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自転車:歩道走行禁止、厳格運用…警視庁が安全対策策定へ - 毎日jp(毎日新聞) mainichi.jp
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111019k0000m040191000c.html
まず歩道とは?
(定義)
歩道は「縁石線又はさくその他これに類する工作物」によって区分された箇所をいう。
三の四 路側帯 歩行者の通行の用に供し、又は車道の効用を保つため、歩道の設けられていない道路又は道路の歩道の設けられていない側の路端寄りに設けられた帯状の道路の部分で、道路標示によつて区画されたものをいう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B7%AF%E5%81%B4%E5%B8%AF
路側帯という。
はてブに路側帯の言及が全くないのでたぶん勘違いもあるかと思うのだが、というか自分が勘違いしてたんだが、路側帯は歩道ではないので、歩道走行禁止とは無関係。
路側帯は、原則として自転車走行が認められており(17条の2)、左側通行の原則もない(17条4項は括弧書きで路側帯を含む歩道等を除外)。歩道と違い路側帯の車道側を走るべきという規定もない。
(通行区分)
第十七条 車両は、歩道又は路側帯(以下この条において「歩道等」という。)と車道の区別のある道路においては、車道を通行しなければならない。ただし、道路外の施設又は場所に出入するためやむを得ない場合において歩道等を横断するとき、又は第四十七条第三項若しくは第四十八条の規定により歩道等で停車し、若しくは駐車するため必要な限度において歩道等を通行するときは、この限りでない。
4 車両は、道路(歩道等と車道の区別のある道路においては、車道。以下第九節の二までにおいて同じ。)の中央(軌道が道路の側端に寄つて設けられている場合においては当該道路の軌道敷を除いた部分の中央とし、道路標識等による中央線が設けられているときはその中央線の設けられた道路の部分を中央とする。以下同じ。)から左の部分(以下「左側部分」という。)を通行しなければならない。
第十七条の二 軽車両は、前条第一項の規定にかかわらず、著しく歩行者の通行を妨げることとなる場合を除き、路側帯(軽車両の通行を禁止することを表示する道路標示によつて区画されたものを除く。)を通行することができる。
2 前項の場合において、軽車両は、歩行者の通行を妨げないような速度と方法で進行しなければならない。
(罰則 第二項については第百二十一条第一項第五号)
なお、車道を走る場合は当然左側通行なので、右の路側帯を走るときは路側帯から車道にとび出ることの無いように注意しなければならない。
ここまで書いたんだけどよく考えたら近所に歩道無いじゃん路側帯ばかりじゃんとなったのでもういいや・・・
70歳以上は歩道走行許されるけどどうやって警察官はみわけんだよ?若いのばっかねらうんじゃないの?とか
「車道又は交通の状況に照らして当該普通自転車の通行の安全を確保するため当該普通自転車が歩道を通行することがやむを得ないと認められるとき」は普通人も走行できるんだけど?とか
この誤信はどうするの?故意犯だよね?とか
交通反則通告制度との均衡はどうなの?自動車なら前科つかないのに自転車は前科つくわけだけど?とか
いろいろ考えてたんだけど
いつも周りから軽く見られて、周りからいじられる事が多い子だった。
でも、失礼な事を言われても決してやり返したりせず、周りに思いやりのある対応をする子だった。
そういう人間に会ったことがある。
うっぜーーーんだよね、そのタイプさあ。
負けず嫌いを20年30年とやってきてるわけだから、
負けず嫌いなりに角が取れてるって言うか、余裕も出来てるわけよ。
(まあそうじゃないサイコパスみたいなのも一部に居るけどね)
大人になった頃には自分の負けず嫌い度に応じた場所に行ってるわけよ。
つまり周囲も同類の負けず嫌いだらけのコミュニティや企業にね。
これが迷惑極まりない。
とりあえず周囲の人間に当り散らすんだよね。
自分の現状のポジションや交友に対して破壊的なアクションが増える。
ほんとにやるなら自分を破壊しなきゃいけないのに、そこは自分が可愛いから物や人に当たる。
悪口や陰口やランク付けみたいな発言がすげー増える。
常に「馬鹿にされてるんじゃないか」って発想が支配的になって、臆病になる。
そのぶんまで攻撃的になる。
はっきり言って自意識上の障害、
メンヘラに分類されるべき奴らなんだよねあれ。
俺は成れの果てって言うか、結論みたいなおばさんを数名見たんだよ。
物凄く周囲に迷惑で、
物凄く本人も辛そうだった。
後からつけた仮面は20年経っても全然顔になじんでない感じだった。
一時も心休まってるときがないように見えた。
酒飲んだときの酒乱ぶりも半端なかった。(普段必死に見え見えのゴマすりしてた相手にも無礼をしてしまう)
大人になってから自分のそれまでを全部否定してやり直そうとする人。
おそらくメンヘラの一種だから、口で止めても止まらないだろうけど。
迷惑なだけじゃなく、それは上手くいかないんだよ。
成人に突如、問題を抱えた中学生みたいな危うい人格に戻られても
周囲の同僚はそんなの受け止め切れないんだよ。付き合うにはハードルが高すぎる。
だからあっという間に周囲と内面が隔絶して、不満と不安でメンヘラになり始める。
不幸になる。下手すればその先何十年も。
