はてなキーワード: 西尾維新とは
あれ? もしかしてこれって哲学さんの発言のこと言ってる?(http://bit.ly/wQEAol)
出典元ktkr。私はたんぶらから拾ったんだけど元はクリスティーナがめちゃくちゃ好きな人がこういう事言うんだろうなーとは思ってた。それをあえて嫌いな人、特に女の人が同じ発言をしたらどういう感じになるかな、と思って<あのキャラ男オタクの欲望だだ漏れすぎて引くわー>を付け足して逆の意味にしてみた。あえて誤読してみたといってもいい。そしたらみんながマジレスしはじめたってのがおもしろいところ。
自分の中でこの反応は「もしドラ」と同じものがあるな、と思った。ハックルさんの手法ってマジで釣りに使えるかも。
もしドラ関連でもう1つ。
http://booklog.kinokuniya.co.jp/abe/archives/2012/01/post_100.html
よけいな先入観を捨て、小説ではなくともかく『パミラ』を読む。そうすると、この作品、たしかに小説らしくはないが、妙なところで「小説」という形式と血が繋がっているのがわかってくる。そして、そこには「ひょっとすると小説がそうであったかもしれない別の顔」が覗いてもいる。私たちの知っている「小説」の背後にもあるかもしれない何か。根源的な言葉のエネルギーのようなものが、そこには宿っている
神経の突っ張ったインフレ気味の語りがつづくと、さすがにこちらもくたびれてくる。山あり谷ありどころか、山の連続である。しかし、こちらをくたびれさせるところにこそ、この作品の一番の真実があるのかもしれない。リチャードソンはたったの二ヶ月でこれを書き上げたというが、それはパミラの体現する種類のエネルギーを彼自身がうちに宿していたということではないのだろうか。この作品を支配するのは、危機と苦難に直面しつづけるパミラの、つねにぴりぴりと緊張しつづける神経そのものである。
とにかくパミラ臭があふれていて、とてもではないが徳だの純血だの結婚だのといった骨張った議論に回収されるものではない。しゃべりまくる女たちの語りの力は圧倒的なもので、しかもそれは女が語る女の語りではなく、男が女に語らせる女の語り。つまり、50歳のおじさんの視点から「女の語り」へと没入するリチャードソン臭が混入しているのである。だからこそ、独特の過剰さがつきまとう。
これだ! 私はハックルさんのことをまた一つ理解したぞ。
ハックルさんは「エースの系譜」において
この作品は、現代の小説にオーセンティックな魅力、本質的な価値を取り戻そうとして書きました。『エースの系譜』は「面白さ」というものをどこまでも追求した作品となっています。人が魅了されずにおかないこと、人が興味を引かずにはいられないこと、人が知りたいと強く願うこと、人が夢中になってしまうことなどが、この中には描かれています。ぜひ、それを知ってほしい。
と書いてある。これの意味が全くわからなかったのだけれど、「面白さ」を読者にとっての面白さ、と考えなければすべて納得できる。
パミラの作者も800ページの大著をわずか二ヶ月で書ききったという。彼は「筆が止まらなくて困った」くらい執筆が楽しかったのだろう。番長マジイケメン。
つまり面白さとは読者にとってのではなく作者にとってのおもしろさなのだ。この手の話は、読む側には苦痛でしかないが、書いてる方はめちゃくちゃ楽しいのだ。
そりゃそうだ。50過ぎのおっさんが、うら若き淑女になりきって、自分と同じくらいの年代のエロオヤジを出し抜くんだぜ?
40過ぎのおっさんが、頭の悪い女子高生に戻って、昔自分を馬鹿にした奴らを真っ向からマネジメントとかいう「謎の白い魔術書」を使って血祭りにあげていくんだぜ。ほむ。
そりゃ「人が魅了されずにおかないこと、人が興味を引かずにはいられないこと、人が知りたいと強く願うこと、人が夢中になってしまうこと」のすべてが詰まってるよね。
・・・ってそれ「魔太郎がくる」よりたち悪いよ。 それなんてセイバーだよ。リプレイ救済願望ダメ、絶対! 征服王に怒られちゃうよ。
「はてブ」とか「なろうネイティブ」とかそんなチャチなレベルじゃねぇ、もっとどす黒いおやじの欲望を味わったぜ。
(この話、西尾維新にも当てはまらなくもないと思ったが、西尾維新は多分また別の話なんだと思う)
そういえば、日本には土佐日記なるものもありましたね。どうも日本には変態的な文章を書く時がもっとも生き生きと輝く「紳士」な人が多いようです。
あー男のオタクって
・バカじゃない女で
・男側がある程度自由にコントロールできて
みたいなやつ好きだよねー。
みたいなことを言われた。
お前めちゃくちゃ詳しいじゃないか。
そして否定できないどころか全くもってそのとおりですがなにか問題でも?
いや、別にあのキャラだけが好きなわけじゃないけど、あのキャラが好きにならない男っておっぱい星人くらいだろう?
