はてなキーワード: クアドラプルとは
とりあえず3つやろうや。
1 日本中の車道を自転車と車が普通に並走できる幅にする。せめて「路肩」という名前の無法地帯ゾーンをチャリやバイク程度なら普通に走れる空間へ改修する。
2 自転車に対しての免許制の導入。それに合わせて特定年齢以下の自転車に対しての違反免除規約の削除。
3 自転車にウィンカーの取り付けを義務付ける。「右左折は片手を離しながら周囲を見渡せ」とかいう頭のイカれた交通ルールにいつまでもしがみつくな。
まずはこういうのでしょ!
一時停止違反や右側通行は論外っていうなら、知らぬ存ぜぬ子供の頃は許されていたを無くすためにも最初から免許制にしろよ。
そんで免許制にするついでに曲芸じみた手信号をウィンカー代わりにする文化から卒業させるために普通のウィンカーの使い方を教えとけ。
何より言いたいのは「チャリと原付きは路肩通ればいいじゃん?危ない?知らんわ。死ねば?」と言わんばかりの道路をいい加減に何とかしろ。
ただこっちは時間がかかるだろうからまずは手っ取り早く出来る免許とウィンカーの義務化をしろ。
どうせウィンカーと免許実装する時に中抜きが始まるだろうからその金の一部を道路整備に企てろ。
なんでこういう本気の対策をせずに「トリプルチェックでは駄目だったのでクアドラプルチェックをすることにします!」レベルの対応で解決しようとするのかね。
ハーフという呼び名はネガティブだからダブルにしよう、という働きがある
私はむしろダブルこそ言葉として、その成り立ちからネガティブさとは切り離せないものなのではないのか、という疑問を持つ
そしてそのネガティブさは多くの人間に対して向けられているものではないか、とも
少なくとも現状、違うルーツの両親を持つ呼称としてのハーフの言語的な概念は、当人を100とした、単純に両親の異なるルーツでもって50/50とする、またそれを前提としての略語、もしくは任意において一方のルーツをベースとし残り半分の割合を指すものがメディアで目にするものも含め一般的なものであるように思う
同じくクォーターも4分の3は言及せず、またベースとして略すもので、それはシンプルで客観的で図式的な概念であり、本来の単語としては感情的なあれこれの入る隙は無い
ダブルへ繋げる論拠として
あるいは血統主義から一方の国、この場合は日本人が半分「しか」入っていないという差別意識を表す
正直に言うとかなりバイアスのかかった発想だな、と思う
先にクォーターをハーフに並べたのはそれが言語として連なると解釈するからで、実際の用法としても多くでそう捉えられているからだ
彼ら、彼女らの言うネガティブさである単語からのマイナスイメージで言うならクォーターはハーフより印象は悪い
ハーフが半人前ならクォーターは人間が四分の一しか出来ていない、となる
ハーフという言葉の指すところが日本人の血の割合である、という主張も日本において多くの場合、単語が表す先が他国名となるクォーターでは通らない
繰り返すが言語的な用法としてハーフとクォーターは現実として連なっている
ハーフの「半分」という意味へ待ったをかけるのならクォーターもそうでなければ筋が通らない
クォーターに通じない論理でハーフを解釈する事は、ハーフでだけでなら可能だとしても論拠として不足が過ぎるように思える
だがダブルの法則へ従って4倍という意味を調べたはいいが、それだと元々の4分の1のルーツを表すという意味合いとは違ってきてしまい、現在使われている割合の意味での用法ではなくなってしまう
それがルーツの数を表すのなら日本3アメリカ1のクォーターは日本とアメリカのダブル、という事になってクォーターにあたる表現に穴があいてしまう
単純にハーフの上位互換として更にポジティブさを、というのならクォーターとの併用も違和感はない
だがなぜかそうではないのだ
単語の持つ意味や印象がマイナスイメージを想起させる、と主張するならハーフを否定してクォーターを許容するのでは整合性がとれない
そもそもこのハーフに対する話は日本の和製英語として、その言外にいわゆるガラパゴス的言語観への若干の批判めいた意も滲ませられ取り上げられている事も多く、それなら、と欧米で一般的にはどう表現されるのかと興味がてらにさっくりと調べると何の事はなくhalfという単語も使われていた
ただ日本のように単語自体にルーツへの意味を含ませるのでなく、そのまま単語として国名や民族名と並べてアメリカ半分と日本半分、のように使われるらしい
またpartも同じように使われるようで、こちらが日本で使われていたら分割という意味にネガティブさが見出されていたのかな、とも少し思った
ダブルはといえばこちらも結局は和製英語であり、更にhalfやpartより一般的でないようで、使うにしてもやはり単語単体では意味が通じにくい、という事だった
