はてなキーワード: 下町とは
『東京中央区の出生率トップ「結婚も出産も豊かな貴族夫婦だけが享受できる特権的行為」となったのか?』
https://news.yahoo.co.jp/byline/arakawakazuhisa/20230124-00334087
何故か「東京の出生率は低い」という前提で語られる事が多いけれど
現実はこれだよね。
都会の女の方が産んでいる。
「さて、その東京都の23区内でもっとも合計特殊出生率の高い区はどこだと思うだろうか?
2021年は1.37で、23区中のトップであるばかりか、市部を含んだ東京全体でもトップである(人口の少ない町村島部を除く)。しかも、2020年は1.43であり、2015-2018年はずっと1.42-1.44という高い水準をキープしている。
ベスト3は、中央区、港区、千代田区となっている。別の見方をすれば、これら3区は、平均所得の高い区でもある。東京においては、所得が高くなければ子どもを持てない状況なのだろうか。
一方で、すでに出生率1.0を切っている区が、6つある。新宿区、豊島区など巨大繁華街をかかえる場所での低出生率はわかるが、杉並区や板橋区など住宅地の多いイメージの区が低出生率になっているところが気になる。特に板橋区などは、かつては団地などがあり、家族の多く住む場所だったのではなかったろうか。」
「出生率1位の中央区だが、当然過去はむしろ下位の方に位置していた。2006年過ぎから急上昇し、ゴボウ抜きでトップとなった。これは何か特別な少子化対策をしたからではなく、単純に子育て世代の転入が多いためである。
実際、中央区の平均年齢は若い。なぜなら、0-9歳の子どもの人口が多いからだ。これらは東京のタワマン需要と密接に関係している。タワマンに住める高所得パワーカップルが移住し子どもを産んでいるのだ。
注目すべきは、23区のほとんどがこの5年間出生率を落としているのに、中央区だけが高い値をキープしている点である。
一方で、かつてベスト3の常連だった、江戸川区、足立区、葛飾区といった下町3区の出生率が2015年ごろをピークにここ5年間で急激に減少に転じている。
中央区や港区とは対照的に、これらの区は平均所得も低く、家賃相場や住宅購入の相場も安いところだ。つまり、所得の低い人達の出生率が下がっているという見方もできる。」
「昭和ひとけた生まれというのは、育ち盛りを大戦争の最中に迎えているから、本当にしょうがない。思想は鬼畜米英だし、食べものはない。特に東京の下町などは何もないといっていいくらいで、主食はサツマイモ、菜はカボチャ」だった。
「渥美もこうした環境の下町で育ったから、死んでもサツマイモは食いたくないクチだったろう」あれれっ、いきなりこれではだめかなと思った。それはそれとして渥美関係の本はどれも面白い。気を取り直して片っ端から見ていくと、一冊だけだったが探していたものが出てきた。役者で渥美清の付人でもあった篠原靖治の「生きてんの精いっぱい 渥美清」(主婦と生活社、1997)で、こうあった。
「地方へロケに行っても、食事はごく質素なものでした。朝は旅館やホテルの中の食堂での和食、昼はやはり日本そばかラーメン、またはふかしいも。夜もご馳走というよりはおいもの煮っころがしのような物を何品か選んで食べます」 「宿の人と仲良くなってくると、さつまいもをふかしてもらったりもします。渥美さんはこれが大好物で、ロケ現場にまで持って行くのです」
長年、「シノ、シノ」と可愛がられてきた人の証言だけに重みがある。渥美清はいも嫌いの多い世代の一人だが、他の人たちとは違っていた。なぜか、それが本当に好きだったようだ。
https://togetter.com/li/2178921
これの影響で律令国名調べてたけど
時代 | 西暦 | 地名の変遷 | 備考 |
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飛鳥時代 | 704年? | 律令国として尾張国が誕生。愛知郡(現在の名古屋市の大部分+α)を含む。 | ※愛智郡などの表記も |