返信してみた。返信してほしいのにされてねーぞ!って人がいたら指摘よろ。
それだ。ジト目のミンゴスが、ハイハイクリスは可愛いでチュねーって口調で言って、それに宮野が突っ込んで、ミンゴス赤面&プチ嫉妬。みたいな。
牧瀬紅莉栖と桐生萌郁がものすごい不細工で小太りとか病的に窶れてるとかだと俺の中での丁度良い塩梅のSTEINS;GATE
laisoさん、laisoさんじゃないか!観測範囲がずれてたのか、はてブで見かけるの久しぶりだ。遅れながらお気に入り登録しました。
牧瀬紅莉栖については同感。個人的にはバタ子さんのイメージ。 しかし桐生は今の状態でメガネ外した状態がベスト。
牧瀬紅莉栖への執着または愛が足りない。足りなすぎる。
では 「僕が一番牧瀬紅莉栖の可愛さを判っているんだ」 会議を始めよう (西尾維新風 by FTTH
引きこもっていた頃こういう会話を脳内でしていた。
私は今でもやってますが何か。
そういう人は、多分スターオーシャン3rdをやっても都合がいいとかいうんだろうな。釜井たちの夜でもやっておけばいいと思うよ。
もっと欲望を強く持とうぜ。
説明会におけるツンツンを通り越して変質者扱いでオカリンを見つめる牧瀬紅莉栖こそ至高。黒ストで踏んでほしい。
あんな2チャンコロとなんて口もききたくないですね個人的には
オタならキャラに不満があったら自分の脳内で改造した牧瀬紅莉栖Ver2を発表すべき。
キャラに嫌悪を示すところで止まりとかオタの風上にも置けないやつだ。俺の脳内でツンデレ女子にしてやる
まゆりさんと話してると苛々してRT連打しちゃう
???ごめん玉拾えない。
牧瀬紅莉栖の魅力はこういう常識レベルに留まらないよね。その点を論じ合わないか。
それでも地球は回っている。まぁ地球の回転数に比べれば何周堂々巡りしようと大したことではない。
ある程度コントロールってところは意味不明としか言いようがない。自分に都合が悪い部分が多いなら恋愛すら成立しないと思うが。
クリスティーナ(天才科学者だけどねらー)きりりん氏(読モだけどエロゲーマー)肉(理事長の娘だけど幼女趣味)AKB48(アイドルだけど芸人)
「アイドルだけど芸人」吹いたww俺の中ではすでに同じ意味なんだが。わっほい。
まゆしぃはどうなんだろう
僕は鈴羽ちゃん
大事なのは彼はおっぱい星人ではないしスパッツ星人でもないということなのだ。
わかってねえな!その程度で語り尽くせると思うな!・・・すみません調子乗りました。
現実「牧瀬紅莉栖の文句はおれに言え」 やだ現実さん格好良すぎて濡れるっ!
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20120104/p1
似たキャラクターも、似たシチュエーションも、似たストーリーも、ないことはない。
けれども牧瀬紅莉栖という登場人物は、『Steins;Gate』のなかにしかやっぱり存在しないのだ。彼女の物語も然り
あえていえば、キャラありきじゃなくて物語ありきの作品でキャラだけ抜き出して語るみたいな流れはどこから出てきたのか教えて欲しい。
こういう女の人がいるから二次元がより輝くんだから、女を叩く暇があったら感謝の一万回マウスクリックを実行すべき。オートモードは認めない。
その女の子がどういう女の子かわからないけど、女の子に勧めるなら桜庭一樹作品が良いと思う。
最近直木賞取った作家だからオタクコンテンツに偏見があったとしても抵抗が少ないし
お気楽なエンターテインメントが良ければ「GOSICK」を、重めの話が良ければ「砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない」を勧めてみてはどうだろう。
「少女には向かない職業」も良い。
・どこに行く時も文庫本を手放せない
・暇な時はつい、辞書やチラシ等、手近にある活字を目で追ってしまう
・本を買う時はつい、文字数÷値段でコストパフォーマンスを計算してしまう
タイトルを「女の子がよく読む男向けラノベ」(但し下記作品を除く)にしたほうがよかったかも。
アンチラノベが集まることで有名な某ゲハブログから適当に引っ張ってきた。
彼らが口をそろえて批判するのはこういう作品らしい。
・はがない(文章がありえないらしい)
・舞城王太郎の作品(ラノベなのかどうかわからんが文章に癖があるらしい)
看板作品が初心者お断りで、裾野を広げるどころか、裾野にアンチを群生させているというのは興味深い。どうしてこうなっているのだろう。
ラノベなるものに少し理解を示してみようということで深く考えずに人気作を手にとってみた結果、痛い目に遭ってしまうというのは少し問題があるような気がする。
エロゲスレだと、大体看板作品が、キレイにランク順に並べられていて、
とりあえずこれ進めておけば安心、という定番があるのと比べるとなんだか変な感じだ。
まぁエロゲにおいても、定番作品は2004年~2006年あたりに一番多く、それ以降は微妙な作品が多いらしい。
ラノベも昔の作品には定番があるようなので、細分化とかニッチ化とかしすぎて
今カンバンとなれるような作品や作家がいないだけ、ということなのだろうか。
その割には全体の売上は2008年以降も伸び続けているのがエロゲ業界と違うようだしよくわからん。
ところで、私はいまラノベ初挑戦の女の子(大学二年)にすすめる作品を選ばないといけないのだが
何をお勧めしたらいいのだろうか。「もしドラ」の書店員みたいな神アドバイスを期待する。
実は対して読んでないくせに、知ったかぶってしまってオススメチョイスをすることになってしまった。
分かってる。後で書きます。
ただ、一応この記事の趣旨として「看板作品」を知りたいというのもあるので、
まず個別事例抜きにして、女の子にすすめるとしたらまずこれかなーってのがあれば知りたい。
あともう一個。
ラノベって大学入学~卒業から、おそらく30才くらいまで、読むの辛くなるんじゃないかという仮説を巻がてみた。というか自分が今そんな感じ。なんというか読んでていたたまれない気持ちになると言うか。ピンドラ風に言えば、何者かにならんとして、成れない時期とだあらかな。ちょっと距離感がおかしくなってぎこちなくなると言うか。なんか読んでて嫌な汗書くんだよな。楽しいどころか拷問?
アニメになるようなラノベとかの、ファンタジーとか痛い自意識と向き合うのがつらくなる周期があると思う。
なんか、高校卒業してから、ラノベ読むのがかなりしんどくなって最近惰性で読み続けてるのが西尾維新系とかゼロの使い魔くらいかな。多分他のも中高時代なら楽しく読めたものが読めなくなってる。ラノベなんかある程度のめり込まないと楽しめないのにそれができない。おわクロとかは大好きだったのに、(^ω^)が受け付けないあたりからしても、どう考えても自分側に問題がある。
togetterとかで定期的に、「最近のラノベ批判」みたいなのを見かけるけど、あれ要するに、一時的にラノベ受け付けなくなった人とか、足抜けしようとしている人のいい訳でしょ?
