はてなキーワード: 来賓とは
大阪市立桜宮高校の体罰事件が毎日伝えられている。生徒はキャプテンになってから毎日しかられ、体罰を受けて参っていたという。教師は体罰を辞めます、といった数日後の練習試合でまた生徒を殴り、キャプテンを辞めるならBチーム、やめないなら殴ってもええんやな、といったという。
ネットでは頭がおかしい、とか、クズだとかさんざん言われている。
でも、それは違うんじゃないか、という気が私にはする。あんまり整理できてなくてちょっとわかりづらいかもしれないけど、私の体験を書いてみる。参考になるかもしれないので。
*
私は中高6年間バレーボール部にいた。
今でも小さいがそのときも小さかったので中学ではずっと補欠だった。
最後の試合に出してもらったが、ミスをして交代となった。そのとき顧問の先生が何を思ったのか「出すのはおまえでなくてもよかったんだ」とつぶやいた。今でもどういう意味かわからないが、そんなこというなら高校でがっつりレギュラーになってやる、と高校でバレー部に入ることにした。
バレーはそこそこ好きだったが、そんなに上昇志向もなかった。体格も素質もなかったし、全国大会に行きたいとか、ましてやプロになりたいとかは全く思ってなかった。ただ中学の先生にいわれたことが悔しかったので見返したい。すごく単純な動機だった。
高校で入ったバレー部は体育大卒の若い先生が顧問で、熱心に指導していた。都立高校にしてはかなり厳しい練習をしていたし、実際わりといいとこまでいっていた。
都立は今でもそうだと思うけど、運動部の顧問は誰もがいやがった。ただでさえ大変な教職のほかの事務仕事をやらねばならず、その上に時間、体力、気力を使う運動部の顧問なんてみんなヤッテランナカッタのだった。
その先生は指導の最中にアキレス腱を切ったことがあるという。それも2回も。それを押してやってくれてるのだから感謝しないといけないよね、みたいな空気が生徒の中にはあった。
同時にそれはそこまでしてくれてるのだから、言うこと聞かないと悪いよね、期待に応えないと申し訳ないよね、みたいなものでもあった。
練習は厳しかったし、時々平手打ちもされた。
夜の7時、8時までやっていた。家に帰ると疲れて何もできない。食事をしながら寝てしまったこともある。
いやだったしきつかったのだが、「その辺のお遊びの運動部と私らはひと味ちがうのよフフフ」みたいな訳の分からないプライドみたいなものが部の中にはあって、苦しいのを耐えれば耐えるほど偉いのだ、みたいなところはあった。(でないとヤッテラレナイところはあった)
私には変な癖があったらしくて(自分ではわからない)、それを矯正するためにやらされたのだがなかなかうまくできなかった。
「手を下から出すように」
自分ではその通りやってるつもりだったが何回やっても違うといわれる。先輩後輩あわせチーム中が注目してるし、自分が練習を中断しているというプレッシャーもあった。違う違うといわれ続け、もうなんにもわからなくなってアンダーサーブをした。
「俺はおまえに手を下から出せとはいったがアンダーサーブをしろなんて言ってないぞ」
じゃあどうしろっつうんだよ、と思ったがさすがにそれは言えなかった。
厳しい練習はぜんぜん私の精神を鍛えることにはならなかった。先生に本音で質問することさえ出来なかったのだった。かといって自分で考えろ、というのは、その状態ではなおさら無理だった。それ以来、前から苦手だったサーブはまったく嫌いになった。
こう書くとがちがちの管理教育だったように見えるかもしれない。がしかし、先生としては自主性を持った選手になってほしかったようだった。
生徒がやる気がない態度を見せると、先生はたびたびボールを投げ出して帰っていくという振りをした。
「俺がやりたくてやってるわけじゃない。おまえたちがやりたいって言うからやってるんだ。おまえたちがやる気がないならやめる」というポーズだった。
それを追っていって、
「お願いします!」
と生徒全員で頭を下げるのがいつもの習慣だった。
「楽しくやりたいだけならそれでいいんだ。それならそういう風にやるから。でも本気でやりたいならそういう風にする」ともよく言われた。
生徒が望むなら、やりたいという気持ちがあるなら一緒にやりたい。そういう選手になってほしい、という気持ちの先生だった。
追っていったのは「先生がいなくなると困る」という気持ちだったし、見捨てられるのが怖い、とも思っていた。先生に見捨てられればその時点でダメダメなやる気のない私たち、という烙印を押されてしまうからだ。
そういう状態になりたくないという気持ちだけで「お願いします!」と毎日言いに言った。こうなるともはや意味のないお約束、儀式のようである。
そもそも、本当に自主性のある生徒であれば、先生が帰ってしまっても自分たちで練習すりゃよかったのである。でも自分たちで、これをやりたい!というものが私たちにはあんまりなかった。ただ日々の練習を修行のようにこなしていく。先のことは考えられなかった。ただ今の苦しさを耐え抜くことだけだった。ぶっちゃけ、自主性もへったくれもなかった。受け身で、受け身で、過ごしてきた。まじめでミスをしなければ、ボールが飛んでくることも、たたかれることもなかったから。