平安時代 | 尾張国愛知郡に那古野(なごや) という荘園が存在したっぽい | ||
戦国時代 | 1530~40頃 | 駿府今川氏が建てた平城を織田信秀が奪って那古野城(なごやじょう)と命名。※諸説あり | 清州城へ移るまで信長が拠点にしていた。※30年くらいで廃城 |
江戸時代 | 1600年 | 関ヶ原の戦いで家康の天下統一後、尾張国全域+αを清洲藩として家康の四男が領主に。 | 四男死後は家康の九男が受け継ぐ |
1609年 | 家康の命により、那古野城跡地に名古屋城を築城。 | 清州城は素材にし、清洲城下町はそのまま名古屋城下町へ移転した。 | |
1610年 | 清洲藩→尾張藩に改名し、家康の九男が御三家筆頭である尾張徳川家の初代に。 | ちな名古屋城が中心だったため名古屋藩とも呼ばれてたもよう。 | |
明治時代 | 1871年 | 廃藩置県で、尾張藩(名古屋藩)→名古屋県に。 | |
1872年 | 府県統合で、額田県(≒三河国)を吸収合併。その後 愛知県に改名。 | ||
1889年 | 市制施行で、名古屋市誕生。 | 現在へ至る。 |
つまり尾張の愛知に那古野があってそこに那古野城ができて潰れて後に名古屋城ができて清須→尾張(名古屋)だったのが廃藩置県で名古屋になって統合して愛知となり、名古屋ができた。
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あとあんまり関係なさそうだが、現名古屋市内で那古野(なごや)城跡とはちょっと違う場所に那古野(なごの)という地名があったりする。
江戸時代に異世界から召喚されてそれいらい現代まであがめられているエルフと、
その神社の巫女をやってる女の子の日常ドタバタと下町の人々との交流とか江戸トリビア
アニメは一切みてない
アニメみるのたるいから、アニメかされてるならまず原作かコミカライズを読む人間なので
面白い面白くないという次元じゃないかもだけど、ちょこちょこギャグシーンみたいなのもあるしなあ・・・
それが面白くなかったから、まあ面白くなかったということになるだろう
何よりもつまらない要因として思ったのは、作者が計算して狙って書いてるように感じられのが透けて見えてしまう気がしたこと
そのせいで、おまえらこういうのがすきなんだろ?最近こういうのが受けてんだろ?みたいなのを作者が意図的にかいてる気がして、
作者自身のこだわりとか好き、みたいな感情が感じられない気がした
そのせいで常に構えて読んでしまって、常に白けてるような感じだった
とってつけたような江戸時代うんちくも特に教養になるというレベルじゃないし
そもそも江戸からずっと生きてきてるなら江戸時代だけじゃなくてもっといろいろあんだろと思う
もとの世界とかのこだわりとかホームシックみたいなのもないんかいと
実質軟禁じゃんみたいな
そこらへんの事情がほぼノータッチでスルーなのももやるってのもある
まあこっちの世界のほうが娯楽あるから居着いたとかその程度なのかもだけどさあ
まあこれはほのぼの系だからいいんだよといえばそうなのかもだけども
つねに目をかっぴらいててて黒目部分が全部みえるっていう真顔のシーンが多くてマジでこわい・・・
作者(もしくは編集)の計算高さ、恣意的なマンガづくりがすけてみえると感じてしまったらもうハマれない
そんなマンガでしたん
その気になれば東京に行ける距離ではあっても、よっぽど発達のいい子供か、親が上手く動機づけしてくれるかじゃないと行けないんだよな。「東京がそこにある」ということを認識できないから。元増田は俺よりもずいぶん精神の発達が早かったようで、郊外の家しかない街が嫌なんだと自己認識して東京に行ってみたりバイトしてみたり色々したのは凄いことだな。
俺は自分が郊外を嫌だと感じていることすら大人になるまで認識できなかった。ただずっと言語化できない何かを渇望していただけだった。言語化できていなかったから、色々やってみてそれなりに文化的な体験をしたりもしたけど、本質にたどり着くのには随分時間がかかった。
