はてなキーワード: ドレッドとは
週末の午後、渋谷発の電車に乗ったんだわ。20分ほど乗車するから真ん中へんの吊り革に掴まった。
前に座ってたのは若い男性(Aとする)で、同じドレッドヘア、似たファッションの連れの男性(B)と二人並んで仲良くイヤフォンをシェアしてる。
席空かねえかなと思いながらダラダラとツイッター(Xか)見てたら10分くらい経って、A Bの両隣が空いた。
私がAの隣に座ろうとした途端、BがぐいっとAを引っ張って私とAの間を空けたんよ。
その時は深く考えなかったんだけど、もしかして隣になるのを避けられた……? キモいオバとか思われたわけ……? えっえっ髪も顔も普通に整えてるし服も(去年ユニクロで買ったやつだ)匂うとかないはず。ジロジロ見てたわけでもないよ……!? オバさんって外見だけで避けられたのか……!? おおー!散々「キモおぢ」とか言ってた末の未来が拓けた気がした。普通に傷ついた。
追記:
ネタっぽい書き方をしたが私自身は「おぢ」「キモい」なんて語彙は決して使わない。
書いたきっかけは、先日、同級生男と交わした会話から。同級生と一緒に歩いてた時、すれ違った女性が綺麗だったので、今の美人だよねと言ったら「女の顔なんて見ないよ」と言う。ツッコミ入れたら「この歳になって女性に視線を向けるとあらぬ誤解を生む、意識して見ないようにしている」と言うので驚くと同時に世間に流通する「おじさん叩き」言説を思い、そんな生きづらさまで背負っとるんかいと思ったところだった。似たような経験(?)をしたことを奴に伝えたかったが暫く会う機会がないので増田に書いた。
昨日のジャンプ買った?
・ 「アイシールド21」という作品にはひとつの欠点もないと感じる信心深い人
増田もそう思ってるよ。嘘じゃない。
看過できない仕上がりだったとも思っている。
なのでここにその旨のお気持ちを記録しておく。
・今回の読切に少しでも思うところがあった人
・「アイシールド21」という作品全体を通じて積年の思いがある人
向けの内容である。
・筆者について
・はじめに
・読切のストーリーについて
・作画について
・まとめ
の順で触れていく。
あと言っておくが「アイシールド21」の21周年は心から祝っている。
おめでとう。読切企画を実現してくれた関係者各位、先生方、心からありがとう。
・往年のアイシールドファン。連載開始から最終話までリアルタイムでジャンプで読んでた
・連載後半は2ちゃんのアイシスレ見たりもしてた(本スレがアンチスレを兼ねる様相で当時はおどろいた)
かきおろし読切の制作が決定したという作者の告知があってからこの日をずっと楽しみにしていた。
完結して十何年もたった作品の続きが読める、
こんな奇跡はまたとない。
発売日、即ジャンプ買って読んだ。
………………。
昨日からSNSは「アイシールド21が読めて嬉しい!」といった歓喜の声にあふれている。作品名でトレンド入りもしている。
いちファンが作品に真剣に相対したいち記録となることを信じてせっせとこれをネットの海に流している。
まずあの話、どうでした?
…とは思えなかった。
というか読切では当然のように「ヒル魔とセナ、双璧のW主人公」みたいな雰囲気が醸されているのだが、
という確認がなされないまま作られている印象だった。
ヒル魔というキャラクターが大いなる魅力や影響力をもっている、そのこと自体に異論はない。
彼の求心力とある種のカリスマ性が、読者並びに各種ファンダムを今なお牽引していることにも異論はない。
(原作者が格別の思い入れを注いでいることにも、この際異論はないものとする)
それでも、少年漫画としての「アイシールド21」に考えをはせるなら、第1話の構造からいっても、
この物語は「アメフトを通して描かれる小早川瀬那の成長譚」でなくてはならないはずだ。
……にもかかわらず、本作はそこをぶらしていった。
連載半ばから、ヒル魔は悪い意味でどんどん主人公化していった。
そしてそれが改善されていないどころか、全面化していたのが今回の読切だった。
思えば、最終話の落としどころはまだマシだった。
セナの結末とは別のレイヤーで、ヒル魔の着地点を描いていたからだ。
最京大・炎馬大・バベルスという別の進路をとり、三国志の道を選ぶ。
ここの3人が対等なライバルとなる結末は、
にもかかわらず読切で披露されたのは
「セナvsヒル魔、NFLにいくのはどっちだ!?」対決………って、
武蔵と栗田の立場がなさすぎて、あんまりじゃないのか????????
