はてなキーワード: 福音書とは
http://anond.hatelabo.jp/20111109215236の前日譚。
アラサーのこの年になるまでナンパなんてしたことがなかった。非モテの独身。
偶然目にしたナンパ師のブログを見て、名状しがたい情動が急激に燃え上がったのを感じた。
女を食い物にするナンパ師への怒り。「男の本能」で全てが説明できると考える知性のなさへの侮蔑。会ったその日に強引な押し出しで女性と性交するデートレイプと呼んでも差し支えない行為への嫌悪感。しかも場所がネカフェやカラオケという不潔さへの嘔吐感。
そして、否定しようもない嫉妬と羨望!!
そしてよくよく考えれば、俺もナンパ師を批判できるほどきれいな体でもなかった。非モテとはいえ、セックス経験はあり、その中には愛を偽ってセックスに持ち込んだ例もある。また、ナンパ以上に性質の悪い行為もしているのだ。その俺が聖人面して他人を批判できるか?ヨハネによる福音書第8章1~11節を見よ。
あれこれ悩んだ末にフェミニズムと両立するナンパはできないかと考え始めた。
そして11/6に初決行。10人には声かけようと決意していた。何故か最初からテンションだだ上がりで、ほとんどの初心者が陥るという「地蔵」状態はほとんどなく、ストライクゾーンの広い俺は少しでも好みの子に声をかけた。誰も立ち止まってくれず、紙ブーメランの準備もしてきてなかったため、結果的には坊主であったが、10人以上に声をかける結果となった。達成感とテンション、多幸感は最高潮に達していた。
脳科学や心理学の見地から説明すれば、非日常的な行為をしたことによる動悸の高まりやアドレナリンの分泌量の変化によるものだろう。そして、この興奮が多くのナンパ師をして行為過程依存、俗にいうセックス依存症に陥れせしめるものだろう。例えばこの大学生、ナンパのために将来の進路まで変わってしまった。http://ameblo.jp/shitorasu/entry-10929146122.html http://ameblo.jp/shitorasu/entry-10988420975.html 他にも家庭が崩壊してもナンパが辞められない男たちが大勢いる。しかし、果たしてこの多幸感には抗いきれないものがある。
ここから仕事すらガッツリやろうという、いままでの俺では考えられないモチベーションも湧いてきたのである。俺は才能にあふれ、何をやっても上手くいくという躁状態に入っている。高校くらいでは女性縁遠く、かなり遅い時点からナンパを始めた非モテ・非コミュがナンパを始めると一様に全ての男性にナンパを勧めまくる理由はここにあると思われる。
俺もナンパはこれまでしなかったもののセックス依存症じゃね?と疑うほど、性欲に支配されやすいことがある。もう俺の人生は崩壊しかかっているのだろうか?
当時のユダヤ、というかあそこらへんの民族の血族主義はちょっとすごくて、アブラハムから数えて○代の誰それ、誰それから数えて○代のあいつ、そいつの娘婿の~みたいなノリは100%本気。
婚前交渉なんて許されないし、不義姦通なんかしたら生きていけなかったらしい。
今でもイスラム圏だとレイプされたらした側よりもされた女が罰せられる場所があるし、法律はそうでなくったって世間の目はそう。
そんな土地柄で、婚姻前に身篭った許婚を捨てず(当時だったら死とまでいかなくても一生の不幸を意味する)に一緒になった。
当時の掟だと姦通を世間に公表した上で離縁するのが普通のところを、世間に公表せずにひっそりと縁を切ろうとした。とマタイによる福音書には書いてある。
そして結局は一緒になった。
無駄飯喰らいのニートを育てあげた。(といっても親が死ぬくらいまで長男は家事手伝いという生き方は近代まで普通だったからそう叩くこともない)
のっけから愛に満ちてる。
また聞きだけどね。
個人的には我慢できなくてヨセフがマリアを孕ませちゃったと思うんだけどな(笑
追記
イエスは
「まずしきものは幸いです」
なんて言いながらも、旅先では徴税人で金持ちの家に泊まったりしてる。
徴税人=ローマの犬
みたいな空気の町で、あえて名指しでそんなやつの家に泊まった。
(ついでにそいつが身長コンプのチビだったりする記述がひっそりとあるあたりがすごく好きだ)
そんで、その人が回心するって話。
つうかすすんで救う。
はてなID:ykkjhrk
はてなキーワードに投稿しましたが、編集合戦を避けるため、こちらに転載します。
エホバの証人とは
● http://www.watchtower.org/j/ 雑誌のバックナンバーや聖書研究の手引き書などがいくらか読める。
