はてなキーワード: 映倫とは
あああああ…すぎる、ありすぎる…
身に覚えがありすぎるよぉぉ…
さすが八百万の神がいる国、ニッポン。神の存在に慣れている。増やす事になんの違和感もない。一神教だったら神作家なんてなかった言葉かもしれない、ここに生まれてよかった
とりあえず神作家とは跪き崇めて奉る存在なのだ。エンペラーである。強者である。ああ意のままにしてください
お題サイトや写真素材サイトが流行りだし、簡素化した作りのサイトが増えた頃だった
真っ白な背景に神作家が描いたバナーのような小さな画像。シンプルなサイトだった。画像の下に二、三個のリンクがあり、そこから神のサイトの概要と作品と日記、リンク集に飛べるようになっていた
懐かしいが溢れ出して止まらない…相互リンクとか、今の若者知ってんの?大量すぎる○○同盟とか、GIFバナーとか、キリリクとか、コスプレサイトはめちゃくちゃ入り口厳しかったとか…ああああああ語彙失いそう
そんな懐かしい話は置いといて、神は本当に神だった
まず絵がヤバい。めちゃくちゃ上手いし色配置最高だしそもそもレベル高すぎて見てるだけで心がキュウ…ッとなる
文章もヤバい。語彙力消える。跡形もない。(白目)とかめちゃくちゃ打ちたくなるくらいヤバい。作品ごとに変える字体やカラー、そして大きすぎる明朝体のタイトルがスタートラインなのに私の心を掴んだ
神の文章もしかして聖書かなって思ってた。中学生だった私には神の存在という刺激が強すぎて、内容はほのぼの系がほとんどだったのに私の中の映倫が非公開を望むレベルだった
引き込まれる文章と鮮やかな描写、力強い絵、すべてが世界観をしっかりと作り上げていた
そんなに好きだったのに、私はその神のサイトを今は知らない
悲しいかな、高校生でオタクは恥ずかしいという気持ちでサイトを開かなくなり、そのうちにURLも何もかもなくし、同盟やランキングも404エラーになっていたのだ
ペンネームで検索したこともあったが名前がどこにでもいるようなものすぎて見つからなかった
私の中の綾城さん、今も神活動をしているだろうか
きっとまた探したとて見つからないだろう
でも、数年後きっと私は私の中の綾城さんをまた思い出すと思う
マジレスすると。
ポリコレって、「ポリティカル・コレクトネス」の略で、「政治的に正しいかどうか」っていう問題であるのに対して、セックスとか性的な問題って言うのは個人的な事なので、個人的な話に政治は干渉しない、っていうのが「ポリコレ」っていうことになる。
強引に犯されるのが好きな女性や、女王様からハイヒールで踏みつけられるのが好きなオッサンもいて別にかまわないし、そういうAVがあってそういうのが好きで見る人が居ても、それは個人の問題で、政治的にどうのこうのという話では無い。
強いて言えば、たとえば皇族は、完全に自由ってわけにはいかないだろうな。庶民には知る由も無いが、なんらかの「正しいSex」的な流儀みたいなのが有りそうな予感はするよな。知らんけど。適当な事言ってごめん。
政治的に問題になる可能性があるとすれば、「AVでおかしな知識を身に付けた男たちのせいで、不幸になる女性が多すぎる!」みたいなことが社会問題になった場合だろうな。現にそうなってるから、こういうネタが増田に投稿されるのかな。
そういう声が強くなれば、既存の仕組みで言えば「映倫」の規制方針が変わっていくことになるだろう。現にアメリカでは、随分昔から、強姦的なAVは禁止だ。自由の国アメリカで、拳銃の所持さえ認められているのにね。
実写化?知りませんねって感じだったんだけど、まあ気が向いたのでレンタルしてきた
なんだあれ?
