はてなキーワード: ゾンビとは
おハロー。
聖おにいさんはオサレというのよりサブカル臭。それも悪いタイプの。
http://anond.hatelabo.jp/20081210172325
とても根が深いサブカルミーハー問題。『このマンガがすごい2010』を読んで。
http://anond.hatelabo.jp/20091216230059
「このマンガがすごい!」は罪深い延命装置。もう犠牲者を増やすな!!
http://anond.hatelabo.jp/20111224192828
を書いたぼくだよ。みなさん自意識丸出しでごちゃごちゃ言ってくるんで、胸焼けするぐらい非常に切ない気持ちになりました。なんというかもう……。
「かわいそうだね?」
って言葉しかでてきません(おっと、つい芥川賞受賞作家ネタが飛び出しちゃったよ。やべー、まさかここで芸術に携われる人間だったら絶対にチェックしておくべき、芸術を理解できないやつは興味ないふりして精神防衛していることでお馴染みの芥川賞のネタが飛び出すとは、俺のセンスパねえ)。
はてなブックマーク、およびツイッターの皆様がたは心のホメオスタシス機能をフル稼働させて自分の殻に閉じこもっちゃっていますね。みなさん図星を突かれたことを必死に隠そうとしていますけど、何で等身大の自分を直視できないのかねえ。
「格好をつけないことで、格好をつけている」
「「ホメればセンスいいと思われる記号」を批判すればセンスいいと見られると思ってる人の典型的批判」
やれやれ。春の熊に全員屠殺してもらいたいよ(センスある村上春樹ネタ)。
ぼくはきみたちの断末魔の叫びで心が汚れちゃったんで、ストラヴィンスキーを聞いて洗い流していました。グッドなアートはエバーグリーンな輝きでディ・モールト・ベネだね。
ということで、本題。反応を見ていると、ぼくが批判したい対象がイマイチ伝わっていないようなんで、ここでまとめて表明してみようと思う。
これ以上、この惨状を放置しているとホント取り返しのつかないことになるからね。砂漠に水を与えるようなものだけど、何もやらないよりはマシ、かな……。
きみらの軽い脳みそでも理解できるように4つに大別してあげているから熟読してほしい。2010年代はこういう奴らをいかにカルチャーシーンから排除するかにかかっているので、宇野常寛さん、荻上チキさん辺りは参考にしてほしいね。東浩紀さんは河原で石でも積んでてください。
では、いきますよー。
「ボンクラ」なんていう安っぽい価値観で連帯して、「中学生マインド」なんていう恥ずかしい心性を至上価値にしちゃっている一派。やっていることはひよこのオスメスの仕分けみたいなもん。ライムスターの宇多丸や町山智浩辺りが「いい」といったものを「味方」と見なして手放しで褒め称えて、けなしたものを一緒になって叩けば、「センスあるポジション」にいられると思っている。
「売れてる邦画はテキトーに叩いておけばおk」みたいな頭からっぽな行動も平気でしちゃう。そんで周りも見てもいないのに賛同しだすから目も当てられない。
中身をまともに分析しないで「大沢たかおが出演しているから、これはクソ映画だ」みたいな論理で動いていて、そんで「バカな大衆」と「審美眼のあるセンス抜群の俺」という謎の対比をしだすんだよね。「なぜこういう内容の邦画がいま売れるのか」なんていう深遠なトピックに触れることは一切ないし、考える頭もない。
自分の物の見方だとか価値観だとかが一切抜け落ちた、ゾンビみたいな奴ら。サブカル年長者の金魚のフンをやることに、羞恥心の欠片もない。「独自な物の見方をする人間」についていけば、「独自な物の見方をする個性的なわたし」が出来上がると思っている。
彼らの反応は非常にわかりやすい。ちょっと宇多丸のラジオを聞いただけで、習性がまるわかりで、「ああ、この映画はこいつら叩くだろうな」ってことがすぐに判別可能になる。その分かりやすさが蔓延の原因だといえよう。映画リテラシーがないのに、センスいいと思われたいやつらの格好の逃げ場になっている。
そんで、こういう奴って美意識がないから恥ずかしげもなく部屋に映画のポスターをべたべた貼って、ダサいバンドTシャツを着ていたりするんだよね。それでいて、オシャレに過剰なコンプレックスを抱いているから、「無理してオシャレしているやつは上辺だけの中身のない単なるカッコつけで、ちょっとダサいくらいの自分が本当は一番センスいいんだ病」にかかっていて非常に厄介。自分のダサさまで理論武装しなきゃ生きていけないなんて、ほんとに可哀想だ。
