はてなキーワード: 単発バイトとは
これは割りとライトな愚痴なんだけど、夫はよく「(我々が)もっと早くに付き合っとけばよかったよね〜」って言う。私は全くそう思わないし、同意を求められるのがうざい。
うちの夫婦は大学の同級生で、卒業して2年後くらいから付き合い始めた。大学の頃から友人であり、一部同期や教授からはお似合いだとか付き合ってるんでしょとか言われていたらしい。夫の母も、付き合っちゃえばいいじゃん!とか言っていたらしい。
らしいらしいばかりなのは、全て夫から聞いたが裏取りはしていないから。
私は交友関係が狭く浅くで顔見知りの教授は指導教授くらい、大学の友人は夫しかいない。
私と夫の友人関係は、一年の実習(泊まり込み、一ヶ月くらい)で同じ班になり始まった。ぼっちの私とおとなしい系男子の夫は実習の当番(2〜3人で一組)でよく組み、雑談を交わす仲に。実習の解散地点は大学から東京ー大阪くらい離れていたので、帰り方わからないんだよね(調べるのめんどいから教えて)と言って一緒に帰ることになった。帰りの新幹線では、夫持参のラノベを借りて読んだりしていた。たしかアドレス交換(まだLINEとかない時代)もした。これがおそらく、夫と大学で二番目に仲が縮まったシーン。ちなみに実習が終わって大学に戻ってからは、週に一回、一言二言話す…かな?話さないかも?用事ないし。みたいな程度。
二年の実習は学科全員ではなく半々に分かれて行われ、夫とは別だった。
私は一年の実習で後悔している部分が多々あり、それはまあ、簡単にまとめると実習にコミットしなかった事が原因だった。班員に壁を作り、班に出された課題も他人事のように聞き、他の人が仕事を割り振ってくれるのをただ待つ。座学こそ真面目に受けていたけれど、手を動かすのも避けていてはぶっちゃけ何も身につかなかった。真面目系クズとか言うやつ?
二年の実習では、他学科も合わさり班の顔ぶれも全然知らない人たち。しかもなんか、皆良い奴そう。少なくとも苦手な奴は入っていない。皆初対面なのに班の雰囲気がいい。これはチャンスだと、リーダーに立候補して性格も明るく装い、実習にも率先して参加した。楽しかった。
(ぼっちコミュ障喪女的な私に何故これが出来たかというと、一番は班のメンバーが良い奴だったから、あと全員作業服に安全帽なので私服センスがだっさい中学生レベルの私でも誤魔化せた、勉強は得意なので実習も本気で取り組めば出来る奴になれた、双方向コミュニケーションは苦手だけどプレゼントか一方的に話すのは得意、などの理由による)
ちなみに実習が終わって大学に戻ってからは、別に友達になったとかでは全然ないので班の人とは関わってない。相変わらず私は、講義を最前列ぼっちで受ける変人枠。
三年の実習は挫折を味わった。
班のメンバーに苦手な人が複数人いた。知らないうちに、去年も立候補したんだからと私がリーダーになっていた。私のやる気は皆無、それを見た班員も当然こっちを舐めてかかって指示には従わない。班の空気は最悪だし、実習降りて来年後輩と一緒に受けようかなって割と本気で考えていた。この頃、夫に気晴らし?相談?のようなメールをした気がするけど気のせいだったかも。
ここまでほぼ実習の話しかしてないけれど、まじで通常の生活は「講義をぼっちで受け、直帰、たまに休日に単発バイト」だけなのでしょうがないね。大学生活の思い出は7割実習、2割卒論、1割その他みたいな‥‥。就活も大学推薦で簡単に決まったので思い出は無い。(なお肩慣らしに受けた面接3件は全部落ちた。大学推薦様様)
さて、一年では集団にコミットしなきゃ面白くないことを学んだ。二年では自分で先頭に立って集団を引っ張る面白さを、三年ではその大変さを学んだ。そして四年の実習では、集団の一員として能力の無いリーダーを信じることの難しさを学んだ。