760 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2011/10/01(土) 13:08:55.40 しかし実際問題、娘が居たとして、結婚まで処女を守らせるのは 現代では至難の業な気がするぞ 中学・高校までは何とか阻止出来るとして、大学で一人暮らしとかになったらもう… 761 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2011/10/01(土) 13:26:05.45 >>760 だから娘を親元から出したがらない親が多いんだろ 東京で一人暮らしなんかさせたらどうなるかわから無いからな 763 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2011/10/01(土) 13:51:30.58 つうか娘持ちになったら、若い男というのが害悪以外の何物でもない 気がしてきた あいつら何なんだよ1日中ヤルことしか考えてねえし チンコばかりおったててヤルために何でも言うし何でもやるし それで男慣れしてない処女を片っ端から食い散らかしてるじゃねえか つうか>>749でもあるけど、一番下半身にしまりがなくなったのは 若い男じゃねえの? 学校では若い男に性道徳とか貞操とか教えないのか? 結婚しようと思う女性以外、手を出さないとか教育しないのか? もう娘に一人たりとも若い男に近付いて欲しくない 765 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2011/10/01(土) 18:43:22.84 >>763 すごい同意 お前に日本の総理大臣になって、その考えを広めて欲しい 767 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2011/10/01(土) 19:59:54.38 恋愛や性に走る娘は、家庭が円満ではないとか、 親に対して反抗したがりだとか、そういう自業自得な親の産物である場合が多い 自分の感情を押し付けるのではなく、むしろ好きにしていいぞとか、彼氏はまだできないのかとか、 それくらい言って一人暮らしさせた方がむしろ安全 実家暮らしだと親の有り難みわからんし些細な事で喧嘩になるしな スリルや周囲の抑圧は恋愛の最高の促進剤。 768 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2011/10/01(土) 20:03:49.13 それすごいわかるわー、 うちの嫁も家庭すごい円満で、恋愛や性にまったく興味なしで処女のまま俺に出会った、かわいいのに 家庭が不幸な知り合いの娘は変な男に次々ひっかかりDVされたりしてた 家庭って大事だな… 769 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2011/10/01(土) 20:10:55.81 あとは勉強なり趣味なり自身の世界に没頭出来るものを探してやること。 加えて人に振り回されない、自分の良さをよくわからせること。 例え成績良く真面目な子に育っても、それが抑圧の結果だったり、 自分に自信が持ててないと、チャラ男と言われるような奴に憧れるなんて自体を起こす。 性教育の前に親としての当たり前の義務を果たせ。 親が子を認めれば、子も親を認め、男にうつつを抜かしたりはしない。 771 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2011/10/01(土) 20:25:28.78 中古ってのが何がしか家庭に問題があるのを示唆してるのは同意だが >むしろ好きにしていいぞとか、彼氏はまだできないのかとか、 それくらい言って一人暮らしさせた方がむしろ安全 これはむしろ危険では? 処女をそそのかす中古と同じ真似してるわけだし 中古の誘いにくわえて親まで似たようなこと言ってたら 余計に無駄な焦りを感じさせてしまうのではないだろうか 772 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2011/10/01(土) 20:47:13.26 だから「むしろ」と言ってるんだ 焦ってどうにかなる問題じゃない 親が反対するようなことと認識させるのが逆効果だから、 それならむしろそう言えるくらいでいたほうがマシってこと。 勿論ちゃんとした信頼関係を築けていればそんなことする必要はないが。
私は彼らが気付くのを待っているのだ。
それを彼らが成せるようになるまで、それによる不利益から彼らを遠ざけたいと思うのだ。
天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。
くずすのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。
嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。
抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
捜すのに時があり、失うのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。
黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。