この病気を完治させるには映画について語りだすたびに「それ、ウィークエンドシャッフルで宇多丸が言っていたことだね」って言い続けるしかないと思う。「あ、その映画、町山智浩がキラキラで紹介してたやつか」、「昔、みうらじゅんがその映画をネタにしているのを見たことあるよ」でも可。
「人生で大切なことは、すべて伊集院光のラジオから教わった」とか真顔で言っちゃう恥ずかしいやつら。
映画秘宝系との違いは、映画を見たりする気力も何もなくて、横になってラジオを聞くぐらいの体力しか残されていないのに、自分が第一線にいることを疑わずに最新のカルチャーを必死に否定してくる。「最近のアニメって萌えばっかりで中身がないよね」って見もしないくせにしたり顔で口を挟んでくるのがこいつら。
自分が中年化し、ついていけないことを認めることができなくて、漫画やアニメは伊集院が褒めるものだけが絶対だと思っている。『わたしは真悟』だとか『アストロ球団』だとかね。
映画秘宝系はまだ自分の足で作品を鑑賞しようっていう根性があるけど、こういう奴らにはそれすらない。平気でCMカットのMP3音源を違法ダウンロードして、「やっぱり伊集院さんって聡明だよなあ」なんてアホ面下げてる。その続きはもちろん「本当に頭が良い人って伊集院さんのことを言うんだよな。やっぱり人は学歴や職業じゃなくて、物の見方で頭の良さが決まるんだよな~」なんて考えいて、「ダメな自分は本当は感性が鋭くて、周りのくだらない奴らよりもずっとずっと頭がいいんだ!」って泣きながら自己肯定をしている。
もうなんでもあり。
こういう奴らのためにはっきり言ってあげるけど、「感性」っていうのは行動で示さなきゃ形にならない。布団のなかで自分を慰めるための感性だなんて、ありゃしないよ。ゴミクズよ、もうよせ、こんな不毛な自己肯定は。
「センスがいい」というタグを貼られた商品を必死に買い集めて、なんにもない空っぽな自分を必死にデコレートしようと頑張っている。ビレバンに下駄を履かせてもらわなきゃ、外を歩くことすらできない可哀想な人。自分がビレバンから与えられる餌を食べているだけの家畜だってことに気づけない。
こういう奴がセンスいいと思われたい一心でカルチャーシーンを引っ掻き回して、むちゃくちゃにしていく。「このマンガがすごい!」で上位に入る漫画が悲惨な犠牲者なのは、前の記事に書いた通り。
なんにも作り出せない、作ろうともしないくせに、必死に消費物で「ぼくちゃん、クリエイティブなんだじょ!」とアッピールしたい厚かましい愚鈍なマリオネットたち。
こういう奴には「お前、ひょっとして浅野いにお漫画の登場人物を気取ってない?」って聞いてみよう。ズレてない眼鏡を何度も押し上げながら、「き、きみぃ、いにお漫画はね、単なるセンチメンタルじゃなくて実験的な手法にも取り組んでいて云々」って聞いてもいない作品論を震えながら語りだすぞ。
さらに「そのボブ、もしかしてつぶやきシローをリスペクトしているの?」って言ったら卒倒しちゃうので注意。
もし友人にこの手合いがいたら適度に自意識を潰してあげて、「やっぱビートルズが一番だよな」ぐらいのレベルに留めさせてあげるのが吉。弾けもしないのに部屋に置いてあるギターは、親切心で河原で燃やそう。
そう、お前らだよ。お・ま・え・ら☆
はてブやツイッターなどの安全圏からお手軽に一言批判して、「ふふ~ん、ぼくちゃん、こいつらよりも頭がいいもんね~。見てみて! ぼくこの人否定しているよ!! こいつより頭いいんだよ!! ほら、見ろよ、もっと! 見ろっ、見ろぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!」と汚い欲望を身体中の穴から漏らしている。
文字数制限を盾にして根拠もなにも示さずに、自分の頭で否定できる一文をなんとか見つけ出して、「やれやれ。きみはなんにもわかってないね」とただ否定するだけ。熟議に何の貢献もしない、耳を汚すだけのノイズ。
大抵のバカなネットユーザーは脳の大部分が「最新情報の暴飲暴食」でスカスカになっているため(俗に言う「グルーポンおせち状態」)、比較検証なんていう基本的なこともできない(本人は「できない」とすら気づいていない。そこを突かれると「時間がないから」「忙しいから」と言い訳して、何も届いていないメールボックスをチェックしだす)。だから、「最後に勝利宣言をした人間」に説得力があると思っちゃう。