四年の実習は三ヶ月の長丁場で、前半と後半でリーダーが交代する。前半のリーダーは去年、一昨年に他班のリーダーとして存在は知っていた男。経験者+やる気ありとして順当に決まった。しかしこの人物、熱意はあるんだけど空回りしているというか、やり方が下手で粗が目立つ。徐々に班内ではリーダーに対する信頼が落ちていく空気を感じたし、リーダーの補佐役になった私自身、上手くフォローは出来なかった。
後半、リーダーが代わることでその鬱々とした空気は一変する。そこで私が考えたのは、これまでの三年間の実習のことだった。
一年の実習は辛かった。周りは、私のことを戦力外の変なぼっち女として見ていたし、何か発案すると変な注目を浴びた。私の知らないうちに何かが決まって、皆何かをやっていて、でも私には知らされていなくて、どうしたらいいのかわからなくて。夫だけが私とコミュニケーションを取ってくれた。
二年の班員の人たちが好きだった。初対面で気さくに輪に入れてくれたから、この中なら自分を出すことができると思ったし、じゃあ一年の実習では周りが皆敵で出来なかったあれをやりたい、これも本当はやりたかった、その為には私が一番に頑張るって責任を持つ立場、リーダーになって、面倒なことも引き受けるし、皆が楽しく実習できるように、一年のときの私みたいに何すればいいかわかんなくて言い出せなくって困ったりしないようにフォローもしようって思えた。皆がいい人たちで、好きだったからだ。
なのに三年では、「なんか去年すごいリーダー頑張ったらしいじゃん、今年もよろしく」みたいなノリで、というか何も誰からも一言も言われず、勝手にリーダーにされた。
ふざけるな私がなんで(別に全然好きでもない)お前たちに去年と同じ働きを期待されなきゃならないんだと、静かに、一人で勝手に私はキレて、勝手にリーダーの仕事をサボることにした。点呼の際に人数を数えるのと、号令をかけるのだけはやって、後は徹底的にサボった。課題の話し合いも指揮を取らず、希望者のみ参加の課題には露骨に反対して、班員が揉めそうなトラブルの芽は放置した。個人課題は一人だけやって勝手に出した。
「なんでリーダーとしてちゃんとやらないんだ」とか、一言でも言われていたら、私も「なんで勝手にリーダーにしたんだ、だったら私が何しても私の勝手だろ」と言っただろう。でも彼らは、やっぱりここでも私に何も言わず、勝手に私のことは諦めて自分たちでやっていった。私はめちゃくちゃ怒ってたし、彼らがめちゃくちゃ嫌いだった。
でも、それは、やっぱり正しくなかった。
前半のリーダーは、たとえ空回りしても、班員が全然ついてこなくても、熱意を持って最後までリーダーをやった。後半のリーダーは、前半のリーダーに呆れつつ、なんか上手いこと(←ここ何したのか、未だに全然わからない。すごい。)まとめて、なんか上手いことやった。
上手く言えないんだけど、私もこうしたかった、とか、こうすればよかったのか、とか、そんな感じ。
これは自分的に褒め称えてほしいポイントなんだけど、あと一週間もすると実習も終わりってぐらいに、三年のときに班員だった何人かに、去年のことを聞いてみたりした。私がリーダーに推薦された経緯なんて、誰も覚えてなかった。自分から言いだしたんじゃなかったっけ?って聞かれたから、私も知らないうちにリーダーになってたから、ほんとびっくりだったんだよって笑った。その中でも自分的に、一番ひどい態度したなって人には、去年のことを謝ったりした。まあ、お互い、今年は楽しくやれてよかったね。
と、このように、私にとって大学の四年間(というか実習)はぼっち非コミュの人間以下が人間仕草を覚え、コミュ力を身に着け、リーダーシップとフォロワーシップを学び、圧倒的成長を遂げた物語なので、そこに夫との楽しいキャンパスライフが入る隙間は無いわけです。私の視点では。
というか、一年の実習の後で付き合っていたら、おそらく二年、三年、四年の実習は全然別の体験になっていて、それは、 絶 対 イ ヤ だ !
