はてなキーワード: 場の空気とは
あくまで与太話と予防線を張っておいて、自重しない日記を書いてみる。
結婚出来ない男にアスペ傾向の男が多いことは、今や殆どの人が多かれ少なかれ気づいていると思う。
すなわち結婚出来ない男の特徴のうち、相手やその場の空気に応じて自分の世界を動的に変えられない融通の利かなさとか、言語を用いる以外のコミュニケーションが困難ないし不可能というのは、アスペの傾向にバッチリ合致するし。
一方、結婚出来ない女の「自分のスペックを省みず、相手にやたら細かい条件や無理な条件を求める」という部分もまた、相手との共感能力に難があり、異常にこだわりが強いアスペであれば十分ありうる話。
独断と偏見を承知で言えば、アスペ傾向の女の女子会()での立ち位置は恐らく相当微妙だろう(しかも知らぬは本人ばかりなりとか)。もしかしたら彼氏が出来ただけで「あの子でも彼氏出来るんだ・・・」と影で言われてたりして。
そして気がついたらメンバーの殆どが結婚し、翻って自分はと言えば、過去に男経験があってもうまく相手と心が通じ合わず、それが自分のコミュ力や社会性に原因があるとは考えず、逆に男が悪いということでどんどん意固地になっていくと思われる。
その成れの果てが、現実を完全に無視した、恐ろしく無意味な条件闘争と考えると、すごく納得出来てしまうのだ。
しかもそんな女が1人や2人じゃなく、わんさといるらしいという現状、潜在的アスペが多いことの証左になりやしないだろうか。
ここまで読んで他人事じゃないと思った人は、AQ(自閉症スペクトラム指数)チェッカーでもやって自己採点してみるといいだろう。
もちろんその結果だけを片手に「あたしアスペだから・・・」などと言うのは、この日記を真に受けるくらい噴飯物なのでやめるべきだが。
じゃあもうアスペ同士で結婚しちゃえよみたいな暴論を言い出す人が出てきそうだが、双方が何らかの工夫や努力をしないことには、多分お互いに「あいつのせいで不幸になった」と罵り合って別れるのがオチだろう。
以上、妄想日記でした。
2ch、ニコ動、ふたば、各種まとめサイトのコメント欄。ここで
「ハイハイ、ステマステマ 」 「ステマだな 」 と書き込んでいるのはですね
コレです。本人はステマとかどうでもいいと思ってるし、企業や広告サイトを糾弾する意図はありません。
自称善良な利用者がイライラしてる様子を感じるのが気持ちよくてしょうがないのです。彼らは
第一、ステマって既存のジャーゴンに当てはめると 「社員乙 」じゃないですか。今時社員乙とか言ってたら失笑モノですよ
ステマという呪文を吐く事で、オタクがマイナー傑作の話をしようとしたら横槍入れて冷めさせて、ヘイトを稼いで喜んでいるのです。嫌がらせ厨達は
そんなステマ=ジツにそれっぽい解説を考えてる人達はアホですよ。彼等は大多数をイラつかせて良識ある人達の円滑なコミュニケーションの足を引っ張る事でしか楽しめないのですから。
兄がリアルでもネットでもそんな感じです。本人は貧乏で語れる話題も熱中してる事柄もなく、ひたすらにコミュ障です。
ただ、いやがらせだけは楽しいようです。頭はいいのでマトモな議論をしようとせす、同じ事を何度も聞きます。わかっていて何度も質問して相手の精神を折り、真剣に話そうという気概を折りに来ます。
だから、ステマという単語を使う人は、そういう邪魔をする以外に楽しみが無い人だと思ってください。彼等は手を替え品を替え邪魔をしに来ます。彼等の弱点はお金を払わないと味わえない実物に関する知識が無い事です。ネットで拾える無料の情報が彼等の全てです。実際に体験しなければわからない、ディープな話題に彼等は太刀打ちできません。
皆さんも、ネットの嫌がらせ野郎達に負けないでください。彼等は他人と楽しめない自分と嫌がらせをする行為を正当化して日夜嫌がらせを続けます。説得は無理です。自分には他のやり方は無いと開き直っているからです。
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蛇足な追記
120ブクマもありがとうございます。すげく嬉しいです。ブクマのトラバもついったーのも全部読みました。
とりあえず、このエントリに対して「ステマ騒ぎが起きていると困る企業の連中の火消しだな」とか本気で考えてる人がいたらその様子を一回想像してください。
広報主任「課長!ステルスマーケティングがバレました!このままでは我々の宣伝のやり方がみんなに知られて仕事がやりづらくなってしまいます!」
課長「よし、では主任くん。業務時間を使って色んな匿名サイトにステマという煽りを使う人達に対するカウンターを仕掛けるんだ!」
主任「わかりました!」
・・・みたいな会社があるとでも思ってるんでしょうか。すげえな
とりあえずステマという短文煽りに戻るのですが、言葉と言うか単語には様々なパラメータが存在していると思います。
例えば、「ステマ」という単語には「訳知り顔」「見下だす位置」「噛み付く姿勢」が見られます。
で、それが的外れなベクトルを向いている時や自分達が噛み付かれていると感じた時、イラッとする人が出ます。
ステマという単語を吐く人は、そうやってイラっとした感情を匿名の場で吐き出されて空気が悪くなる事や、今まで普通にやりとりを楽しんでいた人が自分が現れた事で話題を継続する情熱が冷めていくのを楽しみにしています。
おそらく、ステマという言葉が死語化するか次のイライラワードが産まれるまではこれが続くでしょう。ゴウランガ!