*
今回のことがあって、「私、バレーって好きだったかなあ」と思い返した。確かに好きではあった。レシーブがきれいにあがるとうれしい。難しいボールを拾えるとうれしい。トスをきれいに上げられればうれしい。アタックを気持ちよく打てるとうれしい。
で、ここまで考えてはたと気づいた。
全部個人技だったのだ。
バレーという団体競技をやってながら、私はチームプレイを楽しいと思った記憶がない。
団体競技をずっとやってきたのだから自分では協調性がある、他人と一緒にプレイするのが好きなのだと思いこんでいたがいやいや完全なヲタクじゃないか。自分で呆れて笑った。
でも。
コンビネーションプレイをうまくこなしたり相手と競う楽しさ、ゲームを運ぶ楽しさ、みたいなものは、たぶんバレーという競技にはあるのだと思う。
私にはそう感じる余裕はなかった。
日々の練習をこなすだけで精一杯だった。
日々の練習が修行のようになり、それをクリアすること自体が目的となってしまっていて、ほかのことは考えられなかった。もっとこういうことをしたいとか、こうなると楽しいとか、そんなことは全く頭になかった。
私に関して言えば、試合に勝つことさえどうでもよかった。試合は義務であり「ミスをしない」ことが第一目的であって、結果はあとでついてくるという感覚があった。
もったいなかったな、と自分でも思う。
*
が。もし私の先生であれば、たぶんこういう意味の発言だったかと思う。
「キャプテンを辞めるということは第一線で活動するのは無理です、ということなので、楽しくやりたいだけならBチームでやればいい。でももし、第一線で活動する意志があるなら厳しい指導もするし、体罰もある。自主性をもって立ち向かってほしい。覚悟がほしい」
先生はよく「意地を見せろ」と言っていた。
苦しくてもやりたいことならやりぬけ、ということだったのだと思う。
でも。
人間って、そんなに強くないのだ。
いくら好きであっても苦しい練習を続けさせられればそれ自体が目的となって、自分のスキルを伸ばすとか、何かに挑戦するとか言う余裕はなくなってくる。「好き」と言う気持ちはしぼむ。ただ「早く終わってくれればいい」になる。
まじめにやっていれば、受け身でもそれなりのスキルや体力は身に付くから、やる気がなくても勝ててしまう。
そういうのもありかもしれない。
でも、そういうのって、長く続かないのだ。
負荷が強くなっていけば、「義務」だけではきつくなる。「やらされてる」感が強くなり、「何で自分だけ」という気持ちが大きくなっていく。
ぱあんと破裂する。
悪いことに、「我慢」にたけた人間は限界点を越えても我慢するので、傷はより深くなる。
「我慢」はいらない。「やりたい」が一番。それがないと頑張れない。力が出ない。
試合で役に立ったことは皆無だった。もちろん「訓練」として体に染み着いてるので体は無意識のうちに動く。だから勝てる。でもそれがうれしいとはあんまり思えなかった。苦しいときにそれを思い出して頑張れる、ということもなかった。
うまくなってうれしい、自分の力を出し切った、というよりは、3年間耐え抜いた、という方が実感として正しい。
*
最後の試合、私は初めて結果を出した。苦手だったサーブでなぜか連続ポイントを上げたのだった。ストレートと、対角線上に打てばポイントをとりやすいというセオリーを単純に実行したら相手がミスってくれた。不思議なことに、そこに私の中学の先生が来賓として招かれていた。その場で結果を出せた。
それで気がすんでしまった。
まだ引退までには期間があったが、3年でもあったし、さっさと部をやめてしまった。
今思うと、「先生を見返したい」という意地だけでやっていたのだと思う。だからそれが達せられたらもういいのだった。
それはそれで初志貫徹といえるかもしれないけど、我ながら矮小な目的のために時間とエネルギーを使ってしまったなあ、と今は思う。
一応一つのことをやりきったのだし、「辞め癖」がつかなくてよかったんじゃないの、という人もいるかもしれない。でも、ポジティブな意味での達成感はなかった。やっと終われる!という解放感だけだった。
私は3年間を無駄にした。今思い返して、素直にそう思う。
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今回の事件、生徒は義務とか責任感とか期待とかでぐるぐるになって「好き」という気持ち、自分がこうなりたい、という気持ちはもうぜんぜんなくなっていたのではないかと思う。
そういう状態になると人間は惨めだ。そういう身に暴力は堪える。
悪意とか、支配欲とか、そういうことは教師にはなかったとは思う。葬儀の席で親御さんに指摘されてすぐさま謝ったことを見ても悪人ではない。普通の人だ。
ほかの生徒も先生をかばっている。道を教えるのでも、ちゃんとついていってあげないとだめだぞ、と、普段の振る舞いを教えてくれた、と感謝する子供もいる。礼儀を教えてくれた、という子供もいる。かといって、べったり先生の側に立って、生徒の死を悼んでいないわけではない。校門に「キャプテンに捧ぐ」と幼い字で書かれたメモを添えた花束があった。