そういえば以前テレビ番組でハーフはネガティブだからダブルを広めたい、と言った女の子に同じくハーフのアメリカ出身の女の子がアメリカでも普通に使う、言葉自体にネガティブな要素はない、日本でもそうだと思うという風に言っていて、その認識の違いを興味深く思っていたのを思い出した
ダブルもハーフも海外で通じる通じない、という日本のガラパゴス的意識という意味では変わらず、むしろダブルの方が単語の用例としては一般的ではない様だった
略さないのであれば、また略さないそれがそのままダブルの意味なのだとするのならガラパゴス、という部分でハーフに否定的になる理由はない
ならなぜダブルなのか
調べている中で表現としてmixというものがあり、ハーフやクォーター、またそれ以外をも内包出来る親和性の面でもいいな、と思えたし、実際日本でミックスを表現として使っている人も既に少なからずいるようだった
特に多民族国家ではhalfやpartやquarterでは表しきれない事もあり、mixが段々と単語として市民権を得ている、という印象を持った
言葉としてハーフやクォーターと平行して組み合わせる事も可能で汎用性も高く、会話や文脈によってはmixという単語自体にルーツの意を含ませる事自体も、ハーフやダブルと比較すれば難しくはないらしい
言語的にも、日本のガラパゴス的言語感覚への問題提起としてもミックスを使おう、というならすんなりと腑に落ちる
違う言語圏から見て、初めて聞くハーフというその言葉はネガティブさを含むように見えるかもしれない、と思う
そしてそれこそが嫌なのだ、という人もいるだろう
そして誤解とはいえ、ネガティブな枠で自身が定義される、それ自体への拒否感も理解できる
だがその場合ハーフという言葉に言語として、用法としてのネガティブさは認められない
問題は日本独自の略語、和製英語が生む対外的な混乱による認識の差異、ただ1点だ
単語として、ハーフを基準にそこに優るものとする発想から用意された事は明白で、それは先述した言葉としての有用性や論理を置いてけぼりにハーフという言葉への相対的な優位性のみを後ろ盾としており、当然その説得性にはハーフがどれだけダブルに劣るかの提示が不可欠であって、そのやり方としてハーフネガティブ論が持ち上がっているのではないか、と考える
実際ダブルを広めたい、とする場ではほぼ必ずセットとしてハーフのマイナス面が語られ、ダブルのポジティブさにしてもやはりそのネガティブさに対しての相対的なものに留まり、ハーフが差別的である、ネガティブであるという言ってしまえば既成事実作りとそれを踏み台にしての消去法的優位性でもってでのみ語られる姿はどこか悪く言えばプロパガンダ的だ
ハーフのマイナス面をいくら語ったところでそれはダブルの優位性の証明にはならないのだが、単語としての関連性を匂わせ、選択肢として提示する事でそう見せる、というやり方なのだと思う
そもそもダブルが持つとする言葉のポジティブさの論理は、一歩間違えば純血主義に対し方向は真逆でもベクトルは変わらない、同じ類の比較対象ありきの優生的優位性とも取れる危うさもあり、ともすれば強くハーフのマイナス面を示す事でのあくまで相対的であるとする主張はその指摘を避けるためのものでは、とも思ったが、そこまで考えていないようにも思う
賛同している多くもハーフのネガティブさ、という主張をも含め「素敵な考え方!私達は理解してるし悪い慣習は変えて行こうよ!」というような諸手をあげてのもので、単純に深く考える前に助力になれば、という意が先に出ているようでもある
それにしてもダブルを肯定するという事は当然過去遡って差別的、ネガティブな要素を持つ言葉として使っていたという事を自分も含めて認め、もしくは受け入れる事であり、違うのだとすればそれは一方的に要はレイシズムからなる加害者だとされる事であるのにそこに違和感はないのか、と首を傾げてしまう
そのポジティブさはハーフという言葉に相対的犠牲を理不尽に強いた上でのものなのに、なぜそんな肯定的に思えるのだろう、と
確かに現実としてハーフという言葉にナショナリズム等から悪い意味をのせる人間はいるだろう
しかしそれは今の通例としての言葉の概念上では明らかに例外であり、そのような人間が発する言葉に含まれたレイシズムにその他大勢の人間性を巻き込むのはナンセンスであるし、むしろ仮にダブルが使われるようになったとしてどうにかなるのか、というような現実の用法とはかけ離れるレイシストの意図をその文化圏の象徴のように語るのはそれ自体が差別的であるように思える
その上でネガティブな印象に受け取るのは個人の選択であり、本来の意図される言葉の使われ方やそれを口にした人間の人間性など意に介さずお構いなしにやるそれはあまりにも、という印象が拭えない
自身の自尊心のために半ば言いがかりのようにして他の多くの人間性を否定する