このような「つぶやき批評家(気取り)」と「情報ジャンキー」はまとめてネット中毒矯正院にぶち込むべきですね! そこで『アルプスの少女ハイジ』でも見せて、少ない情報をいかに咀嚼するかを学ばせたほうがいい。こいつら、醜く太っていることが勲章だと思っているからさ。
以上、今すぐカルチャーシーンから撤退すべき害毒な消費者4タイプでした。こういう奴らが蔓延っちゃったのは「個性が大事」という間違った教育と、「作品の解釈は受け手が決める」なんていう甘やかしの成果だと思う。
確かにある程度の解釈は読者に任されるだろうけど、それを理由に笑っても怒っても何しても構わないなんてことはない。それだとスタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』を見て、原子力礼賛だと思っちゃうようなことを許してしまう。
ぼくのような高い視座に立てているクリエイターって本当に少ない。名前を挙げるとしたら、映画監督の紀里谷和明か、小説家の岩崎夏海くらいか。
特に岩崎夏海の『「小説の読み方」の教科書』は上記であげた連帯のためだけや、センスいいと思われたいだけに消費する行為の解毒剤として最適なので、みんな読みなさい。早く読まないと、時代に取り残されちゃうよ。2010年代のクリエイターズ・バイブルだね、この本は。
みんなもうさ、中身のない自分を無理やり肯定するためにアートを利用するのはやめようよ。空っぽな自分を直視して、中身ある人間になるために努力するべきじゃない? ソクラテスもプラトンも、みんなそうやって大きくなっていったんだよ。
ちゃんと就職して、自分で稼いだお金で生きていることは大変ご立派なことですけれども。
なんというか、内定いっぱいもらった学生が浮かれて「指南してやるぜ!」みたいに鼻息荒くするのはすごく可愛いんですけれども
3年くらい勤務したのに、就活中の学生に対して自分の仕事のやりがいとかじゃなくて
「就活は厳しんだ。俺はそれを乗り越えて就職できたんだ。俺は偉いんだ。お前ら俺を崇めろ」みたいな感じを漂わせてる人がいてなんとなく悲しい気持ちになった。
就職がゴールであとは墓場みたいな人を見かけると、学生が就活したくなくなるので、
仕事が楽しくない人は、アニメ板にでも行っていただいて、就活やら仕事やら社会について口出さないでください。
あんたら自分では社会人のつもりかもしれないけど、ただのゾンビです。
6 Reasons We're In Another 'Book-Burning' Period in History | Cracked.com
By: S Peter Davis
これを聞いた人の8割は私の顔を殴りたくなるだろうが、端的に言おう。
稀覯本を含む本を数万冊以上捨ててきた。
焚書と聞いて、一般にはおそらくナチスドイツを連想する人が多いんじゃないだろうか。
それは不寛容と反知性の象徴だ。
だが今回の焚書は違う理由で起こっている。
本を捨てているのは、利用者が誰もいないような辺鄙な田舎の図書館だけじゃない。
おそらく世界最高の権威がある図書館、大英図書館でも、本の廃棄が産業的な規模で行われている。
オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ大学やそのほかいくつかの大学では最近、本の処分に関するスキャンダルが起きた。
今年ボーダーズという書店がつぶれたときには、在庫は寄付されるのではなく廃棄された。
捨てられているのは、『TVガイド』とか重複所蔵の本だけじゃない。
17世紀に美麗に印刷されたシェイクスピアの作品集を想像してみてほしい。
奥付のページには、遠い昔に亡くなった所有者からの達筆なメッセージが付いている。
それをゴミ箱に捨てるのだ。
私は何度もその場にいた。
持ち帰ってeBayに出して売って、何百ドルかにはなったんじゃないだろうか。
これはオバマの共産ナチ新世界秩序に操られたソビエトの秘密作戦か何かではない。
血も涙もない官僚主義によって起こっているのだ。
というのも……
誰しも思うのは、恵まれない人たちに寄付すればいいんじゃないの、ということだ。
囚人でも、病気の子供でも、独立系の新興書店でもいい。寄付すればタダじゃないの、と。
蔵書であることが分かるようになっている。