前述の通りステマという言葉を吐く人は話題が完全に盛り上がりきった後では無力です。ディープな話題、実際にお金を払って楽しんだ人同士の和気藹々とした暖まった空気に入り込む事はできません。
だから、そうやって場の空気が暖まる前に、暖まらないように冷ますのです。
まだ世に出ていないものなら冷ますのは簡単だし、あまり売れていないものを有志がオススメしているような流れはステマ連呼君にとっては格好の暴れ場所でしょう。
決して、彼らのステマ発言に耳を貸してはいけません。何故なら、彼らは長文の中にステマという言葉を挟んで具体的に何かを主張したりはしません。
ただ「ステマ乙」という4文字をポストして、その後はひたすら場の空気が盛り上がらないように混ぜっ返します。同じ質問を繰り返し、話が先に進まないようにします。
「足を引っ張る事だけは一流な人」というのが、彼ら短い言葉で煽る人達です。自身に何も主張したい事やのめり込める物が無いのです。
ムキになって否定しても、帰ってくる言葉は「何か言ってるw」です。
ただ、そういう人達も「企業の広報担当がインターネットでステマをしてるんだ!社員の書き込みなんかに騙されないぞ!」と本気で主張している人よりはマシだと思います。
自分でも矛盾しているとは思うのですが、常に「釣りだろ?」「釣り乙」「騙されないぞ!」という姿勢でネットを見るより、とりあえず書き込まれている事は全部真実なんだろうなーって思いながらネットやった方が楽しいと、俺は思います。
皆様も良いインターネッツを。Wasshoi!
正月に久々に会う親戚に挨拶がわりに学業や職業を聞かれてニートが答えに詰まるというアレである。
いっそ自室に籠城して小便すらペットボトルで済ませるぞとかいう笑い話まである。
まあ、あくまで笑い話なんだが。
諸兄姉にも経験がおありかもしれない。
挨拶がわりに学業や職業を聞かれて答えると、場の空気を冷却してしまう、あの感じ。
大学入学の年には「うちの家系からそんな天才が出るなんてホンマに誰に似たんかしら」と言われ
4年間あるいは6年間たっぷり天才(笑)呼ばわりされて歯がゆい思いをし
就活の年には「そんな大企業へ決まらはったん!?超一流やないの~やっぱりええ大学は違うんやね」と大げさに祝われ
勤め始めてからは「天下の○○の社員さんと貧乏人のウチが同じ鍋つついとるなんておかしいなァw」と意味不明なジョークを言われる。
そしてお決まりのように、卑屈な笑いを浮かべて、しなくていいのにわざわざ対比して我が子をこき下ろす親戚。
「うちのバカなんてカス高校のくせにロクに通いもせんと・・あいついっぺんタカシ君の爪の垢飲ましたってくれ」
「タカシ君が立派にお勤めしとるいうのにあーの馬鹿息子はまーだフラフラしよってからにしょーもない・・」
そしてタカシ君は居心地の悪い謙遜を強いられ、
ついでにクズでカスのしょーもない従兄弟をやんわりと擁護させられるのである。
「いやぁ僕なんてガリ勉なだけがとりえで・・・カズオ君は昔から活発な人でしたから」
とかなんとか言って。
心にもない賞賛と心にもない謙遜。
いい加減めんどくさいのでやめたい。
「そうですね僕は着々と努力してきましたから、今のところお陰様で目標通り人生が進んでますね。
でもこれからどうなるかはわかりませんけどね、このご時世だれだって先行きはわからないものですもんね。
カズオ君もカズオ君なりの考えがあるんでしょうし、彼の人生ですから、フリーターもいいんじゃないですか、ある意味では。
今の時代はフリーターだからといって世間様に恥ずかしいってことはないでしょうし。」
とか言ってみたい。
向こうだって本当に思ってること言えばいいのに。
15年以上前の話、小学校低学年だった頃、クラスの女子にイジメられていた。キモい、ウザい、死ねとイジメられていた。
暴力的なイジメはなかった。常に精神的な言葉や態度に依るイジメだった。
今思えば、肉体的な暴力的なイジメだったら、反撃できたと思う。言葉によるイジメには反撃出来なかった。『女の子に暴力を奮ってはいけない』という道徳律に縛られていた。
女子に対する言葉による反撃は何の意味もなかった。一対多では端から勝ち目がなかった。
学校ではずっとイジメられていた。小中とずっと、女子にイジメられていたから、いつの間にか自分は『そういう立場に置かれている存在』だと思い込んでしまった。
本当は思い込まなくてもよかった。塾では普通に皆と、和気藹々と会話できていた。でも、学校の場の空気が自分をイジメられっ子の立場に押し込んでいた。
イジメられ続けたまま、小中学生時代が終わった。小6の時に自殺しようと思ったけど、出来なかった。今思えば此処で終わらせておけば楽だった。
結局、誰も助けてくれなかった。教師は事なかれ主義から、明らかに俺のことを見て見ぬふりをしていた。親はイジメられている俺を不甲斐ないと怒鳴るような人間だった。母親は『男なのにそんなだと馬鹿にされるよ』が口癖だった。