進路とか戦績とか、お互い保身はあったかもしれないが、生徒への愛情はあったと思う。でなければほとんど毎日、家庭まで巻き込んできつい指導はできない。
が。だからこそ逆らえない。情で縛られるところはある、と思う。
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好きだった勉強を一生懸命できた。それについての専門書を読む時間もできた。その延長で大学に行って好きな研究もできた。早くやめてりゃよかったと今でも思う。
部活の影響は、今でも残っている。
負荷を耐えることは得意だ。が、ぎりぎりまで我慢するから限界を超えるとその負荷の影響を二倍三倍にも受けてしまう。
好きなことをしていてもなぜか途中からつらくなる。義務になる。理由はよくわからないが、たぶん何か「厳しくなくてはホンモノではない」という意識があって、「楽しむ」ということをどこかで軽蔑していたり、その結果思い切り楽しむことができなくなったりするんじゃないかと思う。あるいは自分のやることに自信が持ちきれなくて、先生のような絶対者の評価がほしくなったり、反対に他人の評価で自信を失ったり。
先生については、慕っていたかと言われれば、うーん、お世話になったので大変大変申し訳ないのだけど、ちょっと苦手だったような気がする。
先生はいつも「スポーツマンらしく」、礼儀正しくしろと言っていた。
「力」や「技術」に偏りがちなスポーツで、礼儀とか人のことを考えるとかは、重要なことだ。人としてたいせつなことを教えていただいたと思う。
が、それはなんというか、自主的にやる、と言うより、訓練のようなものだった。やらなければ怒られるし、手が飛んでくるような気がしていた。
私は先生の前でかなり礼儀正しく振舞っていたが、それはかなりの部分「演技」だったような気がする。「それが(先生に言われた)正しい振舞だから」やっていたのであって、「やりたいから」やっていたわけではない、と思う。
そういう「型」ではめられた振舞を厳しく求められたので、本音で接することはできなかった。本音で話せないので、自分の克服すべき問題を一緒に考えてもらうとかは考えられなかった。
いま先生について思うことは、「なんかうまくいかなかったね」「お互い失敗しちゃったね」という感じだ。
自分の意志で動く選手になってもらいたい、という先生の意図は分かっていたけど、少なくとも私に関してはもう疲れちゃっていた。自分の能力を伸ばすという気力はとうにつきていた。ただ自分の目的があったし、期待を裏切るのも悪いので3年間続けてしまった。
一回休んでいれば気力が回復することはあったのかな、と思うが、狭い学校生活の中で、一回レールをはずれるというのはなかなかできないことでもあった。
こういうの、「罪悪感を持たせて逆らえないようにする」「カルトだ」という人もいるかもしれないけど、それは日々の人間関係のすごく曖昧な線上にある。その渦中にいるとなかなかわからない。善意と、思いやりと、慕わしさと、依存心と、打算と、不満と、夢と、絶望と、責任感と、プレッシャーと、見栄と、もういろんなものがある。
単純じゃないし、それを理解せずに顧問をアクマ扱いしても問題は現場の教師にずっと残されると思う。
*
部活やその中での体罰を体験した人のことばがあんまりなかったので書いてみた。体罰がなされて、愛情ある指導がされて、生徒たちも先生を受容している環境で、それでもどうして体罰よくないかっていうのを、説明してみたかった。増田に書いたのは、何となく増田っぽかったので。
ひとつ。今顧問の先生をたたく人はすごく多いけど、今たたいても無駄だと思う。
葬儀の席で土下座したとあったけど、彼の頭の中はどうしよう、どうしよう、すみません、すみません、で、意味なく(そう、意味なく)ぐるぐるしてて、冷静に反省するどころじゃないと思うから。
責め殺したいならそれでもいいけど、たぶんそれじゃ自分のしたことが過不足なく理解されることはないと思う。そんな中じゃ何が問題かわからない。
話が横にそれるけど、君が代や日の丸に反対する教師をリアルで見た事がない
私が通ってた小学校じゃ、校庭には大理石の国旗掲揚台が堂々と鎮座してて、毎週月曜日の朝礼では君が代の音楽が流れ、国歌斉唱に合わせて国旗がするすると昇るのが当たり前の光景だった
音楽のテストじゃ一人ずつピアノの前で君が代を歌詞カードを見ないで歌う試験があり、きちんと歌えるようになるまでパスできなかった
運動会が近くなると週に二回・二時間ぶっ通しで四列縦隊で行進する練習をし、足を揃える事、直角に曲がる事に命をかけてる風だった
戦後のアメリカ式教育よりも、戦前の軍国主義的な教育のほうが色濃く残ってたような気がする
もちろん地域によるのだろうけど
坂口綾優さんのすごいところをみんな分かってない。これからの人生に降りかかるこんなリスクを全部背負った覚悟を決めたんだ!坂口さんはすごい!坂口さんを褒め称えよう!