その本を寄付したり売ったりするときには、印を消さなければならない。
盗品でないと分かるようにするためだ。
そればかりか、所蔵印が残っている本は、親切な人が見つけて図書館に返しに来てくれちゃったりもする。
そして、処理すべき本はとても多い。
図書館はやっきになって蔵書を減らそうとしている。
図書館館長になったつもりで、10万冊を処分しなればならないという報告を受けたと考えてみてほしい。
選択肢は二つ。
学者を何十人か雇って蔵書目録をもとに重要度や価値を評価させて、
また何十人かを雇って重要度の低い10万冊に一冊一冊処分の印を押させる、
というのがひとつ。
第二の選択肢は、コンピュータで貸出回数の少ない10万冊を列挙して、
数人に館内を回って集めさせて、シュレッダーにかけさせること。
第二の選択肢のほうがずっと速くて安いことはお分かりだろう。
そうなれば儲けがでることもある。
ことに司書にとっては、それはまるで、
ゾンビに噛まれた親友を前にして、自分だけが銃を持っているようなものだ。
それに、捨てられた本のなかに救われるべき本が埋もれてしまうことも忘れてはならない。
このやり方では明らかに、ものすごく貴重な本が引っかかってしまうことがある。
2011年版が書架にあるのに、『白鯨』の初版本を書庫から借りようとする人がいるだろうか。
コンピュータで出した貸出数ランキングではそうした区別ができない。
また、このやり方をする場合は、本は完全に破壊しなければならない。
ただゴミ箱に放り込むだけでは不十分だ。
盗られるかもしれないからだ。
誰も読もうとしないように本を引き裂くか、ゴミ箱に漂白剤を入れておく必要がある。
とにかく、ゴミ箱が「ご自由にお取りください」状態になってはまずい。
そして作業をする図書館員が16世紀の貴重書を見つけたとしても、
館長はそれを救えとは言えない。
捨てる代わりに調べるように命じていることになりかねないからだ。
どんな本か分からなければ捨てるのも楽になる。
みなさんがこの事実をご存じなかったとすれば、
ほとんどの場合、一般人が気づくのはゴミ箱に大量の本が入っているのを誰かが目撃してからのことだ。
とはいえ司書がこっそり話し合っている掲示板はいくらか見受けられるが。
2004年ごろ、ニュージーランドのビクトリア大学は13万冊の本を廃棄することを決めた。
計画では、廃棄対象の本に赤いテープを貼り、
それを救いたい人がペンでチェックマークを付けることになっていた。
ご想像のとおり、誰もが怒りをあらわにした。
ある教授は図書館を「野蛮人」と呼んで学内に電子メールを回し、
図書館をめぐりすべてのテープ付きの本にチェックを入れるよう、
職員と学生に呼びかけた。
私の場合は、本の廃棄に気づいたのはそれを盗んで逮捕された人だけだ。
一般人が気づくころには、すべて終わっていて、反乱の機会はなかった。
それに図書館は気づかせることのないよう巧妙な言い回しを使う。
たくさんの書架を空にして、本を書庫に送ったというとき、彼らは嘘をついているわけではない。
ただ、書庫はすでにいっぱいで、新しい書庫行きの本の分だけ廃棄をしているということを言わないだけだ。
本の廃棄を推進する人たちは、図書館の機能を「本の博物館」だとする見方に反対する。
みなさんは愛すべき古典文学の書架に代表されるたくさんの書架の集合こそが図書館だとお思いかもしれない。
通貨が少し下がったり上がったりすれば、外国雑誌の価格も少し変わるだろう。
さてここで、購読するのは数冊ではなく10万冊だと考えてみてほしい。
そして、いま降りかかっているのは小さな変動ではなく、大恐慌時代以来の最悪の不況だ、と。
これは一夜にして旅客機一台分が財布から飛んでいくことを意味する。
その旅客機の代金が払えないと、まずいことになる。
そうなったらとりうる手段は、燃え盛る蜂の巣を手放すように、
購読を打ちきることしかない……とお思いだろうか?
ところがそれは図書館のパワーユーザー、学者と学生が毎日必要とするものなのだ。
必要のないもの、それはたとえば、手書き挿絵の入ったネクロノミコンだ。
どれほどかけがえのない所蔵物であろうと、とにかく場所がないのだ。
というのも……
図書館が蔵書を引き裂く必要がある理由のひとつは、この不況だ。
悲しいことだが、それはそれで仕方ない。
コーヒーショップと引きかえに土塊にされているとしたらどうだろうか?