個人的な感想です、ていうかあまりにも混乱してるのでちょっと待ってって感じ、もちろんネタバレする、めっちゃ長い
なるべく好意的に考えたいとは思う
キャストはそこまで悪くない
まあ、みんなあんなにひょろくねえよとは思うけど、頑張ってたと思うし、あんなめちゃくちゃな映画でよくもあそこまで真剣にやったものだ
演技がシリアスであればあるほどにじみ出るお遊戯感は多分キャストのせいだけじゃない
それにしても承太郎は英語がひどかった、あれはさすがにもうちょっと頑張れよ
キャスト発表の時にも思ったことだけど、なんであんなちょいキャラにキャスティングしたんだ?だったら吉良やってほしかったよ、平穏に暮らそうとする手フェチサイコキラーなんて役ができるのあとだれだよ? 藤原竜也?
コスプレ感すごいな!
あれでシリアスな場面がすべて台無しになってると言っても過言ではない、何回か本当に吹き出した
学ランとかはそこそこリアルな方向にアレンジしてたとは思うんだけど、髪型やばい
仗助のハンバーグ頭を変更されるのはなしとしても、もうちょっと服装と同じくらい現実的なアレンジ加えてもよかったんじゃないだろうか
承太郎は後ろ頭の帽子と髪の毛の一体化具合に腹筋やられたし、虹村兄弟も髪の毛が気になって気になってシリアスな場面が全然シリアスでいられない
あれは原作からしてDB意識してただろうとは思うけど、実写であんな表現してくるとは思わなかった、見せ場を作ろうとしたのはわかるんだけど、あれでよかったんだろうか(ごく個人的には「やめろ」って繰り返してたあたりで「友奈ちゃんをいじめるなー!」が連想された、ヒロインかよ)
服装のほうも学ランのペラペラ具合とか気になったので、いろいろ衣装さんの予算の都合があるのかなという気もしないではない
あと、あれスペインロケの意味あんの?いいじゃないですか仙台で
虹村兄弟の家豪華すぎて笑っちゃったよ、原作もなかなかいい屋敷に住んでるけど、立入禁止があまりにもそぐわなすぎ
スタンドバトルはもうちょっとオラオラとかドラララとか見たかったなあ、act1は見れてうれしかったけど
全体として家族愛を軸に仗助がじいちゃんの遺志を継ぐまでをやりたかったのはわかった
アレンジするのはいいよ、原作あのままを二時間の映画でやってもしかたない、そういうのはアニメでやったし
ただ改変がことごとく悪い方向にしか向かってないというか、あまりにも再構成が下手すぎて混乱するだけになってるように思う
まずなんで高二にしたの?映倫の都合?まあそういうことで康一を転校生にする必要があったとして、キャスティングの都合上由花子をある程度の時間出さなきゃいけなかったとして、あそこまで由花子を露出する必要あるか?
由花子はどう考えても第二章以降でのメイン要素なんだから、黙ってれば美人なんだし普通にヒロイン枠で姿をチラ見せさせといて、康一と普通の青春しそうに思わせといて、億泰との交錯で見る側になんとなく疑惑は持たせつつ最後にお弁当でも宿題でも使って「あれこの子おかしいな?」って今後の引きに使ったほうが話がすっきりすると思う
第一章序盤から由花子のアレっぷりをアピールしても話が散漫になるだけだろ、伏線ならきちんと伏せてろ
ていうか億泰だって要は転校生だろうし、康一と同じ転校生として由花子と同じように姿をチラ見せさせつつ後半につなげればよかったと思うんだよ、前半にある程度虹村の兄弟愛を掘り下げておけば最後の兄貴の死にも説得力が増す
アンジェロは逆にあんなに掘り下げる必要はない、東方家と虹村家でそれぞれの家族愛を比較させてるんだからさらにアンジェロの父親の話まで入れる必要ないだろ、入れ方も中途半端だったし
そして余計なエピソード入れたくせに、時間稼ぎにべらべらしゃべって人質取ろうとするエピソード省くもんだから、アンジェロ岩がやりすぎに見えてえぐくなってる、ただでさえ実写でえぐいのに
あれでやさしい能力とか言われても正直いやいやいやと思ってしまうわ
それに東方家も正直描写に尺を取りすぎてる、じいちゃんを多少掘り下げるのはいいとしてもやりすぎ、あれの三分の一でいい
そもそも今後の展開として、ジョースター家とDIOの因縁をどうするつもりだったんだろう