高校に入り、ネットなどを見始め、身近にある友人関係や家庭は破綻していたので、身近でない、遠方にある社会的な話題に触れることが多くなった。
思えばコレが間違いだった。ただ、自分にはどうしようもなかったと思う。身近な人間が誰も助けてくれなかったし、悪意を向けてくるのみだったから。政治社会的な話題を用いて、自分を慰撫するしか無かった。つまり、たとえば悲惨な家庭環境にある人間が、「虐待は悪」という社会的メッセージを読んで、救われるという流れだ。その頃の自分は、無意識に「女子からのイジメ」を慰撫できる社会的メッセージを探していたのだと思う。
ネットで、自分と同じ立場の人間が居ないか、イジメの話題で調べるようになった。結果として、吸引されるように、喪板などを見始めた。
『そういう立場に置かれている存在』の女性からのイジメ経験談が書きこまれていて、似たような人がいることを知って、多少救われた気がする。
『そういう立場に置かれている存在』に名前が付けられていたことを知った。『非モテ』だった。
そのうち、「はてな」も見るようになった。「はてな」で知ったことは、ミソジニーなどの単語や、ジェンダー論や非モテ論で、男性は強者であり、社会的に自省するべきと規定される存在だと言うことだった。
これには、イラついた。
だが、自分と同じような立場にある『そういう立場に置かれている存在』を名指しして、「政治的に正しい人達」がその内面を断罪していた。女性に対する恨みなんて無かった。ただイジメから来る惨めさから、後退しているだけなのに、散弾銃でミソジニー、悪、などと指摘してくる正義の人達が居た。全くの他人に対する指摘だとはわかってるけど、散弾銃の弾が自分にも当たってて痛かった。
どこか自分が悪い気がしてきた。でも自分は悪く無いと思っていた。自分はどう考えても強者ではなかった。イジメられていた弱者だった。でも自分の内面が断罪されているように思えた。本当は誰かに慰撫して欲しかった。身近な人間でなくても、単なる社会的メッセージでもよかった。誰もしてくれなかった。『キモイ奴は一人で死ねば』だとか『男性は強者で自省すべき』だとかそんな言葉しか無かった。
はっきり言って、『弱者』『少数派』と認定されて社会的に慰撫して貰える『社会的弱者』が羨ましかった。自分はマイノリティにすらなれない、イレギュラーだった。
このような話題や、議論を見ている内に、悪性サイクルに取り込まれた。
こんなことはもうやめる。馬鹿だった。
自分はただ、イジメられている時に、助けて欲しかっただけだった。
身近な人間は誰も助けてくれなかった。遠方から発せられる、社会的なメッセージは、男性は強者であり悪いと断罪していた。
非モテだとか、弱者男性だとか、ジェンダー論だとか、本当は、全てどうでもよかった。
そもそも『モテ』や『非モテ』には一切の興味がなかったし、恋愛はどうでもよかった。自分は草食系どころか霞食系だった。社会構造などもどうでもよかった。ジェンダーもどうでもよかった。政治思想的に男性を断罪する人達が指摘する『内面』は、自分には一切関係のないものだった。他人が勝手に内面にありもしないものを見出して来たから、もしかしたから自分にもあるのかもしれないと思い込んでしまっただけだった。女性に対する恨みなんて存在しなかった。身近な人間が誰も助けてくれなかったから、政治思想に何か縋れるものがあるのかもしれないと思い込んでしまった。自分は馬鹿だった。
女子からのイジメによって発生した惨めさが、子供の頃に解消されず、いつしか政治思想的な話題に吸引されて、悪性サイクルに取り込まれていたに過ぎなかった。
本当にばかみたいな話だ。
こんなことは、2011年ですべて終わりにする。
朝の連ドラ見てたら戦争中に猛威を振るったとされる「欲しがりません勝つまでは」おばちゃんが出てた。
主人公は有能な商売人で、当時にしては珍しく女性でも活躍していたのだけれど、
「お国のため」とスローガンを唱えることと、群れることしか能がなさそうなおばちゃんに囲まれて涙目になっていた。
イメージとしてはこんな感じ http://dic.pixiv.net/a/%E8%88%B9%E5%A0%80%E3%83%91%E3%83%AD
褒め殺しじゃなく、ガチのいじめなのでこっちのほうが近いかも http://dic.pixiv.net/a/%E5%A7%89DVD
この手のおばちゃんは、基本的に何も考えてない。
今まで交渉とか根回しとかして何か物事を動かしてきた経験もないので、猪突猛進しかできない。
今までは能力がなく、努力もしなかったから、発言権も何もなかった。
そもそも、問題意識も大して持ってないから、別に我慢してるというわけでもなかっただろう。分相応の生活を送っていた。
