はてなキーワード: ゾーニングとは
荻野幸太郎さんが「表現の自由戦士」じゃなかったら「表現の自由戦士」って一体誰なんだ。
風刺の場合、それを見たくない人たちにも届けて、ショックを受けてもらったり、怒らせたりすることにこそ意義があるので、ポルノと同列に「ゾーニング」とか「見たくない人の権利」とかで論じてしまったら、風刺の風刺としての社会的機能が果たせなくなってしまうように思う。— 荻野幸太郎 / OGINO, Kotaro (@ogi_fuji_npo) April 4, 2020
話題の国立科学博物館 の昆虫展。こちらが、ゾーニングされた「Gの部屋」の外周。ゾーニングをしつつ、ゾーニングされたものの名誉を守るカバーのあり方は、「有害」図書の扱い方にも示唆を与えるのではないだろうか。 pic.twitter.com/J4dTl2NUOJ— 荻野幸太郎 / OGINO, Kotaro (@ogi_fuji_npo) September 7, 2018
「萌え」にも、ジェンダー・エクスプレッションとしての側面があり、それもまた包摂されるべき国民のあり様の一つなので、「セクシュアル・エクスプレッションとして消費している人間がいる」という理由だけで安易に排除することは、公共広告だからこそ許されないのではないかねぇ。— 荻野幸太郎 / OGINO, Kotaro (@ogi_fuji_npo) August 26, 2020
元増田だと思って書くけど、こういうこと言う腐女子珍しくない。フェミニズムがオタクを攻撃すると思ってる腐女子
別にそんなことはないから本を読んだら?と言ってる。これが助言。ここで有象無象の人間がすすめた本なんて信用できないでしょ、自分で初心者向けとかでググって探しなよ
ちゃんとやりたいなら図書館行って、司書さんのレファレンスサービスを使うといいですよ
元増田が本当に腐女子なら、「女子」がフェミニズムを敵視してるの本当にがっくりきてしまうんで書き込んだ
それと心配してるようだけど、フェミニズム(そういう団体があると思ってる?)には表現を規制したり強制的にゾーニング強化するような権力はない
BLは比較的ゾーニングできている気がする。性描写を一般に持ち込んでいない印象がある。
表現の自由のためというならば、むしろあらゆる18禁表現作品のゾーニングを撤廃すべきだと思う。
ゾーニングによる表現の萎縮効果っていえばわかると思うんだけど、実際、私達はどうして18禁表現がゾーニングされる正当性があるかもわからないまま、えっちなイラストのゾーニングを求めてるよね?
ゾーニングするということは、対象表現について発表の場が限られるということであり、他者の重要な権利を制約しない限り本来的に自由であるはずの表現を規制するということ。
この点、刑法では猥褻な図画を規制する理由として善良な性風俗の維持を挙げているけど、善良な性風俗って何?って話だよね。
増田の指摘するとおり、普通のキャラ描写まで悪意のある解釈をされる、その悪意のある解釈がなされる背景に18禁表現の隔離は影響してないんだろうか?