戦うのに時があり、和睦するのに時がある。
働く者は労苦して何の益を得よう。
私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。
しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。
私は知った。
人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。
また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。
私は知った。
神のなさることはみな永遠に変わらないことを。
それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。
神がこのことをされたのだ。
人は神を恐れなければならない。
今あることは、すでにあったこと。
これからあることも、すでにあったこと。
神は、すでに追い求められたことをこれからも捜し求められる。
さらに私は日の下で、さばきの場に不正があり、正義の場に不正があるのを見た。
私は心の中で言った。
「神は正しい人も悪者もさばく。
そこでは、すべての営みと、すべてのわざには、時があるからだ。」私は心の中で人の子らについて言った。
「神は彼らを試み、彼らが獣にすぎないことを、彼らが気づくようにされたのだ。」
人の子の結末と獣の結末とは同じ結末だ。
これも死ねば、あれも死ぬ。
両方とも同じ息を持っている。
人は何も獣にまさっていない。
すべてはむなしいからだ。
みな同じ所に行く。
だれが知っているだろうか。
人の子らの霊は上に上り、獣の霊は地の下に降りて行くのを。
私は見た。
人は、自分の仕事を楽しむよりほかに、何も良いことがないことを。
だれが、これから後に起こることを人に見せてくれるだろう。
ふと思い当たったフシがあったので、新しい業態を想像してみた。もしも実在していて、その関係者がいたとしたらいまさら(笑)とかいわれるんだろう。
何かの作品に対するファンが自発的にファンサイトを作る前提とする。そのアピールのためにサイトを作るようになる。
そのサイトがどのくらいあるのかを数を数えたり、リンクマップを作ったりするとファンサイトの全貌が明らかになる。
この業態にとって、SNSやブログの貸し出しによる囲い込みは好都合だ。
サイトから見える見た目はそこまでだけど、SNSで繋がっているとかメッセンジャーで繋がっているとか電話番号を交換している仲だとか、IPアドレスから住所を調べるだとかして、できる限り個人を特定しておく。仲良くなって年賀状とかお中元とかお歳暮を送って調べてもいいよね。
このお前のことは知っているんだ的な事実の突きつけは、抑止力になると思う。ただただ純粋にファン活動を楽しみたい人にとっては怖い。
即売会で組織的にすべての小間で全種類買いまくっている人がそういう調査の人だととしたら、怖い。そこまでして目立たなくてもいいと思う人は多いだろう。
そうこうしているうちに誰に情報を与えると有効にリンクがつながっていくかがわかってくる。
そこが情報の上流。上流から流した情報は少しずつ広がりながら下流に流れ、情報の海へしみわたる。
いくつかの情報の上流を押さえたら、そこから一斉に情報を流すと下流で情報が合流したときは大きな流れになっているかもしれない。
もしもマーケティングの達人と呼ばれるような手練がいるとしたら、このくらい緻密なことを考えていてもおかしくない。
緻密なマーケティングの結果、盛り上がったのではなくファンサイトの自発的な盛り上がりがすごいという評価が世の中の評価になれば、仕掛け人的には最上級の成功だろう。近江商人の理念である「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」につながっていくように見える。
同好の士として近づいてきた人が、実は何かの組織の息のかかった「何か」だとしたら、気味が悪い。
あるとき急に羽振りがよくなったときを境に豹変しちゃう人もいるかもしれない。
そのような人間関係が発露することはまれだろう。きっとうまくやっている。
流通の末端で、作品を受け取っている人間にとっては関係のないことなのかもしれない。
なんとも興味深い3-4時台の書き込み具合ですな。
まさに「君」がいないと、あーなっちゃう。
http://anond.hatelabo.jp/20110520173057
あれ?図星だったの。ごめんねー
余った分はアフリカに回す、というような話で怒った
この状況下で、余るという意味が分からない。余ったのなら、義援金として配れ(赤十字ですら足りてないのに、ユニセフが余るわけがない)
という話だと思うが?
ようするに、この状況下で余ったのなら、余らせたという事で、アフリカに回すために国内の義援金を余らせたらそら、怒られるだろ。
しかも、ユニセフじゃないが、被災地で縄張り争いして、同じ自治体に複数の団体が、支援物資持っていってバッティングとかいみわからないことも起きてるらしいしな。
個人は送らないでください、の意味が、団体も勝手に動かないでください。協力してください。という意味だとは思わなかったらしい。
失礼 スコープグローバルではないので、グローバル変数というのは、語弊があるな。寿命が恒久の意味
お詫びのコード
template<typename T>
T * getT(){
static T globalMem;
return &globalMem;
}
さて・・・これって、グローバルなのかね?
