「丁稚」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 丁稚とは

2019-12-01

anond:20191201154109

だよね、私田舎育ちだから価値観アップデート出来ない毒親はまだ長男教だったけど、同じおやつでも長男だけ倍あげるとか、長男だけ高等教育を受けさせるとか、更に爺が世代まで昔になると次男以降は幼い頃から丁稚奉公させるとかで、昔の日本大事な跡取りの長男を他の兄弟のために我慢させるって価値観はなかったよ。

2019-09-10

駅前で歌とかコンパイルでもやってたな

歌じゃなくて各グループで考えた決めポーズだったか

今思えばあの丁稚ジャージってパワハラの極みだったな

2019-07-07

anond:20190707125847

だれかの下について丁稚するのが当たり前だと思ってる国民が大多数だから、そんな発想にならんよ。

職場愚痴言いながら我慢我慢で一生を費やす国民から

2019-07-05

アメリカ映画を観た思い出について約10年前祖父に聞いてみた記録

※本人より聞いたまま書いたため何処まで正確な事柄なのか不明

祖父、当時83歳)

――初めてアメリカ映画を観たのは何才頃でしたか

映画昭和14年の10月ごろから観はじめた。当時14歳で静岡県浜松市の卸問屋丁稚として働き、主にそこの配達仕事をしていた。その仕事にある程度の余裕ができてきたので、暇なとき映画を観に行けるようになった。映画館で映画を観たのは海兵に志願する前の18歳頃までだった。行っていた映画館は何軒かあって、機場町か塩町にあった「浜松アズマ座」、連尺町の「松竹館」、「浜宝映画」に主によく行っていた。その中でもアメリカ映画などの洋画は、「浜松アズマ座」でのみ見ることができた。映画会社の協定か何かで決まっていたらしいね映画館には、フィルムの新しい、最新映画を見せる封切り館と、何ヶ月かまたは何年か前の映画を見せるところと二種類あったが、「アズマ座」は封切り館ではなかったので、たまにエノケン榎本健一)の、まげものコメディ映画らしいです)を最新作として上映していたほかは、何ヶ月か、または何年か前の古い映画の、特に洋画を流していたよ。当時映画は2本立てが普通で、それに加えて短いニュース映画がついていた。(ニュース映画は、戦時中だったためかなりプロパガンダ色のつよい内容だったようです。)邦画邦画邦画の2本だったけど、洋画を見るとき邦画洋画一本ずつがセットでの2本立てだった。洋画の方が邦画に比べて長かったからじゃないかな、だいたい洋画が1時間半くらいで、それに短めの邦画が一緒にやっていた。

――洋画を観に来ていた人達の年齢層は?

洋画を見に来ていたのは、若者が多かった。英語を習っている学生なんかも多かったよ、映画字幕だったから。自分も観ているうちに「カモーン」などといくらか覚えた。昭和12年頃はトーキー(声が入っている映画)と無声映画に弁師がいたのと半々だったけど、自分映画を見はじめた頃にはもう大体今みたいな映画だった。あと、洋画は、高校生以下は保護者同伴でないと観に入ってはいけないという決まりがあった。自分学校に行ってなかったか関係なく観ていたけども。

――どんな映画を観た?

初めて観たのは「ターザン」。20世紀フォックスだったかの、ハリウッドもの映画だったよ。主演のターザン役が何回も変わっていて、ターザンシリーズは4本くらい観たことがある。バスタークラブがやっていたのは覚えている。(バスタークラブが主演を演じたのは「蛮勇タルザン」(1933) Tarzan the Fearlessターザン役をやっていた奴は皆、オリンピックとかでメダルを取った選手だったみたいだよ。でも、「ターザン」を観た、と言ったら「そんなもの観るなんてガキだ」と奉公先の年上の人たちに馬鹿にされた。その次に覚えているのは、「ジェロニモ」。昭和15年に観た。タイロンパウアーが出ていた。(タイロン・パワーのことだと思いますしかタイロン・パワーは「ジェロニモ」に出ていないようなので人違いでしょう。)アメリカマフィアやなんかのギャング映画あんまり受けてなかったなぁ。よくわからなかった。見た中で一番印象に残っているのは「再会」(1944制作原題TOGETHER AGAIN日本公開は1947年。このため、祖父が実際にこの映画を観たのは戦後であるのかもしれない。) シャルル・ボアイと、女の方がアイリン・ダンがやっていた。記憶喪失した女性が何年かして再び記憶を取り戻す話だった。

――その後は観る機会はなかったのですか?

