例えば漫画でも、一部の作品を読めば、これは決してフィクトセクシャルではなく「小児性愛者」に向けて描いているのであろうなという作品はあって。その意味で、決して(性的接触を求めない)小児性愛を「仲間外れ」にするつもりもない。それを以って「ドールだからではなく、一般的な話で」と強弁し続けることはできる。しかし、批判対象が漫画だった時、自分は同じような論理展開をしただろうか?と問われると……
まずそもそも、そこに「小児性愛者」がどれほどいるのだ?という視点は、かなり初期から提示され続けていたにも関わらず、無視してしまっていた自分のことは反省する必要があるな。
ドラァグクイーンを守ろうと言う時に、申し訳程度にゲイに言及し、延々と「トランスセクシャルに権利を!」と繰り返していたら、やはりおかしい。
自分は漫画とかイラスト文化圏の人間だから、表面的に共感することはできても、根本的な知識不足は精神論では埋められない。勉強していくしかない。
漫画のときと違って、表現の自由戦士だかのオタクの人たち、ドール文化のことはよく知らず、安直に小児性愛者たちに違いないと決めつけてしまった面もあるのでは?
ドール関係の人から、そうじゃないという意見表明も色々と出てるのに、そっちの声はほとんど拡散されてないの、ちょっとまずいよ。— 荻野幸太郎 / OGINO, Kotaro (@ogi_fuji_npo) June 7, 2020