「あ、あれ坂口さんじゃない」「ネットで話題の!」「遊びまくって奨学金打ち切られて退学!」「からの〜、ネットで」「完全に乞食だよねー」「不真面目な私だって一応単位は落とさないようゼミは来てるし試験だって受けてるのに」「赤点のくせにー」「坂口さんよりはマシ−!」「だよねー!」(一同笑)
「ああ、あれが噂の坂口さん、だっけ」「いいわよねー、ネットにお友達が多くて」「時代なのかしら」「私たちには分かりませんね」「少し甘やかされてる気もしませんか」「だから私たちがいるのでは」「他生徒よりもキビしくしましょうか?」「まさか」「我々は」「公平な立場ですものね」「ええ」「そんなことありえませんよ」(一同笑)
「坂口さんってもしかして?」「あ、やっぱりそうなんですか」「ネットの」「ああ、そうなんだ、似てると思ってましたが」「だいぶ昔の話ですけどね」「有名ですよね」「ネットの力使って給料交渉とかされたら嫌ですね(笑)」「彼女は仕事中も自由にネットを使えますか?」「おそらく」「●●くん、少し監視じゃないけど見ておくように」「えー、そしたら僕がクラウドいかされちゃいますよー」(一同笑)
「彼女、あれなんだっけ?」「あれって?」「坂口さん、だよね、ネットで有名な」「ああ、知られてるんだ」「有名だよ、どうなの?」「どうって?」「やっぱ四六時中ネットしてるの?」「うーん、まあよく見てるよね」「嫌じゃない?」「まあ、仕方ないよね」「知って付き合ってるんだもんね」「結婚は?」「考えてはいるけど…」「ネットの人に結婚費用出してもらいなよ」「マジか、それやってもらおうか」(二人で笑)
「坂口さんって、あのインターネットでお金を集めた方?」「そうだよ」「相手のお家は財布が苦しいのかしら、いくらお嫁さんだからといってウチも大変なんだから全額負担とか難しいわよ」「うーん」「困ったらインターネットなのも困るな、私の家族がネットで紹介されては少し躊躇してしまう」「そうね、お父さん」
「あれが坂口さんかー」「いい嫁さん貰ったよなー」「でもあれなんだろ」「あれって?」「ネットでお金集めるのが趣味らしいぜ」「どうやって?」「知らない人にお金貰うんだって。新宿の日記売りみたいに」「えー、マジ印象違う」「でもそれで有名人なんだって」「この結婚式ももしかして?」「かもなー」(一応笑)「おい、声でけーぞ!」「後でアイツに聞いてみようぜ」
「あそこに引っ越して来られた、●●さん」「ああ、若いご夫婦。アタシも若い頃思い出すわー」「それがね、あのお嫁さんなんだけど」「少し愛想ないけど可愛いわよね」「旧姓、坂口さんって言うんだけど、インターネットの、ほら、あれ、知ってる?」「あれ?」「見知らぬたくさんの他人からお金をせしめたって言う」「ええ、怖い」「しかも自分で大学サボってストップされた奨学金を払わせたんですって」「ええ、本当それ?!」「ほら、このページ(スマホでまとめサイト見せながら)」「あら、確かにあの方ね」「怖いわねー」「でもあまり騒ぐとインターネットに言われちゃうから」「もっと怖いわねー」「ちょっと距離おいたほうが良いかもしれないわねー」
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これの事か。
2004年3月11日、東京都立板橋高等学校卒業式が行われる。TBSの『報道特集』のカメラクルーが取材にきていた。まだ、開始の宣言もなく、卒業生入場もなく、保護者出席者が談笑を続けていた最中、午前10時よりもしばらく前のことである。被告人弁護側は、開始20分前の出来事としている。元教師Aは、サンデー毎日3月7日号の「東京都教育委員会が強いる『寒寒とした光景』」のコピーを配布し、「今年の卒業式では、教員は国歌斉唱の際に起立しないと処分されます。ご理解願って、国家斉唱のときできたら着席願います」と、保護者に呼びかけた。3分して、板橋高校教頭らが来て、元教師Aの行動をとがめ始める。元教師Aの主張によると、教頭が自ら、元教師Aの腕をつかんできたとしている。「なぜ来賓を追い出すんだ。私は、卒業生が一年のときの生活指導担当だ!」と抗議するも、元教師Aは卒業式の会場から退去することとなる。
