はてなキーワード: 正当防衛とは
このエントリは昨今の暴力性について思うところがあり書かれた。
具体的に言えば「直接的な暴力は禁忌されると主張されながらも言葉の暴力については無頓着である」ことに違和感を覚え、皆様が抱える心の問題について何らかのヒントになればと考えて作成している。
猟師とは、現代でもある意味でその暴力性を野放しにされている職業の1つだ。
銃火器や罠が法的に制限されている程度で猟師の暴力性がすべて制限されているわけがなく、私自身も含め家の業(わざ)として猟師の技術を継承している人たちは箸一本あれば大抵のことはなせると言うだろうし、それがナイフやキリであればより効果的な使い方が出来る。
言うまでもなく私達は様々な命を奪い取り生計をなす者達であり、警察や軍隊や武術家や格闘家などと近似した暴力の専門家である。
法的な制限が緩いのは偶然であり、単に目立たないからそうなっているだけで機会が訪れればいくらでも法的に制限はされるものであると推測している。
私は猟師の技術を祖父と父に仕込まれたが普段から口すっぱく言われ続けたことがある。
「みだりに暴力を奮ってはならない」
私の心の成長に合わせ「みだりに暴力を奮ってはならない」の解像度は高くなっていった。
多くの人々は「みだりに暴力を奮ってはならない」と目にしたとき「そんなことは当たり前だろう」と考えるだろうが、今まさにあなた様が直感した意味の「みだりに暴力を奮ってはならない」とは少々違う教えを私は受けている。
なぜ私があなた様の想定を推測できるのか?と言えば、私自身も幼少期の頃はあなた様と同様の「みだりに暴力を奮ってはならない」と考えていたからである。
もしかしたらこれを聞くと大反対したくなる方も居るかもしれないが「みだりに暴力を奮ってはならない」は「みだりに」なのだ。
つまり絶対的な禁忌として暴力を封じた教えではなく、限定された条件がであれば暴力を発動しても良いとした教えである。
そもそも我が家は猟師であり、暴力の発動をなさねば食うに困り生きながらえることが困難になるので絶対的な禁忌として暴力を封じることができないという事情もある。
私が中学生のとき上級生と殴り合いの喧嘩をしたことがある。
今振り返れば喧嘩という表現すらおこがましく、先輩から最初の一撃を食らったので反撃へ移り一方的な状況にしたと表現したほうが良い。上級生は肋骨と肘関節にヒビが入った。もちろん意図的にやったことである。解体の応用だ。
それを知った祖父と父は激怒した。特に祖父は激怒しながら私へこう言った。
「男の暴力は大事なものだ!大事なものだからこそ最後まで取っておくんだ!男にとって大事なものなんだ!宝物なんだわかるか!」
祖父は激怒していたので「男にとって」と勢いあまって言ってしまったが、今の大人になった私は「人間にとって」と解釈している。
あなた様が「みだりに暴力を奮ってはならない」と聞いたとき「暴力は宝物」という解釈はあっただろうか?おそらく無いだろう。
中学生だった私は祖父のこの言葉へ衝撃を受けた。今まで暴力は絶対的な禁忌として教えられていたものと確信していたのに、そうではなく大事なものだからこそ簡単に奮うなという教えであったことに気付いたからだ。
あまりの衝撃に当時の私は自分はなんてことをしたのだろうと心から深く反省したし、2度と喧嘩で暴力を使わないと自分ルール、戒めとして持つようになった。
(※中学生時代の私から暴力を受けた先輩はオブラートに包めば普段から大人たちを困らせる「やんちゃ」なタイプであった。偶然にも私へ「ちょっかい」をかけてしまったのだ。)
私はこれらのことから「皆様の大事な宝物である言葉の暴力」について今一度考えて欲しいとお願い申し上げたい。
特に子供を持つ親であるのならば「暴力は大事な宝物」という表現の解像度は一層高いように思う。私も親となり解像度が高まった。
独身であっても例えば「法律上の緊急避難」や「法律上の正当防衛」「警察や国軍の暴力は合法」がなぜ成立するのか?という部分で高い解像度を得られると思う。子供が出来るまで私は「暴力は大事な宝物」という点で納得感を得ていた。警察や国軍であってもみだりに使えば違法化しますしね。
「言葉の暴力」を「大事な宝物」と解釈したとき、その答えは十人十色となることが予想されるが私はそれで良いと考える。
最後に、男であっても女であっても、リベラリストであってもフェミニストであっても、あなた様の言葉の暴力は大事な宝物であるからこそ、みだりに奮ってはいけないのではないか?と提言をよせてエントリをしめたいと思う。
逆にさわいでることで「装置メーカーの米国市民権持ち中国人」は全員スパイですって白状したように聞こえてしまう
Ah, a Chinese national with U.S. citizenship for an equipment manufacturer.