オーストラリアのニューサウスウェールズ大学でまさにそれが起こっている。
その図書館では、社交的空間を作るため、1850年代からの蔵書と新聞雑誌が廃棄された。
ピーター・スレツァク教授はそれを、図書館を「スターバックスのようなもの」に変えるものだと評している。
しかし、図書館の立場にたってみれば、それを要求しているのは、
彼らは本を保管することだけではなく、本を使う場所を図書館に求めているのである。
そして出版社は無数の本を出してくる。
ということで、図書館は、一方では新刊書を所蔵するために拡張を迫られ、
一方ではカプチーノを飲んで腰を下ろす場所を作れと言われているのだ。
問題は、その費用を誰も出してくれないということだ。
この報告書でも分かるように、図書館へお金を出している組織は予算増額をものすごくいやがる。
図書館が「拡張の資金が必要」と言えば、大学当局は「他を当たってくれ」と言うだろう。
ほとんどの図書館に他の当てはない(建物に放火して保険金をせしめるという手を勘定にいれなければ)。
本はもはや流行らない。このことは認めざるをえないだろう。
2010年最後の三カ月のAmazonの売上データで、電子書籍は紙の書籍を上回りはじめた。
最近のハードディスクであれば、場所をとらずに事実上無限の数の本を入れることができる。
小さめの図書館ならUSBメモリ一つでで置き換えられるとしたら、
巨大な防火設備で本を守り続けさせる原動力は、人々の愛しかない。
現在の経済状況下では、その愛はなかなか発揮されることがない。
この動きは三十年前に遡る。
1980年代、図書館のスペース問題を解決したのは電子化ではなくマイクロフィルムと呼ばれる新技術だった。
本や新聞雑誌をスキャンしてマイクロフィルムとして保存すれば、
図書館ひとつがキャビネットひとつに収まるというのが謳い文句だった。
ニコルソン・ベイカーは、マイクロフィルムブームの悲痛な記録を本にした。
それによると、大英図書館、アメリカ議会図書館といった世界の名だたる図書館が、
数千冊の古い貴重書を引き裂いてスキャンし廃棄したそうだ。
世界中の本好きたちがこれに抗議したところ、司書がマイクロフィルムを掲げて
今日では、インターネットの普及によって、本の圧縮はますます推進されるばかりだ。
ある組織では廃棄する本の選定にあたって、グーグルブックスに載っているかどうかというシンプルな基準を用いているそうだ。
もちろん、本好きの心はそれだけでは慰められない。
彼らは本の内容だけではなく、本それ自体に価値があると信じている。
彼らにとっては、同じ版の本がほかの場所にあるからといって、
貴重な書物を捨てることは正当化できない。
道は事務書類で敷き詰められていて、
これが現実だ。
http://anond.hatelabo.jp/20111015163513
ジワジワと精神的に追い詰めていく
ジワジワと追い込んだ後に異業種交流会へ誘う
そこにホワイトナイト
まるで運命のように
あなたのような優秀な人間なら、うちで今の給料よりもアップして採用したいですな
ただし、こちらを受けていただくにはきちんと退職していただかないと
他にも採用したい人はいるのですが、空きは1人くらいしかないので。
急がせる
退職届けを受理した時点で連絡
しばらく音通不信
これでイッチョあがり
http://anond.hatelabo.jp/20111015162203
親近感をもたせつつ、自主退職へ追い込む
一応、円満退社ということで。
今朝の話でございます。通勤中、なんだか急に腹の具合がおかしくなり、乗換えで上野に下りたときには既にビッグウェーブ到来。
乗りたくない、このビッグウェーブに!と思ってとりあえず本屋脇のトイレへ小走りで向かうも、まずユニバーサルトイレでは何者かが既にフン闘中。
ますますノッて来る波に冷や汗をかきつつ、奥の男性用トイレへ向かうも、無情にも個室は全て使用中!!
てめーらのんきにクソしてんじゃねーよ、こちとら HP は既にゼロだけど隠しパラメータの根性値 (via ブレスオブファイア) でかろうじて死んでない状態なんじゃオラー!と思いつつも一旦ここでウェーブが鎮まっていく気配を感じた私は通常の足取りに戻り、次なる聖地・改札内トイレを目指す。
が、小康状態でたどり着いた改札内トイレも、本日も満員御礼、チンチンジャラジャラチンチンジャラジャラでございます。個人的には今チンチンには用事がなくてコーモンの方から激しい突き上げを食らっているわけでありますが、皆さんそんなことは知ったこっちゃない。
しょうがない&もう少しはガマンできそうな感じになったので、ホームへ行きとりあえず電車に乗る。
が、秋葉原に付いた時点でまた「降りるしかない、このビッグウェーブでは」が来てしまい、フルフルしつつ下車。
そしてフードコーナー横のトイレへ駆け込むも、Oh、My、God、神はこの世にいないのか、本日秋葉原駅も満員御礼となっております。
このあたりでもう限界突破しており、必死で自分に「いやいやこんなの余裕。いやいやこんなの余裕。漏らすわけないじゃんww」と言い聞かせ、顔をブルーマンのようにさせつつ改札を飛び出し (ウンコは飛び出さず) 一目散にアトレへ!
アトレ2階、男性用トイレ発見!見敵必殺!見敵必殺!目標は前方3m!
まずはまたユニバーサルトイレが視界に入りますが、オーシット (クソだけに)、埋まってやがる!
そして!俺の前にもう一人トイレへ向かう男子がいるんですが!その背中を追いかけつつトイレへ入るとこれは奇跡!これは奇跡!
個室のドアが一つ空いているのが見えます!!!! 「会いたかった」とはまさにこのこと、アイラブユー便座今ホーミタイの心境で前進しますとこれは一体フリーメーソンの陰謀でしょうか、前方男子がするりするりとその個室へ吸い込まれていくではありませんか!!!!
相席で!すいません相席でーーーーー!!!!と叫びたい気持ちをグッとこらえ (あと括約筋もグッと締め) トイレ内を見回すも、他に個室は空いてございません。根性値も残り2くらいの感じで30秒ほど待っても、誰も出る気配もない!!
