はてなキーワード: トトロとは
『となりのトトロ』、お父さんの声だけ新録にしてほしい。— 町山智浩 (@TomoMachi) April 9, 2020
ピエール瀧の出演した映画は全てお蔵入りにしろ、よりも酷い暴論です— FMA (@fishermansannoy) April 9, 2020
よくない吹き替えを変えて欲しいと要望するのは誰でも自由だし、ミスキャストを指摘するのは映画評論家の仕事です。— 町山智浩 (@TomoMachi) April 9, 2020
ここで2008年の町山サンの発言を振り返ってみましょう。「糸井重里さんトトロで使ったじゃないですか?あれは良かったでしょ?明らかに下手なんですよ、糸井さん。棒読みなんだけど、お父さんの朴訥な人柄とマッチしてるからそういうキャスティングはありなんです。」https://t.co/zZMxUpdbLt— ぽん太(手洗いうがいを身につけた男)【公式】 (@ponta_id) April 10, 2020
オーストリア在住日本人科学者maromiso氏「『となりのトトロ』には娘と父親の入浴やサツキのパンチラがあるのにあまり問題視されていない。日本は遅れすぎている。」
https://togetter.com/li/1479920
先に行っておくけどオーストリアは例の国連の子供の権利委員会の暴走した児童ポルノのガイドライン変更のパブコメにおいても創作物は児童ポルノに含むのは問題視している意見をきっちり出しているからね。
その上で言っておくけど、パンチラ云々とか言っているのはこの人がそれこそこのアニメをそう言う卑猥な目で鑑賞していると言う話であるし、それこそ言われている様に文化の違いやその時代を書いた話であると言う事に過ぎないと言う訳。
(トトロ自体その手の卑猥なアニメではないのは一般の方々が一番ご存じでしょう。)
しかしこの手の人の意見を見ているとそれこそお母さん保守や純潔教育思想そのものであると言うのが良く認識できるね。
いい加減リベラルと名乗るのやめたら?
それとそんなに日本が嫌いなら日本から出た後も日本の事なんてほっといてくれた方が良いよw
まあ、この手の自称リベラルを見ていたら何故昨今それこそこの人達の大好きな世界でもグローバル化はなりを潜め、ローカル化が進みつつあるのが良く判るよね。
更にコロナ禍でその動きが加速しそうだけど。
今やリベラルやフェミニズムこそ古臭くてダサいものと化してきているのは事実。
それとフェミニストや自称児童保護団体と絡んだ団体は多かれ少なかれ、その後自身がとんでもない炎上をしたり、衰退を招いたりするのもある意味凄いな。
当時手を組んでいた自民もこいつらと組んでいた時に政権交代を招いたし、リベラルはその後組んでボロ負けして勝てなくなったのも事実だしなー。
すでにブコメや言及で書いてあるけど、人に貸す場合を想定している。
で、次第にリビングに電話の居場所が移っていくわけだが、法律の制定や条約の締結とかと違って、各家庭の事情が絡んで「いつ」は言いにくい。
ただ言えることは各家庭に電話が普及するのと表裏一体の動きだということだ。
ところが、電話の普及ってのも技術革新と絡んで複雑な経過をたどる。
電話の普及は、ただ電話線が家に引かれることを想定するだけではダメという話。
「交換士あり」から「即時電話」(これには二つの意味合いがあって複雑なんだが)への変化を見なくてはならない。
私は北海道の事例しか調べたことがないのでそれを例にすると、市街地では昭和20年代後半から30年代丸々をかけて、まず「市内即時化」がなされていく。
これはある一定範囲の市内通話だったら交換士なしで自動で繋がるシステム。それまではトトロみたいに電話をつなぐ中の人がいた。
これを「即時化」とか「自動化」という。「即時化」「自動化」は地域ごとにボトムアップで進んでいく。中央から一気に御達しが出て一斉スタートになるわけではない。
