はてなキーワード: オザケンとは
・はじめに
・第1章
「マスクはないほうがいいでしょうか」 / 二誌で語っていた“いじめ”とは / 「全裸でグルグル巻」は本当なのか? / 実際にした行為はどれなのか / 小山田はなぜ音楽担当を引き受けたのか
・第2章
空白の五日間のはじまり
漠然とした恐怖が現実となった日 / 過去にも問題視されていたいじめ記事 / ついに始まった小山田への攻撃 / 家族への釈明と徹夜で書いた声明文 / ホテルでの逃亡生活と殺害予告
・第3章
開会式本番二カ月前の依頼 / じつは小山田の名前を出さない約束だった / 「オリンピックへの参加は辞退しましょう」 / それでも続く炎上と二度目の殺害予告 / 太田光がメディアに抱いた疑問 / 訪れた殺害予告当日
・第4章
芸能一家に生まれて / 自由な教育の和光学園 / オザケンとの出会い / 秋田県の宿舎で何が起こったのか / 沢田君は友だちだったのか
・第5章
フリッパーズ・ギターの伝説 / 「ロッキング・オン・ジャパン」と山崎洋一郎 / 原稿チェックなしというポリシー / 山崎は小山田の理解者だった / 問われる「ロッキング・オン・ジャパン」の姿勢
・第6章
しゃべってしまった責任 / 小沢を意識しての発言だったのか / 何度もあった訂正・謝罪のタイミング / 二〇一八年に弁護士から「放置すべきではない」 / 小山田事務所と山崎の水面下での交渉 / 今、小山田は山崎に対して何を思うのか
・おわりに
「幕が下りる直前まで怖かった」 / 肩透かしを食らった復活劇 / 書きっぱなしのメディア / 当事者たちの責任と悔恨 / もし、あの夏をやり直せるなら
関ジャムでやっていた、「令和に活躍する若手アーティストが選ぶ最強平成ソング BEST30」から、色々抜けているものがあるぞとホッテントリになっていた。
https://guatarro.hatenablog.com/entry/2022/05/08/234252
具体的にトップ30から何が抜け落ちているかというと、安室、TRF、ZARD、WANDS、B'z、GLAY、ラルク、X 、オザケン、ミッシェル、イエモン、久保田利伸、mihimaruGT、浜崎あゆみ、湘南乃風というのがあげられている。
ブコメの方ではそれに加えて、フリッパーズとかピチカートとか、ドリカム、エレカシ、ミスチルが挙げられた。
自分も平成3年生まれで、それらの言っていることはちゃんとわかるんだけど、それでも、やっぱりどちらかというなら関ジャムの方のランキングに共感する。
というのも、挙げられているそれらって、自分にとっては大なり小なり、どこかに「昭和の残り香」を感じる曲だからだ。
関ジャムの方もたとえばサザン、たま、スピッツあたりにその種の残り香を感じないこともない。でも、確実にその種の残り香を、ひとつずつ消しては平成の香りに塗り替えていった曲たちが並んでいるように感じる。
自分にとって生まれていないゾーンである平成元年や2年というのは、正直まだ昭和だというイメージしかない。
平成31年が最も「平成」で、平成の到達点、最極地であり、そこへ向けて元年から順々に昭和の香りを消しては新しいものを付け加えていった、そういうイメージである。
もっというと、今は令和であるけども、今の曲調こそが「平成」という時代が最終的に完成させたもの、という感じ。(ここからまた何十年かけて令和の香りになるのだろう)
そういう意味で、ランキング10位であるヒゲダンのPretenderは、最も平成らしい曲というイメージ。
さよなら人類→真夏の果実→空も飛べるはず→ロビンソン→Automatic→丸ノ内サディスティック→おジャ魔女カーニバル→First Love→LOVEマシーン→本能→カブトムシ→TSUNAMI→エイリアンズ→天体観測→小さな恋のうた→世界に一つだけの花→さくらんぼ→ロコローション→マツケンサンバ→栄光の架橋→群青日和→チキンライス→POP STAR→青春アミーゴ→Love so sweet→若者のすべて→愛をこめて花束を→新宝島→STAY TUNE→Pretender
となる。
昭和の残り香が平成の香りにだんだん変わっていくまでの(Pretenderに辿り着くまでの)曲調の変遷というのが見事に見えてこないだろうか。
平成が定義されていく様子というか、昭和ではなくなっていく様子というか。
そこに、小室とかフリッパーズとか久保田利伸とかの並びは、あえていなくても流れを追うのに支障がないように感じないだろうか。
まして、「令和に活躍する若手アーティストが選ぶ」のだから、今の音楽に影響のあるものが選出されるのが、当然という話に思える。