19歳から兵隊として海軍へ行っていたので観られなかった。横須賀の竹山海兵団に3か月、そこで試験の成績がよかったので、飛行機整備学校へいって飛行機の整備についての勉強をしたよ。戦争も終わりの方だったから、整備学校では4か月ですべての事を勉強させられた。そして海軍整備士として働いていたのだけど、そこで娯楽として洋画が観られた。教育間中や、新兵にはみせなかった。「進め竜騎兵」(1936年制作)「ドナウ川さざなみ」(詳細不明)「青きドナウ」(1963年公開のためこれも記憶いか?)などを観た。あまり色んな種類がなかったらしく、同じ映画を何度も観せられた。

――なんで軍隊の中で観ることができたの?

敵の情報を知るため、というのが名目だった。でも、軍でみているということは他言してはいけないといわれていた。アメリカ映画を娯楽として観ることができたのは海軍だけだったみたいだ。映画フィルムは、映画から取り上げたものを上映していたらしい。映画を見るときは夕食を30分早くやって6時以降に観た。右舷、左舷と二つのグループに分かれていて、交替で観ていた。その頃は就寝が8時、飛行機の整備のためにパイロットの連中よりも1時間早く朝2時に起こされ飛行機の整備をしていた。

――戦争が終わった後は観に行った?

戦争が終わった後は、映画なんて見ている余裕がなかった。戦後すぐは警察官になっていたので、仕事の見回りで映画館にも観に行ったことはあった。でも昔ほどは興味がなくなり、外でたばこを吸ったりしている時間が多かった。

anond:20190705071613

小売り店舗使用人は昔から薄給だよ。アパレル家電量販店スーパーマーケットも。

昔の丁稚奉公なんて衣食住は与えられたけど基本無給。盆暮れに小遣いをもらう程度。

外国飲食店ウエイトレスとかは雇用からは無給で、客の置いていくチップ収入源。

2019-05-31

anond:20190531001626

結婚したら親の家を出て、夫婦子供だけの「核家族」を作り、ローンを組んで都会に家を買う、というのは高度成長期バブル期だったからこそできた贅沢だったのです。

1960年代までの日本では、抽選に当たらなければ住宅金融公庫から住宅ローンを借りられなかったくらいです。もちろん戦前には住宅ローンなぞありません。

戦前より以前は、長男夫婦は親と同居し、次男以降は使用人みたいな生活を送るか、丁稚奉公にでるかという感じだったのです。

もちろん令和の世に戦前回帰などできるわけはないのですが、人口が減少していくのに今までみたいに新築をどんどん建てていくことも無駄ですよね。

夫婦どちらの親でもいいから、頼れる親がいるなら頼って財産を引きつぎ、地縁血縁生活を回していくことを見直すときがきているのです。

2019-04-09

anond:20190409142405

江戸時代江戸に出てくる連中は、(1)参勤交代による武士階級(2)地方農民次男三男で職人商人丁稚になるもの(3)売春婦として売られた女性、くらいしか思い浮かばない。

(1)は家族帯同は一部の上級者のみ。(2)(3)はそもそも家族なすことが少ない。

日本人核家族一般化したのは、戦前満州大連に赴任した官僚会社員あたりからであったと記憶しています

また、地方から都会への人口移動が本格化したのは高度成長以降です。

平均寿命が短かったのは主に乳幼児の死亡率が高かったからで、大人まで成長した人は、戦争災害を除けば、60~70くらいまでは普通に生きていた。

日本本土においては昭和30年代までは3世代同居が当たり前だったのです。

2019-03-30

レガシィおじさんみんな●ね

今日は期末の事業部飲み会

一昨日は辞める人の課送別会

先週は懇親会

ねぇ、あのさ、揃いも揃ってさ、

なんでどの飲み会にもレガシィおじさんがいるの?

あんたの俺すごいんだぜ自慢や

昔はもっと大変だったんだぞ、から説教を聞くために

会費とか払ってるわけじゃないんですけど???