(※さらに言うなら武蔵に至っては読切に影も形も出演がないの、本当にあんまりだったと思う。回想の円陣にもいないとはいったい…。
※この点について「読切から興味をもった読者に武蔵の存在を伏せたかった・ネタバレを防止したかったからでは」という擁護意見も目にしたが、
そうであるなら円陣では後ろ姿で顔が見えないように描いたりすればいいだけだし、現在軸の観客ポジションにはいてもいいはずである。
読切の大筋を
という骨子にするのならせめて
セナ率いるドリームチーム vs デビルバッツ創立時メンバー3人が再結成するドリームチーム
…みたいな構図にはできなかったものだろうか。
さらに「AIをしのぐのは人間の勇気」みたいなテーマを(是非はともかく)導入したいのだったら、
半端にセナを主人公とせず、いっそいさぎよく「読切なので主人公はヒル魔です。セナは脇役として登場してもらいます」などとして構成してしまうほうが、
まだ「作者のエゴ」と「読者」と「読切作品としての完成度」、すべてに対して誠実な仕上がりをみたのではないだろうか。
このあたりの整合性のとれていなさ、ちぐはぐさが、読み味の違和感、納得感の薄さにつながっているように思う。
(※余談だが、アイシールドがスポーツマンガとして傑出している点であり特色のひとつに、
「天才と凡人」というテーマを残酷なまでに描いているところが挙げられると思う。
それを思うと、読切からその要素が完全に排除されていたのも惜しむべき点だった。
その意味においても、読切では
「身体能力においてはある種の天才であるセナと、今度はそれに挑む身体的凡人ヒル魔」
といったふうにセナとは別の視点≒ヒル魔視点から描いてしまうほうがいっそ面白かったんじゃないだろうか。
原作者のヒル魔描きたい欲も、キャラファン読者の需要も両方満たされただろうし
本作の新たな面を見せることができたんじゃないか、等々。
後述するが、原作者と編集者はそういった検討すらしなかったのだろうか)
「セナvsヒル魔の試合」という今回の読切が、アニメ最終話の追認に近いものになってしまっていることにも絶望しかない。
アニメのアイシールドはあらゆる意味で筆舌尽くしがたい出来栄えなのだが、満を持した読切がそれと今さらカブるって、そんなことがあっていいのか。
村田先生、みんなご存じ、少年漫画界屈指の超絶技巧ハイレベル画力の持ち主。
すなわち『ワンパンマン』のようなアップデートされた村田先生の作画で、
…というファンの期待は儚くも裏切られた。
今回の読切の作画、
……そうか……。
初期からずっと絵がうまくて、
どんどん画力が凄みを増していって、
20巻あたりになってくると最強に脂がのってきて、
強いこだわりや作品愛を感じられて、
あのすばらしい絵が、だいぶ淡泊でラフな方向へ変わってしまった、
そんな、あの頃の絵柄…
遠くにいるキャラには顔描き込みさえなく、
そんな、あの頃の絵柄…
それを誰も指摘しないままジャンプでお届けされていた、
そんな、あの頃の絵柄………
…………そうか………。
掲載日もガチガチに21周年に合わせているわけではなさそうだし、
読切制作告知はずいぶん前に行われていたし、
そんなこまごまとしたミスをチェックして修正する手間すら…惜しかったのだろうか。
もしや、アイシールド、描きたく……なかったのだろうか。
憶測にすぎないけれど、したくもない想像が膨らんでしまう作画がただただ悲しい。
なぜこんなにも失望感が大きいのか。
失望感を覚えるということは、
そもそも「アイシールド21」という漫画に何らかの幻想を抱かせるような霧でもかかっていたんじゃないだろうか。
その正体は何か。
理由をたどると「原作・作画の分業制でつくられた作品であること」が挙げられると思う。
そもそも、原作者の稲垣先生のほうはそこまでキャラの扱いに手厚いタイプではないと見受けられる。
かと思えば突飛なタイミングで再登場させたり、
桜庭のアイドルヘアや阿含のドレッドをある日突然無慈悲に剃り上げてファンを阿鼻叫喚の渦に叩き込んだり等々
(事実アイシ、ドクターストーン、トリリオンゲームと3本つづけて大ヒットを飛ばしている優れたストーリーテラーであるわけだし、どれもとんでもなく面白いし)
