はてなキーワード: エロ本とは
ラブホ女子会したときにノリでAV見たことはあるけど日常的には見ないな。わざわざ金出してエロ動画DLしたりエロ本買ったりもしない。
オナニーは月1回あるかないかだな。彼氏とも正直セックスしたくない(可能ならハグとキスだけしてたい)し。女の性欲も人それぞれだね。
男の性欲の反対は女の性欲!!
ナプキン代を言うならエロ本代を…というブコメを見たが、女もエロ本買うわ。買う買う。全然買う。DLsiteでエロ同人買う。動画も見る。GIFを見る。めちゃコミも読む。エロ小説も読む。かつてはクリックするとあんあんするエロフラッシュをおかずにしておった。
でもオカズは無くてもよい、なくても出来る。
男女じゃ性欲の強さが違うんだよ、とおっしゃるかもしれませんが、私は毎日やってたぞ。生理の時もやってたぞ。
メンソレータム塗ってみたりもした、マッキーつっこんでみた、携帯のバイブレータで気持ちよくなれないか試した、ありとあらゆる創意工夫もした。
中学生のある時期はあまりにも性欲を持て余してて、男性の股間に目が行ってしまうし、身近な人をネタにして自己嫌悪したり、オナニーばかりしてるからニキビが出来るんだろうかとひどく悩んだ。ニキビがあるやつ=オナニーしてるやつというネット情報にふるえた。
なんかめっちゃ読みにくい文章書くね?もっと分かりやすく書いてくれ
キモ男好きの女商業作家はぶっちゃけあんま知らないけど、趣味で描いてる人は結構居るし私もそのうちの一人だし少数が自給自足で描いて食ってる感じある
弱者男性はもともと声をあげようなんて思ってなかったんよ
自殺率が高かろうと労災で死のうと平均より早く死のうと別に、そんなもんだと受け入れてたわけじゃん
そこにフェミニストが石を投げてきたわけよ
お前らは強者だ、男性特権を認識しろとか言って。コンビニからエロ本奪ったり宇崎のポスターにごちゃごちゃ行ったりして「ズリネタ」まで奪おうとした
石を投げられたからには黙ってられないってことで声をあげてるだけだよ、そっとしといてくれたらずっと黙ってたと思うよ
つまり、弱者男性ってのは結局はフェミニストへのカウンターであって、フェミ共が変にちょっかい出さなかったら弱者男性たちは早く死ぬことを普通に受け入れてたと思うよ
今も声も上げてなかったと思うけどね
エロ本であれば、エロ本コーナーを作って、「エロ本コーナー」と明示すればよい。
本来のゾーニングは「そこにそれがあることを知らせる」ために行われるのである。
ところが「ゾーニング」推進派が言っているのはむしろ逆である。
彼らは「自分にとって不快なものを視界に入れたくない」と言う。
「そこにそれがあることを気付かせるな」というのが彼らの主張である。
つまり、こうした議論は「ゾーニング反対派」と「ゾーニング推進派」の対立ではなく、「本来のゾーニング」派と「新しいゾーニング」派の対立なのだ。
「本来のゾーニング」と「新しいゾーニング」は正反対と言っていいものだが、その食い違いが意識されていないために議論が迷走してしまっているのである。
そういった前提の上で、実は「新しいゾーニング」には意味がない。
そこには基準の妥当性などではなく本質的な問題が存在している。
仮に、エロ本を見たくない人の視界から、エロ本が完全に消えたとしよう。
一つめは、エロ本が消えたということにすら気付けないということだ。
なぜなら「新しいゾーニング」とは「その存在に気付くまえに撤去すること」であるからだ。
すると「ゾーニングが働いているという認識」さえも無くなってしまう。
二つめは、その人にとって「エロ本」とは「認識できるなかでいちばんエロい本」のことになるということだ。
この二つが組み合わさると怖ろしいことが起きる。
既に「新しいゾーニング」が行われているにもかかわらず「なぜこの店はゾーニングをせずに(認識できるなかでいちばん)エロい本を並べているのか」という苦情が来るようになるのである。
当時のコンビニからは、一般に「18禁」とされるエロ本は、既に撤去されていた(これは「新しいゾーニング」である)。
残った「全年齢向けのエロ本」でさえ、わざわざ「成年雑誌」というコーナーにまとめられていた(これは「本来のゾーニング」である)。
にもかかわらず「コンビニはゾーニングしろ」「コンビニに18禁のものを置くな」という意見が絶えなかったのである。
10が撤去されれば9が糾弾され、9が排除されれば8が問題視されるようになる。