ヘッダでテンプレート展開できる部分に置こうとすると、こうならねーか?グローバルな変数って。
狙ってこう使うのはいいと思うけど、あやまって、何でもかんでもstatic付けるとバグるよねぇ
//突っ込まれるかと思って、待ってたけど、やっぱり、そっちを突っ込んだかぁ・・・
http://anond.hatelabo.jp/20070302133035
SEというか、プログラマというかIT?な企業は「人材不足」の加速によって、ずいぶんすみわけが進んだね。
自前で作るところ。
受託でうけているところ。
受託で持ち出しのできないところ。
人売りで人月貸しするところ。
数年前に受託受けがメインだった会社が売り手市場でできる人数が減少してくると、リソースの関係から持ち出しができなくなって、中途半端な人数を外に出して、外に出してしまったが為に余計人が社内にいなくなって、新しく雇い入れている間に人材派遣会社になる。
そんな流れが王道くさい。
少数でも自前でつくるところがいいな。
http://anond.hatelabo.jp/20070215102239 から派生した流れを読んでみて。
http://anond.hatelabo.jp/20070215113422
優先順位のつけ方がほんとにわかんない。
一番が仕事(というか彼女の場合やりたい事)なのは納得してる。
俺自身もそうだから。
でも、次が友達ってのは正直寂しいかな。
以前言われたことがある。
「友達といるときに、『会いたい』って呼ばれても行かない」って。
実際、こないだも友達と遊びに行くのを隠そうとされたし(実際はいろいろあって最後には正直に答えてくれたけど)。あれは少なからずショックだったなぁ。
思うに、俺<友人なのが嫌なんだな、きっと。
http://anond.hatelabo.jp/20070215115654
面と向かって、あなたは3番よフフフって言われると、
何だよちくしょぅ(笑)ってなる。
むしろ、凹む。実際凹んだしね。
その事実に満足できるかどうかなんだろうね、きっと。
http://anond.hatelabo.jp/20070215114953
じゃあなんでそういう人を好きになるの?正直そっちのほうが全然いみわかんない。
そう言われてしまうと、なんとも返しようがないんだけど。
好きになってしまったものはしょうがないというか。
不愉快じゃないと言えば、嘘になる。
でも、どこかでそういう奴なんだとあきらめてる部分もある。
http://anond.hatelabo.jp/20070215115211
そうなんだよねぇ。
http://anond.hatelabo.jp/20070215115505
DVで体壊されてもついていく女性がいるように、無視されてもついていく男性がいるだけの事。
恋愛は支配被支配の関係だし、理性では制御できないんでなんともならないよ。
俺って無視されてんのか。自覚無いけど。
恋愛に限らず、人間関係は結局支配するかされるか、ってところに帰着しちゃうんですかね。
その主導権の奪い合いや固定されたパワーバランスが快く感じられるうちが華ってことか。
http://anond.hatelabo.jp/20070215113422
じゃあなんでそういう人を好きになるの?正直そっちのほうが全然いみわかんない。
彼氏をいまいち人として扱ってる感じのしないそういう女性の方に、それでもあなたたちは魅力を感じるってことなんでしょ?
http://anond.hatelabo.jp/20070215114450
そういうことならアリかもしれんが。でも女同士でならともかく自分の前でも「あなたを大事にしないよ」ってポーズを取られるのって不愉快じゃないの?それを許しちゃってるからそういうのがまかり通るんでないの。
なんやら盛り上がっておりますが(増田内だけで、なw)。
ていうかさー。いみわかんねーな。サービス業だろ? サービスするのが仕事だろ? 立地だけの駅前書店商法はこんなかねコバンザメ根性丸出し。とか言われてもしょーがないよね。誰があなたの食い扶持を払っているのか、とか「潜在顧客」とかいう言葉を再確認したほーがいいんじゃねーの。そもそも不特定多数のの客に読まれてないってことはその案内図のユーザインタフェースに問題があるんだし。どうしても業務に支障が出る、ってんならこんなところで客を侮辱する前に大家に報告しろよ。ほう・れん・そう。ビジネスの基本ですよー?www