● http://www.jw.org 機関誌のポッドキャストフィードの受診、書籍、電子雑誌などがダウンロードできる。
● http://www.jw-media.org 広報室の公式サイト
名称の由来は旧約聖書のメシア預言のひとつであるイザヤ43章10~12節に基づく。
エホバの証人についての解説(公式サイト): http://watchtower.org/j/jt/article_02.htm
(個人サイト): http://biblia.milkcafe.to/thesis009.html
「ものみの塔聖書冊子協会」は、彼らが用いる代表的な法人の名称である。世界本部はニューヨーク法人ものみの塔聖書冊子協会にあり、出版物の著作権表示はペンシルバニアのものみの塔聖書冊子協会となっている。(ただし、「わたしたちの王国宣教」は、2009年4月以後、著作権表示がエホバの証人のクリスチャン会衆"Christian Congregation of Jehovah's Witnesses"となっている。)
なお、ものみの塔とは1879年に創刊された雑誌の名称であり、ジェームズ王欽定訳のイザヤ21章8節などを由来としている。聖書預言と照らし合わせながら世界情勢を見張っている、という意味がこめられている。さらに、1884年、この雑誌の出版社として現在のものみの塔聖書冊子協会が米国ペンシルバニア州の非営利法人法に則って登録された。したがって、彼らは自分たちを「ものみの塔の信者」とは言わない。ものみの塔協会は法人名に過ぎないからである。
また、「エホバの証人」という語は彼らが構成する集団社会と、信者各個人の両方を指す。(英語などの場合、複数形と単数形で区別する。)したがって彼らは、「エホバの証人の信者」という表現は使わない。ちょうど、「クリスチャンの信者」とか「ムスリムの信者」などと言わないのと同様である。
1870年米国にて、チャールズ・テイズ・ラッセルらが聖書研究会を結成したことに始まり、1931年、米国オハイオ州コロンバスの大会で、「エホバの証人」という名称を採択する決議が可決された。この大会は短波放送で中継されており、日本にいた数名の信者も決議に加わった。(なお、戦前・戦中の大日本帝国下では、「灯台社」という名称で活動しており、天皇は被造物であるなどと主張し、本土および台湾・朝鮮において、治安維持法違反で検挙されている。―参考: 灯台社または燈台社または燈臺社を調べるぺえじ http://www.geocities.jp/todai_sha/)
聖句と聖句を比較しながら論題別に掘り下げてゆくという19世紀の聖書研究者ヘンリー・グルーの聖書研究のポリシーが、現在でも一貫して守られており、エホバの証人出版物の特色となっている。聖書は文字通り神の霊感(インスピレーション)を受けた神の言葉であり、普遍、無謬であって、絶対に矛盾していない、という前提で聖書を調べ、矛盾と思われる箇所がある場合には、ほかの聖句を持ってきて説明しようとする。聖書で聖書を説明するのである。(ものみの塔2006年8月15日号12~15ページを参照。)
((聖書は矛盾している、との主張に対するエホバの証人の反論については、「ものみの塔出版物索引」の「聖書の信ぴょう性」の項の「聖句間に見られる調和」という見出し以下から資料を探せる。))
信者数は日本で21万人ないし30万あるいは40万とも言われ、2009年現在全世界で731万余の伝道者が活動している。
全世界の統計(公式): http://www.watchtower.org/e/statistics/worldwide_report.htm
エホバの証人の実勢信徒数の数え方: http://jwpc.milkcafe.to/media03.html
機関誌「ものみの塔」や「目ざめよ」などを配っている。最近は雑誌の朗読版(mp3およびaac(m4b))やオーディオブックのポッドキャスト配信、アメリカ手話(ASL)や日本手話(JSL)をはじめとする手話版のビデオキャスト配信、オーディオドラマやPDFによる電子書籍のRSS配信も行っている。
「目ざめよ!」は2006年以後月刊誌となり、「ものみの塔」は2008年から一般大衆向けと研究用(信者向け)とに分かれた。
出版物のダウンロードサイト(公式): http://www.jw.org
モルモン教、統一教会と並び、カトリックの総本山であるバチカンの法王庁(教皇庁)からキリスト教系三大カルト(または異端)の一つとされている。