自分が変わったんじゃなくてラノベが劣化したんだ。いやそもそもおれはラノベが面白かったから読んでたのであって俺は面白いものが分かる人間なんだ。いやいや俺は俺が読んでた時代はラノベはまともだったから俺もまともだったんだ-って自己主張してるように見えるんだよね。
見苦しいけどそう叫びたくなる気持ちはわかる。ラノベのめり込み度が高いほど、ふと熱が冷めたときにうわああああああって気持ちになって、その反動でついついラノベ否定とか始めちゃう。まぁそれも含めて中二病というんだと私は思うけどね。
で、なんか他の人を見てると、30過ぎのおっさんが淡々とラノベ読んで淡々と語ってるのを見て、多分今の自分は過渡期かなんだろうなーと。 30過ぎたら、中高時代とは違う感じで楽しめるんだろうな、と期待してる。 とか考えると、ラノベの読者層って結婚前後の女性の就業率みたいにM字型になってたりするのかな。
追記。
いや、はてブもらって嬉しいんだけれど、俺が欲しいのは情報だ。ラノベの読者層の分布なんだ。
自分語りとか、自分の体験や感覚で肯定否定意見、とかはどうでもいいんだ。それは何の価値もない。
こういう書き方したら誰かデータを出してくれるのがはてなだと思ってたんだが、
はてブというのは噂で聞いている以上に怠け者の反応が多いな。(お前が言うな)
http://asciimw.jp/info/ad/comic/bunko-info.pdf
さんくすやで-。うざがられるの覚悟で言ってみてよかったでー。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111116dde012040015000c.html
西尾維新の「難民探偵」思い出したわ。「下流志向」とか「下流社会」でもいいけど私は内田樹も三浦展も嫌いなのでこっちは取り上げない。
職もなく、その日暮らしの生活のはずが、ネットカフェで結構贅沢な環境を享受し、明日のモチベーションをスポイルされている人達を見て主人公二人が交わす会話の部分。
泥のように甘やかされるその場所で、危機感を持ち、立ち上がらなければ・・・堕ちていくばかりなのだ。
「格差社会なんて言って、上流であればもちろん、下流でも、そこそこセレブな生活を送るっつーか・・・・危機感を抱きにくい。
生きて暮らせる。
だけどそれは錯覚で、本当は坂道を転げ落ちるように追い詰められれているにもかかわらず、
飢え死にするその直前まで、討ち死にするその直前まで、自分だけは大丈夫だって思えるシステムが組みあがっちゃってるのさ」
「いいこと・・・なんですよね?弱者にやさしい社会なんですから」
「程度によるよ。甘やかしは、自立心を損なうだろ?」
「まぁ。そりゃ、わたしも経験しましたが・・・でも、それを理由に放り出されても敵いません」
「そうだね。だけど、保護が行き過ぎると、過保護になって、弱者に甘い社会となって・・・頑張る気をなくしちゃう。」
考えてみればお恐ろしい話だ。政府が、労働を国民の義務に位置づける理由も、わからないじゃあなかった。・・・人間の欲望の中にはそもそも労働欲なんかないのである。
「認知不協和を起こしますよね・・・・明日の稼ぎも明日の暮らしも分からないという現実と、ネットし放題マンガ読み放題、ドリンク飲み放題という現実。
すれ違うどころか、衝突するでしょう。どんな折り合いをつければいいのやら」
「ソレでいいという妥協もあり得るだろうけれどねぇ
十年後、同じように暮らしていられるかが分からないという漠然とした不安だけは、拭いようはないさ・・・って他人ごとのように言ってるけど、これは俺本人の話だな」
(私は多分・・・おじさまだけじゃなく、いろんな人達から甘やかされていて、
そして生かされている
生きているのではなく、生かされて・・・・否。
難民探偵は、ミステリーとして読むと不満な人が多いらしい。Amazonの評価は激低い。しかし、殺人事件以外の部分はすごく面白いと思うよ。
ミステリーは謎を解決するもの、じゃなくて、謎を解決する際に、あるいは謎を解決した後に残る解決不能な問題を提示するもの、って発想で書かれているから。
さあ、皆様、謎は全て解いて差し上げました。後は問題に、如何様な解決をお与えになりますか? (「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん5 欲望の主柱は絆」 P162)
殺人事件は解決しました。でもその途中で見た様々な問題は解決されません。
そもそも殺人事件は私の問題ではありません。
私の問題は一歩も進んでいません。
物語は終わっても、問題は終わりません。
そもそも、現実にはドラマティックなことなんて何もありません。
地道な現実しかありません。ドラマを求めてもいいことなんてありません。
さあここまでわかった上で、どうしますか?