見えるものや音や匂いなどが平坦に、平坦な俺に真っ直ぐ降り注ぐ。それは祝福であるなんて脳みそ皺なし。どうにかなって。140センチメートルほどの老女三人が談笑しながら歩いて、向こうからやって、決して俺を見ないのだが、一つだけ言っておきたい。三人はそっくり。俺は、何もかも平坦でつらいというか、しんどいし、だるいなあ。言ってもしょうがないから。音も平坦なのは耳が悪くなったのかなと思いながら、ぼうっときょろきょろばかりしていると急に目がおかしく、ぐわんって明滅し、次第にスケールが狂ってしまう。体も重い。ふにゃふにゃーっと体が背骨ごと折れ曲がって俺は座り込んでしまうともう立ち上げれず。老女はまだ遠くからにやにや歓談しながら近づいて、その所作は極めて小人っぽく、近づくごとに、ああ矢張り小人なんだろ、と確信したくなるほど小人なのだがしかし多分小人じゃないなと心の何かによって思って、落ち着け俺、と呟いたが落ち着かない。そわそわしてしまう。この奇妙さは何なの。あ、今気付いた。なんか俺が小人になっていくようでもあるな。なんでだ、と思っていた。そして、いや、スケールがおかしいのは俺以外のものがどんどん大きくなっているからじゃねえ、と思ったら。寧ろ婆たちはでかくなって、俺が小さくなりだして。あらあら。俺以外がみんな大きくなるのと、俺だけが小さくなるのはどこに区別があるんだ。むずかしいですね。俺以外はどんどん大きく、それか、俺がどんどん小さくなって、ある地点で、婆よりも俺のが確実に小さいと思ったけれどもサダカではない。しょうがないな。俺はガンタンクのように立ち上がってぐんぐんっと逃げたが、小さくなっているので中々前には進まないでその場から遠ざかれない。婆らが、しわがれた声で笑いだした。不穏。気温が下がった。サミー。ひゃーひゃーひゃーと笑う声が、ドーム内のようにくぐもって木霊するのがきもちわるく、むかつく。俺が小さくなるのは止まないし。笑い声も止まないし、耳が聞こえないし、目も見えなくなったよ。今。笑い声だけ聞こえる。何も見える。すべては世界の所為であると僕は直感した。それほど悪辣な、悪魔的な所業。世界の所為にした。私以外のものすべてが世界だろう。私は私のことを省みない婆たちを恨みたいが、しかし、善良幸福そうな彼女らが私利私欲怨恨怨嗟のために或いは意地悪で或いは俺を怒りらせようとしてわざと嫌な風に笑っているのだ、とは思えなかったし、文句を言う気も起きなかった。いづれ止むだろう。と思って我慢した。4秒。しかし、笑い声は止まぬので、俺は益々苛々してくよくよした。それを反復しました。いらいらくよくよしました。疲弊した。もういきていられぬ。婆らは自分がそのような声を出して笑っていることについてどう思っているの、と考えた。知っているのか。受け入れているのか。幾十年前は恐らく婆たちだって花も恥らう乙女だったんだと思うけれど、その時もああやって笑ったのかというと、あんな風には笑わないだろ。少なくともしわがれてはいないんだ。じゃあ今俺をくよくよさせているこの声は何なのか。これが老化か。格好良く言うと老化現象。わからないが。いや。分からないけど、でも、と、私ことあたいは思ったンだ。私たちの住む世界というのは何の断りもなく当人さえ知らぬうちに何もかも変容させるし、それも受け入れないならば死ぬしかないみたいな嫌がらせのようなあくどい世界で、それはまあ何度も何度だっていやになるのだが、しかし死んだからといって願いが叶うとは限らないし、それどころか死んでしまったら自分がその現状さえ維持することも極めて難しくなる。例えば、死んだ自分を自ら死んでない死んでないなどと言ってフォローすることさえ自らが死んでしまっては不可能なんであるからね、というか大体において死んだ身体というものは動かないし死ぬのは怖いし死の先は見えず見えないものというのは大体において恐ろしいものだけどそれが何故恐ろしいかというとそれが何なのか分からないからでまた大体のものというのは分からないものなのでもあるからこそ分かったような気にもなるのな。たぶんだけどね。お前が悪いわけじゃなく、お前が悪いわけでもないんだがお前が嫌い、と思っていた。僕は。そして、気がつくと目が覚めていた。気がつくときはいつも目が覚めていた。ほってんとりを見ていたら、コーヒーをこぼしたらキーボードが壊れた。多くのキーが反応しない、そんななか、kキーだけ自分は押されてると思い込んでkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkってなってる。押してないいよ。キーボードを買いに行く。しかしお腹が、ぐるうん、ぐるうん、ぐるうん、と断続的に、連続的に鳴り続けて止まないのだがどうしたら良いのだろう。