「俺ってこういう厳しいところがあるから、拘っちゃうんだよな」

「おれはこうやったか課長になれた/部長になれた/役職になれた」

「俺の時代もっとキツかったから今のお前らは軟弱だ」

「今のこの事業部があるのは俺のおかげ」

「本当にお前らは考え方が/姿勢が甘い」

限界までやってんのか?」

「(更に酔ってくると)お前はこういうところがダメなんだよ。俺を見習え」

意訳するとこんなんばっかり。

はぁ??????

言うほどすげえことやってねぇだろうが!!!!!

何で若手のメンバーが40、50のオッサンたちを褒めたりそやしたり自虐したりして気を使わないといけないの?

自分の機嫌は自分で取れよ!

こちとら金払ってお前らの機嫌を取るほどの給料は貰ってないんだよ!

気づけ!尊敬されてないぞお前は!!!!!

尊敬されてる上司ほどそう言うこと言わないから!背中で見せてるから

そういうこと言う奴は周りから痛い目で見られてる奴ばっかりだ

本当に。

あのね、ちゃんと言っておくけど、

30〜40くらいのメンバーだと、ある程度年次を重ねてるからそれなりに受け止めてくれる(それでもレガシィしていい訳じゃないぞ)けど、

20代の子たちにそういうのやると、

すぐ飛ぶからな。

とくに優秀なやつはその会社やその上司の下で学べる上限を瞬時に悟って気づいたら飛んでるぞ。

35歳以下を若手と呼ぶとすると、今の時代、若手の確保のコスト、維持の大変さは想像を絶してるぞ。

若手の人口自体が減ってるんだよ。

この前の日立リストラニュース見たでしょ?

若手や非正規低賃金労働者がいなくなったら、お前ら役職のもらってるたっかい給料がな、維持できなくなるから数を減らさないといけなくなるんだぞ?

叩いて伸ばす時代使い捨て時代ももう終わってるんだよ。

甘やかせって言ってるんじゃない。

「上のやつがちゃんしろ」「理不尽なことを止めろ」って言ってるんだよ。

まともな教育マネジメントしろ

その職場でできる最大限のスキルを身につけさせて、

本人のスキルを伸ばせ。やりがいを感じさせろ。

それがひいては業績の維持・事業の拡大・

お前ら役職者の定年までの高い給料を支えるんだよ!

ましてや理不尽押し付け

俺語り、

パワハラ

セクハラ

時代錯誤の丁稚思想

ぜんぶすてろ!!!!!!!!

お前の承認欲求を満たすための道具に使うのはやめろ!!

それは暴力からな!

その説教相手の為なのか、それを装った自己満足か、鼻血出るまで一度考えろ!

サボんな!

思考を停止するな!

お前こそ伸びろ!