第一章の時点で矢の説明がなんにもされてないし、兄貴やアンジェロがDIOに言及しないし、あくまで杜王町の話として3部以前にまったく触れないつもりだったんだろうか
余計な伏線は細々いらんとこまで張っといて、弓矢の出所についてはきっぱり第二章で!とかないと思うんだよな
そうするとジョースター家がなんでスタンド使えるのかとかがまったく説明できないと思うんだけど、そのまま押し通すつもりだったんだろうか
それにしたって虹村父がああなったのを「バチが当たった」で流しちゃうとかないだろ、強欲と人でなしがすぎてあんなふうになるとか普通に意味わからんわ
矢を奪うのが吉良ってことは、のちに矢でスタンド使い増やすのは吉良父じゃなくて吉良本人ってことにする予定だったのか
すごい好戦的な吉良だな、静かに暮らしたいとか絶対思ってないだろ
だいたいシアーハートアタックでどうやって矢を持ってったんだろうか
アンジェロが聞いてるだろう状況で承太郎が「オレのスタンドは時を止める能力だ」とか言い出してわざわざ自分の能力ネタばらししたりとか
クレDの能力的に康一はそもそも時間稼ぎする意味あったの?とか
シアーハートアタックが口に入った状態で兄貴どうやって喋ってたの?とか(というかもしかしてあれはシアーハートアタックが腹から体内突っ込んで口に到達したということなのか?口からは物理的に入らんだろ、画面から全然読み取れなかったんだけど)
最後の仗助と承太郎の会話がわざわざ海辺でやってるせいで二時間ドラマみたいにだせえとか
台詞の言い回しを細かく変えたりするより前にそういうところをちゃんと考えたほうがよくないだろうか
頭の悪い改変はこの際置いておくとしてもテンポ悪いわ話はだるいわ説明がいろいろ足りてないわでひどいありさまだけどな
要約すると視覚的にはコメディで演出がサスペンスで脚本は杜撰で頭悪いという絶望的な組み合わせだった
もっと要約するとくっそつまんなかった
隊長のふとした一言と某隊員の熱望により、ついに実現したツアーといえば、「第一回東京ブラックツアー」で決まりである。東京のディープスポットを探訪していくという、とてもわかりやすいコンセプトが唯一の自慢である。今回は初回であるし、ディープな場所から抜け出せなくなることを避けるため、ツアーは昼間に行われることに決まっていた。それなのにそれなのに、予想通りというべきかいつもどおりというべきか、隊員の集まりは悪い。全然時間どおりに集まらない隊員、この先の我々の運命を暗示するかのような曇天、どんどんと下がるテンション、等々の様々な悪条件の中、我々は出発した。その出がけ、玄関で見知った顔を見つける我々3人。当然のごとく強制参加させ、隊員の数は4人に急増した。4人といえばSPEEDと同じ人数だ、これでもう心細くないね!
曇天の上野公園、しのばず池にいる鳩や鴨達も心なしかブラックに見える気がしてならない。今にもあの平和の使者である鳩が俺達を襲うのでは?、と意味不明の疑心暗鬼が次々とわき上がってくるほどに気分はダークである。目的地へ近づくにつれ、隊員の緊張は見てとれるほどになり、武者震いなのだろうかしきりと震えだす隊員もでる始末。そう、例の場所に向かう我々の姿を客観的に見れば、怪しい4人組=おやじSPEED(暗黒)といっても過言ではなかっただろう。目指す場所は上野某所の映画館である。「ほら、あそこだよ」という隊長の言葉に、なんともいえない緊張のさざ波が隊員達を駆け抜けた。その場所は、少し歩けば大通りに出てしまうくらい人通りは激しい所だった。
その映画館はそこにあった。紛れもなく、そこに。映画館は2階らしい。あせるな、と思いつつ上映時間を確認する我々隊員。まだ上映開始まで時間があるようだ。合議の結果、若者が集うゲームセンターで時間をつぶすことになった。しかし、どの隊員も緊張のせいかゲームには手を出さない。いや出せなかったのだ。あと数分後に行かなければならないあの場所のことを思うと。上映時間が近づき、なにはなくともとりあえずトイレを希望する隊員が続出する。しかし、京成線の駅のトイレには紙がなかった。とても嫌な予感がする。嫌な予感がビンビンするよ!