お腹の音は本人が思うより周囲には聞こえないものだけれど、聞かれても大人的に知らんふりされるのだろうけどで、さすがに、これは、知らんふりしずらく、見つかったら、奇妙というか珍妙で、恥ずかしい、堪らないなと、僕は舗道をずんずんと早歩いていた。空腹というのは波だから、収まるのを待とう。それまでは、騒音のある郊外にいようとおもったのである。さみーとか思いつつ。考えつつ、ふらふらする。そもそもお腹の音が止まないということはありうるのだろうか。僕は今現に自分で止まないと言っているのにそれを疑っています。疑り深い。ぐるうん、ぐるうん。空腹。自分が楽器になったようだ。或いは虫だな。空洞の胴体が振動している。手はおまけのようにくっついてぶらぶらしているし、足は勝手に歩んでゆくような。頭は余計な下らない装飾のように生えているだけだ。腹が歩いてく。盲目の人を見かける。こんな街中で。赤線の入った白い格好良い杖をもっている。俺のことが見えない人。盲人。意地悪をしたくなる。僕は眼というのが嫌いだなあ。とくに軽蔑の目なんかは胃が痛くなる。敗北感が鳩尾辺りできりきりする。次の朝起きれなくなる。その割りに僕という人は尊敬される人でないし、寧ろ積極的に軽蔑される人だよなー。不思議。世界は絶望で満ちていますか。だって。わらた。いやらしいハッピーエンドいやらしいいやらしいいやらしい。迷惑な命。生まれてきて残念でしたすいませんでしたもうしませんもう生まれてきませんビスケットのすいませんでしたマリーを食べていたら頬がなんだか熱をもってしまい口中は乾いてつばを飲んだら喉が痛うという憂き目である。散々だ。死んだほうが益しだ。菓子ばっか食っている。たまにしか死にたくならない。幸いなことである。なんて幸福なの。なんて幸福なの。自己を規定する際他人というものはとりたててじゅうようで他人なしに自己を形成しようとすると失敗してしまうな。自分とはおそらく社会的なものなんであって他人なしで自己を作っていくと自意識だらけになってしまうのだろ。結果的びに自分の誠実を守るために都合の良いルールを取り入れなければならず、自分中心を後後天的に許容して、独我てきに、あらゆる責任は私に帰するのだとして、私が気持ちよいやうにやる、と言って逃げ回っておるだけで、逆説的に、逃げるのはつらくないから気持ち良いのであって、結局、態度を保留し続けているという極めていやらしい態度で生きている。のうのうと死にもせず、愛されもせずに。おぞましく不愉快な生物がいたものである。ああそうだ。何もしてないのに髪が伸び続けるのは俺へのあてつけで、嫌がらせなのだ。爪が伸びるけど爪きりが見つからない。すぐに物をなくしてしまう。数年前のことなんだけど、2ちゃんねるの書き込みの、思春期に愛されなかった人はもう一生愛を知れない、というような断言には呪われてしまっていた。そこまで言い切る根拠はなんだ、気が狂っているのか、こいつと、おれは全く思わずに、静かにゆったりとした時間の中でぼんやりと発狂するところだった。精神薄弱である。でも実際、そんな阿呆な、とすら思えなかったのでびびりますね。如何に下らない言説であろうともタイミングによっては直撃的なネガティブな信仰・呪いとして無抵抗で受け入れてしまうときもあるものなのだな。少なくとも俺にはそういうところが。俺はそのときは本当に呆然自失して、がびーん、てなってた。もうだめだ。もう。このクソみたいな煽りみたいな2ちゃんのレスに中てられているんだけだとは半ば、知りつつも、悲劇みたいな憂鬱的な心地よさにおちついて、徐々に憂鬱浸しになってゆくしな。しにたいとゆって、決して死にたくないのに。死にたいと言う人にじゃあ死ねというのはひどいね。だれのこととはいわないけども死にたいって言うひとはたしかに気持ち悪い。うぜえ。死ねばいいのに。だめなやつら。時折死にたいと呟くやつがいるが、いけないんだぜ、実にいけない、俺は少なくとも本当は死にたくなんてなかった。死んでしまった以上なんとも言えなけれどもね。俺は、つうか寧ろ、なのであるが、生きていない状態を死んでいると言うから、つまり、それは生きているの対義語なんであって、だから、生きたくない、死んだ状態になってしまいたい、という意味で死にたいと言ってゆるのであって、まじ死のうとしている気狂いと一緒にすべきではなかった。願っていただけだった。おれは。静かに。死ぬという行為をスキップして死んだ状態になりたかっただけだ。歩きたくなければ歩かなければ良かった。生きたくなければ生きなければ良い。それは馬鹿だ。馬鹿な話だ。この世は極楽だ。歩かないことは簡単であるが、生きないことは簡単ではない。