その際に電話番語が改まる。それまでは電話の開通順で「1番」とか「8番」とか「53番」とか「104番」とか番号が割り振られていたが「即時化」で全ての番号が再編成され、私の調査値だと4XXXみたいな4桁の番号が新たに割り振られる。詳しくは忘れたけど、官公庁や公共施設はは2XXX、病院は3XXX、みたいにある程度分野ごとに割り振りがあったと記憶している。
今でも市内だったら全部の電話番号押さなくても下何桁かで連絡できるでしょう。それはこの時期に出来上がった技術。
今まで手動でしなければならなかったところが自動化されたことで、通信線が強化されつつ、電話が急速に都市に普及していく。
市内での即時化が完了したが、都市ごとの連絡には未だ交換士に繋いでもらうことが多かった。
これも次第に、時に市内自動化と並行して解消されていく。
例えば北海道なら札幌を起点に、札幌ー函館、札幌ー釧路、札幌ー東京、札幌ー大阪、函館ー釧路、釧路ー小樽……みたいに自動化がなされていく。なおこの順番は適当だぞ(道内では多分誰も順番調べた人いないんじゃないだろうか)。ともあれ網の目状に進んでいったという点に留意されたい。
都市間の自動化は、都市に固有の番号を割り振りそれを頭につけることで実行される。
戦後、農村部ではラジオの普及と電気・電話の開通が急務だった。
また北海道では、NHKが地理的にも経済事情的にも農業の勉強がかなわなかった農家に対して、朝早く(野良に出る前に)「ラジオ農学校」を開設しており、地域ごとに識者を読んで種まきや農作物の維持管理の啓蒙に努めた。不作や冷害の場合への対策も、時にラジオを通じて伝えられた。
農業の成果に直に関わるため、各地域の農家のリーダー役の人々は、請願運動をし、時に自分たちで出資して電気・ラジオ・電話を普及させていった。
農協から何キロも線を引っ張って、自分たちで電信柱を立てて、地元に情報をもたらそうとした。
こうした事情もあり、農村各地域に電話は限られ都市で自動化が進む時期においても電話を借りる、というシチュエーションは多く残されていた。
ラジオ・電気に遅れるも、おおよそ昭和40年代丸々をかけて、農村部でも電話は普及していく。
私が見たことのある昭和37年の北海道の事例だと、小学校の連絡先にその児童の隣のうちの名前と電話番号が書いてあったり、農協の事務所の番号が書いてあったり、電話ないけど学校から近いから直接連絡伝えてください、と書かれているものがある。
とってもわかりにくいんだけど、「即時化」と呼ばれる現象はもう一つある。
交換士が特に都市間の電話をつなぐ時、回線が限られており、相手先に繋がるまで相当待たされた。これを「待時」という。
場合によっては数時間かかる。いったん電話を切って、交換士さんからの電話を待つ。
数時間後、交換士さんから電話がかかってきて「〇〇さんとつながりました」と言われる。
それでようやく遠方の人と会話ができる。この現象がよく起こった時期は調べたことがない。
それで、この「待時」の解消も、時に「即時化」と呼ばれる。
この辺りの事情は連続テレビ小説「なつぞら」の考察をした人が最近詳しく書いている。
https://www.excite.co.jp/news/article/E1562427232846/
今生きる私たちも、ガラケーからスマホへの劇的変化の時代を生きている。
契約方法もどんどん変わる。誰もそれを詳しく記録していないし、きっと、全部は記録しきれないだろう。
個人的には、カメラ付き携帯がではじめた頃の数秒に一度しか画面が更新されないカメラから現在の自撮りの時代に至るまで、たったの十数年なのに隔世の感がある。
なんで今まで避けてたのか意味がわからないが、今年初めてM-1を見た。やはり自分はバラエティやひな壇芸人が嫌いなだけで、お笑いが嫌いなわけではない。漫才というフォーマットはとてもエキサイティングだった。