私にとって大切な、血肉となった経験を奪うな。
一年前に結婚、夫が仕事で海外に行ってる為、半年前から一人暮らしをしている。
一人暮らしをする前は、寂しくて寂しくて欝になるのではと心配していたが、ところがどっこい、私は今一人暮らしがめちゃくちゃ楽しい。
いかにも昭和といった価値観をひきずる晩婚の父と、PTAで幅を利かす名物ボスママな母の間に生まれた私は、ものすごく過保護な人生を送ってきた。
禁止事項の多いこと多いこと。物心ついた時には既に、アニメゲーム漫画、スナック菓子も炭酸飲料も禁止。バラエティ番組は親と一緒に視聴が絶対だった。
週6日習い事に通っていたし、遊ぶ友達も親が選んでいたところがあり、親が気に食わない子と遊ぶと物凄く叱られたり、ママ友を従えて友達の母親をいじめたりした。
部活動は運動部か吹奏楽部しか認められなかった。大学生になってもアルバイトやサークル活動は禁止だったし、門限は8時だった。
まぁ勿論全てを素直に聞いていたかというとそんなことはなく、卓球部に籍だけ置いて演劇部で活動したり、単発バイトをしたり、カバーをかけてラノベを読んだり、勉強合宿と嘘をついて彼氏とラブホに行ったり、色々知恵を絞って過保護の網をくぐる生活を送った。ものすごくしんどかったけど。
社会人になり門限はなくなったが、過保護、過干渉は無くならずとても苦労した。
一昨年、親がお見合いの話をしそうだったので先回りして、内緒で付き合ってきた彼を、親に紹介。夫がそこそこハイスペック(笑)で、既にお互い結婚の話をしていたこともありあっという間に結婚まで行くことができた。親も流石に安心したのかもう何も言ってこなくなった。
そして冒頭の話になる。
夕飯がサブウェイでもいい、3日連続雪平鍋から袋ラーメンを直食いしても誰も何にも言わない、トマトを手づかみで食べてもいい。なんだったら食べずに寝ても良い。
いつでも屁をこける。鼻をほじれる。洗濯掃除のペースも節約するポイントも、柔軟剤も、全部好きに決められる!
友達とクラブでオールして遊び倒しても誰も何も言わない。思い立ったらすぐフラーッとツーリングに行けるし、webでAVをレンタルしてリビングで見ながら自慰もできる。とにかく、自由だ!
最近は趣味でオフロードコースに通い、モトクロスもどきを始めた。上手く一気に登れたらめちゃくちゃ楽しい。こんなこと両親や夫がいたら絶対できないだろうなぁ。
ああ、結婚する前に一人暮らしを始めなくて、本当に良かった。絶対結婚する機会を逃していた筈だ。こんなに楽しいんだから。
たまに夫の存在を忘れかけることがある。
たまには会いたいけれど、たまにで、いいかな。
最近デニムが少しきついなとは思っていたけど気のせいではなかったようで、子に太ったと指摘されてしまった。
正直、家事、育児、仕事のワンオペなんてしてたら時間はいくらあっても足りず、美容の為にお金かけたり時間かけたりしてられない。
「食事制限を少しして運動は一切せず痩せる方法はないだろうか」と子に聞いたら「ない」の一言だった。
「運動部に入ってるんだから顧問に聞いてみたら何か知ってそうじゃない」と食い下がると、そんなことを聞いたら自分が顧問に怒られるとのこと。
そりゃそうだ。
せっかくダメ会社の仕事は終わったし、派遣にでも登録して、単発や短期ででも働きに出るかと悩む。
ところが世帯年収が500万ない家庭の人は派遣では働けないんだそうだ。
年収500万あるならわざわざ派遣で単発バイトなどせずとも良いのでは?
