https://twitter.com/koredeiinoka/status/698133663427350528
団塊の世代が学生運動で、大学の授業を軽んじても就職が出来たし。
今の定年後の大学教授って、日本を脱出して海外に出て日本の政治に対して、特に発言権を持たざる人達が主導してきた。
それと、大学の自治とが相まってあんまり、政治を動かそうとしてこなかったからだろう。
事業仕分けの時に、各学会は頑張ったのだから、なんとか、ならないのか?
今年69歳になる実父がボケた。
去年からパーキンソンぽい症状も出始めていたが、記憶や喋ることが辻褄が合わなかったりすることは無かったので、手のかかる老人になったなという感じだった。
僕が小学校高学年の頃に胃癌になり、それが元で鬱になり、たまにものすごい躁状態になったり。30年間躁鬱を繰り返し、薬無しではいられない状態だった。
父は英語教師をしていたが、まともに通勤の車を運転することも、授業をすることもできなくなり、60歳の定年よりずっと前に辞めてしまった。
それからは鬱になるとほぼ横になってばかりいたり、躁になるとあちこちに電話をかけまくり、できもしないことを計画しては金策に走ったり(それでも大きな借金をするということはしなかった)していた。母は大変だった。
今年の正月に会って一緒に食事をしたときは、よくこぼすようになったな、と思っていたが、母は「最近トイレでおしっこもまともにできないんだ」とこぼしていた。それでも失敗することは悪いと思うらしくて、そのたびに「すみません、すみません」と落ち込んでいたらしい。
それから1カ月して、実家の近くに住む妹から「最近お父さん痩せてしまってちょっとボケ始めてきた」とメールがきた。母に電話をすると「最近夜も幻覚がひどい、一旦入院させようと思う」と。「もうお前(増田)のことも分からないかもしれないので、一回会ってみて」と言われた。
入院した次の日、実家近くの精神病棟がある病院に見舞いに行った。病棟に行って担当の看護師に、前日に幻覚を見て壁をひっかいたためベッドに拘束しています、と説明された。
映画に出てくるような精神病棟の病室は何だか嘘みたいだ。部屋は2重扉になっていて、小さな窓がある中扉には鍵がかかっている。鍵を開けてもらって中に入ると、ベッドの上で父は下着のまま腕と脚を拘束され、オムツをされて天井を見ていた。
病室に入ると、父はこちらを見るなり「おお〜」と叫ぶ。表情は明るいというか無垢というか赤ん坊まではいかないが子供のようだ。目線が自分に向く。明らかに知らない人を見る目だ。同時に一生懸命思い出そうとしているようにも見える。母が「この人(増田)誰だかわかる?」と聞く。「わかるよ!」と大きな声で答えるが、息子である自分の名前が出てこない。やっと分かったように「A田(親戚の名字)の次男坊だ!」と言う。「違うでしょ増田だよ」と母。「いや、自分で付けた名前でもないのに思い出せる訳が無い」と父。
自分で言うのもなんだけど、僕はいい名前だと思う。仕事で名刺を渡すと相手の人はだいたい「いいお名前ですね〜」と言ってくれる。その名前はクリスチャンである父が聖書から付けてくれたものだ。
僕はそれからしばらく父のあちこち支離滅裂になる話に付き合って(これはこれで面白いのだけど)、興奮しすぎるといけないというので30分ぐらいして病院を後にした。
父の中にもう息子である僕はいない。まだ母のことは分かる。父から忘れ去られてしまった、ということはショックではあったのだけれど、無茶苦茶悲しいという気持ちが湧いてこない。もう多分父は元には戻らない。母がこれ以上大変にならないようにするのが優先だ。
ふと手と脚を拘束されて天井を見ている父の姿を思う。
僕も息子や娘を忘れる日が来るのだろうか、その時妻を忘れていないだろうか。
1998年2月14日、日本青年会議所の幹部ら33人が、北海道旭川市駅前のホテル地下の居酒屋でハレンチな猥褻行為を目的とした会合を行なった。旭川JCメンバーと日本JC会議スタッフが「今日はバレンタインデーなので、旭川では女体盛りを用意しました」と、コンパニオンとして呼んだ16歳の少女を全裸にし刺身を盛り付けたパーティーを企画していた。その場にいた日本JC議長と副議長4人を含むメンバーらは、「一瞬「おおっ!」と驚きの声を上げ、次いで蜜にたかる蟻のように女体盛りに群がった」。「初め女の子はサングラスをかけていたが、乗ってくるとそれをはずし、脚も開いた。なかには刺身を股や乳首にくっつけてから食べる」JCメンバーもいた。事件は6月になって少女が補導され、パーティーの顛末を話したことで発覚した。10月に議長らは旭川中央警察署で事情聴取を受け、逮捕者を4人出した。少女を手配した1996年衆院選に北海道6区から出馬している不動産会社役員の東京JC会員(27)は売春防止法違反と北海道青少年保護育成条例違反で逮捕され、東京JCを除名処分となった。当時、松山建設代表取締役社長で(社)日本青年会議所副会頭だった松山政司参議院議員(当時39歳、翌1999年度日本JC会頭就任)もその場に参加していたとして問題になった。1998年11月3日と17日発売の写真週刊誌『FLASH』に「「女体盛り」逮捕犯」「あ!日本青年会議所(JC)議長のハシが乳首を!!刺身「女体盛り」ハレンチ写真」などの表紙見出しで、現場写真が2号連続で掲載された。
