はてなキーワード: 領域とは
漫画の構図決めとか背景の下絵とかをAIに任せるみたいなのはありそう。
これまで挿絵がほとんど無かったWeb小説やセルフパブリッシングにAIイラストが入りそう。
いらすとやが使われているような領域はAIイラストで置き換えられそう。
ゲームのキャラデザとかはAIがやりそう(Unreal Engineにキャラジェネレーターが搭載されたりとか)。
お絵描きAIで楽しく遊びたいのにまだもやもやしているので、何がそんなに嫌なんだろうなって色々考えてた
自分の生活が自分の意図してないところにビッグデータとして売られるのもなんとなく嫌でそれに少し似ているような気もしている
クッキーは同意取るのに画像は騙し討ちみたいに蒐集されていいのか。まあ合法だからいいんだろうけど
・結局自分の絵が使われているかどうかわからないのでもやもやする
使われていると思ったほうがいいのだろうとは思う。何の価値もないへったくそなゴミだがネットに上げてしまったことはある
あと絵はともかくクラウドとかにバックアップ取ってる公開してない画像ってどうなのかな。個人の購入履歴とかをビッグデータとして扱うのと同様に……とか思わないでもないのだけれど
・絵としての価値は一切評価せず、ただ十把一絡げのサンプルデータとしてもらっていくね感。なんならそれを全世界に配られてる感とそれを当然とするインターネット世論
これはもうお気持ちでしかないんだけど、というか最初から全部お気持ちでしかなくてこれが特にお気持ち度が高いんだけど
お前の作品には価値がないがデータ提出を拒むことは全体の利益に反するので許さんみたいな風潮
「君の絵はすごいのでぜひ学習させたい」なんてのはなくて「個性のない判子絵師は消えろ」みたいなのばっかりじゃん
合法なのはともかくどうせ価値ないんだからサンプルとしてもいらないだろうよ。なんでちょっとやだなって言っただけでぶっ叩かれなきゃいけないの
ネットに上げた画像はすべて勝手にAIの学習データにされると思ったほうがいい、というのは心づもりとしてまあわかるしそれがどうやら合法らしいというのも散々見た
けど「どんなプライベートな領域であろうとアップロードしてしまえばあまねくすべての画像が学習データにされる」のかっていうとあんまり現実的でないと思っていて、
それはそんなに頑張ってあらゆる場所から取ってこなくても画像なんてそこらじゅうに溢れているので、効率的な収集手段でその上澄みだけ浚えばいいはずだから
ワクチンを忌避する人を説得するのは、カルトの洗脳を解くのと同じ工夫が必要だと思う。
ミッドサマーの村から信者を「救う」(定義が難しい)には相当な労力がかかるだろう。
「ワクチン忌避をしている自分たちこそが真実に辿り着いた者たちだ」「この世界は大きな悪が支配している。私たち(小さいコミュニティがエコーチャンバーで強化された状態)はそれに対抗しなくてはならない」という幻想の中にいることは心地よいだろうなぁと思う。
薄っぺらい真実に浸かって、キャッキャッとはしゃぐことが出来る彼ら彼女らはコミュニティの中で楽しく過ごしている。少し羨ましい。
ワクチン忌避文化こそ、社会学的や文化人類学の研究領域としてピッタリだと思うのだけど、そのあたりをテーマにした論文とかって、結構あるのかな。
このさすがに極端だと思うけど、おたくを煮詰めすぎるとこういう人になるという自覚と言うか意識は必要だと思う
あんまりコンタクトのない女の子と会う時ぐらい普段と違う方向で楽しまないとダメさ
実際にオタクな人で話面白い人とかマニアックだからこそ面白いものを知ってるとかそういう人もいるから謙遜であってる人もいるし、全く会ってない人もいるからそこは微妙なライン
別に女性受けするために言ってるわけじゃないから、男でわいわいやで楽しさを大事にするのは悪いことじゃない。
でも女だって男の話を聞くためにいるわけじゃないから、鉢合わせた時ぐらいは相手のこと見て考えて話題を選ばないとだめだよね
その意味だとコミュ障って、相手の時間、空間、価値観、領域を尊重できない人と言う多分ビジネスやっても駄目であろうタイプなんだよね