そして、ついに、THE TIME HAS COME。根性値が0になりました。終わりの始まり。グラウンド・ゼロ。
ワーニン!ワーニン!括約筋限界突破、目標は分散系懸濁液、3秒後に欲界に出現!!!!
分かるもんですね、あ、これ以上はムリなんだなっていう瞬間。高まる内圧により括約筋が「あっすんませんおれもうムリっすーあがりますーあとよろしくー!」って押し広げられてく瞬間てのが。
刹那、「穴なのだから指で塞げばどうにかなるのでは?」という閃きがニューロンを駆け巡り、0.2秒後には体が動いてズボンの中へ腕を突っ込むも、too late、地獄の門に指を差し込む前に結界は解き放たれ、押し寄せる波。あふれるパトス。ほとばしる36度の茶褐色。
しかし指栓は間に合わなかったが手は届いた、瞬時にフォーメーションを変え、手の平で受け皿を作って魑魅魍魎どもの奔流をせき止める!あったか~い!!!
この間わずか0.5秒。一瞬の硬直の後、もうどうしていいかわかんないんでさっきのユニバーサルトイレの方へヨロリと数歩移動すると、Oh、どうしてあなたたちは私の手のスキマからこぼれていってしまうの私の分身たち。
と、ここでようやくユニバーサルトイレのドアが開き、サラリーマンご登場。
このとき俺はおそらく死んだような顔をしていたものと思いますが、こちらを一瞥して特に何かに気付いた風もなくそのまま立ち去ってゆきました。セーフ。ギリギリセーフ。出ちゃってるけどばれてないからセーフ!(入れてないから浮気じゃないみたいな苦しいロジック)
で、まあ、既に事件は起きてしまった。起きてしまったのです。あとはもう、たんたんと処理をするしかございません。
ユニバーサルトイレにゾンビの動きで入り (右手はケツの濁流をせき止めたまま)、ロックし、とりあえず左手でズボンをどうにか脱いで残りのパトスたちを解放し、純白の便座へ送り届け。
被害報告:パンツ全損、ズボン半壊、ベルトかすり傷、右腕タールまみれ。他、カバン等に若干の飛沫あり。(スーツじゃない業種なのでそこだけ助かりました)
もうね、漏らしちまったらあとは処理するだけです。
下全部脱いで、ユニバーサルトイレにあるあれなんつうんですか洗面所のボウルがデカいみたいなやつ、あれでパンツもズボンも靴下も丸洗い。
あと、ケツも当然○まみれだったので、これも丸洗い。(イチイチ拭いてられる量ではなかった)
会社に「すんません午前休みます」っつって連絡しつつ、便座についちゃったのやら床にこぼれてしまったのやら色々掃除して、およそ20フンくらいかけて各方面をキレイにし、限界まで絞ったパンツとズボンを再び装着!
アレですね、全体に濡れて色が変わってると、意外とわかんないもんですね。股間だけ濡れてたらあからさまに漏らしちゃってる感全開ですが、全部が濡れてりゃ、もとからこういう色、みたいに見えるもの。
で。なんとか外に出られるレベルに回復したんで、そのままアトレのユニクロ行ってパンツとズボンを購入 (無論状況が状況なんで試着はしてませんよ念のため!)、冷たいズボンと微妙に臭いケツのままで秋葉原を闊歩、手頃なマンガ喫茶へ入って泣きながらシャワーを浴びて着替えましたとさ。
(念のためシャワールームでもう一度パンツ類を石鹸で洗濯しました。)
そのあとはカップラーメン食って昼寝して午後出社をキメました。
いやあ、秋葉原のど真ん中でゲリ漏らしても、意外とどうにかなるもんですね!
追伸:アトレの清掃担当の方、可能な限りキレイにはしたんですが、トイレ汚しちゃってすみませんでした。でもおかげで助かりました。アトレのトイレ万歳!
