「小児性愛だって(文脈次第で)同性愛と同じ」は同性愛差別ではない。
まあ個別としてはそう(言おうと思えば)言えるのだが、何でもかんでも「同性愛と同じ」と引き合いに出し続けるのはもはや差別と言われても仕方ないだろう。理屈が正しいか、正しくないか以上に、代理戦争の真っ只中に立たされ、否応無く巻き込まれること自体が差別構造でもある。
小児性愛についての言語化責任をあまりにも高く設定するのはそれ自体が差別ではあるが、そうやって免罪するなら、その未熟な議論を覗いた同性愛者が傷つくことも思いやらねばならないし、彼らから理解してもらえないことは批判できることじゃない。
同性愛も同じく、言語化の責任を常に押し付けられてきたマイノリティなのだから。
児童と、小児性愛者と、同性愛者と、そういった当事者性から解放された特権階級にいるのは誰か?そこを批判しなければ何もかも意味がない。たとえ部分的には論理立てに成功したとしても、それは空虚で説得力のない言葉遊びにしかならない。
>児童と、小児性愛者と、同性愛者と、そういった当事者性から解放された特権階級 ヘテロの成人男女ってことですかね…
ワイズな規格