ところが、こういう人達が、お国の方から自分に不相応な地位と役割を与えられた。
国からしたら阿呆ほど使いやすいから、手足としておばちゃんたちを選ぶのは理にかなっている。
そうすると、自分たちの意見や要求が受け入れられるようになった。みんなのバックにいる憲兵さんは怖いからな。
水戸黄門の印籠を与えられた。悪魔のパスポートを与えられた。自分が権力者であり正義だと勘違いするようになってもおかしくない。
自分にそんな力があるわけがない、おかしいなどと疑う知性を持つだけの教育を受けていなかったからだ。
おばちゃんたちは自分たちが手に入れた(つもりの)力に舞い上がった。
せっかく力を手に入れても、お国の人の言うとおりにロボットのように動く以外は、
せいぜい嫉妬に駆られて気に入らないやつを叩きのめすくらいしかできることがない。
だから、おばちゃんたちは、まっさきに「恵まれている女性」のところに嫌がらせをしにいった。
で、「お国のため」「お国のため」と言いながら、日頃の鬱憤を主人公にぶつけてストレス解消するのでした。
自分に能力があるわけでもなんでもないのに、何か大きな事件が起きた時などに、扇動者の尻馬に乗って、何も考えずにスローガンを振りまくバカ。
お前らがやってるのはただの「報われない自分の復讐」とか「自分より偉い人への嫉妬」とか「ストレス解消」に過ぎないのに、
原発って言葉があるだけで、偉くなったと勘違いして、自分の醜い内面をだだ漏れにしちゃう人。
あれ見てるこっちが恥ずかしいんですけど、自分を客観視する知性があるわけないので、何言っても無駄なんだろうな。
こういう人間が、社会の底辺をさまよっているのはある種必然であって、それを崩すと悲劇しか起きないと思う。
幸い、反原発に関しては、国が煽ったわけじゃないので、そこまでひどい事にならなかったけれど、
国がその気になって煽りを入れたら、バカな主婦とかが簡単に引っかかって、みんなめちゃくちゃにするんだろうなぁ。
で、いざ事が終わったあとで、自分の頭では何一つ考えていなかったおばちゃんたちは被害者ヅラを始めるわけだ。
「尻馬に乗る」のは立派な選択であり、そこには責任があるわけだけれど、責任なんて概念を理解できるほど知性ないだろ。
生まれてから妊娠→出産以外で責任を一度もとらないで生きてる主婦とかいっぱいいるしな。
いじめると周りから承認を得られる。そのことで頭がいっぱいになって、いじめが自分のアイデンティティになっちゃったんだろう。
自制も他人への想像を働かす知性も無ければ、あとはエスカレートするだけだわなぁ。
事が終わったあとで「なんでこんなことしたんだ」って聞かれても「自分でもよくわからない」とか言いそうだ。
空気が読めすぎて、周りからの悪意やら要望を敏感に察して、そのまま実行しただけなんだろうし。
善悪を判断できるほど頭がよい人間だったとはとても思えないし。
学校で何を教えてもいいけれど、最低限責任の概念くらいは理解させたほうがいいと思う。それが最低限の鎖になる。
善悪はその後、美醜なんてのは最後でいい。段階踏まないと美しくなるなんて無理ですわ。
頭空っぽのおばちゃんが、アラフォービューティーとか言ってるのをテレビで見るとお茶吹きそうになる。
いまから考えてもD/V/Dが流行ったってのがすごい興味深いな。
意味のないスローガンでも、バカが力強く連呼し続けると、まれにその場の空気がなんとなく個人を屈服させて、思い通りにしてしまう。
横だけど、今話題のハックルさんネタで盛り上がってたのでこの記事もその観点で読んだ。
http://anond.hatelabo.jp/20111021103234
についてた批判をまとめると、そのバリエーションの乏しさに驚く。
・本に書いてることとなんも変わらない(キリッ
・面接(=表紙アピール)が強いだけで、実際の中身はたいしたことないんだろ。
・こんなの一般常識じゃん。パッケージだけ変えてさも新しいことのように人を騙してブクマを集めるなんて乞食みたいですね
・はいはい就活ネタと非モテネタと学歴ネタはブクマがたくさん稼げてよかったでちゅねー。俺には無理だわー。そんな浅ましいことできないわー。
・カ、勘違いしないでよね。このネタ元の人はすごいかも知れないけど、それをまとめてるだけのお前はただの雑魚で全然偉くないんだからね。
こんだけ。俺はもっと違う批判をしてみせるぜっていう人がいたらどうぞどうぞ。
これだけ見ると、みごとにもしドラ批判と全く同じ。
というか、これだけしかバリエーションがないことを考えると、何事においても、こういうパターンにハマるんだろうと思う。
去年くらいに、はてなの重鎮まなめ氏が、はてブは読者の条件反射的な心をとりあげる装置として面白いって言ってたけど、
こんだけしかバリエーションないんだったら、はてブって対して役に立たないんじゃないの?