トイレの事は諦めて、我々はその映画館へ向かった。ちなみに映画は2本立てである。これから約2時間の長丁場である。しかし、隊員1号はそのことを知らなかった。このことがあの悲劇の序章だったとは、全隊員露ほども思っていなかっただろう。年季の入った階段を縦列に並んで登る途中にも、映画を見終わった人達だろうか、次々と人が階段をおりてくる。もう誰も信じられない、あの人もこの人もそういうのなのだ、そうなんだあの中ではすざましい饗宴が繰り広げられているんだ、と思いながら階段を登っていくと、「ヤング薔薇族ショー」という看板が突如現れる。ますます下がるテンション。ふと階段の上を見ると、そこにはいかにもなもぎりのおばちゃんがいた。一番最初に階段を登り切った一人の隊員が、おばちゃんに近づくと、何かを指さすおばちゃん。そうである、自動販売機で切符を買うのである。ハイテクである。自動販売機へ向かった隊員へ、たたみかけるようなおばちゃんの言葉が襲いかかる。「どっち?薔薇族?学生さん?」。思わず「は、はい」と答えてしまう隊員だった。実はそこには劇場が2つあり、切符売り場は共通だったのである。もうひとつの映画館はピンク映画館だった。次々と無言のまま切符を、学生の切符を買う我々隊員であった。血の契りを交わしあい、相当に団結しているはずの隊員達であったが、その時には既に他の隊員を省みる余裕はなかったようで、会話を交わすこともなくなっていた。そして、ひとかたまりにはならずに、ひとりひとり左奥にある劇場へ向かうのであった。
妙な圧迫感。第一印象はこれにつきている。72席あるという座席は、ぱらぱらとしか埋まっていない。それなのに、壁際にたつ人が異常に多い。なぜだ。と、座席を見渡して、先に着席していた隊員を見つけると、思わず安堵の息をもらしてしまう自分がいじらしい。あれ、でも、事前のミーティングでは一番後ろに座ろうと決めたはずじゃあ。。。何故か入り口のすぐ側の列、後ろから4列目ほど、に整列して座っている隊員達であった。その顔は暗い。その場の嫌な感じに、その顔は真っ暗であり、しかも皆うつむいていた。一番最後に劇場入りした隊員1号は、既に着席していた某隊員の左隣に座った。隊員1号の左隣は一番端の席である。そう、その時点ではスクリーンに向かって一番左の端の席が空いている状態だった。ふと嫌な予感、突然の頭の回転、第六感で席をうつる。当然、左端にである。それは、隣を空席にしておくのは危険すぎるという判断からだった。身の安全を確保したあと、少し落ち着いて上映開始を待つ間、なにか生暖かい気がしてならない。しかもポマードなのかなんなのか、嫌な匂いがエアコンから暖風とともに排出されているようだ。もうテンショメーターは左に振り切れ、ほぼ0になっていた。
ブザー、暗転、上映開始。まわりは気にせず映画に集中しよう、と心に決めて観賞を開始する。初っ端から、現代映画とは思えないチープ感が漂っている。なんなんだあの貧相な女優は。と思っている間に、例のシーンに。変則的な格好に思わず心の中で笑ってしまう。これがそうなのか、と訳も分からず納得している自分。そしてストーリーは展開を見せはじめるのだが、映画に集中などできなかった。ストーリー自体のしょうもなさもさることながら、それよりも気になったのはまわりの人間達、隊員以外の動向だった。のれん状のカーテンが掛かっているだけの、ドアのない入り口のすぐそばに座っているせいか、上映中にも頻繁に出入りする人々が気になるのである。そして、席に座ったとたんに立ち上がって壁際に立ったと思ったらすぐに別の席に座る客が気になるのである。そして、壁際に立つ人の後ろに立って腕を前の人にまわしている人が気になるのである。その場所で、落ち着いて映画を見ることは不可能であった。このくだらない映画はいつ終わるのか、そんなことばかり考えはじめたのは、まわりの人間模様が気になりはじめたのと同時だったかもしれない。その間にも、入り口付近では相も変わらず人が頻繁に出入りし、通路に出て奥にあるトイレの方へ向う人あり、がら空きなのに人の隣に座る人あり、映画よりもその様子が気になってしようがなかった。いつか、それは我慢の限度を超えるほどに。