それら全部分かっていてもハーフという言葉をネガティブに取ってしまい、それがダブルという言葉で自己肯定に繋がるのなら、とも思いはする
だが、それはあくまで自己完結としてあるべきで、言葉やそれを使う人間をも巻き込むのは傲慢が過ぎるのではないか、と思う
「ただ自分に誇りを持ちたいだけ」「ポジティブにありたい、それが悪い事なの?」というような声も目にしたが、ネガティブさを押し付けなければ得られない、相対的でしかない誇りやポジティブさとは一体何なのかとやはり首を捻る
そんなものでも彼ら、彼女らは良いのかもしれないが、そのためにレイシズムを含む言葉を使って来たと匂わされるこちらはたまったものではないし看過できるものでもない
その人間の意図や場面を限らず、元の言葉から定義をし直そうとするその行為は紛れも無くこの私も含め、多くの人間への自己肯定を理由にした小さな悪意であり、自尊心やアイデンティティと向き合うためにそうする姿は健全とは言い難く、やはり違和感は拭えない
その人が言葉に持たせた意図やその言葉の意味でなく、ネガティブだと捉えた自身を根拠にポジティブになるためにその相手に非難めく
近くにいたら少し距離をとるな、と思うし、それを「応援」する人間も怖いな、と感じるんだろうとも思う
少し前、流れていたツイートで、ハーフなんだね、と言う女の子に、それも少し前話題になっていたプリキュアの男の子が半分じゃないよダブル、のように言っている画像を見た
そこには(曖昧だが)ポジティブな考え方はマネしていきたい、というような文章が添えられていた
画像の男の子は大和撫子とパリジャンのダブルだから、という言い方をしていた
もしかしたら設定として、その男の子は日本に来て間もなく、誤解の下にハーフという響きにネガティブさを感じたのかもしれない
そんな可能性を示す、そこには何の異議もない
実際そのダブルは和製英語としてのルーツを示す略語でなく、単純に本来そのままの意味として使われているように見えた
現実的に考えてみてもそんな状況ならハーフという言葉に疑問を持ったとして、和製英語であるダブルを使う事は無いだろう
だが、これはアニメだ
この場面の意図に、ハーフに代わる略語としてのダブル、という言葉の存在が前提にあるのは明らかで、また画像に添えられたツイートもそのように捉えていたように思う
女の子が口にしたハーフ=ルーツの意味を含む略語という側面でなく、単語それ自体で受け取らせ、ネガティブだと否定させ、その上で同じく単語の用法そのままの意味でダブルという言葉を並べ、語らせ、そしてその比較をハーフとダブルの印象へと繋げる
先述した通り、略さないのであればハーフという単語を用いるネガティブさ、という方向性での疑問は海外の用例からしても杞憂でしかない
そしてまた、略さないのならダブルを用いて自身のルーツを表す事自体には大して問題もなく、それは確かにハーフを使用する場合より単純な印象としてどこかしら肯定的な雰囲気も持ってはいるようにも思える
だが、そこで略語としてのハーフを否定し、成り代わるよう安易にそこに収めようとやるから辻褄が合わなくなるのだ
もしこの男の子がハーフがルーツを表す略語であり、一般的に使われる表現であると理解しているならどうだろう
その場合、その子はハーフと口にした女の子を差別的な要素をも含むネガティブな言葉を無自覚にでも使った人間であると意識の低さを指摘し、また同時に相手の意図より自分が思う言葉の意味を優先して否定から入るような、そんな子だ、という事になる
そしてそれは当然、その女の子だけでなく見ている子供たちへ向けられるものでもあるはずだ
言葉としての意義に悪者であるハーフを否定する事が含まれているのだからそうなるのは当然だ
これはあくまで仮の話ではある
だが同時に現実としてポジティブさ、という言葉の下で同じ事が無自覚に行われているのも事実だ
そしてそれは何の悪意も意図もなく、むしろ場合によっては羨望の意味さえ含ませハーフという言葉を使う、その女の子と同じ年齢の子たちに本来そんな必要のない罪悪感を負わせる事でもあるのだ
今後、私はハーフという言葉を使い、クォーターも使い、ミックスという言葉も使い、また、もしかしたらプリキュアの男の子が言っていたような国と国でダブル、というような、より肯定的な意を込めたとする表現も本来のダブルという単語の用法のひとつとして使う時が来るかもしれない
だが、ハーフという言葉自体とそれを口にする人間性の否定、というネガティブさを纏ったダブルという言葉を使う事はないだろう、と思う
クアドラプルは調べる気力がなかったうんちども
そうやって下っ端として何とか下積みしようとしてる時に「これは労働ダンピングでは?」って疑問が生まれると毎日が本当に辛いんですよ。
①先輩の1/3も仕事出来てない自分が先輩の3割減ぐらいの給料もらってて本当にいいの?