大学時代、これといってやることもないからウェブサイトを作って遊んでいた。
当時はHTML,CSS, JSを書いてレンタルサーバーにおいて表示させて楽しむところから始まった。スポーツのニュースサイトのRSSを読み込んで表示するだけのサイトを作ったりした。しばらくすると、Rubyというプログラミング言語を学びながら、ウェブフレームワークを使って動的なウェブサイトを作ってみた。赤の他人がウェブサイトに書き込みをした時はとても嬉しかった。
バイトをしておらず、金がなく友だちもいなかった。没頭できる唯一の趣味がウェブサイト制作、その周辺のプログラミング作業だった。ネットを検索すれば以下のような「ウェブサイトをつくって大成功」みたいな記事がたくさん見つかる。自分も、バイト代くらいはウェブサイトで稼げないものかと淡い期待を持っていたのだろう。
http://www.itmedia.co.jp/bizid/hitori_index.html
並行して、簡単なTIPSやプログラミングに関する概念の解説みたいなことをブログに書いていた。どちらかといえばそちらのほうが人気を獲得していた。作ったウェブサイトはどれも流行らず、結局閉じることになってしまった。
頭のわるいFラン大学文系人間だった。黒い画面にテキストを打ち込むだけですごいことをしている気分になった。金にならなくても、少しずつ自分のアイデアが形になっていくのが楽しかった。
しばらくして、これといって話題になるようなウェブサイトも作れずに就活の時期を迎えた。一流のIT企業をいくつか落ちて、中規模SIer(1次請け〜2次請けくらいの案件を取り扱う)にSEとして入社した。
仕事が始まると、毎月定まった給料がもらえることに感動した。真面目にバイトしたことなどなく、派遣の単発バイトばかりだったため、まとまった給料をもらえる、そのこと自体に感動した。しかも、いくらか興味のある仕事だ。それはとても嬉しい事だった。
しかし、さらにしばらく経つと、どうも何かがおかしい。ウェブサイトを作っていたときに感じていた楽しさ、没頭感とか全能感といったような類のものが丸っきり無くなっていた。よく、大手のSIerに入社するとコードが書けなくて幻滅するというが、自分が入社したのはプログラムを書く上でとてもいいポジションだった。下請けのマネジメントをする会社でもなく、ブラックな環境でめちゃくちゃな開発体制を強いられるわけでもない。
それなのに、プログラムを書くことに楽しみを感じなくなってしまった。入社当時は休日にプログラムを書いていたが、今ではそれが苦しい作業になってしまっている。なぜなのかわからない。
あの全能感はどこへいったんだ。
こんばんは。元増田です。って書き方でいいのかな。
増田は初めてだったのだけど、夜明け前の書き散らしにこんなに反応をもらえるとは思ってなかった。
さんざん叩かれるかと思ってたけど、勉強になるコメントの数々、感謝してます。
そうだねー。理科系女で職ナシでもうすぐ死にそうなところまで行って言葉遣いがこれだからね。
けれど忌憚ない言葉を頂いて、もう少し女を磨こうとこころに決めた。ありがとう。
>既婚者も多い
そんな気はだんだんと感じてた。
サイトには「独身証明提出」という項目があるんだけど、ほとんどのユーザが無視してて、
>カネ払ってこれかよ
ええ、こんな感じでとてもがっかり、どころではありません。
>30代でバイトじゃねえ…
でもこれじゃあいけないと感じて、まずは体力戻すところから始める。
とりあえずいま感じてることは、他人に人生を頼ろうとした私がアホだったなあ、ということ。
今回、いろんなコメント貰って、自分を見つめ直す良いきっかけになった。
ほんとにほんとにありがとうございます。
またなにか進捗あったら書くかもしれません。では。
http://d.hatena.ne.jp/saebou/20151221/p1
「非常勤講師」とは雇用契約を結んでいない。1コマいくら、学期単位で委嘱している。たとえばブコメにあるように民間の人に来てもらって講義してもらう場合とか、あと奇妙な話だが内部の教員が本務以外の他学部で講義を持つ場合も非常勤講師扱いになっている。単価には幅があるが概して安い。これはターム制導入以前からはっきり言って安すぎるし、ターム制に移行したための負荷の増加というのも正直あまり考慮されていないだろうと思う。脱線するがターム制は前総長時代に秋入学だなんだでさんざんぐだぐだやったあげく妥協の産物として任期ぎりぎりに制定された間に合わせの制度という印象がある(学部によってタームの時期違ったりする)。ただ準備に充分な時間があったとしても非常勤講師の人件費にお金が回ることはなかっただろうなという気もする。国立大学法人の予算に余裕はないが、中でも教育部門は深刻だ。一番お金を持っている大学でこれだから他は推して知るべし……というところだと思う。