バックボーンを想像させる表情や振る舞いなどの魅力を付与して、
色んなキャラの色んな一面を描きまくってくれた。
別冊として出たデータブックでは各校の全チームメイトの顔カットを100人単位で書き起こし、
人物紹介には毎巻のように「ウォーリーを探せ」のようなぎっしり楽しい一枚絵を用意し、
神龍寺戦完結巻にいたっては、カバー絵などの余白をフルに使って、
アイシはただストーリーが面白い・アメフト題材に新規性があるというだけではなく、
そういう層のファンを獲得したという意味でも、商業的な成功をみた。
これは原作・作画別れているからこその、やや特殊な事例であると思う。
それは村田先生が魔法をかけてシナジーを起こしたキャラなのだ。
そして時を経て、魔法は解けていった。
何かのきっかけで、のっぴきならない理由で、本作を作画することへの情熱が失われてしまったのかもしれない。
読者にそれを知るすべはない。
ともあれ、作画による丁寧なフォローや補足はされなくなり、ありし日の熱量は失われ、
原作がある意味むき出しとなった結果が、連載終盤のアイシールドともいえる。
読切でも、魔法は解けたままだった。
そのことが残念でならない。
長々と書いてきたが、ぶっちゃけ少し真面目に作品に相対していればこのくらいのことはいくらでも思い浮かぶはずと思う。
なのにお出しされてきたのは、
そういう出来栄えの読切だった。
これに関して「編集者何やってんだよ」という視座を欠くわけにはいかない。
読切をつくるとなって、まともな打ち合わせの一つもしなかったのか?
批判されている点は?
少しリサーチすれば情報や感想は玉石混交いくらでも掘り出せるはずだ。
それを作品化するとして、最良の形とは?
精査していればもう少しブレや迷走は防げたはずだ。
編集者は作画クオリティ面にまでは口出しできないかもしれない。
にしても、あきらかな作画のミスを校閲し指摘することはできるはずだ。
「どうせ手を抜いたって、愛がなくたって、ファンなら喜んでジャンプを買い、涙を流してありがたがるだろう」
と、作品の知名度にあぐらをかいた編集部によって読者全員がナメられていること、
それが記念読切から透けてみえてくることが、作品を愛読してきた者として慚愧にたえない。
期待は捨てているけれど、改めて言いたい。
そして少しでも反省したなら俺らに誠意を見せてくれ。
すなわち、ファンもアンチもぐうの音も出ずに拍手喝采してしまうような、素晴らしいクオリティに練り上げた「アイシールド21」短期集中連載とか企画してください。金とアンケートならいくらでも出します。わあわあ言うとりますが未だにアイシールド大好きなんです。よろしくお願いします。ほんとマジで。
元増田です
海外児童文学(ダレンシャンとかハリポタとかライラとかナルニアとかDWジョーンズとか)は自分が好きで買い集めてるので子供も読んでるんだけど、モモとかはてしない物語とかみたいな昔からの名作はなんかツボにハマらないみたい…
魔法使いは好きみたいで、ハリポタの映画や海外の子供向けのドラマ(魔法のレシピとか、ミルドレッドとか)なんかも見てるから、子供主人公の魔法とか不思議な力の話も良いかも…と言う気づきがあった。
あと単純に自分が夢水清志郎とかずっこけとかパスワードシリーズとか読んでたから懐かしい…
地獄堂霊界通信っていうちょっとホラー要素のあるシリーズが好きだったけど、今の子は銭天堂っていう不思議系ホラーのシリーズが人気みたいで、うちの子も好きでよく読んでるしアニメも見てる。
とりあえず挙げてもらったものの中に手持ちの本があったから子供の本棚に置いてきました
どれか読んで気に入ってくれたら良いなと〜思います
検閲って言葉が腑に落ちない人がいるみたいだけど、子供が主人公の作品でも児童書じゃなくて文芸書のジャンルになるといじめ自殺とか性的虐待とかが主題になってるものがかなりあるから、さすがに読ませたくないのよ
児童書でも親に虐待されてるとかいじめられてるとかは出てくるけどそれがメインではないし、あと、海外児童文学はキリスト教圏の影響もあるのか自殺すること少なくない?
