はてなキーワード: 自己評価とは
「医者にあなたは発達障害だと言われてほっとした」だとか「発達障害ではないと言われてしまった、つまり自分はただの○○(ネガティブな言葉が入る)だということではないか」というコメントを見て少し気になった
診断が出たところで、それはそれで医者からあなたはそういう人間なのですとお墨付きが出された訳だから自己評価については何も変わらないどころかいわゆる「完治」はしない為余計悪くなるのではないかと思うがそうではないらしい
何故なのだろうと少し考えてみた
おそらく「障害者であれば多少○○(上記のネガティブワード)であっても仕方ない、障害のせいであり本人に責任はない」という事なのだろうか
精神・発達障害者の欠点は全て障害のせい、健常者の欠点は全て自分のせい?
気難しい障害者はみな哀れな善人で気難しい健常者はみな愚かな悪人?
そんな0か1かのような単純な話ではないであろう、では精神・発達障害者の欠点はどこからが障害のせいでどこまでが自分の責任なんだ?
すべて根性でなんとかなる、障害だなんて甘えだと言うつもりはない
ただ、だからこそ、彼ら障害者に罪がないとすればどうやって健常者の罪を問えばよいのかと考えてしまう
「あいつは健常者のくせになんていい加減なやつだ」と思っていたらその後発達障害があると診断される(発覚する)可能性もある
そもそも性格や意思は脳から作られるもので、精神・発達障害者の性格上の欠点が脳のせいだとすれば健常者のそれはなんなのか
しかしあれは脳のせいだ、これも脳のせいだ、それでは人間に自由意志なんてものがないのではないか
では、誰が悪い人間なのか
そんなことを考えていたら一部で知的障害者の事が「天使」と呼ばれている理由がわかった気がする
良い点はすべて彼本来の性格によるものであり、悪い点はすべて障害(脳)のせいとすれば哀れな天使の出来上がりだ
自分以外の人間全てに対してそう考えられるようになれれば幸せだろうな、と思った少し後に、人に期待しないとはこういうことか、と気付いた
ずっと見てて不思議だなあと思ってたんですよ。
「サイゼリヤなんてありえない!」とかいう話だけども、ありえないんだったら、男に「サイゼリヤ行こう!」って言われたときに「デートでサイゼリヤなんてありえないから他の店に行こう!」って言えばいいだけなんだよね。
そういう自己主張、自己表現すらしないで男に言われるがままについていくってあまりにも幼稚で子供というか、察してちゃんというか、自立してないというか、自我がないというか、ほんと呆れてしまいます。
サイゼリヤ批判してる女たちってむしろ「私は自立してます、できる女です」みたいなフェミニストさんたちなわけでしょう?
それなのに男に言われるがままにサイゼリヤで食事して後から文句言うような人たちなわけ?
なんかその辺よくわかんないのよね。
男に「サイゼリヤ行こう!」って言われたときに、自分の意見を言うだけでいいわけよ。
「デートでサイゼリヤなんてありえないから他の店に行こう。たとえばここの店とかどう?」ってさ。
それが普通の会話というか他人とのコミュニケーションってもんでしょう。
それすらできないって謎なんですが。
これって自分の意思がない女ってことですよね。少なくとも自分の意見を言うことができない女ってわけ。
こんな連中が「私フェミニストです、意識高いです、オタク死ね」みたいなこと言ってるのって不思議だなあと思うわけ。
食事でどこに行きたいかすら自分の意見言えないような人が本当にインテリなんですかね?
周りに流されて生きてるだけの愚鈍な女にしか思えないんですが。
人と人とのやりとりって双方向のコミュニケーションなんですよ。
不満があるなら相手に伝えてみればいい。
それで相手が折れてくれて自分の望み通りに動いてくれるようになるかもしれない。
あるいは全部自分の通りにしてくれなくてもある程度折れてくれるかもしれない。
相手がこうしてきた、でも自分はこうする、すると相手はそれに対してどうする、と。
最初から自分の都合のいいように動いてくれないなんてヤダヤダヤダってただの子供ですよ。
ただの子供なのに自己評価では自分は自立してる賢い女ってわけなのよね。
なんなんこれ。
自分の意思や意見を相手に伝えることもできない人間が何で偉そうにしているの?