また、カトリックと対立関係にあるが、プロテスタントではない。プロテスタント諸派もエホバの証人との教理上の相違が大きく、エホバの証人自信も自分たちをプロテスタントであるとは主張しない。
http://www.watchtower.org/j/20091101a/article_01.htm
エホバの証人のスポークスマンによると、ときおり、日本基督教団の牧師が「保護説得」などと称してエホバの証人を拉致、監禁して強制棄教を試みるといった事例が生じており、アメリカ大使館は日本の警察当局に、これを事件として取り締まるよう勧告している。((なお、宗教監禁の実態(統一協会の信者)に関する情報は、こちらの月刊現代の記事を参照。))
参考:2003年 国別人権報告書 http://tokyo.usembassy.gov/j/p/tpj-j20050601-50.html
ただし、SDA―セブンスデー・アドベンチスト教会―はエホバの証人に比較的好意的であり、国によってはセブンスデー・アドベンチスト系の病院がエホバの証人の望む無輸血医療を積極的に提供していることもある。
神の名はエホバであり、敬意を込めてその名を積極的に用いるべきである。
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_01.htm
なお、「エホバ」であるか「ヤハウェ」あるいは「ヤーウェ」であるかは彼らにとって大きな問題ではない。マタイ福音書の主の祈りの冒頭にあるように、神の固有名を用い、それが神聖にされることが重要である、とする。(マタイ 6:9)
さらに、聖書を翻訳する際、神聖四字(YHWH(JHVH)テトラグラマトン)を「神」や「主」といった称号に置き換えると、読者は一般名詞としての神と固有名であるエホバとの意味の相違が識別できないという弊害が生じる。「神」(エローヒーム)と「エホバ」の違いについて、インペリアル聖書辞典(P・フェアベアン編、ロンドン、1874年、第1巻、856ページ)は次のように例証している。
「それ[エホバ]はどんな箇所でも固有の名であり、人格的な神を、そしてただその方だけを表わしている。一方、エローヒームはどちらかと言えば普通名詞の特徴を帯びており、確かに普通は至上者を表わすが、必ずしも、またいつも一様に至上者のことを指しているわけではない。……ヘブライ人はあらゆる偽りの神々に対立する方のことをthe Elohim、つまりまことの神と言う場合があるが、決してthe Jehovahとは言わない。なぜなら、エホバとはまことの神だけの名だからである。また、わたしの神とは再三言うが……決してわたしのエホバとは言わない。というのは、わたしの神と言う場合、エホバのことを意味しているからである。また、イスラエルの神について語りはするが、決してイスラエルのエホバについて語ることはしない。それ以外のエホバはいないからである。さらに、生ける神について語りはするが、決して生けるエホバについて語ることはしない。生きている方ではないエホバなど考えられないからである」。(訳文は、聖書に対する洞察、第一巻、「エホバ」の項より。)
ヘブライ語聖書中に「サタン」が登場するすべての箇所において、定冠詞が使われており、悪魔は固有の実在者であって、人の心に内在する抽象的な概念などではない。(ヨブ 1:6 脚注)
http://watchtower.org/j/20091001a/article_01.htm
神は愛の動機からすべての良いものを創造された。生きる喜びを分かち合うため、み使い(天使)や人間を、倫理的に自由な行為者、つまり神に仕えるか仕えないか、どのように仕えるかを能動的に選択できるものとして創造された。
やがて天使のある者が自由意志を誤用・悪用して神に反逆し、神の主権の正当性、妥当性、義にかなっているか否かに疑念を差し挟むようになった。その天使は、ヘビを使ってエデンの園にいた最初の男女アダムとエバ(イブ)を罪へといざなった。こうして、完全だった人間は不完全になり、原罪を受け継いで死ぬようになった。
悪魔となったその天子が投げかけた問いは、もっぱら倫理的な論争であった。つまり、悪魔は神の力を否認していたのではなく、宇宙の主権者としてエホバがふさわしいか否かを問題にした。したがって、悪魔と叛逆した人間を即座に滅ぼしても、この種の問題の解決とはならなかった。
神からの独立を望む人類社会には、神から倫理的に独立してやっていけるかどうかを試す時間が与えられた。そして、数千年の歴史の中で、君主政治、軍国主義、全体主義、共産主義、自由民主主義などあらゆる政治形態を試みることが許された。