親に付き添われなくても図書館に行くような歳なら、親に黙って親の本棚(子供には開放してない)を盗み見る歳なら、なんでも勝手に読んでくれて構わないけど、小学二年生にはまだ早いというのが我が家の方針なので今後も検閲はしま〜す!
最後に、めちゃくちゃ読書大好き文学少女でも理系の大学院卒業して工場に勤務したりするから、読書好きと進路はマジ関係ないと思う
有名な編み込みヘアといえば「ドレッド」「コーンロウ」になると思うが、
コーンロウや三つ編みと思われるヘアスタイルの最古の描写は、現代のフランスとオーストリアで発見された2万5000~3万年前のブラッセンプーイのヴィーナスやウィレンドルフのヴィーナスと呼ばれる彫像が知られている。
との表記があるように、大昔からヨーロッパの彫像にて表現されている。
またドレッドに関しても
ドレッドヘアの最古の描写は、クレタ島(現在のギリシャ)を中心としたヨーロッパ最古の文明のひとつであるミノア文明の紀元前1600~1500年にまでさかのぼることができるとされている。エーゲ海のテラ島(現在のギリシャのサントリーニ島)で発見されたフレスコ画には、長い編み込み髪や長いドレッドヘアの人が描かれている。
と、やはり記録上、最古の描写はヨーロッパルーツになっている。
もろちん、ヨーロッパのが過去の文化の保存状態が優れていたため、
そもそもそういった遺物が残っている率が高い可能性は考慮できる。
アステカ文明の壁画等からもにたような編み込みヘアを見ることができる。
つまり、太古の昔から世界のあらゆる場所で発生してきた単なる「髪型」の一種でしかないということだ。
ニグロが奴隷として働かされたり差別されたりしてきたことはかわいそうだと思うけど、
だからってなんでもかんでも許されると思うなよ。
私さ、
その話聞くだけで重たいので
逆にそういうのはストーリーなしの方が良いのかも知れないわね。
難しい話はよく分からないわ。
なので、
これやっぱりそう言った意味でも良く上手い具合に出来てるなーって
ファイアーエムブレムエンゲージにふむふむって思うのよ。
どうぶつの森に見立てて癒やしを求めて拠点のソラネルで遊んでいれるし、
地上マップに戻ってバトルもできるし
強くなった仲間を実感成長したわね!ってなんかそういう所が私にあっていたのかも知れないわ。
どうぶつの森じみていて遊んでいると言っているけど、
どうぶつの森にはバトルないわよね?
多分なんか私的には違う様な気がするので手を出すのは危ないと思うし、
恐らく一生手に取ることが無いと思うわ「どうぶつの森」は。
でも何かまたひょんな事から遊んでみたら面白かったりするかどうかは分からないけど、
今はファイアーエムブレムとスプラトゥーン3とでいっぱいよ。
そうそうあとね、
わーい!って言いたいぐらいな勢いで
アンナさん頑張って店開きたい!つってたからやっと念願叶いまくりまくりすてぃーのオープンね!
泣けるわー。
次の日以降アンナさんがいなくて笑っちゃったわ。
でさー
私に不思議としっくりくる要素で何回も申していると思うんだけど、
ロールプレイングゲームとかの類いのそう言ったゲームの要素で大大大大嫌いなの大を256回重ねて言いたいぐらいな
「育成」「合成」「会話」は大嫌いでお馴染みな全要素なんだけど、
なぜかこのファイアーエムブレムエンゲージは
育てるの楽しいし!