いわゆる「健常なキミはいつまでもドラマに浸ってないで現実に帰れよ君」的な嫌がらせのようなお話なわけで。
まぁ「西尾維新にはこんなこと言われたくない」という人には何を言っても気に入らないのだろうけれど。
西尾維新はもともと、普通な人やら、青春を過ぎた大学生に優しくするつもりなんて微塵もないということをわかってない読者が悪い。
ちなみに私が内田樹が嫌いなのは、安楽椅子探偵気取りで冤罪事件をしょっちゅう起こして問題を有耶無耶にし、そのことに自覚がないから。
下流社会での主張は「学ばないのも、働かないのも、自分を「消費者」と位置づけているからだ、という主張」ということであり、それに対して嘆くだけ。
ttp://www.ustream.tv/recorded/18060735
このラジオ、辻村深月も西尾維新も読んでるからすごい楽しめました。ついでに、これ観てて、瀬戸口廉也作品と比較したくなった。
他にも禁書外伝とかRetakeとかいろいろあるけどとりあえずは瀬戸口。
・・・と思ってたけどごめんなさい。案だしすらもうまく出来ないで途中挫折。
誰か私以上にもっと詳しく読んでる人がいる筈なので、その人にお願いしたい。id:dodododさんとかに期待。
どの本もすぐに絶版なって、Amazonは高値つけてしまうので、話せる人がおらんのやー。寂しいんやー。
どちらも「壊れた人=世界から決定的にずれてしまった人」を描こうとしていると思う。
違いは、その壊れた人のどの部分を、どのように描いているのか、かなぁ。
瀬戸口作品では、西尾維新の「前」と「後」が語られることに重心が置かれているような気がする。
(って、これ西尾維新読んでないとわからんよね。下書き段階なので分かる人だけわかってください。ゆるして。)
「暗い部屋」においては、「少女不十分」の少女が作られていく過程を精緻に描くことが中心になっているようにも見える。
「Carnival」もゲーム版では「前」段階が描かれる、(そして、7年後を描いた小説版では「後」が描かれている)
「ドッペルゲンガーの恋人」は「世界とずれてしまった少女=恋人」をそばで眺め続ける男性が主人公で、
ここでも、「前」部分、つまり西尾作品みたいに「そういうものだ」と割りきるのではなくて、
「少女」の形成過程や、彼女がどのように考えているのか、を遡って理解していく作業が描かれる。
まぁ、「真ん中」部分=ズレを認めて、それを前提に生きることを決心してからの生き様を描くこと、
これは意図的に避けられれいるのかというとそういう訳ではない。
ただ、その描かれ方は、西尾維新が期待を込めて読者を送り出した先とは思えないほどキツい。
「PSYCHE」においてはこの「本質が変化してしまった人間」を主人公として、その日常が淡々と描かれる。
常人には耐え難い光景なのであるが、主人公は幸せそうにしている。読者としても物語にシンクロしないと読んでて苦しくなる。
「犬憑きさん」においても、冒頭から千石撫子と神原駿河のダメなところを足したようなキャラクターで始まる。
絵はすごい可愛いのだけれど、やはり描かれているのは異端者のギリギリの生活だ。
「SWAN SONG」とか「キラ☆キラ」は語るときりがないので、完成版でかければいいかな、と。
あと、西尾作品は、壊れた人は、その代償になにかしらの力を持っている事が多い。
力を持たない、「壊れた人」を「ただの、無力な絶対的な弱者」として少女を描いたのは多分「少女不十分」が始めてなんじゃないかと。
一方、瀬戸口作品は「犬憑きさん」と、「CARNIVAL」の学、それから「ドッペルゲンガーの恋人」の主人公を除き、すべて無力である。ただ弱いだけ。
そして、この3つにしても、途中で力を失うか、ソレ以上の強い力に屈服させられることになる。
基本的に、異端者は世界に見つかったら押しつぶされるしかない。常に逃げて、隠れることにしか活路を見いだせない。
それでも負けを理解した上で世界に堂々と喧嘩を売ったのが「SWAN SONG」で(このあたり第三勢力を形成する球磨川禊くんに通じるものがある)
それでも人とつながって行きようとしたのが「キラキラ」で、
「ドッペルゲンガーの恋人」にいたっては、自分たちのことを世界に認めさせようと働きかけるところまで来た。
ずっと瀬戸口作品を見てきた人間としては、ついに個々まで来たかと感慨深いものがあるけどこれはまた別の話。
あとなんだろ。西尾作品は、世界より人の方が好きだって発想なんだけれど、
瀬戸口作品はどんなに冷たくされても、世界=自分たちに厳しくて冷たい社会 が好きで、それを肯定できないんだよな。
まぁ瀬戸口作品の場合、殆どにおいて、主人公は家族を拒絶するので、その代わりとなるものを求めざるを得ないという事情がある。
瀬戸口作品の場合、エロゲ出身ということもあり、その応えを男女の結びつきに求めるのだけれど、
これが「同レベル同士」であるがゆえに、共依存的な関係になって、現状を打破する爆発力を持たないというのがある。
この図式を崩したのも「犬憑きさん」あたりからで、「ドッペルゲンガーの恋人」はかなり壁を越えたカンはある
あと、西尾維新の場合は、作品を読み終わった後、未来が開かれているような印象を受ける。
つまり、世界と向き合う、という部分が重視されており、ある程度結末は「生きる」という方向性で固定されている気がする。
瀬戸口作品の場合は、なんというか、あくまで登場人物の間の対話というか綱引きが大事になってるというか。
お互いの間で思う存分対話ができたならそれで満足で、その結果がどうかはそれほど重要じゃないと言うか、むしろ負け戦が多い。
つまり、綱引きをしたときに、西尾作品の場合は、「生きているものが強い」「頑張って生き抜いてきたものが、弱いものを引っ張る」というカタチになる。
あくまで結果論であり、阿良々木暦とか見てればわかるように、無敵のヒーローみたいな存在を想定しているわけじゃないがうーむ。
ここあとで説明するのか・・・?
長くなったので、先に結論だけ書いておきます。
もしドラには2つテーマ性を感じた。(作者的にはもっとあるのだろうけれど力を感じたのはこの2つだけ)
・人間の出会いや出発点を描く、という意味では素晴らしい作品だと思う。
・社会からズレてしまっているor適応する振りをして生きている人の生きづらさとその解放を描く、という意味では中途半端。もったいない。
というわけで、「小説の読み方の教科書」の次に「もしドラ」の感想を書こうかと思ったけど、
この不思議な「小説」については、単体で語りにくいので、「少女不十分」という「小説」を補助線として使わせてもらいたいと思う。
ちなみに、西尾維新の作品を読んでない人にはわけわからん話ですがご了承ください。
◆ものすごく読みたくなる西尾維新「少女不十分」感想文 http://zeark969.blog38.fc2.com/?no=2968
私はこの感想読んで、少女不十分よりもむしろむしろ「もしドラ」を読み返したくなった。
(というか少女不十分の内容としては不適切だと思っている。少女不十分は「難民探偵(白)」のようなものなので、こっちも読んで見るよろし)
はてなベテランが小説家としては新人として「少女不十分」を書いた結果がもしドラなんじゃなかろうか、と。
僕は本作以外に西尾作品を知らないが、西尾維新の作品がいくつも映像化されていることくらいは知っている。
つまり、できるのだ。
西尾維新にだって、シンプルな文章と無理のない展開でベストセラーとなり、映画化されるレベルのものを仕上げるのは容易なはずなのだ。
ではなぜそうしなかったのか?