どうしてこうなるのか考えてみたけれど、
スキルを磨かないで感情のまま条件反射的にやる批判ってのは、たいしてバリエーションがないんのだと思われる。
一方的に批判する側って、基本的に自分が勝ってると思ってるから自分の腕前を磨かない。
で、自分の批判が通じないとか、自分が凹ませてやった奴が平気な顔をして同じようなことを書いてると逆上して人格批判を始める。
で、人格批判すら通用しないとなると、「俺はこいつと遊んでやってるんだ」っていって自分を納得させるわけか。
まぁ中にはそういうのを一切合切含んだ上でお約束として楽しんでいる人もいるみたいだけど、そういう遊びがない人間とかもいてまじで地獄。
一応マナ飯およびアルファブックマーカーのためにはてブについてフォローもしておく。
ただ、上にまとめたような「軽い」批判コメを残してる奴は、新参者が多いようで、
ひとりずつ確認してみるとブクマ数が1000以下かつ「お気に入られ」がゼロのやつなんだよな。
一方、古参組の奴は、こういう低レベルの奴らとくらべて少し情報力が多くて「重い」。さらに自分の隙を減らす工夫が見られる。
新参はまだそこら辺の機微がわかっておらず、ただ場の空気に合わせて上っ面だけなぞったコメントを書いてる感じがある。
こういう100文字で、しかも人を批判するだけの簡単なお仕事でさえ、露骨に差が出るのが面白い。
また、はてブには役に立つ面がいろいろある。
記事に関する参考リンクとか貼ってくれる人がいたり、長文でわかりにくい文章の概要を総括してくれる人がいるのがまずありがたい。
また記事の書き手にとっては、ブコメそのものよりも、ある程度ブコメを稼ぐと、自分の書いた記事と似たようなことを書いている記事をリコメンドしてくれるという機能がありがたい。
あと、なんだかんだいってブコメを稼ぐことによって本来私の記事なんか読まないであろう人も読んでくれることがあるという利点は捨てがたい
(はてブ経由で来る読者の8割くらいはクズだけど、たまに良いコメントとか書いてくれる人がいるんだよね。)
こういうのは今のところはてなやってないと味わえない醍醐味だと思ってるので、なんだかんだいって総合するとはてなもはてブも好きだ。あってほしい。
ただし、一部の低レベルなバカに感情のはけ口を与えてる点については、単純に問題ありだということが言いたかった。問題点は問題点として指摘しないとなー。
まとめ
ダウンタウンというコンビについて、「天才・松本を補佐する凡才・浜田」という間違った認識の人間がとても多い。ゆとり以下のガキどもに至っては、浜田に対して、クソつまらん芸人だという認識しか持っていないと思われる。
たしかに近年、クソ番組でMCをただこなしているときの浜田は、いくつか落とすパターンこそ持ってはいるが、さんまや、中堅のくりぃむ上田等に比べると、明らかにパターンの数が少ない上に、相手の話を膨らませる能力にも乏しくはっきりいって面白くない。
浜田がその実力を遺憾なく発揮し芸人として、テレビタレントとして革命的な存在だったのは、売れ始めてから成り上がるまでの時期だ。
テレビ画面に現れた、まだ若さの残る浜田は、競演した大御所や先輩タレントに対して、問答無用でツッコんでは、時にどついてみせた。
たったこれだけである。
だが、これがとんでもなく衝撃的だったのだ。
それに先んじて、とんねるずが お笑いとアイドル・ミュージシャンとの関係性を変化させていた。当時、芸人は歌手より地位の低い物と見なされており、「公の場」でアイドルをバカにしたり、ミュージシャンに無礼な振る舞いをする芸人は、ほぼ存在しなかった。たけし(軍団)ですら、公の場ではその関係性を守っていたのだ。
だが、とんねるずは体育会系のルールそのままに、年上に対してはそれなりの礼節を持って振る舞ったが、年下のアイドルやミュージシャンに対して、平気でタメ口をきいたり、時にバカにしたりして笑いに変えた。そうして芸能界の暗黙の掟を一変させたのである。
浜田の革新性は、こういった土台があったからこそという側面はある。それでも、芸能界において先輩後輩の序列は絶対であり、そこを侵す者は現れなかったのだ。浜田を除いて。
そのことに気づいてから、俺はテレビで浜田を追いかけるようになった。相手が誰であろうとも、己の信念と姿勢を曲げることなく容赦のないツッコミを浴びせる浜田は間違いなく『パンク』な存在であった。そして、上下関係抜きの辛辣なツッコミを浴びせても、浜田は決して場の空気を乱すことがなかった。それ故に、つっこまれた人間は、浜田に怒りの感情を示すことがなかった。松本の天才性の陰に隠れてはいたが、この事実は、浜田もまた紛れもなく天才であったと言うことの証左である。
だが、いつの頃からだろうか。おそらく、ダウンタウンが多くの冠番組を持ち始めてからのことだが、主に若い世代から、浜田に叩かれることを喜ぶような連中が現れた。こうなると、もはや猪木のビンタと変わらない。ツッコミの鋭さそのものは変わらずとも、その意味合いは、全く別のものになっていった。
わたしはそれを否定する。松本が天才であったのは間違いないが、浜田という斬り込み隊長の存在がなければ、もっとマニアックな存在としてしか、世に出ることはなかったと思われる。若かりし頃の浜田には、とんねるずと同じように、予定調和をぶち壊し、新しい地平を切り開く革命家としてのパワーが宿っていたのだ。それは、ともすれば狂気的とも言えるものであった。
浜田が切り開いた新しい地平の上で、松本がその才能を遺憾なく発揮した結果として、日本のテレビお笑い史上最高のコンビになった、というのが俺のダウンタウンに対する短評である。
今のテレビお笑い界、特に若い世代に、登場するたび「今日は何をやらかすんだろう?」と、わくわくさせてくれる存在がいるだろうか? 浜田もとんねるずも年をとった。丸くなってしまった。たとえ懐古厨と言われようとも、俺をテレビに夢中にさせた、かつてのダウンタウンととんねるずほどの存在は、テレビに誰一人見あたらない。強いて言うなら大泉洋であったり、ブラックマヨネーズであったりといったところだが、大泉は役者であるし、ブラマヨは真の実力(フリートークスキル)を発揮できる場を与えられないまま年を重ねている。
寂しいことだ。
それはともかく、二十人がばらばらに頼んだら20分かかるって?