合成するの楽しいし!
仲間みんなと話すの楽しいし!
全部私の嫌いなのの真逆をやっているのに超楽しい!ってこれ何?
Switchのチケット交換でやむなく仕方なく交換期限迫ってしぶしぶ交換して起動だけでもしてあんまりシミュレーションゲームは好きだけどキャラクター推しなのはねーって思っていてすぐに飽きちゃうと思ったけれど、
飽きちゃわないわ!
遭遇戦と訓練をずーっとずーっとやっていても楽しいの。
一切ポケモンに興味なくとりあえずポケモンゲッツ体験してみるかーってことで
そもそもとして
ぜんぜんこっちは楽しめなかったのよね。
なので不思議だわー。
まあどんなゲームとて肌がある合わないってあると思うので
スプラトゥーンとファイアーエムブレムエンゲージとメトロイドは性に合うのよね。
メトロイドドレッドはE.M.M.I.の倒し方1回やると覚えちゃってて次周回楽勝っぽいので、
もうちょっと忘れた頃にやりたい季節の風あざみなときにでもって思うの。
そんな感じかしらね。
どんな感じだよって思うかも知れないけど、
そう言えば牛乳飲んで強くなる!って要素はないわよね。
今気付いたわ。
うふふ。
俺カフェね!おまえモカ?って言いたいぐらいなそんな世の中な朝なんか食べよう!って気力が無くって
牛乳だけは飲んでパワー付けなくちゃ!って思って矢先の次第なのよ。
お昼にはお腹空いてくると思うので、
調子戻ってくるはずよ。
炭酸レモンウォーラー冷蔵庫パンパンに入れてキンキンに冷やしているので、
朝の冷たいシュワシュワ炭酸は嬉しいわね。
暑さ和らいでんのかまだ厳しいのかよく分からないまだ油断出来ない季節だわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
アマプラで配信されてるグッド・オーメンズってドラマを見てるんだけど
このドラマって主要人物に黒人や中年女性がかなり多かったり、女性同士の同性愛が何の説明もなくごく普通に出てきたり
神の声も女性だったりして、かなり「ポリコレ」に寄った作品ではあるんだよね
(天使や悪魔に関しては性別がないって設定らしいけれど、それでも見た目の人種や性別はかなり多様)
こう思うのって全体の雰囲気がオサレだからかなー、と思う。このドラマはファッションや背景美術、音楽、台詞運びなどがとにかくオサレ。
太った白人女性とドレッドの黒人女性のカップルも、悪魔がグラサンしてたり天使が蝶ネクタイだったりするのと同じように単なるキャラデザのバリエーションとしか思わなくて
ディズニー映画のストレンジ・ワールドはポリコレって言われて叩かれていたけれど(映画自体は観てない)、
特に意味もない「ポリコレ」でも、全体的な雰囲気がオサレにまとまっていればそういう世界観として違和感なく楽しめる気がする。
ラプンツェルの色違いバージョンみたいなのだったと記憶していて
へー、普通に良さそうじゃん?と思っていた。
で、遥か昔の世界が舞台って情報しか聞かされてなかったから、話の舞台は古代中央アジアとか中東とか、インドとかエジプトとかその辺で想像していて
最近新しくチラシを見たらどうやら、ヒロインの「アーシャ」の髪がドレッド…。
えー、またドレッドなのかよ。実写のリトルマーメイドでドレッドヘアーのヒロインには微妙な気分になったのにまたドレッド……
チラシにはヒロインの髪が風に靡いている絵もあるけれど、ドレッドだと重くてああはならないんじゃね?と思ってしまう。
せっかくの100周年記念作なのになあ
小さい頃からアリエルが大好きだった。ディズニーはシーしかいかない、それも1日中マーメイドラグーンで他はどこにも行かない。ポップコーンバケットはアリエルの絵(今無いらしいので貴重)。
大学入ってからもアリエル好きは健在で、いい歳してマーメイドラグーンで幼女に混じってた(他のエリアも行くようにはなったけど)。レポートでは隙あらば「人魚姫」を使ってた。
だから、実写版の「アレ」を見てしまった時は、本当に悔しかった。