エゴサーチが「自分で検索ワードを入力して調べる」という意味で誤用されてると言われてたことあったが、それは拡大し過ぎで実際は自分に限らず特定の人や事象に関しての評判や話題の出され方を調査する程度の意味で使われてることがほどんどだと思う。単に言葉の意味を調べるみたいな意味あいは薄いし通常の検索という感じではない。エゴはどこいったんだ?ってことだがこっそり隠れてやるというニュアンスを感じる事が多いかもしれない。まあただの検索も自己申告するまでわからないのでこっそり隠れてというニュアンスがないことはないんだが。
「特定の人や事象に関しての評判や話題の出され方を調査する」という意味の単語は、エゴサーチがふさわしいかはわからんけど、必要とされてると思う。とある言葉を検索して何件引っかかるか調べるっていうの、あれも誤用エゴサの一種だったのだ。
40代というか40歳だけど、主婦バッシングなんて一部の週刊誌がネタとして煽ってるだけだと思ってたし、その頃に子育てしてた世代はもう少し上だよ。
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平仮名カタカナ漢字、特に漢字が良くないどんだけあるん、語学にさくべき脳みそを無駄に消費しまくってるせいで日本人は語学が苦手なんちゃうん
アルファベットだけで通じる国とか羨ましい
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「おだてられればいい気になるし、わるくちいわれりゃ腹立つわたし。」という詩を読んで、「いつもトイレを綺麗に使ってくれてありがとう。」という張り紙と同じ気持ち悪さを覚えた。
日曜はお好み焼きにするかーと思ってセールで長芋を一本買った、次の日見たらセール品半額100円の破格で長芋を売っていたので極限まで長芋を突っ込んだらどうなるか実験だーと思ってさらに二本買った。
生地を焼いたら何だかいつもよりふくれる、しかも美味しいのだが腹にたまって量が食べられない、皿に山盛りのお好み焼きが出来てしまい困惑している、どうするんこれ、明日の朝昼版お好み焼きでも食べきれないよ。
かの大隈重信公の趣味は美人に膝枕してもらうことだったと聞く。
近年では若い女性が膝枕してくれた上で耳かきをしてくれるという商売もあるらしい。素晴らしい。
それどころか、膝枕を模した枕を商品化しているものもあるらしい。もはや膝枕とは言えないのではないか?膝型クッション?
なんにせよ、膝枕の世界は奥深い。なぜこれほどまでに膝枕に惹かれるのだろうか。女性も膝枕に惹かれるところはあるのだろうか?
なにか研究記事がないかとWikipediaを見てみたが、あまりにもあっさりした記事で役にはたたなかった。
逆に悪意を持った膝枕も世界中探せばあるのだろうか?
http://anond.hatelabo.jp/20160221211517
ブログではその後、キャラクター描写の観点から批判が展開されている。自分がアニメラブライブのキャラクター描写について感じたことについては既に言及した部分が多いが、この部分の論述についても内容的には概ね同意できるものである。
ただ、だからこそそう考えるのであれば、突っ込みたい箇所がある。
以下では、以上で書いてきたのと本質的には同じことを別の観点から論じてみたい。それは、キャラクター描写という観点である。
(中略)
このように8人のメンバーの主体性が奪われてきた一方で、それと反比例するかのように各メンバーの薄っぺらいキャラ付けは強化されてきた。(中略)
たとえばこの劇場版において花陽が最も目立つシーンは、花陽がいつも通りにお米キチガイであるということがこれでもかというぐらいにしつこく描かれるシーンである。この劇場版において、花陽がどういう想いでアイドル活動をやっているのかとか、メンバーとのあいだにどんな新しい人間関係が生まれたのかとか、そういうことは全然描かれない。その代わりに、とにかく花陽はお米が大好きで白米が食べられないと気が狂ってしまうほどだということだけが強調されるのである。端的に言って、この映画を作った人たちは小泉花陽をバカにしているのではないかと思う。