これが出来ない奴がいる場所から凋落していくんだぞ。

ちなみに、自己満足説教相手の為の説教かは、

法律社会常識自分相手家族の事を考慮に入れても正しいと言えるか」

役職者なら、自分会社役員の前でも同じことが言えるか」

相手が少しでも納得感を得ているか

このあたりを考えるといい。

今の時代中間管理職も大変だよね。

それは分かるよ。

でも、レガシィおじさんの自己満足に付き合わせることの罪を自覚してほしい。

一回●んで、生まれ変わってください。

ほんとお願いだからあんたらみたいのの下にいると、辞めたいとしか思えなくなるから

仕事を辞めさせないで。

仲間を辞めていかせないで。

鼻血出るまで考えろよ。

下の人間はナイフを研いでるからな。

2019-02-10

居眠りされて受験失敗した人がいる

誤字ではない。

居眠り「した」のではなく「されて」受験に落ちた人がいる。この理不尽さを誰かに吐き出したく、殴り書きさせて頂く。

身分はぼかして書くが、とある国立大学大学院における選考会議の様子を把握できる者だとだけ言っておこう。

言うまでもなく選考過程を漏らすのは御法度であるフェイクも多々入れるが、多めに見てほしい。



詳細を記す前に、まず大学院選考方法説明する。といっても甚だ単純で、基準基本的に「教授が忙しい間を縫って面倒みてやってもいい論文が書ける学生判断たか」の一点に尽きる。こう書くと随分いい加減に思えるかもしれないが、基本的研究というのはプロ同士であっても「こんなの研究と認めたらこの分野崩壊するわ!」とか平気で批評しあう世界なので、ましてやペーペー学生研究価値あるかな真剣議論しても満場一致の答えなどでない。よって、直接面倒を見て博士論文指導をする教授に一任されるのである。無論、ある程度外国語技能や専門分野の知識のチェックはされるが、レベルの高い大学ほど論文が全てという傾向は強い。何か国語話せようが知識が凄かろうがあまり関係なく、教授に「この研究自分、ひいては業界の役に立つ」と思わせるのが肝要である。当然、コネによる入学担当教授暴走を防ぐ為に「副査」と呼ばれる、一緒に論文をチェックする人もいるが、副査は指摘すべき点がない場合はまあ無難な点数を出す。担当教授(主査)と違って、専門分野ではないか評価が難しいし専門家が採るといってる者を落とす理由がないからだ。よっぽどのことがない限り、主査が入れる気があるかどうかで可否が決まる。

特に、この大学絶対博士号をとらせる大学(学生向けのキャッチコピーではない。国がそういう事業の一環として認定し、補助金も多く出している)である博士課程というのは卒業すれば博士号がでるわけではなく、むしろ在学中にとれない人の方が多く、所謂満期退学」になりその後何年も経ってから博士号をとるのがスタンダードなのは有名な話だが、この大学殆どの生徒にとらせるべく指導するというわけだ。これが何を意味するか。めんどくさいのだ。博士号とらせなきゃいけないからといって、基準が緩くなったりはしない。日本ではなかなか貰えない博士号を、確実に取らせなければ怠慢と言われるのである。当然、教授負担は大きく、できれば採りたくないとさえ考える人も多い。そのうえ、この大学は方々から国にスカウトされてきた研究者が教授になっており、それぞれ現役で研究に励んでいる。というか、研究所に大学がくっついているという状態なので、教授はそれぞれ優秀故に「自分研究者」という意識が強く、彼らにとって学生指導副業である職人丁稚奉公みたいな関係、というと分かりやすいかもしれない。本来自分研究だけでお金を貰える人が、そんなにできるなら学生も見てよといわれるわけである。当然給料はいいし研究費もたんまり貰えるが、まあやりたくない。大学側も研究でも成果を出してほしいので、毎年わずかな生徒しか入れず、教授たちはそれぞれ数年に一人担当すればいい方だ。つまり、採ったら最後責任が重いし採らなくてもそんなに怒られない。故に、プライドが高く研究意欲のある教授がと重い腰をあげた時点で合格というわけだ。だいたいこんな風にして合否は決まる。

長くなってすまない。本題に入ろう。

居眠りしていたのは主査(実際に面倒を見る予定の人)ではなく、副査(担当しないが論文チェックはする人)だった。

長々と書いた通り、この大学学生を採るというのはめんどくさい。しかし、おとされた学生幸運にも主査合格点を出された。何人かいる副査も無難合格点、人によっては少し高めの合格点をつけたりもして、問題なく入れるはずだった。しかし、一人の副査が、法外に低い点数をつけたのである理由は定かではない。何故なら、点数を発表した会議でその教授爆睡しいたかである

これがもし、何がおかしいという顔で鎮座していたならあるいは、合格を出した主査姿勢を問い直す必要もあったかもしれない。

自分が採るわけでもない生徒にとんでもない低い点数をつけた、まではもしかしたら研究へのこだわりであったかもしれない。いくら自分が面倒を見なくても、こんな学生を入れては国立研究機関の名が廃る、とかそういう信念のもとの行動だったのかもしれない。主査教授メンツに泥を塗ったと嫌われても、他の教授非常識な奴と白い目を向けられても、研究レベルの低い生徒を入れるわけにはいかない。ありえない行為に騒然となる会議室で、それでも己の信念に基づいて何が合格に足らないのかを雄弁に語ろう。そういう覚悟純粋さ故の頑固さがこのような事態を招いたのかもしれない。もしそうだったなら、研究所内での自分立場など顧みない、人間関係など研究においては関係ない、そういう研究者としての誇りある人物だといえるのではないだろうか・

しかし、そんな一抹の擁護可能性を吹き飛ばす爆睡一般企業なら上司から爆弾を落とされるレベルの、爆睡ヤバいと思った隣の席の教授に、つついても声をかけても、起きないと確信される、爆睡。一切の説明責任拒否する、爆睡