1本目と2本目の休憩時間に他の隊員と一緒に抜け出そう、と決めた。その時決めちゃったのである。とにかくこの場所から早く抜けだしたかった。いつだいつだいつ終わるのだ、と思っているうちに、映画はどうにかスタッフロールまでたどりつく。当然普通の映画館でよく見られるような、スタッフロールで立ち上がり帰る客はいない。いつもはそんな客を苦々しく思っていた隊員1号も、この時ばかりは一刻も早く立ち去りたかったのはいうまでもない。終了。「1999(映倫)」の文字に驚愕する。最新の映画だったのだ。あの映像感で。それよりも、ようやく帰る事ができることが嬉しいかった。しかし、ライトよ早くつけ、と熱望しているのに、なかなか客席のライトはつかない。ライトがついたら全員で帰ろう、と思っていたのにライトはつかない。そう、その時、次の映画がはじまってしまった。2本立てなのだから当然である。軽い衝撃を受けつつ、あと1時間我慢するか、いますぐ立ち去るか、立ち去るなら他の隊員にはどう伝えるか、数秒の間に色々な考えが渦巻く。そもそも、大抵の映画館なら休憩時間におしゃべりしているうるさいカップル等が必ずいるものだが、この映画館には言葉が存在しない。無言のコミュニケーションがその場を支配している。とても他の隊員に話しかけられるような状況ではなかった。もし、今左端に座る自分がいなくなると、某隊員の左隣には二つの空席ができてしまう。それはきつい。自分だったらそんな状況は嫌だ。でも、この生暖かい嫌な雰囲気にあと1時間は耐えることはできない。すまない、と心の中でつぶやきつつ、他の隊員には無言で席を立ち、もぎりのおばちゃんの前を抜け、逃げ去るようにその場を立ち去った。つらい選択であった。すまん。
しばらく映画館の付近で待つが、他の隊員が出てくる気配はない。あと1時間耐えることを決めたのだな、と判断して、ツアーからひとりぼっちの帰還を果たした。なんともいえない疲労感をかかえつつ。その頃、あの映画館では、左端に二つの空席を抱えこんだ某隊員に緊急事態が起きていた。その列の左端に座る見知らぬ人。この時点でおかしい。席はがら空きである。そのうち席をひとつ右に移る見知らぬ人。完全におかしい。席を移る意味がわからない。そして、見知らぬ人の右手が某隊員の左膝に。。これ以上は詳細不明のため描写できないが、その隊員が無事帰還したことだけは記録しておきたい。
脱力感、疲労感、倦怠感。どうやら全員無事帰還した我々隊員は、今日の日の事を忘れたくても決して忘れられないだろう。そして、この記録をここに残すことによって、あなたの心の中にもいつまでもこの体験は残り続けるだろうし、どこかの誰かによって語り継がれていくだろう。疲れた。
先月末に見た劇場公開OVAがあまりにも衝撃的すぎて言葉にできなかったのだけど、やっと落ち着いてきたので書いておきます。
「卒業」、「完結編」、そのワードに不安を抱えながらも早く見たくてたまらない。
特典のため買った前売り券は10枚。
正直キンプリがめちゃめちゃ面白かったので、「OVA」というものに過度な期待を持ってたのも確かです。
予定を合わせ公開数日後に映画館へ。
ネタバレ防止のため、公開初日以降Twitterは見てませんでした。
いわば楽しむため万全の状態です。
アニメと同じような空気感から始まり、OP曲は最高。ボルテージがブチ上がったところでいきなりの衝撃。
公 式 M A D キ ャ ラ ソ ン タ イ ム
1人目ではなんだこれwと笑っていたものの、2人目、3人目…あっこれ全員やるの?