神を愛する人には人間の政治に希望を寄せるのではなく、エホバによる神権政治を支持する機会が差し伸べられている。人間一人一人は、エホバの側につくか悪魔の側につくかを選ばなければならず、エホバの主権を受け入れることによって神の心を喜ばせることができる。―箴言 27:11。(←この側面は「忠誠の論争」とも呼ばれる。)
http://watchtower.org/j/bh/article_11.htm#q10_src
http://watchtower.org/j/bh/article_12.htm#q6_src
なお、悪魔の投げかけたこの論争は、当初から矛盾(論理破綻)していた。悪魔は、自分が論争に勝つなら、エホバは自分を生き続けさせる義務を感じるであろうと考えていたからである。神の公正に疑念を差し挟む一方で、神の公正をあてにしていたのである。(聖書に対する洞察、第一巻、「主権」の項を参照。)
イエスは、人類を罪と死から救済するために天から地に遣わされた。イエスの贖罪死と流した血によって、罪の許しの法的根拠が据えられ、人類には永遠に生きるみこみが差し伸べられた。
http://www.watchtower.org/j/bh/article_05.htm
http://watchtower.org/j/bh/appendix_04.htm
http://www.watchtower.org/j/20091101/article_05.htm
http://www.watchtower.org/j/20090401a/article_01.htm
http://www.watchtower.org/j/20091101/article_02.htm
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_07.htm
http://biblia.milkcafe.to/21-ec-12-07.html
クリスチャンは天に設立された神の王国の国民であるゆえ、地上の政治論争には一切「内政干渉」せず、神の王国の大使また公使として振舞うことが期待される。―ヨハネ 17:16。
http://www.watchtower.org/j/bh/article_15.htm#q12_src
神を愛する者は暴虐を憎まなければならない。―詩編 11:5。
http://www.watchtower.org/j/kn37/article_01.htm
(誤解されがちな点だが、彼らはいかなる戦いをも否定する絶対的平和主義者ではない。旧約聖書(ヘブライ語聖書)にある数々の戦いの記録は、将来神があらゆる悪に報復されることを表しており、「復しゅうは神のもの」と聖書にもある。また、クリスチャンは各自「信仰の戦い」をしなければならない。なお、戦争には不参加となるが、政治的な中立の観点から、戦争反対のデモなどの活動に加わることもしない。)
http://www.watchtower.org/j/hb/index.htm
地抜きされていない肉を食べてはならないという聖書の禁止事項は、イエスの流した贖罪の血に敬意を示すべきであるという考えを根底にしている。したがって、これはもっぱら宗教的な性質のものであり、物理的な意味で1ミクロンも血を摂取してはならないという意味ではなく、血抜きのための合理的な努力が払われていればそれでよしと彼らは考える。
日本臨床麻酔学会誌Vol. 26 http://www.jstage.jst.go.jp/browse/jjsca/26/3/_contents/
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_10.htm
エホバの証人はユダ王国の滅亡を西暦全607年に起きたと考えている。考古学の主流の学説とは意を異にしているが、この点は、「聖書に対する洞察」というものみの塔協会発行の聖書百科事典の「年代計算、年代学、年代記述」の項で、かなりのページを割いて論じられている。
http://www.watchtower.org/j/20051115/article_02.htm
http://www.watchtower.org/j/20051201/article_02.htm
裁くのはイエスであり、誰が救われ、誰が救われないかを決めることに、エホバの証人は関与しない。―ヨハネ 5:22。
http://watchtower.org/j/jt/article_08.htm#saved
