はてなキーワード: 老年とは
個人が社会にライドしているのではなく、社会が個人にライドしているのかもよ。
で、その経済環境を導いた高齢化も失われた30年も、社会と、その上に乗っかっている政治が、防ごうと思えば防げた可能性は有る。
老年人口指数(15~64歳人口に対する65歳以上人口の比率)をみると、昭和25年(1950年)の8.3から、45年(1970年)は10.2、平成2年(1990年)は17.3、12年(2000年)は25.5と上昇し、15年(2003年)は前年を0.9ポイント上回って28.4となっている。
老年人口指数は今後も上昇を続け、平成37年(2025年)には48.0と、生産年齢人口(15~64歳人口)のほぼ2人で1人の高齢者を支えることになると見込まれている。
もともと自民党の党内政治の摺り合せで腰が重いと揶揄され、そうして出来たのが小沢新党以降の主流野党(共産党を除く)だったはずだろ
小選挙区比例代表併用制は右左派政党大連立が起こる可能性すらある選挙制度で、3党以上の連立政権も珍しくなく、政策の摺り合せにドイツでは平均3ヶ月掛かってるんだぞ
しかも日本でも問題視されている比例代表名簿の上位には老年幹部が名を連ねる現象がドイツでも起きていて、まさにシルバー民主主義を促進していると指摘されているのが小選挙区比例代表併用制
比例代表による復活当選も頻発し、せっかく落選させた老年議員がゾンビのように蘇る、それが小選挙区比例代表併用制
完全無欠の選挙制度なんて存在しないとはコチラも思っているけれど、ただでさえ就職氷河期世代がリーマン・円高就職難世代から老害扱いされ始めているのに小選挙区比例代表併用制でシルバー民主主義を推し進めてみろ、就職氷河期世代の恨みつらみと同じものをリーマン・円高就職難世代が持ってしまって再生産も良いとこだぞ
ネットとともに生きてきたネット民って、70になっても80になってもネットしてると思うんだよね
もしかしたらその頃はメタバースみたいなものが若者の間では主流になって、
こういう文字ベースの掲示板やSNSみたいな場所は老人だらけ、みたいな住み分けになっているかもしれない
いずれにしても、俺たちって多分死ぬまでネットやってるよなって思った時、
「老人が孤独じゃない世代」って世界で俺たちが初めてかも、って思った
子がいても自立して家を出ていき、同世代の友人はどんどん死んでいく
孤独になっていく老年期だけど、ネットがあるからきっと寂しくない
久しぶりに松任谷由実の曲を聴きながらこれを書いている。明け方の夢のなかに松任谷由実が出てきたからだ。
ゆうべ私は、エイジングとアンチエイジングについて書籍や文献を整理していた。だから寝しなまで、健全に年を取ってゆくとは何か、思春期が終わって中年期が始まって、それから老年期に至るとはどういった変化なのか、自分自身のことや家族のことや友人のことを考え続けていた。そうしていたら、今朝、悲しい夢を見て目が醒めたのだった。
夢は、どんなに意味不明な内容でも、夢を見た本人には意味が直観されることがよくある。今朝の夢もそうで、とりとめない日常生活の連続からなるシーンの最後に、私は無意識からメッセージを叩きつけられた。
古いスケジュール帳と、今は亡きはてなダイアリーの画面が夢のなかに現れて、そのとき、松任谷由実『リフレインが叫んでいる』が頭のなかに響いた。その瞬間、私は今という時間が過去になりつつあることを悲しく思っていること、今を手放したくないけれども時間が押し流していってしまうことを直観してブルーな気持ちになった。
今が終わりに向かっていること、時間が流れていくことを、私は怖いと思う。
たぶん私は幸福な中年だ。私が、今の私でいられることをうれしく思っている。仕事はそれなり充実し、長く連れ添った嫁さんとの仲も良いほうだと思う。日本人の夫婦はセックスレスになっていくというけれども自分たちはそんなことはない。回数は減ったけれども、若い頃よりお互いのことをよく知っているから幸せな時間を過ごせていると思う。そして嫁さんはまだまだ綺麗だとも思う。
けれども、そんな夫婦の今さえ永遠のものではない。時間が押し流していく。