「ファスト風土」で有名な三浦展の「首都圏大予測」という本の中に書かれていることを読んだときに俺は膝を打った。
“純粋な戸建て住宅地は異物を排除しがちである。静かな環境を求めてきた住民は、住むこと以外の生活を住宅地に入れたがらない。静かに音楽を聴いて、読書をして、食事をして、寝て、という家族だけの平穏な暮らしを乱されたくないと考え、むしろ家庭を外の社会から隔絶させることを大事にするからだ。”
これだ。俺が生まれ育った郊外の住民はこういう連中だった。俺の実家は戸建ではなくニュータウン系のマンションだったが、全く同じだった。それぞれがそれぞれの「家庭を置く場所」としての街を求めているだけで、それ以上に何も求めていなかったんだ。だから家庭以外の商売や活動は、住民がそれを求めていないのでビジネスとして成立させることができず潰れる。せいぜい子供関係の集まりくらいだ。それもお仕着せのようなテンプレートな子ども会みたいなものだけだった。取り敢えず型通りやっとけばいいだろという感じだった。今ほど情報が行き渡ってない時代だったので、仕方がなかった面もあるだろうけど。
郊外にもショッピングモールができて十分便利だろとか、銀座にダイソーがあるくらいなんだから東京だって大して変わらんとかコメントがついているが、全くそういうことではないと思う。そういった通り一遍の「生活」以外の要素が存在する余地のあることが重要なんだ。郊外にはそれがない。やればできなくはないが、住民がそれを求めていないので広がっていかない。彼らは庭付一戸建て(あるいは柏の葉やおおたかの森や海浜幕張の駅近マンションや豊洲・晴海のタワマン)に住んで公園とイオンモールに行ければそれで十分満たされていて、そこに渇望はないのだ。彼らの子供たちには渇望があるだろうが、子供なのでかつての元増田や俺のようにどうしていいのか分からず燻るだけだ。
「都市の会社に勤めて郊外の閑静な住宅街に住み自然豊かな環境で伸び伸びと子供を育てる」というのは高度成長期から平成に掛けての「物語」だったのだろうと思う。社会が拡大していく時代はそれで良かったんだろう。「都市」が拡大し「郊外」を取り込んでいくという期待があったから。
でも現代ではもうその「物語」は終わってしまった。人口は減っていくことが確実になり、拡大の期待に依存することはもはやできなくなった。これからは集積の時代になると思う。人口が減っていくからこそ人々が寄り集まり、スケールメリットを活かしつつ新しいものを生み出していかなければならないと思う。集積を都市に任せ、互いに隔絶された「家庭」の集まりとしての「郊外」を存在させておく余裕は無くなっていくのではないか。家庭も生活も仕事も文化も全てが一体となって存在する、かつての下町のような社会になっていかなければならないのではないか。何より、俺が生まれ育った千葉のニュータウンのような街なんかより、その方が面白みがあって楽しいからね。
そう思って俺は都心に狭いマンションを買ったよ。千葉には帰りません。
不思議なのはさ、例えばアメリカは「大いなる田舎」と呼ばれているように、NYCなどのごく一部を除いて、日本人にも名の知れてる街でもまあ田舎なんだけど、ある程度の街はちゃんと街ごとに文化があって小さくても面白みがあるんだよね。Googleがあるマウンテンビューとかさ。街のサイズとしては多摩より遥かに小さいし大した歴史もないんだけど、住宅だけじゃない文化がある。歴史がないゆえに(スタンフォード大学を除いて)新しいものばかりだけどね。だから東京の郊外の街も原理的にはできるはずなんだよ。でも現実にそうなっていないのは、やっぱり住民の価値観のせいなんだと思う。そこが嫌。
・ランボー2
敵兵から泥の壁にピントが移ってぎょろりと目玉が現れるとこ
・スターウォーズ ep6
粛清シーンで警官に扮した殺し屋が膝立ちで狙いをつけて撃ち殺すとこ
箸でハエ捕るとこ
ロメロだよそんくらい観とけ
・ソナチネ
雀荘の店主沈めるとこ
高橋の乗った車に手榴弾投げ込んで「車燃やしちゃってどうすんだよ」ってどやされるとこ