「教職員」の定義は「雇用契約を結んでいる教員および職員」であるので、非常勤講師の多くはそれに該当しない(上にも書いた通り例外はある)。“非常勤講師は東大と雇用契約が無く、「教職員」ではない”というのはその定義の上では全くその通りである。とはいえそれだけ聞いたらわけがわからないのは間違いない——というかともすれば心無い言葉にも聞こえるし、ブログ主にはそう響いたのだろう。説明の際に言葉が足りなかったものと思うが、申し訳ない話だ。非常勤講師の皆様が居なければ大学の講義・授業はとても成立しない。人事制度用語としての「教員」には該当しなくとも、教育を担う重要な方々であるという認識は事務部門として当然に持っている。
ただ、その定義の上では“「教職員」でない人に学生を教えさせてい”ること自体は必ずしも問題とは思わない。学生を教える人と必ず雇用契約を結ばなければならないとしたら、今度は民間の人に講師を引き受けてもらうことが兼業規定とかの兼ね合いで難しくなったりするだろう。
それと、講義を委託するのであっても、すなわち結果さえ伴えばどうやっても自由、ということではなく、やはりある程度やり方についても指示をする、ということ自体は充分あり得る。そこは委託の形態次第だ。しかしブログ主がここにひっかかっているのは本質的には雇用形態の問題ではないと思える。
余談だが、「非常勤」という言葉には別の意味がある。まあ、このブコメにある通りなのだが、
defy1 非常勤講師ってのは職名というよりいわゆる単発バイトの名称であって、国公立大における非常勤教職員(パート教員)とはまったく別。国公立と私学の文化的・制度上のギャップも大きそう。
「教職員」の中にも「常勤」と「非常勤」があるのだ。ただ、学内ではほぼ通じる言葉だが多分正式な用語ではない(逆に「非常勤講師」は正式なタームの筈である)。ざっくりいえば常勤の人は月給で働き、非常勤の人は時給で働く。
と「教職員」にも8通りの形態があると考えていただければよくて、「非常勤講師」はこの中にそもそも入らないというのは上に書いた通り。
ブログのコメント欄で出てくる「東京大学特定有期雇用教職員」「東京大学短時間勤務有期雇用教職員」「東京大学特定短時間勤務有期雇用教職員」という呪文のような職名はそれぞれ「常勤-教員/職員-任期あり」「非常勤-教員/職員-任期あり」「非常勤-教員/職員-任期あり」を指している。あとのふたつがどう違うかは自分にもわからない。
まめちしきとして、職名に「特任」とついている人は任期ありである。報道で「特任教授」とか「特任助教」とかいう職名を目にすることも多いかと思うがあれはそういう意味だ。常勤か非常勤かは区別がつかないので、例えば月に1回だけとか勤務してる特任教授なんてのもいる。
ちなみに非常勤の任期なしというのはもはや存在しないが、国の頃から在籍している人には経過措置でまだ残っている。何十年も同じ研究室にいる秘書さんなんてのは代表的な例だ。
閑話休題。
データベースの話は初見では自分もブコメに書かれていたのとほぼ同じ、データベース(あるいは電子ジャーナル? 具体的にはどのようなものか、元記事のコメント欄で質問もされているが結局ここはあいまいだ)の配信元との契約が関係しているのではないかと推測していた。アクセスできる範囲を非常勤講師にまで広げてしまうと金額が大きくなりすぎるし、それまでは使えていたのは契約違反だった、という話だと“去年までアクセスできていたのは契約違反であり、非常勤講師が勝手にアクセスしていたという扱いになる”という記述と整合する。これは単純にお金の話なので乗り越えるのが難しい。上にも書いた通り教育にかけるお金は厳しい状況だ。
ただ、ブログのほうのコメント欄を見るとそもそも学外からのアクセス権がもらえないという話が出ている。それであれば情報セキュリティポリシーの話になる。コメント欄にある通りポリシー上「教職員」以外には原則として学外アクセス権を与えていない。“去年までアクセスできていた”のであればそれは運用がいいかげんだったということでそれはそれで問題だ。
