままの状況であれば、オリンパスのOM-Dシリーズ、富士フィルムのX-Tシリーズ、ソニーのαシリーズに一眼レフのパイを侵食される一方だろう。
ミラーレスの性能が向上すれば一眼レフのメリットは失われる。ただ大きさとコストがデメリットとして残るだけだ。
ところで、幸いにして一眼レフからミラーレスへ移行するための技術アセットは揃いつつある。
一眼レフユーザーを満足させられる高精細な電子ファインダー。非コントラストAF対応レンズでもAFを可能にする像面位相差センサー技術。増大する画像処理に耐え得るプロセッサとバッテリー。
思うにニコンやキャノンが今にでもOM-DやX-T1、α7のようなプロやハイアマチュア向けの本気のミラーレスを作れば、風景や静物撮ってる連中は雪崩を打ってミラーレスに移行するのではないか。
もちろん既存レンズの相互運用性を確保した上でだ。オリンパスは2009年(かな?)にマイクロフォーサーズを打ち出してから2013年にOM-D E-M1を出すまで旧レンズシステムとの相互運用性を確保できず、プロやハイアマチュアユーザーの離反を招いた。それは技術的な問題だったが、今はそうではない。
相互運用性を確保して既存ユーザーを確保すれば、エントリーユーザーはキットレンズさえあれば良く、スムーズな移行が望める。
では問題は早いか遅いかだ。今の寡占状態をギリギリまで維持するというのも一つの選択だろうが、既にオリンパス・パナソニックのマイクロフォーサーズはプロの使用に耐え得るレンズシステムを構築しつつある。富士フィルムは玄人好みのレンズラインナップでマニア層にウケがいい。ソニー…は興味が無いのであまりよく知らない。
ともかく本格的な参入が遅れれば遅れるほど中長期的には不利に働くだろう。
ユーザー利益を考えれば、大メーカーがミラーレスという需要を無視するのは不作為の罪だと言えるのではないか。これから主流を迎えるシステムに大して意図的にそっぽを向いている、と私には見えるのだが。
一年前の私自身はフィルムカメラを所有したことはなくデジカメ一本だったが、大学時代の研究室では毎日のようにフィルムの現像をしたりしていたので、興味深く拝見した。
フィルム写真の様々な要因が絡んだ衰退っぷりが、大筋では光記録メディア(CD・DVD・BD)が現在たどっている軌跡とかぶり、時代の趨勢とはいえ、光記録メディアもいずれ同じように衰退していくのであろうと感じた(コダックや富士フィルムのようなフィルム写真メーカは光記録メディアメーカでもあった)。
記録メディアというと、テープ、磁気ディスク(フロッピーディスク)、光ディスク(CD・DVD・BD)、光磁気ディスク(MD・MO)、HDD、FLASHメモリなどがあげられる。
現在ではHDDとFLASHメモリが圧倒的で、そのほかはニッチな市場を残し衰退しているか衰退しつつある。
光記録メディアは、1980年代に普及を始めたCDを皮切りに、音楽、映像のみならずあらゆるデジタルデータの保存場所としてそれなりの地位を得ていた。
それに加え、CD-RやDVD-Rの登場で、録音・録画の受け皿としてテープメディアを置き換えていった。
そして満を持して登場したBlu-ray Disc(BD)であったが、CDやDVDのように成功しているとは言い難い。
DVD-Rも全世界で年間十億枚単位で売れているものの減少率は20%を超え、BD-Rに至っては普及しているのは日本だけという状態であり、書き込み型の光記録メディアは近い将来ほとんど見かけなくなるであろう。
このように急速にしぼみつつある光記録メディア市場を象徴する出来事としては、業界団体である日本記録メディア工業会2013年3月末に解散したことである。
建前上は「目的が達成された」ための解散であるが、実際は光記録メディアの関連企業が主な会員を占めていたため、光記録メディアの市場縮小で業界団体を維持できなくなったというのが実情であろう。
このような光記録メディアの衰退を招いた原因は多々あるが、私が主因と考えているのは以下の4つ。
・BDとHD-DVDの規格争いとBDの勝利と映像圧縮技術の進歩
それぞれ背景を見ていく。
4つの主因としたが、実際はこれが主因と言ってよく、他はすべて副因にすぎない。
記録メディアはあくまでもデータやコンテンツの箱に過ぎず、はっきり言って何でもよい。