テレビサイズのキャラソンと共にこれまでのキャラの映像が適当に組み合わさったやつを人数分…なんだこの時間。
(前売り消費のため4回見ましたが、2回目と3回目は気付いたら寝てた)
地獄のMADが終わるとやっとストーリーの核心へ繋がりましたが、なんせMADで時間を使ってるので流れ作業のような感じが否めない。
卒業式が終わってしまったと思ったら、突然仲間が帰ることになっていた。駅まで追いかけダッシュで見送り「またいつか…!」みたいに空を見上げ、EDへ。
ED曲がこれまためちゃめちゃ良くて、2回目以降はこの歌の歌詞を聴いて泣きました。
なぜ1回目で泣けなかったかと言うと、このアニメ、テレビ放送時最終回はCパートがあり、そこで笑いを回収したりしてたんですよ。
今回もそれだろうと。
ていうか見送りラストじゃ全く腑に落ちてない。だって何も進んでない。卒業式を終えたキャラクターたちの感想も何もない。爆速で当日が過ぎただけ。
最後の最後で、帰った仲間が戻ってきた!とか、何かやってくれるんだろうと、疑っていませんでした。
……。
えっ…。
場内が明るく…。
観覧後パンフレットを読むと、多くのスタッフが「完結とは言ったけど応援次第で戻ってくるかも」的なことを書いてらっしゃいました。
当たり前ですよ、こんなよく分からないOVAで1期2期と積み上げてきた面白いこのアニメを終わりにさせたら後味悪過ぎでしょ。
ていうか応援が欲しいなら、応援したいと思うだけの物を作ってください、お願いします。
観る前は、チケット代出して友人を誘って布教しちゃおう!と意気込んでましたが、これで布教できる気はしません。
アニメの方が何倍も面白いです。みんなアニメを見てほしい。このOVAを見て、集大成だ、全てだなんて思わないで。
私がこんな感想を持った後も映画館へ行くのはこのコンテンツを続けてほしいから。
先ほど言った通り、「応援」しないとここで終わってしまうだろうと思うからです。
もう義務です。
「公式の出したものに不満を持ったら、もう顧客対象ではなくなったということ」という文を見たことがありますが、その言葉がリフレインしてだんだんつらい。
ちなみにキャストに悪いところは何もありませんでした。
美濃加茂市ののうりんポスターの件についてダラダラと。長くてごめんなさい。
こんな一瞬でゾーニング事案だなーと判断できる事で賛否?と思ったけれど、
twitterで美濃加茂市を擁護する人たちの苦渋に満ちた様子を見るとなぜかそんな簡単に割り切れるものじゃないらしい。
http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20151201/E1448932351189.html
↑に賛否両論の要約があるが、
擁護派の多くの意見は各々の感情をそれ風な理屈で見えづらくラッピングしたものでしかなく、
ポスターを見た子連れの母親ひとりの「エロいポスター貼るな」の感情的な一言に耐えられる強度には到底達していないと思う。
本来、この話は「エロに限らず、パブリックな場に好き嫌いの分かれるものはやめよう。見たくない人が避けられないから」で終わりなはずなのだ。
表現規制とかフェミニズムとかセクシズムとか男女非対称性とかオタク差別とか逆差別なんてものよりずーっと前の段階の話をしている。公共の福祉だ。
しかし、賛否の溝は埋まらず、対話なき泥沼戦争、納得のない罵倒合戦に突入している(ネットの一部で笑)。
擁護派の不満と鬱屈は吹きだまり、彼らの苛立ちと諦念はつのっている。「これだからフェミは…」「PTAかよ」と唾を吐く。
彼らは何かにむかついている。自治体ではなく、自分たちへの強い抑圧を確かに感じている。ポスターをはがされた事以上の抑圧を。
多くの擁護派=いわゆるオタクがクレームに対し息苦しさを感じている、その根幹の感情は何か?