アクセス権についてはどこかで線は引かなければならないのだから、雇用関係のある/なしの間で線を引くのはそこそこ妥当な線であるようにも思う。しかし非常勤講師に全く学外からのアクセス権が与えられないのは確かに不便が起こりうるし、そこは個別に融通を効かせて欲しいところであるとは個人的には思う。改善されると信じたい。
# 単にアクセス権を得るということであれば週数時間でいいから何かの名目で(非常勤)教員として雇用されるのが多分近道であったと思うのだがその辺りを相談できる先生はいなかったのかな……。データベースの契約の話だとフルタイムにはカウントされないだろうけど。
## もちろんそれでは本質的な解決になっていないし、それこそ本務先との兼ね合いもありそうで、近道ではあっても回答ではない。
情報ヘルプデスクの開始時間についてはターム制導入に際して運用が追いついていない顕著な例で、これも契約の変更が伴うので時間はかかるが改善されると信じたいところではある。が、学内には始業時間が8時30分の部署はこれまでも普通に存在していたのにヘルプデスクはずっと9時からだったので変わらないかも知れない気もする。
UT-roamについてはさすがにその応対をした人がなにか思い違いをされていたと思う……のだが情報部門も常に人数足りてない感じは否めず、各部局の情報担当が汗を流して頑張っている印象はある。その意味で“本郷の誰かがボランティアでやってる”はあまり笑えなかったりする。
取材については詳しいところはわからないが、本部の広報部門の職員数は大学の規模に比すれば信じられないほど少ない。なので本部に問い合わせれば(個別に対応することが不可能なので)全て禁止と言われるのではないかと想像する。しかし部局によっては独自の広報担当があって、現実問題として部局が独自に取材を受けることは妨げようがない——という気がしないでもない。歯切れが悪くて申し訳ない。いずれにしてもこの点については大学全体の問題であるように思う。
意欲的な授業を行ってくれていたらしい先生が去っていくことを残念に思う。大学側に積極的な悪意はないと信じたいのだが、直接の応対がどのようなものであったかは知りようがないし、時給が安いのと広報がうまくいっていないのはまあ事実だし、“非常勤講師が研究・授業用に学外からデータベースを使えるようにするとか、クラスサイズを小さくするとか、そういう教育環境の改善には全く関心が無いようです”と言われたときにそんなことはないと言い切れる材料を自分は持っていない。
あとこの手の記事がホッテントリに入るとだいたい複数の「大学事務ってクソだな」みたいなブコメがつくのでなるほど大学事務というのはこのように見られているのだなと毎度思う。思うし、まあそれがまるっきり的外れでないことも実際あることは認めざるを得ない。自分にできることはクソでない仕事を毎日していくことと確かにクソである仕事を少しでもあらためようと努力することしかない。
今29なんだけど、大学在学中から夢を追ってて卒業後はフリーターしながら活動してたら、
中途半端に夢が叶っちゃったもんだから、いろいろと問題が出てくる。
声優で言うなら年に片手で数えられるほどの準レギュラーがあるくらい?
漫画家だとデビューしてちょくちょく載ってるけど、単行本は出ていないくらい?
ラノベ作家はよく知らないけど、賞は取って本を数冊出してるけど、まだ人気になってないくらい?
ミュージシャンだとメジャー契約してシングル何枚か出したくらい?
いわゆるプロデューサー的な立場の人からは、「もう少しで上に行ける」って感じで、
今働いてるバイト先が経営悪化で潰れそうだから新しいバイト先を探してるんだけど、
どうにも「年齢の壁」というのを感じるようになった。
・私のスペック。 兵庫の私立高校出身で東京の国立の大学生。現在大阪の実家に帰省中。 特にお金が必要なわけではなく、社会経験的な意味合いが強い。 アルバイト経験の自覚はあんまりないけれど、 大学のTA、学内調査での学生スタッフ、大学生協内での単発バイト、センター試験の廊下要員 という大学内での経験はあります。 ・9/8 http://shotworks.yahoo.co.jp/sw/detail/R000038231 このページを親に見せられて、19時までに着くように出かける。 しかし登録会とかいうのは終わっていた。 梅田は懐かしいなぁとだけ思いながら帰る。 時間90分、交通費560円 ・9/9 http://www.nextlevel2008.com/?page=page26 18時の会に参加する。参加者は20名程度で満席。 