しかしながらバラエティを避けていると芸人と出会う機会は少ない、私は今回出ていた芸人のネタを全く見たことがなく、今回のM-1で初めてみることになった。
個人的には決勝で一番おもしろかったのはぺこぱだった。そして最終決戦もぺこぱが一番おもしろかったように思う。
とにかく松蔭寺のボケが面白かった。型破りで予想もつかない大袈裟なボケ、正面が入れ替わったり、妙な名言ネタで完全にやられてしまった。現場も大いに盛り上がっているように見えた。
その後のかまいたち、ミルクボーイのネタもとても面白かったが、現場の盛り上がりや、勢いからして、ぺこぱの優勝はあるのではないか?と思っていた。
しかし優勝したのはミルクボーイだ。一票を除いて全員が投票し、残りの一票はかまいたちだった。ぺこぱには誰も入れなかったのだ。
個人的には不思議だったが、そのあと決勝のネタを数回、そして過去今までの彼らのネタを見尽くした後ならば、非常に納得がいった。
ぺこぱには勢いしかなかったのだ。そして、その場での笑いを最大化するためのアドリブや、ネタを拡大していく経験が圧倒的に足りてないことが分かった。初見の時に、一つ場の勢いを殺す下りがいくつか入ってしまったなと感じたところがあったが、ネタをネタ通りにやる、という感じが見えたという感じだ。
2019年初頭のライブは全く面白くなかった。そこからここまで完成度を上げてきたのだから大したものであるが、引き出しを含めて経験不足ということなんだろう。
ミルクボーイの形は、今年に入る前からすでに出来上がっていたようだ。コーンフレークも最中も、過去のライブにネタがあった。その中でもツッコミの中に入る文言はアップデートされており、よりわかりやすく面白い漫才になるよう磨かれてきたことがわかる。また、彼らのフォーマットはなにかを強烈にdisる、というフォーマットなのだが、過去のネタの中にはつまらないものもあったし、特定の人をいじるようなものもあった、そのような他人に対して毒のあるネタではなく、コーンフレークや最中に対して毒を発散するネタをちゃんと選ぶことができたのも、今までの場数によるものなのだと感じた。
そしてかまいたちだ。最初に見たときはピンとこなかったのだが、2回目に見直してからはめちゃくちゃ面白いことに気付いた。そして過去の漫才のネタもほぼ全てめちゃくちゃ面白かった。形がわからないのである。笑いの神が降りてきたときの素人の雑談が極まった感じというか、完璧に計算され尽くした雑談のようなものに感じる。なにが面白いと説明するのが難しい、だから飽きが来ないのかもしれない。トトロもポイントカードも、心理占いも話が全く展開しない、揉めてるだけなのに、面白いのだ。
ぺこぱもミルクボーイもボケの人がほぼ死んでいるように見えたが、よくよく考えると、それもまたネタのために必要な要素なのだろう。
ぺこぱのボケの人はキャラも掴めていなければ、話空気も掴みにくい人のように見えた。ただし、ライブ以外の普段の二人を見ると、話を回しているのは彼の方だった。多分根が明るくお調子者なのはこちらの方なのだろう。今後どのようにお茶の間に定着していくのだろうか。
ミルクボーイのボケの人は、ほぼ同じことを同じタイミングで言うだけなのだけど、タイミングが絶妙である。この人がブレない、とにかく淡々としている、リズムを作るというのがまずネタの生命線であるわけで、重要なポジションなのだろうと感じた。
と、後日いろいろと考えてみて、私の中で2019年M-1で一番面白かったのはかまいたち、という結論に至った。
しかしながら、M-1はただその時面白ければいい、という大会ではないことがわかった。思っていたより奥深い文化のようだ。とはいえ、もう何十年もこの話題をスルーしてきた、まわりこ友達が話題にしていても、避けるように生きてきた。今更見るのも癪である。