Well, that doesn't sound like it would have much of an impact on the anti-spying side of things.
As far as the spies are concerned, it's a big deal.
But as a country, it seems to me that it's self-defense to go through the process in order.
On the other hand, by cheering, it sounds like they're admitting that they're spying on all "Chinese nationals with US citizenship who are equipment manufacturers.
殴られてるなら正当防衛じゃん
義務教育で教わるのは
・日本語力がまともな人なら確実に意味を間違えずに読める文章の書き方
この2つだけ。
相手の日本語力が終了していた場合このやり方で書いた文章は通じなくなる。
条件付が不要な「俺たちが、お前たちを、殺す」のレベルの会話であればいいが、「あなたがたがもしもその銃を使用して私達の安全を脅かすのでしたら、私たちはそれに対して対抗措置を取る必要が出てきます。その場合、正当防衛を実行した結果としてあなたの命が脅かされる可能性もあります。我々としても殺人を冒すことはしたくありません。もしも銃撃戦を始めればお互いのうち何人かは実際に命を落とすでしょう。互いの命を危険に晒すよりは、今はこの場を丸く納める方法について話し合いませんか?」ぐらいの内容になると日本語力が終わってる人は条件の分岐を処理しきれなくなだろう。
究極の手段として相手はどうせ馬鹿だと割り切って、状況を無理矢理にでも単純化した表現を使う手もあるんだろうが、これ結局は騙してるようなもんだから気がひけるんだよなあ。
雰囲気で自分が正しいと思わせるってのは結構いい線を言ってるんだが、これも結局は党派性で信じたいものをお互いが信じ合うだけという地獄への道をひたすら舗装する羽目になるのが辛い。
前の職場と、前の前の職場と、前の前の前の職場と、全部人間関係のトラブル的なものでやめていて、職場の人間なんてみんな敵だああああ と深層心理的なものが学習しちゃったみたいで、仕事の指摘とかあとで面倒な事になりそうな依頼とか受けると過剰に警戒してしまうのだけれど、どうしたらいいのだろうか
今の職場ではたぶんまだそこまで理不尽なことはされていないと思うんだけど、前の職場でトラブった時に似たようなやりとりをしていると、過剰に防衛本能が働いてしまう。
わたしにはある意味正当防衛なんだけど、されてる方から見たら今まで一度も攻撃したことはなく、そんでたぶん今後も攻撃するつもりはないので、この過剰防衛は迷惑…というかわたしの方がよっぽど攻撃的なんだよな
昔あった嫌なことを忘れるってどうやるんだろうか。
犬に噛まれたとでも思って忘れる…なんていうけど、3回も噛まれたら犬には近寄らないし、逃げても近寄ってきたら追い払うってなっちゃうよな…。
2 安倍さんが統一協会を優遇、過去のトラブルを曖昧にする政治活動を行う
↓
今回の事件はこういう構造で、山上容疑者の4の動機は2によるものだった
2も安倍さんの政治スタンスに基づく政治活動なのだから、それに対する暴力はテロであることに違いはない
ところが、右は2、3はなかったことにしたい
安倍さんと統一協会の黒いつながり、各種の不正、隠蔽、そのための権力濫用は歴史から消し去りたい
できれば4は1に対する反発で起こった政治テロだったとすり替えたいまである
左方面からのテロだったと歴史修正できれば、左を攻撃する口実にできる