http://i.gyazo.com/fa717abcca9b398b9119822d0d083043.png まず登録システムのご案内という紙が配られて、ちんたらした説明を受ける。 説明後に一人だけ不満だったようで帰った。 私も疑問点があって、交通費に関する概念。これはつまり、日雇い労働者は全員梅田に住んでいる扱いということなのかなと。こういうもんなの??? 給与受け取りに関する交通費は出ないので実質的には2カ月後に給与受け取り??? メール送信によって、自分の連絡先等の情報を送る作業をする。 なおおそらくこの時にエントリーシート(A4サイズ3枚で2枚は誓約書で1枚は情報記入)も配られるはずだと思うが、担当者のミスで配られず、全員ぽかーんとしている時間が結構あり エントリーシートをチェックする次の担当者が、登録システムの説明をしていた担当者に怒りを露わにしていた。 エントリーシートは個人情報の他には、パソコンが使えるか、運転免許の有無の欄があったり また得意不得意に関しても一言だけ書く欄があったので、得意:頭脳労働、不得意:肉体労働 と書きました。 書き終わったら列に並んで、確認してもらう。 テニスやってました、とか書いた人は、錦織の話題などを話していた。 確認後、明日が暇である人は別の受付で仕事の案内を受ける。 私のエントリーシートに関しては一切の会話もなくOKを貰い、明日は暇であると答える。 そう答えるためにわざわざこんなところに来たわけですからねと自分に言い聞かせます。 (あとエントリーシート提出する前に写真とっとけばよかったなとか思ったりしました) そして、体力はないので肉体労働以外で、と答えてリストを出される。 以下はその時のリストではないが、リストのイメージは以下の通り 【淀川区/8:00-17:00】運搬・手元作業 【JR天王寺駅/8:30-17:00】運搬・手元作業 【地下鉄八尾南駅/8:30-17:30】運搬・手元・片付け作業 【地下鉄 心斎橋駅/6:00-9:00】搬出作業 【JR 住道駅/8:00-17:00】手元作業 【JR 久宝寺駅/8:00-17:00】工場内作業 【JR加島駅/8:20-12:00】搬出作業 【JR住吉駅(神戸)/9:00-17:00】搬入出・手元作業 【阪急川西能勢口駅/10:00-15:00】搬入手元 【泉北高速深井駅/9:00-12:00】搬出作業 【JR鷹取駅/9:00-16:00】搬出作業 【地下鉄 喜連瓜破駅/9:00-17:00】仕分け作業 【阪急塚口駅/9:00-16:00】大工さんの手元・補助作業 【地下鉄 新森古市駅/9:30-17:30】着ぐるみスタッフ 【南海二色浜駅/9:30-17:30】着ぐるみスタッフ 【南海湊駅/11:00-15:30】自動販売機の設置補助 【地下鉄門真南駅/13:00-17:00】搬入・整理作業 【JR大阪駅/20:30-24:00】店舗什器の搬入作業 【JR大和小泉駅/21:00-30:00】店舗の陳列棚の分解補助 そしてその時の私の印象としては、このリスト見せられてどれがいい?って言われてもさっぱり分かんないな、という。 とりあえず担当者が他の人の相手をしている間に慣れてないスマフォでググりまくる。 そして選んだのは以下。 【労働通知書】 明日9月10日のお仕事の詳細です。 時給820円+B作業手当 人数:1 業者名:※※※ 業者担当者:※※※ 業者担当者TEL:※※※ 現場住所:地下鉄 ※※※駅 時間:09:00~12:00 スタッフ集合場所:地下鉄 ※※※駅 スタッフ集合時刻:08:25 業者集合場所:地下鉄 ※※※駅 業者集合時刻:08:25 作業内容:配送助手 持ち物:軍手 カッター 服装等:作業しやすい服装(ジーパン・ジャージ・スウェット NG) 注意事項:駅に到着しましたら業者担当者に電話して合流して下さい。※解散は ※※※になります。 _________________________ 当該労働条件は業務がある日ごとに当社とあなたが雇用契約を結ぶ、 「日雇い」「日々雇用」などと呼ばれる雇用形態により定められた内容です。 あなたには雇用保険、健康保険、厚生年金保険の適用はなく、 労働基準法第20条(解雇の予告)なども適用されません。 14回目の就業までは、労働基準法第21条第1項第4号の試の使用期間としま す(見習い回数とは別のものです)。 1日8時間を越える就業が最大15時間あることがあり、 当該就業の月あたりの上限時間は80時間です。 その他の事項については、登録時の労働条件説明書類の定めによります。 