②でも既に最低賃金スレスレの時給でサービス残業なんてしたら労働ダンピングでしょ?
③だからって自分の仕事なんとかするの辞めたら職場に居づらくて自分が苦しくなるよね?
④ならいっそこんな職場辞めちゃえばいいのかも知れないけどどこも最初はこんなもんでしょ?
⑤そもそもこうやって素人がプロを名乗って仕事してることが顧客や取引先に対して失礼だよね?
⑥でも勉強してプロを目指そうとしても生活費稼がないとどうしようもないじゃん
⑦それならせめて経験値が稼ぎやすい仕事したほうがいいでしょ?
⑧でもこんなにつらい思いするならこの業界自体がもう嫌になってきたよ
⑨というかこの国ってコンプライアンスガバガバなのに変なマナーにうるさ過ぎでしょ
⑩だからって日本を出ていけるほどの能力も語学力もないしそれを身につける間生き延びる金もないよ
⑪どうしようもねえなあ死にてえなあ
⑫だけど死は不可逆だから早まらずにもうちょっと様子見しておくか
⑬でもやっぱ毎日が辛いし頑張ってしあわせになろうとするほどドツボにはまる気がするよ
八方塞がりなんですよ。
本当に。
どの道に進んでも希望がないの。
幸せが見えない。
どこにあるのか。
前回までのあらすじ
ん……ああ、終わった?
どれくらい時間がかかったか分からないが、決着がついたらしい。
弟の解説によると、デッキの完成度とその戦術の理解度が明暗を分けたという。
ジョウ先輩は新パックのカードを既存のデッキに混ぜていた結果バランスが悪くなっていた。
それに対して弟のデッキは普段のロマン重視のデッキではなく、勝ちを重視するべく「環境トップのテーマ」だとかいうのに切り替えていたという。
ジョウ先輩いわく、勝負は一方的でほとんど何もできず、何かしても弟に逆に利用される始末だったらしい。
「ワタクシ、カード集めるのが主な目的ですから、バトルはそこまでガチじゃないんですのよ……」
こうして弟は新パックを勝ち取った。
「さて、と。この開けるときのワクワク感がたまらないんだ……」
そうして弟が開封しようとすると、隣で食い入るようにジョウ先輩が眺めていた。
「おい、しつこいぞ!」
「見るだけ! 見るだけですから!」
もし希少なカードを弟が手に入れたらショックだと言っていたのだから、いっそ知らないまま立ち去ったほうが精神衛生上よいと思うのだが、どうしても気になってしまうようだ。
「お、グリグレだ」
「しかもラメ加工しているバージョンですか。そこそこ運がよろしいですわね」
何が良くて何が悪いかはよく分からないが、やたらと派手な柄だったりキラキラしているものがレアだという。
随分と……いや、その、分かりやすいんだな。
「げ、またこれか」
「ワタクシも5箱のうち1割はそれでしたわ」
その後もいくつか開封していったが、反応を見る限り大したものはなかったらしい。
「さて、これが最後のパックか……」
パックを開ける音が店内に妙に響き渡る。
その後は、やけに静かである。
「……まあ、こんなもんか」
「……まあ、こんなもんですわね」
「あんたが言うんじゃねえよ」
どうやら、がっかり感の静寂だったらしい。
「まあ、ひとまずワタクシの観測範囲内でベリグレやクアスペが出なくてよかったですわ……」
必死に探し回った割にこんな盛り上がり方だと、付き添ってきた甲斐が俺にもないのだが……。
そうしてノリきれずに持て余していた俺は、暇つぶしにパックに羅列された文字を何気なく読んでいた。
すると、あることに気づく。
「なあ、その……ベリーマッチグレート、クアドラプルスペシャルだっけ」
「ええ、それが、なにか?」
「初期出荷分には入っていない……って書かれているんだけど」
弟とジョウ先輩が固まる。
後に分かったことだが、CMにも右下あたりに注意文がちゃんと表記されていたり、その後も店舗ごとに注意喚起をしていたらしい。
巡った店にいる人間の特徴に偏りがあると思ったが、他の人はそれを知って思いとどまっていたということなのか。