週に2回ある集会への参加および非信者への証言活動が求められる。(ヘブライ 10:24-25; マタイ 28:19-20。)また、年に1回、地域大会、巡回大会、特別一日大会という、より規模の大きな集まりがある。(詩編 35:18。)
http://watchtower.org/j/rq/article_14.htm
唯一の式典として、年に1回、キリストの死の記念(主の記念式)が行われる。これは、いわゆる最後の晩餐(最後の晩さん)を記念するもので、カトリックのミサ(聖体祭儀)に当たる。―ルカ 22:19。
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_06.htm
彼らは「新世界訳聖書」という独自に翻訳した聖書を用いている。
オンラインバイブル(インターネット聖書)新世界訳: http://www.watchtower.org/j/bible/
「恣意的な翻訳だ」「自分たちに都合の良い内容に改竄している」という批判もある。
また、エホバの証人側はこれに反論している。
公式: http://www.watchtower.org/j/20080501a/article_01.htm
個人サイト: http://biblia.milkcafe.to/
機関誌・書籍などで、しばしば古今の有名人の発言・著作を引用するが、前後の文脈を無視して極めて恣意的な引用をする傾向にある。(例えば、有名な古生物学者であるスティーブン・J・グールドの著作を、あたかも彼が進化論を否定しているかのような形で引用する)
しかし、この点は近年改善されてきており、2010年に発表された創造を指示する小冊子では、相当の配慮が示されている。
近年では全人類の平等を謳っているが、同協会に批判的な主張によれば、ローマカトリックを始め、他のキリスト教諸派よりもずっと後(1970年代)まで「黒人は神に呪われた種族であり、知的にも劣っており、終わりの日に遂に彼らが救済される時、彼らの肌は白くなるだろう」と主張してきたという。(下部の参考リンク「エホバの証人情報センター」の記述による。同センターは論証的な立場に立っているが、エホバの証人に対する論調は全般に批判的。1970年代およびそれ以前の、エホバの証人における有色人種の扱いについて、より信頼性の高い情報源があればご教示ください。)
世界各国に支部があり、信者のうち白人は1/3程度と推測される。「統治体」と呼ばれる最高指導部は、設立以来多年にわたり白人男性のみで構成されてきたが、1999年にメンバーにサミュエル・F・ハードが加わったことにより、統治体にも有色人種が加わることとなった。
1933年、ドイツで政権を握ったナチスがエホバの証人の弾圧を始めると、協会のドイツ支部は大会を開催して(ベルリン大会)、ナチスの政策を支持し、自分たちとユダヤ人は無関係だと主張する「事実に関する宣言」を全会一致で採択した。この大会には、当時のものみの塔協会の会長ラザフォードも出席している。しかし、世界各国に支部があり、本部がアメリカにあるエホバの証人は、この「宣言」以後もナチスの弾圧の対象となり続けた。
しかし、エホバの証人側は、ナチスを政治的に支持していたわけではないと反論する。
公式: http://www.watchtower.org/j/19980708/article_01.htm
個人サイト: http://biblia.milkcafe.to/07-jg-11-40.html
1985年、ダンプカーに轢かれたエホバの証人の子供大ちゃんが、両親の輸血拒否にあい、死亡。輸血をしても助からなかったとの見解もあるが、マスコミに大々的に取り上げられた。大泉実成著「ASIN:4768455646」に事件の様子が描かれている。
1994年、過剰な体罰、虐待によりエホバの証人の信者の子供が死亡した。
参考:http://www.jwic.com/abuse.htm
エホバの証人である高専生が宗教上の理由で剣道実技を許否した結果、退学処分を受けたが、1996年3月8日、最高裁判所は、この退学処分は違法であるとの判決を下した。
判決文(PDF): http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319123008290359.pdf
なお、これは教育と信教の自由に関する日本国憲法下における重要な憲法判断である。