ビジネスになった途端それができる人もいないわけではないけど、コミュ障であることに甘えてるだけの人はきっと何もできないんじゃないかなと
コミュ障は絶対改善しないといけないものではないんだけど、自分の努力でどうにもならなかった時に赤の他人にまで甘えた態度を押し付けるのか、自分ができないことを前提に何かしらの解決策を考えるのかは大きな差があると思う。
呪術廻戦。
作中の呪術師は超能力者であり、独自の能力=術式を使用して戦う。呪術師でない普通の人間には、呪術師が払う悪意=呪いは見えず、呪術師の使う力=呪力を感じることはできない。
呪術師の最高到達点である技が「領域展開」。これは術師の中にある術式、生得領域を結界という形で体外に創り出し、そこに他人を引きずり込む。領域展開を使うもの同士が同時に領域を展開すると、より洗練された領域が相手の領域を塗り潰す。というもの。
この生得領域(術師が生まれ持った自分の心の領域?)を、生物学の概念「環世界」(ウンベルト。すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、それを主体として行動しているという考え。)で読み解いたらどうだろう。生得領域とは、各個人が獲得している環世界であり、領域展開とはその環世界に相手を引き摺り込む技であるとすると。領域のぶつかり合いとはお互いの環世界の衝突。世界の知覚・認識が正面から衝突したとき、起こるのは融合や融和ではなく「どちらの世界観が正しいか」という心の戦争。
> ・今の60歳以上の一般層に、投資で安定して暮らしてる人が居ないことについてどう思いますか
仮に米国株を2,30年積み立ててたら大金になっていたのに、そのような大金を手にした話を聞かないのはなぜだと思うかという問いだと解釈します。
一つはコツコツ積み立てても大きな金額をリスクに晒すことは非常にストレスなので途中で現金化してしまう人が多いため絶対数に限りがあります。
また見事長期投資に成功したとしても高齢者が大金を持っているという話を広めるのはリスクでしかないので、我々の観測範囲にそのような人がいないのは自然なことだと思います。
真面目なんだと思います。
あとは仕事が辛くても希望を見いだせるのが米国株くらいしかないのではないかと。
あります。
ただし投資で資産を築いたからといって贅沢な生活をしているわけではありません。
「となりの億万長者」という本を読めばより実態に近い理解が得られると思います。
銀行には限られた資本で厳しいリスク管理が求められるのに対して高いリターンが見込めるのはPEや中国などのハイリスクな領域・地域だからです。
あとなー、いらすとやが一部食い込んでた「イメージ画像や背景だからクオリティはそこそこでいいんだよね」
ってマーケットはビジネスユースでそれなりのパイがあって(パンフレットやウェブサイトの画像とかね)
そういう領域で喰ってる人はもうダメでしょうね。同様に有料の写真サイトや画像サイトも苦しい
ファンがちゃんと付いてたり、アートの領域で勝負してたり、残るのはそういう人じゃないかな
門外漢としては相当な淘汰が起こるような気がするけれど、さてどうだろうか
俺たちの劣化スピードは、いつだって加速度的に上昇している。いつしかそれは成長スピードを超え、認識できる領域を超え、音速を、高速を超えて、導かれてしまったのね、円環の理に…。
俺は研究領域が少し変わり情報系に移ってきたクチだが、情報系って他所に比べてなんでも共有したがったり公開したがる文化があるように思う。それが絶対的に素晴らしいことだと信じてそうな人も多いんだけど、実際他所からくるととても違和感があるというか、この進歩的な価値観についていけない人も多いのでは?と思っている。オープンソース文化みたいなものに触れて育った人は一般的な感性から少しズレてしまっていることを自覚した方がいいかもしれない。
自分のイラストの特徴を勝手に学習して似たような絵を生成されるみたいなのは嫌がられるのがとてもよく理解できるし、法整備したとかどうとか言われても(イラストレーターからすると情報系の進展なんて知らないだろうし)そんなん知るかよとしか言えないのではと思う…