記録メディアの要件としては、データを書き換えるか否か、読み書きの頻度と速度、容量、可搬性、保存性などである。
データを書き換えるか否かでROMとRAMのように別れ、読み書きの頻度と速度、可搬性、容量、長期保存するかによってテープメディアとFLASHメモリ、メモリサーバとSDカードのように使い分けることになる。
光記録メディアは書き換えるか否かを選べ、読み書きの頻度と速度、可搬性のいずれも真ん中に位置し、量産効果によって100円程度に値下がりするなど使い勝手はよかったと思う。
しかし、裏を返せばそれは中途半端でもあり、読み書きの頻度と速度に勝るHDD、可搬性に勝るFLASHメモリの大容量化、低価格化によってあっさり取り替えられうる脆い優位性でしかなかった。
・BDとHD-DVDの規格争いとBDの勝利と映像圧縮技術の進歩
世間を騒がせたソニーと東芝によるBDとHD-DVDの規格争いはBDの勝利に終わった。
BDは確かに優れた技術であるが、規格争いによって年単位で開発が遅れたうえ、優位性を競うあまり未成熟な技術が山ほど投入され、それらを十分に検証することもなく市場に投入された。
たとえば記録層の上に被せる保護層と、保護層を保護するハードコート層をスピンコートで形成する構造は過去の記録メディアと大きく異なっており、販売して数年後に不織布ケースでの保管に適さないことが判明するなど大量生産する工業製品としての成熟度に欠けていた。
さらに、規格競争によって発展した映像圧縮技術の進歩も災いした。
BD、HD-DVDとも当初はDVDやデジタル放送で採用されているMPEG-2という映像圧縮技術を想定していた。
これは30万画素の映像(SD映像)であれば1GBで24分程度、100~200万画素の映像(HD~フルHD映像)であれば1GBで数分程度の映像が保存できる程度の圧縮率であり、普及が予想されたHD映像はDVDでは数十分しか収められないからこそ、DVDよりも容量の大きい次世代光記録メディアが必要だという理路であったはずだ。
しかし、BD、HD-DVD両陣営とも規格競争で優位に立とうとしてMPEG-4.AVC(H.264)という新しい映像圧縮技術を盛り込んだ。
この映像圧縮技術は計算が複雑でより高度なハードウェア、ソフトウェアを必要とするものの、MPEG-2に比べ2倍以上の圧縮率を実現できる。
BD、HD-DVDの両陣営とも、MPEG-4.AVC(H.264)の採用で圧縮率の低い美しい映像を実現できるとアピールしていたが、特に書き込み型のBD-Rでは数十GBの容量は明らかにオーバースペックとなっていた。
さらに、MPEG-4.AVC(H.264)の採用によって、ハードウェア、ソフトウェアレベルでの対応と普及が急速に進み、安価に使用できるようになったうえ、圧縮率の向上は通信環境への負担を減らし、ネットワーク経由でのHDD録画再生、ビデオオンデマンドのような競合を利する結果となった。
個人的な話になるが、私はDVD-Rを年間数百枚は購入しており、実家の親や親戚も韓流ドラマにはまりこれまた数百枚単位(ひょっとすると千枚以上)で購入していたと思う。
今はどうか?
今はBD-Rを使用しているが、実家の親のための子供のビデオを年間数枚程度、そのほかにスポーツ・アニメ・バラエティで10枚程度だと思う(数えたこともない)。
個人的にはもっと使いたいとも思うが、記録メディアに焼いてまで見たいとは思わなくなった。
年齢のせいもあるかと思うが、やはり大きな原因はコンテンツのレベルの低下、そしてコピーガードであろう。
アナログ時代はゲーム機などにも保存しどこでも見れるように工夫していたが、今はおいそれとはできない。
実際には、その機能もあるし使ってもいるが、いろいろ工夫することはなくただ使うだけとなった。
録画した機器とは別の機器で再生できるかどうかもやってみなければわからない、前は出来たのにできなくなるなど使い続けるのに二の足を踏むようなことがたびたび起きた。
こうなると、仮に問題が解消されても、試すことすら面倒くさいのでもはや使う事はない。
正直、今使っている機器が壊れた後、光記録メディア機器を買いなおして使うか?といわれるとおそらく使わないだろうと答えるしかない。
年間数百枚単位で使っていた私ですらこれなのだから、一般の人はさらにその思いは強いのではないだろうか?
