はてなキーワード: 正当防衛とは
正当防衛と緊急避難が合ってるかどうかはともかく、ネット民って覚えたての法律用語を(間違った状況で)乱発するよな。
似たようなことを思う時あるわ。
おじさん知財の仕事をしてるんだけど、ゆっくり茶番劇の商標登録問題があってみんなが半端に商標の知識を身につけた結果、
別の冒認出願(正当な権利者じゃない人に勝手にされた出願)のブクマページで
その上絶対勝てるなんて根拠もなく断言するブコメもあって身体が痒くなっちゃった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/Hoshino_Kanon_/status/1608039958107021312
まぁブコメに正確性を求めるのもアレだけど。
ネット民は「正当防衛」という言葉しか知らないから、上の例で自転車の立場になった時に、「避けた先に歩行者がいるのが悪い!正当防衛だ!」と居直ってしまうんだよね。
ごめん
「正当防衛」という言葉は一般人の間でも広く知られているけど、本当に広まるべき言葉は「緊急避難」なんだろうな。
例えば自転車が、自動車に轢かれそうになって慌てて避けたら、避けた先に歩行者がいて轢いてしまったとする。この場合、「緊急避難」の概念が適用されて、自転車は罪に問われない。
加害者に直接反撃しても許されるのが「正当防衛」。関係の無い第三者に危害を加えても許されるのが「緊急避難」。
ネット民は「正当防衛」という言葉しか知らないから、上の例で自転車の立場になった時に、「避けた先に歩行者がいるのが悪い!正当防衛だ!」と居直ってしまうんだよね。「自転車は悪くない」ことと、「歩行者も悪くない」ことは両立するのに。
横から失礼
元の文で「力の弱い人は力の強い人に屈服すべき」も強弁可能としているので
無知のベールを被り忘れるわけではなく、被った上でどんな主張も究極にはあり得るので
(その場合それを規範とする人は、他人を殴りつけ、なおかつ「お前も早く俺を殴れ!そっちのお前も誰かと殴り合えお前ら暴力を振るえ」と主張することになる)
ヴィーガンにしろ人間暴力主義にしろ、規範の話は”私は”そうしたい、じゃなくて世の中はそうあるべき、という話
それが「規範」の性質なので、そうじゃないなら規範じゃない単なる個人の好みの話になる(反ヴィーガンは勘違いしがちだが)
ところで「どんなときも肉体的暴力はいけない」ってそんなに守られてる規範か?
軽い体罰くらいを想像してるのかもしれないけど、正当防衛や暴徒鎮圧、犯罪者の拘束なんかも肉体的暴力に当然含むわけで
「動物さんを殺しちゃダメ!」とそんなに差がある例えだとは思えないんだけど
子供の虐待死とかはもう別の話で、「ヴィーガンは子供を虐待死させて良いか?」の話になるので読解に問題があるとしたらこの提案の部分が大きいと思います
(一応説明しておくと、それで否定できるのは不健康なヴィーガン食であり、子供が死なない健康的なヴィーガン食は否定できないので問題点はヴィーガンではない それが今あるのかは知らんが)
このエントリは昨今の暴力性について思うところがあり書かれた。
具体的に言えば「直接的な暴力は禁忌されると主張されながらも言葉の暴力については無頓着である」ことに違和感を覚え、皆様が抱える心の問題について何らかのヒントになればと考えて作成している。
猟師とは、現代でもある意味でその暴力性を野放しにされている職業の1つだ。
銃火器や罠が法的に制限されている程度で猟師の暴力性がすべて制限されているわけがなく、私自身も含め家の業(わざ)として猟師の技術を継承している人たちは箸一本あれば大抵のことはなせると言うだろうし、それがナイフやキリであればより効果的な使い方が出来る。
言うまでもなく私達は様々な命を奪い取り生計をなす者達であり、警察や軍隊や武術家や格闘家などと近似した暴力の専門家である。
法的な制限が緩いのは偶然であり、単に目立たないからそうなっているだけで機会が訪れればいくらでも法的に制限はされるものであると推測している。
私は猟師の技術を祖父と父に仕込まれたが普段から口すっぱく言われ続けたことがある。
「みだりに暴力を奮ってはならない」
私の心の成長に合わせ「みだりに暴力を奮ってはならない」の解像度は高くなっていった。
多くの人々は「みだりに暴力を奮ってはならない」と目にしたとき「そんなことは当たり前だろう」と考えるだろうが、今まさにあなた様が直感した意味の「みだりに暴力を奮ってはならない」とは少々違う教えを私は受けている。