昔服を交換した浮浪者に"nice coat"って声かけるとこ
オープニングの出所で抱き合うとこ
逃げ回ってる内にGTAみたいになってくるとこ
川北後光でパワーローダーが出てくるとこ
ジョー・ペシの"Funny how?"でヒエッヒエになるとこ
お出迎えの人形が発火して溶けたのをねっとり映すとこ
ヒッチコックみたいなとこ
・妹が死んだ後青ざめまくった兄貴が取り敢えず寝るとこ
ドイツのおばちゃんが勝手に掃除して主人のおばちゃんにブチギレられるとこ
ジムキャリーが華爛漫踏むとこ
弾避け
避けきれなかった後にトリニティがエージェントの脳天にゼロ距離でぶっ放すとこ
手荷物検査でコートをガバッと開いた時に警備員が驚きすぎてすぐに反応できないとこ
feed me
・千と千尋
・BTTF
栓抜きの使い方をパパに教わるとこ
【登場人物】
手コキ医者(てこきいしゃ)
男性(だんせい)
【舞台セット】
【脚本】
手コキ医者:(颯爽と登場)ほら、ほら、次の方、どうぞどうぞ。
男性:(緊張しながら)あ、あの、手コキ医者さん、よろしくお願いします。
手コキ医者:おお、初めての方かい?安心してください、私があなたの悩みを解決してみせますよ。
男性:(恥ずかしそうに)実は、最近、性的なトラブルに悩んでいまして…
手コキ医者:おお、それは大変ですね。しかし、私の治療法ならきっとお力になれるでしょう。
手コキ医者:それは秘密ですよ、お楽しみに。さあ、今から治療を始めます。
(手コキ医者が男性の悩みを手コキによって解決していく様子を演じる)
男性:(驚きながら)な、なんてことだ…!これは奇跡的な効果です!
手コキ医者:ふふ、そう言っていただけるとうれしいですね。手コキ医者として、あなたの悩みを取り除くことが私の喜びです。
男性:手コキ医者さん、あなたの技術は本当にすごいです。友人たちにも教えてあげたいです!
手コキ医者:そうですか、それは光栄です。私の名前を広めていただけるとありがたいですね。
男性:絶対に広めます!江戸中に手コキ医者の名を轟かせましょう!
(男性たちが次々と手コキ医者の診察を受けに来る場面を演じる)
手コキ医者:(感謝の気持ちを込めて)ありがとうございます、皆さんのお力になれることを願っています。
(手コキ医者が男性たちを次々と手コキによる治療で助ける様子を演じる)
男性:(感激しながら)手コキ医者さん、本当にあなたは素晴らしいです!私たちの救世主です!
手コキ医者:(謙虚に)いえいえ、私はただの医者にすぎません。ただ、皆さんが笑顔になれるように、私の技術を最大限に活かしたいと思っています。
男性:手コキ医者さん、私たちの間で伝説となってください!手コキ医者の治療法は、江戸の男たちにとって希望の光です!
手コキ医者:(微笑みながら)あなたの言葉に感謝します。私の治療法が多くの人々にとって希望の光となれることを願っています。
【終わり】
作:グプティ亭笑魚
TRPGをやっている。
システムとかは本筋に関係ないのでは省くが、とにかくTRPGをやっている。
自陣の中にAさんという方がいる。
ご両親に愛されて育ち、この世の理不尽を嘆き、家族と幸せに暮らしている。
彼女は理解力が低く、同じことを時系列順に何度も確認し、自分が話す時も時系列順に話し、さらにすぐに枝葉に話が移るため話にまとまりもない(私も含め他のプレイヤーはだいたい状況を理解しているので、ゲームマスターが悪いわけではない)
彼女はゲームマスターが描写中であろうがお構いなしに喋り続け疑問をぶつけ理不尽な出来事には怒りを示す。
TRPGなのでダイスやシナリオの都合で、多少理不尽な場面はできてしまうがそれでもお構いなしである。
Aさん本人は「ゲームマスターを批判する気はない」と言っていた。
たとえば、長めの描写をする際は効果音とともに『描写中』という表示を出し、「これが出ている間はお静かにお願いします」とAさんにお願いするなどしていた。
Aさんは基本的には良い子なので、言われたらやめる。
一生懸命黙って、『描写中』の表示が終わると決壊したダムの如く喋り出すが、ゲームマスターとしては描写中に喋られるよりよほど良いのだろう。