仮に本当にそうなったら、そりゃ飲食店として致命的だろ。
さらに踏み込んで、飲食店側に欠点が無い状態で、20分遅れる可能性を検討してみようか。
そりゃ、「場の空気」や「効率」を重視した君の主張だと、仕切る奴の仕切りが悪いだけだろ。
どうして理解出来ないものごとを排他するように動くんだろう。そんなに気に入らないなら無視してしまえばいいのに。
やっぱりあれかな、場の空気感とか、一体感とかそういったことから得られる一種の興奮が心地いいのかもしれないなあ。
赤信号をみんなで渡るって行為は、それが何かしらの抵抗を意味することであり、同時に大きなうねりとか攻撃性というものへの帰属を促してくれる。
自分の外側も内側も同じ方向性に偏って、どんどんどんどん加速していくと、たぶんすごく楽しくて満ち溢れた気分になれるんだろう。
アドレナリンが分泌されて、脳が冴え渡って。そことわたしとが同調してしまって無限の広がりを持つようになるのだろう。
それらの主成分はおおよそ喜怒哀楽であり、感情的になることによって意図されたパニック状態に突き進むのだ、きっと。
わたしなんて主観はとっても儚いもので、いとも容易くわたしの中にある、わたしの外にある感情に、衝撃に、絶えず揺り動かされてしまっている。
フィードバックは間断なく行われており、なるほどこのような視点で見る限り、わたしというもの、ないしは人格というものがとても精巧に組み上げられたソフトのように感じられる。
そのソフトの動かすために必要なハードこそ肉体であり、人類はいまその主要な部品であるものどもを子細にいたるまで検分創成しようと試みているわけだ。
だから人間でない人間は、いつの日か創り出すことができるのかもしれない。神様じゃなくても、大丈夫なのかもしれない。
遺伝子って何なんだろう。どうしてあんな四つの塩基に支縛られなくちゃ駄目なんだろう。
先天的に結果が生じている問題に原因を求めるなんて愚の骨頂だけど、どうして生命は子孫を残そうとしているのか、次世代に種の存在を繋げようとしているのか解せなくなる時がある。
どうして進化なんてしたんだろう。どうして生命は死ななければならないんだろう。最初から死なんていう絶対的な区切りがなかったよかったのに。
そうすれば今にいたるまでふよふよとした蛋白質の塊のまま海中を漂っていたはずなのに。どうして死なんてものが存在しているんだろう。どうしてわたしは死ななければならないのだろう。
いや、わたしは死なないのではないだろうか。この世の中にあまた存在しているわたしというソフトウェアには、死というものから解放されているのではないか。
だって、ソフトウェアは途切れることしかしないから。強制的にシャットダウンすることしか無いから。それが死というものなのらしいけど、いまいちパッとしない。
死ってなんだ。そして気がついたけど、肉体って本当にハードウェアと換地して考えていいのだろうか。筐体は一体何と互換されるべきなんだろう。筐体こそが肉体を指しているんじゃないのかな。
ふむ。筐体が血肉で、遺伝子の並びがハードウェアで、わたしというものがソフトウェアなんだろう。
でも、そうだとするならば、人間ではない人間の血肉は後天的に生まれたことになり、何よりも先ずハードが揃っていなければならないということになる。
それが人間だ、機械とは違うのだというのならば、そのとおりだと首肯せざるを得ない。
>無内容で相手するのが面倒な、投石みたいな発言を繰り返しつけていく
>論点で反論をつけるんじゃなく
>なんとなく場の空気を操作して「こっちが勝った」みたいにしたいというさ
双方腰巾着が現れてそんな感じのリプばっかして話が腐る。
正しく理解して正しく批判しよう。
うつみ宮土理の発言を叩くtogetterを見て、動画も確認してみた。
発言内容は以下のとおり
うつみ「もう皆さんの話聞いてるとホンットに立派な事仰ってるんですけど、こういうお話を聞いてると法案がどうのこうのって言う事聞いてるだけでなんなんだと、本当に政治不信が拡がらざるを得ないんですよね。皆さんの中でお偉い政治家さんの中で、背広を脱いでネクタイを取って避難所に行ってその避難している皆さんと一緒に一週間でも一ヶ月でも生活した議員さん、リーダーの方、いらっしゃるんですか?」
うつみ「それはやってらっしゃるけどもっと他の方、いいんじゃないですか?だからやらないからわからないんですよ!」 小野寺議員「うちは水道来なかったんで1ヶ月毎日井戸から水くんで…」 うつみ「やってないから皆さんの声がどんな生活、どういう苦しさがあるかってのがわからないからですよ!」
その後も他人の発言に割りこみながらもあーだこーだわめいてますがあとは動画で確認して下さい。気分が悪くなっても責任は取らない。
http://www.youtube.com/watch?v=21MCPDJcWMo
あまりに分かりやすい「馬鹿」である。批判したくなる気持ちはよくわかる。
しかし馬鹿を相手にしているせいか、叩いている方も8割方脊髄反射みたいなやり方で、どうもうつみ宮土理を笑えない状況である。