エホバの証人の婦人が、事前にいかなる場合においても輸血を施さないでほしい、なおかつ輸血しないことによって障害を負っても医師に責任を問うことは一切しないとの合意書に署名していたにもかかわらず、医師たちはひそかに、事前に示し合わせて、当初から輸血を断行することにしていた。手術後、内部告発によってこのことが明らかになり、裁判となった。2000年2月29日、最高裁判所は患者の人格権を侵害したと判決した。
ここでの問題は、強制的に輸血を施したことの是非ではなく、また緊急事態には輸血を施すというその病院の方針が裁かれたのでもない。むしろ、病院はそのような方針をもっているならば、密約をしたりダブルスタンダードをとったりするのではなく、誠実に病院の方針を説明し、患者の信条に沿う別の医療機関を紹介すべきであった、ということである。
エホバの証人のプレスリリース(英語): http://www.jw-media.org/jpn/20000229.htm
判決文(PDF): http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319120604218580.pdf
このほかにも、エホバの証人は国内外で、後に重要な判例となる裁判を起こしている。
参考:衆議院議事録―第159回国会 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会 第2号(平成16年3月11日(木曜日)) http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/010715920040311002.htm?
http://anond.hatelabo.jp/20090503233005
これは二次裏でもimg鯖でまとめられたオススメ本一覧2008年度バージョンだったらしい。
元は「中高生のため」と限定したわけじゃなく単純に他の人に薦めたいというものだとか。
1年毎にまとめられているようで、これの2007年度バージョンを見つけたので貼ってみる。
4 シラノ・ド・ベルジュラック エドモン・ロスタン
9 風が吹くとき レイモンド・ブリッグズ
10 黄金の法 大川隆法
15 パンセ パスカル
20 シブミ トレヴァニアン
22 もの食う人びと 辺見庸
26 愛に時間を ロバート・A・ハインライン
30 マルドゥック・スクランブル 冲方丁
32 薬菜飯店 筒井康隆
34 変身 カフカ
35 チリの地震―クライスト短篇集 ハインリヒ・フォン・クライスト
40 恋のかけひき他11篇 マルキ・ド・サド
44 ロリータ ウラジーミル・ナボコフ
47 最悪 奥田英朗
50 泥流地帯 三浦綾子
57 魂の駆動体 神林長平
60 エルマーとりゅう-Elmer and the Dragon ルース・スタイルス・ガネット
65 一万一千本の鞭 ギヨーム・アポリネール
66 暗闇のスキャナー フィリップ・K・ディック
67 夏草冬涛 井上靖
68 家守奇譚 梨木香歩
72 アリス―Alice in the right hemisphere 中井拓志
74 かめくん 北野勇作
76 てのひらの闇 藤原伊織
77 極大射程 スティーヴン・ハンター
78 初秋 ロバート・B・パーカー
84 インスマス年代記 スティーヴァン・ジョーンズ
85 鬼麿斬人剣 隆慶一郎
90 サムライ・レンズマン 古橋秀之
92 死者の代弁者 オースン・スコット・カード
95 ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち リチャード・アダムズ
98 されど罪人は竜と踊る 浅井ラボ
ターゲットは珍しくまだ定められてはいない...。
良いか?案外マニュアル指向であるワタシは今まで、聖書に書かれている通りにそのまま実行したまでである。
『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。
敵を愛し、迫害する者の為に祈れ。
「敵」を定め、「敵」を憎み、「敵」を愛し、「迫害する者」の為に祈ったまでである。
また、はりつけにされたイエスの如く、こうも言っただろう。
「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。」
いかにも、異教徒もまた「敵」を定め、「敵」を憎み、「敵」を愛し、「迫害する者」の為に祈るに決まっているからである。
これまでの闘争の担保でありグラウンド・ゼロのトリガー。しかしながら今回ばかりは些か様子が違うようだ。
〜T.H.