それはこの作品が小説家を目指していたかつての西尾維新の半自伝的内容であることを思えばすぐに答えは出てくる。
もしかしたら今よりも小説に対して真摯だったかもしれない時代の話。
西尾維新はこの作品を絶対的に小説としてだけ存在させたかったに違いない。
間違ってもいつものように高く評価され、メディアミックスされないために、あえて未熟な箇所を多く設置したのだ。
少女不十分が新人の作品だとしたら、おそらく三ページも読まれない内に棚に戻されてしまうだろう。
西尾維新という安心のブランドがあるから、読者は多少の違和感は覚えつつも読み進めてくれるのだ。
そして気づく。
普通に書けば一行で済む文章に、比喩、暗喩、掛詞、反語、反復、倒置法、隙あらば韻を踏もうとするなど
数々の言葉遊びを仕掛け、自分の小説を支えてくれたファンに精一杯「活字」で恩返しをしてくれていることに。
そこに筋の通ったストーリーなど必要ないことに。
これこそ本作が絶対的に小説でなければならない理由だ。
↓
僕は本作以外に岩崎作品を知らないが、岩崎夏海の作品がいくつも映像化されていることくらいは知っている。
つまり、できるのだ。
岩崎夏海にだって、シンプルな文章と無理のない展開でベストセラーとなり、映画化されるレベルのものを仕上げるのは容易なはずなのだ。
ではなぜそうしなかったのか?
それはこの作品が小説家を目指していたかつての岩崎夏海の半自伝的内容であることを思えばすぐに答えは出てくる。
もしかしたら今よりも小説に対して真摯だったかもしれない時代の話。
岩崎夏海はこの作品を絶対的に小説としてだけ存在させたかったに違いない。
間違ってもいつものように高く評価され、メディアミックスされないために、あえて未熟な箇所を多く設置したのだ。
もしドラが新人の作品だとしたら、おそらく三ページも読まれない内に棚に戻されてしまうだろう。
ハックルという安心のブランドがあるから、読者は多少の違和感は覚えつつも読み進めてくれるのだ。そして気づく。
普通に書けば一行で済む文章に、比喩、暗喩、掛詞、反語、反復、倒置法、隙あらば韻を踏もうとするなど数々の言葉遊びを仕掛け、
自分の自尊心を支えてくれたはてな村住民に精一杯「活字」で恩返しをしてくれていることに。
少女不十分に対する批判と、もしドラに対する批判って、文章力「以外」ではほとんど同じだと思う。
ご都合主義だとか、作者の自慢だとか、作者のこと自体が気に入らないとか、これが本当だったら俺の人生は何なんだ、とか色々。
テーマも似てると思う。
少女不十分の少女はみなみであるし、少女不十分の主人公は岩崎夏海であり、
あるいは、少女不十分の少女は岩崎夏海であり、少女不十分の主人公はドラッカーである。
(この「混在」のせいで、読者からすると「ドラッカー」の価値がわかりにくいを通り越してドラッカーなめてるような小説に見えるのはご愛嬌。)
そういえば、岩崎夏海がめずらしく西尾維新の化物語をほめていたのが結構印象的だった。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111006/1317885951
しかし読めばわかるが、彼はその褒め方について化物語の面白さを全然語れていないと思う。的外れもいいところだと思う。
多分、それはもっと本質的な部分で感動させられたのだろうけれど、猫物語(白)の羽川翼のように、
化物語が自分の本質を付いているということを、それにゆさぶられることによって見えた自分の核の部分を見つめることを避けたのかも知れない。
彼はジョブズについても的はずれな分析とか論評を書いているが、
意外とブログに書いているとぜんぜん違う部分で本当にジョブズに救われたような部分があるのではないか?
彼が的はずれなことを書いている記事ほど、彼がその対象に本当に揺さぶられてるんじゃないかとおもう。
この人は結構こういう「出会い」の体験を何度もしている人なんじゃないだろうか。
ぎりぎりの所でなにかと出会って救われたり、出会いが自分を飛躍的に変化させる、ということを、体験から、理屈を越えたレベルで信じているのだと思う。
(この部分に思いを馳せないと、この作品には、つながりとして「?」を感じてしまうことになると思う。)
ブログを読んでいても、この人は「真の教師」を求め、自分も誰かにとってのそれでありたいんだろうな、という点はよく伝わる。
もしドラの成功後は、デュルケムの言うところのアノミー的自殺に対抗するためだろうかその傾向を加速している印象だ。(あまりにも空回りしている印象があるが)
「もしドラ」も、正直ドラッカーについてすべてを理解できているようには感じなかった。
ただ、その必要はないんだ、と思う。それは学者の仕事で会って読者の仕事ではない。
むしろ化物語のヒロインが阿良々木暦に出会うことで、生まれ変わりを果たすように、
みなみもドラッカーにコミットしていく過程で自分をみつめ、劇的に変化する。その部分が大事なんだと思う。
経営学者としてでもなく、社会生態学者としてでもなく、一人の人物としてドラッカーに出会い、
そこから何でもいいから自分の物語に必要な何かを学び取り、自分を自分で救い、クソッタレた世界の中で生きていく。
そういう「一人の人間の、出発までの話」を書こうとした部分はすごいと思う。
私はそういう意味で、この本は「ドラッカー入門書」という言葉は正しいと思う。まぁドラッカーに限らずの「出会い入門書」と言いたい。
先に感想を書いた「小説の読み方の教科書」は少し茶化したような書き方をしたけれど、もしドラは本当に「小説との出会い方の教科書」と読んでもいいと思う。
(もちろんもしドラは「出会い方」しか教えてくれないので、その後の「斬り結ぶ」方法や「深める」方法などは別の書物を参考にするべきだが)
「成長ではなくて出会いを描く物語」「劇的な結末ではなくて出発点を描く物語」「恋愛や友情以外でも人を変える出会いはある点を語った話」という点に絞ってみれば、この作品はかなり素晴らしい作品だと思う。(逆に前者側の評価指標で見るとすごい低評価になる)
作者がもしドラで成功した後すぐ別のところに興味が移ってしまうあたりを見ると(的はずれなことも多いけれど)
おそらくこの人はそういう「出会い」や「出発」を求めてやまないタイプなのではないかと思う。
正直アニメでもなんでも、ありきたりな結末には飽き飽きしているので、むしろこういう「強烈な出会い」や「強い動機の出発点」を描ける点を大事にしてほしいなと思う。
時代的にも、大人が語る将来や成功といったものにはネガティブなイメージがつきまとう。
今大事なのは、そういうつまらないゴールを目指してごちゃごちゃやる話とか、決断主義もののような、義務感で戦うみたいな話じゃないと思う。
