はてなキーワード: 同族嫌悪とは
個性空間はいろいろな軸で個性を示す。何次元か知らないが図にしやすいので2次元をイメージしながらメモしてる。
例えば「コミュ力 - だらしなさ」とか?全然独立してなさそうだけど。
人々がここにプロットされる。点間の距離が大きければ個性の違いが大きい。
個性空間で距離の近い人は「友達」と言えそう。「同族嫌悪」という言葉もあるから、そうでもないかもしれんが。
近い個性同士でクラスタを作ったりするだろう。1番大きいクラスタ、あるいは1番高密度なクラスタをして「社会」とか「世間」とか言うかもしれない。
クラスタが少なすぎると多様性が低いと言えそう。多様性を「みんなが個性豊か」くらいに捉えてる。
クラスタの密度が高すぎると、それは多様性のないクラスタと言える。けど、これが小規模でたくさんあれば、全体としては多様性があって、気の合う奴らで集まってるともいる。
各点が均等な間隔(各点間の距離の総和が最大になる間隔)に広がってる。
クラスタが無い(解釈によっては要素数1のクラスタが最大個ある)、つまりみんなバラバラなこと考えてる。
意外な点は「みんなに等しい数の友達がいて、同じ仲の良さ」「定義からして、平均の仲の良さは最悪値っぽい」
1点に集まってる。
「みんなに等しい数の友達がいて、同じ仲の良さ」は多様性最高世界と同じ。正確には全員最高の友達。
多様性最高世界の各点をクラスタに置き換えたような感じをイメージしてる。性質は相似すると思う。
クラスタ内の密度が適切ならパフォーマンス出そう。仲いいチームでありながら、チーム間の距離がいい感じなので。
「コミュ力」「だらしない」の軸で4クラスタに分かれたとする。
おそらく「高コミュ力、だらしなくない」が社会と呼ばれるクラスタ。「低コミュ力、だらしない」は落ちこぼれ。
同調圧力を考えると
社会の方が密度高そう=クラスタ内の多様性低い=渋谷を歩く行く人は皆同じ俯き顔
なので密度は低く、各々が産まれたときに持っていた個性がはっきされている
ほんとに???
40代以上の女性を「更年期のしわわ」と呼ぶのが『月曜日のたわわ』ファンの間で流行してしまう
などとコメントがあるが、まとめの内容を見る限りでは「更年期のしわわ」という言葉を使っているのが「月曜日のたわわ」ファンだとは読み取れない。
コメントでも指摘されている。
まとめの内容を見ずにタイトルだけを見てコメントしているのだろうか。
などとコメントがあるが、まとめの内容を見てもこの言葉を使っているのがいわゆる「表現の自由戦士」とは読み取れない。まとめのタグに「表現の自由」とあるが、それだけでまとめられた人物が「表現の自由戦士」だと判断するのは無理があるだろう。
実際の白饅頭こと@terrakei07のツイートの内容はこうである。
素直に文章を読み取れば、「更年期のしわわ」という表現を批判していると解釈できる。これを見て「嬉しそうに拡散している」と思うのはさすがにおかしい。
はてな民のおかしいコメントを挙げたが、そもそも「月曜日のたわわ」の広告の問題はハフポストの批判記事で広まったが、記事には「作品で起きているのは、女子高生への性的な虐待」などと、実際に漫画を読めば嘘だとわかることが書かれていた。
苦手な人というのはたくさんいるんだけど、嫌いな人というのはそんなにいなくて
よくほら嫌いというのは少なからず意識してるからどうでもいい人よりは意味があるとか
「嫌いな人」に対しての考え方って色々あるじゃん
そういうのは頭ではわかってるし、だからできる限り無関心でいようと思うんだけど
どうしても「ああああああやっぱりこいつ嫌いだわあああああああ!!!!」
ってどうしても思ってしまう相手が近所のコンビニの店長さんなんだよね
こんなに嫌いだって思える人そういないのでそんなに感情がはっきり感じられる自分に少し驚いてもいる
あれそういえばこの人よくいるけどけっこうおっさんだし店長かな、くらいの認識
でも通ってるうちに気になることが色々出てきた
もうとにかくできる限りの速さを追い求めていて、素早い
コンビニの接客としてできるだけ急いでレジ打つってのは正しいあり方なのかもしれない
でもその店長はこっちが支払いしてる時も明らかにピリついた空気を出してくるんだよね
もとからせっかちな人なのか
店の売上とか本社からのプレッシャーで日々神経を尖らせた結果なのか知らないけど
「俺、今待ってますよ」感をすごい出してくるわけ
自分が遅いのかなとも思ったけど他の客の時もおんなじだったからそれが通常なんだと思う
電子マネーだからこっちはピってやるだけなんだけどその短い間も
「俺は行かなきゃいけないとこがあるんだよ」って感じで指トントンしたりしてる
自分昔コンビニバイトけっこう長くやってたからある程度仕事内容って詳しくて
それで気になっちゃうてのもあるんだけど
異常に棚整理しまくってる
もうちょっとでも前に出てない商品あったら10秒以内に前出さないと爆発とかするの?