せっかく批判するなら、ちゃんとした理屈を持って批判しないと、同じことが繰り返されると思うのだが。
というわけで整理してみる。
主張の根幹になる要素は以下の4つです。
この反応は違うと思う。
被災地の人であろうがなかろうが言うべきことは言っても良い。
もちろん気遣いは必要だが、それによって批判がタブーとなるのは論外。
これわかってない人が多いのはちょっと辟易する。
一般論としては正しい。ただし今回の発言に対するクリティカルな批判にならない。うつみ宮土理といえばバカ主婦の代表例で、こうやってバカな主婦を代表することがお仕事なので、文句をいうならうつみにではなくこういう人をスタジオにいれている人に言うべき。とういうかですね、うつみ宮土理の無知さ馬鹿さ空気よめなさ加減に10年来ずっとイラついてた人間としては、お前ら今さらなにいってんだという気持ちはありますね。 彼女はまともに相手にしようとするとタモリや紳助でさえ匙をなげるキャラだということを前提知識として持って欲しい。明石家さんまが出てない番組ではいらない子を越えて存在が有害なレベルだと思いますよ。彼以外にうつみ宮土理をまともに使いこなせる司会を見たことがない。
っていうか、テレビってホントに主婦を馬鹿にしてるよなぁ。一般の主婦の皆さんは割と賢いよ?多分。 うつみさんがどうしてこんなにバカなのかというと、単に無知であることに加えて、周りがその無知を歓迎し、助長するからであって、故事成語のとおり馬鹿=<無知×権力>で出来てる。一般家庭においてはたとえ主婦が無知であってもちゃんとたしなめられるからこんなにバカな人はそうそう居ないと思うんだ。どっちかというとこのレベルの馬鹿に到達するのは男側だよ。よく知らないけど、経験則上、旦那がうつみ宮土理よりもひとまわりバカでない限りなかなかこういう馬鹿な主婦というのは生じない。 主婦が旦那より無知ではあっても馬鹿であるという事例は寡聞にして聞いたことがないのですよ。
○ごてんさんが冷静に説明しようとしてるのにわーわー騒いで見苦しかった
○とりあえず人の話を最後まで聞きなよ
そう、まずこれ。意見する内容に関係なく、自分の意見を正しいと思い込んで他人の発言を遮ったりしてまだワーワー喚いてはいけない。
これは彼女のバカな主婦代表という役割を考慮してもなお許容すべきでない。この彼女の暴走を止められるキャストが居ないということがこの番組の問題。うつみさんは確かに馬鹿だが、彼女をたしなめられる人が入ればここまで馬鹿なことをわめき散らさない。一時期のテリー伊藤同様、突出した馬鹿が突出した権限を持っているのは駄目。田嶋陽子は単体で出すには危険だけれど、たかじん勢と一緒に出せばアクセントに使えるのと同様、プロデューサーにはちゃんとおいしい料理が出来るようにキャスティングを考えていただきたい。
○果たしやすいように立法という立場から応援するのが本来の仕事です
◎政治家の仕事は被災地で暮らすことじゃないだろ。やれるように素早く仕組みを整える事だよ。最終的には数と権限をもつ与党がやる気にならなきゃ出来ないんだ
で一番大事な指摘はコレ。裏返すと
×××そう言っているうつみさん本人は向こうに行ったのか?言ってもない人がそんな偉そうに意見を言えるのか?
×××お前こそ被災地で生活してみろ
こういう発言が一番ダメだと思う。これはみんなが不幸になる。
うつみさんは「被災者のためになることをやって欲しい」と言ったときに、あまりにも政治に対して無知なので「そのためには被災地に行って被災地の状況を確認すること」を解決策に持ってきてしまった。 ここで「それは政治家の仕事ではない」と言って受け入れられるだけの政治に対する理解がないこと、これこそがうつみさんの発言に対する最大の問題。
・・・っていうか、同じ場に宮崎哲弥いたのに何やってんの?ちゃんと仕事しろ、と。この人司会がうまく拾ったり流してくれる番組じゃないとホントヘタレてるなぁ。上沼恵美子が蛇蝎のごとく忌み嫌っているというのがよくわかります。
国会議員は国会で議会政治(立法)を行うのがメインの仕事。当然、震災復興関連法案についても審議する立場。そんな中で自身の地盤たる被災地に赴き、復興活動にも尽力し、現場の声をよく理解している訳である。うつみのような無知なコメンテーターに批判される筋合はない
政治家であれば誰もがこう思うだろう。そしてこれが道理としては正しい。しかし、もし政治家がこう発言しようものなら「(マスコミに対して)態度が悪い」「国民(の代弁者たる我らがマスコミ)を馬鹿にしている」という印象操作バリバリの報道でこてんぱんにやられてしまう。 漢字の問題から何から、マスコミの政治家批判の最大の問題は政治家の仕事の核が何かがわかってないこと。彼ら自身が奢りたかぶって最高権力者であるかのごとく振舞っていることだ。 そのマスコミに洗脳され、政治家に意味のない要求をしていいことをしたと思い込んでいるうつみ宮土理。そしてそれを誰も止めないスタジオ。すべてのものが合わさってこそのグロテスクブリなのであって、うつみ宮土理一人を責めてもどうにもらない。
かくいう私も、じゃあマスコミ批判だけでいいのかというとそうではないのだが、その話をすると長くなるのでこのへんで。