10代や20代の頃は無尽蔵に思えた性欲と精液が30代にはそうとも言いきれなくなり、40代になって更年期の足音が聞こえてきた。インポテンツには遠いけれども、自分の性欲や精液を慈しむように、丁寧に取り扱わなければならなくなった。性欲や精液をどこに差し向けるのか、宛先が嫁さんなのか、アドマイヤベガなのか、かわいすぎる涼宮ハルヒなのか、ともかく、貴重な資源として分配しなければならないものになってしまった。性欲はもう、川から汲んでこれる水のようなものじゃない。いつか枯れる化石燃料のような資源だ。昔どこかの本に書いてあった「精液をケチる中年男性」というフレーズの意味が今は実感を伴ってわかる。若かった頃は、そんなバカなと思っていたものだが。
そうでなくても、私も、家族も友人や知人も諸共に年を取ってゆく。体力や思考力にも限界がやって来る。時代だって変わってゆく。それが定めだ。時間に逆らうのは無駄だ。すべてを変えてゆき、すべてを押し流していく時間法則には絶対性が伴う。私たちは変化する存在で、変化する存在だから、変わっていかなければならない:真実としてのそれを、私は学習と経験と文献をとおして理解はしている。
けれどもその理解に対して、私の無意識はそんなのは悲しいと叫び声をあげた。夢に松任谷由実を登場させる、というかたちで。ああ、本当は変わりたくないし、今がいとおしくてたまらないんだなとわかった。これまでの人生でずっと変わり続けてきたし、変わり続けることを良しとしてきたけれども、変わり続けることに不安や辛さを覚えながら、少し無理をして人生のモードを切り替えてきていたのかもしれない。それでうまくいっているつもりだった。客観的にはうまくいっているほうだろう。これからだってそうするしかないことを知っているつもりだった。知っている。それでも無意識は、本能は、年を取って変わっていくことを悲しんでいる。
そういう気持ちで松任谷由実を久しぶりに聴いているなかで、今という季節が失われても、その思い出は甘く残るという予感が得られたのは小さな救いだった。今のこの幸福を、二十年後の私が松任谷由実を聴くような気持ちで思い出せるとしたら、それ以上を望むのは欲深に違いない。だけどああ、今朝は、若さが失われて老いにとってかわる過程に痛みをおぼえる。10年や20年なんてあっという間だ。その頃の私は、もう今の私ではなくなっているだろう。
まだしばらく、このままでいられたらいいのにな。いられないのだけど。
私自身、親兄弟のない天涯孤独の身なので熟年老年へ聞くことが難しいし、配偶者のご両親へ質問するのも何だか失礼だよなと
ただ、配偶者のご両親、特に義父は無防備礼賛な気があり、沖縄の米軍問題について問答無用で米軍非難に回ったり、自民党は領土拡大主義だと言わんばかりに野党へ投票し民主党政権が誕生したときは大喜びしたり、原発事故から自民党への不審を高めて野党共闘しかないと言ってみたりと、言ってしまえば典型的な「その世代」な人なんだ
この辺りに触れなければ普段は優しい方で、人生の経験も豊富で勉強になるし、孫へ甘々な好々爺なのだけれど、どうも戦争が絡むと途端に頑固というか戦争を考えること自体が良くないみたいな思想がある
クリミア半島侵攻の際、私は航空機免許を取得しているためボソッと「日本で自衛隊員足りなくなったら僕へは真っ先に赤紙届いちゃいますね」なんて言ったら「憲法9条があるのだから戦争は起きない!」と叱られてしまった
いや憲法9条とかそういうの関係がなく戦争へ行く人の順番の話なんだけどなと。日本であれば順番はこうだ
当然、4番目と5番目は逆かも知れないが、4番目以降は徴兵となるので法整備は必要になるけど、自衛隊員足りなくなって侵略され国土が無くなりましたじゃ話にならないので、徴兵しなきゃいけない情勢下になれば徴兵法案は容易に通るだろう
自分が徴兵されてしまうタイミングを知らずに反戦の意識から徴兵法の成立をどうやって阻害する活動ができるのか私にはわからない
「そうならないため普段から諸外国と平和的な対話云々」の大切さは理解しているけれどウクライナの現状を見て、平時は各国と平和的に経済で交流して空気が悪くなると侵攻するなよとあれだけ警告されてたロシアのやり方を見たら、平和的な対話と同時に別の手も必要なんだなぁと思うわけじゃない?
それを魔法の言葉「憲法9条」で思考を遮るのはどうしてなんだろうか?戦後反戦教育の条件反射なのだろうか?
条件反射だったとしてもロシアとウクライナの現状を見て、熟年老年世代は今何を想って居るのか親の居ない私にはまったくわからない
ただ1つわかることは、日本が侵攻され徴兵法が成立してしまったとき、私は勝ち負けは別として我が子が戦火へ巻き込まれないよう私の世代で戦争を終わらせるため徴兵へ仕方なく従うだろうと言うことだけだ
戦争へ行く順番があるのなら、我が子へ順番が回ってこないようにしたい