全体的に、時代や音楽性の【ありさま】ではなく【変わりゆくさま】を、駆動・象徴・定義した曲が選出されているのかなと、感覚的にはそう思った。
小山田圭吾と歳が近く、あの頃の事を思い出してみた
俺はひたすら平均的な公立校で育っていて私立の小山田圭吾の学校の雰囲気はわからない
ただ当時の中高くらいの空気を思い出すと先輩の世代には表面的に派手に目立つ不良の数が多かったのが減っていき
毎日はとても平和なはずなので突発的に酷いいじめが行われるというのが起こっていたと思う
基本的にはちょっとバカな子とか極端に運動ができないとか、変わってる子とかまずそういう子らがターゲットにされていたと思う
俺自身ナイーブな人間だったしなにかのきっかけでいじめのターゲットにされてもおかしくないような人間だった
ただスポーツができて勉強もできて女子に人気のある男子と、たまたま仲良くなれてそれでなんとなくあいつはあいつの友達だからな、みたいな
やや上位グループにいるような雰囲気を出すことに成功していただけだ
だからクラス内でいじめが発生すると内心はビクビクしながら、できるだけ平気そうな顔をして「しょうがねーなー」と笑う声が震えないようにするので精一杯だった
いじめられてる子に同情する気持ちより、自分がやられたくないという気持ちのほうがずっと大きかった
ただ自分から加担する気にもなれなかったので、あくまで一緒になっていじめるというのはせずに、かといって止めもしなかった
それにはある種の器用さ、場の空気を読む事に徹するような小ずるさが必要だけど、当時俺と同じような逃げ方をしてるやつは多かったと思う
今も似たようなもんかもしれないけど当時の学校におけるいじめの空気というのはそんな感じで
俺はいじめの現場にいた当時の小山田圭吾の気持ちはなんとなくわかる気がする
ひょっとしたら小山田圭吾自身いついじめられる側に回されてもおかしくない危うさはあったのかもしれない
だからこそ彼は過剰にいじめに加担する方に合わせてたんだなと思う
さらにそんな鎧をかぶってしまったまま大人になったのでインタビューされても虚勢を張ってしまうのかもしれない
ただね、これはあくまで小山田圭吾自身についての想像で、もちろんいじめられた方にしたらそんなのは一切関係ないわけで
後になって「実は俺だっていやだったんだよ」なんて言われたら一番きついと思うし
やはり重要なのはいじめた側の人間の話をヘラヘラした態度で(笑)とか入れて雑誌として売り物として出しちゃったことだよなと
記事の頃はいい大人になってるはずの小山田圭吾がなぜあんなにベラベラといじめを語ってるのか
これはやはり当時のサブカル界隈の空気とフリッパーズ・ギターの成功が大きく関係してるんじゃないだろうか
フリッパーズ・ギターといえばそれはもう好き放題というか
メディアに対して皮肉屋でビックマウス、それがかっこいいみたいなとこもあり
音楽面だけでなくそういった面でもカリスマっぽくみられがちだった
ちなみに俺自身は当時フリッパーズ・ギターはなにが良いかまったくわからないゴリゴリのハードロックばかり聞いてたけど
付き合ってた彼女が大ファンになってしまったので「なんかいいよね~」とか適当に話を合わすためだけに一応聞いたりしてた
とにかく好きなことバーっとやってサッと解散してしまって、オザケンと小山田圭吾はめちゃめちゃイケてるミュージシャンだったのだ
で、インタビューは1995年あたりらしいので解散後何年かしてからなんだと思うけど
QJは創刊してまだ間もない頃みたいだ
当時のQJといえばかなり攻めまくっていてなんかすごい雑誌出たなと仲間内でも時々話題になっていた
なぜか内容は思い出せないけどこんなん載せる雑誌なかなかないだろうなあと何度か思ったことがあった気がする
ただ自分の周りではこの記事が当時仲間内などで話題になったという記憶はない
オザケンも覚醒?以降はなんだか素敵な文学的おじさんになっていったけど
フリッパーズの頃はくそ生意気で多方面小バカにしたような態度(インタビューとかでね俺の好きなバンドも貶されてた)で
この二人が気に入らなかったのだけはよく覚えてる
当時ファンだった人はどんな感じでこの記事を読んでいたのかは気になるな
(ちなみにフリッパーズの大ファンだった彼女はその後熱狂的なオザケン信者になって小山田には渋い顔をするようになったので多分読んでないし別れた)
だらだらと書いたものの別にこれといって言いたいテーマがあるわけではなく
時代的に近いとこで生きてきた人間として思い出せることだけでも書いてみようかなと思ったまでなんで大したオチもなく申し訳ない