「まあ、仮に入っていても10パック程度じゃ出ないだろうし」
弟はというと多少は気持ちが沈んでいたようだが、意外にも冷静だった。
元からそこまで期待していなかったらしい。
だが、休みを犠牲にして、カードも大量に購入していたジョウ先輩はそう簡単に割り切れないようだ。
「キ…キ…キイイイイイイイ ! 許せませんわ! あの会社め、法の裁きを受けさせてやりますわ!」
そういってジョウ先輩は店を出て行った。
だが、その後も何事もなかったかのように、ジョウ先輩はカードゲームに興じているのを何度か見かけた。
いつの間にか件のベリーマッチグレートだとか、クアドラプルスペシャルとかいうのも手に入れていて、周りに自慢していた。
更に新パックを買いまくって手に入れたのか、或いは別の方法で手に入れたのか。
いずれにしろ、怖かったので聞かないことにした。
今回の件で、俺は認識を改めた。
でも違うんだ、子供の遊びに大人が深く介入すれば、それはもう“大人の遊び”なんだ。
“子供の遊び”と“大人の遊び”が噛み合わないのは当然だよな。
独特のパワーがある いい装備も用意してある
俺がスゴイ奴なので 実は仲間いらないかもしれない
そうは言っても 俺を褒めてくれるから仲間だ
ヴァリアブルブル! オリジナル!
絶対こらしめてやる 溜飲を下げさせてやるぜ
ハチャメチャしてるぜ ですが誤解しないで
ヴァリアブルブル! オリジナル!
弟がテンションを高くして観ているのは『ヴァリアブルオリジナル』というアニメだ。
雰囲気は如何にも子供騙しにしか見えないが、意外にも大人気のようだ。
特にこのアニメをモチーフにしたカードゲームは、世界大会が開かれるほどの熱狂ぶりで、弟もその住人らしい。
弟に対して俺はというと、内心冷めた目で静観していた。
他人の趣味を腐すつもりはないが、俺はこういうジャンルに明るくないから理解に苦しむのだ。
『私は姫……女王がいないけど、ピーチ姫だってそうでしょ……』
「あれ、CMいつもと違う」
『新パック、“剣姫スミロドン”登場! ベリーマッチグレートレアとクアドラプルスペシャルクラスが合体!』
「うおお! 何これ、初耳なんだけど!? アニメにもまだ登場してないじゃんか」
『切り札はこの袋の中に~切り札じゃないかもしれないけれど~たくさん買えば~いつか~きっと~』
「畜生、発売と同時に宣伝するタイプか! 今すぐ買いに行かなきゃ!」
「アニメは観なくていいのか?」
「何で俺も行かなきゃいけないんだよ」
「購入に年齢制限があるんだよ!」
この時、母はメンテナンス中で動けず、父は必要な機材の準備で手が離せなかった。
仕方なく、俺は渋々と弟についていくことにした。
子供向けのはずなのに、その子供は買うのが制限されているってのも奇妙な話だと思ったが、まあ金のかかる趣味には往々にしてあることなのだろう。
「やれやれ……付いてはいくが、くれぐれも節度を持って買えよ、と」
「……」
おれの考えでは、バーガーキングはポテトを喰うところではない。あと、500円のセットだとハンバーガーは小さい方の奴だろう。それじゃバーガーキングに入った甲斐がない。
ワッパーを頼め。そんで好きなものを足せ。嫌いなものは抜け。アボカドとかうめえぞ。ベーコンもなかなかいい。もちろんパティを足せばダブルワッパーだ。トリプルでもクアドラプルでも好きにしてくれ。あとワッパーには最初からレタスとオニオンとピクルスが入ってるから、それは増量してくれって言えば追加料金無しで増やしてもらえる。口に入らないんじゃないかってレベルのハンバーガーが 790 円とかで出てくるぜ(ワッパー+パティ+アボカド、レタス&オニオン&ピクルス増し)。詳しいルールはここを見てくれ。http://www.burgerkingjapan.co.jp/menu/hiyw.html 実際店頭に行ってからじゃ決めづらいからな。でもこれを使いこなさねえとあんたみたいに高っけえええって思っておしまいだから、それじゃ勿体ないデブよ。