午前10時のはずの卒業式開始は、後に、校長側の主張では、5分遅れたこととされていて、東京地方裁判所の認定では2分の遅れとしている。開式の辞の直後の君が代斉唱の際、出席者の多くが着席し、卒業生の9割が着席したとの情報もある。校長および教頭が起立しない出席者に起立を指示したが、多くは従わなかった。来賓の東京都議会議員の当時は民主党所属の土屋敬之も、立つよう声を荒げた。卒業式自体は、全体としては、清々粛々と行われた。卒業式直後のTBSの取材に対して、土屋敬之は、「立派な卒業式」だったとしている。
式典の最中にビラをまいて大声を出し来賓に起立しないよう呼びかける。
どう見ても威力業務妨害です。本当にありがとうございました。
こんなキチガイも一緒くたに擁護しなきゃならんとは、反対派も大変だね。
また保護者の皆様、本日はお子さまのご卒業 本当におめでとうございます。
保護者の皆様の陰に陽にご協力をくださったおかげでPTAを無事に活動することが出来ました。
本日、皆さんは6年間の小学校生活を終え卒業します。6年前背負っていた大きなランドセルは今は小さく感じることでしょう。この陰には、先生、お父さん、お母さんの多大なる愛情がありました。今日、家に帰ったら「今まで育ててくれてありがとう」とお父さん お母さんに言ってみてください。感謝を忘れた人に立派な人はいません。今恥ずかしいかもしれませんが 区切りの今日だからこそ お願いします。次に反省です。反省と似た言葉に 後悔があります。後悔とは「何であんな事をしてしまったのだろう」と悔いることです。それでは成長はありません。間違ってしまったとしても、「もう同じ失敗をしないようにしよう」と反省することで、また一歩成長、自分を大きくすることが出来ます。
これから皆さんが向かっていく未来は あかるく希望に満ちあふれています。
そこには 皆さんしかできない「使命」が必ずあります。今はやりたいことが見つからないかもしれない。わからないかもしれない。だからこそ自分の可能性を広げるために勉強をするのです。勉強をし知識を広げることで、自分のやりたいことも使命も見つかります。そのために「努力」するのです。勉強をしたくない日も、学校に行きたくない日もあるかもしれません。しかし、自分の弱い心に負けず、一歩ずつでも努力することで、将来 必ず成長した自分を自覚することになります。自分に負けない勇気、一歩ずつの努力がこれからの人生を 希望にあふれたものにしてくれます。
新しい生活は不安でいっぱいかもしれません。その不安に負けて元気をなくしてしまうのか、それとも不安だからこそもっと頑張ろうと自分を励まして進むのか、それだけの違いです。
最後まであきらめてはいけない。あせったり投げやりになってもいけない。やるべきことを決めてきちっと挑戦していけば成長できるのです。生きている限り「もうだめだ」なんてことはひとつもありません。大事なのは「なにが変わるのだろう」ではなくて、新生活をきっかけにして「なにを変えるか」です。「中学生活はどうなるのか」ではなく、「中学生活をどうしたいのか」です。自分の意志が大切なんです。人間自身が「どうしたいか」で全部決まるんです。だから「希望こそ力」なんです
いよいよ君達の時代です。大きな 大きな もっと大きな夢を持って立ち上がってください。
人間は絶対にこれだけはやりとげるんだ と固く決意したら大抵のことはできるものです。
君たちの活躍、成長を先生、お父さんお母さん みんなが期待しています。頑張って下さい
なお 最後になりましたが、児童たちを教育してくださった、先生方及び来賓の皆様に、これまでの努力を感謝いたしまして、私からのお祝いの挨拶とさせていただきます。
話を天皇制に摩り替えないほうがいいぞ。
中井って人がバッシングされてるのに違和感があった、って話だろ?