それこそ、悪夢のような選考会議

採る予定だった学生を予想外に落とされ愕然とする主査ドン引きする他の教授、眠り続ける副査。




それをもって、学生未来は断たれたのであった。

まりにあまり顛末に、良心的な教授の間では「あれは狸寝入りだったのではないか」説まで出始めた。「本当は私情で落としたので、何故こんな点数をつけたのかと追及されるのを逃れる為に、あんなことをしたのではないか」「学生論文の出来に嫉妬し、しかし無理に難癖をつけるのはプライドが許さず、苦肉の策だったのではないか」「本当は気が小さい人で、主査メンツを潰すのがしのびなかったのではないか」という憶測が飛び交ったが、定かではない。個人的には、そんな深い事情はなく、なんか気に入らなかったからじゃないかと思う。学生

気の毒だが、寝てた人の点数でも考慮せざるを得ないのが、寝てた人を怒れないのが、寝てた人でも教授になれちゃうのが、国立研究である。一例だけで申し訳ないが、国費をかけて研究者を増やそう!という研究所でこういうことが起こり得るのが今の研究者の現実の一端である

どうなる日本アカデミー。そしてテクノロジー

2019-02-04

anond:20190204000635

郷というやつは自分の子どもを丁稚奉公に出したり、身売りしたり、あるいは自分の親を姥捨て山に置いてきたり、あるいは若者出稼ぎとか言って都市部に追い出したり、生き残るために何でもやってきたわけですが、そういう血の滲むような努力と穢を引き受けてやっと成り立つものであり、誰でも郷に入れるほど生易しいものじゃないよ。

2019-01-12

anond:20190111165350

社員バイト仕事は中身が違うだけで仕事仕事

立場上下仕事と認めないのは、本当に社会人?と疑問を感じる。

かにバイト責任を強く持つ人は少ないね。それは事実

しかし、それと仕事という呼称は別。

バイトだろうが、社員だろうが、仕事をするから賃金が発生する。

そんな簡単なこともわからないのにバイト仕事じゃないとか言ってるのは、大人として異常で社会人としても異常。

社員バイトという立場に拘ってるなら、まだ社員というもの存在しなかった頃にいた丁稚奉公なんかは仕事ではないというのかい

百姓社員ではないが?仕官でもしないと仕事と認められないのかい?そんな低レベルの話を増田言及してるって気づいてね。

2018-12-23

anond:20181223114443

日本人の「奴隷」の感覚現実離れし過ぎてるだけ。

大多数の日本人が、牢屋に閉じ込められて足に鉄球つけられてる、というイメージしかない。

借金のカタで売られる」なんてのも普通に奴隷だかんな。

日本人、よく「女を借金のカタでソープにぶち込む」なんてのを普通にスルーするけど立派な奴隷だかんな。

江戸時代丁稚奉公なんかも現代価値観だと奴隷

外国人技能実習生も「最低賃金以上の給与を得ていない」「離職や帰国自由がない」なら奴隷

慰安婦だって勿論奴隷

2018-11-04

anond:20181104010754

日本人ほど教えたがりの文化も珍しいと思うけどな

教えないならそもそも丁稚システムとかなかったぞ

あと日本人は昔から出版が好きだし教えるの好きじゃないなら出版なんかしないぞ

2018-09-06

薄給で働くのはダンピングからやる程人類の敵に近づく

この呪いを受けてしまってから人生地獄になった。

結局の所、どの業界でも最初丁稚奉公になるじゃないですか。

そうやって下っ端として何とか下積みしようとしてる時に「これは労働ダンピングでは?」って疑問が生まれると毎日が本当に辛いんですよ。

クアドラプルバインドぐらいになるんです。

①先輩の1/3も仕事出来てない自分が先輩の3割減ぐらいの給料もらってて本当にいいの?

②でも既に最低賃金スレスレの時給でサービス残業なんてしたら労働ダンピングでしょ?

③だからって自分仕事なんとかするの辞めたら職場に居づらくて自分が苦しくなるよね?

ならいっそこんな職場辞めちゃえばいいのかも知れないけどどこも最初はこんなもんでしょ?

そもそもこうやって素人プロを名乗って仕事してることが顧客取引先に対して失礼だよね?

⑥でも勉強してプロを目指そうとしても生活費稼がないとどうしようもないじゃん

⑦それならせめて経験値が稼ぎやす仕事したほうがいいでしょ?

