はてなキーワード: ボヘミアン・ラプソディとは
エルトン・ジョンがその栄光の影で、ドラッグや酒に溺れお世辞にも幸福とは言えない状態を経験し、そこから立ち直る様を描いたお話で、『ボヘミアン・ラプソディ』(監督も同じだしね)や『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』とかそんな流れの映画だ。
こういった類のストーリーを見聞きしたとき僕は、多くのファンがいても孤独を感じるんだなとかどれだけお金があっても愛は手に入らないものなのかなといったぼんやり浅薄な感想に終始していた。
でもこの映画のエルトン・ジョンを見て彼らがなぜ孤独に取り憑かれて様々な依存症へと転落していくのか、なんだか腑に落ちるものがあったので頭の整理のために書き記しておく。
僕のような凡人も、当然日々人並みの孤独を感じて生きている。
それは僕が、人見知りのコミュ障で、才能もないし、お金もないし、成功もしてないし、顔はぶさいくでモテないからだ、とかまあ永遠に列挙できるんだけど、
お金持ちになったら、イケメンになったら、仕事で成功したら、誰かの愛を勝ち取って幸せになれるんじゃないかって恥ずかしながら思ってる。
もう孤独は、解消することは不可能に思えるだろうし、何かしらによって紛らわせ逃避するばかりになるのだろう。
やっかいなのは、孤独は大勢に愛されれば解消できるものではなく、自分が愛してもらいたい人に愛してもらえないと意味ないということ。
そして、顔や才能や財産をきっかけに人を好きになることはあれど、根本的に愛って損得やリーズナブルな理由を超越した絆を意味するものだから、
やっぱり持ち物が少ないほうが愛を感じやすいのだと思う。
すべてを手に入れて多くのファンに愛されているのに、お父さん、お母さん、好きな人は自分に向き合ってくれないの?とか、もうしんどい。
なんつって、ここに来てすごく当たり前のことを書いてることに気づいちゃったw
Your songが生まれるシーンなんか実写版幸福って感じで、心震えた。
悲しい映画じゃないのに、僕は観終わったあとなぜか激烈に寂しくなったから、これから観に行く人はだれかと一緒に行くことをおすすめする。
だから少子高齢化で若いのが少ないのと女性客が多いのがモロに反映されてんのよ。
中年以上の人が若い頃にヒットしたものに関係する映画(ジュラシック・ワールドとかボヘミアン・ラプソディとか)と女性に受ける作品(ボヘラブ、ディズニーアニメ、ミュージカルとか)しか興行収入上位に入れない。
アナ雪とかミュージカルが異常に興行の上位に入るのがアメリカでもたまに話題になっててあっちの人は全然理由がわからないんだけどこれも理由は女性がこういう作品好きだから。
アメコミ映画でワンダーウーマンとかキャプテン・マーベルとか話題になってるけど、なんでアメリカで女性ヒーロー物がこんなに話題になるかってアメコミ映画が市場をほとんど支配しちゃったのにもかかわらず、女性向けの作品が少なかったから向こうで問題視されたわけ。
はっきり言うけど、女性客上位の日本でそんなの気にしてる客ほとんどいねーからね。
もともと男性向けのヒーロー物を付け焼き刃のように女性向けにしたワンダーウーマンとかキャプテンマーベルが売れるわけ無いじゃん。
出羽守がたまに勘違いしてるけど、スーパーヒーロー物が売れる市場ってことは男性優位市場ってことなのよ。
「日本でスーパーヒーロー物が売れないのはグローバルスタンダートから外れてるからだめだ」
とか
本当に圧倒された。
まさに力技で見せつける映画だったなあと。
なのでこれだけだったら、最近の邦画とかにありがちな、低予算コスプレ学芸会になっていた可能性すらある。
でもこの映画はそうならなかった。
むしろ上述のような脚本にツッコんでる批評なんか吹き飛ばすような、観客からの熱狂的支持を勝ち取ったわけで。
そして、その音楽を核にした演出でグイグイ迫ってくる映像美。もちろん極めつけはラスト20分の長尺のアレである。
素晴らしい音楽の前には、どんなことも些細な問題になるのは間違いないと思わせてしまう、打ちのめされるような美声とビート。
だからこの映画を見れば、誰でも必ずQueenの音楽の歴史的価値を再認識することになるだろう。
というか単純に、Queenのサウンドが頭の中でリフレインして止まらなくなること請け合い。
で、そういう内容になったのは、監督や役者が二転三転した上に、撮影が始まっても監督ガーという事件が起きたりで、脚本自体は超無難でオーソドックスにするしかなかったのかなーという気もしている。
それにフレディ・マーキュリーというパーソナリティの関係上、作り方を間違えれば往年のロックファンのみならず、LGBTクラスタからも厳しい批評が待っていただろうし。
まあ、よく作ったなあという感じ。
最近は女が死ぬことが売りの映画ばかり? 女はどうやって死ぬの? 年齢は? 性別は?