そこから天皇制なんてなくなればいいのに、って思ったわけだろ?
だったらその考えに問題があるぞ。
天皇だからそう映るのかもしれないが、年長者や、社会的立場のある人間に敬意を払うのは当然なんだよ。
もし元増田がかなりの若年ならわからないかもしれないが、お正月に年長者や家長から箸をつけたり、そういう者が上座に座ったりするだろ?
それを無視して若年者が好き勝手飯食ったら変だろ?
教育がなってないなっておもわれるだろ?
例えば卒業式とかで、来賓や校長先生が起立するときみんな立つのもそれだ。
そして、座っていいよと言われるまで立ってるのが敬意であって、あれを無視してすわるのが不敬だってことはわかってもらえるかな?
で、問題はそれを皇族にまで押し当てるのはどうだい? ってことなのか?
それだったらあんまよろしくない考えだと思うよ。
国の象徴であり、外交活動も、福祉活動も盛んに行っておられるし、大臣の任命なんかも天皇が行うんだよ。
その伝統ある一族に敬意を表することがそんなの奇異にうつるかい?
それは最大限尊敬すべきだと俺は思うよ。
ただ、そういう家柄を国家の補助のもと税金を大量投入して残す必要があるのか? という論議は、またどんどんすればいいと思う。
ケガの功名か 民主・三宅議員のパーティー異例の注目度
自宅マンション4階から転落し、都内の病院に入院中の民主党の三宅雪子衆院議員(45)が11月30日、一時外出許可をもらい約1カ月ぶりに衆院本会議に出席した。同日夜には自らの政治資金パーティーにも出席。「神様から『お前は仕事が残っている。死んではいけない』といわれたと思う」と怪気炎をあげた。(夕刊フジ)
都内のホテルで開かれたパーティーは、開始前からZARDの「負けないで」が30分以上も流され続け、否が応でも同情ムードが。実際、三宅氏は笑顔で会場に現れたが、つえをつき片脇を関係者に抱えられる痛々しい姿だ。
ただ、来賓に訪れた鳩山由紀夫前首相(63)は「三宅雪子さんを尊敬しています。それは4階から落ちて助かったからでないが、本当に信じられない」などと絶賛。話の途中で、司会を務めた小沢ガールズの同僚・田中美絵子衆院議員(34)が突如「ありがとうございました」とカットを入れたが、鳩山氏は「早く終わってほしいんだろうがまだ終わっていない!」と激怒するほどの熱の入れようを見せた。
山岡賢次副代表(67)も「かつては衆院(の乱闘騒ぎ)でダイビングを決めた。どんな形でも政治家は(世間に)覚えられればいいんだ」と話題に事欠かない三宅氏をほめちぎった。
確かに、会場には50人以上の報道陣が詰めかけ、1年生議員としては異例の注目度を見せつけた。
その三宅氏は「事故にあい、(病院の)ベッドで『ハッ』と目の前が開けた。私は天下国家の仕事をするために国会に来たのだと」とあいさつしたが、出席者の1人は「当選前に気付いてほしかったが、ケガの功名か」と目を細めた。
あれ?
山岡賢次副代表(67)も「かつては衆院(の乱闘騒ぎ)でダイビングを決めた。どんな形でも政治家は(世間に)覚えられればいいんだ」と話題に事欠かない三宅氏をほめちぎった。
甘利に突き飛ばされたんじゃなかったっけ?