聖母マリア・十二使徒・パリサイ派・イスカリオテのユダ・十字架刑・キリストの復活・マグダラのマリア・タルソのパウロ・新約聖書・ローマ教会・コンスタンティノープル教会・アレクサンドリア教会・ローマ教皇・カノッサの屈辱・十字軍・ラテン帝国・ヴァチカン市国・カトリック・プロテスタント・免罪符・マルチンルター・カルヴァン・イエズス会・フランシスコザビエル・コンキスタドール・ピサロ・正教会・東ローマ帝国・ロシア帝国・イコン・英国国教会・コプト教・異端・魔女裁判・ジャンヌダルク・グノーシス主義・ ナグ・ハマディ文書・トマスの福音書・マニ教・ネストリウス派・景教・カタリ派・モルモン教・エホバの証人
もう我慢ならん。
「気持ち悪い」
何が気持ち悪いか、まず活版印刷の行き過ぎた情報集中管理が気持ち悪い。
聖書のどの節でもすぐに把握できるようにする、確かに便利だよ
でもさ、面白くネーの。「信仰」が。ミサに行く前に、分かった気になっちゃうから。
あ、話それるけど、リアルで「聖書みればわかることを聞くな」とかほざく情報強者(笑)がいたら直ちに首を吊ってほしいなぁ。
んなこと分かってら。書いてあることを知りたいんじゃねぇよ、おまえとイエス様の話がしたいからお前に聞いてんだよ。
空気嫁よ。信仰心の通ってない情報強者(笑)乙。とうとう信仰心まで印刷文字にされたんだな
親「ミサに行こう」
子「じゃ、聖書で神父様が今日話す内容をくわしく調べてくる!」
こんな会話がもうリアルにありえるわけ。「印刷された聖書でも一緒だろ?」と思う人もいるだろうが、全然違う。
説教なら、聖書の解釈とか結構アバウトだったから、漏れのエピソード語ると、夏のある日、朝早く起きてとーちゃんとミサ行って、朗読された一節を忘れたことがよくあった。
福音書が特に稀少だった。だから、やっと覚えた一節は本当に大事にしたよ。なかなか覚えられないことで、いろんな工夫を考える。
それだから暗唱できたときの喜びはひとしおだし、苦労して覚えた言葉は余計に愛しかった。
一方グーテンベルグ聖書は福音書、章、節、文章まで明らかにする。このページをに見れば「確実に」読めるという情報が手に入る。
グーテンベルグ聖書は「自分で考える」ことを妨害している。聖書の普及(笑)のために、話を聞く喜び、信仰を大切にする心を奪い取っている。これでいいの?
「聖書読めば分かることだから」と考えない子供が大人になって、いざ未知の問題に直面したときが怖い。
むしろ読んでも分かんないことだらけということに気づけない、「聖書読めばば何でも分かる」と考える子供を「グーテンベルグ聖書」とかは増やしている。
確かに活版印刷は道具で使い方次第だよ、でもその使い方を親たちが知らない、教えない。神父様の話など素直に聞くのは田舎の小学生低学年までだ。
少なくともこの印刷物が溢れるの現状を子供には見せられない、というか見せたらイカン。
漏れに今何ができるか、活版をたたき壊して今日ミサに出かけることぐらいか。
それでいい。それでいいんだと思い込むしか今はできない。いまの活版印刷がわからない
3"Blessed are the poor in spirit,
for theirs is the kingdom of heaven.
4Blessed are those who mourn,
for they will be comforted.
悲しんでいる人たちはさいわいである、彼らは慰められるであろう。
5Blessed are the meek,
for they will inherit the earth.
柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。
6Blessed are those who hunger and thirst for righteousness,
for they will be filled.
義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。
7Blessed are the merciful,
for they will be shown mercy.
あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。
8Blessed are the pure in heart,
for they will see God.
心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。
9Blessed are the peacemakers,
for they will be called sons of God.
10Blessed are those who are persecuted because of righteousness,
for theirs is the kingdom of heaven.