ってくらいの勢いで前出ししてくる
各棚とレジを交互に気にしながら首を振りまくって店の中をウロウロする
客に対しては声がすっごい猫なで声で
嘘だろってくらい芝居じみた高い声でいらっしゃいませ~とか言っててそこまでやったら逆に失礼じゃねってくらい
なんだけど逆に店員に対してのあたりがきっつい
「お前考えたらわかるだろほんとダメだななんでわかんないんだよ」とかよく切れてた
他の店員にもまあ似た感じで商品手前に出せてないとかでギャーギャー言い出す
こっちまで緊張感が伝わってくる
それでいきなりその店員から商品を無言でもぎとって自分でレジ打ち始めるの
いやそれお客さんの買った商品ですよ?もうちょい丁寧に扱おうよ・・・
店員に切れてない時はよくすっごいでかい声で、ウヒィッヒィヒヒヒヒみたいな笑い声を上げてる
店員は笑ってないんだけどなんか冗談らしき事を言った後自分でヒッヒヒ~ってでかい声で笑ってる
店の一番遠いとこにいてもその声は響き渡る
細々したのは他にも色々あって、お前どんだけコンビニ行ってんだって感じだけど、まあ何年分もの積み重ねなわけ
最初はあいつのレジだけはいやだと思って、レジ並ぶ時は店長がカウンターにいないタイミングを見計らって並ぶようにした
そのうちそのコンビニに入って店長がいるのがわかると、もうそれだけでイヤで店出るようになって
嫌な気分になるくらいならとなるべく遠いほうのコンビニ使うようになっていった
とはいえ店長がいない時もあるし、やっぱり便利なので今でもその店は時々は利用するんだけど
たまに見かける店長は相変わらずで店員はやっぱりしょっちゅう入れ替わりが激しいっぽい
こうやって書き連ねるとまあ出るわ出るわ
こんな長文書いたの久しぶりだよ
色々あるんだろうなあとは思うよ本社からのプレッシャーとかコンビニ店長の心労とかニュースとかにもなってたし
でもまああの店の経営状況はわからないし(立地的に客は多いんだよな)、やっぱ人としてあの店長が嫌いなのわ変わらない
生きてるとなんやかんやで嫌いな人への対処法とか身についてくるじゃん
学校や職場や家庭なんかで嫌いだけど一緒にいるしかないみたいな事が起こって
だんだんそこでの付き合い方って学んでいくよね
相手の良い面を探そうとするとか、鉄壁の心の仮面を装備するとか
そうこうしてるうちに純粋にただ嫌いなだけでいられなくなっていく
でもこのコンビニの店長は自分にとってただただ嫌いなだけでいい存在なんだよな
自分も知らないとこで、ひょっとしたらそのコンビニの中でとにかく嫌いな客として存在してるのかもと思ったら
嫌だけどそれはそれでまあいっかって気もしないでもない
他じゃあ言えない正論で容赦なく殴り合えるファイトクラブみたいな所だった
IDコールの是非は置いといて、正論をぶつけあうのがここでの嗜みって空気は極めて清々しかったと思う
他人の使う正論も自分たちの身内から出る正論も大嫌いな連中しか居ない
党派性と保身と因習で脳を満たしてしまった狂犬病の患者みたいな奴ばかりだ
現実を見たがらず自分たちの都合で決めた白や黒やで人を詰る事ばかり考えている
自分らが正論を言うのも突きつけられるのも嫌っているだけで終わらない
政治家も芸能人もブロガーも配信者も上下に書き込まれたブコメも全部が邪論であって欲しいと願っている
だって邪論だったら何を言われてもそれって邪論ですよねと返せると信じ切っているから
何を言ってもこんな詭弁冗談に決まっているでしょうで済むと思っている
ひろゆきをやたらと憎んで見せるのは同族嫌悪と嫉妬の現れだろう
自分たちも同じことをしているのにひろゆきだけが成功しているのが憎いのだ
そしていざ嫉妬という眼鏡をかけるとそれが元々かけていた偏見とちょうど打ち消し合って現実が見えてしまうのだ
詭弁を繰り返しては他人の意見もまた詭弁であることを願い続ける正論嫌い
でも辞められない
辞めたらこの楽しい楽しい言葉の暴力の日々を辞めなきゃいけない
麻薬中毒者がいい加減に辞めなきゃと口にしながら買い込むことさえ辞められないのと同じなんだ
言葉によって人を貶めそうしながらそれは冗談だと逃げようとする
この世界のあらゆる正論を憎みそれ故にこの世界には邪論しか存在しないと思い込み身勝手に世界を決めつける
終わってんな