干支一回り以上年下の大学生と先月入籍した。その経緯に関してはネットに残す価値など微塵も無いのでさておくとして、問題は披露宴である。9割方嫁の関係者という状態。俺は(式場が嫁の地元=俺の実家から約800km離れてる)身内と近辺に住んでる大学時代の友達数名くらいしか来られないなどという事は些末な問題なのでどうでもいい。
問題は嫁さんのサイドの来賓。中学、高校時代の恩師と同級生をしこたま呼んでる。三桁。いくら地元だからって多すぎだろ、などとは口が裂けても言えない。
ただでさえむさい、本業が何なのかもよく分からないようなオッサンとくっついてしまった、男子達の憧れの的。式場で俺に突き刺さる視線。死にそう。披露宴の時だけ見栄えのいいモデルか何かを代役で頼んではどうかと嫁の両親にそれとなく匂わせたら爆笑された。そこ笑うところじゃねえよ。こちとら真剣なんだよ。
またもν速大勝利、スネークが小沢マンションの中国人女子留学生入れ替わり制を突き止める。朱朱季季
ttp://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1263475685/651
651 : 硯(西日本):2010/01/15(金) 05:59:20.52 ID:bUC2ikHi
295:名無しさん:2010/01/11(月) 08:54:02
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E7%9B%9B%E5%92%8C%E5%A4%AB
来歴・人物 [編集]
鹿児島県生まれ。鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校を経て、1955年鹿児島大学工学部を卒業、がいしメーカーの
松風(しょうふう)工業を経て、1959年、社員8人で京都セラミツク(現・京セラ)を設立し、10年後、株式上場。
ファインセラミックスの技術で世界的な企業に成長させた。1984年には第二電電(DDI、現・KDDI)を設立した。
グループ全体で売上高が1兆2000億円と成長を遂げた。1984年、財団法人稲盛財団を設立し、京都賞を
創設した。また、若手経営者向けの経営塾「盛和塾」を非営利にて主宰し、若手経営者の育成も行っている。
独特な経営管理手法「アメーバ経営」が有名である。1997年には臨済宗妙心寺派円福寺で得度を受けた。
また民主党幹事長小沢一郎と旧知の仲であり、大企業の実業家ながらも熱心な民主党支持者として
知られている。とりわけ京都市を地盤とする前原誠司の有力な後援者である。小沢一郎が2008年9月21日に
民主党代表として再選された際には来賓として挨拶も行っている。 2005年、立命館小学校こども顧
問委員に就任。母校の鹿児島大学に寄附し、稲盛会館を寄贈した他、稲盛アカデミーへの援助を行なうなど、
朝子夫人は、「韓国農業の父」として知られる禹長春の四女である。 実弟の稲盛実氏は、鹿児島県で
本日、大阪城ホールで行われた大阪府立大学の入学式に、橋下徹大阪府知事が出席した。橋下知事は、「大阪府立大学に対する補助金を削減」「大阪府立大学と大阪市立大学」を統合する」といった旨の発言もしており、一部の府立大学関係者からは反感も買っている。そのような中での出席だ。公務多忙のため、壇上に来賓席はあるもののそこには一度も座らず、壇上に登場したのは祝辞を述べるときだけだった。以下はその祝辞の概要である。別に録音していたわけではないので細かなところはいい加減である。以下は、大まかな流れとして考えて欲しい。
入学おめでとうございます。新入生の皆さんには学問に励んでいただきたいと思います。大学は人材養成や就職までの猶予期間を過ごすための場ではありません。そんなことを言っていられるのは僕が大学生だった時代までのことです。
僕は、私学助成、障害者福祉、医療関連の予算、府公務員の給与など、さまざまなものを削減してきました。大学に対しても例外ではありません。現在、大阪府立大学に対しては100億円超の補助金を支出しています。つまり府民の税金で君たちは通っているのです。だから、君たちはその成果を府や府民に還元しなければなりません。梅田や難波で人々に尋ねれば、多くは府立大学の存在を知りません。確かに、府立大学は大きな成果をあげています。最近では、シャープやトヨタと提携しました。しかしそれだけではいけません。もっと府民にそれを周知しなければなりません。君たちにはその点を覚えていて欲しい。もっと府立大学の成果を宣伝しなければなりません。井の中の蛙ではいけない、ガラスのコップの中に閉じこもっているだけではいけない、ガラスのコップを割る勢いで、新入生の皆さんには学問を頑張って欲しいと思います。
僕は府立大学を、府民の税金を使うのに値するか、厳しくチェックします。君たちはとてつもないポテンシャルを秘めている。しかしそれを発揮しきれていない。それを君たちには発揮して欲しいのです。そして、府立大学を日本一、いや世界一の大学にして欲しいと思います。
何処でも官僚が最優先。
民間組織や公益法人等では年に一度、大会なるものが開かれる。総会も開かれる。正月には祝賀会が開かれる。
この会合に中央官僚が、身分や地位に関係なく、主賓として最上席を占めそれも別格扱い、胸には大きな薔薇の花、来賓挨拶として最優先、どんな民間人がいようとも。
それもペイペイの若き課長の場合も多い。開催者側の挨拶では先ず第一にこの官僚に最大級の感謝を述べる。
仮に官僚を最優先、特別扱にしないとお叱りを受ける。これ事実。
この事実を官僚も民間も当然なこととして疑わないのが現状なのです。
なぜ民間主体の会合に官僚がのさばるのか。会合に中央官僚が主賓になる必要があるのでしょうか。むしろ開催地域の首長を主賓として招待すべきでしょう。
適当に原因を考えてみる
・そもそもその原因は新人君がやるはずだった仕事だったが、彼が放棄したため急遽俺がやることに。
・想定していなかったため準備不足。内容的には大したこと無いが手際が悪かった。
・来賓が多い日だったのでその手のミスは上司的には非常にマズー
・新人君が仕事放棄する初動を見逃した俺はアホ。気をつけていれば確実に分かった。
それとは別に、
・同期がうまく仕事こなした。大成功。でも正直嫉妬している。祝福すべきことなのに。
・そいつはすごいいい奴。人一倍頑張ってる。他人の仕事も彼がカバー。でもそのことを絶対鼻にかけない。聖人か?