気になったので、日比谷のTOHOに現在かかっている映画で調べてみました!
○……確実に女が死ぬ
△……女が死ぬっぽいけど断言はできない。あるいは過去に死んだ描写が入る。
✗……女が死なない。
「七つの会議」✗ 予告観るかぎりおっさんしか出てこないので、死んだところでせいぜい香川照之だろう。
「メリー・ポピンズ・リターンズ」✗ 女が空から降ってくるけど超人なので死なない。
「フロントランナー」✗ むしろ女で男性政治家の政治生命が死ぬ。
「雪の華」○ 観てないけど余命宣告された女のラブストーリーなので死なないわけがない。
「マスカレード・ホテル」○ 連続殺人なので女が二名ほど死ぬ。
「ボヘミアン・ラプソディ」✗ クイーンが死ぬ。
「十二人の死にたい子どもたち」△ 観てないから知らんけど、十二人も死にたい子どもがいれば一人は死ぬ女も出てくるはず!
「サスペリア」○ 女が死にまくる。
「クリード 炎の宿敵」△ エイドリアンの墓参りをするシーンがある。
「がっこうぐらし!」○ ゾンビなので男女区別なく死ぬ メインキャラはどうだかしらん。
「シュガーラッシュ:オンライン」✗ 死んだところでゲームのキャラだしな
「TAXi ダイヤモンド・ミッション」✗ よう知らんけど多分死なないやろ
多めに見積もって現在シネコンにかかっている映画の半数で女が死んでいます
前評判に期待を膨らませて見たが「良かったけど…」という感じだった
背景の絵が綺麗だなーとか運命的だなーとかは思ったけど
周りが大絶賛の作品にハマれないのは損した気分になるよね
そんな私は「ボヘミアン・ラプソディ」は号泣したので分からんもんだね
ボヘミアン・ラプソディーを見た。
友人知人が軒並み鑑賞して絶賛。
あまりにも色んな人が見に行っているので、
このままではボヘミアン・ラプソディを見ていない人間は世界で自分ただ一人になるんじゃないかと思ったくらいだ。
たまたま友人が誘ってくれたため見に行く運びとなった。
友人はこれで4回目の鑑賞だと言う。
一方自分はと言うと焦っていた。
横で感動して涙を流している友人がいるというのに、
迫力あってかっこいいなーくらいの感想くらいしかなかったからだ。
面白かったとは思う。
ただ泣くほど感動したわけではなく、
もう一回映画館で見ようと思えるくらいぞっこんになったわけでもない。
もちろん好みは人それぞれなので、好みでなかったものは仕方ない。
悲しかったのは、一般的に「良い」と評価されているものが自分は特にハマれなかったことだ。
夢中になることができなかった。
それは、自分の感受性やそういうものが鈍い、足りないからなのではないかとか思ってしまう。
仲の良い友人と感情を共有できないことを申し訳なく思い、盛り上がれない自分を情けなく思う。
作品は誰かと共有して楽しむためだけに存在するのではないのは分かってる。
それでもできればいろんな作品を楽しめる方が絶対人生楽しいのに、
とはいえここまで考えて食べ物の好き嫌いみたいな話だなと思ったので、
結局こればっかりはどうしようもない。
好き嫌いは時間が立って変化するときもあれば、一生変わらないときもあるのだ。
なぜそれを好きになれないのかを自分で分析するようにしている。
これはこれで嫌いなものについて考えるのであまり愉快ではないエネルギー消費の仕方な気もするが、
自分を納得させるには足る。
「私はこういうところが苦手だからあまり楽しめなかったと思った」
ただそれだけでも、
私自身初観賞で、帰省はしたがする事はないし口コミはすごいし一応観てみるか程度の心持ちだったが、これほどまで面白いとは。…
B'zにはまっていた時期もあった。
東海地方の片田舎で生まれ、厳格な父母に育てられ、家を出ることもできず今に至るまで実家に縛りつけられていた母。
そういった閉塞的な気持ちを吹き飛ばすパワーのあるロックが好きだったのかもしれない。…
私が13の時に離婚し、娘息子はみな家を出て、長年飼っていた愛犬も亡くなり、ひとり寂しく暮らしている母に、フレディの生きざまはどう映ったのだろうか。…
映画はとても満足だったようで、帰りの車の中ではカーステでQUEENを流してカラオケ状態だった。
楽しんでもらえてよかった。私も当然楽しかった。
あの人達、今ごろバーフバリも飽き始めてボヘミアン・ラプソディのフレディのイラストでも描いてる頃だろうな