はてなキーワード: 見積もりとは
前もあったんだけど、作業時間だけを比べられても
そもそも知識を勉強という部分だけを見ても人に依存して時間が違うからな
コロナの死滅なのかな?感染者が 0 人の状態を目指しているわけじゃないよね?
ってことは、感染のペースを落とそうとしているの?でも、緊急事態宣言後、また感染者が増え始めるんだよね?
ってことは、緊急事態宣言は特効薬かワクチンか国民の殆どに抗体が出来るまで続けるってことだよね?
ってことは、もう最低1年で、願望的な見積もりでない限り2年くらいだよね?2年も休業で耐えられるとこなんか無いよね?
この方法詰んでいるよね?
薬の話もあるけど、インフルエンザですら特効薬なんかないよね?そもそも風の特効薬が作れたらノーベル賞ものななんでしょ?
せいぜい出来て苦しみながら耐えてなんとか耐えられるくらいの薬だよね。そんな簡単に都合よく薬が出来るとも思えんよ。エイズだって相当時間かかったよ。
目指していくのは、医療崩壊しないペースで感染して人類に抗体を作るんだよね?違うのかな?薬は出来たらラッキーってものだよね?
ってことは、一定量感染しながら生活する方法を考えるしか無いよね?
お店も営業するけど、ラーメン屋のカウンターなら2席(1席?)あけてしか座れないとか、
東京ディズニーランドは1日XXX人までしか入場できないとか
キャバクラだってホストだってローテーションしないとか隣のテーブルは必ず空き席にするとか
設けは減るよ。でも感染の確率が下がる生き方は実験しながらやるしか無いんじゃないかな?確率だから1件2件の失敗を責ても仕方が無いと思うんですよね。
ちなみにスーパーは普通にレジの前に感覚あけずに並んでいるぜ。やっているところもあるかもしれないけど私は見たことがない。
「スーパーは行ってもいい」って言われて「スーパーは安全」って勘違いしている人もいると思うんだけど
このコロナの世界でどうやって生きていくか知恵を出して行くしかないよね。外出という括りで制限してても逃げているだけだと思うんですよ。
賢く見積もり過ぎだと思うなあ。
※前提として、筆者は首都圏や大阪だけでも早急に経済停止を含む処置(少なくとも緊急事態宣言)をとるべきだと考えています。
これについては、文章の最後に私以外の人の意見もいくつか紹介していますので、反論自体に興味がない人も読んでいただけると嬉しいです。
なお、増田における個人への言及が規約違反になりうる、という話については承知していますが、
上記記事の著者であるdeztecjp氏自身がそれについて 「穏当な批判まで第三者が不当視することではない」というスタンスをとられていることと、
今回の内容がなるべく多くの人の目に触れてほしいということを鑑み、増田という形を選ばせていただきました。
もし、deztecjp氏自身から削除依頼があれば、対応いたします。
さて、私がdeztecjp氏の記事について引っかかったのは、主に以下のような箇所です。
新型コロナだけ、必死に対応しようとする人々は、他のほとんど全ての危険について、忘れているのではないか。だからこそ、一点集中で全リソースを投入することを望むのではないだろうか。
最大限の見積もりでも総人口の数%が死ぬ程度で、おそらくはスペイン風邪(総人口の1%)が現実的な目安になる。
ひとつのご意見として理解はしますが、少なくとも「総人口」を基準に置く書き方はフェアではないかと思います。
リスクの高い場所(都心など)に住む人々の何%が死ぬか、というファクターも重要ではないでしょうか。
ひとつの思考実験として、より極端なケースを考えてみればはっきりするかと思います。
例えば、コロナとは別にある特殊なウイルスが流行したとしましょう。
特定の区域に住む260万人の人々だけは免疫を持たず、感染した場合に確率50%で死ぬとします。
また、何も対策を打たない場合、この区域の人々に徐々にウイルスが感染していき、やがて全員に感染するとします。
この場合、亡くなるのは日本の人口1億3000万人の1%程度です。
しかしながら、これを放置するのは、「日本中の1%が(ランダムに)死ぬウイルスを放置する」というのと比べ、倫理的に大きく問題があると考えます。
それは、「放置する」という決定は国民全員(の代表たる国会)でしても、そのリスクを負うのは一部の人々だけであり、また当該の区域に住む人が死ぬまでに感じる恐怖といった面も無視できないからです。
さらには、生き残った50%の人たちについても、家族を含む当該地域の人間関係を複数失うことが想定され、
その人たちのQOLに大きく悪い影響を与えてしまうというようなこともいえます。