ではどうすればよかったか?
いくつもの目論見違いが重なり業界自体が消滅の危機を迎えている。
一番の問題は、現在のコンシューマ向けの消耗品の大部分と同じく光記録メディアは設備産業で、ある程度規模がないと儲からない構造となっていたこと。
そのため、わずかな販売の減少であっという間に赤字に転落してしまう。
CD、DVDの減少は想定されていたよりも急で、BDも規格争いで遅れ普及も低調だった。
赤字を避けるためにはそれなりに利益があった時期に撤退を決断する以外になかったかと思うが、営利企業としてそれは不可能であったろう。
これ以降は後知恵になるので、当事者からすれば何もわかっていないとの誹りを受けるだろう。
敵は身内ではなく外にあり、普及しているというアドバンテージも劇的なスピードで進むHDD、FLASHメモリの進化の前には風前の灯で、規格争いのような内輪もめしてる場合ではなかった。
今思えばソニー・松下よりもHDD、FLASHメモリも製造していた東芝のほうが状況を正しく認識していた。
しかし光記録メディア業界として、「フルハイビジョンの美しい映像」、「著作権業界に配慮して完璧なコピーガードを」なんていう身内の論理を優先し、「見たいときに見たいものをボタン一つで(それなりの画像で)」を実現しようとしていた外の業界に対する危機感がなかったとしか言いようがない。
光記録メディアが生き残る可能性が多少でもあった選択としては、規格争いはせずHD-DVDをMPEG-2のみ対応とし、コピーガードはやむを得なかったろうから、できる限り次世代規格の製品化を早め、2011年のデジタル化までに互換性の向上とネットワークへの親和性を高めることに努めていくしかなかったのではないかと思う。
これはまさに当時の東芝の目指していたものではあったのだが、業界からは東芝だけが儲かると警戒されてしまった。
光記録メディアはあくまでコンテンツネットワークの一部にすぎないし、寿命を先延ばしすることしかできなかっただろうが、それでも墜落を避けソフトランディングできたのではと夢想する。
昔見ていた大長編ドラえもんで、タケコプターがしょっちゅう壊れたり、電池切れだったりで、大事なシーンで使えないということがよくあった。
「まあ、ここで使えたら話が変わってくるもんな」と、子どもにしては冷めた目で見ていたように思う。
しかし、大人になって体験したある出来事のおかげで、話の都合だけじゃないんじゃあなかろうか、と思うようになった。
というより技術が進歩して、小型の電化製品を複数持ち歩くようになって気づいた、といった方がただしいか。
私が子どもの頃だと、持ち歩く電化製品なんて、父親が持ってたビデオカメラ(カメラはフィルムカメラだった)くらい。
とうぜん、使う前にはきちんと充電なりメンテをしてたから「電化製品がいざ使う時に不具合」なんて想像もしてなかったんだな。
しかし、二十数年が過ぎて、日常的にポータブルな電化製品を使うようになると、なんというか扱いに差が生じる。
携帯みたいな毎日使うものはちゃんと充電してるけど、デジカメみたいなたまにつかうものだとたまに充電忘れたり、メモリーカード抜きっぱなしだったり。
逆に、ビデオカメラみたいな「ここぞ」で使うものはちゃんと整備してる。(デジカメと両方持ってるのはデジカメだと利き目の関係で目が隠れてファインダーで動画撮影できないから)
確かに、スモールライトとかどこでもドア(こっちは大長編では「地図は対応してない」など、ドラが原因の整備不良以外の理由で使えないことが多い)は毎日使ってるから不具合は起きないだろう。
逆に、タケコプターなんかを使うのは基本、秘密道具を持って調子こいてるのび太を、ネズミ(あるいはのび太にだまされて)気絶から目覚めて慌てて探しに行くときとかで、毎日は使ってなかった気がする。
私自身はフィルムカメラを所有したことはなくデジカメ一本だったが、大学時代の研究室では毎日のようにフィルムの現像をしたりしていたので、興味深く拝見した。
フィルム写真の様々な要因が絡んだ衰退っぷりが、大筋では光記録メディア(CD・DVD・BD)が現在たどっている軌跡とかぶり、時代の趨勢とはいえ、光記録メディアもいずれ同じように衰退していくのであろうと感じた(コダックや富士フィルムのようなフィルム写真メーカは光記録メディアメーカでもあった)。
記録メディアというと、テープ、磁気ディスク(フロッピーディスク)、光ディスク(CD・DVD・BD)、光磁気ディスク(MD・MO)、HDD、FLASHメモリなどがあげられる。
現在ではHDDとFLASHメモリが圧倒的で、そのほかはニッチな市場を残し衰退しているか衰退しつつある。