そもそも、「弱者男性」という概念がフェミニストの弱者性を盾にする理論(権力勾配論など)を無効化するための概念だから。
まあ、今までフェミニストが批判してきたものにはいろいろあるけど、それに対する反論と共に最近のものをあげてみよう。
何件か、性犯罪が証拠不十分だったり、証言がうまく取れなかったりして無罪になることがあったことで、「疑わしきは被告人の利益に」といった原則について批判するような言説が表れ、フラワーデモなどを通じて、刑事処分に対する粗雑な意見が出てきた。
医大入試で女子の得点が減らされるということが差別だという批判があった。
しかし、これはそもそも過重労働の勤務医を医局人事で回すためだった。この問題を解決するためには、多額の資金を半永久的に投じるか(=不可能)、高度な医療にかかりにくくする(自腹を切れる金持ちはかかれる)が、誰も答えられず批判された。
具体的な被害者の存在しないコンテンツや広告について、女性差別を肯定する風潮に繋がるとか、あるいは見た人が不快になるといった批判を繰り広げた。
そんな理由で規制できるなら、解放同盟の狼藉と同じことができてしまう。
また、規制しろとは言っていないという言い分もあったが、実質的に商業的に排除されたら成り立たないのに、おためごかしにすぎない。BLやTLを表示図書(エロ本コーナー・専門書店オンリー)にしてから言え、という話になるだろう。
男性によくみられる、闘争的だったり支配的だったりするような傾向について、有害な男らしさとして批判し、排除を求める言説が繰り広げられた。
だから、「負の性欲」とか「統計的傾向」で女性の性向がさぐられ、その倫理性を厳しく吟味されるようになった。
つまり、フェミニスト批判者は、フェミニストの主張を単純に適用すれば問題があり、逆用することもできるという批判を繰り広げてきたわけだ。で、これに対してフェミニスト側は「女性は差別されてきたから」「権力勾配があるから」「弱者だから」といった、弱者性を盾にする理屈で批判を無効化しようとした。
しかし、実際には、権力を持っている女性も、権力を持っていない男性もいるし、強いフェミニストもいえれば、弱いアンチフェミニストもいる。こんなのは当然の話だ。
そこで、それらを基に「弱者男性」という概念を用いて、弱者性を盾にするフェミニストの立論を無効化しようとしているわけ。
最初から、喧嘩売ってきやがったフェミニストの方を見てるんですよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4702368850467300258/comment/RIP-1202
マジで本当に全くわかってなかったんだな。
主人公の市川は、貞操逆転後の世界は基本的に馴染めず、良いとは全く思ってないんだよ。
ただ戸惑いながらも順応しようとしてでもダメだー!というのが面白のキモなわけで
2巻のアオリなんて「女としての自分の価値がどんどん暴落していく」という表現があるわけで、
要は女の性的魅力は貞操観念に依存してて、そして自分の女としてのアイデンティティも貞操観念に支えられた妄想の産物に依拠している部分が多分にあるのでは、というのが主題なんだよね。
少なくともフェミマンコどもが言いたくてうずうずしている「男の抑圧がない!『サイコー!!』」ではまったくないということ。
たまに男の性的視線を逆転させるとどれほど滑稽かってのがあって、フェミマンコはそこにだけフォーカスしたがるけれど、
まあマンコでものを考える女の浅はかな見方、ってことなんだろうなー。
女のマンコにどれだけ価値が置かれているのかってことを客観視させるための道具立てなんだよこの漫画は。
これは女目線。
女目線だと、貞操観念が逆転しても、女はウヒョーにはならないよねということ。
ってことは、今の世界がウヒョーなんじゃね?って反問が想定されるわけで。
まあもちろん漫画だからね、女の実社会の不利な要素なんて排除してるただの娯楽なわけだから、
女=即ウヒョーなわけねーだろってのは百も承知。
だが、そんな単純で表層的で一面的な娯楽に過ぎないこの漫画をフェミの教科書とか言っちゃうバカマンコって、
どれだけ単純で表層的で一面的なモノの見方しかしてないんだろ、って話になるわけなんだよねー。
単純で表層的で一面的でしかないから、物語に面白みや厚みを加えることなんて絶対できないもの。