ゲームマスターの話をしよう。
ゲームマスターのBさんは、よく言えば下町育ちで悪く言えば育ちが悪い。
肉親に褒められたことはなく、理不尽な扱いばかり受け、現在は独り身で心療内科に通っている。
彼は理解力が高く、人の声の機微から感情まで察知し、三人同時に質問しても正確に返答し、話を三行でまとめてくれる。
彼は自己肯定感がまるでなく、特に否定系の語句にものすごく弱い。
たとえばAさんがシナリオに対して「(ダイスの結果とはいえ)どうしてこんな酷いことするんですか!?」などと言えば、彼はひそかに傷つきつつ描写を続ける。
BさんはAさんが気持ちよくTRPGできるように色々工夫をした。
Aさんはシナリオを再開するたびにセッションの頭から現時点までの出来事や情報を何度も何度も確認する。
そのため「13時から始めます」と約束していたセッションが結局14時始まることもザラだった。先に確認しとけよと私は思うが、困ったことにAさんには遅刻癖もあるため、そもそも来るのが13時15分とかだ。
Aさんはその確認作業に対して罪悪感を覚えておらず、Bさんは時間通りに始められない自分の不甲斐なさを嘆いた。
そこでBさんは再開前にあらかじめ『ここまでのあらすじ』を三行でまとめ、それを開示することでAさんの確認作業を省くことにした。
けれど、AさんのことでBさんが心をすり減らしたりしているのはもう見たくないし、正直遅刻癖のある人とTRPGをやるのはしんどい。
Bさんは優しいからAさんを邪険に扱ったりはしないだろうし、忙しい方なので自陣以外とは卓を囲めないと言っていた。
この増田に触発されて書いてみた。
35歳男性、既婚、子供2人(1歳と4歳)、港区在住、額面年収1500万円ほど。仕事はSE。大卒、転職歴4回。
持ち家、ローン残あり、2LDKのマンション、最寄り駅徒歩8分。妻の会社から徒歩8分くらいのところを買った。今から8年前に買ったので当時そんなに高くない中古マンション。自分はほぼテレワーク。今の会社は通勤は40分。
初めての転職は第二新卒枠で入れた。いくら売り手市場だからと言って、闇雲に転職しても対して上がらないのを2回目の転職で実感。
そこからOSS活動に精を出し始めたら、スカウトの数がかなり増えた。今の会社は年収の上がり幅も事業内容もとても好きなので
しばらく続けようと思う。
都内の話。私が住む築50年のマンションの向かいの部屋に93歳のおばあちゃんが住んでいる。小学校の先生で、生涯独身。頑固でプライドが高く孤高の人だった。私は彼女には子供のころからかわいがってもらったのだが、他の近隣住民には気を許さず、いわゆる嫌われ者だ。近所では「先生」と呼ばれている。
先生はプライドが高く、下町の住人を下に見ている。教養と生活レベルが違うのだろう。そんな態度で何十年もこの地域で暮らしてきた。おのれの金と生活力で生きていけるうちはさしたる問題はなかった。近隣と騒音やなんかでもめるくらいのものだった。しかし昨年くらいから、足腰も弱くなり、自力で生活するのは難しくなってきた。そうなると先生は知り合いや近所の者に片っ端から電話をかけ、おまえは年寄りの面倒を見るべきだと呼び出し、買い物やらなんやらをいいつけ小遣いを渡していたのだが、そんな生活が成り立つわけはなく、高齢者の公的介護を利用することになった。ケアマネを見つけ、ヘルパーが派遣されることになった。先生にとってヘルパーというのは下賤の者らしく、接する態度は酷いものだったようで、次々に事業者に断られ、もう区内には先生の相手をする事業者はいなくなった。そんな先生を受け入れたのは隣の区の良心的な零細事業者のケアマネだった。ケアマネは献身的に寄り添い、ヘルパーを手配し、なんとか先生の生活を成り立たせていた。
そんな折、今年に入り、先生は蜂窩織炎だか脊柱管狭窄症だかが悪くなって、入院することになった。リンパのガンを乗り越えた先生にとっては大した病気ではないのだが、立てないのはこたえた。先生は東大病院しか信じておらず、ずっとかかりつけにしていたのだが、東大病院が入院を受け付けない(過去にさんざんもめていた)ので、しぶしぶ紹介された関係の病院に入院することになった。二か月ほど入院していた。入院中弱気になった先生はケアマネの勧めに従い、有料の施設に入所をする決心をし、退院した足で施設に向かった。