性的な内容はチェック入るよ。JAや日赤も今後は組織内ガイドライン作ってチェック入れるんじゃないかな。
最初に結論を書くと、私には今Twitterに見られる殆どの「フェミニズム」はその実、自身の「復讐」のことを述べているように感じられてならないという話です。
私がこのところ観測した、Twitter上でフェミニストとして声を上げる方々の多くは何らかの性犯罪を受けたか、男性嫌悪をお持ちです。
ですが被害にあったことは、復讐をする権利を与えられたことにはなりません。
ましてや、加害した訳でもない男性へ怨嗟を向け続けている状況は、はっきり言って異常に思います。
専門家ではない一般人としての意見になりますが、法律とは罪を裁くためのものであり、被害者の心を満足させるためのものでは無いと考えます。同時に、被害者が加害者を許さないことはどこまでも自由です。加害者が罪に問われるのは「貴方」を害したからではなく、罪に問われる行為をしたからです。
男性をはじめとした「貴方」にとって不快なものを排除した、「貴方」が満足する世界を生きたいという欲求の表現にフェミニズムという単語を使うことは、本来のフェミニズムに反することではないでしょうか。「貴方」が「自分」に害をなした人々を憎む心を、フェミニズムという耳障りのいい言葉で包んではいませんか。
フェミニズムは万能の剣ではありません。一人一人異なる考え方を持つなかで、フェミニズムが全てを解決するわけでも、全て正しいわけでもありません。
さて、この文章を書いている私はゴリゴリのオタク、腐女子です。主にBLでエログロなんでも好む私は、二次元において好きなように女体や男体を弄んでいます。二次創作においては既存のキャラクターを用いて妄想しています。彼らはいわゆる「客体化された」女性や男性です。
Twitterで見受けられるフェミニズムは、私のこれらの行動を排除したいということなのかと疑問に思い、キーボードを打っています。
お伺いしますが、あなた方はこのような行動を一切しないということでしょうか。
そもそも実在の人間の表象を持つことを「客体化」と表現するならば、「客体化されていない」キャラクターは存在するのでしょうか。
それではシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』はどうでしょう。ミケランジェロやダ・ヴィンチの作品はどうでしょう。今まで人間を客体化し、好きに描いてきたあらゆる作品は、Twitter上で批判される作品たちと何が違うのでしょうか。
名作だから違う?芸術だから違う?価値があるとされているから違う?「貴方」が思う「萌え」がないから違う?今そんな話はしていない?
ジブリ作品について言及しているツイートもありましたので、「今はそんな話はしていない」は通用しませんね。
答えは、「同じ」です。アニメも漫画も彫刻も文学作品も絵画も、あらゆる作品は誰かの手によって生み出されたものなのですから。
これらの作品が非難されていないのは「創作物であるとあなた方が認識しているから」でしょう。
では、宇崎ちゃんやジャンプなどの物語を、創作物でありながら非難するのは何故ですか。
作品とは、ある人から見ればかけがえのないものであり、ある人から見ればただのゴミになります。嫌悪を感じる人もいれば、好んで鑑賞する人もいます。生きる糧となる人もいれば、一生関わらないで生きてゆく人もいます。その自由な態度を咎められることもありません。
誰かがある作品を批判したからといって、その作品を好む人にはなんら問題はありません。
時代によって許容される表現や文化は異なり、時には焚書などの弾圧を受けた歴史があり、そして日本に生きる私たちは「表現の自由」を手にしています。
では何故、サブカルチャーには自由な態度が許されないのでしょう。
常に何かしらの「正しさ」が求められるのでしょう。
一つの理由として「多種多様な人々が目に触れる機会が増えた」ためだと考えています。自ら探しに行かなければ分からないアングラな世界から、インターネットの普及などによりサブカルチャーが身近にある状態へとシフトしました。同時にコンテンツのほうも、典型的なオタク向け作品からポップでライトな作品まで裾野が広がり、様々な人が様々にサブカルチャーを楽しんでいます。
同時に、Twitterのようなツールが普及したことで、受け入れがたいものを目にしたとしても、完全に情報を排除することが困難になりました。「私が正しくない・面白くないと思うもの」を検索すればこんなに情報が出てきてしまう、「私が正しくない・面白くないと思うもの」を好きな人がこんなにいる……。自分が楽しめないものを多くの人が楽しんでいると感じると、まるで楽しめない自分が悪いのだと「錯覚」し、悪感情を増幅させてしまうことは私も身に覚えがあります。一方で、自分と同じ感情を抱く人のことも探すことができます。