自分たちの愛する創作物が「猥褻物」とカテゴリーされたように感じるのが堪え難いのだと思う。
twitterで目についたオタクの多くが感じているらしい理不尽は、「実写の水着の女性ポスターはあるじゃないか」「コンビニのエロ本は…」「〇〇は…」そして、「何で二次元だけ」。
これらの不満はその例の全てが、適切なゾーニングが全ての性的な要素を持つものになされていないため起きた問題だ。
見たい人が望めば検索して1秒でエロにありつける時代に、見たくない人がコンビニでエロ本を目にしてしまう世界は絶対におかしいと私は思う。
そんなゾーニングの未熟な日本の「猥褻物」の定義は、ひとつ明確には、性器が見える事。
それに伴い法律逃れの暗黙の了解に基づいた謎文化”モザイク”はひどくガラパゴス的で、はっきり言って非常にバカバカしい。
二次元のちんこに黒線を引いているのも、裸のうんこと一緒にモザイク付きのまんこが映ってるのも、本当にバカバカしい。
一方でレスリーキーやメイプルソープ、ろくでなし子などのアート作品を「ムシュウセイだからワイセツ」と取り締まるなんて、もう、自分たちはエロにすらマニュアルがなければ判断の下せないアホですと言っているに等しい。
公的機関が定義におもねるあまり認知が歪んでいるから、今回の絵の性的な香りに自治体が気付けないし(アホか)、撤回されたらされたでファンは「自治体に猥褻とみなされた」と傷つくのだ。
もっと単純に考えよう。国が定めた「猥褻」なんていいかげんな基準に従ってものを取捨選択することが最早今の時代ではリアリティがないのだ。私たちは未来へ進まなくてはならない。
もうさ、全ての表現物は映倫みたいにレーティングしよう。写真も映像も文章も立体物も漫画も音楽もイラストも広告も製品も。一般、R12、R15、R18って。
R18以上は全ての表現規制禁止。性器にモザイク廃止。完全なる自由。
R15は今回ののうりんみたいな判断分かれるなってやつ。R12は水着とか肌面積多いやつみたいな。
んで置く場所を決めるの。公的だって判断された場所では最低でも一般以下の表現しか置かないようにしましょう。自治体、駅、公道とか。コンビニとかyahooなどのポータルサイトとかはR12とか。
大衆本屋なんかはそれぞれ置く場所を変えて、「嫌なら見ない」「触れない」ができるようにしてほしい。もちろん配慮しない店があってもいい。入らない自由があるし。
ていうのは超適当な妄想だけど、それくらいのグラデーションで分けてやっと個人の最大公約数的な”快不快”に寄り添えるんじゃないかな。
ていうかこの案、あまり今と状況が違うとは思わない。めんどくさいだけで。R15、12なんて自主規制の範囲でできるんじゃないの(それが理想)。
んで全てのものがこれくらいライトにレーティングされることが当たり前になれば、「猥褻物」なんて屈辱的なレッテル無しに物事を区分できるのではと思う。ちょっとくらい基準が明確でなくても、18歳越えたら何もかも見れるんだしいいだろう。
今の公的な「猥褻物」の判断はおかしいし、本当に目的の性道徳・性秩序の維持に役立ってるのか?といえば、ジュニアアイドルなんてものを放置してる。あれがエロ目的でないなんて言う奴がいたらぶん殴ってやりたい。
正直、何十年前に決めたことを引きずっているんだと思うが、そこまで問題になっていないようなのでここで吐き出す。個別に見ていこう。
公然わいせつ罪と言われてまず思いつく犯罪は露出狂や青姦だろう。『どの範囲から罪とするか』についてのボーダーラインについては議論があるだろうが、それ以外に議論はない……と思うかもしれない。
だが実は、公然わいせつ罪が保護しているのは『あからさまな性的行為を見たくもないのに見せられたくない。見たくない権利』ではない。
では何を保護しているのかというと……一つ下のわいせつ物頒布と同じく、最低限の性道徳である。
だから、公然わいせつ罪になる行為は露出狂や青姦だけではない。ストリップ劇場で性器が見えた場合や、乱交パーティーに参加した場合も公然わいせつ罪になる。
今の時代にそれらをわざわざ取り締まって「最低限の性道徳の維持」につながるのだろうか。読者の方はどう考えますか。
第百七十五条 わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
条文これだけ? と思うかもしれないが、これだけである。まず注意して欲しいのは、『18禁マークなどをつければ取り締まられにくくなる』ような規定は刑法や関連する法律のどこにもないということだ。