⑧でもこんなにつらい思いするならこの業界自体がもう嫌になってきたよ

⑨というかこの国ってコンプライアンスガバガバなのに変なマナーにうるさ過ぎでしょ

⑩だからって日本を出ていけるほどの能力語学力もないしそれを身につける間生き延びる金もないよ

⑪どうしようもねえなあ死にてえなあ

⑫だけど死は不可逆だからまらずにもうちょっと様子見しておくか

⑬でもやっぱ毎日が辛いし頑張ってしあわせになろうとするほどドツボにはまる気がするよ

八方塞がりなんですよ。

本当に。

どの道に進んでも希望がないの。

幸せが見えない。

どこにあるのか。

社会に出て気がついたこ

大学卒業からはやくも4年。私も既にアラサー

就活関連のニュースを見ていると、新卒採用ってよほど余裕のある会社じゃないとできないよねってようやく気がついた。

学士号も持っておらずまともな職歴もない、おまけに重宝されそうな特殊技能殆どの者が持っておらず何らかの専門知識もない。そんな状態で既に成人。学生ってだいたいこんな感じ。

何も知らない有り余る体力だけが取り柄のモブキャラに、ペラペラエントリーシート情報と数回あっただけの印象で、社会的地位と食い扶持を手配してやろうというのだ。太っ腹もいいとこだ。

在学時は学生ノリが心底嫌だった私。就活もまともにやらず卒業してからちょっと苦労した。

しか最近になって学生やその相手をする大人を見ると、「どこの馬の骨かもわからねえ奴なんか相手にするか。卒業してから出直してこい、もしくは今すぐ退学して丁稚奉公なりなんなりしろ」という具合に、学生就活なんて全く度外視した社会の方がすっぱりしていて健全な気さえしてくる。

2018-08-30

anond:20180830181714

40代でこんなこと言うとるとか甘いw

この先50代、60代、70代があるのだ(死ななければ)

妻子が居るのが標準的人生と思うから引け目を感じるのであろうが、なぁに、本当は生涯独身男なんざ昔から多数いたのさ

江戸時代なんか、農村じゃ次男坊三男坊以下は口減らし大坂江戸みたいな大都市に放り出されて、長屋住まいのまま丁稚やら人足やら町奴で生涯を終える奴が多数(江戸の男女比は男が女の数倍)

国や時代によっては奴隷結婚できん場合もあった

自分1人だけが不幸なわけじゃない

2018-08-29

anond:20180829185957

実際「丁稚制度」とやらで明らかに法律に触れまくっていながらも

問題視されていない企業存在している。

ただあれは悪条件すぎるので、せめてそれよりはマシな

公認の中卒向けの丁稚制度を作ろうという話。

ただし18になった時点で、最低賃金一般と同じとする。

2018-08-07

anond:20180807204740

個人病院とかでも丁稚の様に、下働きしながらそこで勉強させてもらい、

それから推薦状(ただし親族は除く)とかで医大を受けられるとかできても良いよね。

テストだけなんてよりもちっとマシな道もありそうだけど。

2018-07-01

今年外科には誰も入局者がいなかった

嘘のような本当の話だ。

俺は呼吸器外科を専門にしていて今年で医者19年目になる。

昨日の人気エントリーに入っていた研修医2年目の子の話https://anond.hatelabo.jp/20180630150652を読んで俺も書こうと思った。これは俺個人意見から外科先生みんながそう思っているわけじゃない。だから批判するなら俺だけにしてほしい。

俺のころはまず初期臨床研修制度ってものがなかった。2年間いろんな科をローテーションするってやつがなかった。だから当時俺たちは卒後すぐに診療科を決めなくちゃいけなかった。俺は家が病院ってわけでもなかったから、何科に行くのも自由だった。だからこそ悩んだよ。だってまだ俺その時25才だぜ?25才で一生やってく仕事なんてそんな簡単に決められねーよ。学生時代に2週間ぽっち診療科グルグル見たってさ、たった2週間だぞ、そんなんで決められねーよ。

でさ、悩んだ挙句俺は呼吸器外科に入ったよ。入った理由はさ、バスケ部の先輩にグイグイ引っ張られてっていうただそれだけ。2個上の可愛がってくれた先輩が「外科はおもしれーぞ。俺んとこ来いよ」って飲み会の席で肩に手を回してきて「外科はいいぞ、毎日楽しい」って言うもんだから酒の力もあって俺は入局宣言した。でも別にこれは今でいうパワハラなんかじゃなかった。嫌ですって断ったらきっとすぐ解放してくれたろうし、何よりその外科を語る先輩がすごく楽しげだったんだよ。