ゴールはよく分からなくても、スタートせずにはいられないような強烈な出会いを描くことなんじゃないかと思う。
大人が読んだら無責任で、危険な話かもしれなくても、まずワクワクさせられるスタートをこそ、読みたいと思う。
ここまでわかってた上で、要するに結末部分はおまけだ、というのはわかっていても、まぁラストはひどい。笑えない。
あれは物語をカスにする要素であったと思う。蛇足どころの話ではない。この結びによって、この話そのものが茶番になっている。あまりにも若者を馬鹿にしている。
出版社がダイヤモンド社でなければこの部分は書かなかったのではないかと今でも信じたい。
もちろん、作家としては新人の彼が、出版社の意向を無視して好きな様に書けるわけではなかっただろう点は承知している。
だから、この作品については特に序盤については高く評価しつつも、次回作以降の期待を込めて全体としては低い評価を付けたいと思う。
そういうわけで、私は序盤と中盤以降で、別の作品とまでは言わないが、作者の本質は序盤にあると思っているため、
作者がその「結末」を持って、「序盤」部分の書店員の行動を正当化したあれは、全く理解できなかった。 http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110812/1313128129
作者自身が、序盤と結末をつないでしまうこの感覺が私には今でも理解出来ない。どういうつもりなんだろうか・・・。
結論 うまくここに接続出来なかったのでやや唐突ですがご了承ください
良くも悪くも40歳のこれはオッサンでないと書けない、40歳のオッサンの感性で書かれた話だと思う。
この作品を理解する上でドラッカーの知識は全く必要ないが、ある程度の人生経験というか前提を共有できることは必須だと思われる。
「少女不十分」が、西尾作品を読んだ人でないとほんとうの意味で感動出来ないように
(彼の10年の積み重ねや作品傾向を知らないと、作品の芯の部分に心から共感できず、ただのお話に読めてしまうのと同様に)
次はfateかPersona4の話をしたいと思います。zeroじゃなくてstay/nightの話ね。
本当はもしドラのもう一つのテーマであろう「生き辛さ」について書きたかったのだけれど、
正直もしドラはコレについて十分に描き切れた作品だとは到底言いがたいので、それはPersona4とfate stay/nightにまかせる。
いやまあ、最初からバズってたという意見は認めるしそうだとも思うw でも、だとするとガチキモヲタ(butイケメン)の本田透先生にはそこら辺の事情(少なくとも型月を認識してなかったということはねーだろー)をスルーしてたらしい、というところに達するよな。
とすると、本田透先生は、どういうポジションの人になる? 岡田なんとかさんと一緒で、現状認識と啓蒙する内容を違えるタイプのアジテーター?
西尾維新のデビューが2002年、Fateの発売が2004年。
まるで東のエデン以前は女性のサブカル者が皆無だったような書き方だけど。
それでも2005年なんだよ。
昨日今日の話じゃない。
サブカルが滅びたように見えたのは2005年のその時点では正しいけど、今はサブカルらしきものがやっとこさ顕現してきたじゃないか。
西尾維新らのそれとか、fateとか。最近でいうと四畳半何とからへんから続くノイタミナ枠の作品なんかがサブカル者のアンテナに引っかかってるようだし、2005年頃丁度サブカル枠でバズってた攻殻機動隊が3D映画になって二次的ブームを迎えている。
東のエデンは流行らなかったし批評に耐えうるほど出来た作品じゃなかったけど、「女性層を意識した」という言い訳もあるとおり、女性のサブカル者も徐々に増えてきつつある。(と、いいなあ)
テレビアニメと劇場版アニメが分断され、後者がサブカル者に向いていたりするのは2005年くらいの時点では想定も出来なかった事態だと思うよ?
いやまあ、本田透さんという人がリアルタイムでオタクをやっていて我々の感覚と非常に近い位置にいいる、ってのは結構重要なんだけど、2011年の時点で『電波男』からの引用はちょっと拙い。
今は本田透さん自体がラノベを書いてたりそのラノベが実写映画化してる程度には時代の流れがおかしくなってる。2005年(ハルヒアニメ化)以前のラノベ市場とそれ以降では萌えの形式も変わった。サブカルだったはずのラノベがむしろメインストリームになってる。(西尾らのそれはサブカルだって印象だけどな)
らきすた以前では日常系がこれほどまでに「オタクの居場所」として機能するなんて思いもよらなかったろうし。
という訳で、狙いは良かったんだけどもう一ひねり欲しかった所。
「今日の猫村さん」とか「進撃の巨人」とか「おやすみプンプン」、「3月のライオン」とか「ドリフターズ」あたりを絡めて再考してみてくれ。
適当にラノベのシナリオをまとめてみるけど、最近のラノベの方が恋愛要素多いよね。
ついでに昔のラノベの主人公は最初から強かったけど、今は無能力が多い。(代わりにヒロインが万能だったりする)
Lv9999の俺Tueeeeee集団が魔王とか倒す話。恋愛要素は薄い(アニメでカップリング要素が強化)。
最後は「人間のせいで仲間の1人の中に眠っていた魔王が覚醒し、それを倒す」というかなりバッドエンドに近い内容。
神とか魔王とかテンプレ的な世界観を扱いながら、「人の心の闇」も同時に扱ってるのが魅力なんじゃなかろーか。
指輪物語のような正統ファンタジーに対するアンチテーゼとして生まれたが、現在では学園ファンタジーなどが流行った影響で正統ファンタジーの一派に含められてしまっている。
Lv99の主人公が世界を滅ぼす神と対峙する話。恋愛要素は薄い。
最後は「バリアがあるから神が襲ってくるんだ、魔王の力を得て竜族が作ったバリアを解除しちゃえ」というオチで、その後世界がどうなったのかは語られない。多分平和になったんだろう。
異端者を葬るブギーポップという多重人格を持つ少女を中心とした群集劇。恋愛要素は弱め、群集の関係を描く一環として描かれる。
全体的なテーマとしては「ハグレ者」として生きる人間、「ハグレ者」として斬られる人間のラインを語るような感じ。たぶん未完結。
1巻が一番面白かった。エンブリオまでは大体面白かったけど、そこから先はいまいち…。
世界を作り変える異能を持った少女を中心とした青春小説。主人公は無能力。
「男性向けハーレクインロマンス」という表現はむしろこっちの方が当てはまる。
世界を作り変える能力を持ってしまった、わがままなお姫様を満足させるために主人公たちがあれこれ立ち回る。