しかし先生の態度は施設に着いた途端に急変した。医者とケアマネが画策して非人道的な機関に監禁されるのだと激高した。先生は耄碌はしているものの、認知症ではない。入院中から心に貯めていたせん妄が爆発したようだ。まだ正式に契約していない施設側はなすすべがなく、帰宅することに。施設は良心的にも先生の自宅まで自社の車で送ってくれたらしい。とにかく先生は立てない状態で私の家の向かいに帰ってきた。
先生は知人や近隣住民に電話をかけて呼び出そうとするが、もう先生の相手をするものはあまり残っていない。なにしろ善意で世話をしにきたマンションの管理人を怒鳴りつけるような人だ。しかたなく先生は私に電話をしてきた。先生は私の幼少を知っており、なにか強い思い入れがあるらしく、私だけは気を許せる優しい人間だと思い込んでいる。私の両親が学者だったことも大きな要素のようで、しがない零細障害者福祉事業を営む私をなにか福祉の世界の大きな存在だと思い込んでいるようなことを言う。いままでもたまに私も家にいて呼ばれれば徒歩2メートルの向かいの部屋にいき、水を汲んで出したり何か買い物をしたり、おむつを替えるくらいのことは職業柄たやすいことなので、助けを求められたら応じていた。先生は私にはとてもしおらしい態度で接する。申し訳ないと思うと1万円だか3万円だか買ってきたおにぎりだかおせんべいだかを渡してくる。気が済むならと私も受け取る。だが、今は施設を断った先生にはヘルパーもおらず、私も仕事があるので行ける時間は限られており先生の全生活を支えるのは無理だし、そんな気は毛頭ない。どうしたものかと思っていると、先生のケアマネと話す機会を得た。
ケアマネが言うには、先生のヘルパーの使い方はめちゃくちゃで、自社のヘルパーは全員泣かされてもう使い物にならず、無理を言って大手に派遣を頼んでいたがそこも苦戦し、入院、施設行きが決定した折にすべて白紙になってしまったらしい。地域の同業に悪名が轟いている先生に今からヘルパーをそろえるのはかなり難しいらしい。しかし先生をひとりで置いておくわけにはいかないので、疎遠になっている姪に施設入所の契約書にサインをもらい、半ば強制的に連行ししばらくは拘束することが先生の安全を考えても最良と判断している、とのことだった。話を聞くと施設もそれほど悪辣でない大手で、その言い分には同意できるところもあった。姪は医者で週に一度しか休みがなく、契約書にサインはしても先生との直接の対話は絶対に拒否するという姿勢らしい。ちなみに保証人になるわけではなく、保証会社が間に入るそうだ。
退院直後はせん妄でケアマネが病院とグルになって私を牢屋のようなところに引き渡したと言っていた先生も、すこし落ち着き、また一人で暮らす不便さに弱り、今日の面談ではしおらしくなっていたが、だからといって施設に行く気はまだない。ケアマネにヘルパーの手配を懇願していた。立ち会った私は先生のためにも一時的に施設に行った方がいいのではと進言したが、人の言うことを聞く人ではない。先生の家を出たあと、ケアマネと、もうすこし弱気になるのを待とうということになった。
私が気がかりだったのは、せん妄はあっても認知症ということではない当事者を、疎遠な家族のサインだけで強制的に高齢者施設に連れて行き拘束して薬で大人しくさせるという方法は法的に問題があるはずだが、そういうケースはあるものなのかということだ。ケアマネに尋ねると、あまりないと。確かに法的には問題があるし、先生は恨みを忘れる人ではないし、弁護士を使う人脈や資力もあるのでリスクがあることを認識していた。それでもそれが本人のためと考えたとのこと。そして法的にも問題ない方法は、訪問の医師を一度入れて、精神科に繋げ、医療保護入院という形でまずは精神科に収容することだということも理解していた。それを聞いてすこし安心した。