キャラ付けにおいては現実のアイドルだってそんなもんじゃないかと思う人がいるかもしれないが、そうではない。たとえば、いつもカメラ目線を絶やさず満開の笑顔で視聴者にアピールする「まゆゆ」という優等生的キャラクターがなぜ魅力的なのか。それは、ファンがそこに渡辺麻友の野心の大きさと意志の強さ、そして完璧なアイドル像への執念を見て取るからである。スキャンダルで名を売ったり、アイドルの殻を破る破天荒な行動を取るメンバーたちが人気を集めるなかで、それでもなお自分が信じた理想のアイドル像にこだわり、それに徹しようとしている。アイドルとファンの距離がぐっと縮まった現代において、完璧なアイドルを演じ続けることの困難さ、時代遅れさを自覚しつつも、それでもなおその道を貫こうとしている。その職人気質、ストイックさ、生き方が人を惹きつけるわけである。このように、アイドルのキャラ付けは表面的にわかりやすいものであると同時に、その人の人生や信念と深く結びついたものでもあるからこそ、見る人の心を惹きつける。アイドルは人間だからこそ、魅力的なのだ。
翻って劇場版『ラブライブ!』において、我々は花陽の白米キチキャラに何を見ればいいのか。あるいは、一様にニコニコとして歌い踊るμ'sの9人のその笑顔の裏に何を見られるのか。それこそが問題なのだが、今の制作陣にそのような問題意識はまるでないようで、判で押したような浅薄なキャラ付けを毎度繰り返すばかりである。もちろん、判で押したようなキャラ付けが普遍的に悪いと言っているわけではない。そういうキャラクターが適している作品だってある。しかし『ラブライブ!』は、元々はそういうキャラ付けをする作品ではなかった。それなのに作品人気が高まり、ファン層が入れ替わるにつれて、人間を描こうという当初のスタンスがすっかり失われてしまった。雑誌連載時代そして第1期の頃に比べて、μ'sメンバーの魅力がめっきり減ってしまったように感じられるのは本当に残念なことである。『ラブライブ!』を、こんな消費の仕方をするための作品にしないでほしかった。(以下略)
この批判においても現実のアイドルである渡辺麻友が比較対象に出されている。AKBについてはあまり詳しくはないので渡辺麻友が実際語られている通りのアイドルなのかは分からないが、ここで語られている渡辺麻友の魅力を読むと自分にはかつて存在したあるスクールアイドルの姿が思い起こされるのである。
アニメ以前の矢澤にこはプライベート含めて完璧なアイドルに近い存在として描かれていた。また、本人も最高のアイドルになれる器だと自覚し、なろうと努力を続けている存在であったし、その姿勢やポテンシャルがメンバーの尊敬を集めたりしてもいた。(公野櫻子氏原案・鴇田アルミ氏作画の漫画版や過去のCDドラマ参照)
そのようなにこのキャラクター性、物語性が人気と支持を得て総選挙1位も獲得したし、自分などはこのキャラクターをもっと様々な舞台で見てみたいと期待していたのだが、TVアニメ以降は大幅な設定改変を行われて、矢澤にこというキャラクターは闇に葬り去られてしまった。
TVアニメではかつての設定は面白おかしくねじ曲げられてネタにされるのみであり、後輩含めた他のメンバーからも馬鹿にされることばかりで、本人もアイドルになりたいというよりはただのアイドルオタクという部分が強調され、努力の跡はあまり見られない。
京極尚彦・花田十輝両氏は元々典型的先輩らしさがなかった絵里以外の3年生キャラを先輩らしい役割を与えたかったために矢澤にこと東條希のキャラクターを改変したらしい(電撃ラブライブ!3学期参照)が、TVアニメのにこの良い意味での先輩らしさは1期終盤の数箇所くらいであり、他は悪い意味でただ偉そうにするだけの残念な存在として描写されている。その点を抜きにしても適当ににっこにっこにーと言わせておけばいいというように薄っぺらく判を押されただけのキャラクターとしてアニメ以降のファンに印象付けさせられてしまった。
つまり、前半にも同様の指摘をしたように第1期の時点でキャラクターを人間として描こうとする当初のスタンスは失われていたことを指摘しておきたい。
ブログ著者の批判の仕方はもっともであるが、渡辺麻友をそのように態々例に出して語りながら、矢澤にこをはじめとするTVアニメ以降のキャラクターの改変について無視して語り通すことに違和感を覚えるし、所詮第1期アニメについては盲目的な信者である所以が見え隠れする。
第1期をはじめとするアニメ版や劇場版を評価する人の存在も個人の好み故に仕方のない部分だが、2期や劇場版のキャラクター性や物語性をあのように初期や現実のアイドルと比較する論理から批判しておいて1期は問題なく賛美する見方に関しては異議を唱えたい。
結局批判に近いような形で締めてしまったが、基本的には概ね同意できる内容であるし、劇場版公開間もない頃にはっきりと内容を批判する記事を公開したのは当時は勿論だったが今から考えても意欲的な試みで素晴らしかったと思う。それまでファンとアンチの盲目的で説得力と内容のない賛美と批判ばかりがありふれていた中で、ファンに多少は内容に目を向けるように刺激を与えた意味で画期的なものだった。
彼の批判がたまたま拡散されたからというのもあるが、個人的に、TVアニメ化以降のラブライブ関係のイベントで最も興味深く見る価値があったのはアニメの内容やライブや紅白出場などよりも彼の批判ブログとその反応関係だったのではとすら思っている。