なぜ私があなた様の想定を推測できるのか?と言えば、私自身も幼少期の頃はあなた様と同様の「みだりに暴力を奮ってはならない」と考えていたからである。
もしかしたらこれを聞くと大反対したくなる方も居るかもしれないが「みだりに暴力を奮ってはならない」は「みだりに」なのだ。
つまり絶対的な禁忌として暴力を封じた教えではなく、限定された条件がであれば暴力を発動しても良いとした教えである。
そもそも我が家は猟師であり、暴力の発動をなさねば食うに困り生きながらえることが困難になるので絶対的な禁忌として暴力を封じることができないという事情もある。
私が中学生のとき上級生と殴り合いの喧嘩をしたことがある。
今振り返れば喧嘩という表現すらおこがましく、先輩から最初の一撃を食らったので反撃へ移り一方的な状況にしたと表現したほうが良い。上級生は肋骨と肘関節にヒビが入った。もちろん意図的にやったことである。解体の応用だ。
それを知った祖父と父は激怒した。特に祖父は激怒しながら私へこう言った。
「男の暴力は大事なものだ!大事なものだからこそ最後まで取っておくんだ!男にとって大事なものなんだ!宝物なんだわかるか!」
祖父は激怒していたので「男にとって」と勢いあまって言ってしまったが、今の大人になった私は「人間にとって」と解釈している。
あなた様が「みだりに暴力を奮ってはならない」と聞いたとき「暴力は宝物」という解釈はあっただろうか?おそらく無いだろう。
中学生だった私は祖父のこの言葉へ衝撃を受けた。今まで暴力は絶対的な禁忌として教えられていたものと確信していたのに、そうではなく大事なものだからこそ簡単に奮うなという教えであったことに気付いたからだ。
あまりの衝撃に当時の私は自分はなんてことをしたのだろうと心から深く反省したし、2度と喧嘩で暴力を使わないと自分ルール、戒めとして持つようになった。
(※中学生時代の私から暴力を受けた先輩はオブラートに包めば普段から大人たちを困らせる「やんちゃ」なタイプであった。偶然にも私へ「ちょっかい」をかけてしまったのだ。)
私はこれらのことから「皆様の大事な宝物である言葉の暴力」について今一度考えて欲しいとお願い申し上げたい。
特に子供を持つ親であるのならば「暴力は大事な宝物」という表現の解像度は一層高いように思う。私も親となり解像度が高まった。
独身であっても例えば「法律上の緊急避難」や「法律上の正当防衛」「警察や国軍の暴力は合法」がなぜ成立するのか?という部分で高い解像度を得られると思う。子供が出来るまで私は「暴力は大事な宝物」という点で納得感を得ていた。警察や国軍であってもみだりに使えば違法化しますしね。
「言葉の暴力」を「大事な宝物」と解釈したとき、その答えは十人十色となることが予想されるが私はそれで良いと考える。
最後に、男であっても女であっても、リベラリストであってもフェミニストであっても、あなた様の言葉の暴力は大事な宝物であるからこそ、みだりに奮ってはいけないのではないか?と提言をよせてエントリをしめたいと思う。
逆にさわいでることで「装置メーカーの米国市民権持ち中国人」は全員スパイですって白状したように聞こえてしまう
Ah, a Chinese national with U.S. citizenship for an equipment manufacturer.
Well, that doesn't sound like it would have much of an impact on the anti-spying side of things.
As far as the spies are concerned, it's a big deal.
But as a country, it seems to me that it's self-defense to go through the process in order.
On the other hand, by cheering, it sounds like they're admitting that they're spying on all "Chinese nationals with US citizenship who are equipment manufacturers.
殴られてるなら正当防衛じゃん