大雑把に言うと、「人間関係の5割を失う悲しみを味わうひとが130万人いる」というのは「人間関係の1%を失う悲しみを味わう人が1億数千万人いる」より望ましくない状態だということです(筆者の考えでは)。
以上のようなことから、私は、「日本中の1%が(ランダムに)死ぬケースなら経済を止める必要がないかもしれない」「しかし、今回のケースでは経済を止めるに値する」と考えます。
その上で、deztecjpさんが「いや、今回のケースでも命の値段はそこまで高くない」と考えるのであれば、私に説得することはできません。
(実際のところ、自動車事故や自然死も「完全に平等な死」ではない以上、どこまでいっても価値観の問題ではあるかもしれません)
それでも、「命の値段はリスクの不平等さによっても変化しうる」という点については、同意していただけないかと考えるのですが、いかがでしょうか。
なお、私個人としては、コロナとの戦いを諦めた場合、死亡リスクが高い地域においてパニックが起きると考えており、その意味でも首都圏や大阪は少なくとも緊急事態宣言を行うべきだと考えています。
(以下、いくつか私が同意している意見を引用します。ツイートの文脈については引用しきれていないので、すみませんがクリックでご確認ください)
このくらいの生命の危機に晒された場合、ほんとうにみんなが職場放棄して逃げるエビデンスがあるのかといわれるとわかりませんが、私が都民なら逃げるので、個人的には、感染爆発下で経済活動維持なんて無理だろうと思いますね。
2月くらいにロイター等海外紙が論じていましたが、感染が急拡大しても武漢のように移動制限も取らずに政府が状況をひたすら放置すると、パニックによる都市機能停止が起きることが懸念されていました。欧米はロックダウンでパニックを抑えたので、日本が初ケースになる可能性があると考えています;;
イギリスでの試算では、「緩和」を選ぶと、25万人が死ぬという。
もちろん、医療システムは完全に崩壊する。
集団としての人間は、その状態に耐えられない。
あなた個人がいくら冷血で「いくら人が死んでも気にすることはない」と思っていたとしても、いざ死体の山ができて火葬が追いつかないような状態になってみると、あなた以外の多くの人間が「これではだめだ」と思うようになり、結局は「封じ込め」に方針転換せざるを得なくなる。
イタリアもそうなっている。
日本も、そういう状況になったら、確実にそうすることになる。
※最後のtakeda25氏の意見はちょっと本題と逸れますが、「冷血」などの価値判断はともかく、「結局のところコロナ対策を行うことになる以上、対策を行うのは早いほうがよい」というのには理があると思い、紹介させて頂きました。
実際、下記のニュースのような状態になったら、封じ込めに転換しないというのは不可能だと考えます。(deztecjpさんの書く "負けが明白になっても食い下がるのは、なしにしてほしい。" というのはこのような状態を想定しているのでしょうか? 私は、仮に経済をある程度重んじるとしても、下記のような状態を避けようとする対処は最低限必要不可欠と考えます)
イタリアのコロナ死者数、統計はるかに上回る
死者の多くは病院まで行きつけずか、検査されず
上記のような「完全に崩壊した」地域の経済リスクについて考慮する必要があると考えます。
その点、deztecjp さんの「総人口の数%が死ぬ程度」というような書き方はそのようなリスクを見えなくするものであって、ミスリーディングさを孕むように私には感じられました。
(4/4 追記)
(インターネット上でもよく見られる)愚者の特徴として、「他人を低く見積もりすぎる(=侮りがち)」という特徴がある。
ここで一例をあげるまでもないだろうが、今回は少し趣の異なる例も挙げてみよう。
デマによる買い占めだ。
これに関し、在庫十分という情報を知らないか信じないが故にデマを信じて買い占めに走る、ある意味純粋な愚者は、実際には問題視するほど多くはない。
けれども、そういう愚者がいるはずだ、やつらのせいで品切れになると困る、と市民の理性を低く見積もった大勢の人によって、実際の買い占め・品薄の大部分が招かれている。
彼らは自分のことを先回り発想ができる賢者だと思っているが、そもそもが他人を侮る品性によって自らモラル崩壊を起こしそれを助長している。これが愚者でなくて何なのか。
挑戦を応援するなり、批判する代わりに良かった部分は褒めたりしましょうよ。山本五十六から何を学びましたか?
※追記
意見封じじゃなくて「まずは落ち着いて、あなたが出来る努力をしましょうよ」という意図です。口先だけの人間になりたくないでしょ?次の世代の子供たちにそんな背中見せたくないでしょ?仲良くしましょうよ。