文句も言わずに相手に従ってついていって、あとからわーわー文句言ってる。
こんなのただの子供ですよ。
もっと主体的に生きた方がいいよ。自分の意思を持とう。自分の意見を持とう。自分で立とう。
彼女たちの自己認識では「自分は自立してる強い女、賢い女」ってことになっているのに、行動パターンが幼稚な察してちゃんでしかない。
自分は責任取らないけど、世の中の男は悪だから自動的に自分の思う通りにならないのは全部男が悪いってわけ。
ちゃんとフェミニズムを学んだら、男に気後れなんかせずに自分の意見をはっきり伝えると思うんですが。
自分の意見をはっきり伝えていたら、女性側がデートでサイゼリヤに行きたくないにも関わらずサイゼリヤで食事してしまうなんて悲劇は起こらないのに。
この問題ってほんと単純で、サイゼリヤに入る前に女がいやだって言えばいいだけなんですよ。
なんでそれすらできないの?
なんと言うかお互い前提が違いすぎる気がする。
私は男だが、婚活だろうとデートだろうと、最初の食事ってのは、この人にほんきには本気になっても良いのかなって見極める面接みたいな感覚なんだよな。
だから、高い料理をだす出す程本気で落としに行ってるんじゃないし、恋人でもないまだ他人の段階なんだ。
取引先みたいに今後お付き合いをして行きたい人ではなく、取り敢えず試供品配ってリピーターになるかを確認されてる消費者みたいなイメージである。
だが、女性の意見を見るに、誘われたと言うことはガチ恋勢だから本気で落としに来るはずと思い込んでいる。
ナンパ師でもないんだから、飯食ってそのまま生中しようなんて思っては居ないし、ましてや惚れられてるなんて自己評価高すぎてビビる。
何も買ったこと無いのに大得意様並みの割引率を要求してくる一見様くらい厚かましいとは思わないのだろうか?
結局、男は養う側女は養われる側と言う意識はのままなんだと思う。
だったら本当に正社員やフルタイムで男性より稼ぐのやめて欲しいし、男性に多めに給与を出すような時代が正しかったのだろうとさえ思う。
男性の友人からも、女性は本気で婚活なんかしてないと愚痴を言われるし、姉妹からも男は本気で婚活なんかしてないと言われる。
しばらくこの構図は変わらんのだろうな。
よくよく考えると普段からデートしてない奴が2000円くらいのこじゃれたランチなんか行かないから、そもそもそう言う店知らないだけだし、なんなら初めて行く店で何食っていいか分からないから選ばないんだよな
つまり、コレは非モテだけを排除するフィルターになってるんだわ……
彼女居なくてもデートで使えそうなちょい高めの店にツキイチくらいで通って妄想デートやった方が良いのかもしれない。
ゲーム1本分、ガチャ2回分でチャンスつかめるなら安いのかもしれん
と言うか、2回目以降なのにサイゼリヤ拒否する奴は金銭感覚ぶっ壊れてるか自己評価お化けの非モテ女だから振った方がいいかもしれない
そういう空気をビンビンに感じるから読んでないんだけど(「夢を諦めるな」みたいなコンセプトは好きだし作中で人物が言ってるっぽい言葉も理解できるものが多そうとは思う)、改めて調べてみたら
2人の主人公の内の1人。ムッタ。初登場時31歳。モジャモジャの天然パーマが特徴。工学博士[5]。1993年10月28日生まれ。東京都出身。身長181cm[6]。誕生日にドーハの悲劇が起きていることから「自分は不運に縁がある」と思い込んでいる[注 2]。
幼少期の約束通りに宇宙飛行士となった日々人に対するコンプレックスから自己評価が低いが、テレビ・新聞・雑誌・ラジオ等の複数の情報を同時に見聞きする能力を持ち、優れた観察力と記憶力を有している。また抜群の発想力と創造力を持っており、NASAにおいても多くの機転を見せ、斬新なアイデアによって周囲を驚かせている。その他にサッカーの経験があり、トランペットとピアノを演奏できるほか、料理の腕も立つなど様々な特技を持つ。
