わかる。って言っても一人暮らし1年目だからルーチンが確立されてないだけなのかもしれないけど。先週末は「掃除しよう」と思い立ってたのに朝起きたら熱出てたよ………この週末こそはちゃんとやらなくちゃ
ドラえもんの作者藤子・F・不二雄の「ウルトラ・スーパー・デラックスマン」って作品を読むといいと思うよ。
どんなに小さな憎しみや恨みも、死刑にしてしまえば一律リセットできる。
もちろん罪人の命なんてどうでもよく、金銭的被害に対する補償を望む人もいる。
それも死刑になった罪人の全財産を国が没収し、それをプールして被害者の被害額に応じた補償をすれば
だいたい賄えるんじゃないかな。
そもそも刑務所自体が不要になる。死刑執行所や執行人は必要だからコストゼロにはならないけど、
年単位の刑務所内生活コストと比較すれば、ずっと安く抑えられるだろう。
当然過失事故や労基法違反も含まれるから、交通違反による事故も激減するだろうし、
ブラック企業の経営者やパワハラ・セクハラ上司も、グッと減るだろう。
もっとも、罪がバレそうになった人や、こんな息苦しい社会に嫌気がさした人が開き直って、
周りを巻き込む無差別殺人事件をじゃんじゃん起こすかもしれないけど。
河野外相「極めて無礼」韓国大使呼び強く抗議 徴用工仲裁委問題(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
韓国最高裁が日本企業に元徴用工への賠償を命じた判決を巡り、河野太郎外相は19日、韓国の南官杓(ナム・グァンピョ)駐日大使を外務省に呼び、日韓請求権協定に基づく仲裁委員会の設置に韓国側が応じなかったことについて「非常に残念に思う」と抗議した。また「韓国政府が国際法違反の状態を野放しにせず、ただちに是正措置をとることを強く求める」と述べた。
南氏は、6月に日韓の企業が資金を拠出して財団を設立し、元徴用工に補償する案を提示したことを念頭に「韓国政府の努力の一環として日本側に韓国側の構想を伝えている」と述べた。これに対し、河野氏は韓国側通訳が南氏の発言を日本語で説明するのを「ちょっと待ってください」とさえぎり、「韓国側の提案は全く受け入れられるものではないことは以前にお伝えしている。それを知らないフリをして改めて提案するのは極めて無礼だ」とまくし立てる一幕もあった
こんなふうに、日本人がかなり怒っているということをちゃんと伝えたほうがいいという見方も勿論あるんだが、
その意味で、河野太郎の外交的な資質には若干、問題があると思う。
マスコミ等ができることと、政府にしかできないオフィシャルなプレゼンスを区別してもらいたい。
だいたい目先のことに反応しすぎるんだよ。こいつは。
その場のノリでの発言が多すぎる。
韓国がすっとぼけて、いったん拒絶された提案を押し続けていることは問題だが、
韓国政府側の主張がいかに身勝手であるかをじっくり理詰めで論破してもらったほうがすっきりする。
最初は司法の判断を尊重するって言っていたんだから。提案との整合性を韓国政府はちゃんと説明できないだろう、ということをわからせないとね。
感情的な言い方はできるだけ避けないといいように使われるだけ。
ここ一ヶ月くらいかな。生活が死んでる。入るたびお風呂、トイレの掃除はもう二ヶ月くらいやってない。汚くて心が死ぬのを感じる。ゴミは捨ててるけど一週間分くらいはたまってる。台所はそこそこ。でも、またいつ小バエがわくか、ドキドキしてる。夏に生活が死ぬと小バエがわくのだ。それでやっと部屋を死ぬほど掃除しだす、小バエ撃退のために。2、3回経験したかな。気づいた時はなかなかゾッとする。でも今年はまだ。
私はよく生活が死ぬ。ちゃんと生活できない。一度生活が死ぬと一ヶ月ほど、長くて二ヶ月いくときもあるだろうか?死んだ生活が続く。ポイントはお風呂だと思っていて、とにかく仕事から帰ってから風呂に入らなくなる。仕事から帰って、欲望のままに、ベッドに倒れこんだり、好きな俳優の情報をツイッターで追ったり、机の使えない部屋でコンビニのご飯をとにかく食べて(ベッドとか床に置いて)そのゴミを床に置いたまま寝転んで、そのまま寝ちゃう。お風呂に入らず仕事には行けないから(汗の匂いが少し気になる体質のため。それがなければたぶん2、3日は入ってない)朝ギリギリに起きて入ってはいるけど、夜お風呂に入らないととたんに生活は死んでいく。
こんな生活をしていても、なに食わぬ顔で仕事に行っている。この人最近変だな、とか思われてたりするのだろうか?やるべきことの整理がもちろん、全くできてない。主に仕事の。もともと仕事ができないのに、さらにできなくなる。嫌なことはとにかくやりたくなくなるのでやるべきこともなんとなく考えない、思い出して、ゾッとして、(いまも)さらに逃げる。
職場の人ととの関係は、別に悪くない。でも見えないところでちょっとずつ悪くなってきていると思う。たぶん、私が、仕事ができないから。仕事に熱意がないから。ちゃんと仕事しないから。何事にもだらしがないから。誠実じゃないから。口だけだから。いつも後ろめたいので、余計に人は離れる。
私は本当に人に好かれない。なんとなく、仲良くはなれてたけど、でも、大体いずれだめになるし、最近初対面からでもあまり好かれなくなってきた。たぶん嘘ばかり話すからかな?実はいまの仕事が好きじゃないのだ。でも好きそうな、知ってそうな顔をしている。だから浮わついた会話しかできないし、知らないことを話されると、素直に知らないと言えないので、ものすごく変な空気になったりする。生活が死んでるので、自分のことも特に話せない。話すことがない。
生活が死んでるので、とにかくメンタルもやばいかんじだけど、最近本当にやばい。職場にいるのが辛くて辛くて仕方がない。職場にいるデキる人たちの存在が、辛くて怖くて仕方がない。ハイカーストの人たち、ということだと思う。学生時代から全く変わってないね。職場では、どちらかというとそのハイカースト側の人たちの方に所属していたはずだけど、もうそろそろ無理になってきた。私は異動で新しい職場にいくと大体なんとなくハイカーストの集団に溶け込むのだが、だんだんおかしくなり、次の場所へ異動する頃には逃げるように異動していく。2回あった異動も、結局仕事ができないから異動、みたいなことだったし、個人としての送別会はされたことがないなぁ。(この事実、なかなかヤバい人間だな、と改めて思っちゃった)
そのハイカーストっぽい集団に属していない人を私は存分に見下していた。結婚してないくせに、仕事もできないオバサンをおもいっきり見下していた。自分がそうなっている、いまも。私はいろんな人を見下している。文化的素養のない人とか、学歴や会社で男を見る友達とか、その一方で低学歴で仕事をしていない主婦とか、正社員じゃない人とか、なんか話し方がダサい人とか。特に気になるのは顔面の美しさかもしれない。私はなまじ顔面に自信があるがそこまでではないので、例えば同じ仕事ができる人でも顔面が良いとそっちにより嫉妬したりする。あと、オシャレな人には気後れしてしまう。小学校高学年からファッション雑誌に手をだし頭の中だけはオシャレ知識が豊富だったのに実際はダサいままなのでそのコンプレックスも強い。結果自分より可愛くなく、オシャレじゃない人としか仲良くなれない。その辺が自分より上だと思うとめちゃくちゃ気後れして自分が出せないのだ。だから私は自分より可愛くない人、オシャレじゃない人を見下している。だから仲良くできる、話しかけられる。
見下していたあらゆるものに、どんどんなっていく。30代半ばになった。すごい年齢だけど、本当に、本当に、本当に子どもだ。ものすごく馬鹿だ。もうここ何年もほぼスマホしか見てないので、脳ミソは溶けかかっていると思う。高い学費はなんだったんだろうね?
誰にも本音で話せない。もともと正直さがあまりなくて、見栄をはったり、知ったかぶりをして、人間関係が上手くいかなくなることが多々あった。でも自分の駄目さとか、不安なことは、ネタっぽくも話せたし、真剣に相談もできた。それも今はもうできない。本音はヤバすぎるので、誰にも話せない。ここに書いてるようなこと。だからか友達はもうほぼいない。
よくある人生の展開なんだろうけど、まさかここまでの破滅が自分に起こるとは。私は小さい頃から自分の人生が華々しく成功する妄想ばかりしていたので、特にショックや屈辱的な気持ちが大きい。でもそこから抜け出すための努力はしてない。何度もやろうとしたけど面倒なのでやめてしまう。たぶん何もやりたくないんです。何も。
京アニ放火事件の容疑者の氏名が京都府警から公表された。もっとも公表の何時間も前からその名前はネットで取り沙汰されており、特定班の精度にも戦いたが、今回の本題はそこではない。氏名の公表により顕著になった、「事件を個人問題として容疑者を叩く」人たちへの違和感についてである。
事件が報道されてから、ネット上には事件に関する様々な感情が溢れていた。心配する人、怖がる人、悲しむ人、憤る人、放心している人。それらを目にする中で、なんとも言えぬ違和感と共に目に留まった言葉があった。容疑者が逮捕される際に発したとされる言葉に触れた上で、こう書かれたものだった。
「そんなことは人を殺す理由にならない。こいつほんとに許せない。」
よく見ると似たようなコメントは沢山あった。死刑でさえ甘すぎる、精神疾患で減刑とかなったらまじふざけんな、苦しんで死ね、等のかなり強い言葉が延々と流れていく。氏名が公表されるとそれらの言葉はさらに個人攻撃の色を増した。凄惨な事件に対する当然の反応と言えるかもしれない。だが、私にはなぜかどうにも不自然に感じられた。しばらく考えを巡らせた結果、違和感の正体はそれらのコメントの裏にある「事件の個人問題化」ではないかという考えに至った。
容疑者の名前を挙げて個人としてバッシングする。容疑者を悪人と見なしているからだ。常人の自分にはとても理解できない凶行を犯したから。被害妄想によって勝手に逆上した幼稚なやつだから。自分たちはまともだけどこいつはおかしい。しかし、その「おかしさ」を容疑者の問題として向き合おうともせず、単純に蔑むというのはあまりに筋違いではないか。その「おかしさ」は、本当に容疑者だけのものなのだろうか。私はそうは思えなかった。蔑む側の指摘する「おかしさ」が、容疑者の中に自然発生的に芽生え、ここまで爆発するというのは、かなり無理があると感じた。
最近のもののみならず、衝撃的な傷害事件の容疑者の年齢を見て「就職氷河期」や「ロスジェネ」という言葉がよぎる人は多いのではないか。その時代に就職をしなければならなかったというだけの理由で、一生不安定な生活を送る人たちは数多くいる。就職難が事件の直接的な原因であると言いたいわけではない。しかし、強い社会不安があったり精神疾患を持つ容疑者たちが、それらを始めとする社会の歪みの弊害を真っ先に受けて追い詰められていったことは容易に想像できる。
精神疾患を持つ人は社会を生きづらい。先天的/後天的に関わらず。疾患でなくてもどこか生きづらさを抱える人たちというのは存在する。しかし、生きづらい人たちが事件を起こすということが納得されて良いわけがない。それこそおかしいのではないか。そのおかしさはその人たちだけのものだろうか。その背景を理解しようともしない「まとも」な人たちのものでもあるのではないか。
何かが起こるには必ず原因がある。論理的な文脈を持つものもあれば、脳のここにあるはずのあれがない、といった物理的な理由の場合もあるかもしれない。何にせよ、自分が理解できないということを全て相手の問題にして蔑むということが果たして無責任でないと言い切れるのか、私たちは一度考え直してみるべきだと思う。全ての犯罪は個人のみの問題ではなく、社会の問題なのだ。
それ超究武神覇斬にも言えんの?
れいわ新選組の奨学金徳政令は惹かれるものはあるけど、正直あの政党の他の公約は疑問が残るものばかり。
いかにも、「耳ざわりのいいことを言って政治に疎い若者を取り込むため」に言ってるように思える。。。その割に、若者が関心のあるLGBTや年金には触れないし、なんとなく頼りないきがするんだよなぁ
酒に酔うっていうのは、脳の感情を抑制してる部分(前頭葉)を意図的に麻痺させるってことなんだよ。
Firefoxの脆弱性について日本で3本指に数えられるんじゃないかというくらい詳しい人と飲んだ。正直非常に楽しくて時間が経つのを忘れてしまった。無知の自分が聞いてばっかりだったのが恐縮な感じ。
セキュリティ部門のマネージャーであり、エンジニアとして、みた話が興味深かった。
……独占禁止法に引っかからないのが不思議、と盛り上がったあと、どうしてこんなこと考えたんだろう?と自分がもらした問いに、もしも自分がセキュリティ部門で提案したとしたら次の思考回路に則るとのこと。
→ふつーに侵入されませんでした、無事故でしたとかはまずさらに上司が納得しないよね
→どうにかして捻り出した案がユーザーのコンバージョン上げるためにアップルIDのサインイン強制
→アップルストア以外でもマルチプラットフォーム展開しているサービスならアップルID入れないといけないんやで。さもなきゃ審査で落とすよ?
→それで数値が上向けば…
みたいな思考回路だったんじゃないかとのこと。うわ、ありうると思ってしまった。
聞けば中間管理職として板挟みで悩んでる節々があって、エンジニアとしてのリスペクトよりなぜかどうにかして元気づけたいという気持ちが先に来た。
もちろん脆弱性をどうして見つけたかというのも興味深い話を色々聞けて。車輪の再発明と横井軍平さんの枯れた技術の水平思考。この2つが鍵なのだ。脆弱性の見つけ方においても。