その結果、「これだけの人が嫌だと考えているのだから、この作品を嫌だと考えることは正しい」という自身の考えを補強すると同時に、「この作品を好きな人はおかしい」という着地をしてしまう。
それがいわゆるロリ巨乳が登場する作品だったりすれば、「私たち女性を勝手に客体化しているこれは正しくない、やめろ」ということになる。
私がTwitter上で「女性を客体化するな」と訴える方々に特に伺いたいのは、客体化されない存在とは何か、ということです。
客体化されているのは女性だけではありません。男性、犬や猫、車、あらゆるもの客体化されて表現されています。自由な「客体化」を封じた場合、表現の場に残るものは何でしょうか。女性のみが女性について表現できる世界が、あなた方が目指す世界なのですか。
類似した案件において、「全てを消せなんて求めていない」という意見も見ました。ではその消す消さないの判断基準は何ですか。「フェミニスト」を掲げる「あなた方」ではないですか。「フェミニスト」に憎まれる、あるいは傷つけかねない表現を消していった先に、全ての表現が消える創造をすることは誇大妄想でしょうか。
その問題の重要さを、日々表現の規制を求める方々は本当に立ち返ってお考えになりましたか。
昨今話題になった献血やJAのポスターについて「公共の福祉」を挙げて問題視している方々もいらっしゃいましたが、「公共の福祉」とは「多くの人を不快にしない」ことを言い換えたものではありません。例えばポスターにおいて個人情報を載せたり、特定の人物を誹謗中傷したときに初めて問題になります。
性器が丸出しなど、無関係かつ過度に性的なイラストであれば公序良俗の面から問題になると思います。
話は逸れますが、ゾーニングの問題ももっと議論されるべきだと思います。Twitterでは、特に男性向けの18禁イラストがワンクションやゾーニングなしにアップされています。女性向けではゾーニングがなされることが多いため、BLのゾーニング問題に関連してしばしばやり玉に挙げられています。
私は寧ろ、表現の自由のためにあらゆる18禁表現作品のゾーニングを徹底すべきだと思います。性的な表現と普通の描写を一緒くたに放流していたがゆえに、普通のキャラの描写まで誤解、もしくは悪意のある解釈をされている可能性はないでしょうか。
きちんとゾーニングすることで、堂々と表現の自由を行使した方が健全だと思います。
二次創作でゾーニングしていながらめちゃくちゃエッチな商業BLがほとんどゾーニングされていないのは私の中で七不思議の一つです。白塗りや海苔をすれば良いってものでもないでしょうし、何より修正されていないものが見たいので出版社の方には是非ゾーニングをご検討いただきたいものです。
話を戻しまして。
Twitter上でなされている主張は、「女性を勝手に客体化するな」ではなく「女性を誤解するな」あるいは「誤解されかねない表現をするな」ということではないかと思います。そしてこの「女性」は「私」なのでしょう。「客体化」という表現を用いてしまうから語弊や誤解が生まれてしまっていますが、こう言い換えると納得することができました。
客体化された女性に関する表現が、いつかそのまま受け取られて「私」を害するかもしれない。「私」もそう見られているかもしれない。あるいは、この表現は「私」がかつて嫌だったことそのものだ――。
このように「自分」が経験した不快感や被害が創作物とリンクして、登場する女性が「私」になる。そして「私」に加害する登場人物たち、ひいては作品を楽しむ人々へも悪感情が向けられてしまう。
何度も議論されていることだとは思いますが、やはり根本的な原因は自分と客体化された女性に対して、男性からの性被害について共通点や共感を抱いてしまうことによるものといえるでしょう。これは物語に対する共感力というよりも、架空の人物に対する自他境界の曖昧さの問題ではないでしょうか。
この世界に「女性を客体化した」表現があること、そしてそのような作品があり楽しまれていることは、「貴方」の尊厳を傷つけること直接の関係はありません。
「女性であっただけで」セクハラをされた、性被害に遭った、差別されたと訴えるのならば、「男性であっただけで」潜在的な加害者であるとされることも同様に不当ではありませんか。
「まだ起きていない性犯罪」の原因を「客体化された女性像を鵜呑みにする男性」であると決めつけることで、問題は解決するのでしょうか。
現在も無くならない性犯罪は、むしろ表面化しないところに原因があるのではないかと私は考えます。
一人一人性犯罪を起こす原因も違えば、性犯罪の被害を受けた原因も違うのではないでしょうか。それなのに画一的に「表現」に原因を求めるのは、思考停止ではないですか。もしも「表現」に原因があるとするならば、同じ表現を目にしてきたにもかかわらず、問題や犯罪を起こしていない圧倒的多数の方々の存在はどう説明されるのでしょうか。
オタクはよく主語が大きいと言われますね。「女性」という主語、大きくないですか?その主語は「私」ではないですか?