元恋人が次第に浮気相手となり、最終的に大揉めして絶縁してしまった。
その人とは性格や嗜好がこれまで出会った人にないほど劇的に合い、会話することが誰よりも楽しく、
気づけば好きになっていて、当時付き合っていた恋人と別れてその人と付き合った。
が、コミュニケーションの誤りや、自分自身の覚悟のできなさ(つまり新たな恋人だけに向き合うこと)によってその人とはすぐに別れてしまい、
しかし縁を切ることができずにダラダラと肉体を含めた関係を継続してしまった。
行き着く先は地獄であろうと理解はしていたものの、どうしてもその人と会うこと、話すこと、そしてセックスがやめられず、地獄もすべて受け止めようと進んできたが、
気づくと浮気をしている自分を肯定するための口実、都合のいい言葉を並べて相手を支配するようなコミュニケーションをしてしまい、最終的には私が言葉・物理の暴力を奮った。
結果、相手に嫌われて終わった。
今思うとそれも関係性を継続させるためのやりとりで、元の関係に戻るを繰り返していた。ただ、その繰り返しももうこれで本当に終わったのだと思う)
今は謝ろうにも連絡先が立ち消えていて謝ることすらできない。すごく辛い。
何が辛いのか、おそらく要素はたくさんあり、嫌われてしまったこと、傷つけてしまったこと、もう謝れないこと、もう会えないこと、
そんなことをしてしまった自分への嫌悪感、自分は狂っているのかもしれないという不安、自分が守っていたプライドと自己評価が崩れたこと、
上げればキリがなく、ここ数日はうまく眠りにつくことができず、寝ても途中で目が醒めてしまう。食事も固形物はほとんど取れないでいる。
絶縁して以来、どう謝ればいいか、自分自身がどんな人間なのかということばかり考えて、仕事も手に付かない。
この1週間、早めに退勤して喫茶店で、その人への謝罪文を書いては出せずにいる。
そんな折、自分のおかしさを自覚したい、そして矯正したい思いで手にとった本が、
まさに自分を言い当てているようだった。矯正の仕方は書いてないが、思い当たる節が多々合った。
■潜在的攻撃性マニピュレーター
「人を追い詰め、その心を操り支配しようとする者――『マニピュレーター』は、聖書に書かれた『ヒツジの皮をまとうオオカミ』にじつによく似ている。人あたりもよく、うわべはとても穏やかなのだが、その素顔は悪知恵にあふれ、相手に対して容赦がない。ずる賢いうえに手口は巧妙、人の弱点につけこんでは抜け目なくたちまわり、支配的な立場をわがものにしている。自分の望みを果たすためならオオカミたちはとことん闘いつづける。だが、一方で好戦的なその意図だけはとにかく他人の目から隠そうと必死だ。こうした人格の持ち主たちを『潜在的攻撃性パーソナリティー』と私が呼んでいるのも、彼らにうかがえるそんな特徴のせいにほかならない」。
自分の都合・目的(それは相手の支配である)を最優先して、無感情に相手を傷つけてコントロールしようする、私はそういう人間なのだ。
これまでそんなことには完全に無自覚で、読み進めるのが辛かった。
これはどうしたら治るのだろう。著者は直し方まで書いてくれてはいない。
自分はそういう人間だと自覚して、症状が出ないように意識的に抑制して生きていかなくてはならないのだろうか。
相手を傷つけてしまったこと、自分自身の信じられなさに耐えきれず、
かといって自分一人ではどうにもできず、誰かに相談することもできないので、心療内科とカウンセリングに通うことにした。
心療内科では、通院の継続を求められるとともに処方箋を出してもらい、ここ数日睡眠障害や不安感は一定程度押さえることができている。
明日は初のカウンセリングだが、何があるのだろう。これを経て誠実な人間になることはできるのだろうか。
とにかく相手には謝りたいし、
これまでまとっていた脆い自己評価や自己陶酔を捨てて誠実を最優先した人間になりたい。