我々はもはや生きないためには積極的に死ななければならない。生きないからと言って呼吸運動を停止するのはつらく、ご飯を食べないのもつらい。痛いのはつらい。そして、だからこそ僕は死にたいと言って死ぬ覚悟を得るために生きない理由を思いつこうとするがどれもこれも結局のところ全く致命的ではないのだ。吃驚しますね。いいから死ね。積極性をもって死にたくない。だって俺は生きたくないだけだ。誰が好き好んでつらい思いして死ななきゃならないんだ。馬鹿か。もういみわかんねえ。せかいはいみわかんねえよ。いいから死ね。命に意味がほにゃららと誰かが言い、クソカルトである不謹慎禁止教徒どもが、わめきちらす思想はすべての命を汚辱に浸している。倫理なんか水伝と一緒の癖に。人なんかみんな死ねばいいんだ。つらいのが嫌なだけで、そういった思想の持ち主は生きていてはいけないのだ。俺はただ動物のように生きたいと言うが動物にしては恵まれすぎている、といって、俺から言語を使うな、火を使うな、道具を使うな、公共を使うな、恥じ入っても生きろ、などといえたものか。動物が有利を捨てたりするものか。あらゆる責任を放棄して、迷惑をかけて、死、ん。うんざりだな。死にたくない。今の生きている状態を回避していたい。つまり死にたいのだが。死んでいたい。最初から死んでいたい。それはできない相談だ。死ぬのが怖い。それだけでなく、実は死ぬ先も怖い。びびっている。地獄なんてないのが嫌なんだよ。俺は。地獄なんてないと人は言うのだ。まともな神経の人間はそう言う。地獄なんてないとまともな神経の人間は人は言うのだが、そんなはずはない。僕に地獄が与えられないはずが無い。平等に与えるべきだ。子犬に、子リスに、養鶏に、俺に。平等に。あらゆる生き物の命は平等である。それは正しい。あらゆる命が平等に無価値だ。正しい。たしかに! そうして価値は常に"社会的"にのみ宿るのであった。ウケル。俺は絶対に働かないと言ってやる。そうすれば少なくとも俺から奴隷的価値はなくなるかもしれない、扱いにくいとして少しは減ぜられるかもしれない。もしかしたらだけど。いいから早く死ね。そうして、俺は不健康だし、やせ細って、いる。だが僕には価値がある。マッドサイエンティストの実験用人間としての価値。人間を粉にして作る薬の原料としての価値。まずい人肉としての価値が、俺にはあるぞ。僕が何かの人質になると人道的なんとかと言って誰も俺を望まなくても俺には人質として価値が付与されるのだ。俺は社会的な生き物なのだ。じゃあ鯨も社会的だ。鯨食いてえ。蟻は社会的だ。ライオンは社会的だ。カブトムシは社会的だ。カカオは社会的だ。人間なんてくそだ。って鯨が言ってましたよ。どうなんですか。人間。鯨の命はチキンのより価値があるのだろう。ばい菌やビーフやエチゼンクラゲや保健所の犬とかわいがられてる犬と投げ捨てられる子猫と野良猫と血統書とかペットとか金持ちの子と貧乏人の子。すべての価値を認めたくない。地獄なんてなかったね。行ってきたけど、ありゃあ地獄なんて呼べるようなとこじゃねえ。よって結論はあの世に地獄なし、ということでね、知ってるわ、じゃねえ。しらねえよ。お前。地獄なんて信じないくせに。いや、あるかもしれないし、死んでみないことには、などと、阿呆らし、論壇きどちゃって? はは、こうしたこまっしゃくれた奴らは駄目さ。なんでもメタに構えちゃってね。俺がメタのメタに立って優越感ゲームになっていますね、って、そのレッテル貼りが既に優越感ゲーム、ゆゆゆゆゆって、ですか、阿呆らし、やめよ、どちらにせよ論理的云々などといってはまた保留だよ、永遠に保留し続けますか。まあ、だからと言って地獄の存在を鵜呑みにする連中ってのもどうかと思いますけどね、端的に言って宗教者はきもい。宗教は駄目だ。というのは俺が信じれないからだけど。俺に純真がないからなあ。奇跡がない。啓示が。俺に与えられない。これからも与えられはしないだろう。何かを与えられる事を望んではいけない。どのような状況においても。それは甘えなのだ。つらい事をやめてはいけない。それは怠けなのだ。ナマケー。いいからやれ、と、結局はそれへ収斂するよね。あらゆることがそうなのだよ。俺は仮定で、空想上の人物で、空論以外に、何かを実行することが、不可能なのにな。残念だ。あるひとは俺を指して、言語に支配されてきもい、と言ったのだ。たしかに。だった。そういうしかねえよ。本当正しいぶっていますね。俺なんて、いいから死ね、といわれればそれまでである。死ぬしかない。いいからやればー。うるせーばか(ここで絶命しました)。
リンクしてる人にリンクしないでって訴えている人ってなんでそんなことしてんの?