twitterでのコメントに大変興味深い発言があったので捕捉。
今回はうつみ側をメインで見ましたが、うつみ宮土理さんを短絡的に叩いているように見えた人々にも事情があるようです。
テレビの中だけではなく、外側にもお約束の空気が流れているのがわかります。
正直私にはよく理解できない心理だけれども、このあたりも理解しないといけないかなーと思ってます。
端々のコメントでおわかりかと思いますけれど、私は基本的にバラエティ番組好きです。
若手お笑い芸人がやってる下品であったりクイズやら二流のアクションでごまかすクソ番組を除いては結構なんでもアリです。
バラエティをばかにする人多いけど、見るべきところ色いろあると思ってます。
だから、単にマスコミとかバラエテイをばかにするという観点には組みしたくありません。
ただ、そういう私から見ても、うつみ宮土理はいらないと思うんだ。
この人しょっちゅう場の空気を悪くして、お茶の間にもそれが伝わる。なのに本人自覚がない。
基本「笑われる」キャラだってことを自覚して欲しい。可愛げのないババアの天然ボケとか誰得。
年いってるひとが自分の役割もわきまえずに素のキャラで好き勝手に振舞えるという構図がものすごく不愉快です。
私は老害って言葉を安易に使うのは嫌いなんですが、この人に関しては本人だけじゃなくその他もろもろの要素を含めて老害と言っても良いと思う。ホビロン
http://maname.txt-nifty.com/blog/2011/05/hitei1.html
いいこと書いてる。はてブいいよね。私も「いいね!」とか「はてなスター」と違って否定されウルってところが気に入ってる。
最近はtwitterと重なったりのっとられつつあるけど、今だにはてブ愛用してるのはこのあたり。
(twitterはTLの人を気にして否定を押さえ気味にする人とかいるからちょっと弱い。一覧性低いし)
読者が否定的に感じても、いちいちコメント欄つかったりトラバしないと否定できないってなると
そういう人はただ見に来てくれなくなっちゃって、残るのが自分の記事に共感してくれるひとだけになってしまう。
快いかもしれないけれども、それだけだとあんまり書く意味を感じない。
自分が記事を書くのはやっぱり自分の考えたテーマに関する他の人の考えを知りたいから。
私のような理由で記事を書人なら良い意見だけを望むのもおかしな話だと思う。
PVが欲しいとか、同意獲得ゲームがやりたいなら、mixiでやればいいんじゃないかな。
それぞれ自分が望むものに最適な場を探してやるのがいいと思う。私ははてなで書くのすきよ。
その上で、まぁ否定的な意見が出し易く、肯定的な意見を書きにくい枠でもあるのは確か。
特にブクマ数が増えると、何も考えてない奴がその場の空気に従って陣とりゲームをやりだすのはつまんない。
できるだけ「その人」の感想が聞きたいなと思ってるので、各自が自分で考えるよう促す仕組みにして欲しい。
極論すれば書いた人しかコメント見れない、みたいな形。(他のものが犠牲になりすぎるから私もここまでやれとはいわないけど)
ブクマコメにスター付けられるというのは「安易すぎる」「自分で考えなくて良い」になっちゃうのであんまり好きじゃない。
それがビジネスとかサービスとしてだめなのか良いかはわからないけど、私個人としては嫌だと思う方向に強化されていってるのでとても悲しい。
僕は異性愛者なのだが、それでも時々Google画像検索で『ガチホモ ブリーフ モッコリ』などと書き込んでは雄臭いモッコリブリーフ画像を見たり、ついつい『あー、チンポしゃぶりたい』などと発言してしまう。ノンケなのに。
同性愛者には申し訳ないのだが、同性愛はやはり笑いのネタになってしまう。どうしても。しかもかなり気軽に、その場の空気をギャグ化することが出来てしまう。だから、仕事などで体が緊張していたり、つらいことを忘れたいときには、ガチホモ的な事物を見たり発したりして、自分の空気を軟化させたいのだと思う。
つらいことが多すぎるから、ついついガチホモネタに頼ってしまう。まるで麻薬のようだ。今日もニコニコで『Hattendo』タグを検索している。動画を探しているときは、やはりドキドキワクワクする。欲情はしないけど。だから僕は、ガチホモさんたちにありがとうといいたい。ありがとう、ガチホモさんも僕が生きている理由の一つなのかもしれない。
同窓会は「受け入れられていた」人間が参加するイベントだし、そりゃそうだ。
儀礼的に開催通知はくるだろうけど。
当時なかった?
「え、なんでお前(こいつ)がいるの」みたいな反応。
歳をとった分、場の空気を壊さないよう過去のことをなかったかのように普通に接してくるだろうけどね。
何かしら成功を収めて見返してやるため、とか場の空気を壊すとか、何らかの形での復讐目的で乗り込む奴がいるけど、今度は「空気を読めない人間」「成長のない人間」「分別のない社会不適合者」の烙印を押されるだけ。
そもそもお呼びでないってことさ。
関わりたくない人間に無理して関わる必要なんてないんだし。