はてなキーワード: 兵士とは
今のイスラエルの蛮行を見ると、ドイツ人のナチスドイツに対する反省方法やアウシュビッツの展示内容はユダヤ人の憎悪を拡大するだけで完全な失敗だったとみていいのかな。
イスラエル人兵士はアウシュビッツを見学した人もかなり多いと聞くし。
こうなると、日本の原爆資料館と比べてアウシュビッツの展示内容がどうだったのか比較したほうがいいね。
何が同じで何が違うのか?
自殺攻撃のおかげで勝利した戦いって史実で存在したのかどうか気になる
気になるので軽くググったがすぐには見つからなさそうだ
ここでいう自殺攻撃というのはいわゆるカミカゼをイメージしている
「戦列歩兵とか?」
何割かは撃たれて脱落することは承知の戦術なので、まあ自殺的とも言えるかもしれない
ちょっとイメージとは違うんだが、当時の価値観なんかを調べるのは参考になるかもしれないな
自殺攻撃が成果を挙げてしまった国はどのような価値観を持つにいたるのか←究極的にこれを知りたいので
絶対先行研究があるはずなんだが、検索ワードを選定しないと資料の海に溺れる予感が強い
「捨て奸とか?」
うーーーーーん、これは組織的なのか?自殺攻撃的ではあるが……
捨て奸って敗走するときに「成果」は挙げたかもしれないけど、捨て奸のおかげで「勝利」することはないからなあ
勝ってる時にしない戦術なんだわ
そう、「自殺攻撃のおかげで勝利した戦い」ってのが見つからない理由ってそれなんだよな
「そういうこと言うと戦争のほとんどすべての戦術って自殺攻撃的精神を持ってない?」
そうではあるが
自殺攻撃、戦死率が高い戦術で成功体験を得た人々がどのような価値観を持つかを知りたいので
枢軸国が勝ったIFの物語を読めば価値観を推察することもできるかもしれない、ということね
一理ある
注意すべきは「枢軸国が勝つ≠自殺攻撃が成果を上げた」ということ
そう考えると一理はあるが、やはり筋は良くないかもしれない
枢軸国勝利IFというテーマは語るべきことが多すぎるから、上手いこと探さないと結局小説の海に溺れてしまいそうだ
センシティブなテーマだから変な資料を読んでしまうと変な先入観が身についてしまいそうで怖い
戦死率が高い戦術で成功体験を得た人々がどのような価値観を持つか→人的資源を軽視するノウハウで成功体験を得た人々がどのような価値観を持つか
一気にビジネスの話になってきたぞ、これはこれでセンシティブだなあ
聞く人によっては連想ゲームが始まってしまうかもしれない 不毛だ
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Wikipediaの「自殺攻撃」のページで出典にされているこの本おもしろそうだから読んでみるか
「自殺攻撃のおかげで勝利した戦い」にも「自殺攻撃、戦死率が高い戦術で成功体験を得た人々がどのような価値観を持つか」にもあまり関係ないけど
『ヒトラーの特攻隊:歴史に埋もれたドイツの「カミカゼ」たち』
近所の図書館に蔵書あり、助かるね
督戦隊(とくせんたい)とは、軍隊において自軍部隊を後方から監視し、自軍兵士が命令無しに勝手に戦闘から退却(敵前逃亡)または降伏(投降)する様な行動を採れば攻撃を加え、強制的に戦闘を続行させる任務を持った部隊のことです。
督戦隊は、戦線の後方に展開し、自軍兵士の敵前逃亡阻止等の任に就きます。戦闘を継続させるためならば、敗走する自軍の兵士を容赦なく攻撃し、殺害することもあります。
督戦隊は、もともと兵士らが自発的に戦闘に出ることを期待するのが難しかった前近代時代の戦争に主に使われた手段です。ナチスドイツと旧ソ連は第2次世界大戦当時までこうした部隊を運営し悪名を馳せました。
2022年11月4日、英国防省は戦況分析で、ロシア軍が「督戦隊」と呼ばれる部隊をウクライナ国内に展開し始めたとの見方を明らかにしました。逃亡を図る自軍の兵士を「射殺する」と脅し、無理やり戦闘を続行させるのが役割だと述べています。
4日間の休戦が約束され、イスラエルは収監していたパレスチナ人を解放し、ハマスは人質を解放した。
彼らは、外野から見ていると、秩序なき殺し合いをしているように見える。
でも実際には彼らは彼らのルールがあって、その中で駆け引きがあって、その結果として取引がされる。