「貴方」が被害を受けたこと、「貴方」が感じたことは、貴方自身を主語にするのが適切ではないですか。たとえ同意者がいなかったとしても、貴方が感じたことは否定されるものではないはずです。
「貴方」に害を加えた人物と、「貴方」が嫌う作品を読む人物は全くの別人です。
「貴方」が嫌いな作品を読んでいる人を嫌いになることもまた、「貴方」の自由です。それだけではどうしていけないのでしょう。「貴方」が作品や作品を読んでいる人を非難する際に、「気に入らない人物からそのひとが好むものを取り上げて満足したい」という感情は本当にありませんか。その感情を満足させたいがために、声を上げているところはありませんか。それは本当に「フェミニズム」でしょうか。
私は、本来誰にでも権利があり広く議論されるべき「表現」という問題がフェミニズムの名の下に一方的に敵視されていると言っても過言ではない現状が嫌すぎてこの文を書きました。
私が観測したツイートや主観のみで構成されており拙いところが多々ありますが、「復讐」という感情への自戒の意を込めてここに残します。
私は推しCP小説を書くのに忙しいはずのに、あまりにもやるせなくて気づいたらこんな長文を……。何故……。
つらつらと思ったことを書き連ねているだけの全くまとまっていない文章ですが、お読みいただきありがとうございます。正直こんなにコメントを頂けると思っていませんでした。
スタンスの提示のため、また議論に挙げられるのが主に男性向けが多いなと感じていたため腐女子という要素を盛り込みましたが、もう少し言いたいことを整理するべきですね。考えていることをできるだけ忠実に表現するということはこんなにも難しい……。
ご指摘の通り私はTwitter上でなされているフェミニズムの主張に賛同していません。ですがTwitter上でフェミニストの方々が意見が発信されていたからこうして考える契機になりましたし、文章を書き他の方に見ていただくことで自分には無かった視点を知ることができたので、良いきっかけになりました。
余談ですが、投稿する前に「普段の特徴を隠して匿名を楽しもう」とあったので意識的に普段と違う書き方を頑張ってみたら「ネカマ」や「男っぽい」とのコメントがあり新鮮でした。普段と違う書き方をしてみるのも面白いですね。支部やTwitterに小説を上げるのが生きがいの、ただの腐女子です。
「名誉男性」というコメントもありましたが、もし私がTwitterで意見を述べたならば、Twitter上のフェミニストの方々は私を自分たちと同じ女性とは認めないのではないかなと想像しています。穿ちすぎかな。
男女という性差は個人の一要素でしかないものの、その要素が個人を占める割合が人それぞれ異なっているということがとても厄介だなと非常に感じます。
このこと自体は至極当然のことなのですが、自分とスタンスの違う他者のこと、ひいてはその集合体である社会のことを考えると全くもって一筋縄ではいきません。
欲望を持っていい。持たなくていい。何かを好きでいい。嫌いでいい。それが私たちが持っている権利ですが、生きているからには権利の行使だけではなく様々に考慮しなければいけないことがあります。
ただ「嫌う」権利の行使にフェミニズムを掲げるのは違うのではないか?というお気持ちです。
Twitter上でなされているようなフェミニズムの主張をするならば、BLは生きていけないよな、と思いますし。正直腐フェミと呼ばれる方々はダブルスタンダードだと感じます。
同時に、「好む」方々からの「嫌う」方々への無配慮も無視できないので、「嫌なら見るな」で思考停止もしたくないです。
とりあえず、私には好きなものがたくさんあります。だからこそ考え続けたい。