18禁やその他の年齢制限は、地方の『青少年の健全育成に関する条例』のような物で規定されている。
わいせつ物に関しては小説で一時期問題になって、チャタレー事件で「社会の平均ではなく、あくまで最低限の性道徳」を基準にすること、四畳半襖の下張事件で「その時代に合わせた性道徳」を基準にすることになった。
小説より少し遅れて(四畳半よりは前だけど)ヌード写真方面でも写真家と警察のいたちごっこが繰り返された。具体的には以下のような流れだ。
警察「アンダーヘアが見えたらアウト」 →写真家「じゃあパイパンならOKですね」 →警察「性器が完全に露出していたらアウト。なお、アンダーヘアも性器の一部とする」 →写真家「じゃあパンツはかせます。アレ、少し透けてるような気もしますけど、着てるからセーフですよね」 →警察「じゃあアンダーヘアはOKだが性器そのものが見えたらアウト」 →写真家「ヘアヌードはOKですね」 →警察「一応セーフにしておくか」
ということで、現在では成人を撮影した物については性器そのものは写さない、もしくはモザイクなどの修正があればセーフということになっている。
だが、このわいせつ物頒布罪はよく読んでもらえば分かるが、作った側だけでなく、売っている書店も罪になることがある。
「それじゃ店としては何は売ってよくて何がダメなのか分かりにくいよ」というわけで、映倫やビデ倫といった組織が作られ、警察OBを含めた関係者で性器の修正などについてチェックすることになっている。もっとも、一時期『薄消し』が流行ってそれにOK出したビデ倫に捜索の手が入ったこともあったはずだ。
逆に言うと、「性器が見えないように修正していればわいせつ物ではない」「青少年にも見せないようにしてあれば青少年育成条例上の問題も無い」ということになるので、(三鷹の事件では被写体が未成年なので児童ポルノ法が適用できるが)リベンジポルノに対して現行法で対処しきれるかどうかについては若干の疑問がある。
なお漫画については「漫画であっても、性器は修正しない・不十分だとわいせつ図画」「ただし漫画などのわいせつ性は実写に比べ相当に劣る」という最高裁判決(松文館事件判決)があるが、この判決がどの程度警察の取り締まりに対し影響を与えているのかは正直、分からない。
(強制わいせつ)
第百七十六条 十三歳以上の男女に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、六月以上十年以下の懲役に処する。十三歳未満の男女に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする。
(強姦)
第百七十七条 暴行又は脅迫を用いて十三歳以上の女子を姦淫した者は、強姦の罪とし、三年以上の有期懲役に処する。十三歳未満の女子を姦淫した者も、同様とする。
強制わいせつ罪の「わいせつ」は公然わいせつやわいせつ図画頒布のわいせつとはイコールではない。強制わいせつ罪が保護しているのは『個人の性的自由』である。だから、他人に対して強引にキスをする行為は立派に強制わいせつ罪になるが、路上でキスをする行為が公然わいせつ罪にはならない。リア充爆発しろとは思うけど。
現在の日本では、強姦罪の被害者は女子限定であり、正犯には必ず男子が含まれていなければならない(女が「気にくわない女をレイプしてくれ」と男に依頼して男が乗った場合など、共同正犯に女子が含まれることはあり得る)。が、それはいくら何でも時代錯誤でないか……と現に国連から勧告も受けているのだが修正される見込みは薄い。
ついでに言うと、日本の強姦罪の定義は厳しい。被害者を女子に限っているのもそうだが、「男性器が女性器に挿入された時点をもって既遂と見なす」としている。逆に言うと、器具を用いた場合やアナルセックスの場合は強姦罪にならず、一つ上の強制わいせつ罪になる。
この辺、強姦罪の成立が厳しい分を強制わいせつで補っている部分はあるのだが、いい加減に「被害者は女子に限る」は改めるべきだろう。ゲイの男が同意を得ていない相手と強引に同性愛行為を行った場合や、ショタコンの女が男子小学生を襲った場合も強姦罪ではなく強制わいせつ罪というのはおかしいと思う。
児童福祉法とか児童ポルノ規制法とか都道府県の青少年育成条例については言及し出すとこの数倍の長さになるので今後の課題とします。
「”女子”は何歳まで」議論を法律に持ち込んではいけません。強姦罪を含め、少なくない法律が成年まで含めた女性について”女子”と表記しています(笑)