それが無理ならば、4は狂人による通り魔的な事件だったとなる方が都合がいい
一方、左は3の点を重視している
国民を不正な権力濫用によって弾圧するような国家権力に対しては、国民も抵抗する権利がある
ならば安倍さんへの抗議の意思表明に暴力が含まれていたとしても、正当防衛と同じように許されるべきだ
こういう価値判断が背景にある
この内容は以前から書き溜めていたものなので、昨今のニュースに際して何かに反対する立場で書いたものではありません。
「自分の好きなものより嫌いなものに対する熱量の方が上回っている人」とします。
その観点で考えてみると、はてブTwitterヤフコメ等ネット上に溢れてるいろんな立場、いろんなイデオロギーに属してる人たち、
ネット右翼もネット左翼もフェミニストもミソジニストも陰謀論者もその他諸々も
そしてそれに熱を込めて反論している人も、「こんな馬鹿なことを言う奴がいた」と晒し上げている人も、匿名とか問わず共通点として全員性格が悪い。
みんな嫌いなものに執着していて、傍から見て好きなものより嫌いなものについて話してる方が楽しそうに見える。
嫌いなものについてばかり考えているから攻撃的で言葉も汚くなりがち。
「争いは同じレベルの者同士でしか発生しない」という話があるけれど
正当防衛としての避けられない争いを除けば、争いは性格が悪い者同士でしか発生しない。
社会的に追い詰められて性格が悪いことを言わざるを得ない人たちがいることは理解するし同情もしている。
でも日々論戦を交わしている大多数の人たちって、必要もないのに暇つぶしの為に自ら性格を悪くしているようにしか見えない。
一方で、大人気な作家やスポーツ選手など、華々しい舞台に立っている人たちは性格が良い人が多いように見える。
それは反感を持たれないよう言葉に気を付けているのもあるだろうけど、
好きなものがある人、夢に向かって努力している人は嫌いなものを気にしてる暇が無いからだと思う。
夢と目標と生きる目的がある=自己を確立できている人は、誰かが作ったイデオロギーに頼らなくても生きていけるから。
(既に夢を叶えたり一線を退き余裕が生まれた人は上記に該当しない)
何ではてなブックマークは性格が悪い人が目立つのか考えてみたけど、
それはサービスの構造からして、ネット上のURLが存在するすべてのコンテンツに反論されにくい立場から陰口を叩くことを可能にするから。
そこに集まった性格が悪い人達は、怒りをぶつける相手と怒りを共有できる相手を求めてどんどん増えていく。
新しい情報と考えも共有されるから暇つぶしに最適なサイトではあるけれど、好きなものに一生懸命な人って基本的に暇してないんだよね。
私事ですが、暗いニュースばかりの今こそ好きなものに正面から向き合おうと思って最近創作趣味を始めました。
自分の強みを活かすために好きなものと嫌いなものは何だろうとか色々考えた結果、
「世の中に嫌いなものがひとつも無い人間なんていないから、楽しく生きる為に一番大事なのは嫌いなものを忘れるくらい好きなものを見つけること」
ということに思い至りました。
そして私は性格が悪い人が嫌いであるとともに、私自身が性格が悪い人間になっていることを自覚しました。
嫌いなものは忘れた方が良いので、この増田を最後に性格が悪い人のことを気に留めずに生きていこうと思います。
はてなブックマークはnot for meでした。
最初に登録した時は「ここなら面白いものを見つけて共有できる」みたいなこと考えてたんだけどな。こちらには悪意と敵意ばかりが共有されてくる。
私もそれを享受して怒ったりしていたけど、怒る時間ってただ無駄なだけだと目標ができるまで気が付いていなかった。
皆の好きなものが共有されるソーシャルブックマークサービスが実現できるならば見てみたい。
犯人は自力で銃を作る能力も才能もあり、銃撃を成功させるだけの計画性も実行力もあったけど、派遣しか仕事がなかった。