追伸2:ちなみに当方34歳二児の父です。34歳だろうが人の親だろうがなぁ、漏らすときは漏らすんだよ!! (フツウあんま漏らさないです)
だから君はそう思いたいんだろうってのはわかってるよ
「相手がゾンビだから、相手がずるしたから負けただけ、剣の腕では勝ってた!」って
ネット上で自然発生的に理論武装が出来上がっていく過程は、農民が鋤や鍬で武装して村を守るのに似ている。
たいてい武装としては貧弱なもので、剣豪が振るう業物に叩き折られちゃうんだけど、
もう彼らにはその武器しかないから、斬られたとしてもそれを振り回し続けるしかない。
というか斬られたことに気付いていないのかもしれない。
時代劇でよくあるシーンだね。
それで、そんなゾンビみたいな奴らがそこらじゅうを徘徊していて、もう剣豪でも手がつけられない。
多勢に無勢、いくら剣豪でも、そんなにたくさんのソンビは斬りきれない、斬っても死なない。
ゾンビはますます勢いづいて「剣豪なんて大したことない」「俺たちのほうが強いんだ」と思っちゃう。
なかなか救いのない状況だね。
それだけ頭を使っている。言葉に気を使っている。
日本人は、その気になれば140字どころか30字余でひとつの世界を表現できる。
ちなみに今でも地震に関してtwitter小説がほそぼそと展開しているので是非読んでもらいたい。
一方でこれだよ。
不謹慎厨をたたこうとするいなごがわく現象など今更どうでもいい。
あえて言えば、乙武さんも、公園の鳩にエサやる暇なお爺さんみたいなみっともない真似はしないでほしいということくらい。
問題はそこではない。
問題は彼らの発言内容が、どれもハンを押したような詰まらない内容ばっかりなところ。
本当にがっかりする。
最大限詰め込んでコレ。
Gilles_J58G
140字の中に頑張って7つの批判を詰め込んだ力作ではあるのだが、
と、同じような低レベルの批判は私でもできる。
私の批判文句を見ていただければわかると思うが、すごくつまらなくね?なんにも心に響かなくね?
ポストした本人は、こんなつまらないポストを批判する相手に送って恥ずかしくないの?
相手が間違っていて、自分が正しいと思ったから怒ったんじゃないの?
なんでそこで居住まいをただそうとするんじゃなくて、相手と同じレベルまで降りちゃうの?
そうする必要がどこにあったの?
他人に踊らされて、言葉もどこかからの借り物で、相手の顔も見えなくて。
それもうゾンビじゃん。BOTじゃん。人間でいる意味ないじゃん。
俺はそういうことをする人間がいるというだけで不快になるくらいつまらないぞ。
ボキャブラリー足りないから繰り返すことしか出来ないけれど、お前らほんとにつまんない。
批判するなっていってるんじゃない。
批判するならするで、もうちょい努力しろ、かんがえろよ。
なんで批判の言葉をそうやって安易に、無意味なものにしちゃうの?
何が「不謹慎厨」だ。全然面白くないよその言葉。何でも厨厨付ければ批判になるのか。
そうやってチューチュー言えば、何がしかの満足が得られるの?どんだけあんたの満足って安っぽいの?
批判を通じて、自分にとって正しいことを考えようとかそういう姿勢はないの?
俺みたいに子供並の言葉のセンスすら無いなら、せめて言葉を尽くせよ。
思ったことを丁寧に自分の言葉で語ってみろよ。んで、それを繰り返せよ。
なんで適当に他人を批判できるんだ。安易な批判を許すんだ。
そんなことしたら、自分が同じ批判をされる危険を想像して、怖くてtwitter出来なくないか?
もうそういう事を考えることも出来ないほど思考が止まってんのかよ。
twitterのいいところはゆるいところ?それって頭のネジがゆるいって事?
別にネジ緩めるのは構わんけど、緩めるなら知り合いだけにしたら?
見知らぬ人にわざわざRTしてまで自分の頭のゆるさをアピールするっておかしくない?
この物語のテーマが「契約と対価」にあることは8話まで視聴すれば分かると思います。以下8話までのネタバレを含みます。
「ハッピーエンド」の「対価」として大きな何かが失われて終わるものだとみられる。
巴マミを神格化しすぎたさやかは、巴マミが彼女に与えた「自分の為に祈るのか」「他者の為だけに祈るのか」という二択を、「マミさんのように自分への見返りを求めず戦う」ことが正解なのだと誤解してしまいます。
※実際のところ巴マミは孤独に飢えており、鹿目まどかの才能を見抜いていたことから、コンビを結成して戦うつもりでいました。魔法少女として生きる辛さを知りながら、「自分を孤独から救うため」に、キュウべぇを殺害して魔法少女が生まれるのを阻止しようとした暁美ほむらと敵対し、先輩面してまどかたちを危険な魔女との戦闘に誘い、魔法少女に誘導するつもりでいたのです。3話において美樹さやかは理想となる巴マミに近づくため自ら危険を冒してグリーフシードを監視し上條恭介を守ろうとします。その結果、彼女は巴マミが曝け出した「弱さ」を知らないまま死別したのが皮肉的です。
そして幼馴染に振り向いて欲しいという真の願いを押し殺し、あくまで他者のためだけを祈り契約した結果、彼女自身はゾンビになり幼馴染と結ばれないというあまりに重すぎる代償を支払うことになります。
それでも尚、巴マミに感化された彼女は「対価」を求めずに、世界を救う正義の味方として戦い続ける選択肢を選びます。
しかし彼女が本当に救いたかったのは世界ではなく上條恭介の存在であり、言い換えれば上條恭介こそがさやかの世界の全てでした。上條恭介を志筑仁美に取られたと誤解したさやかは「この世界に救う意味があるのだろうか?」という疑問を抱き、ようやく「自分が世界を救う対価を欲している」ことに気付きます。
その人、あんたのことが大事で喜ばせたくて頑張ってたんでしょ
あんたにもそれが分かってたんでしょ
なのに犬と同じなの?ありがとうって言わないの?役に立たなきゃ捨てちゃうの?