話し合いの前にまずは殺し合いがある。
人の命が軽い。
死体になった兵士と生きているパレスチナ人を交換することさえもするイスラエルは自国民を大事にしているようだが、何かが違う。
命の扱い方が違うのだ。
極端に言うと、人の命というものをツールの一つのような捉え方をしている部分がある。
そこに命があるならば、有効に使わなければならない。
この感覚はギリギリのところで国家を存立させているがゆえなのだろうか。
ChatGPT
もちろんです!ワクチンは、体を病気から守るための特別な薬です。それを理解するために、体の中には「兵士」がいて、それが私たちを病気から守ってくれるんだよ。
ワクチンは、体に病気に似た部分を持っているものです。でも、実際の病気ではなく、病気の「写真」みたいなものです。この写真を見ることで、体の中の兵士たち(免疫システム)は、その病気の特徴を覚えることができます。これは、まるで兵士が敵の姿や戦術を知っておくことと同じようなものなんだ。
ある日、本物の病気が体に入ってきたとき、兵士たちはその病気を見つけ出し、戦うことができます。しかし、初めて会う敵だと、兵士たちは手探りで戦わなければなりません。
ワクチンを受けることで、体の兵士たちは事前にトレーニングを受けた状態になります。つまり、その病気の写真を見て覚えているので、本物の病気が来ても迅速に戦えるようになるんだ。これによって、本物の病気が体に入ってきても、兵士たちは速攻で対処できるのです。
体の兵士たちは、ワクチンのおかげで敵をすぐに見つけて倒すことができるようになります。これによって、本物の病気が体に広がる前に撃退することができるんだ。
今までのシリーズもピン・キリだったと言えばそうなんだが、ドラマが酷い時は怪獣パートの比重高めてたから耐えられた。
でも今回は怪獣パート少なめでドラマパートメインなのにドラマパートが酷いからもう目に余る。
時代背景を無視して超現代人的価値観で語りまくる登場人物、致命的に語彙力のないセリフ、挙げ句重要な場面ではついに全ての語彙を失い泣き崩れる始末。
せめて「説明的ではあるが芝居がかった面白みがある」「リアルな言葉のキャッチボールで芝居臭さがない」とかにして欲しい。
芝居臭くて、表現が陳腐で、説明的で、戦後が舞台とは思えないような喋り方をしてくるってのはもうマジでしんどかった。
とにかくドラマパートの大部分がカメラを止めるな初見の前半ばりにしんどい。
なんとか我慢できるのは学者と艇長の演技ぐらいで、他はもう演技指導が悪いのか役者が悪いのか、そもそもの脚本がしんどすぎて読んでる側も「こんなんどう演技してもゴミみたいなドラマパートにしかならんわ」とあきらめムードなのか、とにかくキツかった。
怪獣映画における人間パートなんてホラー映画における退屈な恋愛シーンみたいなただのツナギの前フリでしかないと言えばそうなのかもだが、それにしたって全体の比重がデカすぎる。
とにかく登場人物が全体的に幼く、その中でも主人公がぶっちぎりで子供っぽいのがしんどい。
そんな主人公が特攻とヒューマニズムの折り合いをつけた道を探る物語として全てが構築されているのは分かるが、そこまで一人の兵士にフォーカスしてしまったらもうそれはゴジラじゃなくてエヴァンゲリオンだ。
たとえばこれが庵野が作ったシン・ゴジラ-1.0だったら「はいまたいつものヤツ。コイツはほんま……」で終わるんだが、なまじ別の人間がやっているだけに諦めきれねえ。
一人の人間に向かって運命が収束しすぎていることのおかしさに気づいて止められる人は誰も居なかったのかよ……。
まあそれでも、台詞回しの表現力がもっとずっとマシだったらそれなりに形になったのかも。
子供でも分かるようにを意識しすぎたのかペラッペラな台詞回しに加えて碇シンジ型の物語構造という組み合わせが、まるで子供向けの冒険ファンタジーを見せられているような気分にさせられてしまう。
ゴジラはよかったよ。
でもドラマは酷かったと思う。
マジで。
これを高評価してるしてる人はどうやってこのドラマの酷さを乗り越えたのか教えてくれ。
「加点式で評価してるからゴジラがオッケーならそれでいいんだ」って感じとは思えないのに高評価してる人がたまにいるのマジで気になる。