デカルトさんは正しいと思うよ。
だいいち、当時だと、疑いすぎて宗教を疑ったら即アウト。デカルトさんのちょっと後の人だとクールバッハさんが獄死してるし、現代でさえ魔女としていじめを受けたテンペストさんなんて事例もある。
それに、やっぱりこれも現代に伝わる思考だけれど、宗教信じていない=不道徳って観念がある。有徳の無神論者っていうのは矛盾の観念。スピノザさんに宛てた書簡に、「全てを含めて神(=自然)であれば、悪でさえ認められるし、道徳なんて無いぢゃないか!そんな世界でどう生きればいいんだよ!」っていう批判があるけれど、こういう考えの人は現代にも存在する。当時だから、彼の本は当然禁断の書になっちゃった。あと、幽霊とかについても、男の幽霊は存在するけど女の幽霊はどうだとか、悪魔についても、悪魔は存在そのものが否定なので矛盾するからいないのか、そんなのを知識人たちが真面目くさって議論していた時代なのです。信仰対象がスパゲッティモンスターでも数学証明(スパモン教の福音書\1800+税を参照)すれば新興宗教作れそうな世の中だったのです。
だから、当時の人は、教会行って司祭さんの説教受けてるのが一番良かったんだと思うよ。神は存在する、神は正しい、故に聖書は正しい、故に司祭様ならびに神学者様の言うことを信じてればいい。疑うなんてのはこの辺の分別をわきまえられる学者か、変人か、悪魔に使える牧師だけがやってれば良かったんだよ。
あと、当時の知識人が文面上で一般市民を愚民扱いするのは、何せ義務教育も無いので、オランダ海上帝国とかの時代の文書に隠そうともせずにカラード差別があるのと同じで、けっこう普通なことなのです。
前回は、色メガネのお話だったね。
色メガネの長所と短所 http://anond.hatelabo.jp/20070308202932
今回は、メガネをかけない場合のお話だよ。でも、メガネをはずすと何が見えるかを説明するのはちょっと難しいんだ。だからまず、メガネをはずしているみんなのお友達に、何が見えるのか聞いてみよー。
ベツレヘム生まれのお友達のお話
「みんな同じお父さんの子供で兄弟だよー。だからみんなで仲良くしよーよー。あと、自分の目の中の丸太を取ると(色メガネをはずすと)よく見えるようになるよー。」
ルカによる福音書 http://www.cozoh.org/denmo/Luke.htm#C10V25
マタイによる福音書 http://www.cozoh.org/denmo/Matthew.htm#C7V3
インド生まれのお友達のお話
「執着がある間は(色メガネをかけている間は)苦しみは無くならないよー。」
仏教聖典 http://www.geocities.jp/gikooh/bukkyo-seiten.html
中国生まれのお友達のお話
「メガネをはずすと何が見えるかは、言葉では言いにくいなー。まずはメガネをはずそうとすることが大事だよー。」
道教 http://www.geocities.jp/hgcbw269/mitikyou.htm
もう一人のインド生まれのお友達のお話
「僕はメガネをはずしたら、こんな風に見えるよ。」
私は何者か? http://www.h5.dion.ne.jp/~babaji/babaji.html
メガネをはずすと何が見えるのか、少しは分かってもらえたかなー?
みんなも寝ている間はメガネをはずしていると思うけど、今度から時々、起きている間もメガネをはずしてみたらどうかな。
僕がメガネのレンズに例えていたのは、意識の焦点の合わせ方だよ。
メガネの色に例えていたのは、前提とする価値体系のことだよ。
こういったものを変化させていくことは、練習すると出来るようになるから、興味があったらやってみてね。
練習方法は、お友達に詳しい話を聞いてね。
もし詳しく知りたい人がいたら、こんな本もあるよ。
解脱の真理 http://www.amazon.co.jp/dp/4760500243/
解脱の真理 完結編 http://www.amazon.co.jp/dp/4915497070/
これは一続きの2冊の本だよ。メガネをはずす方法がしっかりと書いてあるよ。
英語でもいいなら
A Course in Miracles http://www.amazon.co.jp/dp/0670869759/
が、とても詳しく書かれているよ。
みんなのお役に立てたか分からないけれど、これで僕のお話はおしまいだよ。
それじゃ、ばいばーい!