ハルヒが満足すると異能がなくなる設定のため、早々にハルヒの能力がなくなって話が動かせなくなって、無理やりライバルキャラを増やしたり展開を引き延ばしてる感が酷い。
http://www.amazon.co.jp/review/R92LAB0MXPIE0/
このレビューが的確。要するに困難に対してマネジメントを引用して解決するという形で、マネジメントの内容を紹介する青春小説。
ご都合主義すぎてマネジメントが胡散臭いカルトのようになってしまっているのはご愛嬌。マネジメントを除けば運動系部活の王道展開。
異能に取り付かれた少年が、同じように異能に取り付かれた少女が救済されるのを見守る青春小説。主人公は弱い。
なのはや化物語は、エヴァやハルヒほどオタクに「語りたい」と思わせる作品ではない。
もちろん、放映当時はそれなりに長文記事が出ていたし、今でも話題にはなるけど、
(エヴァやハルヒのほうが凄いと言いたいわけじゃないよ念のため)
あと、「化物語」の信者は作品よりも原作者の西尾維新についていて、
化物語ヒット以前の戯言シリーズの頃から、西尾信者はエロゲにおける型月厨のごとく扱われている。
2作品がどんな風に語られているか知りたければ以下。
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http://b.hatena.ne.jp/t/%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%AF
以下、チラ裏。
結局は金。例えば桜庭一樹の「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」。富士見ミステリー文庫版では500円。3年後に再版されたハードカバー版では1400円。さらにラノベはイラストレータと印税が折半になるので1冊当り25円の印税。ハードカバーなら10%で140円の印税。ライトノベルレーベルから出た文庫だと、6冊売れてようやくハードカバー1冊分の印税になる。
「中高生が対象なんだから単価の低い文庫で出すのは当たり前」って言う人もいるだろうけど、でもラノベ界で一番売れている(という言われている)西尾維新の主戦場は、単価がやや高い講談社ノベルスやハードカバー並みの単価の講談社BOX。これを考えると、文庫が主戦場だったのに長者番付の常連だった神坂一て、ものすごい売れてたんだなって思う。「文学少女」の野村美月ですら未だにバイトしているっていうし。
さらに一般文芸作家には文学賞がある。直木賞・吉川英治文学新人賞・山本周五郎賞・推理作家協会賞、あと純文学では三島由紀夫賞(芥川賞はラノベ作家には本当に関係に無い文学賞なので除外)。これらは賞金が出る上に、受賞すると普段本を買わないような人まで買ってくれる効果がある。ラノベもアニメ化すれば同じような効果があるだろうけど、深夜アニメと直木賞、どっちが効果があるかは自明だろう。
さらにこれらの文学賞を受賞すると、地方から講演の仕事が舞い込む。これが1時間ぐらい話すだけで100万円ぐらいもらえるというからバカに出来ない。また、ある程度キャリアを積めば新人賞や各文学賞の選考委員になれて、それも収入源となる。純文学系の老作家の主な収入源はそれ(メッタ斬りコンビや福田和也が批判している、大作家の福利厚生)。残念ながらラノベには、まだそこまでのシステムはない。
角川スニーカー文庫が創刊してもう20年以上経つけど、創刊からずっと書き続けている作家ってどのぐらいいいる?50代で現役のラノベ作家は?しいて言えば、田中芳樹が現役といえなくもないけど、彼は遅筆というよりも才能が枯渇しているせいでまともに小説を完結できなくなっているように見える。
資料をあたる能力と知識が必要なファンタジーやSFならば、ある程度年をとってもかけるだろうけど、今日日流行の学園モノって40過ぎたおっさんおばさんが、主要な読者層である10代の若者が納得するように書けるんだろうか。ここ数年で一般文芸に転向した作家たちは、皆1970年代生まれ、いよいよ「若い感性」というライトノベルにとって必要なものが喪失し始め、小説的技術を身につけた作家が転向しているんだと思う。そういえば、2年以上発売延期している谷川流も70年代生まれだった。多分彼もラノベ界を去るつもりなんだろう。
以上、思いつく限り。
俺なんかに落とされた人、ご愁傷様と言いたいところだけど、
駄作が残ることはあっても、傑作が落とされることはないって言葉は本当なんだと実感したよ。
その上で感想。
勘弁してくれってパターンをいくつか。
小説の書き方とか応募の仕方なんてサイトに載ってることばっかりだけど。
1.応募規定を読んでいない
問題外。
場合によっては最初からそういうのは下読みにも回されないらしい。
必要なものが揃ってないのは、テストで名前書いてなかったら0点というのと同じ。
逆にプラスアルファされてても、それは規定にない「余計なもの」であって加点対象じゃない。(ぶっちゃけただのゴミ)
設定帳(イメージ画)付属、というのは、登場人物のイメージや世界観などの設定を本編で読者に理解してもらえない、勝負できない作品である証拠、としか見られない。
大抵、物語開始直後から設定説明の地の文が延々入ったりして読む気がしないパターンとセット。
(設定帳やイメージ画がなくてそのパターンのものも珍しくないけど、特に興味のないWikipediaの項目を読まされてるようで苦痛)
2.推敲なし(としか思えないもの)
誤字脱字とか、てにをはの明らかなミス(修正し損ね)程度はスルー。
そういうのを除外しても本当に多い。
なんで推敲しないんだろう。
応募前に誰かに読んでもらったりしていれば、少しは違うはずなのに。
あと、そもそも基本的な作文の作法守ってないとか。
特に、知らないとか間違っているというものは問題外として、わざとやってるらしい人。
そんなところで独自性出そうとしなくていいから。
独特の文体、と思ってるのかもしれないけど、文章作法守ってないのは単に知らないだけの人と同類にしか見られないからね。
作者の特徴ではなくただの邪気眼、失笑されるだけと思っておいてOK。
3.文体その1(人称、物真似)
2.と合わせ、「お前、逃げで一人称にしてるだけだろう」ってものが多い。多分間違ってないと思う。
影響を受ける作品はあるだろうし、今時の流行のスタイルを狙ってというのもあるだろう。
でも、異様なまでの似非キョンと似非西尾維新率の高さを見ると、お前ら単に自分のスタイルが出来上がってないだけなんじゃないか、と感じてしまう。
何でも最初は人の真似から入るものではあるけども、それって習作って言うんじゃ?