私の大好きだったアリエルはどこにもいない。いるのは、謎の配慮を求める謎の勢力。そして「イメージと違う」と言えば人種差別扱い。
これが全くの新作だったら別に自由にしたらいいと思うけど、「リトルマーメイド」と銘打ってる以上、赤髪白人のアニメ版を皆がイメージするのは分かっていたはず。少なくともアニメ版アリエルは黒人やアジア人ではない。肌の色も髪の色も違うじゃん。実写できてないじゃん。セバスチャンとフランダーも酷いじゃねえか。
これまでの作品に白人しか出してこなかったから他の人種も出そう、という考えはいいと思うけど、アニメなどで既にイメージの固まった人種を無理やりすり替えるのはどうなん? て話。アンハサウェイがムーランやったらちょっと違くない? ってなるじゃん。それを「差別だ!」って言わないじゃん。いや実際のところ知らんけど。
白人には白人の、黒人には黒人の、アジア人にはアジア人の「適切なキャスティング」ってあると思うんだよね。これまで当然白人と思われていたキャラに黒人をキャスティングして、受け入れられない=人種差別 ってものすごい無理のある話だと思う。
もっと言うと「黒人の起用=ポリコレに配慮」の思想もキモイと思ってる。確かに、黒人が差別されてきた時代はあるし、今もそういう人はいるのだと思う。ただ、それを物語にもちこむなよ。しかも既存の。
むしろ無理やり黒人を引っ張ってくる方が不自然だよ。これまでの歴史を鑑みて黒人のキャリアアップというか、社会的地位向上をはかりたいのかもしれないけど、白人のポジションを奪う方法しか無いんか? 黒人には黒人の文化や音楽や物語があるんだから、それらを広めるのではダメなの?
「これまで白人で当然と思われていた役(ポジション)に黒人が挑戦!」みたいなの、24時間テレビで障害者がスポーツに挑戦してるのを見た時みたいな薄ら寒さがある。社会的に弱い存在が難題に挑戦する、それを応援する私たち先進的、みたいな。「みたいな」使いすぎだよ語彙力ねえな。
えー、アリエルからだいぶ話が逸れたのでこの辺でやめます。もし次リトルマーメイドが実写化する時は、赤髪白人の役者さんがやってくれることを心から祈ってます。ドレッドヘアとかやめてくださいねマジで。
https://anond.hatelabo.jp/20230529143342
マーベル作品もそうだけど、そもそもディズニーってアメリカ国内だけの興行だけでは回収しきれない規模の映画作ってんすわ。
実写版『リトル・マーメイド』のバジェットは2億5000万ドルで、ワールドワイドの損益分岐目安はざっくり3倍計算で7億5000万ドル。
初週時点で勢いを越えたとされる実写版『アラジン』の最終的な米国内興収が3億5000万ドル(予算1億8000万ドル)だから、仮にアラジンと同程度の額を叩き出すとするなら、残りの4億ドルを他の国で調達しないといけない。
実は中国は実写版ディズニー作品に関しては、そこまで興行収入を期待できる国ではない。『アラジン』は5000万ドル止まりだったし(それでも『リトル・マーメイド』よりは上等だが)、8000万ドル行った実写版『美女と野獣』でもその年の中国の興収ランクでは200位程度にすぎない。
で、そこにきて、『アラジン』と『美女と野獣』の両実写版興収が1億ドルの大台を越えた国がある。
日本だ。
ディズニーのエグゼクティブや営業がどう考えているかは知らんが、個人的には日本ではコケると思う。
『美女と野獣』がヒットしたのは、エマ・ワトソンを起用して日本人好みの昔ながらの「プリンセス・ストーリー」を少なくとも絵面の上ではきちんとやった(実はモロに人種やセクシャリティの多様性を前面に出しているにもかかわらず)ところが大きい。まあそもそもベルって王女さまでもなんでもない陰キャのガリ勉女なんだけど、そのへんはね。
ポリコレがどうこういう前に、エマ・ワトソンがすげーきれいなドレスをきて、みんな大好きな『美女と野獣』やってるじゃん、でみんな来るわけ。