光記録メディアは、1980年代に普及を始めたCDを皮切りに、音楽、映像のみならずあらゆるデジタルデータの保存場所としてそれなりの地位を得ていた。
それに加え、CD-RやDVD-Rの登場で、録音・録画の受け皿としてテープメディアを置き換えていった。
そして満を持して登場したBlu-ray Disc(BD)であったが、CDやDVDのように成功しているとは言い難い。
DVD-Rも全世界で年間十億枚単位で売れているものの減少率は20%を超え、BD-Rに至っては普及しているのは日本だけという状態であり、書き込み型の光記録メディアは近い将来ほとんど見かけなくなるであろう。
このように急速にしぼみつつある光記録メディア市場を象徴する出来事としては、業界団体である日本記録メディア工業会2013年3月末に解散したことである。
建前上は「目的が達成された」ための解散であるが、実際は光記録メディアの関連企業が主な会員を占めていたため、光記録メディアの市場縮小で業界団体を維持できなくなったというのが実情であろう。
このような光記録メディアの衰退を招いた原因は多々あるが、私が主因と考えているのは以下の4つ。
・BDとHD-DVDの規格争いとBDの勝利と映像圧縮技術の進歩
それぞれ背景を見ていく。
4つの主因としたが、実際はこれが主因と言ってよく、他はすべて副因にすぎない。
記録メディアはあくまでもデータやコンテンツの箱に過ぎず、はっきり言って何でもよい。
記録メディアの要件としては、データを書き換えるか否か、読み書きの頻度と速度、容量、可搬性、保存性などである。
データを書き換えるか否かでROMとRAMのように別れ、読み書きの頻度と速度、可搬性、容量、長期保存するかによってテープメディアとFLASHメモリ、メモリサーバとSDカードのように使い分けることになる。
光記録メディアは書き換えるか否かを選べ、読み書きの頻度と速度、可搬性のいずれも真ん中に位置し、量産効果によって100円程度に値下がりするなど使い勝手はよかったと思う。
しかし、裏を返せばそれは中途半端でもあり、読み書きの頻度と速度に勝るHDD、可搬性に勝るFLASHメモリの大容量化、低価格化によってあっさり取り替えられうる脆い優位性でしかなかった。
・BDとHD-DVDの規格争いとBDの勝利と映像圧縮技術の進歩
世間を騒がせたソニーと東芝によるBDとHD-DVDの規格争いはBDの勝利に終わった。
BDは確かに優れた技術であるが、規格争いによって年単位で開発が遅れたうえ、優位性を競うあまり未成熟な技術が山ほど投入され、それらを十分に検証することもなく市場に投入された。
たとえば記録層の上に被せる保護層と、保護層を保護するハードコート層をスピンコートで形成する構造は過去の記録メディアと大きく異なっており、販売して数年後に不織布ケースでの保管に適さないことが判明するなど大量生産する工業製品としての成熟度に欠けていた。
さらに、規格競争によって発展した映像圧縮技術の進歩も災いした。
BD、HD-DVDとも当初はDVDやデジタル放送で採用されているMPEG-2という映像圧縮技術を想定していた。
これは30万画素の映像(SD映像)であれば1GBで24分程度、100~200万画素の映像(HD~フルHD映像)であれば1GBで数分程度の映像が保存できる程度の圧縮率であり、普及が予想されたHD映像はDVDでは数十分しか収められないからこそ、DVDよりも容量の大きい次世代光記録メディアが必要だという理路であったはずだ。
しかし、BD、HD-DVD両陣営とも規格競争で優位に立とうとしてMPEG-4.AVC(H.264)という新しい映像圧縮技術を盛り込んだ。
この映像圧縮技術は計算が複雑でより高度なハードウェア、ソフトウェアを必要とするものの、MPEG-2に比べ2倍以上の圧縮率を実現できる。
BD、HD-DVDの両陣営とも、MPEG-4.AVC(H.264)の採用で圧縮率の低い美しい映像を実現できるとアピールしていたが、特に書き込み型のBD-Rでは数十GBの容量は明らかにオーバースペックとなっていた。
さらに、MPEG-4.AVC(H.264)の採用によって、ハードウェア、ソフトウェアレベルでの対応と普及が急速に進み、安価に使用できるようになったうえ、圧縮率の向上は通信環境への負担を減らし、ネットワーク経由でのHDD録画再生、ビデオオンデマンドのような競合を利する結果となった。
個人的な話になるが、私はDVD-Rを年間数百枚は購入しており、実家の親や親戚も韓流ドラマにはまりこれまた数百枚単位(ひょっとすると千枚以上)で購入していたと思う。
今はどうか?