入局してからはさ、毎日しかったよ。でも楽しかった。最初のころは丁稚奉公みたいな感じで上の先生アシスタントとしてちょこちょこ術野を動き回ってた。外科系は体育会系の熱いやつらが多くていっぱい叱られたよ。でも仕事が終わった後医局でたまに開かれる飲み会はいつもベロンベロンになっていた。みんな外科が好きで、いつもこの前ああ切った、あの時もっとああすればってのを酔っぱらいながら話すんだ。うちのとこは教授ガンガン術野に入った。雲の上の存在だと思ってた教授だったけど術野で隣にいると不思議距離が近いように感じたよ。教授大事にしている日本酒をこっそり講師先生が出してきて飲んだのもいい思い出だ。

外科のいいところは昨日出来なかったことが努力次第でできるようになるところだ。最初は教えられた外科結びを先輩に遅せぇなぁとからかわれながらやっていた。でもやればやるだけ少しずつ速くなる。今ではすっかり俺も教える側でからかう側だ。

術式もどんどん新しくなっていく。より侵襲が少なく、より速くに進化していくんだ。今は開胸よりも今は胸腔鏡手術が主要になってきた。胸腔鏡手術…VATSっていうのは胸に2,3cmくらいの穴あけてそこから細長い鉗子やカメラを突っ込んで、画面見ながら手術するんだよ。すげぇよな、胸開かなくていいんだぜ?俺も初めてやった時、すげぇな、本当に面白れぇなって思った。群馬大の腹腔鏡手術の件は医局でも結構話題になった。やっぱり腹腔鏡とか胸腔鏡ってのはすごく難しい。一朝一夕でどうにかなるもんじゃない。俺のいる大学病院は週3回、大体一日2件手術があるけど、自分が入る手術はその半分くらいだ。それだけの手術じゃ上手くなりようがないか時間外にトレーニングルームに籠って練習する。でも努力した分今日やったことが明日もっと速く、正確に、できるようになる。だから俺は結構好きだし他のやつらも結構好きなんじゃないかと思う。

たださ、若いやつらはどうなんだろうな。外科系は肉体的にキツいってのは本当だからさ。俺の所属する呼吸器外科はまだ手術時間は短い方だと思う。大体3~4時間だ。胸膜癒着とかあれば6時間かになることもあるけれどそんなのはしたことじゃないさ。心臓血管外科脳神経外科なんて1日術野に籠りっぱなしだ。中には椅子がなくて座らずにサポートする先生もいる。昼食休憩や交代はあるところはある、ないところはない。だから外科先生基本的に痩せているよ、食う暇がないから。

実習生研修医はそれを見て外科に入りたいって思うのか、心配だった。俺のころとは随分違って彼ら彼女らは吟味する時間が十分に与えられている。外科を選ばなくていい理由なんか山ほどあるんだ。眼科耳鼻科皮膚科泌尿器科のようなマイナー科の誘い文句は「内科系の管理外科系の手術もうちの科は出来ますよ」だ。内科業務の合間にちょっとした手術もなんてまさにいいとこどりで魅力的な話だと俺も思う。眼科白内障の手術なんて30分ごとに患者交代で1日10件もやれる。

次に俺たちは思っている以上に開業が難しいってことだ。体力が落ちてきたら町医者開業って未来がない。いくらVATSが出来るようになっても医局や大病院を出てしまえばそんな手術できない、器具設備もオペ看もないからな。その点内科マイナー科は忙しい業務が辛くなれば辞めて開業して悠然と働けるじゃないか。賢いというか自分の将来を見据えている学生研修医ほど外科を選ばない時代がきているのだと思う。

俺の奥さんは専業主婦で家のことは全部やってくれている。俺はひたすら手術に打ち込んでて家事育児をそこまで手伝ってあげられなかった。それでもうちの奥さんは優しくて毎日アイロンの効いたシャツを渡してくれるし、息子は息子で部活のことをそこそこ話してくれる。家族に恵まれたと思う。本当に感謝しているよ。だから、もし俺がもう少し忙しくなかったら家族もっとしてあげられることがあったんじゃないか、と考えることがないわけじゃない。