ハリウッドスターの力が失われたと叫ばされて久しい日本の映画市場だけど、それはまあ新規IPをスター主演で送り出す場合の話で、すくなくともすでに固まったIPの場合はスターのほうがみんな「安心」して観られるという点でまだ強い。
そういう点でもそうだけどさ、新しい解釈とか新しいストーリーとか、少なくとも日本の観客は求めてなかったの。
個人的には野獣が野獣のまま生きていくエンドとか観たかったけどね。
そこに来て実写版『リトル・マーメイド』は日本人に訴える要素が少ない。
主演のアリエル役はド新人。肌の色も黒いしドレッドヘアだしで”みんな大好き”だった原作と文字通りイメージが違う。
まあ差別意識といえば差別意識なのかもしれないが、市場のことだけを考えるならばこれは日本の市場への訴求しない。
日本ディズニーの宣伝がなんとなくやる気ないように見えるのも、現場の人たちにはそれがうすうすわかっているからなんだろう。
特にポスターのビジュアルイメージが「原作通り」じゃないのは致命的だろう。映画ってだいたい内容わかっていない状態、なんなら大半の観客は予告編すら見ない状態で観に行くもんだから、ポスターは大事だ。
そこで「これじゃないな」となったら、もうおしまい。
『アラジン』と違って脇に強烈なスターを配置できる作品でもないしなあ。
これらの悪条件を跳ね返して100億円稼いだら、日本の観客を見る目が少し変わるかもしんない。
映画の内容では批評的に評価されているものでもないんで、映画自体への評価は観てから決めますが。
韓国の公開初週の上映館は2館だけ。先行上映的なやつかん?
中国版独自ポスターは青で統一された色調のものが採用されているんだけれど、アリエルの肌まで青々しくしちゃったもんだから、「差別ではないか」ってふきあがっている人がいるわけ。
ちなみにアメリカとかでは「青」は「白」に近い色だからホワイトウォッシュ的な文脈が流れ的にはある。
ネタなのか本気なのか、「中国人は差別的だから青版ポスターしか国内では貼れないんだ!」と叫んでいる人もいるんだけど、中国国内の宣伝ではふつうにアメリカや日本でも使われているポスターがでかでかと使われてたりする。
そんなこんな、いつもの元気なついったらランドって感じなので、アメリカとかのTwitterやメディアだけ眺めて判断するのは危険です。
例えば、マイティ・ソーのヘイムダルは北欧神話の神が黒人だけど特に気にならないんだよな
……この辺かなあ
ゲーム・オブ・スローンズの前日談のハウス・オブ・ザ・ドラゴンの黒人ターガリエンが気にならなかったのも
褐色の肌に銀髪で遺伝的に有り得ないかもしれないけれどファンタジー感のあるルックスになってるからだと思う
一方力の指輪の黒人エルフはただの坊主頭、リトルマーメイド実写版のアリエルはドレッドで、
目の色も髪の色も普通に現実にいる黒人にしか見えなくてファンタジー感がゼロ
はっきり言って夢がない
https://twitter.com/mitsuo_cinema/status/1646515545808965634
まだ23歳の才能ある女性が、って年齢関係あるの?43歳の女性だったら言われても問題ないの?
23歳ってとっくに成人なんだけど、
未成年カードが使えなくなったら「まだ23歳の」と若さを強調するの?そういうエイジズムって、レイシズムと同じくらい有害じゃない?
人魚姫もシンデレラも白雪姫もかぐや姫もみんな自分とは違う別世界の「憧れ」であって、なりたいなんて思った事はないし
仮になりたいと思ったとしてもなれない事は自明の理として理解している
「黄色人種はアリエルになれない」と言われたところで別に怒りもしないし当たり前に受け入れるよ
なんで黒人は違うの?
黒人なら、CGや特殊メイクで弄りでもしない限り、赤い髪で白い肌のあの「アリエル」にはなれない。それって単なる事実じゃない?
しかもこの彼女は髪形をわざわざドレッドにして、見た目を寄せようとすらしていない
全世界の子供達に伝えるメッセージとしてなら、人はみな個人として尊重され、自分以外の何者かになろうとする必要なんてないって事こそ教えるべきでは