「ホストの為だけに全てを貢ぐキャバ嬢」に「世界の為に全てを捨てて献身する自分」を重ねて見た結果、自分も役に立たなければ世界に捨てられてしまう犬のような存在なのだと気付き、そして「見返りを得られない飢餓」から、「見返りを与えない他人を呪う」気持ちに取り付かれてしまうのです。
世界を救う希望の「対価」である絶望の「穢れ」をグリーフシードに押し付ける魔法少女の仕組みを理解したときにはもはや手遅れでした。
平たく言えば見返りを求めない考えはいずれ破滅するというのがさやかのテーマでした。
合掌。
なぜグリーフシードを受け取れば助かったのに自ら破滅に向かったのか。
彼女の真の願いであった上條恭介と結ばれることが叶わなくなり、自身を魔女と戦うだけの化け物だと自暴自棄になっていたというのが一つの理由です。
もう一つ大きな理由として、美樹さやかには「正統な対価が支払われたものしか受け取らない」という矜持があるのです。
7話で佐倉杏子のリンゴを拒絶し決別したシーン、8話で魔法少女契約を拒んだまどかの言葉を受け入れなかったシーンがそれを提示しています。
「人間の犠牲という間違った対価によって得たグリーフシードを受け取る」ことは理想とした巴マミから遠ざかる行為であり、魔女を狩るだけの化け物に成り下がった美樹さやかにとって、神格化された巴マミの矜持を堅持することだけが、己の破滅よりも優先されることだったのです。
佐倉杏子は7話でデレたという見解が一般的ですが、実は美樹さやかに重症を負わせる程度で使い魔狩りを阻止した5話の時点でデレていると思います。
美樹さやかがあのまま使い魔狩りを続ければ、魔法少女が3人もいる供給過剰な見滝原市は、いずれ「穢れ」を押し付けるグリーフシードが枯渇します。
そうなると「穢れ」を押し付ける対象はお互いのソウルジェムしかなく、生き残りをかけた魔法少女同士の本気の殺し合いに発展していたからです。
「使い魔を成長させて魔女からグリーフシードを集めろ」という発言は、魔法少女同士で戦えばルーキーである美樹さやかに勝ち目がないことを前提にした、100%善意から来ている助言です。
佐倉杏子は一環して「自分のため」という独善を口にしながら「他人のため」になる行動を取っており、「他人のため」という偽善を口にしながら「自分のため」の見返りを求めるさやかと対比したキャラとして描かれています。
『魔法少女まどか☆マギカ』が耐え難い。いや、耐え難いなら見るのやめろよって言われるのは当然だけど、イヌカレー戦闘パートとかは本当に格好イイと思っているんだ。でも、24分のうち他の16分くらいが非常に辛い。イヌカレーパートを見るために耐えているが第6話で心が折れそうになった。
何よりもダイアローグが致命的にツマラン。口でうだうだと説明するアニメは云々……っていうテンプレートな説教をしたくなる。この説教はその実は甚だ疑わしいけども、『まどか』くらいストレートに当てはまってしまうアニメもないよね。『攻殻機動隊』のように聴いてて面白いダイアローグが展開されるわけでもない、ただただ退屈なだけのダイアローグが、なぜか毎回毎回長大な尺を占めている。ボクには訳がわからないよ。
聞いていると途中で聞き流すようになり、後からちゃんと聞こうとして再視聴してもやっぱり挫折して途中から聞き流す。演出の工夫を見せてくれればまだ耐えられるかも……と思ったが第7話でイヌカレーが会話パートに投入されたにも拘わらず途中で挫折してしまったので、ああこれは純粋に脚本の問題なのかなと思った。こんなしんどいアニメをよくみんな直視できるよなって思う。いや、私の我慢が足りなすぎるのか。みんなすごい。
つかあれだけ映像の工夫を見せているのに、「ゾンビになった」とかいうさやかのヴィジュアルに何の変化もないのはどういうこってい。口先だけで「魂が抜かれた」とか「ゾンビになった」とか言われても見た目に変化がなければ共感できんよ。正確にいうとそういう抽象的なことをクソつまらんダイアローグで処理するからキツイんだよ。6話の気を失っただけみたいな描写では弱いって。魂が抜かれたなんて口でいくら言われても実感なんて無いわ。QBも肉体の強度を上げたいんなら、草薙素子よろしくこの子たちを全身義体化すればいいんじゃないかな。
影絵バトルマジ良かったよ。