複数応募してくる人に特に多い。
こっちは~真似てる、こっちは~真似てる、とか。
それから、逆にスレイヤーズのスタイル(テキスト弄り系)を未だに踏襲してる人。
最近出版されているものの中にも、あのスタイルの作品は確かにあるけど、新人賞ではもうありえないってよ。
確かに初見の若年層にはインパクトあるだろうし、テクニックと言い切られてしまえばそれまでではあるんだけど。
スレイヤーズ第一巻(古いほう。新装版は知らない)の編集者コメントだったかなんだかのページでも「やったもの勝ち。このスタイルのものが賞をとることは今後ありえない」と明言されてるのを俺も見たこと覚えがある。
(少なくとも富士見の場合はってことだし、十何年も前の話であることを差し引いても、今は応募作品のスタイルとしてありえない)
4.文体その2(独り善がり)
俺の担当になった応募作品の中にはなかったけど、当たった人から聞いた話。
文章表現に悪い意味で拘ってる(ブンガクしたい)らしい人が時々いる。
単体の文の言い回しに拘り過ぎて、個々の文の見てくれはいいけど、読みづらいだけであることが殆ど。(似非西尾維新もこれに当て嵌まるのかも)
カッコイイと思う文章、芸術性を見出そうとするのはいいけれど、エンターテイメント性を損なってたら本末転倒。
ちゃんとした文章だから一次はまず間違いなく、二次も大方通るだろうけど、三次であっさり蹴られる。
要は文章にしか目が行ってなくて、内容(ストーリー、テンポなど)がつまらないわけだから、他に持って行っても結果は同じ。
自分の文章のほうがうまいのに、何故あいつが受賞するんだ、と言っている高尚厨が必ずいるが大抵このパターン。
大抵同じタイプの人間で群れて他者の文章を貶し、互いのセンテンスを褒めあっている。
娯楽小説として面白くないのに気付いてない。
色んな人の作品読めて面白そうだからやってみたい、とか思ってる人、やめといたほうがいいよ。
ストレス溜まるだけだから。
もうすぐ新しいアニメが始まりますね!ということで、気の早い感想ですが、2010冬期アニメ15作品を簡潔にそして恣意的に紹介します。ストーリーなどの詳細は省略しましたので気になった方は各自Google先生に聞いて下さい。
評価は
S 最高!
A もう一度みたい
B まぁ面白い
C 暇つぶし
D 時間の浪費
F 測定不能
オープニング曲やエンディング曲が気にいったものには印をつけました。(だいたい放送曜日順,月→日)
評価B end◯
近景アニメ?『けいおん!』風。軍服萌え。ノエルは俺の嫁。Amazing Grace。
評価?
『化物語』に続く西尾維新作品のアニメ化。なんと月1話の12ヶ月放送。『School Days』の監督。作画は賛否両論。まだ、2話しかない。
評価 F
派手な下着の小学生アニメ。1話で切った。私もまだまだオタクではないなと確信。今期2位のヤバさ。
評価C
短いから見れる。イタリア人に怒られないのか心配。
評価B op◯ end◯
言わずとしれた「風早くん最強神爽やか爽快cool」アニメ。ちなむと爽子は俺の嫁。名文句は「そんなの笑えない」
れでぃ×ばと
評価C op◯
今期3番目にヤバイアニメ。ぱいおつ丸だし乳首あり。もう一度言う。「乳首あり」。ただし、フレイムハートさんのドリルは幼虫みたいで不快。大地薫役はみんなのくぎみーなので、くぎゅぅぅぅぅぅぅってなりたい人は是非見よう。
評価C
評価C
もう「ひぐらし」は飽きたんだよ、おなかいっぱいだよ。って言うそこの貴方!この作品のキャラデザはローゼーメイデンの人だぜ!へい!
評価B
来たぜ!僕等のひだまり壮!動物化された僕にはタマラナイ!新入生が2人加わってひだまり壮はさらに賑やか!ちなむと智花役もくぎみーだよ!
評価B op◯
池袋を巡るサスペンスアクション。小野大輔、福山潤、中村悠一という男性声優陣に腐女子は発狂確定。
評価C
吸血鬼アニメ。『ひだまりスケッチ』、『化物語』の新房監督。ネリー役は喜多村英梨。
評価B
ここに来て盛り上がってきた世界と戦う図書館司書のアニメ。27日にはテアトル新宿でオールナイト上映があるそうな。ハミュッツの胸に注目しがちだが、軍服のミレポがかあいいポ!!主要人物かと思われた人がバタバタ死ぬ。
インデックスのスピンオフ作品。私はこっちのが好きですの!御坂美琴も佐天さんもいいけど、木山先生が理想の女性。超電磁砲はレールガンと読みます。
コブラかっこよす!ってなる。
今期最高の変態アニメ。主人公は母乳を飲んで力を得る。女の子がぱいおつを吸わせるシーンは圧巻。声優陣は豊崎愛生、茅原実里、平野綾、日笠陽子、川澄綾子と意外に豪華。
と抜けがあるかもしれませんが、もう終盤なので今期見ているアニメを振り返って見ました。
もちろん他にも色々と作品があるので、みなさんの感想もお待ちしております!