当時はまさか小山田圭吾がオリンピックの音楽を手掛けるなんてことも想像できなかったし
最近でもサンレコでたまにサラウンドの可能性について話すだけの人になってたと思ってたので
オリンピックのエンタメに関する人選が、外すべきだった人が外れてなくて、外すべきではなかった人が外されちゃったんだなって思って残念
私はコーネリアスのファンである。小山田圭吾本人には特別な関心は寄せてはいないが、ライブには多分3回ぐらいは行ったかもしれない。日本人ミュージシャンとしてはかなり好きな方だと思う。いじめの件は知っていた。ロッキンオンジャパン?のインタビュー記事は家を探せばまだ何処かにあるかもしれない。クイックジャパンを含め他の記事は読んでなかったので、障碍者にもひどいことをしていたのは知らなかった。
2人組になってからのフリッパーズは「態度の悪い生意気でお洒落な悪ガキ」路線で売っており、インタビュワーを小馬鹿にして煙に巻いたり、露悪的な事を言ったり、そういう記事が元々多かった。フリッパーズが解散して、小沢健二が「オザケン」になって冷笑的な態度を引っ込めブレイクしていた時、小山田圭吾が小沢健二について「レコードラックの中身がずいぶん変わっちゃったんだなと思った」みたいなコメントをしていたのを覚えている。多分あのコーネリアスのインタビューはその頃の記事じゃないかなと思う。
ファンとしては小山田圭吾の権威主義みたいなものが深まっていくのを危ういなぁと少し思っていた。YMO近辺やオノヨーコにかわいがられるようになり、海外の有名ミュージシャンとコラボし、その後NHKにも関わり始めた影で、いじめの記事はずっとネットでくすぶり続けていた。ミュージシャンとして大物になって、だんだん表舞台に近づいて行った。今になってみると某歌舞伎役者みたいな執念を若干感じる。親を絶対に超えてやるみたいな恩讐のような拘りのような感触。成功したミュージシャンだというだけではなくて、もっと大っぴらに社会的な成功っぽい何か。
とにかく表に出れば絶対に非難されるのは目に見えていた。オリパラの仕事は受けるべきじゃなかったし、非難されるのも、辞任も当然だと思う。多分ずっと心の中で後悔していたのは嘘じゃないんだろうと思うけど、謝るきっかけも無く(謝るとしたら相手に謝るべきだし、それを世間に公表するのもなんだか変な話ではある)、いつかみんな忘れてくれるんじゃないかという期待と甘さもあったんだろう。弱い人間だと思うが、いじめなんてするやつは大体そんなもんだ。
ひとつ引っかかっていることがあるとすれば、記事を書いたインタビュワーが完全に他人事なことだ。小山田氏の謝罪文でも少し触れられているが、恐らくあのいじめの記事内容には相当フカしが入ってるんじゃないだろうか。「完全な嘘でなければ真」だと都合よく解釈して、とにかく面白おかしく針小棒大に書くのが商業メディアだ。20年以上前となれば今以上だ。(ちなみにWEBメディアは経験上完全に嘘の場合もある。)よく知らないけど、今でも日本の音楽メディアってあの雑誌界隈一強なんじゃないのかな。今インタビューで実際に語ったことと記事の内容の差異を明確にすることは、今後の仕事の事を考えると小山田氏側からは出来ないだろう。もちろんそれも保身ではある。でもメディア側ががそれを良いことにさらっと済まそうとしてるような気がして、あんまりいい感じはしない。元々あんまり好きじゃない雑誌だけど。
わざわざこんな駄文を書いたのは、いじめへの義憤にかられた人がずいぶん世の中には沢山いるんだなと思ったから。小山田氏に言いたいこと言って(家族とか周辺を叩いている人は暇なのか?)、一息ついたら、学校や会社や家庭で自分の嫌いな人、苦手な人、いじめにあってる人、いじめている人に目を向けて欲しい。その場で起こっていることに立ち上がって抗議をしろとは言わない。後で一言こっそりメールでフォローを入れるとか、全然関係ない天気の話やテレビの話振るとか、飴ちゃんあげるとか、なんでもいいから小さいアクションをして欲しい。いじめてるやつもいじめられてるやつも結局あんまり大差はない。(小山田氏も今まで他人をいじめた分と同じかそれ以上の思いを今は味わってることだろう)あとあなたが誰かの事を「使えねー奴」「空気読めない奴」「うざい奴」だと思ってるその感じ、傍から見るといじめっぽくなってることが多々ある。気を付けて欲しい。せっかくいじめが良くないという機運が世の中で高まったんだったら、少しでもいじめを減らす方に世の中変わって欲しい。そうでなければ小山田氏も救われまい。言いたいのはそれだけです。