上記内容にて労働条件を通知します。 株式会社ネクストレベル Tel:06-6371-6203 大阪府大阪市北区芝田1-10-10 芝田グランドビル 12F 通信欄:扶養控除申告書を未提出の方は、提出してください。 そして家に帰ります。 時間3時間、交通費560円 あとコンビニで軍手を購入しました。350円。 これ安いやつの方がよかったと思う。手袋の中で皮膚が引っかかって痛い感じする。 ・9/10 起床メールとかも送る。 出発メールを送ったら返事がコレ 相手「すみません、出発少しお待ちください ご自宅の最寄駅はどちらでしょうか?」 私の内心(書いただろ?なんで把握してないの?馬鹿なの?) 相手「申し訳ありません (実家の近所)のお仕事がキャンセルとなってしまいました (聞いたことのない地名)でのお仕事が午前中までであるのですが 入って頂けませんか?」 私「仕事内容は何でしょうか。」(は??????????????????しかも少しお待ちくださいって書くよりも前にそれって分かってたの????そしてそれ他の日雇い労働者が欠席したってことだよね) 相手「荷降ろしになります こちらが詳細となります どうしても、人が足りませんのでお願い出来ませんか? 【労働通知書】 お疲れ様です、ネクストレベルです。 本日9月10日(水)のお仕事の詳細です。 時給820円+B作業手当 確認が出来ましたらご返信下さい。 人数:2 業者名:※※※※ 業者担当者:※※※※ 業者担当者TEL:※※※※ 現場住所:門真市※※※※ 時間:08:00~11:00 スタッフ集合場所:京阪 ※※※※ スタッフ集合時刻:07:30 業者集合場所:現地住所 業者集合時刻:07:45 作業内容:荷降ろし 持ち物:軍手 カッター 服装等:作業しやすい服装(ジャージ・スウェット・短パン・派手な服装 NG)長袖 注意事項:駅到着後、スタッフ同士合流し現地へ向い担当者様に連絡し合流して 下さい」 私「時間は到着後から12時くらいまでと解釈していいのでしょうか」 相手「到着から終わりは遅くても12時には終わります!お願い出来ますか?」 私「では行ってみます。」 相手「有難うございますどのくらいに駅に着きそうでしょうか?」 私「9:00くらいだと思います。到着した後はどうすればよいのでしょうか」 相手「現地へ直接向かって下さい! 現地付近にて担当者様に連絡し合流をお願いします 駅に着きましたら、事務所にメールで結構ですので 御連絡をおねがいします」 私、駅についてメール+電話(通話料の発生である) 相手「駅にてタクシーで現地へ向って下さい!!」 さて知らない駅に来たのであるが、出口から降りて、交通量の多いところでタクシーを探す、が空車のタクシーが全然見つからない。 何度か電話でやりとりをした後に、駅の反対側の出口にはタクシー乗り場があるよって言われる。 こんな駅にもタクシー乗り場があるのかというのと、出口に関する運のなさだった。 相手「終了時間なのですが 他の作業から人でを回されているらしく 遅れ気味の様ですので 残業が少し入ると思います 申し訳ありませんが 対応可能な時間までで大丈夫ですので 出来るだけ対応して頂けますか? 宜しくお願いします。」 10時前に代打の日雇い労働者が2人到着。もともとは8時に2名だったはずで、業者担当者は派遣会社(っていうの?)に対して不機嫌 作業内容は、コンテナの中の大量の段ボールの荷降ろし 段ボールには番号のあるシールが貼ってあり、同じ番号のものをパレットの上にきれいに積み上げ直して、業者さんはフォークリストでパレットを倉庫内に移動する、をずっとくりかえす。 それが終わったらコンテナの中を箒で掃除した。 そして倉庫の中でも段ボールを少し運んだりした。 12時からは業者さんたちがお昼休みに入るので、それで終わり。 段ボールは重かったので肉体労働だと思った。 もう一人の男の子に、こういう仕事ってよくしますかって聞いたら、疲れるからあんまりしないって言ってた。 ジムとかいって良質な環境でお金払って運動するか、狭く奥深いコンテナの中という環境でお金貰って運動するかって感じだと思う。 時間5時間、交通費1020円+760円+通話料(普段は毎月0円) そんな感じ。 現在の出費、3250円。回収可能、490×2+760+900×2=3540円 回収にかかるお金560円 時給マイナス27円くらいかしら。 いちいちとりにいくのめんどくさいなって思ってるのでまだまだ自分の人生に無関心だなって思う。