今はBD-Rを使用しているが、実家の親のための子供のビデオを年間数枚程度、そのほかにスポーツ・アニメ・バラエティで10枚程度だと思う(数えたこともない)。
個人的にはもっと使いたいとも思うが、記録メディアに焼いてまで見たいとは思わなくなった。
年齢のせいもあるかと思うが、やはり大きな原因はコンテンツのレベルの低下、そしてコピーガードであろう。
アナログ時代はゲーム機などにも保存しどこでも見れるように工夫していたが、今はおいそれとはできない。
実際には、その機能もあるし使ってもいるが、いろいろ工夫することはなくただ使うだけとなった。
録画した機器とは別の機器で再生できるかどうかもやってみなければわからない、前は出来たのにできなくなるなど使い続けるのに二の足を踏むようなことがたびたび起きた。
こうなると、仮に問題が解消されても、試すことすら面倒くさいのでもはや使う事はない。
正直、今使っている機器が壊れた後、光記録メディア機器を買いなおして使うか?といわれるとおそらく使わないだろうと答えるしかない。
年間数百枚単位で使っていた私ですらこれなのだから、一般の人はさらにその思いは強いのではないだろうか?
ではどうすればよかったか?
いくつもの目論見違いが重なり業界自体が消滅の危機を迎えている。
一番の問題は、現在のコンシューマ向けの消耗品の大部分と同じく光記録メディアは設備産業で、ある程度規模がないと儲からない構造となっていたこと。
そのため、わずかな販売の減少であっという間に赤字に転落してしまう。
CD、DVDの減少は想定されていたよりも急で、BDも規格争いで遅れ普及も低調だった。
赤字を避けるためにはそれなりに利益があった時期に撤退を決断する以外になかったかと思うが、営利企業としてそれは不可能であったろう。
これ以降は後知恵になるので、当事者からすれば何もわかっていないとの誹りを受けるだろう。
敵は身内ではなく外にあり、普及しているというアドバンテージも劇的なスピードで進むHDD、FLASHメモリの進化の前には風前の灯で、規格争いのような内輪もめしてる場合ではなかった。
今思えばソニー・松下よりもHDD、FLASHメモリも製造していた東芝のほうが状況を正しく認識していた。
しかし光記録メディア業界として、「フルハイビジョンの美しい映像」、「著作権業界に配慮して完璧なコピーガードを」なんていう身内の論理を優先し、「見たいときに見たいものをボタン一つで(それなりの画像で)」を実現しようとしていた外の業界に対する危機感がなかったとしか言いようがない。
光記録メディアが生き残る可能性が多少でもあった選択としては、規格争いはせずHD-DVDをMPEG-2のみ対応とし、コピーガードはやむを得なかったろうから、できる限り次世代規格の製品化を早め、2011年のデジタル化までに互換性の向上とネットワークへの親和性を高めることに努めていくしかなかったのではないかと思う。
これはまさに当時の東芝の目指していたものではあったのだが、業界からは東芝だけが儲かると警戒されてしまった。
光記録メディアはあくまでコンテンツネットワークの一部にすぎないし、寿命を先延ばしすることしかできなかっただろうが、それでも墜落を避けソフトランディングできたのではと夢想する。
今30だけど、少なくとも物心つく頃にはあった。別にウチが裕福なわけでもないし人から来るのにも当たり前にあった。
少くとも30年前の自分が生まれた頃には、皆カラーで写真をプリントして持ってるし(デジタルじゃないからフィルムは当然プリントする)
写真1枚がクソみたいに高いわけではなかったと思うけど。フィルムの中から自分で選ぶ、なんてサービスなかっただろうし、
写真なんて残ってる家ならものすごい量残ってるし。(勿論、今のデジタル時代に比べれば少ないと思うけど、1枚1枚が高価なら金持ちの家しかアルバムとか作るほど写真を印刷できないだろう)
年賀状の写真なんて小さいし、普通の写真よりは印刷代そのものが馬鹿高い、ってこともないわけだし、
言っても大したことなかったんじゃん?
まあ、20代が、もう30年くらい前に始まったサービスを超古典、と言っても別におかしくないでしょ。
デジカメが主流になった時点でカメラの概念自体も変わってるし、今なんて普通にフィルムカメラとか超古典でしょ、一部のマニアや仕事カメラマン除いて。
その都度言われる「アナログの頃はよかった」っていう論調はいったいなんなのだろうか、と。
アナログの方が性能がいいという主張は、まぁ理屈は分からなくもない。
ところがそういう連中に限ってデジタルに録音された音楽をアナログで聞いていたり
しかも再生のアンプに真空管使ってるわけでもなく、完全にデジタルを意図して作られてたりするわけで
お前ら本当に性能のこと分かってるのか、と。聞き分けられるのか、と。
CDが出たばかりの頃の感覚のまま今まで来ているんじゃないか、と。
で、結局のところ多くの主張は「アナログの方が味がある」とか「心温まる」という意見だったりする。
確かに俺もレコードに針を落として「ブブブ・・・」っていう音が入ったりするのは凄い好きだ。
録音状態が最悪なデモテープなんかを聞くのもすごく好きだ。
ただ、だからといってアナログの方がデジタルよりはいいと思わない。
それは別の話だからだ。
つまるところ、アナログの方がよかったなんていう論調は
「あの頃はよかった」なんていう過去の栄光にすがる気持ちであったり
「最近の奴らはよくわからん」なんていうジェネレーションギャップだったりする気持ちを
素直に「時代の流れについていけない」とか「今の音楽は分からない」とか言えばいいものを
「アナログよもう一度」なんて言ってしまうのは心の弱さじゃないのか、と。
もう10年ほどすれば
「クラウドじゃない頃はよかった」
なんていう人が出てきたりするのかもしれない。
痛いニュース(ノ∀`):10〜30代の若者、遊びが「貧困化」。携帯、ネット、ゲームに時間使う若者増加 …レジャーにも「格差」が
最近こういう最近の若者はビンボくさいというような記事ができますが、本当に貧しくなったのでしょうか?
ワーキングプアの問題など、憂慮しなければならないこともあるでしょうが、見落とされるものもあるような気がします。
ちなみに私は、それほど裕福ではありません。貯金とかすごく少ないですし。
でも、給料は悪くはないと思う。底辺地方基準だけど。それなのになぜビンボくさいかといったら、思うに、親の世代に比べたら出費が多いんじゃないかってことです。
まず、ケータイ。一人1台の時代です。どんだけ通信費使うんだよってことです。団塊の世代が若かりしころ、こんなに毎月出て行くものがあったのでしょうか?
それから、インターネットをすればプロバイダとキャリアに毎月払うものが出てきます。かなり安くなってきているとはいえ、やっぱり無視できない金額です。
それから、買い替えが頻発するハイテクな趣味が増えたこと。この辺は想像で申し訳ないですが、たとえばフィルムカメラって10年とか余裕で使えましたよね?
でも、デジカメを10年も使ってたら、何なの?死ぬの?ってな有様です。
それから、PC。続きはWebってなあんばいで、持ってること前提。昔のPCは高かったとはいいますが、持ってるのは一部の好事家のみだったわけです。
そして、これも10年も使えません。
その他、世の中にはものがあふれており持っていないと何なの?死ぬの?ってな印象を与えるものも少なくないわけです。
商業主義に躍らせてる部分もあるのでしょうが、兎に角、団塊の世代が若かりしころにくらべたら物的誘惑が多いのではないでしょうか?
団塊の世代の話を聞くと、若かりしころからこつこつ金をためて云々とかいう話とか聞かされます。
そうでなくとも当時の遊びは、今から見るとモノ的にビンボくさいですよ。
あとは、さっぱりわからんですが、税金とか今と比べてどうだったんでしょうか?
食費は?
その他生活費は?
そういったものをぜんぜんあげることなく、ただ単に今の若いモンはビンボくさいってのは乱暴すぎる論法ですよ。
収入が減るというのは嫌ですけど、それにあわせて物価が下がればどうってことないですし。
今と昔の家計簿を見比べてみたいものです。