成績順で上から決まってくアメリカと違って日本医師自分希望する診療科に就くことが出来る。だから一回「辛い、キツイ」って印象がついた科は敬遠される。敬遠された科は残された人の業務が増えますます「辛い、キツイ」の印象が強くなる。このまま外科に入局する研修医がいなかったら、外科世界はどんどん高齢化していく。農業伝統工業のように継承していく若者がいなかったらきっと衰退していく。内科が行う内視鏡カテーテルで診断はつきました、ただ切って治す人はいませんの時代が来るのかもしれないな。

「これ、いくらだと思う?」

術野に入る学生にはこうしてVATSの自動縫合器を見せるようにしている。一緒に入るオペ看や助手にはまたその話かって目で見られるけれど、この機械カートリッジだけでなく本体すら使い捨てで数万円~数十万だと言うと彼らは驚いた顔をする。その顔を見るのが好きだ。そうだ。俺たちはここで、最新式の機械で最新式の術式で最高の医療を届けているんだよ。こんな些細な会話が彼らの胸のどこかに刺さって、外科に興味を持ってくれたらいいと思う。俺も教授や先輩から教えられた技術経験もお前に教える、何よりさ

外科はおもしれーぞ。俺んとこ来いよ

2018-06-09

anond:20180607233425

結婚して子供がいる方が標準と思っているようだが、そうではない男"も"歴史上には大量に存在した

日本人の大多数は昭和30年代まで農民だったわけだが、農地相続する長男以外はてんでモテなかった。

次男、三男以下は都市部へ流れて下層労働者丁稚なるのが江戸時代から通例だったわけだが、江戸の男女人口比は男が女の2倍以上だった。

当然、長屋住まいのまま嫁なんぞ貰えず吉原通いで30代40代死ぬ奴が多数。

日本に限らんぞ

イスラム圏を筆頭に近代以前は一夫多妻は通例

有力な貴族武将には多数の妾やら腰元がおるのが当然、人口比を考えたら、上流階級に大量に女を取られれば、必然的結婚できん男はわんさかいただろ

貴兄のみが特別に不幸ではない

生涯独身のまま、立派な仕事を果たした奴も幾らでもいる

2018-06-01

anond:20180601150918

左派快楽要素がないわけではないけど

古参で且つ貢献ポイント多寡でその分配が決定され

そういうふらふらした層にはまず下働き丁稚奉公を求める今どき周回遅れの年功序列様式ではな

2018-03-05

家事にはアファーマティブアクションはないの?

それぞれが家事素養を身に着け一方は数十年のキャリアがあっても嫁姑家事遂行手順で揉めるんだから

夫婦がうまくやれって事前に擦り合わせを密にやるか夫は家事丁稚として妻に完全服従ルールで定めて決め打ちするかぐらしかなくね?

2018-01-09

漫画アシスタントブラック待遇問題で叩かれるべきなのは誰か。

なんか、カクイシ氏の発言って、完全にプロアシスタント目線なのがモヤモヤするところ。

独立した漫画家を目指す夢追い人の目線じゃないのですねと。

良し悪しは置いておいて、「半人前の素人が、丁稚奉公しながら一人前の職人を目指す」システムってどこの業界にも当たり前のようにありますね。

伝統工芸はもちろん、芸能関係養成所とかもそうだろうし、広く捉えればこないだ問題になってた「インターン大歓迎!」とかも根っこは同じでしょ。

当然、こういうシステムが成り立つのは、「無給でもいいか技術を学ばせてほしい!」とか、「苦しい下積みを乗り越えて有名になりたい!」とか、「未経験だけど〇〇業界に入りたい!」って若者が絶えないからなわけで、実際、目指す人のいなくなった伝統工芸はどんどん衰退してるものもありますよね。

で、彼らは、とても狭き門だということをうっすらと認識した上で、それでも極々一握りの人間になろうと躍起になって努力するわけですよ。

一発逆転大成功を収めたいから。

でも当然、全員が成功を収められるはずはなく、幾多の屍の上に、ほんの一握りの目指すべき人が出来上がるんですね。

一人のスーパースターの背後には、蹴落とされていった万人の脱落者がいるんですよね。


カクイシ氏の言い分の微妙な所って、ここら辺の認識がズルい感じがするんです。

プロアシスタントで俺は食っていくんや!」ってモチベーションの人なら、労働組合みたいな言い分が合致するけど、

他者を蹴落としてでも、万人に一人の漫画家先生になりたかったんちゃうかい!」と感じちゃうんです。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん