2023-07-18

昭和ひとけた生まれというのは、育ち盛りを大戦争最中に迎えているから、本当にしょうがない。思想鬼畜米英だし、食べものはない。特に東京下町などは何もないといっていいくらいで、主食サツマイモ、菜はカボチャ」だった。

「渥美もこうした環境下町で育ったから、死んでもサツマイモは食いたくないクチだったろう」あれれっ、いきなりこれではだめかなと思った。それはそれとして渥美関係の本はどれも面白い。気を取り直して片っ端から見ていくと、一冊だけだったが探していたものが出てきた。役者渥美清の付人でもあった篠原靖治の「生きてんの精いっぱい 渥美清」(主婦と生活社、1997)で、こうあった。

地方ロケに行っても、食事はごく質素ものでした。朝は旅館ホテルの中の食堂での和食、昼はやはり日本そばラーメン、またはふかしいも。夜もご馳走というよりはおいもの煮っころがしのような物を何品か選んで食べます」 「宿の人と仲良くなってくると、さつまいもをふかしてもらったりもします。渥美さんはこれが大好物で、ロケ現場にまで持って行くのです」

長年、「シノ、シノ」と可愛がられてきた人の証言だけに重みがある。渥美清はいも嫌いの多い世代の一人だが、他の人たちとは違っていた。なぜか、それが本当に好きだったようだ。

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