無断リンクはサイトのページを盗むことと同じだとかここに書いてある「リンク」の考え読むたびにムカツクだとか
まあ双方の意見もあるんだろうけど(それ以外の意見もあるだろうけど)
正しいとされるルールが無い状態で、相手がやめてっていってるのに何でわざわざ
無断リンク禁止するのかと。
嫌がってるんだからやめればいいのに。
もしどちらかが正しいとしても(「正しい」なんてありえないんだけど)
正しいからっていう理由で相手に嫌がらせしていいものじゃないでしょうに
・多数が自分の意見に同意して(自分が正しいと思うに足る要因があって)
・相手がむかつく場合
・自分の正しさをかさに相手を攻める
ようなアホばかりにみえるんだけど、それともなんか理由があるの?
ざっとみわたしたところ、ほとんどただの嫌がらせをしてるとしか思えないんだけどな。
どうなってんでしょうね。
はてなブックマークしてる人ってなんでそんなことしてんの?
どこにブックマークしようが勝手だとかブックマークはトップにするべきだとか
まあ双方の意見もあるんだろうけど(それ以外の意見もあるだろうけど)
正しいとされるルールが無い状態で、相手がやめてっていってるのに何でわざわざ
はてブするのかと。
嫌がってるんだからやめればいいのに。
もしどちらかが正しいとしても(「正しい」なんてありえないんだけど)
正しいからっていう理由で相手に嫌がらせしていいものじゃないでしょうに
・多数が自分の意見に同意して(自分が正しいと思うに足る要因があって)
・相手がむかつく場合
・自分の正しさをかさに相手を攻める
ようなアホばかりにみえるんだけど、それともなんか理由があるの?
ざっとみわたしたところ、ほとんどただの嫌がらせをしてるとしか思えないんだけどな。
どうなってんでしょうね。
→ http://anond.hatelabo.jp/20070105132943
エントリをブクマされた人が、次に「いい加減やめてよ」的なエントリをかいてんのに
なんでわざわざそこをブクマしてんのかな?とふとおもったわけ。
そこには一見すると特に主張も無い、ただの悪ふざけに見えるんだけど、
こう何度も何度も目にすると裏になんかあんのかな?とおもうわけね。
裏に何もなかったら本当にたちの悪いアホなだけだけど。
あなたのいうふうに家に例えたら、突然押し掛けられたのが嫌になってその家を引っ越して、
次に転居知らせを出したらそこにも押し掛けられたっていうふうに近いと思うんだけど。
その二番目の家に(エントリに)わざわざいく(ブクマする)っていう行為が
どういう風に当人にとらえられるかってちょっと考えたらわかると思うんだけど。
→ http://anond.hatelabo.jp/20070105143803
無断リンク禁止を叫んでいる奴を見るのが不快だ。俺に嫌がらせをしているように感じる。
だからあえてリンクする。っていう考えも成り立つと思うんだが。
うん成り立つね。
だからほんとうにそういう考えの人ばっかでブクマしてんならそれでいいんだ
ネットって知らないことのほうが多いから、
ただほかに意味があったとしても、本人が嫌がっているのをわかったうえで
そのエントリにわざわざブクマするという行為はなんていうか、ださいな。
んでだれもそれをあんまり言ってない気がした。
実際リンクはどう張るべきとか、そういうことはどうでもいい。
→ http://anond.hatelabo.jp/20070105171631
リンクはどう張るべきとか、そういうことはどうでもいいのでこれに関してはコメントできません。
それと引用元の人の言ってる内容よく理解できんかったので。
→ http://anond.hatelabo.jp/20070105180512
最終的な到着地点が同じ。だったらこれコピペする必要あるか?
別にはてブするなと言っているわけじゃなくて、無断リンクするなと言っているだけだから、はてブするのを非難するのはナンセンスでしょ。はてブしているユーザーに無断リンクかどうか聞いて回ったわけ?私はリンクは許可や届け出が必要と書いてあったら、ちゃんと許可をもらってから、あるいは届け出てからはてブしてる。
ってことにひっかかったわけでハテナで聞いてみようと思った訳ですね。
何ではてブユーザーは無断リンクしてんのか?と聞いてる訳ではないんだけど。
という認識が当事者にちょっとあるんじゃないかな、と思ったりするけれど
まあその辺は実際どうでもいいのよ。
俺は単にやめてっていってる人のとこにわざわざすることないのになんでするの?
って思っただけ。