さらに別に
・あるものを制作中だがその進行が芳しくない。今からもやるけど。
そしてこれが本音かも
最初それとは知らなかったんだけど、先輩が「なんか宗教っぽいところ」だと教えてくれた。
料理は普通のものだけど、持ち込みドリンクでその会社の商品を出してくれ、と。
なんだか微妙な濃縮ジュース。見るからにおいしくなさそうだった。
有名どころ(とはいえア○ウェイとかニュー○キンくらいしか僕は知らない)じゃない、比較的無名らしい会社だったけど
化粧品と健康食品という原価の安い商材としての基本は押さえているようだった。
老若男女、さまざまな人々が500人以上一堂に会する。
中にはDSliteを手にした小学生が親に連れられてきていたり、腰の曲がったお年寄りが娘に伴われていたりもする。
テーブルごとにリーダー格の人がいて、そのヒトはなにやら妙なストール的なものをまとっている。
どうやらこれが販売者(代理店)の印のようだ。
握手をして、時には固く抱き合って挨拶をする。ここって日本だよね?
会場のモニターには某南国リゾート地のステキなビデオがえんえん流れている。
何十年もの歴史があるんだね。そりゃ安心だね!ってことか?
他地区のトップセールスレディーがお決まりのスピーチをする。
テーブルでも代理店らしきおばさんと連れて来られたらしい女性の間でいかにもな会話が行なわれていた。
その後料理を楽しみつつショーがあって、ビンゴタイムがあって…なんてのは普通っぽいんだけど
壇上に販売代理店の人たちが集まってのダンスタイムまであった。
まさに宗教的。汗だくでマイクの掛け声にあわせて手足を思い思いに動かしている。
10分は続いただろうか。
それが終わって運動後のお客様たちにドリンクをサーブしているところへ、畳み掛けるように販促キャンペーンの紹介が始まった。
たくさん売ったらこんな景品がありますよーってか。
ご招待への条件クリアにはサプリメント(1瓶5000円)なら100本分、化粧水(1本4500円)なら120本分、
あ な た が ほ ん の 少し頑張るだけで、ステキなリゾートへの旅行をプレゼント!
会場大盛り上がり。拍手の渦。歓声。
○○地区のだれそれさん、と呼ばれて、販売代理店の人が順に壇上へあがっていく。
宣言。
「わたしは今シーズンにXXを△△ポイント分販売します!」
また大きな拍手。熱狂。
誰に売るんだろうか。あてはあるんだろうか。
腰の曲がったおばあさんは使いもしない化粧品やサプリを大量に買わされてはいないだろうか。
DSliteに飽きて会場内を走り回っていた少年は友人を失わされてしまったりはしないだろうか。
そんなことを考える暇もないくらい忙しい中で、僕の初出勤は終わった。
10年以上も前になるが、高校の卒業式で君が代をありったけの声でフルコーラス歌い上げた。決して音は外さず至って真面目に、オペラ歌手のバリトンばりで朗々と歌い上げる独唱状態。保護者・在校生は何事かという感じでざわつきはじめるし、同級生は爆笑するやら苦笑いやら努めて無視いや他人のフリをするのに必死かというような感じで、教師は教師でおろおろするやら顔をしかめるやら泣いてるのか怒っているのか分からん混乱状態だし、来賓のPTA会長だか市会議員だか代議士の代理とかの周囲は「一体どういう事だこれは」という感じで対応に困っているそれはもう面白アトモスフィアフィールド形成で痛快だった。言葉は悪いかもしれないが、結果としては明らかに「テロ行為」に等しかったと思う。その代償として卒業アルバムの寄せ書きには誰一人書いても書かしてももらえなかったんだけど。特に女子は「せっかくの式をぶち壊しやがって」という悪意で充ち満ちていたっけ。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1108018.html