2016-02-21

父がボケ

今年69歳になる実父がボケた。

去年からパーキンソンぽい症状も出始めていたが、記憶や喋ることが辻褄が合わなかったりすることは無かったので、手のかかる老人になったなという感じだった。

僕が小学校高学年の頃に胃癌になり、それが元で鬱になり、たまにものすごい躁状態になったり。30年間躁鬱を繰り返し、薬無しではいられない状態だった。

父は英語教師をしていたが、まともに通勤の車を運転することも、授業をすることもできなくなり、60歳の定年よりずっと前に辞めてしまった。

それからは鬱になるとほぼ横になってばかりいたり、躁になるとあちこちに電話をかけまくり、できもしないことを計画しては金策に走ったり(それでも大きな借金をするということはしなかった)していた。母は大変だった。

今年の正月に会って一緒に食事をしたときは、よくこぼすようになったな、と思っていたが、母は「最近トイレおしっこもまともにできないんだ」とこぼしていた。それでも失敗することは悪いと思うらしくて、そのたびに「すみませんすみません」と落ち込んでいたらしい。

それから1カ月して、実家の近くに住む妹から最近お父さん痩せてしまってちょっとボケ始めてきた」とメールがきた。母に電話をすると「最近夜も幻覚がひどい、一旦入院させようと思う」と。「もうお前(増田)のことも分からないかもしれないので、一回会ってみて」と言われた。

入院した次の日、実家近くの精神病棟がある病院に見舞いに行った。病棟に行って担当看護師に、前日に幻覚を見て壁をひっかいたためベッドに拘束しています、と説明された。

映画に出てくるような精神病棟の病室は何だか嘘みたいだ。部屋は2重扉になっていて、小さな窓がある中扉には鍵がかかっている。鍵を開けてもらって中に入ると、ベッドの上で父は下着のまま腕と脚を拘束され、オムツをされて天井を見ていた。

病室に入ると、父はこちらを見るなり「おお〜」と叫ぶ。表情は明るいというか無垢というか赤ん坊まではいかないが子供のようだ。目線自分に向く。明らかに知らない人を見る目だ。同時に一生懸命思い出そうとしているようにも見える。母が「この人(増田)誰だかわかる?」と聞く。「わかるよ!」と大きな声で答えるが、息子である自分名前が出てこない。やっと分かったように「A田(親戚の名字)の次男坊だ!」と言う。「違うでしょ増田だよ」と母。「いや、自分で付けた名前でもないのに思い出せる訳が無い」と父。

自分で言うのもなんだけど、僕はい名前だと思う。仕事名刺を渡すと相手の人はだいたい「いいお名前ですね〜」と言ってくれる。その名前クリスチャンである父が聖書から付けてくれたものだ。

僕はそれからしばらく父のあちこち支離滅裂になる話に付き合って(これはこれで面白いのだけど)、興奮しすぎるといけないというので30分ぐらいして病院を後にした。

父の中にもう息子であるはいない。まだ母のことは分かる。父から忘れ去られてしまった、ということはショックではあったのだけれど、無茶苦茶悲しいという気持ちが湧いてこない。もう多分父は元には戻らない。母がこれ以上大変にならないようにするのが優先だ。

ふと手と脚を拘束されて天井を見ている父の姿を思う。

僕も息子や娘を忘れる日が来るのだろうか、その時妻を忘れていないだろうか。

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